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れない。われわれはみな失業の恐怖に支配されてきた。これこそ,われわれ を'二|分たちのより良い判11リTに背をliLilけさせ,失業から脱けllllそうと文ll1を試 みさせた当のものだ」.完全)M1は,すでにウィルソン政椛によって1967イド 以降L猟災_上放棄されていたが,だれもあえてそういう特はいなかった。とこ

ろが,ジョーゼフがはじめて公然とタブーを破った。戦後の経済政策Iの,

いな戦後政府そのものの拠って立つべきコンセンサスを森認したのである。

彼は市場の復椛の1):場から経済政策の洗い1m:しをおこなうためにサッチャー などとともに政策(Ⅲ|:究センターをi没立した。それがのちにサッチャー派のシ ンクタンクに成長する。

ヒース政椛の失敗の総llIiから係,、):党にはつぎのニイ21.択一が求められたので ある。「槽'''1された経済」を認めてすすむのか,それをもっと根本的に批判 して,もっと根本的な故jY1:を提起するのか。サッチャーは,後料を選んだ。

そして'975イド,ヒースバド征後光]上なった。彼女の根本(|りな批》'111は,一にも 二にもり、大すぎるlIl家にlfilけられた。その爪税と束縛,政府にたよる癖のつ いた|正lhl;の'二111K心の腐仙官I)lliji義と非効率などが,あらゆる』(1度からリM1 に批判された。彼女の根本的な改jII[とは,災イliの政治(|リペシミズムから脱け ll1Iし,ヴィクトリアjlリlのレッセ・フェールを|Ⅱ|リil}すべきI1MiLIとした。TIT場の lL1己調幣力への'五|い信念にもとづく,(1)BIlllill撒)禿(deregulation)一物I111i・

賃金,l11ill当,イ訂Uおよびタト|玉|為杵ノトⅡ」;ルに対する符Hl1の廃I上,ケインジアンln な光今)雁「11のための介入を否認した,(2)マネタリズムの金MII政策および(3)財 政lil模lli縮一減税と歳''1,)lIll減,税Ilill改111[,(4)hlj営化(privatization)-

lWii助金幣1M,’五|哲企業の民営化,公営住宅の払い下げ,(5)地方行政改11110:,そ jlしに,(6)労Mill刑[谷の不法1丁為をきびしくとがめ,ポ'1介迷憐のIXizii化と糺[合貝 ''111人の椛利の侵害を防ごうとする労査閲係改11111……。しかも彼女は,これら

をl折'五|としてやりとおそうとしたのである。まさに対決は必至であった。

サッチャー政権の経済社会政策の具体(1<」展|)Hの分析は4,5,6,章にゆず るが,そのパフォーマンスだけを先取')してみておけば,これまでの10イド '''1,サッチャー政椛はその対決のすべてに勝ちぬき,深刻な経済危機打llIlの ためのトル造iIり再編をおしすすめた。まさにサッチャー革命であった。

サッチャー政椛のljjii功は,いくつかの好迎にもⅢノけられた。北海i111Hlが本

1ケ;噺:新保〈〕:主義政椎の叢」笏35

格的に稼動しはじめたし,フォークランド紛イ'・は枚I化iiのように作)I)した。

保守党内のサッチャー派と「ウェット」派とのZZlj川で成立した第1次サッ チャー内|H1は,すぐさまウェット派が|#'1)l(を,Iiめる価域で労資関係苣iIj綱やiVii 祉陸|家の兄IILIしに手をつけることができず,それが労I1Iill述動とのせっかちな 正i([i対決をエリまず避ける効果をもたらした。また,「社会契約」の崩壊を容 易に総'11iできない労llill党が,左派の1111挺のもとで対1):を深めた末に分裂し,

社会氏Fii党が{'1,リi'したこと,それに'二'111党が↑''1災したことが,不人気を恐れ ず思いきった政策を実行できる環境をつくりだしたといえる。

しかし,サッチャー政権自身がインフレlIl111illを節l優先の政策11標にす え,きびしい金剛|i)|き締めをおこない,MイlB(についても,その妨げとならぬ よう,PSBRのH1縮を強力に111Iしすすめたこと,しかもそれとln1時に,企 業にも労Iilill杵にも政府の救済や支援を当てにできないFTを周知徹底させたこ とが,決定的な怠味を持ったと認めるべきであろう。救済や支援を求めて政 府に泣きつく癖のついていた経強者たち,if金lIl1IliIlについてさえ立法惜世を 当てにするようになっていた経営者たちも,政府から突き離されてはじめ て,いや応なく,こ[場|】1鎖があいつぐなかで,死に物狂いで生き残})のため の方策を|`|ノjで識じなければならなくなった。社会'1<j券'1|気が大きく変化し た。高雇川下に突H1Iした非公認ストライキによって強いiiiliMil力を蓄えてきて いたショップ・スチュアードたちの迎勅は,すでに「不iiMiの冬」以来|正1M<ノ 支持を失って孤立気味だった。それに,I脈11[や企業ごとに分立し,経尚にilll l3M心な,ぬきiilliい労'111肴主義(labourism)をリ|きI11)|(いでいたから,不況と 工場閉鎖に対抗する有効な手段を持っていなかった。きびしい金融リ|き締め 下に経削1'1がいっせいに攻勢に11」ると,ショップ・スチュアードたちの述勅

と組織は総川|れになったのである。

サッチャー政椛は,きびしい金触り|き締めがW1iどお')不況を深め,111:論 の支持を失った2イlillllを持ちこたえたあと,インフレ鎮静のうえに景気|、l後 がすすむにつれ(|又'6参照),高い支持をえるようになった。圧勝した1983 年の総選挙において,フォークランド紛争を機とする愛|河主義の高まりに}||’

し上げられつつ,保守党はなんと労Iilill組合票の50%,労Ijill者階級票の55%を さらったのである。踵jIlll政椛の茶礎はこうしてl1Hlめられた゜

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マーガレット・サッチャーとトニー・ベンは危機のllbf化が樅んだ)Mミ兄で ある。2人はいくつかの敢要なノハ(で瓜二つである。以|、ピーター・ジェンキ

ンズの鋭い切り'二1を11ノドわおう。

ベンとサッチャーは,戦後を文'1lidしたいわゆるコンセンサスの政治をイTち

破るために篭場した。コンセンサスの11;Wiとは,ベンにとっては労I11ill党政府

の安本主義との|イトiillilであI),サッチャーにとってはイ|:会ziミ義に対するYi和で あった。2人ともコンセンサスを攻蝶するためにそれを誇張してiilil),ウィ ルソン,キャラハン|ノリ|#|やヒース政椛をその一色で蛾')つぶした。〕111〔命を11ハ える税に」1iilnする特徴だが,ベン?ii義もサッチャー:iijIEも,裏切')の11'1論に もとづいている。喪切ったのは,ベンにとっては,シティやIMFやEC1T 際の道具に随ちたキャラハン杵'1|であ'),サッチャーにとっては,Uターン によっていま一皮イ|:会hL主主義「lりなコンセンサスへ’'11いもどったヒースiイトⅡ である。製切りのlll1iiiliは,裏U)られるなにか-illI1I1lなもの,ある柳の1111 稗,想い''1,すべき11f金lIili:代など-があることを要求する。なし州介には発 lリ'されなければならない。それは,ベンにとっては,大戦直後にiWf〈べきIii1i「

ノノを衣わした比衆と典の社会]{義であり,サッチャーにとっては,典の保守 :ii義とヴイクトリア〕|リ|である。こうして2人はともに危機の時代にふさわし い原mILji義肴である。ベンとサッチャーは,ケインズワ)蕊の-kで''111る。ただ し,ベンにとってケインズ主義がiM〈三ii義のボロボロになった文I1iだからで あり,サッチャーにとってはそれが|《|:会fii義のエンジンだからである。ベン とサッチャーは,ともにノMJlのlliklIllを,しかも「ilじくh1j衆主義「1りで反'五|家11り なノJlhlへ総験した。そして最後に,2人は熱情を尖イ「している。その熱情を もって,2人はイギリス政治のi},,(皮を」きげ,新しいnMA二ii義を鼓llkしたので ある(Jenkins[1987]pp50-54)。

だが,サッチャーとベンの迷いはいったいどこにあったのか?

サッチャーは,政党を掌掘し,爽際に政椛について政策を実fjに移した。

ベンは,夢のある綱Iilliを書くことはできたが,そしてI:業JI11にまではなった が,1976イ'1の危機(l<)討論においてl勝行となることはできなかった。Ⅱ]米の/,i 塊の発想からすれば,一方は溢水ji義の擁溌,他力はイ|:会二ii義への移行が詞し 題であり,課題のlMlliさが述うと喬いわけすることができるかMl1れない。

序章新'1K守主義政椛の識」坊37 しかし,それは本当の説'リ'とはなりえない。ベンは,さきに指摘したように,

廠業民主主義と労働薇統''ilIの進股のうえに,i'j場内経済計'皿の手法で政府の 介入を強めながら,社会北義へすすもうとしていたのだからである。

ケインジアン的需要/散111のコンセンサスへのルヒ判において,サッチャーと

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ベンのあいだには重要な111違があった。

破綻したケインジアンlIり需要符l1l1をきっぱり否認して,サッチャー政椛 は,インフレ,1,,1,i,,を節,とし,そのためにマネタリズムの金融政策を採11Iし た。マネタリズムは貨幣信Il1I1I1iiliとしてはちやちなものである。しかし,金 融節度を強IIillする点で1つのMJl1jリTをおさえており,昔からイ部11に締ま')がな

(42)

〈なった'13:にJ1ill1されてきた。マネタリズムのI1l1論そのものというより,こ の役諜llにTl{出に杵'二Iしたところに,ケインジアン的需要/1判'1が僧Ⅱ}の締まり を念入りに失ってしまい,しかもスタグフレーションを1111論」2適切に扱うこ とができないという11M迷状》11において,サッチャー政椛こそがはじめて経済 危機打開にイlW1の成功をおさめえた了ii要な1%〔|klをリiT}すことができよう○サッ チャー政椛こそ,ケインジアンの失敗,需要/秤'''1政策のゆきづま')をiMiIiiに 突いたのである。このノハ(ははっき|)確認する必要がある○ベンと労仙粉統Iliリ 派は,緊急統Ilillから全ini統朏||へと一兄ノ'1Aいきった革命('<」対策を)Ⅱ念している かにみえながら,いったい全iiii統Ilillのもとでもまだ存イ[しつづけるイングラ ンド銀行はいかに行Iソ)するのか〆人耐li省はどれだけ借りるのかについてなに も示そうとはしなかった。この欠落こそが,ベンとその対案戦略を労働党の 導き手とその川諭たらしめなかった欠落であったといって過言ではあるま

い。

しかし,サッチャリズムは果たして本当に成功したのか○

典の保守LIIIf命を紺につけ,経済111/'二の条件をつくりlIIIした○サッチャー派 は'二|賛する。しかし,たしかに氏二Mji義国家におけるケインジアン(l<ノ需要管 珈のゆぎづまl)を的Iili;にとがめたとはいえ,サッチャー政椛は,果たして本

÷11にヴィクトリア11リ1風の(?)ITMある巾Ll;社会,活力あるTIT場経済を実現 する方lbjへすすんだのであろうか。サッチャー政権は,木米を担う粁打の相 当大きな部分を,取り返しのつかないほど長1111にわたって失業,あるいはそ れを恐れる状態においた。それに|<|:会のもっともiili「伽的な主体であったとい

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えるショップ・スチュアードたちの通勤を紙↑>↑fiたちがたたきつぶすのをす さまじく促進した。しかし,それに代わる代仙をどこで礎得し,新しい主体 をどこにつくりだしたのであろうか。そもそもヴィクトリアjlリlllli:化の社会と は,労働打がまだ'一全をiljl」Cとしては11ヌリ扱われず,1K|家はなによりも恭犬 l1il家であり,労Ii1ill料のlllルi1iをしばしばうさんくさいものとして」IXl)締まるイI:

会であった。その社会の一人1iiiの?i1体,lllい『として認められたのは,貴族 と大商人についで,新!W)lMil1f1i級として台、した]」場jiまでであった。そ のようなイ|:会を黄金'1#代としてノ11Aい{l1Iiくこと''1体に,111人をllIl題が潜んでい るというべきだろう。リ,lに,サッチャーの(」IWlj川1主義そのものが,左翼の

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'111からばかりでなく「ウェットな」保守派からも,民?iifi{義を破壊するもの としてili発されている。そして,このようなWiiWIHを払っていまなお,シティ は別として,’1Mの」:災にはスクラップ化がⅢノ:ち,したがって北il川lIl枯 悩後の経済の股望ははっきりしていない。

l年以Iおくれて益場したレーガン政椛にとっても,絲済危機一インフ レと失業,それにハミ朧l4iの伜iilfの川Hこそが'''心「|<j課題となった。レーガン は,大統価選挙戦でlRlhliに「樺らしはよくなったか」と'11|いかけて,カー ターを追いこんだので、ある。(M)

インフレと失業の状態は,イギリスほど破1,i)(Iりではなかった。だが,レー ガン就任?1111#,失業率は7.4%なのに,箇金はイ'1率82%,iM1i川刎llliは年率 12.4%でIがっていた(|又'7参11(1)。111度の2桁インフレの11i燃であった。

j11Ui子はならなかった。

しかし,アメリカは,いち',しく役;i;||を降りてしまったイギリスとは異な '),依然としてその111:VIL政策によって戦後|||:界を枠付けるⅡI:界|]《|家であり,

いまやl1lIi-の』,LjliIlIjmIil]!|でもあった。それだけに,一力では,|u:界政策とそ の破綻からくるiiilえがたいIilllと衝撃からllillノ、IにIHl題を/liじることとな'),

政府はその'1Mし政策の処て111Kしと1'j綱を敢要なiillL題とせざるをえない。とこ ろが,他ノノでは,アメリカは,llML|]il家であり,ハLDlillljlMil盃|であること|二1体 から,イギリスとは異な'),’''1腿1W|(沢にRllli;iiなfii源,機会を利川しうること になる。とりわけ,そのlB(if1il(JlKLまたは絲済IのllW1L政雄をいわば手抜き

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