一「|、]からの改稗は成功するか-
Iはじめに
1980年代の11界経済はTIj場原I1l1と競争ノノの|Ⅱ|複にlfilかって動き始めた。先 進諸|玉|の低迷した労働生産性・インフレ体質・財政赤字の拡大を解決する切 り札としてマネタリズムやサプライサイド・エコノミックスが登場してきた。
とくにインフレ抑Ilillの対策としてはきびしい皿貨供給のり|き締めが実施さ れ,Will産物としては余りにも深刻な経済収縮がL'三じ,需要そのものを大きく 後退させた。従来インフレの2つの中心と|]されていた原illllilli格と労賃は80 年代初めの11t界|可時不況のなかで,その需給関係がもっとも大きくlli云換した 分野でもあった。これによって新保守主義によるインフレ退治は一応の成采
をあげることができた。
80~82年での強力な金融リ|き締めはアメリカに空前の経済停滞をもたら し,失業率も)]問統計では10%をこえるIiiR後蛾恕の状況になった。-力で高 い水準の物Iilli」三界率を伴い典型(lりなスタグフレーションの症状を呈してい た。80イIi代初頭の深い経済停滞の谷は脆業活動の不ルゼをilnじて労Iill力・エネ ルギー・基礎産業資材の需要を緩めディス・インフレへの、|リLiiiを敷くことに なった。だが83年からは本格的な金融緩和を背景にして,物I111i安定の下での めざましい景気lⅡ|後に転じていった。83年アメリカの実質成長率は6.8%に 達し,!'リl鮮戦争時の50~51イドをのぞくとli!i後般大のイ111ぴを示した。
しかしこの高成災過程は,アメリカ,そして'正|際維済にとって多くの新し い問題を投げかけるものとなった。表i「li的にみても財政赤字と対外貿易赤字 が合計で3000I意ドルを上|Ⅱ|るような状況の持続,そして85イ|:秋からのドル相 場の下落,さらにアメリカの純Iili務国への転蕗などが指摘できる。他の1mで
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は失業率が87イ|え8月から5%台へ低下し,80%以I1の製迭業設IMi稼動率と共 存しても,インフレがIli燃するという気配はLl化ていない。そしていぜんと
して人Alil棋厳別(|[合の貸金_け卜率は低位で,サービスバ'11Ⅱ|を主とする広い分 野で扉)Ⅱが着実に増大し,失業率改善に寄与している。
新保守主義の政策怠lxlが実りiIしたかどうかilIilllに判定することは困難だ が,80イド代のi<lj成踵は)雅楽榊造,労働Tl1場,国際競争に従来とはイ||当ちがっ た舞台装榿を設定した。とくにマクロ絲済的なイ《均衡の拡大とは別化|に,旅 業糺[織,企業行仙の次兀では対労働iniを'''心に大きな変化がみられた。企業 行動でのフリーハンドの拡大は,ilj」;勘の」党11を采')こえて21干業「iIi綱を行なう
リストラクチュアリングの盛Bllやlliili入,1,,11の活)|},/Ii産拠ルバの海外移転,さら にH1)<kを'|]心にした対米二I:揚地Ⅱ',のラッシュによる非アメリカ的な生産力法 の移入などによってMIlL進された。TjLTくからの]川と地域労働Tli場からのIlill 約は,二'二場閉釧・レイオフの人:}i(:実施という苔ソiiiを伴いつつも,80イド代をjln
じて弱まっていった。
これらの条件は,一定の金mllllイ政による刺激の1Tで,継済に対してインフ レ的な過熱を呈することもなく,70力)|をこえる競気拡大を支えるノJになっ た。しかし,80イli代の榊造変化の核心i'1分は,’)ストラクチュアリングの進 捗や低IMF利川等だけではなかった。|]il際競争ノノとアメリカのlML経済での 地位低1,.をもたらした,製造業の労働(l撒性がIiM〈的に改稗されていったか
どうかこそが岐人の|奥Ib1IIだった。
カーター政椛氷期からレーガン政権のljⅢ|あたりまで/'1産'VIi論議は経済 政策11の近要ii1MIlのひとつであった。北lユ業化(Deindustrialization)のな かで]:場そのものの姿が|正|内でil11えていく,このような状DiLが80イ'2代の成及 のなかで逆転がかかってきたのか否か。もちろんそのなかで労働ノli産性の停 滞をもたらす要lklを収')のぞくことに成功したのかどうか疑'111が残る。7イド
|=|をむかえた鼓気拡大のなかでいぜんとしてlリl1iliな解答は鼎示されていない ように`1.Aえる。アメリカ経済は,レーカソミックスによって,〈M:性を'''心 に,体価が強められたのかどうか,代表的な朧業の実態にそくして考えてみ たい。
第2章アメリカにおける生産性119題131
Ⅱ産業榊造の変動とその特色
1転換する規模の経済
通常,産業の成長・発展は生朧能ノノの拡大を伴うものである。l」本の基幹 産業をみても鉄鋼業,石1111化学Ⅱi業は60(|i代,MilIII工業は70イli代,コン ピューター・半導体雌業は80年代に急速な能ノj拡大を経験した。また能力拡 大期は技術革新の積極的な導入の時j9lにもあたっており,能ノノの増大ととも に装置の計装化もすすみ操業符I1l1の省力化・lLlmD化もすすめられていく。規 模が拡大するということは一般119には労働′|ミ産IYliが'二ケ'し,絲営効率が改善
されることを意味するものである。
また大規模化といってもスケールアップが無限に可能になるものでないこ とは周知の事実である。そこで,第1にlJt模拡大のメリットをあげると装世 建設コストの低減で,これは化学の反応プロセス等に0.6乗の法I1lが指摘さ れるように,プラント容積に対して建設費がかなり節約される。しかし逆に 1''1位のLli産能ノノだけが突ll)して大きくなることは,毎年の償却費負机の墹 大,市況変動に対してフレキシブルに対応できないで,需要減退時に供給過 多から値附|れの要因になるというようなデメリットが41兆てくる。装粧産業 のばあいはこのような条件から鉄鋼業にしろ,石1111化学工業にしる高炉lIJEi内 容種やナフサ分解炉1基当たりの最大Bil模が硴定される。
-力,力IIT組立産業については,雄礎素材部'''1の技術,スケールが所与の 能ブJ基盤になるものの,力Ⅱ二Ml立Ililll111の能力尺度は,なんといってもスピー ドになる。たとえば,自動''1工業では111州1,1分というタクト,あるいは サイクルタイムで完成''1何台,#ll11iMiⅢ|というペースが能力の|~|安になる。
そしてこの能力は,ロボット化などの自動化がすすんだ今11の段階において も,人間の作業能率の鹸適スピードに設定されるしかない。多くの自動車I 場がイ「産20万台iiii後を標準能力としているのもこうした事情によるものであ(1)
る。
アメリカの主要製造業は60~70年代を通じてほとんどこれといった能力哨 強がみられなかった。それどころか,80年代に入ると'11西部の在来産業の]二
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表1製造業冊IllIl1の桁標(1973-84年)
実質純安本ストック (82年基抑1,年 末,10億ドル)
平均時給(ドル)(イ)
94.0 92.6
20,154 20,077
93.4 90.6
4.09 4.42
554.2 581.1 1973
1974
6.2 7.2
'8,323 18,997 19,682 20,505 21,040
92.9 97.1 100.0 101.5 101.4
4.83 5.22 5.68 6.17 6.70
597.2 612.5
57989
●●●●● 66677
83.4 91.9 100.0 107.1 11.5 '975
1976 1977 1978 1979
630.5 655.1 681.4
707.2 729.7 741.3 741.1 752.9 20,285
20,170 18,781 18,434 19,412
101.4 103.6 105.9 112.9 118.5
7.27 7.99 8.49 8.83 9.18 108.2
110.5 102.2 110.2 123.9 1980
1981 1982 1983 1984
8.2 8.5 8.9 9.3 10.9
注)(1)輸入は製造業村のllWII「プラス輸入マイナス輪lllに対する比率.Illi格データにもとづく.
(2)総従業貝,硴報値.
(3)全LlのlIfI1Uあたり産11}.
(4)製造業従事しIに対するⅡ#給.
11Ⅶ)ECO"o"ノノCRGノウo〃Cl/ノノノcnUs/(ノc"/’’昭6,1).115.
業地'1冊では」:場|】1鋤,労llill者解)iiIが1||次いだ(表1参11(()。こうした状乃11を ブルーストンらはアメリカ経済の、非]:業化〃とよんだのであった。(2)
アメリカ)砿業における/M:能ノノの推移は鉄鋼業,lLl勅''1]:業では111純に最 的なもので判断すると,lTL々と1930イIi代に規棋の経済性を充たす能ノJ水準に 達していた。そしてIili後は大きな能ノノ変化はなく部分(Iりな設011i更新や技術革 新の導入を投資行11リノの'''心にしていた。4M代設ljIliiniのこうした既存体Ilillの11「A 存にはさまざまな'111111が考えられる。もっとも包括的なIlI1lllとしては,擁占 体llillのilj場支iIiuとこれによる高jlX拙体Ilillの実Ijilで,これは当然,|111i格と投査 の統llillが伴うものである。成熟し,成及ペースが鈍化するTl1場にあっては,
一定111イ並の能ノバリノノ'1も非附にむずかしい選択となる。(3)
しかし,いくら寡,11体Ilillが成fノ:したとしてもそれで市場がまったく'111定化 するものではない。最気のⅢ『環にそくして小刻みに変Iij1する需要趾に対して 供給{11'|は稼1lil1率と輸入に依存するという方法をとるしかない。実際には
第2章アメリカにおける生厳性llil題133 60~70年代の主要製造業のTlj場行動はまさにこうしたものであった。そして
この過程は一方で労働生産性,競争力にとって非粥に不利な状況をつくり出 すものでもあった。鉄鋼・自動I|[では化産設備の全体機柵が1M存され,しか も寡占的TlJ場のなかで労働組合の要求する製造業平均をはるかに」二lmlる労働 条件が定満し,労働費を「''心にコストは唖111[する。しかMi産兀狸そのもの は,部分的に入れ替えがあっても,全」i稗が革新されることはなく,プロセ ス所要作業'1柵|にも大きなlhl-上はみられなかった。物的生朧性の停滞と生産 費の墹力11が正な')i愉人,'ii11はしだいにシェアを高め,主要製造業は妓終11りに大 がかりを路線ili武換をよぎなくされていくのであった。(4)
80イ|ミ代はアメリカノ,L幹産業にとってその唾|際的なポジションが非常にはっ きりとしてくる時代であった。|玉|際競争力の低下は輸入の激増を促し,そし て大規模な余剰設Illiをljl1i在化させ,能ノノl1lI減を雌業界に迫るものになった。
82イliの不況下にはこの余剰設lillillll題は深刻化し,能ノJ橡、11率は鉄鋼で48%,
11動''1で54%まで低1,.した。(5)
これらの余剰能力は83イliの景気|Ⅱ|復以降に本格的に処理されていった。鉄 鋼業では83~84年の2イlillI1で1470万Nトンの能ノノが1ⅢiiIiされ,総能力は86年 には’億1000万トン台になり,70年代末に比して4000〃トン弱のllU減量と なる。また自動Iliも79~84年の能力変化は100〃台減の900万台になってお(6)
り,ここでも能力Wl減がみられた(表2参11(()。さらに第2次石1111危機や最 気後退の影響によって,石illl化学の心臓部であるエチレンプラントも81~83 イドにかけて300万トン弱の能力l1lll減があり,1500刀トンへと規模を縮小した
(「[|経産業新川1988年7月3011)。
1960~70年代を能力水準ほぼ一定で経過したあと,82f「の景気の谷を機に アメリカの産業の多くは規模縮小・効率化の力lfilをめざした。そして,この 路線転換のもつ意味は小さくはなかった。まず,すでに大#1棋化のもつ経済 性が競争|玉|の'三|本などとは比べものにならないほど低~卜したという事実があ る。次いで,アメリカ国内TIT場のかなりの('1分まで浸食された時点での失地
|Ⅱ|復を供給増でまかなうには,リスクが大きくなりすぎてしまったこと。さ らに,企業経営の範1111が拡張し,Ⅱl米のTlj場にこだわり続けずに柔軟に撤 退・参入を行なえるようになったこと。このような環境変化が,lliiii入を主因