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『マリーエンバートの悲歌』をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)Title. 『マリーエンバートの悲歌』をめぐって. Author(s). 東谷, 文雄. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 31(2): 133-149. Issue Date. 1981-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4103. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 『マ リ ー エ ン バ ー トの 悲 歌』 を め ぐ っ て. 東. 谷. 文. 雄. ゲーテの恋愛生活を概観す るとき, それは表面的にはまことに明るく, 楽しく, 自由で, 幸福な もののように 見える。 事実彼は多くの女性を愛し, また愛されもした 勿論, 気紛れな恋もあれば 。 , かなり品の悪い, あけすけな恋もあったろう. だが, すぐれた作品が生み出された恋は, たいてい きま っ て 諦 念 を 以 て 終 っ て いる. フ リ ー デリ ー ケ, ロ ッ テ, リ リ ー, シ ュ タイ ン 夫 人 ミ ン ナ そ , ,. してマリアンネとの恋のそれぞれが, 或は彼自身の自由のために, 或は倫理的な理由から断念され なくてはならなかっ た. そしてそこに形成される恋の魔圏から逃走しているのは, きまって彼自身 であっ た. 彼の多くの恋の中でただ一つ,「あの稚いウルリーケとの奇妙に感動的な, ひ どく傷ま し 1 ( ) い 恋」 だ け が, ゲー テ に と っ て 不 運 な 恋 だ っ た と Th .マ ン は 語 っ て い る.. ではその他の「幸福だった恋」で, 詩人ゲーテがどのように幸福を味わっ たのかについて, Th .マ ンは更に,「彼女達の前にほんのひとときひ ざまずいた放浪の天才ゲーテは,これらの恋の冒険から, 2 } 「ゲー テの求 彼の人生や自由のために真面目な結論をひき出すつもりなどさらさらなかった」 し( , 愛には目的がなく, 彼の誠実さは信頼のおけないもので, 彼の恋は目的のための手段, 作品のため. 3 ( )と 述 べ て い る が こ の Th マ ン の 言 葉 は 1932 年 に ヴ レリ ー がそ の「ゲー テ 煩」 の 手段 であ っ た」 ァ . , , の中 で, ゲー テ の 恋 の 奔 放 性に つ いて 述 べ て いる と こ ろ と, そ の 趣 を 等 しく す る ヴ ァ レ リ ー に よ .. れば, ゲーテの恋は 「手段としての恋愛. 恋愛の理想のために屠られるすべての女性への恋愛 筆 . 4 ) や絵にするには十分の警戒を要する蛇としての恋愛」 なのだという( .. だが, ゲーテの最後の恋といわれる 「マリーエンバー トの恋」 は, ヴァ レリーのいう 「蛇として の恋愛」ではあるまい. ゲーテが若者のようにウルリーケに憧れ, 彼女との結婚と家庭 -- 詩人と しての彼の自由を束縛するもの -- を望み, カール大公を介して正式に求婚した事実からも, この. 恋が人間的な, あまりにも人間的な, 老ゲーテの恋であっ たことがうかがい知られる であろう ゲー . テにとっ て恋とは, ゆらぎやまぬ火炎なのだと私は思う. 変化してやむことのない不安定な炎の姿 は, 妖しく人の心をとらえ, 灼き つくす熱は光と力を生む。 ゲーテはこの恋という火炎の熱い魅力 に, 生 涯 と り つ か れ て い た の であ ろ う。. 1811年, 彼が62才の夏に出版された『詩と真実』第1部第5章で, 彼は若き日の恋愛について次. のよ う に 述 べ て い る.. Di ige e ersten Liebesneigungen einer unVerd。rbenen jugend neht ] [ len durchaus eine gei st 駅r D i d N h i i l l d en ung e atursc entzu wo en echti n dem an ern das Guteund . ,daB e n Geschl. 5 ( ) Schbnes innl i ch gewahr werde.. 133.

(3) . 東 谷 文 雄. これは彼が15才の時の初恋の女性 グレートヒエ ンを回想しての詩的叙述である.この女性の実在を 6 ) R 立証する資料が欠けているとして, W.ボーデはこの初恋を事実として承認することを拒否し( , . 7 ) 恐らくそ フリーデンタールは上記のゲーテの記述は「老人の知恵から出た表現」だと言っ ている( . れは自伝的作品という性質上, 若干詩的に飾られた記述であろう. 自然は必ずしも望ましい 「精神 的な方向」 のみを取りはしないからである. 私達はその実例をゲーテのライ ブツィ ヒ時代の狂気じ 8 ( ) みた恋 --J .バープはこのケートヒエンとの恋を「暇つぶしの火あそび」と言っている -- に見 ることができる。 また私達はゲーテが詩人であり, 比喰と象徴を愛し, ヴェ ールと仮面を好む傾向 もあっ たことを忘 、れてはなるまい.. 人知がどのように進み, 科学が自然のしくみのいくつかを説き明かし, 器械が人間の頭脳の働き を代行するようになろうとも, 私達が自然を創造する神の座につき得ぬ限りは, その摂理から逃れ ることはできない. 従って人間の恋が, どのように社会的, 精神的要素を錯綜させて複雑な様相を. 呈しようとも, 恋の魔圏へ一組の男女を背後から突き入れるのはエロスであろう. 私達は殆どの場 合, 抗いようもなくその魔圏の雰囲気に酔いしれる. vvenn ich Liebe sage so Versteh ich die Wiegende ,. 9 ( ) rnmt schwi ,………. [erz EmLPf indung in der unser 日 ,. 恋する相手を自分 だけとの個有な関係につなぎとめようとする努力は,苦しみを伴わずにはいない. しかも激しい感情の動揺がその基底にあって, そこから恋の喜びや悲しみが生まれるというのであ. れば, 不安をはらむ動揺こそは恋の魔圏を支配するものであり, 人はその激しく人間を消耗させる 関係の中に, いつま でも留まることは到底できまい. とすれば, 恋する二人がその関係を長く保持 するためには, 結婚という形をとっ て不安定感を排除し, その関係に質的変化を与えるしかない. たしかに 「永遠の勝利者であるエロスこそは, ゲーテの場合にも, その存在を動かすいちばん強 1 0 ( ) -彼 は そ の 若 き 日 か ら 7 い 要 素 であ っ た か も 知 れ な い.」 4才の高齢に到るまで, エロスの誘いのま. まに数多の恋に陥り, 情熱の燃焼を創造のエネルギーとして, 多くのす ぐれた作品を生み出し, そ の精神を高揚させ, その人生を展開させて行く. ライ ブツィ ヒ時代の放縦な情熱の対象ケートヒェ ン, シ ュ ト ラ ー ス ブ ル ク 時 代 の 可 憐 な フ リ ー デリ ー ケ, フ ラ ン ク フ ル ト の 最 愛 の り リ ー, 「リ ダ, 身. 1 1 ( )と呼ばれたヴァイ マル宮廷のシュ タイ ン夫人 その生涯 でた だ一人 フォ ン・ 近にある幸福よ」 , , 1 2 ( )クリスティ アーネ イ ェーナの書蜂の娘 ゲーテの名 を与えた「社会的にも精神的にも不釣合いな」 , ミンナ・ヘルツリー プ, 最も情感豊かなマイン河畔の恋人マリアンネ, そして彼のエロスに終止符. を打ち, 『フ ァ ウスト』 完成への道を辿らせたマリーエンバートの恋人ウルリーケ -- 生身の人間 1 3 ( )ゲーテは 繰り返し であり, 「その性質の根底から女性と関係を有する男性の類型に属している」 , エロスの誘惑のままに恋の魔圏に 身を留めようとしては, やがて彼の内奥にある使命 -- それは 「我が存在のピラミッ ド」の建設であった -- に呼び戻されて, 辛くも破滅への危険をのがれ, 再 び彼の道を辿り続ける。. かつてリリーの魅力にとらえられた時, 彼は当時の直接な心境を 『新しい愛, 新しい生』 という 詩の中に, 率直に 告白している. ・ . ・ ・ . ・ ・ . ・ . . ・ . . ・ . . ・ ・ . ・ ・ . ・ ・ . ・ . . ・ . . ・ . ・ .. l li vvi ch rasch mi chihr entziehen, i f l iehen N1 ch erlnannen,ihr ent , 134.

(4) . 『マリーエン バートの悲歌』 をめぐって. FC ー hret mi l i in Augdnb chi ck hr zuruck. -.… Ach.-. . . ・ ] 【 lein VVeg zui Und an dieseln Zauberfadchen , Dass i i ch n chtzerreiBenlaBt ,. Hal i tdasl ebelose Nladchen ルー i dervvi 1 l ch so wi en fest.. 1 4 ( ) ”. ・=”.”・ ・ ・“”, . . , . . . . . . , . . , .”.. しかし, ゲーテは辛くもりリーの魔圏をのがれ, 彼の人生における最大の転機に直面すると, 運命 の馬車に身を委ね, ヴァイマルヘ向う. 彼は或時は情熱の対象とした女性から身をひるがえして逃 走し, 或時は静かに身を避けて情熱の冷却を時間に委ねる。 彼が恋の魔圏に誘い込む女性は, 庶 民 の娘あり, 貴婦人あり, 他人の許婚者あり, 人妻あり, 貴族の娘ありで, まことに色彩に富む. 通 常の道徳的, 倫理的観点からすれば, 問題視せ ざるを得ない態様の恋があり, 非情な背徳の行為と. して非難せ ざるを得ないものもなしとはしない. 彼の恋があまりにも自己本位 で, 情熱の対象とし た女性の心を顧 みないとして, 彼の詩作品にはす ぐれた価値を認めながら, それ自体が偉大な作品. といわれる彼の生き方に, 特にその恋愛生活に, 決して好感を持つことができな い人々は少くない 。 「詩人と して, 天才と して, 誠実で率直な, しかしまた不実な, 世俗的な意味 では信用のおけない 1 5 ( 〉り またケストナーという許婚者 感情のヴァ ガボン ドとして, 彼はフリーデリー ケを捨て去っ た」 , のある娘ロ ッテに恋して, 他人の恋愛関係に寄生し, シュタイン夫人に10年にも亘って愛を誓い, また彼女の愛を求めながら, イタリアへ逃走し, クリスティ アーネという妻ある身 で, 新婚の人妻 マリアンネと相聞の詩を交わして,その魂を奪おうとするなど -- まことに傍若無人と云う外はあ るま い. Th .マ ン は 次 の よ う に 評 して い る.. i iger Ummensch : schbn, hochbegabt ld … …Ei i nl ebensWnrd t Ge t und Leben s , ge a en mi , feurig ge l h i k f h l l l d d i u t i h a a u i l i … … s e a s s e n s c we nn u o v u n r z n g r r s c e n em g, n eben Sinn; , r , 1 6 ( ) ”・”.. 1 { 7 )と ま で言 い切 っ て いる ゲー テ に と て 恋 こ そ が 生 き て 在 る こ と の 証 「感 情 こ そ は す べ て だ。」 っ ,. しであっ てみれば, 拒否と拘束を旨とするこの世の約 束ごとによって, 恋によって高められる情感 が, いとも簡単に圧殺されてはならなかった。 詩人としての彼が, 感覚が追求するものすべてをよ しとする本質的な傾向を持っているのは当然のことであろう。 道徳, 戒律, 虚栄などが生み出す抑 制と蓋恥心 -- それ、 らがどんなに人間の心に次々と芽 ばえて来るみずみずしい情感を悪として自 らの手で圧殺させていること であろうか. 私達はそのような情感を前にして, 殆どいつもためらい, , 抑圧し, 回避し, 通過させ, 枯死させてしまう. だが, ゲーテはいつも彼の人生をその道幅一杯に 1 8 ( )を失 生き抜いたのだと私は思う. その広い道幅が彼にとっ ての制約であり, 彼がその「暗い衝動」 わぬ限り, その道が破滅に通ずることは決してなかったのである。 Th .マ ン は. Seine Exis tenz be ruht auf einer besonderen und V0n Gefahrdungni chtfreien V0reinigung. i l i i tundVVurde l iche i i indens von s igef i ter ii nn chke h 〕 ゴ ロ ] 【 ・enschl es che Zt ch be e das・ . Pr ,di 135.

(5) . 東 谷 文 雄 inage i ber Amti t hnlaufpragt und di tstehen mogen zuiener Li tin Widers t e der re eof ,di. ( 1 9 ) si l i i tzugehbrt. nn chke. と言っ ているが, たしかに私達はしばしば彼の恋愛においても, 燃え立つ情熱とは全く裏腹な 令酷 な振舞に戸惑わされる. ゲーテは恋という 感情の横溢する場にあっ ては, 時としてその倫理性に疑. 問を抱か ざるを得ない程の危険な深みにま ではまり込ん で行く. だが, 彼はその危険に気づくと, まる でそれが 「緊急避難」 の行為 ででもあるかのように, 自ら求めて入り込んだはずの深みから脱 出する. 情熱の激流にひとり押し流されて行く相手の女性に救いの手を伸ばせぬ状況にあったとし ても, ひとり岸辺に立っ て, 流れに呑まれて行く女性をじっ と見送る冷酷な振舞が, 彼の心に傷を 残さぬはずはあるまいに, 飽くことを知らず繰り返しを求めて恋の情熱に身を委ねて行く彼の感情 面における奔放さ -- 私はその中に彼の天才としての, 詩人としての倣慢をすら感ずる. もし彼の. 「存在のピラミ ッ ド」 を構築するための不断の努力と, 彼が無言のままにその重圧に耐え抜いたピ ラミッ ドの地下部分の偉大さがなければ,恐らく彼はあの悲惨なレンツの道を辿ったことであろう. 驚異的な科学の発達に比べ て, 私達の人間関係を律する 道徳は一体なにほどの進歩を私達に示し. た であろう. 敢えて後退とは言わぬま でも, その変化はむしろ原始社会の道徳に劣る面すら生み出. してはいないであろうか. 宗教上の戒律を別として -- 否, それすらも確固不動とは今や言い難い かも知 れない -- いかなる道徳が不易の相を私達に示したであろう. 道徳が時代と共に変化し, 人. 間が作り出す関係によって変動することは, 私達が具に経験するところである. だが, 変化即ち進 歩ではあるまい. ゲーテが生きた18世紀後半から19世紀前半の道徳観が, 当時の貴族にとってま こ と に 好 都 合 な も の であ っ た こ と は, W. H. ブ リ ュ フ ォ ー ドの 次 の 記 述 か ら も明 ら か であ る.. 「上流社会には道徳的諸価値を蔑視するシニカルな態度がかなり蔓 延していた. 時には外見だけ でも徳を装う 必要があっ ただろうが, これとて目的のための 手段にすぎなかった. 一般に, 人間. はすべて自己の利益によっ て動かされるものだということが公理のようにみなされていた. それ 以上に, そこでは道徳的動機よりむしろ美的動機の方が優 先されていた. そして自ら意識的に徳 0 ( 2 ) を 求 め る こ と こ そ, 人 の も っ と も 望 ま ぬ と こ ろ で あ っ た.」. だからと言って, ゲーテの恋がいずれも時代の道徳にかない, 彼の生涯を華やかに彩るものとして, その恋に由来する詩作をたてに, ひたすら賛美するのは如何なものであろうか. この場合, 私達は 彼の中にあって時に鮮やかに活動するメフィ スト的なものからも眼をそら してはなるまい. 0年余に及ぶ恋 諸説の二, 三を試みに挙げるならば,J .バープは, ゲーテのシュ タイン夫人との1 こそは, 「ゲーテの生涯における最大の謎」 であり, それはゲーテが彼女を「あらゆる文化形式の化. 身」 と誤解したこと, また彼が自己抑制という目的に到達するための 手段として, 彼女を必要とし. 2 1 ) フ リ ー デ ン タ ー ルは ゲー テ に と っ て 「こ の 恋 愛 は た こ と で納 得 でき る だろう と 言 っ て い る( , , . 2 2 ) ま た G ジ ン メ ルは 1700 一 つ の 仕 事 で あ り, 一 つ の 課 題 に ほ か な ら な か っ た」と す る 見 解 を と り( . , ,. 通を超えるシュ タイ ン夫人あてのゲーテの手紙を熟読するならば, 真にこの二人が幸福だっ たと言 2 3 ) え る 期 間 は, 驚く 程 短 か い こ と が 知 ら れ る だろ う と 言 っ て い る( .. 私がここで取り上げるマリーエンバートの恋についても事情は同様である. 老ゲーテの若々 しい. 情熱をひたすら賛美し, この恋から生み出された 『悲歌』 は, 恋の宗教的浄福を賛えるものと解す る好意的な人々もあるが, それは 『悲歌』 の中のウルリーケヘの恋を回想する部分に ついての賞賛 であろう. 全体として 『悲歌』 は, 老いたろ者の失恋の悲しみと, 絶望, 未練を率直に歌ったもの. と -- 否, 刻みつけたものと解すべ きであろう.. 136.

(6) . 『マリーエンバー トの悲歌』 をめく って. i ト l l l i i i i in in se ine l den tragischen Ka]幻LPf des e Vi e e cht hat e n anderes Ged Cht re mn St 4 2 ( ) l ings mi i tdem Gre Jung sezum Ausdruck gebracht.. とは G .ジンメルの言葉であるが, 私はむしろ「老人の若者との悲壮な闘争」とした方が適切 ではな いかと思う. J .バー プは, ゲーテがその情熱の対象ウルリーケを所有したいと望ん で, 正式に求婚 したことなど, まさに前代未聞の でき ごと であり, 従来の彼の人生の法則に反するとしか思えない 2 5 ) と 述べ て いる( .. ゲーテにとっ て生涯にただ一度の -- と言っ, てよいだろう -- まともな, 彼としてはまことに 倫理にかなった筈の, 当初から結婚を目的としたこの恋が, 全く彼の期待に反して片想いに 終り, 彼はこの恋を最後として恋に訣別し, その悲しみと苦悩の中から『悲歌』は生み出された. ウルリー ケとの楽しかった幸福な日々がその中に歌いあげられていようとも, 『悲歌』は彼の詩作品中最も絶. 望的な, 救いのない詩であると言っ てよいだろう. この『悲歌』を生んだマリーエンバー トの恋 -- 老ゲーテがその全存在を賭けた最後の恋 -- とは, 一体どのようなものであったのか, それがみの りなく終ることを知っ た時, 彼はどのようにして絶望の淵からのがれたのか, そしてこの恋が彼に とってどのような意義を持つのかについて, 若干の考察を試みよう.. .29 日マリーエンバートに着いた 1821 年 7 月 26 日, ゲー テ は ヴ ァ イ マ ル を 出 発 し,. . 岩石水成論 パ 者である彼は, 既に数年来カールス ートの岩石の殆どを鎚 でたたき, その組成を調査し尽く して いたので, 今度は新興の保養地でもあるマリーエンパートを新しい調査の場としたの であった. 彼 の逗留先となった当地第一級の「ヴァイマル館」は, 15年前, 即ち1 806年にゲーテがカー ルス バ-. ト で知 り 合 い, 心 を ひ か れて 「バ ン ドー ラ」 と 呼ん だ ア マ ー リ エ・フ ォ ン・レー ヴ ェ ツ ォ ー の両 親,. プレージヒケの所有であった. ゲーテはそこで3人の娘, ウルリーケ, アマーリエ, ベ ル夕を連れ たかつての恋人レー ヴェツォ ー夫人と再会することになる。 当時夫人は既に33才, 長女ウルリーケは17才で, ウルリーケは丁度シュ トラ--スブルクの寄宿. 学校 か ら 戻 っ た と こ ろ であ っ た. 母 レ ー ヴ ェ ツ ォ ー に よ っ て ウ ルリ ー ケ は ゲー テ に 紹 介 さ れ た が,. 2 6 ) 彼女は「ゲーテがどんなに有名なのか, どんなに偉大な詩人なのか, 全然知らなかった」という( . その翌日, ゲーテはブロン ドで大きな青い眼をしたウ ルリーケを散歩に連れ出し, シュ トラースブ ルク の こ と や 学校 の こ と を 尋 ね た. そ ん な と き, 彼 の 脳 裏 に は 若 き 日 の シ ュ トラ ー ス ブ ル ク の 恋 人,. フリーデリーケのことが浮かんでいたことであろう。 その50年前の恋については, 『詩と真実』 第 2部第10章及び第3部第1 1 2の各章に述べられており, 第2部は181 2年に, 第3部は181 4 , 第1 年にそれぞれ既に刊行されていたが, ウルリーケはその1行すら読んだことがなかった. ゲーテは 『ヴィ ルムヘルム・マイスターの遍歴時代』 の新刊を彼女に贈り, そのよりよき理解のために 「修 業時代」 の話をする。 彼はレー ヴェツォ ー夫人の許しを得て, 毎日のようにウルリーケを散歩の伴 とし, 教育的な話を聞かせ, 鉱物への関心を共通にしようとした. しかし彼女が岩石に殆 ど興味を 示さないので, 彼は遠出の帰路で彼女 のために, 石の代りに野花を摘んで来るようになる. 一家を. 挙げての歓待は,彼に ヴァイマルのフラウエンプランの家では得られぬもの -- 快適で家庭的な雰 囲気, 若々 しい, 快活な娘達の心からの世話 -- を十二分に享受させた. 当時7 2才の彼は17才の ウルリーケを 「私の可愛い娘」 と呼んで, 妹達よりも可愛がり, 彼女も無邪気に祖父のようなゲー 137.

(7) . 東 谷 文 雄. テに親しんだ. 後になっ て彼女はその頃の事情を次のように語っ ている. 「……彼は私の家族と親しかったし, 同じ家に住んでいましたから, 私といっ しょに散歩する許. 可を求められたの です. 私にあれこれと教えたり, いっ しょ に鉱物研究をするようにしむけられ ました. ゲーテは私の祖父のよう でしたし, 私もそのようにみていました. そして彼は, 私のこ 2 7 ) とを 《私の小さな娘》 と 呼 ん でい ま した.」(. レー ヴェツォ ー一家との楽 しい4週間を過 ごした後, 彼はマリーエン バー トを去ってエーガーヘ 向 っ た.. 1 822年の春, ゲーテはウルリーケの祖母, フォ ン・プレー ジヒケ夫人から, 今年の夏もマリーエ ン バートで過 ごすなら, ウルリーケが 「可愛い娘」 と呼ばれてどんなに喜ぶであろうという招待の 手紙を受けとった. 彼はこの招きに応じて, 6月19 日 か ら 1 か 月 あ ま り を レ ー ヴ ェ ツ ォ 一 家 の 客 と. して, 楽しくその夏を送っている. 彼は温泉地のく つろいだ交際を楽しむ. ,宿はよし, 主人は親切 で, いろいろな パーティ, 音楽, ダンス, そして夕べの語らいがあっ た. ゲーテの周囲をウルリー. ケと他の若く 美しい娘達が飾る. 彼はウルリーケに 『フランス出征』 の新刊を贈り, その扉に自分 を忘れないで欲しいという詩を書きしるした. この 二度目の マリ ーエンバート滞在 で, ウルリーケ. に対するゲーテの感情は明らかに恋に変化している. 7月 24 日から 25 日にかけて作られたという 相聞の詩 『アイオロスの竪琴』 からもその事実は知られる であろう.. Der Tagi trnir zum UberdruB, s. ’ Langwe i l i i ch befreuen; gists, wenn Nachtes. 巽1 i i btdere i ige GenuB, rble nz. ld mi De i n holdes Bi r ewlg zu erlnnern,. 2 8 ( ) , .”, . ・ . . ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ . . . .”. . , . . , . . , . . . . .. 「私の可愛い娘」と呼んではいた が,この頃彼の中でウルリーケは, 既に彼の情熱の対象となってい 3 0 2 9 ( ) ( )が拾頭してくる 彼は慎重に例の 「恋の手続き」 たのである. 彼の胸にあの 「繰り返しの願望」 . を進めて行く. 彼は 『フ ァ ウスト』 の 「舞台の前曲」 で歌っ た 「あの時代」 の確かな再来を強く願 つ.. Gi b ungebandi啓 iene Tr i ebe ,. 和田 l l Dast i efe ,sc erzenvo e G1uck,. Der Hasses Kra f ie M[ t achtder Li ebe ,d ,. 3 1 ( ) i Gi b ぱーeine Jugend n. r zuruck!. 1 3年新春早々に, ゲーテはウルリーケから母レー ヴェツォ ー夫人の病気全快を知らせる手紙を 82. 受け取り, 1月 9 日次のような内容の返事を書き送った.. i fnung furs ganze Jahr sei i ben si ine schbnste Hof Und so bl e e uberzeugt , n den ,daB me. hei 1 f i i 1 i 1 1 i teren Fa i in zu treten und a - reund1 ー α . e G1 edr so woh1Wo1 end ch enkre s Wieder hine. 3 2 ) innt zu f i nden … …( ges. 1 38.

(8) . 『マリーエンバートの悲歌』 をめぐって. 創作の時を詳らかに しないが, この年の作品である 『ウルリーケに』 という詩によっても 彼の 情 , 熱の烈しさをうかがい知ることができる。 またこの詩の第2連から, 二人の親密な関係がマリーエ ン バ ー ト の 人々 の 噂 の 種 に な っ て い た こ と が知 ら れ る 。. ’ Du hattestlangs t mi r s angetan,. Di tztgewahri chie ch neues Leben: Ei i i n suBer N1undbl ckt uns garf reundl ch an,. VVenn er uns einen KuB gegeben. 1 1 Tade l t man i r unsl eben, ,daB wi. Durfen wi i r uns n chtbet ruben , Tade li t von keiner Kraf t s . VI. Am heiBen ouel lverbringst du de ine Tage, Dasregt mi t; ch aufzu innerm Zwi s. Denn wi rn Herzen trage ei chdi ch so ganz i ,. ’i 3 3 ( ) Beg士e i f i ch n cht edu wo anders bist. , wi. だ が, そ の 年 - - 1823 年 2 月 11 日 彼 は 咳 が 出 始 め 17 日からは心臓炎が悪化し 2 , , 3日には「死. 3 4 ( )と言う程危険な状態に陥っ た 翌24日には「私がどう し 神が私を取り囲んで隅々に立っ ている」 。 3 5 ( )と 言 い マ リ ー エ ン バ ー ト ても死なねばならぬという のなら,私は自分の流儀 で死にたいと 思う」 ,. の鉱泉水を飲んだ. それが効果的だっ たのかどうかは分らないが, 彼は2 6日頃から快方に向い, 3 月初めにはもう部屋の中を歩く程に回復した 一時はその死を伝えられもしたが 人々は彼の回復 。 , を祝して, 3月 22 日 ヴァイマル劇場で『タッソー』を上演した こういう事実からも私達は ヴァ . , イマル大公国宰相としての彼の威勢, 社会的影響力 の大きさに留意しておく必要があるだろう . そ の 年 の 6 月 10 日 正 午 頃,ハ ノ ー フ ァ ー か ら ゲ ッ ティ ン ゲ ン を 経 由 し て ヴァ イ マ ルに 至 る 250 キ. ロの道程を, はるばる徒歩旅行して来た貧しい文学青年, ヨハンoペーター・エッカーマンが憧れ のゲーテに面会を乞うた。 S 23年9月 5 日のひととき -- ゲーテがウルリー ケか ,ツヴァイクは18 らの別離をさとっ た悲痛なひとときを「人類の星の時間」と呼んでいるが, 私はエッカーマンとゲー. テ と の こ の 運 命 的 な 出 会 い の ひ と と き こ そ は, ゲー テ に と っ て ひ い て は 私 達 に と っ て も 重 要 な , , ,. 恵み深い, もう一つの「星の時間」として記念してよいと思う エッカーマンはゲーテの気に入り 。 , ゲーテの希望によっ てそのまま ヴァイ マルに留まり, ゲーテのかけがえのない助手として測り知れ ない貢献をすることになる.. ともあれ, 心身共に近年にない程若返ったゲーテは, エッカーマンに仕事をあてがうと 6月 26 , 日, 憧れのウルリーケとの再会を楽しみにマリーエンバートヘ向けてヴァイマルを出発した この . た びは カ ー ル大 公 も マ リ ー エ ン バ ー ト で夏 を 過 ごす こ と に な り 7月 2 日ゲーテは大公と相前後し , てマリーエンバートに到着したが, 大公が 「ヴァイ マル館」 を宿舎としたので ゲーテはその向い , 側の 「金鳩館」 を逗留先とし, しばらくの間は岩石の調査研究に日を送っ ていたが 彼の胸中には , ウルリー ケヘの情熱が燃え上がっていたであろうことは想像に難くない 。 139.

(9) . 東 谷 文 雄. 7月11日レー ヴェツォ ー夫人が三人の娘達と共にマリーエン バートに到着し, 「ヴァイ マル館」 の台地が交流の場となり, 派手な社交生活が始まっ て, ゲーテはレー ヴェ ツォ 一家の人々に前年同. 様歓待され, ウルリーケとの楽しい夏の日々 を過 ごす. だが, 「可愛い娘」をみつめる彼の視線は前 0年前のフリーデリーケに対するそれよりも, さら 年よりも熱い想いをこめていた. その「情熱は5 3 6 ) に 烈 しい も の で あ っ た」 と G. プ ラ ン デ ス は 言う( .. 「 74才の彼が少年みたいに恋いこがれた. 散歩道からウルリーケの笑い声がきこえるとす ぐさま 3 ( 7 ) 彼は仕事をおっ ぽり出して帽子もかぶらず杖も持たずに, 快活な娘のところへ急いで行っ た.」. S .ツヴァイ クはこのようなゲーテの姿を 「悲劇感の中に何か牧神じみたものの感じられるいかにも 3 8 ( )と言っ ている Th グロテスク な光景」 . .マンの表現を借りるならば, それは「異様に感動的な, ひ 3 9 ( ) どく傷ましい, 不運な恋」 であっ た. この恋が 「グロテスク」 な感 じを与えるのは, 74才の老詩 人がみずみずしい19才のウルリーケこそは自分 の最後の夢であることを十分に承知 しており,それ 故にこそ, この夢の実現をひたす らに願って, 冒険的な行動へと彼自身を駆り 立てているからであ. ろう. 彼は彼女との間にある大きな断層 --55年という, 人知の限りを尽く しても決して跳び越え ることのできない運命的な断層 -- を一気に跳び越えようとする. 彼は医師と相談の上, カ ール大 公を介してレーヴェツォ ー夫人に正式にウルリーケとの 結婚を申し込んだ. 大公は微苦笑を禁じ得 なかったが, 老友の真剣な願いにおされて, 勲章を胸に飾り, レー ヴェ ツォ ー夫人を正式に訪問し 4 0 ( )と言っている -- を伝 て老友の切なる願い -- フリーデンタールは「はげしい, 理不尽な希望」 えた. だがウルリーケの心は揺れなかっ た.. 「……年からいえ ば私のお じいさ ま であっても いいく らいお年 を召 したかた が子供に対する -- 私はほんの子供でした -- 好意以上のものを, 私たちの度重なるおつきあいでお持ちとは, 4 1 ( ) 後 に な っ て も, だ れも 気 づ き ま せ ん で した し, 私 の 母 でさ え そ う で した. … …」. ま た, L. シ ュ テ ッ テ ン ハ イ ム は 次 の よ う に ウ ルリ ー ケ の 言 葉 を 伝 え て い る.. 「恋愛関係などではありませんでした. ゲーテと私との関係が話題にされるばあい, 詩と真実が. 4 2 ( ) 混 同 さ れ て い ま す.… … ゲー テ は 私 の 祖 父 の よ う で した し,私 も そ の よ う に み て い ま し た.… …」. このようなウルリーケであっ たから,レーヴェツォ ー夫人は大公の申し入れを最初冗談と思っ たが, 大公は熱心に, 大真面目に使者の役目 を果たした. ザクセン・ヴァイマル大公国宰相フォ ン・ゲー. テ, 詩人としての名声世にかく れもないゲーテが, 娘のウルリーケを妻にと懇請する -- たしかに 名誉な話であっ た. しかし, レーヴェツォ ー夫人は世なれた賢い母であり, 当時未亡人ではあっ た が, まだ若く, 恋豊かな女性で, 将来ウィ ーン政府高官となることを約束されたクレーベ ルスペ ル ク伯の思いびとでもあっ た. さらにかつては現在の娘の求婚 者であるゲーテに想いを寄せられたこ ともあっ た. 彼女は先ず, ウルリーケはまだ子供だか らという理由で即答を避け, 娘の気持を確か. めた上でと回答を保留する. 4 ( 3 ) 「結婚ということに関してゲーテ自身, 母とも私ともなんの 話もしたことはなかっ た.」 とウルリーケは後に 語っ ている. ゲーテとの結婚の意志を母に確かめられて, 彼女は次のように答 え た と い う.. 「……考えてみるま でもありません. 私はゲーテを父のように 愛しています. 彼がただ一人だっ たら, それで, 彼の役にたてるかもしれないとも 思われるなら, この申し込みを受けたいと思い ましょう. しかし彼は, 結婚をして同居している 息子さんと, 一つの家庭をつくっ ています. …… 4 4 ( ) 彼は私を必要としませんし, ……私はまだ結婚する気持がありません. ……」. この言葉は老ゲーテの恋が全くの片 想いであっ たことの証言である. 慎重に恋の魔圏をつくり上げ, その中ヘウルリ ーケを誘い込んで, 共に恋の踊りを楽しん でいた 140.

(10) . 『マリーエンバートの悲歌』 をめ ぐって. つもりが, 彼女の姿は魔圏の外はるか彼方にあって, 情熱に燃えて恋の歌を歌い, 恋の踊りに狂っ ていたのは老詩人だけであった. 彼のエロスとの最後の賭は, 当初から敗れる運命にあったのであ ろう。 その決定的要因は二人の甚だしい年齢差 であっ たに違いない。 また, 彼が詩人として の名声. と, ヴァイ マル大 公国宰相の栄誉をかけて埋めようとしたのも, まさにこの永遠に埋められぬ年齢 差であったろう。 A.ビールショ ウスキーはこのまことに自然な要因を強く指摘しているが, 極めて 妥当な意見であると私は思う。. lan啓 Jugend;unddergefe i i iugendver l l i ts te tvo igs te i te Gre er s s ebensvurd skann den ,ge ,l. i l ing n i i l 1 schl chten cht aufwiegen, derin der Ge ebten sein AI es ,blbden ,namenlosen Jung. i hr in eins versch キロi l hriauchzend und klagend ti t ti idend und s eht z e , der mi , um mi ,l 4 5 ( ) i n gl genieBend das Lebeni e chem Pul sschlage zu durchleben.. 賢明なレー ヴェツォ ー夫人は, 相手方の身分と立場を考慮し, また3年越しの親しい交際を突然中 断することも好ましく思わなかっ たので, ウルリーケの拒否的な意志表示を直接に伝えることはし ばらく保留して, 老宰相ゲーテの賢察に僕ったのであろう. カールス パー トの鉱泉を利用する必要があったので, レーヴェツォ ー夫人はその地 での再会を約. し, 三人の娘達と共に8月1 8日一足先にカールス パー トへ向かっ た。 フリーデンタールの説くとこ 4 6 ( )マ リ ー エ ン バ ー ト を去 っ た ろ では, レ ー ヴ ェ ツ ォ ー 夫 人は「こ の 気 ま ず い 状 況 を の が れ る た め に」. ことになっ ているが, 信頼し得る資料のみに基づ いて, 厳正な歴史家の眼と手を以て記述している と自負する W.ボーデによれば,夫人は自分達の宿舎の上の階にゲーテの部屋を用意し,滞在期間中 4 7 ) ウルリーケが母と共にマリーエンバー トを は夫人の家族と食事を共にするように申し出ていた( . 出発するという予告は, 既に ゲーテの心を激しく動揺させ, 彼はポーラン ドの女流ピアニスト, マ リー.シマノフスカの絶妙な演奏によって, ようやくその心の乱れを押さえること ができた. 彼は 音楽の持つ美しくも妙なる力に打たれ, 感謝の念から, シマノフスカに献げる詩を作り, 8月18 日 それは彼女のアルバムに書き込まれた. この詩 『和解』 が後に 『情熱の三部曲』 の一つとして, 創. 作順序を入れかえられて, 『悲歌』 のあとにおかれることになる. レー ヴェツォ 一家の人々 が出発したあと, ゲーテは数日をエーガーで過 ごすが, ウルリーケヘの 追慕の情おさえ難く, 8月 25 日カールス パー トへ向っ た. カールス パートでウルリー ケと共に過 ご 4 8 ( ) した 12 日間は, 恐らく彼にとって,「生涯を通じて ひと月にも足りない本当に楽しかっ た日々」 , の中に数えられているに違いない. その楽しい一日一日が彼の日記に記され, W.ボーデは別離の9 月 5 日までのゲーテの日記の殆どを援用して,ゲーテがウルリーケ一家と過ごした思 い出の日々 を, 4 9 ) 特に8月 28 日 ゲー テ の 74 回 目 の 誕 生 彼の著書 『ゲーテの恋愛生活』 の中であとづけている( , . 日をレーヴェ ツォ 一家の人々 と共にエルボーゲンで祝っ た時の詳細については, ウルリーケ自身の 0 5 ) W ボ ー デの 記 述 も こ れに 拠 っ て い る が( 5 1 ) フ リ ー デン タ ー ルの 記 述 は 少 証 言 が残 さ れて い る し{ , . ,. しく趣を異にしていて興味深いものがある. 前二者の記述は共にゲーテの喜びが中心になっ ている. が, フリーデンタールの記述では, レー ヴェツォ ー夫人は, カール大公を介した老宰相のウルリー ケに対する 「はげしい, 理不尽な希望」 を, ゲーテ自身は夫人にもウルリーケにも直接口にするこ. とはなかっ たとはいえ, 彼女の一家にとっては世上の噂と共に重苦しい, むしろ不快な圧力として 感じていたらしいことがうかがわれるから である.. 141.

(11) . 東 谷 文 雄 ion zu entgehen nach Karlsbad ind urn der unbehagl ichen Si tuat Die Levetzows s , ,. 5 2 ( ) abgerei st .. i ia l l i f fenen Becher mi Zum Gebur tde t ts tagerha tGoe theeinengeschl l l ・Datu・nunddenln en. 5 3 ( ) l isind. derdre iT6chter tdarauf terl e dre e M[ ut e啓 帆r er . Di ,daB es al. 9月 5 日, 遂に別離の時が来た. もう一度ウルリーケから別れのキスを受けて, ゲーテは自分の. 馬車に乗り込み, エーガーヘ向っ た. 初秋の朝9時を過 ぎたばかり であっ たが, 車中の彼の心には 既に絶望のかげりが広がり始めていた. 別れであっ た. 彼の全存在を否定し去る程の苛酷な別離で. あることを彼は知 っていた.「老い」の悲しみがこの時ほど残酷に, 深く, 傷ましく彼の胸に食い入っ たことは恐らくなかった であろう.. hrzug. i i ti thedaB U1rikeseinletzter Traunnsei … …, w「 e ch uBte de rgre se Goe ,unddaB mi i h gesteigerthat les wass h l ieih te rn noch eimmalgeweckt al L ,von ,gewesen,ersetzt ,Ver err c t , ld nein d i i h j鴎 sche ide : ni e cht nur ein begehrenswertes Frauenbi ,. U i hte eder aufgegI wi ,. i l l i i i l t di i tsa t tes sch6Pfungiense er÷We she chter schbegiml che÷We ,und ,das Lebenaus Got 5 4 ( ) d i i di l l d t t J u n e g 車 esma en g , e g .. 歎きの老詩人を乗せて馬車は先ずエーガーヘ, イエーナヘ, そして ヴァイマルヘと帰路を辿る. そ の車中で 『悲歌』 は作られた. ウルリーケという彼にとってすべてを意味する存在を失ったゲーテ. に, ただ一つ残さ れていた神の贈り物 -- 悩みを言葉に移す詩人の力 -- によって, 馬車の揺れ とそれにもまして 激しい心の動揺に耐えながら, 老詩人が紙片に刻み込んだ歎きの歌, 絶望の詩が. この 『マリーエンバー トの悲歌』 -- 単に 『悲歌』 ともいわれる -- である. 9月 17 日ヴァイマルに帰着すると, 彼は既に完成していた『悲歌』を清書し, 神聖なものとして, エ ッカーマンのようなごく側近の者以外の眼にはふれさせ なかった. この 『悲歌』 が後日 『ヴェー ルターに』 を前曲とし, 『和解』 をおさえの曲として 『情熱の三部曲』 の中心をなすのである. つ J. ザクセン・ヴァイマル大公国宰相フォ ン・ゲーテの恋は中空の 虹と消えた. レーヴェツォ ー夫人 はカール大公を介してのウルリーケヘの結婚申し込みに対する回答を保留 したままであっ たし, 彼 に対するウルリーケの態度は祖父に対する孫娘のように稚いままであっ た. ゲーテとしては, 大公 国宰相の栄誉と詩人の名声を光背とし, ぬかりなく恋の手続きをふんで周 辺を固め, 彼自身も二月. の病気回復後はこれま でになく 心身の若返りを覚えて, 若者のようにウルリーケに憧れ, 結婚の申 し入れもこのたびは大公を使者としての正式なもの ではなかっ たか. 「私の可愛い娘」と呼ばれてい たウルリーケも既に19才 で, 当時の社会としては結婚に早過 ぎるという年齢ではない. ゲーテは希 望 を 抱 い て い た に 違 い な い. A. ビー ル シ ョ ウ ス キ ー は 次 の よ う に 言 っ て い る.. l ieseine Liebenicht tes i ikeni tsein, warum sol l Und warumnsol te U1 r chtzu dem Bundebere. hrGes i i l l ei chts ch ea edi eiungen Madchenanihm hingen erwidem? Merkteerdoch ,wi ,wi 142.

(12) . 『マリーエンバー トの悲歌』 をめぐって. l l i te i i h erhe ti i chnahte ehubschs enn tenunds i rntaten eihnhatschel ch , wenners ,wi ,gerns 5 5 { ) hatsche ln l ieBen .. G .プランデスの見方はさらに積極的である。 idensChaf aber seine Le t war di i e einesjungen Mannesund hats t山r t e keineswegs unber in Zwe l t ke i fe i gelassen. Esi s e es durchaus nicht an Kussen und Li ebkosungen , daB s. 5 6 ( ) f i ehl enl eB.. 彼はなんと言っても 『悲歌』 そのものが, そのことを十分に証明していると主張する 彼が挙げて 。 いるのは, 『悲歌』23連のうちの第9連である. VV i i l e zuom Empfang sie an den Pfor ten we te Undr h d i f f t i ・ lc von annau s u enwes begluckte; Se lbs t nach deln letzten KuB mi l te ch noch erei , Denletztesten nl i fd i r au e Li ppen druckte:. So klarbeweg l i i btdas Bi ldder Li chbl e eben ,. 5 ( 7 〉 i n ′ l i f t F1a}nr ti ] [ lenschr nstreue Herz geschrieben.. だが, 彼も結局はゲーテが彼女に対して期待した感情と, 彼女がゲーテに対して抱いていた感情と は質的に相違するという こと -- 即ちウルリーケがゲーテに対して抱いていた のは親愛と尊敬の 5 8 ) 感 情 であ っ て, エ ロ ス の 要 素 に 欠 け て い た こ と を 認 め て い る( 。 ゲー テ に と っ て は, そ の す べ て を賭 け た 恋 であ っ た が ウ ルリ ー ケに と っ て 彼は 親 しく 敬 愛 す , ,. る一老知人としての 存在に過ぎなかった. そこには埋め難い心情 的断層がある だが 彼は老齢が . , その周辺に避け難く形成して行く冷たい暗さ, 孤独から逃れたかったのであろう みずみずしく若 . いウルリーケの豊かな未来を, 自らの55年のみのり多い過去を以て購い 自分の残り少ない未来に , 結びつけたいと願っ たのであろう. ゲーテは身近に自分と離れ難く結びついた形で 若々 しい生命 , があることを強く -- 烈しく,理不尽なま でに -- 求めたのであっ た A.ビールショ ウスキーは . , ゲーテがその頃自らの老いを十分に承知しな がら, おさえようもなく若い女性に傾斜して行く自分 の性情を次のように自ら郷 撤して歌っているのを見逃してはいない . A1 ter tdu noch ni P chtauf ,hbrs 1mmer Madchen ! ln demiungen Lebens lauf ’ Wrar sein Katchen .. l 帆r tztden Tag versuBt, e cheje 5 9 ( ) Sag’ i ! t K1arhe t s mi. ゲーテにとっ て 「恋をすること」 は, 彼の人生の道幅一杯に 「生きて在ること」 の証左であり , 「恋をす ること」はその若き日から74才の晩年に至るま で殆どやむことがなかった ウルリーケヘ . の恋が彼の胸に形成されつつあった182 2年5月 22 日, 73 才 の ゲー テ は 翰 長 フ ォ ン・ミ ュ ラ ーに 対 143.

(13) . 東 谷 文 雄. して, 冗談めかして次のように語っ たという. “Es h l i tiemandin mi the ebt s ch chbin wederver rschl echt ge t mi ,nochi ,sagte Goe ,denni ” 6 0 ( ) iebt verl .. このよう なゲーテ -- 特にイタリア旅行から帰国後の彼に対 して,ヴァイマルの人々は彼のいわば 開きなおっ たとも言うべき感覚性 -- 異教徒的なおおらかな態度を嫌って, 彼のことを 「好色家」 6 1 ( ( ) と 陰 口 を き い て い た と, Th .マ ン は 伝 え て い る .. 確実に死に向う下り坂を辿っ ている世代に, あらためて周囲の世界が美しく見え, なつかしく, 好ま しく思われるのは一つの事実であろう. ゲーテにとって女性もまた彼の身近にある愛すべき自 然の生命であっ た. いま70才半ばに到ろうとして, 彼は晩年という新しい人生の断面からウルリー. ケという若い生命を見ている. だが, それを賛え, それに憧れる仕方は, 彼が老人になって新たに 獲得 したものではない. ここに老齢が生み出す一つの悲劇があるのではないか. 人はこの不均衡な. 状態を 「老醜」 と呼ぶのかも知れない. ゲーテはウルリーケの年代にふさわしい若者としての行動 様式を借りる. 情熱のとりことなっている老ゲーテ自身には, そこに描き出される違和感の横溢す る風景が見えない. それは既にウルリーケの理解を超えている. 彼女はゲーテの恋を, 自分に理解 し得る範囲の情感に置換して. この場合は孫に対する祖父の愛情として -- 受け入れることに. なる. 勿論, ウルリーケ自身の性格も大きく関係するであろう. フリーデンタールは彼女の性格に ついて次のように 述べている. tAbt ie mi Auch s i innen”,d ie gehb ihe von Goe tseiner Schwester thest tzu derlangen Re ss r 6 2 ( ) d h l d i Ma l a t t f d l t gezeigt. beginnt S i h u t e r n e r e s s e e r n o c s e n n e r r we amas e a we p .. マリーエンバートの恋の奴隷となっ たゲーテの姿を, S .ツヴァイ クが 「グロテスク」 と評する所以 の も の も, こ の 辺 に あ る の か も 知 れ な い.. 6 3 ) マ リ ー エ ン バ ー ト の 恋 が ゲー テ の F. A.ホ ー エ ン シ ュ タイ ン は, A. ビ ー ル シ ョ ウ ス キ ー 同 様( ,. 一方的な片想いに終っ た決定的要因は, 両者の甚だしい年齢差という運命的なものであると指摘し 4 6 ) 『悲 歌』は ゲー テ の 中 に あ っ て 彼 を 突 き 動 か す エ ロ ス と ◆ て い る. 彼 は グン ドルフ と 同 様 に( , 「暗 , ,. 6 5 ( )人間との闘争から生まれたとする かつ い衝動の中にあって, なお正しい道を確かに心得ている」 . て ゲーテの体内に若い血潮がみなぎっ たとき, この様な闘争は『ヴェ ールター』を生み, 『タッソ-』 を 生 ん だ. しか し, こ の マ リ ー エ ン バ ー ト の 恋 に お い て は, 「肉 体 的 な 若 い 力 の 欠如」に よ っ て, 74. 才のゲーテは, もはやこの恋の体験を力強い作品に対象化することができなかっ たのだとホーエン 6 6 ) ゲーテが最後の恋の幸福をつかみ取って それを固定するために 手を伸 シュ タインは主張する( , . ばしたとき, それは既に遅きに失したことを彼はさとるべきだっ たの である.. i iBt invonderEins i i l i i Denn h i i td cht e Ge ebteverz chtenhe eihnaufd eri s e Entsagung,d ,ke i h h i E h l B t d i k i i l i h k l t t t in dastragische 公江uB seiner Entwi t t e r s sie erers C er nsc u me r, c ung ig igen igevon Vi i i lbs tragi t iahr turnotwendigke tse iahr erunds ebz sche Na edi e Neunzehn ,di. i i ine Di l idet t tsche teiner Gewa chschlagendes e ke nnochsoiugendl e ke chterkraf mi ,di ,di 6 ( 7 ) Herz ube rwinden kann.. 144.

(14) . 『マリーエンバートの悲歌』 をめぐって. ウルリーケの手は得られなかっ た. 彼に与えられたものは, 「完成は, 彼にとっては決定的な諦念, 人間の幸福に対する 決定的な 断念をもってのみ購 わねばな らぬもの であったという 傷ま しい悟 { 6 8 }だ け であ っ た り」 .. 823年9月 5 日 を, S. ツ ヴ この断念への苦闘が『悲歌』という詩形をとって現われようとする1 ァイクは「人類の星の時間」と呼んでいる. それは単にゲーテという一個人にとってのみならず, 人 類にとってもまた極めて重要な時間として記念されるべきことを意味している. 「対立する感情の二つの範囲,最後の恋の望 みと最後の諦めの生活の新しい発足と,そして仕事の 仕上げとのあいだに, 分水嶺として, 内的な変転の稀有の瞬間と して, あの9月 5 日 が あ っ た 6 9 ( ) ー -」. 『悲歌』 は 「人生のもっ とも熱烈な瞬間が, あからさまに, そして同時に秘密に充ちながら, 詩的 7 0 ( )結実したものであっ た だが この2 3連に及ぶ長詩はむ しろ彼のエ 表現による形成へと転化し」 , .. ロスへの悲痛な挽歌 であって, ウルリーケとの幸福な日々 を回想して, 恋の浄福を賛える連がこの 長詩の眼目ではない. 「いつもは自制力のつよかっ た彼からこんな詩節が鳴り出たことは初めてであっ た. 青年として 自分の感情を心にかくまっ ておくことができ, ほとんど常にただ映像と暗号と象徴とだけを使っ て自分のもっ とも深い秘密をそれとなく 洩らしてきた彼が, 老人として初めて彼の感情を大規模 1 ) に自由にうちあけている.」” 彼の絶望の声を聞こう. 1 凸な i i l bs tdas AI t verloren, ri s chbi n1 ] [ l rse ,i. Deri ing war; tern Li ebl ch noch erst den G0t. i Si ten・nich, verliehenl ] [ l r Pandoren, epruf. Sore i ch an Gutern,reicher an Gefahr; Siedran l igen Munde l享en mi ch zum gabese ,. 7 2 ( ) i Si etrennen・ ni ch … … undr chten・ni ch zu Grunde.. 神々は確かにその寵児ゲーテに恋を止揚させた. わけても 「時」 の神は, 彼に時間という砂の重 さと, 一旦流れ落ちた砂時計の砂 が逆流することは決してないことを, あらためて思い知らせたの であ る。. 3 ( ( 7 ) Mi i hn zu den Gespr葱chen mit Eckermann. t anderen Wアor ten terVerdammteni e Gるt ,d. と G. プ ラ ン デス は 言 っ て い る。 しか し, 私 は 既 に 神 々 は ウ ルリ ー ケに, マ リ ア ンネ の よ う に「ゲ ー. テのエロスの眼を凝視」 させず, 彼に残された9年を彼の 「存在のピラミッ ド」 の完成に充てるよ う, 彼がマリーエン バートヘ出発する前に, 予めエッカーマンを彼の許に留めさせたのだと解した い.私達はこの比類なく誠実な助手エ ッカーマン -- ゲーテの最後の9年間についての最も重要な. 証言者 -- の献身的なゲーテへの奉仕に, ゲーテが 『ファ ウスト第二部』 , 『ヴィ ルヘルムoマイス 4 7 { ) ターの遍歴時代』 の完成を負うていることを忘れてはなるまい 。 晩年のゲーテを知る最も重要な資料としての 『ゲーテとの対話』 は, エッカーマンの唯一の作品 であり, ゲーテという太陽の光をうけて, 静かに不滅の月光を放っている. しかし, ゲーテの側近. くにあって奉仕できるという点を除けば, 通常の意味でエッカーマンはあまり恵まれてはいなかっ 145.

(15) . 東 谷 文 雄. たように思われる. サント・ ブー ヴは, 「エッカーマン自身は少 しもす ぐれたところのない人間であっ た. 彼は, ……生れつき弟子とな り助手となるべき人間の一人 であり, 聡明な献身的な素質により, 賞賛すべき最上の敬度な態度 5 7 ( ) に よ り, す ぐ れ た 人 び と の 秘 書 と な る べ く 生 れ つ い て い る 人 間 の 一 人 であ っ た.」. と評している. フリーデンタールによ れば, ゲーテは確かな眼を以てエ ッカーマンを自分の助 手と 7 6 ) ゲーテ して選び出し, ヴァイマルの彼の魔圏につな ぎとめ, 彼を完全に使い尽く したの である( . はエッカーマンを自分の死後やっ と解放したが,「生きている間は, エッカーマンにとっては苦い パ ( 7 7 )のではなかろうか 何事 であれゲーテのこと なら殆 ど見さかいもなく 感 ンを噛む思いであっ た」 . 激するこの従順な弟子は, 自らの 「生への渇望」 を殆 ど断念し, この自己中心的な, 弟子に対して あまり思いやりがあっ たとは言えぬ専制君 主, ゲーテの束縛を逃れることができ なかっ た. 否, そ の残された仕事の仕上 げのために, 神が与えたこの 無二の弟子をゲーテは断じて手放そうとは しな. どの猛禽類を飼っ てい 0羽を越える隼 な・ か っ た の であ る. エ ッ カ ー マ ン は 弓 を 好 み, 自分 の部屋に4. たという. それは自由な生の世界への飛靭をひそかに希求した彼の心の現われでもあっ たろうか. マリーエンバートの恋は, 結果としてゲーテに自然の摂理の苛酷なま でのき びしさを思い知らせ た. そこには如何なる感傷も存在しない. 絶望 した彼は新生の 必要を感ずる. G.プランデスは, こ の転機に立っ たゲーテを不死鳥にたとえて いる. 8 ( 7 ) i ix warin F1ammen aufgegangen;ein neuer erhob s Der eine phbn ch aus der Asche,. 9月17日ヴァイマルに帰着したゲーテは,息子アウ グスト夫婦か らウルリーケとの結婚に激しく反 対され, 「彼の生涯で初めて, 人間の最も緊密な共生関係 での乳蝶, 憤怒, 憎悪というものが如何 な 9 ( 7 )しかし 彼は耐えて行く ウルリーケヘの強烈な るものかを体験した.」 ,未練 -- それは彼の理性 , . や判断を超えた執着 であっ たろう -- を, 彼は非情であっ た「時」の力を借りて, 諦念の中へひき 入れようとする。. ( tEsit b fen machen Wi i rd,aberi intHang’,dernI ch Werde daruber rnoch Vielzuschaf s e ene ’ ’ 8 0 ( ) hinauskon.men.. 彼は再び彼の原則を固守し, エッカーマンを道連れに, 彼の不断の歩みを続けて行く. l i i t td in Enderastlos wi reineandere chte e NaturVerpf S rke … …wenni san me chbi ,mi ,soi. 8 1 ) Form des Daseins anzuweisen, … …(. なんと誇らかな自信に満ちた言葉であろうか. 彼のこの倣慢とも 思える自信を支えるものは, 継続, 0年をかけた 『ファ ウスト』 の完成は彼の 一貫性, そして静かな忍耐である. 断続的に であるが, 6. 死の前年, 即ち82才の誕生日を目前にした1831年8月初旬 であっ た. その8月 26 日, 彼は前年の 7 秋に父アウ グストを失っ た二人の孫 ヴァ ルターと ヴォ ルフガン グを連れてイ ルメナウに赴き, 翌2 日キッ ケルハーンに登り, 山頂の小屋の壁に50余年前, 即ち1780年9月 6 日に書き記した詩 『旅 人の夜の歌』 を再び見出して涙したという.. 146.

(16) . 『マリーエンバー トの悲歌』 をめぐって. ln Ubera l l en Gipfe ls t Ruh ,. ln lnal l i en VV pfe spures t du Kaunn einen Hauch;. .de i Di l n schweigenim vva e V6ge e . lde VVar tenur ,ba. 8 2 ( ) Ruhes tdu auch.. 17 80年9月 20 日, 即ち上記の詩を作った2週間後に, 31才の彼は友人ラーヴァ ターにあてて, 人 生への闘志みなぎる手紙を送っている. Diese Beg i e Pyramide meines Daseyns,deren Basis mir angegeben und gegrundet erde ,di. l l i i i f l t zu sPi e啓 a es andre und lasst kaum st e Luf zzen s m6gl chin d , so hoch a ,uberwi 8 3 ( ) Augenbl i i ckl ches Vergessen zu.. そ の 日 か ら5 1年, 今大公国宰相として同じ山頂に立つ彼は, 今もなお孤独な旅人ではなかっ たか。. 憩うことも知らず, くつろぎの宿も持たぬこの世の旅人ではなかっ たか。 l lchbin nur durchdi t gerannt; eVVe las i f fi iden 日:aaren, Einjed Ge tergr chbe i Wr eBi chfahren asni chtgenu酢e , ,l. i vvas mi rentwi sChte eBi ch ziehn. ,l. l l bracht lchhabe nur begehr tund nur vo i tV 1acht Und abermals geWunscht und sol ・ l. ig 、 江e in Leben durchgestarmt;erst groB und 江南Cht ,. 8 4 ( ) ig Nunabergehtes weise,gehtbedacht .. そ の 旅 も 終 り に 近 づ い た。 い ま キ ッ ケ ルハ ー ン 山 頂 に 立 つ 彼は, 遂 に そ の 「存 在 の ピ ラ ミ ッ ド」. こ の頂点る こ 『ファ ウスト』 をおくことができたのである. その最後の9年に 亘る仕上げの旅の基点も ウルリーケが立ち, 『マリーエンバートの悲歌』 がその新生の旅への道標として, 「涙の真珠文字」 に よ っ て 刻 ま れ て い る。. )王 t 1ag tam Main 1) Th・ Mann:Gesamme1 e we rkeindreizehn Banden,s.Fischer Ver ・9 ,Frankfur ,1974 ,Bd , S f l i theund To to ) s .122 .(Goe id P h i b S 7 4 5 2), 3) i ( t the ) an as euber Goe . . .. 4) ヴァ レリ ー = 伊吹武彦訳 「ゲーテ煩」 人文書院版ゲーテ全集 第1 2巻, 1 16ページ. G h G h w k C h i i l W v H b t t t 5)J W v o n o e e : o e e s e r e : r a n e n r r s e e a am u r chtungund g g g . . .9 ,171 .(Di , ,1964 ,Bd ,S wア i i 15 t t ) ahrhe s er Te ・Buch ,Er. 147.

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