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『 論 語 私 存 』 訳 注 ( 十 一 )

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Academic year: 2022

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(1)凡例. 実・阿部光麿・大場一央・松野敏之 編. 『論語私存』訳注(十一) 水野. ・ 底 本 は 、 北 京 市 国 家 図 書 館 蔵 『 四 書 私 存 』( 明 嘉 靖 二 十 二 年 刻 本 ) を 用 い た 。 た だ し 先 進 第 十 一 篇 に は. 〕で示 した 。. 〕で 示し 、校異 を附 した 。. 落 丁 が あ り 、 二 十 五 章 の 前 半 の み 朱 湘 鈺 点 校 、 鍾 彩 鈞 校 訂 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 、 二 〇一 三年六 月) を用 いた 。 ・ 原文 におい て判 読出 来な い字は □で 表記 した。 ・ 書 き 下 し に お い て 、『 論 語 』 本 文 に お け る □ は 〔. ・書き 下し にお いて 、季本 注に おけ る□ は、類 推で きる 場合 は〔. ・季 本『 説理会 編』 は、 清華 大学図 書館 蔵明 馮継 科刻本 (四 庫全 書存目 叢書 所収 )を 用いた 。. (水野・阿部・大場・松野). ・ 校 異 お よ び 解 釈 に は 、 前 掲 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) を 参 考 と し て 用 い た 。. 『論語私存』訳注(十一). - 93 -.

(2) 論叢アジアの文化と思想. 論 語私存 卷十 一. 先進 第十 一. 【 一】. 第. 号. 會稽季 本箋 釋. 子 曰、先 進於 禮樂 、野 人也。 後進 於禮 樂、君 子也 。如 用之 、則吾 從先 進。. 先進 、 後進 、 猶前 輩 、後 輩 。以 仕而 在位 者言、 故謂 之進 。禮樂 就見 於日 用者 言。在 位即 是君 子、 君子則. 有文 采 章於 民 上。 但 前輩 雖 進 而在位 、却 質朴 無文、 與田 野未 仕之 民無異 、故 直謂 之野 人。若 後輩 則文 采. 備 矣。 文 采備 、 故直 謂 之君 子 。非 以時人 之言 如此 、而 孔子述 之也 。用 之、 謂用禮 樂以 爲治 也。蓋 文采 備. も. 則 質朴者 漓、 不若 先進崇 本尚 實、 而淳 風未至 於斵 喪也 。蓋 禮與其 奢也 、寧 儉之 意。 [ 訓読 ]. 子 曰 く、 先 進の 礼 楽に 於 ける は、 野人 なり 。後 進の礼 楽に 於け るは 、君子 なり 。如 し之を 用ふ れば 、則 ち 吾、先 進に 従は んと。. あら. 先 進、 後 進は 、 猶ほ 前 輩、 後輩 のご とし 。仕へ て位 に在 る者 を以て 言ふ 、故 に之 を進と 謂ふ 。礼 楽は. 日 用に 見 はる る 者に 就 いて 言 ふ。 位に 在るは 即ち 是れ 君子 、君子 は則 ち文 采の 民の上 に章 かな る有 り。. 但 だ 前輩 、 進み て 位に 在 ると 雖ど も、 却て 質朴 にして 文無 く、 田野 の未だ 仕へ ざる の民と 異な る無 し、. - 94 -. 27.

(3) 故 に 直だ 之 を野 人 と謂 ふ 。 後輩 のご ときは 則ち 文采 備はれ り。 文采 備は る、故 に直 だ之 を君 子と謂 ふ。. とうと. 時人 の 言ふ こ と此 く のご と くな るを 以て して、 孔子 、之 を述 ぶるに 非ざ るな り。 之を用 ふと は、 礼楽を. し. 用ひ て以 て治を 為す を謂 ふなり 。蓋 し文 采備 はれば 則ち 質朴 なる 者漓な り、 先進 の本 を崇び 実を 尚び て、. 『論 語』 八佾・ 4章 。. 淳風 未だ 斵喪 に至ら ざる に若 かざ るなり 。蓋 し礼 は其 の奢ら んよ りは 、寧 ろ倹せ よの 意な り。 [ 語釈] ○ 禮與 其奢 也、寧 儉. 【二 】. ○子 曰 、從 我 於陳 蔡 者、 皆 不及 門也 。德 行、 顏淵、 閔子 騫、 冉伯 牛、仲 弓。 言語 、宰我 、子 貢。 政事 、冉 有、 季路 。文學 、子 游、 子夏 。. 孔 子 追思 從 陳蔡 者 之不 及 門。 蓋 相從於 患難 、非 心服孔 子者 不能 也。 故記者 特舉 顏淵 、閔 子騫、 冉伯 牛、. 仲 弓 、宰 我 、 子貢 、 冉有 、 季路 、子 游、子 夏言 之、 而揭 德行、 言語 、政 事、 文學以 名科 、見 其皆成 德達. 材之 士 。不 然 安能 保 其當 厄 而不 忍棄 去哉 。不 忍棄去 、然 後謂 之心 服。孟 子謂 七十 子之服 孔子 。自 七十 子. 之 外、 少 有人 焉 、則 心 服亦 難 矣。 〇德行 、以 成德 爲行也 。言 語、 以説 辭發揮 聖人 之道 、次 於德行 者也 。. 政 事、 雖 所見 不 及言 語 者之 精 深、 其才 則能達 於事 爲者 也、 故又次 之。 文學 、則 才或不 能有 爲、 但於 文義. (水野・阿部・大場・松野). 中 講 求亦 有 所得 、 故又 次 之。 〇四 科所 列十 人、 皆從陳 蔡者 、非 以此 十人爲 獨哲 也。 唐開元 禮祀 孔子 、以. 『論語私存』訳注(十一). - 95 -.

(4) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 此 十 人爲 十 哲。 其 後顏 子 升 侑、 而以 曾子補 之。 曾子 升侑、 而以 子張 補之 。則所 謂十 哲者 、皆 臆見也 。景. 定之 禮 、以 顔 曾思 孟 爲四 侑 、議 者猶 以顏 路、曾 皙、 伯魚 並列 其下爲 未安 。金 仁山 乃欲據 古堂 事之 制、如. 庠序 之 禮、 先 獻 酬而 後 燕、 以 牲幣旅 陳享 先聖 、而 南面於 堂、 繼以 顏曾 思孟爲 侑、 用燕 禮、籩 豆、 簠簋 奠. 先 聖、 而 東向 於 室、 以 顏路 、 曾皙 、七 十子左 右袷 食、 如昭穆 之列 。竊 謂此 亦未知 袷食 之禮 非可 擇賢而 侑. 於 室者也 。袷 食如 昭穆 、亦與 列於 兩廡 何異 哉。若 因此 而得 其意、 則亦 不患 於無 處矣。 [ 訓読 ]. ○子 曰く 、 我に 陳 蔡に 従 ふ者 、 皆な門 に及 ばざ るなり と。 徳行 には 、顔淵 、閔 子騫 、冉 伯牛、 仲弓 。言 語 には、 宰我 、子 貢。政 事に は、 冉有 、季路 。文 学に は、子 游、 子夏 。. 孔 子、 陳 蔡に 従 ふ者 の 門に 及ば ざる を追 思す 。蓋し 相ひ 患難 に従 ふは、 孔子 に心 服する 者に 非ず んば. 能 くせ ざ るな り 。 故に 記 す者 特に 顔淵 、閔 子騫、 冉伯 牛、 仲弓 、宰我 、子 貢、 冉有、 季路 、子 游、 子夏. しめ. を 挙 げて 之 を言 ふ 、而 し て徳 行 、言語 、政 事、 文学を 揭げ て以 て科 に名づ け、 其れ 皆な 成徳達 材の 士を. まれ. 見 す 。然 ら ざ れば 安 んぞ 能 く其 の厄 に当た りて 棄去 する に忍び ざる を保 たん や。棄 去す るに 忍びず 、然. る後 に 之を 心 服と 謂 ふ。 孟 子、 七十 子の 孔子 に服す と謂 ふ。 七十 子より の外 、人 有るこ と少 なれ ば、 則. ち 心服 も 亦た 難 し。 〇 徳行 は 、成 徳を以 て行 を為 すなり 。言 語は 、説 辞を以 て聖 人の 道を 発揮す 、徳 行. に 次ぐ 者 なり 。 政事 は 、見 る 所、 言語 者の精 深な るに 及ば ずと雖 ども 、其 の才 は則ち 能く 事為 に達 する. 者 な り、 故 に又 た 之に 次 ぐ。 文学 は、 則ち 才或 いは為 す有 る能 はず 、但だ 文義 中に 於いて 講求 する も亦. - 96 -. 27.

(5) た 得 る所 有 り、 故 に又 た 之 に次 ぐ。 〇四科 の列 する 所の十 人は 、皆 な陳 蔡に従 ふ者 にし て、 此の十 人を. 以て 独 哲と 為 すに 非 ざる な り。 唐の 開元 、孔子 を礼 祀す るに 、此の 十人 を以 て十 哲と爲 す。 其の 後に顔. 子升 侑 し、 而 し て曾 子 を以 て 之を補 ふ。 曾子 升侑 し、而 して 子張 を以 て之を 補ふ 。則 ち所謂 る十 哲な る. 者 は、 皆 な臆 見 なり 。 景定 の 礼、 顔、 曾、思 、孟 を以 て四侑 と爲 す、 議す る者猶 ほ顔 路、 曾皙 、伯魚 の. 並 びに 其 の 下に 列 する を 以て 未だ 安な らず と為す 。金 仁山 は乃 ち古の 堂事 の制 に拠 らんと 欲す 、庠 序の. 礼 の ごと き は、 献 酬を 先 にし て 燕を後 にす 、牲 、幣 、旅、 陳を 以て 先聖 に享し 、而 して 堂に南 面す 、継. いで顔 、曾 、思 、孟を 以て 侑と 為す 、燕礼 、籩 豆、 簠簋 を用ひ て先 聖に 奠し て室に 東向 す、 顔路、 曾皙 、. すす. 七十 子 を以 て 左右 に 袷食 す る こと、 昭穆 の列 のごと し。 窃か に謂 へらく 此れ も亦 た未 だ袷食 の礼 を知 ら. ず賢 を択 びて 室に侑 むべ き者 に非 ざるな り。 袷食 は昭穆 のご とし 、亦 た両廡 に列 する と何 ぞ異な らん や。. 『 孟 子 』 公 孫 丑 上 に 、「 徳 を 以 て 人 を 服 す る 者 は 、 中 心 悦 び て 誠 に 服 す. 若 し此れ に因 りて 其の意 を得 れば 、則 ち亦た 処無 きを 患へ ず。 [ 語釈 ] ○孟子謂七十子之服孔子. 金 履 祥 「 文 廟 祭 議 」(『 仁 山 文 集 』 巻 三 ) に 、「 景 定 の 礼. るな り。七 十子 の孔 子に 服する がご とき なり」 とあ る。 ○金仁山乃欲據古堂事之制~如昭穆之列. は 、顔 曾 思孟 を 以て 四 侑と 為 す。 万世 の公論 、斯 に於 いて 允に然 りと 為す 。前 次に議 する 者、 猶. (水野・阿部・大場・松野). ほ 顔 路、 曾 晳、 伯 魚並 び に下 列に 在る を以 て未 だ安な らず と為 す、 則ち之 を如 何せ ん。則 ち亦 た. 『論語私存』訳注(十一). - 97 -.

(6) 第. 儀 のごと し」 とあ る。. 号. か. 籩 豆、 簠 簋を 用 ひて 先 聖を 奠 して 室に 東西す 、顔 路曾 晳而下 七十 子を 以て 左右に 祫食 す、 昭穆 の. じ. く先 づ享 礼を用 ふべ し。 牲帛旅 陳も て先 聖を 享して 堂に 南面 す、 顔曾思 孟を 以て 侑し 、既に 燕礼 、. にし て 堂事 を 後に す 。而 し て庠 序の 礼は 、献酬 を先 にし て燕 礼を後 にす 。今 、二 丁の祭 は、 宜し. 古 の 制に 復 する の み。 古 者 、寝 廟の 制は、 前を 堂と 為して 後を 室と 為す 。宗廟 の祭 は、 室事 を先. 論叢アジアの文化と思想. 【三】 ○子曰 、回 也非 助我者 也。 於吾 言無 所不説 。. よろこ. 説、 與心 相契 之意、 即不 亦説 乎之 説。非 助於 説見 之。此 二言 者、 雖若 有憾、 而實 喜其 能自 得也。 [ 訓読]. かな. よろこ. ○子 曰く 、回 や我 を助く る者 に非 ざる なり。 吾の 言に 於い て説ば ざる 所無 しと。. 説 は 、心 と 相 ひ契 ふ の意 、 即ち亦 た説 ばし から ずやの 説な り。 説び を助け て之 を見 るに非 ず。 此の 二. 『 論 語 』 学 而 ・ 1 章 に 、「 学 び て 時 に 之 を 習 ふ 、 亦 た 説 ば し か ら ず や 」 と あ る 。. よ ろこ. 言は 、憾み 有る がご とし と雖ど も、 而れ ども実 に其 の能 く自 得する を喜 ぶな り。 [語 釈] ○不 亦説 乎. - 98 -. 27.

(7) 【 四】 〇子曰 、孝 哉閔子 騫。 人不 間於 其父母 昆弟 之言 。. 閔子 騫 處父 母 兄 弟之 變 者也 、 故得其 歡心 爲尤 難。 父母兄 弟皆 化之 、而 稱其爲 孝、 人亦 信之無 有間 言、 則. 又 有以 孚 於人 矣 。此 非 實德 、 何以 能然 。孔子 以其 人不 易及、 故特 稱之 。本 文止言 孝、 而集 注曰 孝友者 、. 爲 昆弟二 字而 發。 然孝 者必友 、如 書云 孝乎 、而曰 孝友 于兄 弟也、 大意 則包 於孝 字矣。 〇閔 子騫 不宜 稱字、 則 呉氏 已嘗 論之、 以爲 夫子 於弟 子未嘗 稱字 。此 或集語 者之 誤。 [訓読 ] 〇子曰 く、 孝な るかな 閔子 騫。 人、 其の父 母昆 弟の 言を間 せず と。. 閔 子騫 は 父母 兄 弟の 変 に処 する 者な り、 故に 其の歓 心を 得る こと を尤も 難し と為 す。父 母兄 弟皆 な之. に 化し 、 而し て 其 の孝 た るを 称す 、人 も亦 た之を 信じ て間 言有 る無し 、則 ち又 た以て 人を 孚に する こと. ため. 有 り 。此 れ 実徳 に 非ず ん ば、 何 を以て 能く 然ら んや。 孔子 、其 の人 の及び 易か らざ るを 以て、 故に 特に. 之 を 称す 。 本 文は 止 だ孝 と 言ひ 、而 して集 注に 孝友 と曰 ふ者は 、昆 弟の 二字 の為に して 発す ればな り。. 然ら ば 孝な る 者は 必 ず友 あ り、 書に 孝た りと 云ひて 、孝 なる かな 、兄弟 に友 にと 曰ふが ごと く、 大意 は. あ ざな. 則 ち孝 の 字を 包 ぬ。 〇 閔子 騫 は宜 しく字 を称 すべ からず 、則 ち呉 氏已 に嘗て 之を 論じ 、以 為へら く夫 子. (水野・阿部・大場・松野). の弟 子に 於け る未 だ嘗て 字を 称せ ず。 此れ或 いは 語を 集むる 者の 誤り なら ん。 [ 語釈 ]. 『論語私存』訳注(十一). - 99 -.

(8) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. ○ 書云 孝乎 、而曰 孝友 于兄 弟也. 『論 語』 為政 ・. 兄弟に 友に 、有 政に 施すと 」と ある 。. 章 に 、「 子 曰 く 、 書 に 云 ふ 、 孝 な る か な 惟 れ 孝 、. 『 論 語 集 注 大 全 』 巻 一 一 ・ 4 章 に 、「 呉 氏 曰 く 、 夫 子 の 弟 子. に於 ける 、未 だ嘗て 字を 称せ ず。 此れ或 いは 語を 集む る者の 誤な らん 」と ある。. ○閔子騫不宜稱字、則呉氏已嘗論之. 【 五】 ○南容 三復白 圭、 孔子 以其 兄之子 妻之 。. 孔子 於 南容 嘗 以君 子 稱之 。 觀 其謹言 在未 娶之 前、則 容之 成德 、蓋 亦早矣 。但 其德 或不 及冉牛 、故 孟子 不 列於 德行 耳。 [ 訓読] ○南 容、 三た び白 圭を復 す、 孔子 、其 の兄の 子を 以て 之に 妻す。. 孔 子 、南 容 に 於い て 嘗て 君 子を以 て之 を称 す。 其の謹 言、 未だ 娶ら ざるの 前に 在る を観れ ば、 則ち 容. 『 孟 子 』 公 孫 丑 上 ・ 2 章 に 、「 宰 我 、 子 貢 は 善 く 説 辞 を 為 し 、 冉 牛 、 閔 子 、 顔. の成 徳は、 蓋し 亦た 早な り。但 だ其 の徳 、或い は冉 牛に 及ば ず、故 に孟 子、 徳行 に列せ ざる のみ 。 [語 釈] ○孟子不列於德行. 淵 は 善く 徳 行を 言 ふ」 と ある 。こ の語 は公 孫丑 が質問 した 言葉 であ るが、 孔子 の弟 子のな かか ら. - 100 -. 21. 27.

(9) 【六 】. 徳 行と して 冉牛・ 閔騫 ・顔 淵を 挙げる のみ で南 容を 挙げて いな いこ とを言 う。. ○季 康子問 、弟 子孰 為好 學。孔 子對 曰、 有顏 回者好 學。 不幸 短命 死矣。 今也 則亡 。. 顔 子好學 、緊 要處 全在 不遷怒 、不 貳過 。詳 見雍也 篇哀 公問 弟子章 、然 不以 告康 子也。 [ 訓読 ]. ふた た. ○季 康子 問 ふ、 弟 子、 孰 か学 を 好むと 為す と。 孔子対 へて 曰く 、顔 回なる 者有 り、 学を 好む。 不幸 短命 に て死せ り。 今や 則ち亡 しと 。. 顔 子の 好 学、 緊 要な る 処は 全て 怒り を遷 さず 、過ち を貳 びせ ざる に在り 。詳 しく は雍也 篇の 哀公 問弟 子 章に見 ゆ、 然ら ば以て 康子 に告 げざ るなり 。 [ 語釈 ]. ふたた. 『 論語 』雍也 篇・ 2章 に「 哀公問 ふ、 弟子 孰か 学を好 むと 為す 。孔子. (水野・阿部・大場・松野). り。 今や 則ち亡 し。 未だ 学を 好む者 を聞 かざ るな り」と ある 。詳 しく は、本 訳注 (六 )参照 。. 対へ て 曰く 、 顔回 な る者 有 り、 学を 好む 。怒 りを遷 さず 、過 ちを 弐びせ ず。 不幸 短命に して 死せ. ○ 詳 見雍 也 篇 哀公 問 弟子 章. 【 七】. 『論語私存』訳注(十一). - 101 -.

(10) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. ○ 顏 淵死 。 顏路 請 子之 車 以爲 之椁 。子 曰、 才不才 、亦 各言 其子 也。鯉 也死 、有 棺而 無椁。 吾不 徒行 以爲 之 椁。以 吾從 大夫之 後、 不可 徒行 也。. つく. おのおの. 邢氏 曰、 鯉也死 時、 孔子 蓋年七 十左 右、 非在 大夫位 。杜 預曰 、常 爲大夫 而去 、故 言後 也。 [訓 読]. つく. ○ 顔淵 死 す。 顔 路、 子 の車 を 請ひ 、以て 之が 椁を 為ら んとす 。子 曰く 、才 も不才 も、 亦た 各其の 子と 言ふ. かつ. な り。鯉 や死 する に、 棺有れ ども 椁無 し。吾 、徒 行し て以 て之が 椁を 為ら ず。 吾の大 夫の 後に 従ふを 以て 、 徒行す べから ざれ ばな りと 。. 邢氏 曰 く、 鯉 や死 す る時 、 孔子 蓋し 年七十 左右 、大 夫の 位に在 るに 非ず と。 杜預曰 く、 常て 大夫 と為. 『 論 語 注 疏 』 巻 一 一 に 、「 嘗 て 大 夫 と 為 り て 去 る 、 故 に 後 と 言 ふ な り 」 と あ. 『 論語注 疏』 巻一 一( 邢昺疏 )に 同文 が見 える。. りて 去る 、故 に後と 言ふ なり と。 [ 語釈] ○ 邢氏 曰~非 在大 夫位. る。. ○杜預曰~故言後也. 【八 】 ○顏 淵死 。子 曰、 噫、天 喪予 、天 喪予。. - 102 -. 27.

(11) 新 安 陳氏 曰 、夫 子 之道 賴 顏 子以 傳者 也。顏 子在 則道 有傳、 孔子 他日 雖死 而不死 。顏 子死 則道 無傳、 孔子. 今日 雖 未亡 而 已亡 、 故不 謂 天喪 回、 而曰 天喪予 、良 可悲 矣。 雲峰胡 氏曰 、夫 子上 接文王 之傳 、則 曰天將. 喪斯 文。 下失顔 淵之 傳、 則曰天 喪予 。然 則道 統之絶 續、 皆天 也。 二説皆 足以 發天 喪之 意。 [訓 読] ○顔 淵死 す。 子曰く 、噫 、天 、予 を喪ぼ せり 、天 、予を 喪せ りと 。. 新 安 陳氏 曰 く、 夫 子の 道 は顔 子に 頼り て以 て伝ふ る者 なり 。顔 子在れ ば則 ち道 に伝有 り。 孔子 、他 日. 死す と 雖ど も 而れ ど も死 せ ざる なり 。顔 子死す れば 則ち 道に伝 無し 、孔 子、 今日、 未だ 亡び ずと 雖ども. 而れ ども已 に亡 べり 、故 に天、 回を 喪ぼ せり と謂は ずし て、 天、予 を喪 せり と曰 ふ、良 に悲 しむ べし と。. 雲 峰胡 氏 曰く 、 夫子 、 上は 文 王の 伝に接 す、 則ち 曰く 天、将 に斯 文を 喪ぼ さんと すと 。下 は顔淵 の伝 を. 『論 語集 注大 全』巻 一一 ・8 章。. 失 ふ、 則 ち曰 く 天 、予 を 喪ぼ せり と。 然ら ば則ち 道統 の絶 続は 、皆な 天な りと 。二説 皆以 て天 喪の 意を 発 する に足る 。 [ 語釈 ] ○新 安陳氏 曰~ 良可 悲矣. 『 論語 集注大 全』 巻一 一・ 8章。. (水野・阿部・大場・松野). 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) は 「 明 」 字 を 欠 く 。. ○雲 峰胡 氏~皆 天也 [校 異] ○ 發明 天喪. 『論語私存』訳注(十一). - 103 -.

(12) 論叢アジアの文化と思想. 【九】. 第. 号. ○顏淵 死。 子哭 之慟。 從者 曰、 子慟 矣。曰 、有 慟乎 。非 夫人之 爲慟 而誰 爲。. 慟顏 子而 不知 其過、 當慟 而慟 者也 。此與 聞韶 不知 肉味 義同、 皆不 可謂 非性 情之正 。 [ 訓読]. ○ 顔淵 死 す。 子 、 之を 哭 して 慟す 。従 者曰 く、子 慟せ りと 。曰 く、慟 する こと 有るか 。夫 の人 の為 に慟す るに非 ずして 誰が 為に かせ んと。. 顔子 を 慟し て 其の 過 ちを 知 らざ るは 、当に 慟す べく して 慟する 者な り。 此れ 韶を聞 きて 肉の 味を 知ら. がく. 『論語』述而・. 章 に 、「 子 、 斉 に 在 り て 韶 を 聞 く 。 三 月 、 肉 の 味 を 知 ら ず 。 曰. ずの 義と 同じ 、皆な 性情 の正 に非 ずと謂 ふべ から ず。 [ 語釈]. 夫二 三子 也。. ここ. ○顏 淵 死 。門 人 欲厚 葬 之。 子 曰、不 可。 門人 厚葬 之。子 曰、 回也 視予 猶父也 。予 不得 視猶 子也。 非我 也、. 【十 】. く 、図 らざ りき 、楽を 為す こと の斯 に至ら んと は」 とある 。. はか. ○聞韶不知肉味. 13. - 104 -. 27.

(13) 門 人 、謂 顏 子之 門 人。 門 人 欲厚 葬之 、雖以 顏子 爲賢 、而出 於至 愛、 然無 財不可 爲悦 、中 間多 所強爲 、非. 心所安 也。 故孔 子以 爲不可 。蓋 能明 於死 生之説 、葬 雖速 朽、可 也。 而何 必過 於厚哉 。 [訓 読]. ○顔 淵 死す 。 門人 厚 く之 を 葬 らんと 欲す 。子 曰く、 不可 と。 門人 厚く之 を葬 る。 子曰 く、回 や予 を視 るこ. と 猶ほ 父 のご と くな り 。予 、 視る こと猶 ほ子 のご とく するを 得ず 。我 に非 ざるな り、 夫の 二三子 なり と。. 門 人 は、 顔 子の 門 人を 謂 ふ。 門人 、厚 く之 を葬ら んと 欲す 、顔 子を以 て賢 と為 し、而 して 至愛 より 出. づと 雖 ども 、 然れ ど も財 無 くし て悦 びを 為すべ から ず、 中間に 強ひ て為 す所 多く、 心の 安ん ずる 所に非. あや ま. ざる なり。 故に 孔子 以て 不可と 為す 。蓋 し能 く死生 の説 を明 らかに すれ ば、 葬は 速朽と 雖ど も、 可な り。 而る を何 ぞ必 ずしも 厚に 過た んや 。. 【 十一 】 ○ 季路 問事鬼 神。 子曰 、未 能事人 、焉 能事 鬼。敢 問死 。曰 、未 知生、 焉知 死。. 既未 能事人 、而 先欲 事鬼 。未能 知生 、而 先欲知 死。 即此 已是 遠求、 而集 註以 爲皆 切問、 恐非 聖人 之意也 。 [訓 読]. ○季 路 、 鬼神 に 事へ ん こと を 問ふ。 子曰 く、 未だ 人に事 ふる こと 能は ず、焉 んぞ 能く 鬼に 事へん と。 敢へ. (水野・阿部・大場・松野). て死 を問 ふ。 曰く 、未だ 生を 知ら ず、焉 んぞ 死を 知ら んと。. 『論語私存』訳注(十一). - 105 -.

(14) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 既 に 未だ 人 に事 ふ る能 は ず 、而し て先 づ鬼 に事へ んと 欲す 。未 だ生を 知る 能は ず、 而して 先づ 死を 知. 『論語集注』巻一一・. 章 に 、「 鬼 神 に 事 ふ る を 問 ふ は 、 蓋 し 祭 祀 に 奉 ず る 所. らん と 欲す 。 即ち 此 れ已 に 是れ 遠く 求む 、而し て集 註以 て皆 な切問 なり と為 すは 、恐ら く聖 人の 意に非 ざる なり 。 [語 釈] ○集註以爲皆切問. 其の 死を 得ざら んと 。. ○閔子 、側 に侍 る。 誾誾如 たり 。子 路、 行行如 たり 。冉 有、 子貢、 侃侃 如た り。子 楽し む。 由が ごとき や、. [訓 読]. 氏 以爲 只如 平常 説死非 正命 之謂 、未 説到不 得死 所處 者、得 之。. 樂 字 、如 集 註解 、 無不 可 通。 但 以文義 求之 、則 以樂字 作曰 字者 、於 理不牽 強也 。由 也不 得其死 、新 安陳. ○閔 子侍 側、誾 誾如 也。 子路 、行行 如也 。冉 有、 子貢、 侃侃 如也 。子 樂。若 由也 、不 得其死 然。. 【十 二】. り」と ある 。. 以の意を求むるなり。而して死は人の必ず有る所にして、知らずんばあるべからず。皆切問な. 11. 楽 の 字は 、 集註 の ごと く 解す れば 、通 ずべか らざ るは 無し 。但だ 文義 を以 て之を 求む れば 、則 ち楽の. - 106 -. 27.

(15) 字 を 以て 曰 の字 と 作す 者 、 理に 於い て牽強 せざ るな り。由 や其 の死 を得 ずとは 、新 安陳 氏以 為へら く、. 『 論語集 注大 全』 巻一一 ・. 章。. 只だ 平 常の ご とく 説 けば 、 死は 正命 に非 ざるの 謂ひ なる も、 未だ死 の処 する 所を 得ざる 者に 説き 到らず と、 之を 得たり 。 [語 釈] ○ 新安陳 氏以 爲~ 未説 到不得 死所 處者. 【十三 】. ○魯人 爲長 府。 閔子騫 曰、 仍舊 貫、 如之何 。何 必改 作。子 曰、 夫人 不言 、言必 有中 。. 如之 何者 、有 何不善 之辭 。不 言二 字、止 發言 字。 言必有 中、 然後 見其 不妄發 也。 [ 訓読]. ○ 魯人 長 府を 為 る。 閔 子騫 曰 く、 旧貫 に仍ら ば、 之を 如何 。何ぞ 必ず しも 改作 せんと 。子 曰く 、夫 の人言 は ず、 言へば 必ず 中た るこ と有り と。. 之を 如 何と は 、何 の 不善 か 有る の辞 。言は ずの 二字 は、 止だ言 の字 を発 す。言 へば 必ず 中た る有り 、. (水野・阿部・大場・松野). 然る 後に 其の妄 りに 発せ ざる を見る なり 。. 【 十四 】. 『論語私存』訳注(十一). - 107 -. 12.

(16) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. ○ 子曰、 由之 瑟奚 爲於 丘之門 。門 人不 敬子 路。子 曰、 由也 升堂矣 、未 入於 室也 。. 子路 能 識其 大 、忠 信 之已 立 、是 升堂 也。 第於無 聲無 臭之 地未 到、是 爲不 入室 耳。 孔子謂 其瑟 不與 己同、 以不 足於 中和、 即不 入室 之意。 [訓 読]. た. ○ 子曰 く 、由 の 瑟は 奚 為れ ぞ 丘の 門に於 いて せん と。 門人は 子路 を敬 せず 。子曰 く、 由は 堂に升 れり 、未 だ 室に入 らざ るな りと 。. 子路 、 能く 其 の大 を 識る 、 忠信 の已に 立つ るは 、是れ 堂に 升る なり 。第だ 無声 無臭 の地 に於い て未 だ. 『 論語 集注』 巻一 一・. 章 に 、「 程 子 曰 く 、 其 の 声 の 不 和 、. 到ら ず 、是 れ 室に 入 らず と 為 すのみ 。孔 子、 其の瑟 、己 と同 じか らず、 以て 中和 に足 らずと 謂ふ は、 即 ち室 に入 らざ るの意 なり 。 [ 語釈] ○ 孔子 謂其瑟 不與 己同 、以 不足於 中和. 【十 五】. にし て中和 に足 らず と」 とある 。. 己 と 同じ か ら ざる を 言ふ な り。 家語 に云ふ 、子 路の 鼓瑟 、北鄙 殺伐 の声 有り 。蓋し 其の 気質 剛勇. 14. ○子 貢問 、師 與商 也孰賢 。子 曰、 師也過 、商 也不 及。 曰、然 則師 愈與 。子 曰、過 猶不 及。. - 108 -. 27.

(17) 過 與 不及 、 皆氣 質 用事 。 當 時以 過者 爲高、 故子 貢疑 師爲愈 。然 中庸 論爲 道者、 常以 過高 遠人 爲戒。 故孔 子以爲 過猶 不及 、則 以其氣 質之 偏、 折之 於義理 之中 矣。 [訓 読]. ○子 貢 問ふ 、 師と 商 と孰 か 賢 れると 。子 曰く 、師は 過ぎ たり 、商 は及ば ずと 。曰 く、 然らば 則ち 師は 愈れ るか と。 子曰 く、過 ぎた るは 猶ほ 及ばざ るが ごと しと。. 過 ぎ たる と 及ば ざ ると は 、皆 な気 質の 用事 なり。 当時 、過 ぎた る者を 以て 高し と為す 、故 に子 貢は 師. を愈 れ りと 為 すか と 疑ふ 。 然れ ども 中庸 に論じ て道 と為 す者は 、常 に過 ぎた ると高 遠た ると の人 を以て. 戒め と 為す 。 故に 孔 子は 以 て 過ぎた るは 猶ほ 及ばざ るが ごと しと 為す、 則ち 其の 気質 の偏を 以て 、之 を 義理 の中 に折 するな り。. 【 十六 】. ○ 季氏 富於周 公。 而求 也爲 之聚斂 而附 益之 。子曰 、非 吾徒 也。 小子鳴 鼓而 攻之 可也 。 此可 見孔子 之教 、以 愛民 爲本、 而政 之所 先、莫 切於 輕徭 薄賦 也。 [訓 読]. ○季 氏 、 周公 よ りも 富 めり 。 而るに 求や 、之 が為 に聚斂 して 之を 附益 す。子 曰く 、吾 が徒 に非ざ るな り。. (水野・阿部・大場・松野). 小子 、鼓 を鳴 らし て之を 攻め て可 なりと 。. 『論語私存』訳注(十一). - 109 -.

(18) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 此 れ 孔子 の 教へ 、 民を 愛 す るを以 て本 と為 し、而 して 政の 先ん ずる所 は、 徭を 軽く し賦を 薄く する よ り切な るは 莫き を見 るべし 。. 【十 七】 ○柴 也愚 、參 也魯、 師也 辟、 由也 喭。. 楊 氏 謂四 者 性之 偏 、語 之 使知 自 勵、則 聖人 之意 矣。 曾子實 用其 力、 故能 傳道。 三子 工夫 不及曾 子精 切、 故只成 就得 性之 所近耳 。 [訓 読]. つ. ○柴 や愚、 参や 魯、 師や 辟、由 や喭 と。. 楊 氏の 四 者は 性 の 偏、 之 を語 げて 自ら励 むこ とを 知ら しむと 謂ふ は、 則ち聖 人の 意な り。 曾子、 実に. 『 論語 集注 』先進 ・. 章 。楊氏 は、 楊時 。 17. 其 の 力を 用 ふ、 故 に能 く 道を 伝 ふ。三 子の 工夫 、曾子 の精 切な るに 及ばず 、故 に只 だ性 の近き 所を 成就 し 得る のみ 。 [語 釈] ○楊 氏謂 四者性 之偏 、語 之使 知自勵. 【 十八 】. - 110 -. 27.

(19) ○ 子曰、 回也 其庶 乎、 屢空。 賜不 受命 、而 貨殖焉 。億 則屢 中。. 庶乎 、 言其 近 道也 。 屢空 、 謂數 至空 乏、 蓋何晏 舊註 。陶 淵明 簞瓢屢 空之 説亦 本於 此。或 以虛 中爲 空、然. 謂之 屢 、則 空 常 有間 、 非所 以 語顏子 也、 朱子 或問 蓋嘗□ 之矣 。子 貢之 貨殖、 非忘 義而 徇利者 也。 只是 言. 其 欲治 生 不能 忘 其貧 耳 、故 謂 之不 受命 。謀道 不謀 食、 方是能 受命 處。 億、 記億也 。言 其思 慮記 得時、 屢. 屢 能中道 。蓋 即日 月至 焉之意 、亦 非但 謂其 料事多 中而 已。 夫人求 道之 心重 、則 求富之 心輕 、求 富之 心重、. 則 求 道之 心 輕、 此 顏回 、 子貢 之 所以不 同也 。然 子貢 特不及 顏回 耳、 其於 義利、 是非 之辯 、則同 聞聖 門之. 教、 而 所務 皆 實學 、 豈欲 假 借富 厚之 力、 以徼人 之起 敬者 哉。司 馬遷 謂子 貢既 學於仲 尼、 退而 仕於 衞、鬻. 財於 曹 魯之 間 、七 十 子之 徒 、 賜最爲 饒益 。原 憲不厭 糟糠 、匿 於窮 巷。子 貢結 駟連 騎、 束帛走 幣、 以聘 享. 諸 侯、 所 至國 君 無不 分 庭與 之 抗禮 。夫使 孔子 名布 揚於 天下者 、子 貢後 先之 也、此 所謂 得勢 而益彰 者乎 。. はか. 此 非知 子 貢者 也 。 自此 言 一出 、而 世之 學者 遂以孔 門之 徒實 有此 事。將 皆欣 然求 富、而 忘其 所守 、於 不能. しば. 安 貧之 中、而 又加 之以 驕侈 希世取 榮、 其害 教豈 不大哉 。 [ 訓読 ]. ○子曰 く、 回や 其れ庶 から んか 、屢し ば空 し。 賜は 命を受 けず して 、貨 殖す。 億れ ば則 ち屢し ば中 たる と。. 庶 から ん かは 、 其の 道 に近 きを 言ふ なり 。屢し ば空 しは 、数 しば空 乏に 至る を謂 ふ、蓋 し何 晏の 旧註. な り。 陶 淵明 の 簞瓢 屢 しば 空 しの 説も 亦た此 に本 づく 。或 いは虚 中を 以て 空と 為す、 然し て之 を屢 しば. (水野・阿部・大場・松野). と 謂ふ は、則 ち空 は常 に間 有り、 顔子 に語 る所以 に非 ざる なり 、朱子 の或 問、 蓋し 嘗て之 を〔 弁〕 ぜり 。. 『論語私存』訳注(十一). - 111 -.

(20) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 子 貢 の貨 殖 は、 義 を忘 れ て 利に 徇ふ 者に非 ざる なり 。只だ 是れ 其の 生を 治めん と欲 して 其の 貧を忘 るる. 能は ざ るを 言 ふの み 、故 に 之を 命を 受け ずと謂 ふ。 道を 謀り て食を 謀ら ざる は、 方に是 れ能 く命 を受く. る処 な り。 億 は 、記 億 なり 。 其の思 慮記 し得 たる 時、屢 屢能 く道 に中 たるを 言ふ 。蓋 し即ち 日月 至れ り. の 意な り 、亦 た 但だ 其 の事 を 料り て中 たるこ と多 しと 謂ふの みに 非ず 。夫 れ人の 道を 求む るの 心重け れ. ば 、則 ち 富 を求 む るの 心 軽し 、富 を求 むる の心重 けれ ば、 則ち 道を求 むる の心 軽し 、此れ 顔回 、子 貢の. とも. 同 じか らざ る所以 なり 。然 らば 子貢、 特だ 顔回 に及ば ざる のみ にし て、其 の義 利、 是非 の弁に 於い ては 、. 則ち 同 に聖 門 の教 へ を聞 き 、而 して 務む る所も 皆な 実学 なり、 豈に 富厚 の力 に仮借 して 、以 て人 の敬を. 起こ す を徼 め んと 欲 する 者 な らんや 。司 馬遷 謂ふ、 子貢 は既 に仲 尼に学 び、 退き て衛 に仕へ 、財 を曹 、. 魯 の間 に 鬻ぐ 、 七十 子 の徒 、 賜や 最も饒 益た り。 原憲 は糟糠 を厭 はず 、窮 巷に匿 る。 子貢 は駟を 結び 騎. を 連ね 、 束帛 走 幣 して 、 以て 諸侯 に聘 享し 、至る 所の 国君 、分 庭して 之と 礼を 抗せざ るは 無し 。夫 れ孔. おも. 子 の 名を し て天 下 に布 揚 せし む る者、 子貢 、之 に後先 する なり 、此 れ所謂 る勢 を得 て益 ます彰 はす 者な. ら ん やと 。 此 れ子 貢 を知 る 者に 非ざ るなり 。此 の言 一た び出で てよ り、 世の 学者遂 に以 へら く、孔 門の. 徒に 実 に此 の 事有 り と。 将 に皆 な欣 然と して 富を求 め、 而し て其 の守る 所を 忘れ んとす 、貧 に安 んず る. 能 はざ る の中 に 於い て 、而 し て又 た之に 加ふ るに 驕侈、 希世 、取 栄を 以てす れば 、其 の教 へを害 する こ と、 豈に 大な らず や。 [ 語釈 ]. - 112 -. 27.

(21) ○陶淵明簞瓢屢空之説. 陶 潜 「 五 柳 先 生 伝 」 に 、「 環 堵 蕭 然 と し て 、 風 日 を 蓋 は ず 、 短 褐 穿 結 し 、. 『四書 或問 』巻 一六 ・論語 先進 第十 一参 照。. 簞瓢屢 しば 空し きも 、晏如 たり 」と ある 。 ○朱 子或 問蓋嘗 辯之 矣. 『 史記 』巻 一二 九・貨 殖列 伝参 照。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 嘗 辯 之 矣 」 と し た 。. ○司 馬遷 謂~ 此所謂 得勢 而益 彰者 乎 [ 校異] ○ 嘗□ 之矣. 【十 九】 ○子 張問善 人之 道。 子曰 、不踐 跡、 亦不 入於室 。. 問 善人而 以其 道、 是以日 用事 物當 然之 理言也 。善 人固 爲此 道者也 。但 非善 人、 則其爲 道不 免於 循途守 轍、. 所 謂 踐跡 也 。善 人 則德 性 用事 、 不踐舊 跡、 而由 天理以 行。 然必 須學 乃得進 於君 子聖 人、 以入精 微之 奥。. 此 謂 無聲 無 臭 之地 、 蓋相 在 爾室 、尚 不愧於 屋漏 之功 也。 孔子謂 十室 之邑 、必 有忠信 如丘 者焉 、不如 丘之. 好學 也、亦 是此 意。 忠信 、善人 之質 也。 好學、 則入 室矣 。此 欲人好 學以 成其 善耳 。 [訓 読] ○子 張、 善人の 道を 問ふ 。子 曰く、 跡を 践ま ず、亦 た室 に入 らず と。. (水野・阿部・大場・松野). 善 人 を問 ひ て其 の 道を 以 てす 、是 れ日 用の事 物、 当然 の理 を以て 言ふ なり 。善人 は固 より 此の 道を為. 『論語私存』訳注(十一). - 113 -.

(22) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. す 者 なり 。 但だ 善 人に 非 ざ れば 、則 ち其の 道を 為す こと、 途に 循ひ 轍を 守るを 免れ ず、 所謂 る跡を 践む. なり 。 善人 は 則ち 徳 性用 事 、旧 跡を 践ま ず、而 して 天理 に由 りて以 て行 ふ。 然ら ば必ず 須ら く学 べば乃. ち君 子 、聖 人 に 進み て 、以 て 精微の 奥に 入る を得 るべし 。此 れ無 声無 臭の地 、蓋 し相 ひ爾の 室に 在り 、. 尚 ほ屋 漏 の功 に 愧ぢ ず と謂 ふ なり 。孔 子の十 室の 邑、 必ず忠 信有 るこ と丘 のごと き者 あり 、丘 の学を 好. む に如か ざる なり と謂 ふも、 亦た 是れ 此の 意なり 。忠 信は 、善人 の質 なり 。好 学は、 則ち 室に 入る なり。 此 れ人 の学 を好み て以 て其 の善 を成さ んこ とを 欲する のみ 。. 【二 十】 ○子 曰、論 篤是 與、 君子 者乎。 色莊 者乎 。. なん. 論 篤、 以 言足 恭 者 也。 觀 聖人 之友 君子 、輯 柔爾顔 、不 遐有 愆、 猶以其 聲色 在外 、而必 求之 於相 在邇 室、. くみ. 尚 不愧 於屋漏 之地 、則 言論 之篤實 、安 可遂 以信 人乎。 [ 訓読 ] ○子曰 く、 論篤 きに是 れ与 せど も、君 子な る者 か。 色荘な る者 かと 。. 論 篤き は 、言 を 以て 恭 ふに 足る 者な り。 聖人の 君子 を友 にす るを観 るに 、爾 の顔 を輯柔 にし て、 遐ぞ あ やま. 愆 ち有 ら ざら ん 、猶 ほ 其の 声 色の 外に 在るを 以て す、 而し て必ず 之を 邇の 室に 在るを 相る に、 尚ほ 屋漏. に 愧ぢ ざるの 地に 求む 、則 ち言論 の篤 實な ること 、安 んぞ 遂に 以て人 を信 ずべ けん や。. - 114 -. 27.

(23) [ 語釈 ]. なん. あやま. ○觀 聖 人之 友 君子 ~ 不遐 有 愆 み. な. 『詩 経』 大雅・ 抑に 「爾 の君 子を友 にす るを 視る に、爾 の顔 を輯 柔. 前注 参照。. にし て、 遐ぞ愆 ち有 らざ らん。 爾の 室に 在る を相る 、尚 ほ屋 漏に 愧ぢず 」と ある 。 ○相 在邇 室、 尚不愧 於屋 漏. 【 二十 一】. ○子 路問 、 聞斯 行 諸。 子 曰、 有 父兄在 、如 之何 其聞斯 行之 。冉 有問 、聞斯 行諸 。子 曰、 聞斯行 之。 公西 華. 曰、由 也問 聞斯 行諸、 子曰 、有 父兄 在、求 也問 聞斯 行諸、 子曰 、聞 斯行 之。赤 也惑 、敢 問。 子曰、 求也 退、 故進 之。由 也兼 人、 故退 之。. 聞 、謂 聞 道於 夫 子 也。 有 父兄 在之 云、 非以 其不稟 命也 。如 子路 之好義 、豈 不知 稟命父 兄者 哉。 但謂 其父. これ. 見 在、 則當謹 於行 事、 不貽 之憂辱 云耳 。 [ 訓読 ]. ○子 路問 ふ 、聞 け ば 斯ち 諸 を行 はん かと。 子曰 く、 父兄 の在る 有り 、之 を如何 ぞ其 れ聞 けば 斯ち之 を行 は. んと 。 冉有 問 ふ、 聞 けば 斯 ち諸 を行 はん かと。 子曰 く、 聞け ば斯ち 之を 行へ と。 公西華 曰く 、由 や問 ふ、. 聞け ば斯 ち諸を 行は んか と。 子曰く 、父 兄の 在る有 りと 。求 や問 ふ、聞 けば 斯ち 諸を 行はん かと 。子 曰く 、. (水野・阿部・大場・松野). 聞 けば 斯 ち之 を 行へ と 。赤 や 惑ふ 。敢 へて問 ふと 。子 曰く 、求や 退く 、故 に之を 進む 。由 や人 を兼ぬ 、故. 『論語私存』訳注(十一). - 115 -.

(24) 論叢アジアの文化と思想. に 之を退 くと 。. 第. 号. 聞は 、 道を 夫 子に 聞 くを 謂 ふな り。父 兄の 在る 有り の云ひ は、 其の 命を 稟けざ るを 以て するに 非ざ る. のこ. なり 。 子路 の 義 を好 む がご と きは、 豈に 命を 父兄 に稟く るを 知ら ざる 者なら んや 。但 だ其の 父見 在な る を謂 ふは 、則 ち当に 事を 行ふ に謹 み、之 に憂 辱を 貽さ ざるべ しと 云ふ のみ 。. 【 二十 二】 ○子畏 於匡、 顏淵 後。 子曰 、吾以 女爲 死矣 。曰 、子在 、回 何敢 死。. 何敢 死 、邢 氏 以爲 夫 子在 、 己 不敢致 死是 也。 謝□□ 敢非 不敢 之敢 、乃果 敢之 敢、 即集 註不赴 □而 必□ 之. なんぢ. 意。 恐辭 氣亦 太急矣 。〇 程子 搏虎 之喩、 發明 處死 之道、 可謂 盡矣 。 [ 訓読]. ○ 子、 匡 に畏 る 。顔 淵 後る 。 子曰 く、 吾、女 を以 て死 せり と為す と。 曰く 、子 在す。 回、 何ぞ 敢へ て死せ ん と。. 何ぞ 敢 へて 死 せん は 、邢 氏 以為 へら く、夫 子在 れば 、己 、敢へ て死 を致 さず、 是れ なり 。謝 〔氏〕 の. は なは. 敢は、敢へてせずの敢に非ず、乃ち果敢の敢なりと〔謂ふ〕は、即ち集註の〔鬥に〕赴きて必ずしも. 〔 死せ 〕 ざる の 意な り 。恐 ら くは 辞気 も亦た 太だ 急な り。 〇程子 、虎 を搏 つの 喩へ、 死に 処す るの 道を 発 明す 、尽く せり と謂 ふべ し。. - 116 -. 27.

(25) [ 語釈 ]. も. ○邢氏 以爲 夫子 在、 己不敢 致死. 『 論 語 注 疏 』( 邢 昺 疏 ) に 、「 子 在 す 、 回 何 ぞ 敢 へ て 死 せ ん と は 、. 章。. 『論 語集注 大全 』先 進・. 章に 同文 が見 える。. 言ふ こ ころ は 、 夫子 、 若し 危 難に陷 れば 則ち 回必 ず死を 致さ ん、 今、 夫子在 れば 、己 は則ち 敢へ て死 す所 無し 」とあ る。 ○ 謝□□ 敢非 不敢 之敢 、乃果 敢之 敢 『論 語集注 』先 進・. 『 論語 集注 』に 従い「 不赴 鬥而 必死」 とし た。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 謝 氏 謂 」 と し た 。. ○ 集註 不赴 鬥而必 死之 意 [校異 ] ○謝 □□ ○不 赴□ 而必 □. [訓 読]. 異之 問、 亦就大 臣言 、謂 或有 異人也 。觀 弑父 與君 亦不從 之言 、可 見孔 門學者 、其 志節 與人不 同矣 。. 可則止 。今 由與 求也、 可謂 具臣 矣。曰 、然 則從 之者 與。子 曰、 弑父 與君 、亦不 從也 。. ○ 季 子然 問 、仲 由 、冉 求 可謂 大臣 與。 子曰 、吾 以子爲 異之 問。 曾由 與求之 問。 所謂 大臣者 、以 道事 君、 不. 【 二十 三】. 22. (水野・阿部・大場・松野). ○ 季子 然 問ふ 、 仲由 、 冉求 は 大臣 と謂 ふべき かと 。子 曰く 、吾、 子を 以て 異なれ るを 之れ 問ふ と為す 。曾. 『論語私存』訳注(十一). - 117 -. 22.

(26) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. ち 由 と求 と を之 れ 問ふ か 。所 謂る 大臣 とは 、道を 以て 君に 事ふ 、不可 なれ ば則 ち止 む。今 、由 と求 とは 、. 具臣 と謂 ふ べし と 。曰 く 、然 ら ば則ち 之に 従ふ 者か と。子 曰く 、父 と君 とを弑 さん には 、亦た 従は ざる な りと。. 異 なれ る を之 れ 問ふ は 、亦 た 大臣に 就き て言 ふ、或 いは 異人 有る を謂ふ なり 。父 と君 とを弑 さん には. 亦 た従は ずの 言を 観れ ば、孔 門の 学者 、其 の志節 、人 と同 じから ざる を見 るべ し。. 【二十 四】. ○子 路 使子 羔 爲費 宰 。子 曰 、賊 夫人 之子。 子路 曰、 有民 人焉、 有社 稷焉 。何 必讀書 、然 後爲 學。 子曰、 是 故惡 夫佞者 。. 子 羔、 本 忠信 之 資 、而 偏 於愚 者。 孔子 以其 學術未 明、 恐不 足以 處惡人 、是 害之 也。子 路則 謂仕 亦可 學、. 學 不 必在 讀 書、 如 天子 諸 侯稚 年 嗣位者 、亦 毎有 之、豈 皆學 而後 仕哉 。此言 未爲 非是 、但 不知孔 子所 以不. 欲 使 子恙 之 意 。乃 爲 陪臣 受 制於 人、 非成德 達材 者、 未可 即試。 而子 路專 執己 見、遂 以口 辯禦 之。此 孔子 所以 不斥其 非、 而但 惡其 佞也。 [訓 読]. ○子 路 、 子羔 を して 費 の宰 と 為らし む。 子曰 く、 夫の人 の子 を賊 ふと 。子路 曰く 、民 人有 り、社 稷有 り。. 何ぞ 必ず しも 書を 読みて 、然 る後 に学を 為さ んと 。子 曰く、 是の 故に 夫の 佞者を 悪む と。. - 118 -. 27.

(27) 子 羔 は、 忠 信の 資 を本 と し て、愚 に偏 する 者なり 。孔 子は 其の 学術未 だ明 らか なら ざるを 以て 、以 て. 悪人 に 処す る に足 ら ざる を 恐る 、是 れ之 を害す るな り。 子路 は則ち 仕も 亦た 学ぶ べし、 学は 必ず しも読. ぜ. 書に 在 らず 、 天 子諸 侯 の稚 年 に位を 嗣ぐ 者の ごと きも、 亦た 毎に 之れ 有り、 豈に 皆学 びて而 る後 に仕 へ. ん やと 謂 ふ。 此 の言 、 未だ 是 に非 ずと 為さず 、但 だ孔 子の子 恙を 使は んと 欲せざ る所 以の 意を 知らず 。. 乃 ち陪 臣 の 為に 制 を人 に 受く れば 、成 徳達 材の者 に非 ざれ ば、 未だ即 ち試 すべ から ず。而 れど も子 路は. 専 ら 己の 見 を執 り 、遂 に 口弁 を 以て之 を禦 ぐ。 此れ 孔子の 其の 非を 斥け ずして 、但 だ其 の佞を 悪む 所以 なり。. 【二 十五 】. 子 路、 曾 皙、 冉 有、 公 西華 侍 坐。 子曰、 以吾 一日 長乎 爾、毋 吾以 也。 居則曰 、不 吾知 也。 如或知 爾、 則何. 以 哉。 子 路率 爾 而對 曰 、千 乘 之國 、攝 乎大國 之間 、加 之以 師旅、 因之 以饑 饉。 由也爲 之、 比及 三年 、可使. 有 勇 、且 知 方也 。 夫子 哂 之。 求、 爾何 如。 對曰 、方六 七十 、如 五六 十、求 也爲 之、 比及三 年、 可使 足民 。. 如其禮 樂、 以俟 君子。 赤、 爾何 如。對 曰、 非曰 能之 、願學 焉。 宗廟 之事 、如會 同端 章甫 、願爲 小相 焉。 點、. 爾何 如 。鼓 瑟 希。 鏗 爾、 舍 瑟而 作。 對曰 、異乎 三子 者之 撰。 子曰、 何傷 乎。 亦各 言其志 也。 曰、 莫春 者、. 春服 既成 。冠者 五六 人、 童子 六七人 、浴 乎沂 、風乎 舞雩 、詠 而歸 。夫子 喟然 歎曰 、吾 與點也 。. (水野・阿部・大場・松野). 如 或 知爾 、 言人 或 知而 舉 之也 。觀 由求 赤三 子所 言、皆 爲人 所舉 而爲 大夫當 國之 事也 。子路 率爾 之對 、亦. 『論語私存』訳注(十一). - 119 -.

(28) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 見 其 勇於 有 爲。 千 乘、 公 侯 大國 、而 猶曰攝 乎大 國之 間。以 春秋 時、 大國 又有呑 併附 庸而 加多 者也。 哂、. 微笑 也 、難 於 言而 不 欲示 之 以怒 色之 意。 方六七 十、 如五 六十 、謂封 國之 制。 伯七 十里、 或密 爾大 國、而. 爲其 所 侵、 則 有 損十 里 而爲 六 十者矣 。子 男五 十里 、然或 兼併 小國 、而 據其所 有、 則有 益十里 而爲 六十 者. 矣。 禮樂 、以 化民成 俗言 也。 公西 華志於 禮樂 、因 冉有 不敢居 、而 以願 學爲 説。宗 廟、 諸侯 之宗廟 。□ □、. □ 侯會 盟 之 事。 同 、同 盟 也、 厚齋 馮氏 嘗言 之矣。 慶□ □氏 曰、 端、玄 端服 、古 者君 臣皆得 服之 。章 甫、. 緇 布 冠、 三 代常 服 、行 道 之冠 也 。相、 贊君 行禮 者。 言小、 謙若 不敢 自大 之辭、 非謂 別有 一大相 、而 僅居. 其小 也 。公 西 華所 言 、雖 若 禮樂 之末 節、 然既以 禮樂 爲志 、必知 以學 道愛 人爲 本者矣 。莫 春、 巴川 楊氏以. 爲建 辰之月 是也 。蓋 周改 正朔、 雖子 爲春 始、 而民俗 猶用 夏時 也。浴 、周 文安 公以 爲沿字 之誤 、於 理可 通。. 三 子之 志 、皆 在 於用 世 。子 路 爲之 、必勇 作其 氣、 義作 其忠以 治内 、而 足以 威鄰國 也。 冉有 爲之、 必勸 之. 農 桑、 教 之節 儉 以 務本 、 而足 以厚 民生 也。 公西華 爲之 、必 肅其 儀容、 修其 辭令 以詔君 、而 足以 感格 神人. 也 。 雖皆 實 學、 跡 尚渉 粗 耳。 惟 曾晳則 但知 與弟 子講學 自修 、對 時育 物、無 外慕 心、 故孔 子與之 。其 言語. 脱 灑 、固 見 狂 者胸 次 超然 、 當其 時、 工夫亦 自定 靜、 故氣 象從容 、此 豈三 子規 規於事 爲之 末者 可及哉 。〇. 觀冉 有之志 在於 足民 、本 非欲聚 歛者 。及 爲季氏 宰、 而爲 之附 益、則 與其 志大 不侔 矣。豈 以小 臣未 得專行 、 而不 能不 徇季氏 之欲 邪。 然亦 可見其 志之 不立 也。. 三子 者 出 。曾 皙 後。 曾 皙曰 、 夫三子 者之 言何 如。 子曰、 亦各 言其 志也 已矣。 曰、 夫子 何哂 由也。 曰、 爲國. 以 禮、 其 言不 讓 、是 故 哂之 。 唯求 則非 邦也與 。安 見方 六七 十如五 六十 而非 邦也者 。唯 赤則 非邦 也與。 宗廟. - 120 -. 27.

(29) 會 同、非 諸侯 而何 。赤 也爲之 小、 孰能 爲之 大。. 子路 爲 國、 勇 於爲 義 者也 。 但欲 使民 知方 、却是 欲化 民成 俗也 、必須 有謙 讓實 德、 乃能曲 盡人 情、 而有感. 動。 今 率爾 之 對 、直 任 以爲 己 能、是 不讓 也。 不讓 在言上 見、 而以 率爾 發之耳 。唯 求、 唯赤非 邦二 語、 非. 曾 皙問 也 。蓋 孔 子因 二 子言 志 、不 露國 字、而 明其 皆國 、以見 其自 謙。 所以 發子路 見哂 之意 也。 赤也爲 之. 小 、爲 之 謂 爲諸 侯 相。 孔 子以 自謙 居小 、而 他人爲 之、 必無 大於 赤者、 故曰 孰能 爲之 大也。 〇三 子之 志皆. なん ぢ. 屬 事 功、 能 於禮 樂 而致 中 和焉 、 則亦天 理流 行、 非粗 迹矣。 曾皙 之言 、使 無三子 之實 地、 則亦虚 見而 已。 故三子 能致 其虚 、而曾 皙能 就其 實、 乃皆合 於中 行耳 。 [訓 読]. も. あ. 子路 、 曾皙 、 冉有 、 公西 華 、侍 坐す 。子 曰く 、吾の 一日 爾よ り長 ずるを 以て 、吾 を以て する こと 毋か れ。. 居 れば 則 ち曰 く 、吾 を 知ら ざ るな りと。 如し 爾を 知る こと或 れば 、則 ち何を 以て せん やと 。子路 、率 爾と. をさ. ころ. し て対 へ て曰 く 、千 乗 の国 、 大国 の間 に摂し 、之 に加 ふる に師旅 を以 てし 、之 に因る に饑 饉を 以て す。由. も. や 之 を為 む れば 、 三年 に 及ぶ 比、 勇有 りて 且つ 方を知 らし むべ きな りと。 夫子 、之 を哂う 。求 、爾 は何 如. と。 対へ て 曰く 、 方 六七 十 、如 しく は五六 十、 求や 之を 為むれ ば、 三年 に及ぶ 比、 民を 足ら しむべ し。 其. の礼 楽 のご と きは 、 以て 君 子を 俟た んと 。赤、 爾は 何如 と。 対へて 曰く 、之 を能 くすと 曰ふ には 非ず 、願. はく は 学 ばん 。 宗廟 の 事、 如 しくは 会同 に端 章甫 して、 願は くは 小相 たらん と。 点、 爾は 何如と 。瑟 を鼓. (水野・阿部・大場・松野). くこ と希 なり 。鏗 爾とし て瑟 を舎 きて作 つ。 対へ て曰 く、三 子者 の撰 に異 なれり と。 子曰 く、 何ぞ傷 まん 。. 『論語私存』訳注(十一). - 121 -.

(30) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 亦 た 各其 の 志を 言 ふな り と。 曰く 、莫 春に は、春 服既 に成 る。 冠者五 六人 、童 子六 七人、 沂に 浴し 、舞 雩. あ. に風じ て、 詠じて 帰ら んと 。夫 子喟然 とし て歎 じて曰 く、 吾は 点に 与せん と。. 如し 爾 を知 る こ と或 れ ばと は、 人の 知り て之を 挙ぐ るこ と或 るを言 ふな り。 由、求 、赤 の三 子の 言. しめ. ふ 所を 観 るに 、 皆な 人 の挙 ぐ る所 と為 りて大 夫の 国に 当たる の事 を為 すな り。子 路、 率爾 たる の対へ. も 、亦た 其の 有為 に勇 なるを 見す 。千 乗は 、公侯 の大 国、 而して 猶ほ 大国 の間 を摂む と曰 ふが ごと し。. 春 秋 の時 を 以て 、 大国 又 た呑 併 附庸し て多 を加 ふる 者有る なり 。哂 は、 微笑な り、 言を 難ずる も之 に. 示す に 怒色 を 以て せ んと 欲 せざ るの 意な り。方 六、 七十 、如し くは 五、 六十 は、封 国の 制を 謂ふ 。伯. は七 十 里、 或 いは 密 爾た る 大 国にし て、 其の 侵す所 と為 れば 、則 ち十里 を損 じて 六十 と為る 者有 り。. 子 、男 は 五十 里 、然 ら ば或 い は小 国を兼 併し て、 其の 有する 所に 拠れ ば、 則ち十 里を 益し て六十 と為. る 者有 り 。礼 楽 は 、民 を 化し 俗を 成す を以 て言ふ なり 。公 西華 は礼学 に志 あり 、冉有 の敢 へて 居ら ざ. いにしへ. る に 因 り て 、 願 は く は 学 ば ん を 以 て 説 を 為 す 。 宗 廟 は 、 諸 侯 の 宗 廟 。〔 会 同 は 、 諸 〕 侯 会 盟 の 事 。 同. は 、 同盟 な り 、厚 斎 馮氏 嘗 て之 を言 へり。 慶〔 源輔 〕氏 曰く、 端は 、玄 端服 なり、 古者 、君 臣皆な 之. を服 す るを 得 たり 。 章甫 、 緇布 冠は 、三 代の 常服、 行道 の冠 なり と。相 は、 君を 賛けて 礼を 行ふ 者な. り 。小 と 言ふ は 、謙 に して 敢 へて 自ら大 とせ ざる がごと きの 辞な り、 別に一 大相 有り て、 僅かに 其の. 小 に居 る と謂 ふ に非 ざ るな り 。公 西華 の言ふ 所、 礼楽 の末 節のご とし と雖 ども 、然れ ども 既に 礼楽 を. 以 て 志と 為 す、 必 ず道 を 学び 人を 愛す るを 以て 本と為 す者 なる を知 れり。 莫春 は、 巴川楊 氏以 て建 辰. - 122 -. 27.

(31) の 月 と為 す 、是 れ なり 。 蓋 し周 、正 朔を改 む、 子を 春の始 めと 為す と雖 ども、 而れ ども 民俗 は猶ほ 夏. 時を 用 ふる な り。 浴 は、 周 の文 安公 以て 沿の字 の誤 りと 為す 、理に 於い て通 ずべ し。三 子の 志、 皆な. 世に 用 ひら る る に在 り 。子 路 は之が 為に 、必 ず勇 として 其の 気を 作し 、義と して 其の 忠を作 して 以て. 内 を治 め 、而 し て以 て 隣国 を 威す るに 足るな り。 冉有 は之が 為に 、必 ず之 に農桑 を勧 め、 之に 節倹を. 教 へて 以 て 本を 務 め、 而 して 以て 民生 を厚 くする に足 るな り。 公西華 は之 が為 に、 必ず其 の儀 容を 肅. み 、其 の辞 令を修 めて 以て 君に 詔げ、 而し て以 て神人 を感 格せ しむ るに足 るな り。 皆な 実学と 雖ど も、. 跡は 尚 ほ粗 に 渉る の み。 惟 れ曾 晳は 則ち 但だ弟 子と 講学 自修す るを 知る のみ にして 、時 に対 して 物を. 育み 、 慕心 に 外無 し 、故 に 孔 子、之 に与 す。 其の言 語脱 灑、 固に 狂者の 胸次 超然 たる を見る 、其 の時. に 当た り て、 工 夫も 亦 た自 ら 定静 、故に 気象 従容 たり 、此れ 豈に 三子 の事 為の末 に規 規た る者の 及ぶ. ひと. べ きも の なら ん や 。〇 冉 有の 志、 民を 足ら すに在 るを 観る に、 本より 聚歛 を欲 する者 に非 ず。 季氏 の. 宰 と 為る に 及び て 、之 が 為に 附 益す、 則ち 其の 志と大 いに 侔し から ず。豈 に小 臣の 未だ 専ら行 ふを 得. ざ る を以 て 、 而し て 季氏 の 欲に 徇は ざる能 はざ らん や。 然れど も亦 た其 の志 の立た ざる こと を見る べ きな り。. 三子 者 出づ 。 曾皙 後 る。 曾 皙曰 く、 夫の 三子者 の言 何如 と。 子曰く 、亦 た各 其の 志を言 ふの みと 。曰 く、. 夫子 何 ぞ 由を 哂 へる や と。 曰 く、国 を為 むる には 礼を以 てす るも 、其 の言譲 らず 、是 の故 に之を 哂ふ と。. (水野・阿部・大場・松野). 唯 だ求 は 則ち 邦 に非 ざ るか と 。安 んぞ 方六七 十、 如し くは 五六十 にし て、 邦に非 ざる 者を 見ん と。唯 だ赤. 『論語私存』訳注(十一). - 123 -.

(32) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. は 則 ち邦 に 非ざ る かと 。 宗廟 会同 、諸 侯に 非ずし て何 ぞ。 赤や 之が小 たれ ば、 孰か 能く之 が大 たら んと 。. 子路 の 国を 為 むる は 、義 を 為す に勇 なる 者なり 。但 だ民 をし て方を 知ら しめ んと 欲して 、却 て是 れ民. を化 し 俗を 成 さ んと 欲 する な り、必 ず謙 譲実 徳有 るを須 ちて 、乃 ち能 く曲さ に人 情を 尽くし 、而 して. 感 動有 ら しむ 。 今、 率 爾た る の対 へは 、直だ 任以 て己 が能と 為す 、是 れ讓 らざる なり 。讓 らざ るは、. 言 の上 に 在 りて 見 る、 而 して 率爾 を以 て之 を発す るの み。 唯だ 求は、 唯だ 赤は 邦に 非ずの 二語 は、 曾. しめ. 皙 の 問ひ に 非ざ る なり 。 蓋し 孔 子は二 子の 志を 言ふ に、国 の字 を露 はさ ざるに 因り て、 其れ皆 な国 な. るを明 らか にし て、以 て其 の自 謙を 見す。 子路 の哂 はる るを発 する 所以 の意 なり。 赤や 之が 小たり は、. 之が た りと は 、諸 侯 の相 と 為 るを謂 ふ。 孔子 、自ら 謙に して 小に 居るを 以て 、而 して 他人、 之を 為せ. も. ば 、必 ず 赤よ り 大な る 者は 無 し、 故に孰 か能 く之 が大 たらん と曰 ふな り。 〇三子 の志 は皆 な事功 に属. す 、能 く 礼楽 に 於 いて し て中 和を 致せ ば、 則ち亦 た天 理流 行す 、粗迹 に非 ず。 曾皙の 言、 使し 三子 の. 章 に 、「 厚 斎 馮 氏 曰 く 、 会 同 は 、 諸 侯 の 天 子 に. 実 地無 ければ 、則 ち亦 た虚 見なる のみ 。故 に三 子能く 其の 虚を 致し 、而し て曾 皙能 く其の 実に 就き て、. 『論語集注大全』巻一一・. 乃 ち皆 な中 行に 合する のみ 。 [語 釈] ○厚齋馮氏嘗言之矣. 侯 の天 子に朝 する こと 寡な し。華 の言 は、 当に両 君相 ひ見 ゆと 為すべ し」 とあ る。. 朝 する の 礼な り 。而 し て両 君 相ひ 見ゆ るも亦 た会 と曰 ふ。 又た同 盟有 り。 是の 時に当 たり て、 諸. 25. - 124 -. 27.

(33) ○慶源輔氏曰~行道之冠也. 『論語集注大全』巻一一・. 章 に 、「 玄 端 の 服 は 、 古 者 、 君 臣 皆 な 之. を服 す るを 得 たり 、 章甫 、 緇布 冠な り。 夏は毋 追と 曰ふ 、音 は牟堆 、商 は章 甫と 曰ふ、 周は 委貌. 未 詳。. と曰 ふ 。其 の 制 相ひ 比 す、 皆 な漆布 を以 て之 を為 す。蓋 し三 代の 常服 、行道 の冠 なり 」とあ る。. 未 詳。. ○莫 春、 巴川 楊氏以 爲建 辰之 月是 也 ○ 浴、周 文安 公以 爲沿 字之誤 [ 校異 ]. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 會 同 、 諸 侯 」 と し た 。. ○本章 冒頭 より 「公西 華志 於禮 樂、 因冉」 まで 底本 に落 丁あり 。 ○□ □、□ 侯. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 慶 源 輔 氏 曰 」 と し た 。. (水野・阿部・大場・松野). 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) は 、「 不 能 不 狥 」 に 作 る 。. 底 本 は 「 固 見 往 者 」 に 作 る 。『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い て 改. ○慶 □□ 氏曰 ○固見狂者 め る。 ○ 不能 不徇. 論語私 存卷 十一 終. 『論語私存』訳注(十一). - 125 -. 25.

(34) 論叢アジアの文化と思想. 論 語私存 卷十 二. 顔淵 第十 二. 【 一】. 第. 号. 會稽季 本箋 釋. ○ 顏淵問 仁。 子曰 、克 己復禮 爲仁 。一 日克己 復禮 、天 下歸 仁焉。 爲仁 由己 。而 由人乎 哉。. 凡問仁 者、 皆言 如何而 可以 謂之 仁也 。孔子 則必 以爲 仁工 夫告之 。克 己、 舊説 以爲勝 私。 恐本 旨不然 。克 、. 能也 。 己、 即 爲仁 由 己之 己 。復 、即 不遠復 之復 。禮 、則 仁之曲 盡處 也。 能自 復禮、 乃所 以爲 仁也 。何待. 於 外求 哉 。一 日 、就 得 仁之 日而 言。 天下 歸仁 、謂皆 歸所 愛之 中也 。蓋洞 然八 荒、 皆在我 闥之 意。 若以 人. 歸 言效、 □一 日之 仁、豈 有天 下盡 歸之 理。爲 仁由 己、 正要 其□於 己也 。顏 子志 意高遠 。故 孔子 使求於 己。 與 子貢 問博施 、而 告以 近取 意同。 兩爲 仁、 上爲 字虛、 下爲 字實 。. 顏 淵 曰、 請 問其 目 。子 曰 、非 禮勿 視、 非禮 勿聽 、非禮 勿言 、非 禮勿 動。顏 淵曰 、回 雖不敏 、請 事斯 語矣 。. 顏淵 一 聞夫 子 之言 、 即問 其 目。 非謂 天理人 欲之 際已 判然 、而不 待有 所疑 問也。 判於 天理 人欲 、乃是 非本. 心 。人 人 能覺 、 亦無 難 事。 但顏 子求 之於 己、似 □□ 下手 處。 □請□ 條目 。欲 工夫 □□□ □□ 。勿 □、 心. □ 不安 而 不欲 爲 之意 。 聖學 只 以言行 爲實 地。 □□ □、見 人之 行、 聞人 之言也 。言 動則 言行 之在己 者矣 。 此 豈假 於外求 哉。 請事 斯語 、即所 謂語 之而 不惰也 。此 顏子 所以 能至聖 人處 。. - 126 -. 27.

(35) [訓読 ]. ○顔 淵 仁を 問 ふ。 子 曰く 、 克く 己礼 に復 るを仁 と為 す。 一日 克く己 礼に 復れ ば、天 下仁 に帰 る。 仁を為 す は己 に由る 。人 に由 らん や。. 凡 そ仁 を 問 ふ者 は 、皆 如 何にし て以 て之 を仁 と謂ふ べき やと 言ふ 。孔子 は則 ち必 ず仁を 為す 工夫 を以. つぶさ. て 之 に告 ぐ 。克 己 は、 旧 説以 て私 に勝 つと 為す。 恐ら くは 本旨 然らず 。克 は、 能なり 。己 は、 即ち 仁を. 為す は 己に 由 るの 己 なり 。 復は 、即ち 遠か らず して復 るの 復な り。 礼は、 則ち 仁の 曲に 尽くす 処な り。. 能く 自 ら礼 に 復る は 、乃 ち 仁を 為す 所以な り。 何ぞ 外求 を待た んや 。一 日は 、仁を 得る の日 に就 きて言. ふ。 天下 仁に 帰るは 、皆 愛す る所 の中に 帰る を謂 ふなり 。蓋 し洞 然た る八荒 、皆 我が 闥に 在りの 意な り。. 若 し 人 帰 す る を 以 て 效 を 言 へ ば 、〔 則 ち 〕 一 日 の 仁 、 豈 に 天 下 尽 く 帰 す る の 理 あ ら ん や 。 仁 を 為 す は 己. に 由 るは 、 正し く 其の 己 に〔 帰る 〕を 要むる なり 。顔 子の 志意高 遠な り。 故に 孔子己 に求 めし む。 子貢. 博 く 施す を 問 ひて 、 告ぐ る に近く 取る を以 てす るの意 と同 じ。 両つ の為仁 、上 の為 字は虚 、下 の為 字は 実な り。. 顔淵 曰 く、 請 ふ其 の 目を 問 はん 。子 曰く 、礼に 非ざ れば 視る こと勿 から ん、 礼に 非ざれ ば聴 くこ と勿 から. (水野・阿部・大場・松野). ん、 礼 に 非ざ れ ば言 ふ こと 勿 からん 、礼 に非 ざれ ば動く こと 勿か らん 。顔淵 曰く 、回 不敏 なりと 雖も 、請 ふ斯 の語 を事 とせ ん。. 『論語私存』訳注(十一). - 127 -.

(36) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 顔 淵 一た び 夫子 の 言を 聞 きて 、即 ち其の 目を 問ふ 。天 理人欲 の際 已に 判然 として 、疑 ひ問 ふ所 有るを. 待た ず と謂 ふ に非 ず 。天 理 人欲 を判つ は、 乃ち 是非 の本心 なり 。人 人能 く覚れ ば、 亦た 事とし 難き こと. 無 し 。 但 だ 顔 子 之 を 己 に 求 む る も 、〔 実 に 〕 手 を 下 す 処 〔 無 き が 〕 似 し 。〔 故 に 其 の 〕 条 目 を 請 ふ 。 工. 夫 に 〔 精 別 す る 所 有 る を 〕 欲 す る 〔 の み 〕。 勿 〔 と は 〕、 心 の 安 ん ぜ ざ る 〔 所 〕 に し て 、 為 す を 欲 せ ざ. る の 意 な り 。 聖 学 は 只 だ 言 行 を 以 て 実 地 と 為 す 。〔 視 聴 と は 〕、 人 の 行 を 見 、 人 の 言 を 聞 く な り 。 言 動. は 則 ち言 行 の己 に 在る 者 なり 。此 れ豈 に外 求を仮 らん や。 請ふ 斯の語 を事 とせ んは、 即ち 所謂 之に 語げ て惰ら ざる なり 。此れ 顔子 の能 く聖 人に至 る所 以の 処な り。 [語 釈]. 『 論 語集 注 』顔 淵篇・ 1章 に「 克は 勝なり 。己 は身 の私 欲を謂 ふな り」 とある 。. 条~. 条周辺の「克己銘」に対する朱熹の. 呂大 臨 に「克 己銘 」が あり、 その 語。 他本 に引用 され る形 で残 ってい る。. 『 易経 』復卦 ・初 爻爻 辞に 「遠か らず して 復る 。悔に 祇る こと 无し 」とあ る。. ○ 舊説 以 爲勝 私 ○ 不遠復 ○ 洞 然八 荒 、皆 在 我闥. 本 章 季 本 の 議 論 は 恐 ら く 、『 朱 子 語 類 』 巻 四 十 一 ・. 99. 批 判 、 す な わ ち 「 己 」 と 対 置 さ れ る べ き は 「 私 」 で あ り 、「 克 己 銘 」 の よ う に 「 己 」 と 「 物 」 を. 89 章。. 対 置 し て 、 そ の 差 別 を 超 越 し よ う と す る 議 論 を 、「 克 己 復 礼 」 の 解 釈 に 援 用 し て は な ら な い 、 と. 『論語 』雍 也・. いう 議論 を問 題に してい ると 思わ れる 。 ○ 子貢 問博施 而告 以近 取. 28. - 128 -. 27.

(37) ○ 非 謂天 理 人欲 之 際~ 疑 問 也. 『論 語』 子罕・. 『論 語集注 』顔 淵・ 2章に 「顔 淵は 夫子 の言を 聞き 、則 ち天 理人欲. 章。. の際 に 於い て 已に 判 然た り 。故 に復た 疑ひ 問ふ 所有 らずし て、 直ち に其 の条目 を請 ふ」 とある 。 ○語 之而 不惰 [校 異]. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 若 以 人 歸 言 效 則 」 と し た 。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 故 請 其 條 目 」 と し た 。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 似 無 實 下 手 處 」 と し た 。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 歸 於 己 也 」 と し た 。. ○ 若以人 歸言 效□ ○ □於 己也 ○似□ □下 手處 ○□ 請□條 目. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 欲 工 夫 有 所 精 別 耳 」 と. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 視 聽 者 見 人 之 行 」 と し た 。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 勿 者 心 所 不 安 」 と し た 。. ○欲工夫□□□□□ し た。 ○ 勿□ 心□不 安 ○ □□ □見 人之 行. 【二 】. (水野・阿部・大場・松野). ○仲 弓 問 仁。 子 曰、 出 門如 見 大賓、 使民 如承 大祭 。己所 不欲 、勿 施於 人。在 邦無 怨、 在家 無怨。 仲弓 曰、 雍雖 不敏 、請 事斯 語矣。. 『論語私存』訳注(十一). - 129 -. 19.

(38) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. 聖 人 與門 弟 子言 學 、未 有 不 使求之 切近 者。 至於仲 弓爲 人簡 靜。 簡則常 略。 恐於 外事 有疎。 故言 出門 、使. 民以推 廣之 。蓋 接人 之敬、 莫大 於大 賓。 承事之 祭、 莫大 於大祭 。出 門使 民如 之、則 在外 之敬 、無 少忽矣 。. □略 者 、或 不 能 曲盡 人 情。 故又 使之 盡恕 而曰、 己所 不欲 、勿 施於人 。至 於人 之有怨 、亦 惟簡 略而 忽人者. □ 之。 邦 家無 怨 、則 敬 恕之 效 也。凡 言效 者、 皆使以 自考 之辭 。在 邦以爲 大夫 言、 在家 以爲家 臣言 。〇 仲. 弓 天資 簡 靜 、雖 不 及顏 子 之剛 明、 然請事 斯語 之言 、乃 □能任 道處 。故 與顏 子同成 徳行 。此 顏冉所 以非 諸 □ 子□ □也 。 [訓読 ]. ○仲 弓 仁を 問 ふ。 子 曰く 、 門を 出で ては大 賓を 見る がご とく、 民を 使ふ には 大祭を 承く るが ごと くせよ 。. 己の 欲 せざ る 所は 、 人に 施 すこ と勿 かれ 。邦 に在り ても 怨無 く、 家に在 りて も怨 無し。 仲弓 曰く 、雍 、不 敏な りと 雖も、 請ふ 斯の 語を 事とせ ん。. 聖 人 、門 弟 子と 学 を言 ふ に、 未だ之 を切 近に 求め しめざ る者 有ら ず。 仲弓に 至り ては 、人 と為り 簡静. な り 。簡 な れ ば則 ち 常に 略 なり。 恐ら くは 外事 に於い て疎 有ら ん。 故に門 を出 で、 民を使 ふを 言ひ て以. て之 を 推広 す 。蓋 し 人に 接 する の敬 は、大 賓よ り大 なる は莫し 。事 を承 くるの 祭は 、大 祭よ り大な るは. 莫 し 。 門 を 出 で 民 を 使 ふ こ と 之 く の ご と け れ ば 、 則 ち 外 に 在 る の 敬 、 少 し も 忽 せ に す る こ と 無 し。. 〔 簡〕 略 は、 或 ひは 曲 に人 情 を尽く すこ と能 はず 。故に 又た 之を して 恕を尽 くさ しめ て曰 く、己 の欲 せ. ざ る 所は 、 人に 施 すこ と 勿れ 、と 。人 の怨有 るに 至り ても 、亦た 惟だ 簡略 にして 、人 を忽 せに する者 之. - 130 -. 27.

(39) を 〔招 〕く のみ。 邦家 怨無 きは 、則ち 敬恕 の效 なり 。凡そ 效を 言ふ は、皆 以て 自ら 考へ しむる の辞 なり 。. 邦に 在 りは 大 夫と 為 るを 以 て言 ひ、家 に在 りは 家臣 と為る を以 て言 ふ。 ○仲弓 は天 資簡 静にし て、 顔子. の剛 明 に及 ば ず と雖 も 、然 れど も請 ふ斯 の語を 事と せん の言 は、乃 ち〔 其の 〕能く 道に 任ず る処 なり。. 『 論語 集 注』顔 淵・ 2章 に「 内外怨 無き も、 亦た 其の效 を以 て之 を言ひ 、以. 故に 顔子 と同 じく徳 行を 成す 。此 れ顔冉 の諸 〔弟 〕子 の〔及 ぶ所 に〕 非ざ る所以 なり 。 [ 語釈] ○ 邦 家無 怨 ~考 之 辞. 『 論語』 先進 ・2 章に 「徳行 は顔 淵、 閔子騫 、冉 伯牛 、仲 弓」と ある 。. て自ら 考へ しむ なり」 とあ る。 ○故 與顔子 同成 徳行 [校 異]. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 簡 略 者 」 と し た 。. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 忽 人 者 招 之 」 と し た 。. ○ □略者 ○ 忽人 者□之. 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 其 能 任 道 處 」 と し た 。. (水野・阿部・大場・松野). 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ) に 従 い 「 所 以 非 諸 弟 子 所 及. ○ □能 任道 處. 也」 とし た。. ○所以非諸□子□□也. 【 三】. 『論語私存』訳注(十一). - 131 -.

(40) 論叢アジアの文化と思想. 第. 号. ○ □□□ □仁 。子 曰、 仁□□ □也 訒。 曰、 其言也 訒、 □□ 之仁矣 乎。 子曰 、爲 之難。 言之 得無 訒乎 。 心存即 是仁 。爲 之難 、正以 私欲 難去 、仁 不易存 也。 [訓 読]. ○ 〔 司 馬 牛 〕 仁 を 〔 問 ふ 〕。 子 曰 く 、 仁 〔 者 は 其 の 言 〕 や 訒 な り 。 曰 く 、 其 の 言 や 訒 、〔 斯 れ 〕 之 を 仁 と 〔謂 ふ〕 か。 子曰く 、之 を為 すこ と難し 。之 を言 ひて訒 する こと 無き を得ん や。. 『 論 語 集 注 』 他 「 斯 謂 之 仁 已 乎 」 に 作 っ て お り 、 ま た 『 四 書 私 存 』( 中 央 研 究 院. 心 存 する は 即ち 是 れ仁 な り。 之を 為すこ と難 しは 、正 に私欲 の去 り難 く、仁 の存 し易 から ざるを 以て なり。 [校 異] ○□□之仁矣乎. 中 国文哲 研究 所) も同様 であ る。. 【 四】. ○司 馬牛 問 君子 。 子 曰、 君 子不 憂不 懼。曰 、不 憂不 懼、 斯謂之 君子 矣乎 。子曰 、内 省不 疚、 夫何憂 何懼 。. 仁者 不憂 、勇者 不懼 、仁 勇即 中庸之 達德 也。 達德 得於心 、然 後不 愧屋 漏、而 内省 不疚 。此豈 人可 襲取 哉。 司馬 牛蓋 以強 排遣 者爲不 憂不 懼。 故孔 子告之 以此 。 [ 訓読 ]. - 132 -. 27.

(41) ○ 司 馬牛 君 子を 問 ふ。 子 曰く 、君 子は 憂へ ず懼れ ず。 曰く 、憂 へず懼 れず 、斯 ち之 を君子 と謂 ふか 。子 曰 く、内 に省 みて疚 しか らざ れば 、夫れ 何を か憂 へ何を か懼 れん や。. 仁者 は 憂へ ず 、 勇者 は 懼れ ず、 仁勇は 即ち 中庸 の達 徳なり 。達 徳心 に得て 、然 る後 に屋 漏に愧 ぢず し. て 、内 に 省み て 疚し か らず 。 此れ豈 に人 襲ひ て取る べけ んや 。司 馬牛は 蓋し 強ひ て排 遣する 者を 以て 憂. 『論 語』 子罕 ・. 章。. へ ず懼れ ずと 為す 。故 に孔子 之に 告ぐ るに 此れを 以て す。 [ 語釈 ] ○仁者 不憂 勇者 不懼. 『 詩経 』大 雅・抑 の章 に「 爾の 室に在 るを 相る に、尚 はく は屋 漏に 愧ぢざ れ」 とあ る。. 『 論語 集注 』顔 淵・4 章に 「晁 氏曰 く、憂 へず 懼れ ずは徳 全く して 疵無. 『孟 子』公 孫丑 上・ 2章 。. ○不 愧屋漏 ○襲 取 ○ 以強 排 遣者 爲 不 憂不 懼. 『 論 語 集 注 』 他 「 斯 謂 之 君 子 已 乎 」 に 作 っ て お り 、 ま た 『 四 書 私 存 』( 中 央 研. き に 由る 。 故に 入 ると し て自 得せ ざる は無し 。実 は憂 懼有 りて強 ひて 之を 排遣 するに 非ず 」と あ る。 [校 異] ○斯謂之君子矣乎. (水野・阿部・大場・松野). 究院 中国 文哲 研究 所)も 同様 であ る。. 『論語私存』訳注(十一). - 133 -. 28.

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