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『 論 語 私 存 』 訳 注 ( 十 二 )

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全文

(1)

『論語私存』訳注(十二)

水野 実・阿部光麿・大場一央・松野

敏之

凡例

・底本は、北

京市 国家図書館蔵『四書私存』

(明嘉靖二

十 二年刻本)を

用いた。

・原 文にお い て判読出

来 な い字は□

で表 記 し た

・書 き下しにお

い て

、『論語』本文に

お ける□は〔

〕で示した。

・書 き下し に おいて

、 季本 注における□は、

類推 でき る場合は〔

〕で 示し

、 校 異 を 附し た。

・季本『説理会編』は、清華

大 学図書館蔵明馮

継 科刻本(四庫全

書 存目叢書所

)を用い

た。

・校異および

解釈 には、

朱 湘 鈺 点校、鍾彩鈞

校訂『

四 書私 存』

( 中央 研 究院中 国 文哲研究

所、二〇

一 三 年六 月)を 参 考として用いた。

論叢 アジアの文化

号28

(2)

論語私存

卷十三

會稽季本箋釋 子路 第 十 三

【一】

○ 子 路問政。子曰

、先之

之。

請益。曰、

無 倦。

先之、以身先民也。

勞、

如勞 民勧相、

愛 之能勿 勞乎之勞

。蓋 無 教則近於禽獣。

故民 亦 不 可使 之逸居也。

蘇 氏謂凡民之

行、

以身勞之、

則 先之之 外

、尚 以何事勞邪。

[訓 読]

○子路政

を 問 ふ。子曰く

、 之に先んじ、之

を 労 す、と。益さ

ん こと を 請 ふ。曰く、倦

むことなかれ、と。

之 に先ん ずとは

、 身を 以て 民に先んずる

なり。労は、民を労し勧相し、

之 を 愛 し て は 能く労す

る こ と 勿か ら ん やの労の

ごとし。蓋

し 教無 ければ則ち禽獣

に 近 し

。故に民

も 亦 た之 をし て逸居せ

し む べか らざ るなり

。 蘇氏 謂ふ、

凡 そ民 の行は

、 身を 以て 之に労すれば、則ち

之 に先 んずるの外、尚ほ何事を

以 て 労 せん やと。

[語釈

○勞民勧相

『易経』井卦

・象伝に「君子は以

て 民 を 労し、勧相

」とある。

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

(3)

論叢 アジアの文化

号28

○愛之能勿勞乎

『論語』憲問・

8章。

○蘇 氏謂

『論語集注

』 子路・

章に「

凡 そ民の行は、身

を 以 て 之に労すれば

、則ち令せずして行 1 はる。凡

そ民 の事 は、

身を 以て 之に労すれば

、 則 ち 勤 む と 雖も 労せ ず

」と あ る。

【二】

○仲弓爲

季氏宰

、 問政

。子曰

、 先有司、赦小

過、

擧賢才。

曰、

焉知賢才而擧之。

曰、

擧爾所知。

爾 所不知

、 人其 舎 諸

。 宰本未嘗

從政

。曰 政者

主 所 與聞而言

。言 政必先於有司、

事 事不能皆備、

則當赦 其 小 過 也。

然必擧賢才以 充之、

不 擧賢 才則有司

不得其 人 而過大矣。

此 三句 皆 爲 先有司 而 發。

此以仲弓

簡靜恐其略於

庶 事

、故 告之 以 分任責成之

。○ 仲弓與聖

人用心之大小、

詳 見説 理會編卷十。

[訓 読]

○仲弓季

子 の 宰と為り、政

を 問 ふ。子曰く、有

司 を先に し、小過

を 赦 し、賢才

を 挙げよ

、 と。曰く、焉

ん ぞ賢 才を 知 りて 之 を 挙 げ ん

、 と

。曰 く

、 爾 の 知 る所を挙

げ よ

。 爾 の 知らざ る所 は

、 人其 れ 諸 を 舎 て ん や

、 と。

宰は本と未

だ 嘗 て 政に従はず

。 政と曰ふは、与

り 聞く所を

主り て言 ふ。言ふこころ

、政は必ず有司 を先に し

、事 事 皆な は 備 は る こと能 は ざ れ ば

、 則 ち 当 に 其の小過を

赦 すべき な り。然れども

必ず賢才を

(4)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

挙げ て以 て 之 を充 た す は

、 賢 才 を挙 げ ざ れ ば 則 ち 有 司 其の 人 を 得ず し て 過ち大なれ

ば なり。

此 の 三句 は 皆 な 有 司 を 先にす る 為 に して発す。此れ仲弓の

簡 静

、其の庶事を

略 す る を 恐るる を 以 て

、故に之に告 ぐるに任

を分け成るを責

む るの 要 を 以 て す。○仲弓と

聖人との心

を 用ふるの大小は、詳しくは説理会編 巻〔

七〕に見ゆ。

[語釈

○詳 見説理會編

卷十

『説 理会編

』巻 七

・ 章に

、 孔 子 と 仲 弓 の 心 術に つい て程 子 語 を引 い て 議 論 10 がさ れ て いる

[校異

]

○詳見説理會編卷

『 四 書 私 存』

(中 央研究 院 中 国文哲 研 究所

)は「

卷 七」

とし てお り、

『説 理 会編

』巻十に

もこれに関

す る議 論はな い

。 し た が っ て

、 こ こは巻 七 が正 しい もの と判断 し

、改 め た。

【三

○子 路 曰

、 衞君待子而

爲 政、

子將奚先

。子曰、

必也正 名 乎。

子路曰、

有是哉。

子之迂 哉

。奚 其 正

。子曰、

野 哉 由也

。君 子於其所不知

、蓋闕 如 也

。名 不正則言不順。

言 不順則事不成。

事 不成則禮

樂不興。

禮樂不興

則刑罰 不 中。

刑 罰不中則民無所措手

。故 君子名之、

必 可言也。

言 之

、必 可行也。

君子於其言、

無 所 苟而 已矣。

(5)

論叢 アジアの文化

号28

行能 盡實、然後爲正名。禮樂不興、

謂 以中和之

德導民、

使之興起也。

必可言、

謂言順。

必可 行、

謂事成。

名而 可成

、乃 爲 不 苟

。餘義 傳 習 録論 之 盡 矣。

[訓読

○ 子 路曰く、衛君、子

を 待 ちて政 を 為せば、子

将に奚 を か先にせん、と。

子曰く、必ずや名

を正さんか

、 と。子路

曰く、

是 れ有 るか な。子の迂なるや。奚ぞ其れ正さん、と。子曰く

、野なるかな由や。君子は其 の知らざ

る 所 に於 いて、蓋し闕如たり。名正

しからざ

れば 則ち言順はず。言順

は ざれば則ち事成

ら ず。事 成 ら ざれば則ち礼楽

興 ら ず。礼楽興らざれば則ち刑罰中らず。刑罰中らざれ

ば則ち民

手足を 措 く所無し

。 故に君子

之に名 づ くれば、必ず

言 ふ べ き なり。之

を言 へば、必

ず行ふべ

きなり。君

子 は其の 言 に於 い て

、 苟もす る 所 無 き の み、と。

能く 実を 尽 く し、

然る後

名を 正すと 為 す

。 礼 楽 興 ら ずと は

、 中 和 の 徳 を 以 て 民 を 導 き

、 之をして 興 起 せしむ る を 謂ふ なり。

必ず 言ふべしとは、言順ふを謂ふなり。

必ず行ふべしとは、

事成る を謂ふな り。名づけ

て 成るべ くんば、乃ち苟も

せずと為す。余義は

伝習録

之を 論 じ て 尽 くせ り

[語 釈

○傳習録

論之 盡

『伝 習 録

』・ 条で 王 陽 明は

『論 語集 注

』 の 胡 氏注を 批 判 し

、「 名を 正す

」とい 44 うの は、

輒が父の蒯聵に衛公の位を譲るよう頭ごなしに強要することではなく、まず輒にまごころを込

めて 仕え て輒 の心 を 感 化し

、自 然に 父を 追 放し たこ と を 恥 じて 謝罪す るよ う に して

、さ ら にそ うし た輒 の

(6)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

誠意に蒯聵も感化され、お互いに謝罪の上で輒が前非を悔いて善政を行うような流れを作ることだ、と

している。

【四】

○樊遅請學稼

。子曰、

吾不如老農

。 請 學 爲圃

。曰、吾不

如老 圃

。樊遅出。子

曰、

小人 哉樊須 也

。上 好禮則 民莫敢不

敬。上好義則民

莫 敢不 服上。好

信則民 莫 敢不用 情。夫如是、

則四方之民

襁負 其 子 而至矣。

焉 用稼

。 樊遅 欲養高不仕。故

以 稼圃爲問。非識趣卑陋者也

。孔子欲其爲大

人之 事

。故以小

人 稱之。

詳 見説理會編 巻 十 二。

孔子自 言 不如 農圃、

正 其不 可 小 知也

。以禮信爲

大 人之 事、

此 其 可大受 也

[訓 読]

○樊遅、稼

を 学 ば ん こ とを請 ふ。

子 曰く、吾

は 老 農に如 か ず

、 と。

圃 を 為る こと を学 ばん こと を請 ふ。曰

つく

く、

吾は老 圃に如かず、

。 樊 遅出づ。子曰く、

小人なるかな樊須

や。上

礼を 好 め ば 則 ち 民 敢へて 敬 せ ざる莫 し

。上 義を好めば則

ち民敢 へ て服 せ ざ る莫 し。上

信を 好 め ば則ち 民 敢へて 情 を 用 ひ ざ る 莫 し

。 夫 れ是 く の ご と く ん ば 則 ち 四 方 の 民 其の 子 を 襁負し て至ら ん。 焉ん ぞ 稼を 用 ひん

、と

。 樊遅 高 き を 養 ひて 仕へざらんと

欲す。故

に稼圃 を 以 て 問を為す。識

趣卑 陋なる者に非ず。孔子は其 の 大 人の 事 を 為 す を欲 す。

故に 小人 を 以 て之 を称 す

。 詳 し く は 説 理 会 編 巻 十 二 に 見 ゆ

。 孔 子 自 ら農 圃 に 如か ずと言 ふ は、

正しく 其 の小知すべか

らざ るなり。礼信

を 以 て 大 人の事と為すは、此れ其

の 大受すべ

(7)

論叢 アジアの文化

号28

きな り

[語釈]

○詳見説理會

十二

『説 理会編

』 巻 十 二

・ 章に

、樊遅 が稼 圃 を 学 ん だの はそ の 身 を清く す る 14 ため で あり、その識趣

は卑陋で

はない、とある。

○正 其 不 可 小 知也

『論語』衛霊公・

33章。

【五

○ 子 曰、誦詩

三百、授之以政不

達、使於

四方、不能

專對

、雖多亦奚

以 爲。

此見誦詩者非徒玩心章句、將以實

得 而致之用也。

[訓 読]

○子曰く、

詩 三百を誦す

る も

、 之 を 授くるに政

を 以 て し て 達せず、

四方に使し

、専対 す る こ と能はざれ ば、

多しと雖も亦

た奚を 以 て為 さん、と

。 此れ詩 を 誦す る 者は 徒 に心 を章句に玩

ぶ に非 ず、将に実

得 を以 て 之 を用に 致 さ ん と す る を 見 すなり。

しめ

【六】

○ 子曰、其身正不

令而行。其身不正

雖 令 不 從。

(8)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

此爲當時所令反其

所好者而發。

[訓 読]

○子曰く、

其 の身正しければ令

せずして

行はる。

其の身正しからざれ

ば 令すと雖も

従 は れ ず。

此れ 当時令する所

其の 好 む 所に 反す る 者の 為 に し て発す。

【七】

○子曰、魯

衞 之政兄弟也。

大約以其衰

弱 不能用賢圖治而言。

[訓 読]

○子曰 く、魯衛の

政は兄 弟 なり、と。

大約は其の衰

弱し て賢 を 用 ひ 治 を図 る こ と能はざる

を 以 て し て 言ふ。

【八

○子謂 衞 公子荊。善居室。始有曰

、 苟合矣。少有曰

、 苟完矣。富有曰、苟美矣。

居室、

作室 以 居也

。蓋孔子在衞

而歎之

。 以爲公子荊不以欲速

盡 美累其心、則

天資可以進道、而衞不能用 也。

(9)

論叢 アジアの文化

号28

[訓 読]

○子、衛の公子荊を謂ふ。善

く 室に 居る。始め有る

に 曰く、苟か合まる、と。少しく

有るに曰く、苟か

いさあつ

、 と。富 み て 有 るに曰く、苟

か美 し、と。

室に 居るは、室

を 作 り て以 て居 る な り。

蓋 し 孔 子 衛に在 り て 之 を 歎 く

。 以為 へらく

、 公 子荊は 速や かな ら ん と 欲 し美を 尽 くす を以 て其の 心 を 累 はさ ざれば

、 則ち天資以

て 道に 進 む べ き も、衛は

用 ふ る こ と能はず

と。

【九】

○子適衞

。 冉有僕。子曰、庶矣

哉。

冉有 曰

、 既庶矣

。 又何加焉

。曰

、富 之

。曰既 富矣。

又 何加焉

。曰、

教之

。 庶矣之嘆、見衞

國 之可爲也。然庶

而 不富、富而

不教、則亂亦由此而生。

[訓 読]

○子衛に適

。冉有僕たり。

子 曰く、庶

きかな、

と。

冉有曰く、既に庶し。又た何をか加へん、と。曰く

おほ

之 を 富まさん

、と。曰く、既に

富めり。又た何をか加へん、と。曰く

、 之 を 教へん、と。

庶し の 嘆 き は

、 衛 国 の 為 す べき を 見 す な り。

然れども

庶くして

富ま さず、

富 ませて 教 へざ れば、則ち

しめ

乱も亦た此れに由りて

生 ず

(10)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

【十】

○子曰、苟有用我者、期月而已可也。三年有成。

聖 人 之治、必先明學術正人心。期月而可

者、謂人心皆知爲

善也。各充其善而行之、三年則人人皆

服 教化。

所謂治功成也。

[訓 読

○子曰く

、 苟も 我 を 用 ふ る 者 有れば、期

月 の みにして

可なり

。 三 年 にして成

すこ と 有 ら ん

、と。

聖人の 治 は、必 ず 先 づ 学術 を明 ら かに し て人 心 を 正 す

。 期 月に し て 可 と は

、 人 心 皆 な 善 を 為す を知る を謂 ふなり

。 各 其 の 善 を 充た し て 之 を行へ ば、三年にして

則ち人人皆な教化に服

す。所謂治の

功成る な

おのおの

り。

【十一】

○子曰、善人爲

邦 百年、亦

可 以 勝 殘去殺矣。

誠 哉。

是言也。

善人德性

用事。故相

繼 百 年、

能勝 殘去殺。

然德未充盛、

不及聖人之

三 年有成也。

[訓 読]

○子曰く、善人

邦 を 為 む る こ と百年なれば、亦

た以 て 残 に勝ち殺を去

るべし。誠なるかな。是

の 言や

、 と。

(11)

論叢 アジアの文化

号28

善人 の 徳 性 事を 用ふ

。故 に 相 ひ 継 ぐこ と 百 年 に して

、 能 く 残 に 勝 ち 殺 を 去 る

。 然 れ ど も 徳 の 未 だ 充 ち盛んならざれば、聖人の

三年にして成す有るに及ばざるなり。

【十 二】

○子曰、

如 有 王者、

必 世而 後 仁

。 仁 以德澤 言。比於

三年有 成 者、澤又遠矣。親

賢樂利

□□其所而不忘前王

。此必□

□ 仁之 意也。

[訓 読]

○子曰く

、 如 し 王者 有 るも

、 必 ず世 にし て 後 に 仁なら ん

。 仁は徳沢を以て

言 ふ

。三年に比

び て 成す 有る 者は、沢

又た 遠し。

賢 に親 しみ利 を 楽 し み、

〔 各〕

其 の 所を

〔得て

〕 前王 を 忘 れず。此れ必ず〔世

に して 後に

〕 仁 な る の意なり。

[語釈]

○前 王 不 忘 元は『

詩 経』

周頌・烈文の

詩だが、文脈としては『大学章句』止

至 善章から引い

て い

ると思われる。

[校 異]

○□□

其 所

『四書私

存』

(中央 研究院中国文哲

研究所)に従

、「各得

其 所

」 とし た。

○□□仁

之 意

『四書私

存』

(中央研

究院中国文

哲 研究所)に従い

、「 世 後仁 之 意

」とし た

(12)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

【十三】

○子曰、

苟正其 身 矣、

於 從政乎何

有。

不能正其身、

如正人何。

此爲大 夫 而 發

[訓 読

○子曰く

、苟も其の身

を 正 しくすれば、

政に従 ふ に於い て 何か有 ら ん。其の身

を 正 し くする こ と能はざれ ば

、 人 を 正すを 如 何 せん、と。

此れ大夫の

為 にして発す。

【十四】

○冉 有退朝。子曰、何

晏也。對曰、

有政。子曰、其事

也。如有政、雖

不 吾以、

吾 其與 聞 之

。 呉氏曰、政事

総言 之 則 通、別言

之則大曰政、小曰事。公朝之事曰政、私

家之 事曰事。

[訓読

○冉 有 朝より 退 く。子 曰 く、何 ぞ 晏 き や。

対へ て 曰 く、

政有り、と

。 子曰く

、其れ事な

り。如し政有れ

おそ

ば、

吾を 以ひ ずと 雖 も

、 吾 其れ 之を 与り聞 か ん

、 と

もち

呉氏 曰く、政事は

之 を 総言すれば則ち通

じ、之 を 別言すれ

ば則ち大

を政と曰

ひ、小 を 事と曰ふ。

公朝

(13)

論叢 アジアの文化

号28

の事を 政 と 曰 ひ

、 私 家 の事を 事 と 曰 ふ と

。 [ 語釈

○呉氏 ] 曰~私 家之事曰事

『論語集注大

全』子路・

章に 同 文 が見 える

。 14

【十五

○定公問

。一言可以

興 邦有 諸。孔子對曰

、言不可以若是其

幾也。人之

言 曰、爲 君 難、爲臣不易。如知爲君 之難也

、 不幾 乎一言 而 興 邦 乎。曰、一言而

喪 邦有諸。孔子對曰、言不可以若是

其 幾也。人之言曰、予無樂 乎爲 君。唯 其 言而 莫予 違 也

。 如其善而

莫 之違 也、

不亦善 乎

。如不善而

莫 之違 也、

不幾 乎一言而喪

邦 乎。

言 之 善者、所以善

國。故曰

、不亦 善 乎。

以此起不善。蓋喪

邦惟在 不 善而 莫之違 也

。不幾者、疑

辭。

不□

決 言 興喪、

即 言不可若是其

幾之 意。

聖 人 辭不切追

。此 言之 所 以 無罪 而聞之 足以戒 歟。

[訓 読]

○定 公問ふ

。一言 以 て 邦 を 興 す べ き も の

、諸有りや

、と。孔子対へて曰く、言は以

て 是くのごとく其れ幾

ちか

かる べか ら ず

。 人 の言 に曰く

、 君たるは難く、臣たる

も易から

ずと。如

し 君 たるの難

きを 知れば、一言

に して 邦 を 興すに幾から

ずや、

。曰 く、一言

にして 邦 を喪ふも

の諸有りや

、と。孔子対へて

曰 く、言は以 て是くのごとく其

れ幾かる

べからず。

人の 言 に 曰 く、予

君たるを

楽 し む こ と 無 し

。 唯 だ 其 の 言ひて 予 に 違 ふ こと 莫 し と。如し其の善に

し て 之に 違 ふ こと莫 け れ ば

、 亦 た 善 か ら ず や

。 如 し不 善に し て 之 に 違 ふ こ

(14)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

と莫 けれ ば、一 言 に し て 邦 を喪ふに

幾か らず や

、 と。

言 の 善 な る者 は、国 を 善 く す る 所 以 な り

。故 に曰く、亦

た 善 か ら ず やと

。 此 れを 以て 不善を 起 こ す

。 蓋 し 邦 を喪 ふ は惟 だ 不 善に し て之に 違 ふ こと莫 きに 在り。

幾 か らず と は

、 疑 ふ の 辞 なり。

〔 敢 へ て〕

興 喪を 決言せざ

るは、

即 ち 言 は是くのごとく其

れ幾かるべからざるの

意 なり。聖人の

辞、切追せず。此

れ 言の 罪 無 く し て之 を聞 き て 以 て 戒 む る に 足る 所以 なる か。

[校異]

○不□決

言興喪

『四書私存』

(中央研

究院中国文

哲 研究所)に従い

、「不敢決

言興喪」とした。

【十六】

○葉公 問政。子曰、近者

、遠者來。

葉公在楚、必有

闢 土服 遠之 意。故告

之 以此。王

□民心 爲 本即此 意 也。

[訓 読]

○葉 公 政を問ふ。子曰く

、近 き 者悦べば、遠

き 者来た る

、と。

葉公 楚に在り

て、必 ず 土 を 闢 き 遠 き を 服 すの 意有 り。故に之に告

ぐ るに此れ

を以 てす

。王 道は 民心 を

〔以 て

〕本と為すとは

、即ち此の意なり。

[校異]

(15)

論叢 アジアの文化

号28

○王 道□

民心 爲本

『四書私

存』

(中央研究

院 中国文哲研究所)

に従 い、

「王道以民心

為 本

」 と し た。

【十 七】

○子夏 爲 莒 父 宰問 政

。 子曰、

無 欲速、

無 見小 利。

欲速則 不達

、 見小 利則大事

不成

。 急近 功、

則無 悠久之器度

。 見 小 利

、 則無博 厚 之 規 模

[訓 読]

○子夏

莒父の 宰 と 為 り て 政 を 問ふ。

子 曰く、

速 やかな ら んと 欲 す る こ と無 く、

小利 を見る こ と無 か れ

。 速や かならんと欲

すれば 則 ち達せず、小利

を 見れば則ち大事成

らず、と。

近功を 急 げば、

則 ち悠 久の器度無

。小 利 を 見れば、

則ち 博厚の規模無

し。

【十八】

○葉公語

孔子曰、

吾黨有直

躬者。其父

攘 羊而子證

。孔 子 曰、吾黨之

直 者異於是。父

爲子 隱、

子爲 父隱

。 直在 其 中 矣

。 直只是 理 之順自然、而無

囘曲處

。證父 攘羊

、則 於 理 不順。

其 心 安 乎。

[訓 読]

(16)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

○葉公

孔 子 に語りて曰く、吾

が党に直躬なる者有

。 其 の父 羊を 攘 み て 子 之を 証す

、 と

。孔子 曰 く、

吾が 党 の 直な る者は是れ

に 異なれり。

父 は子 の 為 に隠 し、子は父の

為に隠す。直は其の中に

在 り、と。

直は只だ是れ理の自然に順

ひて、回曲の処無

し。父の

羊 を 攘 む を証するは、則ち

理に於 い て順はず。

其の 心 安 らかな ら んや

【十九】

○樊遅問

仁。子 曰

、居 處 恭、

執 事 敬、與 人忠、雖

之夷 狄、不可棄

。 日用工夫惟私居

、 應事

、接人三者而

已。恭 敬 忠、皆擇善也。之

夷狄不可棄、固

執 也。○胡氏以樊遅問仁 者三、此最先

。先難次之。愛人

最後。愚竊以先難爲先、而此當次之也。

詳見説理會編

十二。

【訓 読】

○樊遅

仁 を 問ふ

。 子 曰く、居処す

るに 恭、事を執りて敬、人と与はりて忠なれば、夷狄に之

くと雖も

、 棄つべからざ

るなり、と。

日用の工夫は

惟 だ私 居、応事、接人の

三者の み

。恭、敬、忠は

、 皆な善を

択ぶなり

。夷狄に之くとも 棄つべから

ず とは、固

執 す るなり。

○胡氏以

へらく、樊

遅 仁 を 問 ふ 者三、此

れ最も先

なり。難

きを 先 に す る は 之に次ぐ。人

を愛するは最も後なり

と。愚窃かに以へ

らく、難

きを 先に する を以 て 先 と為し て

、 此れは当

に之に次ぐべしと

。詳しくは説理会編

巻 十二に見ゆ。

(17)

論叢 アジアの文化

号28

[語釈]

○胡氏以樊遅

『論語集注』子路・

19章。

○先難次之

『論語

』子張

・ 章に「

子 游 曰 く、吾 が 友張 や、

能 く 難 き を為すな

り、然 り 而し て未 13 だ仁 な ら ず、と」

とあ る

○愛人 最 後

『論語』顔

・ 章「

樊 遅 仁 を 問 ふ

。子曰く、人

を愛 す、と」とある。

22

○詳 見説理會

編 卷十二

『説理会編

』子路・

章に

、樊 遅の「

難 き を 先に す

」 に 関 する 議 論 が あ る

。 14

【二十】

○子貢 問 曰、

何如 斯可謂 之 士矣。子曰、行己

有恥、使於四方不辱君命、可謂士矣。

曰、敢問其次。曰、宗

稱 孝 焉、

鄕黨稱弟焉。

曰、

敢問其次。

、言必信、

行 必果、

硜 硜 然 小 人 哉。

抑亦 可以爲次矣。

曰、

今之從政者 何如。

子曰、

□斗筲人、

何 足算也

。 行 己 有 恥

、而 使不辱 命

、此 才德兼全

之君子也。宗族稱孝、鄕

黨 稱弟、此善

人也。但

比 之父 母兄弟、

子騫 之 孝

、而 人 無間 言 者尚 不 及耳

。言 行 硜 硜 有恒者 也

、皆 無僞 心。

故謂 之士。

斗 筲 之 人謂 計小 利也。

則 不 可以 言士 矣。

此 章 人品 次第、

詳 見説理會編卷十二。

【訓 読

○子貢問ひて

曰く、何如な

れば斯れ之

を 士と謂ふべ

き や、

と。子曰く、己

を 行 ひ て 恥 有り、四方に使し

(18)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

君命を辱めざるは

、士と 謂ふべし、と。曰く、敢

へて 其の次 を 問ふ、と。曰く、宗族

孝を称し

、 郷 党

を称 す、と。

曰く、敢へて

其の次 を 問ふ、と。曰く

、言 必ず 信、行必ず果、

硜硜然た

る 小 人 か な

。抑 亦 た

そもそも

以て 次 と 為 す べし

、と

。曰

、今

の政

に従

ふ 者 は 何 如

、と

。子

曰 く

、 〔 噫

、〕

斗 筲

の人

、何

ぞ 算 ふ

るに

足 ら

んや

と。

己を 行 ひ て 恥 有り て

、 命 を 辱めざ る は

、 此 れ 才徳 兼 全 の君 子 な り

。 宗族 孝を 称し

、 郷 党 弟を 称 す る は、此 れ 善 人 なり。

但 だ之 を 父 母 兄 弟に比す

るに、

閔子騫の

孝に して

、人 間言す るこ と 無き 者、

尚ほ 及ば ざる のみ

。言 行硜硜と

して 恒 有 る 者 は、 皆な 偽心 無し

。故 に 之 を 士 と 謂 ふ。 斗筲 の人は

、小 利を 計る を 謂ふ な

り。則ち以て士と言ふべからず。此の章の人品の次第、詳しくは説理会編巻十二に見ゆ。

[語釈]

○父 母 兄弟閔 子 騫

、稱 閔子騫 之 孝、

而 人 無間言

『論語』先進・

4章。

○詳 見 説 理 會 編卷 十二

『 論 語私 存』

巻 十 二 の 全篇 にわ た っ て

、 孔門の弟子について

品 評 して いる こと を指 すか。

[校異

○□

斗筲人

『論語』に基づいて

「 噫斗筲 人

」とし た

【二十一】

(19)

論叢 アジアの文化

号28

○子曰、

不 得 中行而與之

、 必狂 狷乎。狂者

進取

、 狷者有 所 不 爲 也

。 中行狂 狷

、詳見説理

會 編卷十二。

[訓読

○ 子曰く、中

行 を 得 て 之に与せざ

れ ば、必ずや狂

狷 か

。狂者は進取、狷者は

為 さ ざる 所有 るなり、と。

中行狂 狷

、詳しくは説理会編巻十二に見ゆ。

[語釈]

○詳見説

理會編巻

十二 未詳

【二十二】

○子曰

、 南人有 言

。曰、人而

無 恒、不可以作

巫 醫。

善 夫

。不 恒其德、

或承之羞。

子 曰、

不占而 已 矣。

南人之 言

、本 即 巫 醫以言有

恒。

孔子善之

、則主人當有

恒而言矣。

玩其占也。

不 占則不 能驗之於心矣

[訓 読]

○子 曰く

、 南 人 言 有り

。曰く

、 人にして

恒 無 け れ ば

、 以て 巫 医 を 作 す べ から ずと

。善き か な。其 の 徳を 恒 に せ ざれ ば、

或 いは之 が羞 を承く

、 と。子曰く、

占 は ざるのみ

、と。

南人の言、本と巫医に

即 きて 以 て 恒 有りと 言 ふ。孔 子 之を 善 し と す る は、

則 ち 人当 に 恒 有 るべき を 主として言ふなり。占は、

其の 占いを 玩 ぶなり

。 占はざれば則ち之

を 心 に験する

こと能はず。

(20)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

[語釈]

○不恒其德、或承之

『易経』恒卦

・三爻爻辞。

【二 十三】

○ 子 曰、君子和

而 不同。小人同

而不 和。

厚齋馮氏

曰、

和、

如和 羹異味而

相調爲一也。同、如雷同

隨聲而 無分別 也

。和與 同 近 似而公 私 不 同

。如 比 周驕泰之

類。

夫子故辨

之。

其説得之矣。

[訓 読]

○子曰く、君子は和して同ぜず。小

人は同 じ て 和せず、と。

厚 斎 馮氏 曰く

、 和 は、

和 羹 の味を 異 にして

、 相 ひ 調ひ て一と為

る が ごとき な り

。 同は、

雷 同 声に 随 ひ て

、 分 別 無 き が ご と き な り。和と同と

は近似し

て 公 私 同 じから ず

。 比周、

驕 泰 の類 の ご とし。

夫子 故よ り之 を弁 ず、と

。 其の説

之を得たり。 もと

[語 釈

○厚 齋馮 氏曰

『論語集注大全』子路・

章に同 文 がある

。 23

○比 周

『論語』為政・

章に「

子 曰 く

、君 子は 周 し て比 せず

、 小 人 は 比 し て周せ ず

、 と

」 と ある

。 14

○驕 泰

『論語』子

・ 章 に

「子曰く、君子は泰にして

驕なら ず

、小人は驕りて

泰 な ら ず、と」

26

(21)

論叢 アジアの文化

号28

とある。

【二十四

○子貢問

曰、鄕 人 皆好 之何如

。 子曰

、未可也。鄕人皆

惡之何如。子曰、未可也。不如鄕人之

善 者好之、其

不善者惡之。

此 章 問答皆以求知善人

。 勉齋黄氏曰、不以鄕人

皆好皆 惡 而定其人

之 賢

、必 取□□

□ 之 好、不 善 者之 惡。蓋善者循理。故所好者如

己之循理者也。不

善 者徇 欲。故所惡者

必不如己之欲者也

。此其所以爲賢也。

其説 得之

[訓 読]

○子貢 問 ひて曰く、郷人

皆 な之 を好めば何如

、と。子曰く、未

だ可な ら ず、と。郷

人 皆 な 之 を 悪めば 何 如、

と。子曰

く、未だ可な

らず

。郷人の

善者は之

を好み、其の不

善 者 は 之 を 悪 む に如かず

、と。

此 の 章 の 問答は

、 皆な 善人 を知 らん こと を 求 むる を以 て言ふ

。 勉斎 黄氏曰く、郷

人皆 な好み

、 皆 な 悪 むを以てし

、其の人の

賢を定め

、必ず 善〔者〕の

好み

、不 善者の悪

むを取〔決

〕 す。蓋 し 善者は理 に循 ふ

。 故に好 む 所の者 は 己の理に

循 ふがごと

き 者なり

。 不善者は欲に徇

。故に悪

む所の者

は必ず己 の欲の ごとくならざる者

なり。此れ其の賢と

為す所以なり、と。其の説

之を 得 た り

[語釈]

(22)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

○勉齋黄氏曰~此

其所以爲賢也

『論 語 集 注 大 全

』 子 路

・ 章に同 文 があ る

。 24

[校異]

○必 取□□

□之 好

『四書私

存』

( 中 央研 究院 中国文哲研

究室)に従い

、「 必 取決 於 善 者之好」

とした。

【二十五

○子曰

、 君子 易事而 難 説也

。 説 之不以道、不説也。及其使人也、

器 之。小 人 難 事 而易 説也。

説 之雖不以道 説 也。及其使人也、求備焉。

厚齋 馮氏曰、君子小

、蓋指當時卿大

夫 之得政者而言。集註公

恕私刻 之 説盡 之矣。

[訓 読]

○子曰く、

君 子は事へ易くして説

ば せ難 し。之 を説 ば すに 道を以 て せざれば、説

ばざる な り。其の人

を 使 ふ に 及びてや、

之 を 器 にす

。小 人は事 へ 難くして

説ば せ 易 し

。 之を 説ばす に 道を 以て せずと雖

も 説 ぶ な り。

其の人を

使ふに及びて

や、備は

ら ん こ と を 求 む

、 と。

厚斎馮氏曰く

、君子小人は、蓋し当

時の卿大夫の

政 を 得る者 を 指 し て言ふ と

。集註の

公に し て恕、私 にして刻

の説 之を 尽く す

[語釈]

(23)

論叢 アジアの文化

号28

○厚齋馮

氏曰~蓋

指當時卿

大夫之 得 政者而言

『論語集

注大全』子路・

章に同 文 がある

。 25

○集 註公恕 私刻之 説

『論 語集注』子路・

章 に

「君子 之 心は、公

にして 恕

、小 人 の 心は、私

にし 25 て刻。天理人欲の間は、毎

に相ひ 反 す る のみ」とあ

【二十 六

○子曰、君子泰而不驕。小

人驕而 不 泰。

驕與 泰相似。皆疎散不拘之意。但君子與物同體。□其

疎散爲泰。小

人幹 己自高。故其

疎散爲 驕

。此以

□泰分言

。大學言

驕 泰以 失 之。以 泰 從 驕

、則 泰亦驕而

已 矣。

[訓 読]

○子曰 く、君子は泰に

し て 驕ならず。小人は

驕に して 泰ならず

、と。

驕と泰と相

ひ 似る。皆な疎散して拘まざるの

意なり。

但だ君子は物と同体

なり。

〔故に〕其の疎

散 は

なづ

泰と 為 る

。 小 人は己を幹して

自 ら高 ぶる

。 故 に 其 の疎 散は驕 と 為る

。此れ〔驕

〕泰 を 以 て 分 け て言 ふ。

大学は驕泰以て

之 を 失 ふと言ふ

。泰を 以 て 驕 に従へば、則ち泰も亦

た驕な る のみ。

[語釈]

○大學言驕

泰 以失之

『大学 章 句』伝 十 章に「

是 の 故 に 君 子に 大 道あり。必

ず忠信 以 て之 を得、驕 泰以て 之 を 失 ふ

」 とある。

(24)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

[校異]

○□

其疎 散爲泰

『 論 語私 存』

(中央研究院中国文哲研究室

) に従い

、「故其疎散爲泰」と

し た。

○此以

□ 泰分言

『 論 語私存

』( 中 央研究院中国文哲研究室)に従い

、「 此 以驕泰分言」と

し た。

【二十 七

○子曰、

剛 毅 木 訥

、 近 仁。

此言其質

近仁。於

求仁爲易耳

。若柔惰華辯之人

、則用力爲難矣。

[訓 読]

○子 曰く、剛毅木訥、仁

に 近 し

、と。

此れ 其の 質 仁に近 き を言ふ。仁

を 求 む るに於い

て 易 しと為す

の み

。柔惰華弁の人のごとき

、則ち 力を 用ふ るを 難しと 為 す

【二十八

○子路問曰、

何如斯可謂

之 士矣。

子 曰、切切

偲偲

、怡怡如也

。可謂士矣。

朋 友切切偲偲、

兄弟怡 怡

。 子路 剛強、未

免粗 暴。故告之以此。

[訓 読]

(25)

論叢 アジアの文化

号28

○子 路問 ひて曰 く、

何 如 な れば 斯 れ 之 を 士 と 謂 ふ べ き

、 と

。子 曰 く、

切 切 偲 偲

、怡 怡如た り

。士と 謂 ふ べし

。 朋友に は切切 偲偲、

兄 弟 には 怡怡た り

、と

子路 の剛 強、未 だ 粗暴を 免 れ ず

。故 に 之 に告ぐ る に此れを以て

【二十九

○子曰、善

人 教民 七年、亦

可以即 戎矣。

教民 者、教以孝弟

忠信 之行、使知親上死長之

。如此、然後

可以即戎。孟子言

壮者以暇日修其孝弟

忠 信、入以事

其 父 兄

、出以事其長

上、可使制

梃 以撻 秦楚之堅甲利

兵、亦 是 此意。謂之制

梃可撻則務農講武、

以 習 坐 作 進退之方、亦其末耳。苟無

尊上死長之

心、則 雖有武技

亦不 效死

、驅 之 以 殉

將焉用之。

善 人德 性 用 事。

故 其 教人 未 能速化、

必 至七年之久

、乃始可用此。

豈 以 武技 爲重哉。

聖人 於 即 戎毎言教民

亦爲 後 世 有 以不教民戰而棄之者。

故諄諄示戒也。

[訓 読]

○子曰く

、善人

民 を 教 ふ る こ と七年、亦た

以 て戎に即

くべし、と。

民を 教 ふ る者 は、

教ふ る に 孝 弟 忠 信の行を

以 て し

、 上 に親し み 長 に死 す るの義を

知ら しむ

。 此 く のご と く し て

、 然 る後 以て 戎 に 即く べし

。孟 子

、 壮者 は暇 日を 以て 其の孝 弟 忠 信 を 修 め、入りて

は 以て 其 の 父兄 に事 へ

、 出で て は 以 て 其 の 長 上 に事ふ れ ば

、 梃を 制げて 以 て 秦 楚 の 堅甲 利兵を 撻 た しむ べし と 言ふ

ひつ

(26)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

も、

亦た此 の 意な り。

之 を 梃 を 制 げ て 撻 つ べ く ん ば 則 ち農 に 務 め 武 を講 じ

、 以 て 坐 作 進 退 の 方 を 習 ふ と 謂ふは、

亦た其の

末なるのみ

。 苟 も 上 を 尊び 長に 死するの

心 無 けれ ば、則 ち武 技有 り と 雖 も亦た 死 を

さず

、之 を 駆 り て以 て殉 ぜ しむ るも

将た 焉ん ぞ 之 を 用 ひん

。善 人は 徳性も て事を 用ふ

。故に 其の 人 を 教 へて 未だ 速やか に 化せ しむ るこ と 能 は ず

、必 ず七 年 の久し き に至 り て、 乃ち 始 め て此 れ を 用 ふ べし

。豈 に 武 技を 以

て重

し と 為 さ

んや

。聖

人 戎に 即く に於い て、 毎 に民 を 教 ふる を 言ふ は

亦た 後 世 に教 へざ るの 民 を 以 て戦は し めて 之 を 棄つ る者 有 り と 為 せば な り

。故 に 諄 諄と して 戒を 示 す な り

[語釈]

○孟子言壮者

『孟子』梁恵王

・ 5章。

以不教民戰

而 棄之

『論語』

子路・

30章。

【三十】

○子曰、以

不教民戰、是謂棄之。

此 與 上章意 同

。故類記之。呉氏

之 説以教 民 非謂 教戰。得聖人之意矣。

[訓 読]

○子曰く、教へ

ざ るの民 を 以 て 戦ふ、是れ之

を棄つと

謂ふ、と。

此 れ 上 章 の意と同じ。

故 に 之 を類 記 す。

呉 氏 の説

、民 を教 ふる を以 て、

戦 を 教 ふ と 謂 ふに 非 ず と

。 聖

(27)

論叢 アジアの文化

号28

人の 意を得たり。

[語釈]

○呉氏 之 説

『論語集注大全』子路・

章で

、呉氏 は

『 白 虎 通

』を 引いて 右 の議論を

して い る

。 30 論語私

存 卷十三終

(28)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

論語私存

卷十四

會稽季本箋釋

憲問第十四

【一

】 憲 問 恥。子曰、邦

有道穀。邦無道穀

、恥也。

此與 泰伯篇 邦 有道 貧且 賤焉恥 也

、 邦無道富且貴焉恥

也意不同。蓋彼以可仕不可仕而言、此以已仕食

祿 者 而言

。邦有道而

食 祿、

則當行道濟

。邦無 道而食祿

、則當撥亂反正。若

但知食祿、皆可恥

也。見人當有 經濟之略、不可安靜無爲而

已。二 語 平出、未

見其 有偏重也。

[訓 読]

憲、

恥を問ふ

。子曰く、

邦 に道 有れば 穀 す

。 邦に道 無 き に 穀す るは、

恥 なり、と

。 此 れ 泰 伯 篇の 邦に 道 有るに 貧しく且つ

賤 しき は恥な り、邦に

道 無 き に 富 み且つ貴

き は恥な りの 意と同 じ か ら ず

。蓋し彼は仕

ふべ きと仕 ふべ か ら ざる と を以 てし て言 ひ、此は已

に 仕 へ て禄 を食 む者 を以 て し て 言 ふ

。 邦に道 有 りて 禄 を 食む は、則ち

当 に 道を 行ひ て 時を 済 ふべし

。 邦 に道 無くして

禄を 食む は、則

すく

ち当に乱

を 撥 きて 正に 反すべ し

。但だ祿

を食 む を 知る がごと き は

、 皆 な恥づべ

きなり

。人

、当に経済の 略有るべ

く、安静無

為 なる べからざる

を 見 す の み

。二語、平出する

も、未だ其の偏重有る

を 見 ざるなり

しめ

(29)

論叢 アジアの文化

号28

[語釈]

◯泰伯篇

邦 有道 貧且賤焉恥也、邦無道富且貴焉恥也

『論 語

』 泰 伯 篇

・ 章(本訳注(八)

)参照。

13

○經濟

経 世 済 民

。 世 の 中 を治 め

、 人 民 の 苦 しみ を救 う こ と

【二

◯ 克 伐怨欲不

行焉

、可以爲仁矣。子

、可以爲難矣。仁

則吾不 知 也。

克伐 怨 欲不 行

、義 襲而 有所 正助也。故其工

夫 爲難。

在 初學論 之

、則亦先難之事

。至其久而

有 得、天理 流行

、然後 可 以 爲 仁矣

。但用 力 於 難

、亦所 難 得。故曰、可以爲難矣。四者雖非拔去病

根之 事、然一

有所 覺、則本體

呈 露、即可以去病

根 也

[訓 読]

◯克

、伐、

、 欲

、行な は れ ざ る、以て

仁と為すべし

。子曰く、以

て 難 しと為す

べし

。仁は則ち

、知ら ざる なり、

と。

克、伐

、怨、

、行 はれざ る は、

義襲 ひて 正助す る 所有ればなり。故に

其 の工 夫、難しと為す。初学 に 在 りて 之 を 論ずれば、

則 ち亦た難

きを 先と するの 事 なり。其の

久 しくするに至り

て 得る有り、天理流 行し、

然 る 後 に以て 仁 と 為 すべし。但だ力

を 難 き に用ふ る も、亦た得難

き 所 なり。故に曰く、以て

難し と為 すべし と

。四 者は、病根

を 抜去するの

事 に非 ずと雖ども、然れ

ども一に覚る

所有れ ば、則ち本体呈

(30)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

露し、即ち以て

病根 を 去 るべ き なり。

[語釈]

◯義 襲 而 有所 正助

『孟子

』公孫丑上・2

章 に

「是れ集義

の 生ずる所

の者にして、義

襲 ひて 之 を 取

るに非ざるな

……

必ず事とする有り

て 正 する こと勿かれ、心

に 忘るる こ と勿かれ

、助長する

と勿か れ

」とある。

【三

◯ 子曰、士而

懷居、不

足以爲士矣。

懷居、與小

人 懷土相 似

。意溺安居、則

無 有爲 之志、故

不足爲士

[訓 読]

◯子曰く、士

にして 居 を 懐 ふ は、以て

士 と為すに足ら

ず、と。

居を懐 ふ は、小人の

土 を懐 ふと相 ひ 似た り

。 意 安居 に溺 る る は、

則ち 有為 の志 無し、故

に士 と為 す

に足らず。

【四

◯子 曰

、 邦 有 道

、 危 言 危 行

。 邦 無道

、 危 行 言 孫

(31)

論叢 アジアの文化

号28

雙 峰 饒 氏曰、行無

時而不危。

所 謂國 有 道、不 變塞焉

、國 無 道、至死不

。 言、有 時而或遜

。 所 謂國有 道、

其言足以興、國無

、其默足以容。引

証 可 謂 明切矣。

[訓読

◯子 曰く

、 邦 に道 有れば

、 言を 危くし 行 を 危くす

。邦に道

無け れば

、 行 を 危くし言

は孫ふ、と

した

双峰饒氏曰

く、行

、時と し て 危 くせざる

こと無 し

。所謂国に

道 有 れ ば、塞を

変ぜず、

国に 道 無 ければ、

死に至る

ま で 変ぜず。言と

は、時として或い

は遜 ふ有 り。所謂国に

道 有れば、其の

言、以 て 興すに足り

、 国に 道無 ければ、其の

黙、以 て 容るるに

足る、

と。引証、明切と謂

ふべし。

[語釈]

◯雙峰 饒 氏曰

~其默足以容

『論語集註大全』憲問篇・4章

に同文が

見 え る。

○所 謂國有 道

、不 變塞焉

、 國無 道、

至 死 不 變

『中庸』に「

故に君子は和し

て 流れず、強なる

か な 矯た り

。 中 立 し て 倚 ら ず

、強 な る か な 矯 た り

。 国 に道 有れば塞を

変 ぜ ず

、 強 な るか な 矯 た り

。 国 に道 無け れば死 に至るまで

変 ぜ ず、

強な るか な 矯 たり

」とあ る

【五】

◯ 子 曰、

有德者必有言

。 有 言 者 不必有德。

仁 者必有勇

。 勇 者不必有仁。

有德 者 主 於 默 成

、 不尚言 辭

、 然 未 有 無言 之德

、故曰 必 有言

。若 有言者、

則 不 必其 皆有德也。

仁者 主 於退

(32)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

讓、不尚勇力、然

未有無勇之仁、故

曰必有勇。若有勇

者、

則 不 必其 皆 有 仁也

。 當 時 人 所 尚 者

、 惟言 與 勇

、 故發此論。◯

孟子言不動心、分知言養勇

爲二目、蓋本於

[訓読

◯子曰く

、徳有 る 者は 必ず言 有 り。

言有る者は必ずし

も徳有 ら ず。仁者は

必 ず勇有り。勇者

は 必ずしも仁

有らず、と。

徳有る 者 は黙成 を 主 と し、言辞

を尚ばず

、然 れども未だ無

言の 徳有 らず、故に

必 ず 言 有 り と曰 ふ

。 言 有る者の

ごと きは、則ち必

ずし も其れ皆

な徳有 らざ る なり。仁

者は 退 譲 を主 とし、勇力

を尚ばず、然

れ ども 未だ勇 無 き の 仁有ら ず、

故 に 必 ず勇有りと曰ふ。

勇有る者のごときは、則ち必ずしも其れ皆な仁有 らざる な り。

当 時、人の

尚 ぶ所の 者 は、惟 だ 言と勇 と のみ

、故に此の

論 を発す。◯

孟 子、

不動心 と 言 ひ

、 言を 知 る と 勇 を養ふとを

分 けて 二 目と為すは、蓋し

此 に本づくなり。

[語釈]

◯孟子言

不 動 心、分 知 言、養 勇 爲二目

『孟 子』公孫

丑上・

2 章で は

、「不動心

」 に ついて 二つの 観点から論じる

。「不動心に

道 有る か」

との 問いに対し

、 孟子 は「

北宮黝 の勇 を 養ふや

」「 孟 施 舍 の勇 を 養ふ所 や

」と述べ

て 北 宮黝と孟施舍

の勇を 例示し、さ

ら に 問答が告子と孟子の「

不動

ゆう

心」に 及 ぶと、そのなか

「我 言を 知る、我

善く浩然の気

を養ふ」と説

い て いった。

(33)

論叢 アジアの文化

号28

【六】

◯南 宮适問 於孔子 曰、

羿善射

、 奡盪舟、俱不得其死然。禹稷躬稼

而 有 天 下。夫子不答。南

宮适出。子曰、

君 子 哉若人

、 尚德哉若人。

治天下 之 道、

不外乎 教 民 稼 穡、使得以厚其生

而 已

。此即爲政以

德之首務也。故曰、

尚 德哉若人。惟

成 德 之君子、

然後能尚德。

[訓 読]

◯ 南 宮适

、孔子に

問ふ て曰く、羿は

射 を善 く し

、奡 は 舟 を盪 かす、倶に

其の 死 を得 ざる こと然 り

。 禹

、 稷

くわごううご

は躬 ら 稼し て 天下を有

つ、と。夫

、答 へず。南

宮适 出づ。

子曰く、

君子なるか

な若くの

ごとき 人

、 徳

を尚 べる かな若くの

ご と き 人

、 と。

天下 を治 むる の 道 は

、 民に稼 穡 を教 へ

、 以 て其 の 生 を厚 く する を得 し む る に 外 な らざ る の み

。 此 れ 即 ち政 を為すに

徳を以てするの首

めの 務め なり。

故 に 曰 く、

徳 を尚べる

か な若 くの ごと き人 と。惟 れ 成徳 の君子 に して

、 然 る後に能く徳を

尚 ぶ。

【七

◯ 子 曰、君子而不仁者

有矣夫。未

有 小 人 而 仁 者也。

顏子違 仁 於三月之後、亦是微有不仁者間之。此

章深惜小人之失其本心也。

(34)

『論語

訳注

(十 二)

(水野

阿部

・大 場・松野)

[訓 読]

◯ 子 曰く、

君 子に し て 不仁 な る 者有 らんか。未

だ 小人に し て 仁 なる 者有 らざる な り。

顔子、

仁 を三 月 の 後 に 違ふ は、亦た是れ微か

に不仁者の之

を 間 つ る こ と 有 ら ん。此の章、

深く小 人 の

へだ

其の 本心 を失 する を惜 し む なり。

[語釈

○顏 子違仁 於 三月 之後

『論語』雍也篇・5章に

「 子曰く、回や其の心、三月仁に違は

ず。其の余 は則 ち日 月に 至るのみ」

とあ る

【八

◯ 子 曰

、 愛之

、能勿勞乎

。 忠焉

、能勿誨乎。

能勿、猶言可不也。蓋

凡人之 愛 子、不 勞 則不能使之

成 人

、 臣之 忠君、不

誨則 不能使之

成德。故以

不 勞不 誨爲不可也。世固

有 愛 而 不 勞、忠而

不 誨 者、故言此以明忠

愛之道當然耳。

[訓読

◯ 子 曰く、

之 を 愛して は、

能く労す

る こ と勿から

んや。忠にして

、 能く 誨ふ る こ と勿からんや、と。

おし

能勿は

、 猶 ほ 可不 と言ふ が ごとし。蓋

し 凡 そ 人の子を

愛 す るや、労せざれば則ち

之 を して 人と 成らし む る 能はず

、臣の君に忠

たるは、誨へざれば則ち之

をして 徳 を成 さ し む る能はず。故に

労せずと誨へざ

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