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津阪東陽『杜律詳解』訳注稿(十四)

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(1)

椙山女学園大学

津阪東陽『杜律詳解』訳注稿(十四)

著者

二宮 俊博

雑誌名

文化情報学部紀要

12

ページ

127-167

発行年

2013-03-31

URL

http://id.nii.ac.jp/1454/00002532/

(2)

    騰灘

   鍵嚢

 鞭鎌

津阪東陽﹃杜律詳解﹄訳注稿

二宮俊博

 本稿には、津阪東陽﹃杜律詳解﹄巻下の﹁即事﹂︵天畔群山孤亭︶

詩から﹁留別公安大易沙門﹂詩までを収める。原文の﹁メ﹂は﹁シ

テ﹂に、﹁コ﹂は﹁コト﹂に、﹁荘しは﹁トモ﹂に、﹁寸﹂は﹁トキ﹂

にそれぞれ改めた。明らかに訓点が脱落していると思われる箇所に

は、これを補った。また詩句の左傍に所々附されている和訓は、※

をつけて改行して示した。書き下し文は、紙幅の都合で省略する。

なお、詩題の上には便宜的に通し番号を施した。

  聡即事︵高慢群山孤料亭︶

  廻暮帰

  鵬九日二首︵其こ

  16︵其二︶[登高]   ユ

  m送塚口秘書貝取相公幕

  聡冬至

  ㎜舎弟観覧藍田取妻子到江陵喜寄三首︵其こ

  ㎜︵其三

  21︵其三︶.   ユ

  m人日

  鵬多病執熱還元李尚書

以又作此奉衛王

伽公安送大曲少府匡賛

燭留別公安大詔沙門

ヨ ー部事 壌      ぐ エ   案コ。二公、年譜↓、大暦二年春、去二墓府.西閣↓、遷。居赤塗∼。三  月溝⋮濃酉∼。秋遷二払腰.∼、未レ幾ナ一.復蹄⋮濃酉∼。皆墓,屡邑。童詩       ハぱユ  禰ユルハ孤草亭↓、即湊西.草堂。是至要零細屯一復臨レ湊。時.作也。 ︵注1︶ 宇都宮趣庵の増広本に挙げる明・単復の年譜。時に杜甫五十六歳。近    人宋開玉﹃杜詩釈地駈︵上海古籍出版社、二〇〇四年︶によれば、赤甲は    重慶市奉節県の東、嬰塘峡墓門の北岸にあり、漢酉は今の重慶市奉節県    臥龍山下。東屯は赤甲山の東、白塩山︵今の赤甲山︶以北にある。 ︵注2︶ 郡傅﹃集解﹄に首句の﹁孤草亭﹂の下に門灘西の草堂しと注する。ま    た郡宝﹃集註﹄︵巻二十二、述懐類︶、蘇益﹃分類臨︵巻一、述懐︶および    顧震﹃註解﹄にも﹁草亭は、濃酒の草堂なりしと。﹃分類﹄﹃註解臨は、    宇都宮趣庵の増広本にも挙げる。

公の年譜を案ずるに、大暦二年︵七六七︶の春、嚢府の西閣を去り、

遷って赤甲に居した。三月、濃西に遷る。秋、東屯に遷り、ほどな

く再び濃西に帰った。いずれも肇州の属邑。この詩に︿孤草亭﹀と

127

文化情報学部紀要,第12巻,2012年,127−167頁

(3)

二宮俊博/門門東陽罪門門詳解譲訳注稿

称しているのは、とりもなおさず濃西の草堂。これは秋に東屯より

再び濃に帰った時の作である。 天塚.五山孤絶亭  江中.風浪雨回避       ︵注3︶       ︵注4︶  高山接けテ天二、重墾團続シ、而一草亭一二其問∼。又値二江中風浪淘  湧シ、雲雨冥堂ハトシテ書三三、三三寂何如.哉。 ︵注3︶ 顧震﹃註解﹄に﹁衆山斗に際し、而して一草亭其の間に在り﹂と。宇    都宮趣庵の増広本にも挙げる。        あ ︵注4︶ 顧震﹃註解隔に︵注3︶に挙げた箇所に続けて﹁又た江申の風浪に値    ふ、其の薫愁知る可し﹂と。宇都宮遜庵の増広本にも挙げる。 高き︿山﹀々が︿天﹀に接し、幾重にもひしひしと取り囲み、︿草亭﹀

がぽつんとひとつそこにある。その上、︿江申﹀のく風浪﹀が轟音を

      くら

立てて逆巻き、雲や︿雨﹀がく冥冥﹀︵くろぐろ︶として昼の晦きに

あうのでは、その孤寂︵ひとりぼっちのさびしさ︶はいかばかりで

あろうか。 一讐.白魚不レ受レ釣ヲ  三寸.黄柑猫自青   ︵涯5︶  顧註二臨時云、白魚ハ訪中ノ名産。長身細鱗、肉白2ア如レ玉.、春吐前  出レ穴ヲ、秋杜ニ三牲蹄ル。時已二九月、故五雲穿け受レ釣ヲ。此ロハ言下峡中       ︵注6>  有望魚㎝、欲けテ釣ント而蒸飯レ得、亦嘆コ其無聯づ。言一二讐↓者ハ、即古  ︵7︶       ︵油8>  詩二遣⋮我二讐鯉魚↓一意。以封藷ル下ノ三寸∼耳。薔註引二魯燐垂認ヲ        ︵瀧9>  釣ヲ、係⋮偽蘇、捏造.∼。蓋天壌聞未レ有二魯燐去者一、併既人名導杜二  撰.之弓。謳妄甚。 。黄柑ハ蓋亦嚢之名産。不平称美嘱ナ..、長大  異けり常二。故二日三一寸.黄柑↓。然トモ秋霜未レ降、猫青。テ不レ可レ食。     ︵液10V  徐恩讐精二云、凡柑ハ皆圓、濁成都二軍.ル者ハ、形如一塁審ヨ。故ユ日二  三寸↓。言二其長づ也。白魚ハ既二不レ受レ釣ヲ、黄柑ハ亦未レ堪レ摘一。僻  境悲秋、殊二乏認下酒∼、尤使二酒客ヲシ一.不一レ堪二天柳∼。風雨中孤坐懊  悩、殆不レ可罪過一レ日.也。 ︵注5︶ 顧震﹃註解臨に﹁張艇が臼く、峡申に嘉魚有り。長身細鱗、肉は旧く    して玉の如し。春社の前に穴を出、秋社即ち帰る。時已に九月、故に云    ふ釣を受けずと﹂と。宇都宮趣庵の増広本にも挙げる。僧衣について    は、訳注稿口、11﹁省中の院壁に題す﹂詩の︵注19︶参照。その著﹃杜       む    律本義﹄︵巻四︶に見える。︿春社﹀は、春の社B︵立春後の第五の戌の    日︶。︿三社﹀は、秋の社日︵立秋後の第五の戌の日︶。 ︵注6︶ 釈大典﹃杜律発揮駈に﹁一双自魚不受釣ロハ二二欲レ三三魚.而不”得也﹂    と。 ︵注7︶ 釈大典﹃杜律発揮臨に︵注6︶に挙げた箇所に続けて﹁言⋮二理外者、    即古詩ノ遣二我二讐鯉魚遡、呼レ児烹山型魚づ之意。以対屋下句ノ三寸.∼耳﹂と。        よ     ﹃文選撫巻二十八、﹁飲馬長城窟行﹂に﹁客遠方従り来たり、我に双鯉魚    を贈る。児を呼びて鯉魚を烹るに、申に尺素有り﹂と。 ︵注8︶ 宇都宮遜庵の詳説に﹁按二千家註分類集註等二白魚不レ受レ釣ト云二魯    燐隠二嵩山一タル事ヲ引ク。輯註・会梓・註解二皆不レ取レ之。偽性註ナレ    バナリ﹂と。また釈大典﹃杜律発揮﹄に︵注7︶に挙げた箇所に続けて     ﹁注引二偽蘇↓誤ナリ﹂と◎ ︵注9︶ 偽蘇については、訳注稿日、12﹁曲江二首﹂其一の︵注12︶および訳       む    注稿因、33﹁嚢麹蜀州の東亭に登って客を送り、早梅に逢いて栢憶うて        0    寄せらるるに和す砿詩の詳解参照。       まる ︵注10︶ 明・弓鳴﹃徐氏筆精﹄巻八、花卉島木、三寸柑に﹁凡そ柑は皆円し、    独り成都に産する者は、形鴨卵の如し。故に杜甫の詩に云ふ、︿三寸の        かつ      よぎ    黄柑猶ほ自ら青し﹀と。三寸は其の長さを言ふなり。余嘗て臨江府を過    るに、地黄柑を産す。長さ三寸なる鳥膚り篇と。宇都宮趣庵の詳説のほ    か、度会末生﹃杜詩評叢翫にも挙げる。臨江府は、今の江西省樟樹市の    西南、臨江鎮。     ちなみに、杜甫は饗州の濃西で蜜柑園を経営していた。このこと、古    川末喜凹杜甫農業詩研究−八世紀中国における農事と生活の歌一臨︵知    蘭書館、二〇〇八年︶第W部第一章﹁杜甫の蜜柑の詩と蜜柑園経営篇参    照。

転註に﹁鶏魚云う、︿白魚﹀は紅中の名産。長身細鱗で、肉は白く玉

のようで、春の社日の前に穴から出、秋の社日になると帰る。時は

もう九月で、それゆえ︿釣を受けず﹀と云う﹂と。これは峡中に嘉

魚がいるのだが、︿釣﹀ろうとしてもできないのを言うだけで、やは

128

(4)

文化情報学部紀要,第12巻,20圭2年

りその無柳︵やるせなさ︶を嘆く。︿一双﹀と言うのは、とりもなお

さず古詩の﹁我に双鯉魚を遺る﹂の意で、下の︿三寸﹀に対偶する

表現としたのだ。旧註に﹁魯燐垂釣﹂を引くのは、偽蘇の捏造にか

かる。けだし天壌の聞に、いまだ魯燐なるものはおらず、人名と併

せてこれをいいかげんに持える。でっちあげもはなはだしい。︿黄

柑﹀は、けだしやはり菱の名産で、ただ味がよいばかりでなく、長

大でふつうとは異なっており、それゆえ︿三寸の黄柑﹀という。さ

れど秋霜が降りないうちは、まだ青くて食べられない。﹃徐氏筆精﹄

に云う、﹁すべて柑橘類はみな丸いのだが、成都に産するものだけは、

形が鴨の卵みたいである。それで︿三寸﹀という。その長さを言う

       つりばり

のである﹂と。︿白魚﹀はく釣﹀を︿受﹀けない上に、︿黄柑﹀も

まだ摘むのに適しておらず、僻境の物悲しい秋には、ことのほか酒

の肴に乏しく、とりわけ酒客︵酒飲み︶には無二にがまんならなく

させる。︿風﹀︿雨﹀のなか孤坐懊悩し、ほとんど日を過ごすことが

できないのである。 多病.馬駅伝レ日レ起ッ。  征途.院籍幾時ヵ醒.    ハいなユ  公詞客書。而病レ肺.、又好け酒.落鮎.。故二三比樹影卿ト輿∼ 院籍︸、恰        ハ ほ   好的當.。可レ稻畝窮眞↓。司馬相如字ハ長卿、常二有二消渇.疾一、遂二       ぐ む   以レ是。死.。古人.姓名裁け字.用レ之.、本和。諸.酵悪意。碑文エ爾寝二          馬卿講書↓、不折允二梁松之奏弓、非均レ公等∼也。苦.僧籍率意二猫  駕シ.ア不レ由二樫跨∼、車跡ノ所レ窮.ル、輔働斐シ.ア而反ル。蓋假け事ヲ調以   ぱあ   時.、悲棟道之不プ達セ云。無い日レ起二、自傷二以レ此.終ユ破叱..也。  幾時,醒ハ、言 ・蓮歓遣レ愁ヲ、故二無翻巳時一也。 ︵注11︶ 詞客については、訳注稿樹、01﹁詠懐古跡五首﹂其一に讐詞客時を哀       1    しんで且つ未だ還らずしと。その︵注20︶参照。             また肺を病んでいたことについては、訳注稿㈲、07﹁十二月三田三首﹂        しば    其∼の結旬に﹁肺病幾時か理窟に朝せん篇と見え、詳解に﹁公の詩託し    ば肺病消渇を言ふ﹂と説く。その︵注27︶参照。 ︵注12︶ 醇益﹃分類臨に﹁馬卿は司馬相如なり。消渇病を患ふ﹂と。宇都宮遮    庵の増広本にも挙げる。司馬相如については、訳注稿ω、80﹁十二月一        〇    田三首﹂其二の︵注8︶参照。       ゆエさ ︵注13︶ 輯註︵巻十七︶に﹁按ずるに公の詩に葛亮馬卿と。或いは疑ふ当に字    を回して用ふべからずと。然れども六朝の人已に之有り。庚信が碑文    に濾を渡って五月葛亮深く入るの兵有りと。七道衡が碑文に尚ほ馬卿       や       ゆる    の書を埋め、同誌の奏を允さずと﹂と。宇都宮周忌の増広本にも挙げる。     ︿葛亮﹀の語は、﹁赤寒行﹂︵詳註巻十四︶に﹁葛院号和書に篇有り﹂と    見える。北周・割信の碑文は﹁周の瀧右総管長史贈少保豆盧神道碑﹂︵﹃庚    子由集﹄三十四/﹃文苑英華撫巻九二五︶。階・蘇道衡の碑文は﹁老氏の    碑﹂︵﹃漢魏六朝百三名家集臨第百三冊所収﹃蘇三三集﹄/﹃文苑英華﹄    巻八四八︶。︿梁松﹀は、後漢の人。その伝は﹃後漢書﹄梁統伝に附され    ている。 ︵注14︶ 酵益﹃分類﹄に﹁院議、字は嗣宗。尋人。辛労独り駕して、行くに蓬       すなは      かへ    路に繊らず、車跡の窮まる所、軌ち働馨して反る﹂と。宇都宮遜庵の増    広本にもこれを引く。︿蓬路﹀は、こみち。︿蓬﹀は、径と同じ。﹃論語﹄    雍也篇に﹁行くに径に由らず﹂と。﹃分類﹄に挙げる逸話は、﹃一書﹄巻    四十九、翫籍伝に見え、興膳宏編﹃六朝詩人伝写にその訳注がある︵西    岡三執筆︶。なお、一元については、訳注稿㈹、㈱﹁厳公の野亭に寄題す    るの作に奉課す﹂詩の︵注30︶参照。 ︵注15︶ 南宋・胡仔﹃若渓漁隠叢話﹄後集巻十、韓退之の条に、﹃歴代確論﹄に    載せる唐末五代・沈顔の讐登華墨﹂を挙げるなかに讐且つ玩籍は車を途     ほしいまま       すなは    に縦にして、途窮まって頼ち聾す。豊に始めに慮り至らざるや。蓋       かく       のみ    し事を駈りて時を課す、意を致すこと此の如き耳﹂と。なお、起動の﹁登    華旨しは、﹃全唐文﹄巻八六八に収む。

公はただのしがない詞客にして肺を病み、そのうえ酒を好み二刀︵う

らぶれ難儀︶している。されば自らを︿馬卿﹀とく玩籍﹀とに比す

るが、ちょうどぴったりで、真を写した肖像画と称せよう。司馬相

如、字は長卿、つねつね消渇の疾︵糖尿病︶があり、とうとうそれ

で死んだ。古人の姓名を文字を裁断して用いるのは、隠道衡の碑文

に﹁尚ほ馬卿の書を寝め、梁松の奏を允さず﹂とあるのに本づき、

葉29

(5)

二宮俊博/津阪東陽『杜律詳解』訳注稿 帳)

公より創始したものではないのだ。晋の院籍は気の向くままにひと

       わだち

り車馬を駆り、径路によらず、轍の跡のどんづまりまでくると、そ

のたびに働結して引き返した。けだしその行為に仮託して時世を誠

し、道義の充分に行なわれないのを悲しんだのであろう。︿起つに

日無し﹀は、ここでついに妓するのを自ら傷むのである。︿幾時か醒

めん﹀は、つづけざま飲んで愁いを晴らし、それゆえ︿醒﹀める︿時﹀ がないのである。 未レ聞細柳散コルヲ金甲う  腸ハ臨秦川流ユ濁淫∼  此遙一傷 京師之齪↓也。細柳ハ長安、地名。漢文帝.時、旬奴入レ       ぱあ       ぱレ   邊二、周亜父爲⋮﹂將軍↓、屯身ア細柳管∼以備レ之二。金甲四過鎧也。是        ぱあレ  歳吐蕃肉冠コ濃州淫州∼。故。京師戒嚴、兵戌未レ散。也。秦中、諸水、      ︵注19>       ︵注20︶  総テ稻二秦川↓。淫潤二水最大二。テ、而潤ハ清淫ハ濁、故。稻コ清潤濁       ハまれ   浬↓。喩二冠乱∼。三三濁淫濃溢。。而秦中.諸水管爲勃濁流↓也。 ︵注16︶ 酵益﹃分類駈に﹁漢の文帝の時、旬奴大いに辺に入る。周亜父、将軍    と為り、細柳営に駐屯す。長安毘三池の南に在りしと。宇都宮遜庵の増    広本にも挙げる。 ︵注17︶ 訳注稿㈲、76﹁諸将五首﹂其三の詳解にも同様の注。          む ︵注18︶ ﹃資治通鑑﹄巻二二四、代宗の大暦二年︵七六七︶の条に﹁九月、吐蕃    の衆数万、霊州を囲む。︵中略︶京師戒厳す﹂と。霊州は、今の藤野霊武    県の西南。また翌大暦三年八月の条に﹁丁卯︵二十六日︶、吐蕃の尚賛摩    の二万の衆、那州を冠す。京師戒厳す﹂と。邪州は、今の陳西省彬県。 ︵注19︶ 毒中は、今の陳物省を指す。 ︵注20︶ ﹃文選閨門十、西晋・濡岳門西征の賦﹂に﹁北に馬面濁漣有り﹂と。 ︵注21︶ ちなみに、醇益﹃分類﹄に﹁今独り濁浬を言いて清潤を雷はざるは、    以て時の乱るるに喩ふ﹂、顧農﹃註解﹄に﹁独り濁淫を言いて清潤を薔は        まさ    ざるは、正に上の︿金甲未だ散ぜず﹀に応ずしと。いずれも宇都宮遜庵    の増広本に挙げる。       みやこ

これは遥かに京師の騒乱を傷むのである。︿細柳﹀は、長安の地名。

漢の文帝の時、旬奴が辺境に侵入し、周亜父が将軍となって、細柳

営に駐屯しこれに備えた。︿金甲﹀は、鉄製の鎧である。この歳、吐

蕃が再び霊州・那州に入冠した。それゆえ京師は戒厳し、防御の兵

は︿未﹀だく散﹀じなかったのである。秦中の諸水は、すべて︿秦

       かわ

川﹀と称する。淫・潤の二つの水は最も大きく、潤は清く淫は濁っ

ており、それゆえ﹁清淑濁浬﹂と称する。冠乱に喩える。︿墨客﹀が

瀕溢して豊中の諸水がみな濁流となるがごとくである。

  一暮二編 −       ︵注−﹀         ︵注2︶  此亦在灘酉∼時、選一外。出。而暮二蹄、賦読其所プ感.。也。 ︵注1︶ ちなみに、仇兆熱の詳註︵巻二十二︶には﹁梁権道編して大暦三年に    在り。按ずるに是の年の暮秋、公安に在りて作る扁と。梁権道は、爾宋    の人。四川省文史研究所編冊杜甫年譜﹄も大暦三年︵七六八︶、杜甫五十    七歳の作とする。 ︵注2︶ 釈大典﹃一律発揮﹄に﹁只是外。出而暮。帰也。謂レ帰計濃酉∼、非也﹂と。        よ    これは郡傅﹃集解﹄の題下に﹁是の秋、復た東山趨り濃西に帰る﹂と注    するのに対して、かくいう。

これもやはり濃西にいる時、たまたま外出して︿暮﹀にく帰﹀り、

その心感じたものをそのまま述べたのである。

霜二黄ナル碧梧白沢栖ム  城上撃レ析ヲ売卜暗         なヨ   碧梧ハ謂二郎幹青岬。俗気畝青桐↓、是也。析音託、夜撃。以三三要. ︵注4>      ︵油5︶  者。城上撃い析.已墨入レ夜二尉。二巴首途所二見聞誘、暮夜之景也。 ︵注3︶ 釈大典﹃杜律発揮﹄に﹁碧梧ハ謂二曲.幹青↓.偏と。 ︵注4︶ 例えば、﹃字彙輪に﹁他客の切、音画。夜行撃つ所の者﹂と。 ︵注5︶ 郡傅呪集解無に第一句の下に﹁帰途の見る評し、第二句の下に﹁帰途の    聞く所﹂と。 ︿碧梧﹀は、その幹が青いもの。俗に青桐と称するのがそうである。        たく <析﹀、字音は託、急撃って更︵時刻︶を報ずるもの。︿城上析を撃

つ﹀は、すでに夜に入るのである。二三は帰り道で見たり聞いたり

したもので、暮夜の情景である。

130

(6)

文化情報学部紀要,第12巻,2012年 丸子入ルハ門二月皓皓  誰家.掲”練ヲ宮窪凄        ︵注6︶  黒熊一ハ篇以所”見、一ハ篤ス所”聞。蹄到之況、秋景可レ悲。 ︵注6︶ 郡簿﹃集解﹄に第三句の下に門門に入りて見る所L、第四句の下に﹁此    れ家に到りて聞く所﹂と。

これもやはり一つは見たものを描写し、一つは聞えたものを描写す

る。家に帰りついたときのありさまで、秋の情景は物悲しい。

南渡駄桂水↓閾二舟揖↓  北朝⊃ハ秦川∼多端鼓蟄一  ※鼓整⋮ヂンダイコ       ︵油7︶  此感艶テ暮蹄、景況.∼、而旅恨又起。也。桂水ハ引水.一名。乙部迷反。      ︵注8︶      ︵油9︶  馬上.鼓也。時一吐蕃入冠。テ、中原騒動.。故。日レ動画鼓整㎝。公  在際嚢エニ年、未レ能レ出喋峡ヲ、欲三南下鷺楚江∼、既二無二舟揖ノ        ︵注10︶  可τ濟、欲玖レハ北蹄鷺中原∼、又阻﹂レ於兵父く、進退維谷リ、無レ可二          ︵注11︶  奈何略押。蓋公時二由レ楚以至㌶京。、故二恩。 ︵注7︶ 聾益﹃分類﹄︵巻一、述懐︶に﹁湯水は桂州臨桂県の建水、一に桂水と    名づく﹂と。宇都宮遜庵の増広本にも挙げる。 ︵注8︶ ﹃広韻﹄に﹁部迷の切﹂と。字音はヘイ。また顧震鴨註解﹄に﹁鼓整は    馬上の鼓を整と日ふ﹂と。﹃註解睡は、宇都宮遜庵の増広本にも挙げる。 ︵注9︶ 顧震﹃註解﹄に﹁是の年、吐蕃霊州邪州に冠す。京師戒厳す﹂、輯註     ︵巻十九︶に﹁通鑑に大暦三年八月、吐蕃復た霊邪に冠す。京師戒厳す。    邪は京師を去ること四百里に満たず襯と。﹃註解﹄は宇都宮遜庵の両著    に、輯註は増広本に挙げる。なお、増広本では﹃註解﹄に誤って﹁是年    吐蕃冠凱霊州∼邪州京師戒厳ナリ﹂と調点を施すが、詳説ではこれを訂正す        ヨ    る。﹃通鑑駈の記事については、前の一﹁即事し詩の︵注18︶参照。        1        わた ︵注10︶ 鄭重﹃集解鰯に﹁其れ南に渡らんと欲すれば則ち舟揖の済る可き無く、        いはゆる    こ  きは    北に帰らんと欲すれば則ち兵父未だ寧らかならず。所謂進退守れ谷ま       か    るなりしと。また顧震珊註解臨に﹁乃ち南に往くは既に野津を醐き、北    に帰るは又た鼓驚多し。真に蹴れ如侮ともす可き無し﹂と。﹁進退維谷し    は、﹃詩経﹄大雅・桑柔に見える句。毛伝に讐谷は窮なりしと。 ︵注11︶ 原文は︿欲﹀字の下の﹁二﹂点を誤って隅三﹂に作る。今、これを改    める。

これはく暮帰﹀のありさまに心感じて、つきせぬ旅愁がまたしても

湧き起こるのである。︿曲水﹀は、漢水の別名。︿聲﹀は、読響の反。

馬上の鼓である。時に吐蕃が入冠し、都のある中原の地は騒ぎ乱れ

た。それゆえ︿鼓整多し﹀という。公は嚢にあること二年、いまだ

に峡を出ることができず、︿南﹀のかた長江を下って楚︵湖北︶の地

に行こうにも、︿舟揖﹀の回るべきものがないし、︿北﹀のかた中原

に︿帰﹀ろうにも、薫蒸に阻まれ、につちもさっちもゆかず進退こ

れ窮まり、どうしょうもないのである。けだし公は楚を経由して京

に至ろうとしたので、かくいう。 年過﹂孚再∼不レ稻い意二 明日看け雲ヲ還タ杖の蓼。  ※還⋮アヒカハラズ       ︵油12︶       ︵注沼︶  是王公年五十有六 。禰旧訓以憧ト。適レ遍歴之宜也。云い稻い意二、        ︵注14︶       ︵注15︶  無工一モ如レ意、者⋮也。還ハ復也。幽い黎。扶レ老.也。一向新序二三憲  導け黎.而鷹心門エ。是衰志摩状也。蓋今日既エ暮、物色籍然、不レ  可⋮ 三見↓也。故二想到萌日.∼、一月杖け蓼ヲ行吟シテ、看け雲ヲ自慰.而  已。夫。鋤け雲。自慰ハ、是無点之況。既二暮テ不レ能レ看.ト、而侯二之.   ︵注16︶      ︵油17︶  明貝∼、尤無聯之僻説。方萬里云、自是一種.骨格風調。又古町一  種、悲肚哀惨。 ︵注12︶ 顧震﹃註解﹄に﹁是の歳、公理に五十六なり 。故に曰く、︿年半百に    過ぐ﹀とし。宇都宮趣庵の百座にも挙げる。なお、顧震は、この詩を大暦    二年の作とみ、第二句の︿城﹀を白帝城のこととする。 ︵注13︶ 例えば、﹃字彙﹄に﹁去声。丑正の切。秤と同じ。端午を正しくする    者。又た懸なり。︵中略︶又た物に適ふの宜しきなり﹂云々と。 ︵注14︶ 釈大典﹃詩語解駈巻上に﹁字彙二還返金復也廻也帰也﹂と。またこの明    月云々の句を挙げて﹁同時前二野﹂と。       あかざ ︵注15︶ 山掛﹃註解駈に﹁劉向新序に原聖遷を杖ついて門に応ず﹂と。宇都宮    遜庵の増広本にも挙げる。﹃新序駈は、巻七、選士篇。ちなみに、同様の           話は﹃荘子阯譲空回・﹃韓詩外伝臨巻一にも見える。なお、後出1﹁冬至﹂        1    詩にも、この門杖黎篇の語が見え、﹁ヨホートシテ紘という左翻を施す。 131

(7)

二宮俊博/津田東陽『杜律詳解調訳注稿 (茜〉        み ︵注16︶ 轟音﹃註解瞼に﹁雲を撃て故郷を望む、人情最も無聯の況。暮れに雲        ま      つひ    を看る能はず、之を明臼に倹つ。明鐵復た然り。漁れ終に北斗の日無       いさ    し。正に終に意に称ふの臼無きなり﹂と。宇都宮遷庵の増広本にも挙げ    る。 ︵注17︶宋末元初の方回︵字は万里︶撰の蜀一円律髄駈巻十五、暮夜類に見え    る。なお、度会末茂兜杜律評叢﹄にも挙げるが、︿哀惨﹀を誤って︿衰惨﹀    に作る。

この歳、公は年五十有六であった。︿称﹀は、憾と訓じ、物に適うの

      かな

宜しきことである。︿意に称はず﹀は、一つとして意のままになるこ

とがないのである。︿還﹀は、復である。︿黎を杖つく﹀は、老いを

扶けることである。国会﹃新序﹄に﹁原憲黎を杖ついて門に応ず﹂

と。これは老衰困癒の様子である。けだし今日はもはや︿暮﹀れ、

物色籍然︵くろぐろ︶として、もう見分けがっかない。それゆえ︿明

日﹀になったら、やはりもう一度︿黎﹀を︿杖﹀つき、行くゆく吟

じて︿雲﹀を︿看﹀て自ら慰めようと思うのだ。そもそも︿雲﹀を

︿看﹀て自ら慰めるのは、北都の況︵やるせないありさま︶。もはや

︿暮﹀れて︿看﹀ることができず、これを︿明日﹀に侯つというの

は、もっとも無聯の昂じた辞である。方万里が云う、﹁これ自体で一

種の骨格風調。又たこれ自体で一種の悲壮哀惨﹂と。

1九日二首︵其こ

壌        なエ   本集五首。此紗ユ其首尾二章↓。呉若本。云、昧⋮一首↓。趙次公以凱  即急一高ノ一首づ足以之ヲ。 ︵注1︶ 宇都宮遜庵の増広本に輯註︵三十七︶を引いて﹁呉若本の題下の注に    云ふ、一首を旧くと。趙次公は︿風急天高﹀の一首を以て之を足す﹂と。    旧註にはこれに続いて﹁云、日一日。夢弼注同﹂︵云ふ、未だ嘗て鋏かず    と。三三注同じ︶の八字がある。なお、趙自公は、南宋の人。詳しい伝    記は不明。林継申輯校﹃杜三巴次公先後解自校﹄︵上海古籍出版社、一九    九四年︶がある。

本集は五首。ここにはその首尾の二章を抄録する。呉若本に云う、

﹁一首を趣く。趙次公は︿風楽天高﹀の一首を以てこれを足した﹂

と。 重陽猫酌ム杯中.酒  抱げ病ヲ起テ登ル江上.璽  掲酌ハ無レ件也。難レ値卦重陽,佳節∼、猫酌テ自慰而已。已二見下憶弟  妹善欝。抱け病ヲ登い墓二、力け疾。強テ起テ、随登高之例∼也。起シ得テ  無聯已二食。。       つれ ︿独酌﹀は、伴がないことである。︿重陽﹀の佳節にあたっても、︿独﹀

りく酌﹀んで自ら慰めるばかりだ。すでに︿弟妹﹀を憶う意が見て

とれる。︿病﹀を︿抱﹀いて︿台﹀にく登﹀るのは、病の身をおして

無理に︿起﹀ち上がり、登高の恒例行事に随うのである。言い出し

方が無起すでにはなはだしい。 竹葉於レ二二甑二丈レ分  菊花從レ真心レ須レ開。トヲ       い       ハまヨ   竹葉ハ謂レ酒.。張協ヵ七命二心北.之竹葉ト。火酒.名士。人山公自謂        ぬ    也。無身分者、以二病テ不プ能レ飲。ト、故二無二復交分∼也。難い須レ       な ゑ  開.ト.言二其無用サル.。淵明所レ謂塵爵恥二虚曇づ、寒華徒二自榮也。        ︵滋6∀  蓋九日登レ高ユ飲込菊花酒↓、自レ古佳節之例、今不レ能レ飲,ト、菊亦  何二ヵ爲.。故一一言自今以後、不レ須下鞍爲∼一重陽り耳語.耳。爾句心蓮、       な       ハぱ  

 流走直下、所レ謂流水封。竹葉菊花、亦眞假封。

︵注2︶ ﹃集千家註撫︵巻十七︶の王沫注に﹁張景陽が七命に乃ち荊蟹の毛引、    豫北の竹葉駈りと。竹葉は、酒の名なり﹂と。宇都宮趣庵の両著に挙げ    る。張景陽は、晋の張協のこと。﹁七命﹂は、﹃文選﹄巻三十五。その五    臣比良の注に﹁鳥程・竹葉は酒の名﹂と。 ︵注3︶ 三宝呪集註駈︵巻二十三、時一類︶および減益﹃分類駈︵三二、節序︶    に見える。冊分類﹄は、宇都宮旧庵の増広本にも挙げる。 ︵注4︶ ちなみに、鈴木虎雄﹃杜少陵詩集﹄︵巻二十︶は﹁無分﹂について﹁分    は分限、分際、病のため飲む資格なきをいふ﹂と。 ︵注5︶ 晋末項初の陶三明﹁九B閑居﹂詩。なお、徒自は﹁徒に自ら﹂と訓ず    るが、自は接尾語で、この二字でいたずらにの意。

132

(8)

文化情報学部紀要,第12巻,2012年 目注6︶ 郡宝﹃集註臨および酵益﹃分類﹄に﹁菊楚に元旦響きに登って菊花の    酒を飲む﹂と。﹃分類臨は、宇都宮遜庵の両著にも挙げる。荊楚は、六朝    梁・宗懐瀞刑楚歳時記臨のこと。 ︵注7︶ 流水対については、訳注稿口、01﹁張氏の隠居に題す隔詩の︵注13︶        む    参照。なお、そこに挙げた﹃夜学詩話﹄巻六には、流水対の例として、    この一聯を挙げる。 ︵注8︶ 三三﹃瀬奎律髄翫︵巻二十六、変体類︶に﹁此の竹葉は酒なり。以て菊    花に対す。是れ真を仮に対すことを為す、亦た変体﹂、沈徳潜﹃杜詩偶    評﹄︵巻四︶に﹁竹葉菊花は、真仮対法﹂と。﹃内旨一口﹄は、度会末茂    の﹃杜詩評叢﹄にも挙げる。真仮対については、訳注稿日、08﹁買至舎        む     つと    口早に大明宮に朝するに奉和す﹂詩の︵注27︶参照。なお、そこに挙げ    た﹃夜航詩話﹄巻四には、真七三の例として、この一聯を挙げる。

︿竹葉﹀は、酒のこと。張協﹁七命﹂に﹁豫北の竹葉﹂とあり、註

に﹁酒の名なり﹂と。︿人﹀は、公自らの謂である。︿分無し﹀とは、

︿病﹀いのせいで飲むことができず、それゆえ二度とは交分︵かか

      もち

わり︶がないのである。︿開くことを須ひず﹀は、その無用なるを言

う。陶淵明のいわゆる﹁塵爵虚馨を恥ぢ、寒華徒に自ら栄ゆ﹂であ

る。けだし︿九日﹀に高きに登り︿菊花﹀の酒を飲むのは、古より

佳節の恒例行事だが、今では飲むことができず、︿菊﹀もやはり何に

なろうというのか、何の役にも立たない。それゆえ今より以後は、

二度と重陽のためにく開﹀く必要はないのだ。両句は一連なりで、

流走直下し、いわゆる流水対。︿竹葉﹀︿菊花﹀も、やはり真仮対。       ︵注9︶

殊薬日落ア三猿実. 故國霜情趣雁來.

 ︵油10︶  猿ハ中土、所レ無、唯楚蜀..、有レ之。峡中尤多。。其鳴。ト甚哀、堪レ  断∼ 人腸↓、故。日レ斐。ト。孤客回方昏暮聞レ之.、悲調け勝邪。北方。  有一白雁一、似け雁一旦小。秋深テ乃來ル。白蜜至。ハ則霜降ル。河北.人        ︵油11>  謂二之ヲ霜信↓。見迷夢漢筆談∼。霜前ハ謂二秋深↓。此想⋮像2ア故國づ而        ︵泣12︶  言。時二霜將に降ント、白血慮に來ル、吾滝二滞シテ南中.∼、久不⋮之ヲ  見一也。此膚下思工故國ノ消息↓之意上。下ノ句論三以悲二弟妹何エ在↓也。        ︵泣13︶ 白雁此方亦來ル。但中土ニハ絶。無。猫箱嶺以東有レ之耳。黄生日、 零蓼.詩云、見け雁.思二郷信づ、聞け猿.積涙痕↓、與レ此意同シ。而此 之融會纏籍、要。三二彼十字︽也。 ︵注9︶ ︿故﹀字、一三︵巻十六︶および輯註︵三十七︶はく蕎﹀に作る。ちな   みに、宇都宮纒庵の増広本に﹁按ずるに︿故国﹀のく故﹀、分類・千家・   註解・輯註等︿奮﹀に作り、集註は︿故﹀に作る﹂と。なお、﹃三三律髄﹄   もく薔﹀に作る。           ︵注10︶ 訳注塩払、9﹁秋興八首﹂其二の頷聯﹁猿を聴いて実に下る三声の涙、         む   使を奉じて虚しく随ふ八月の嵯﹂の詳解に﹁猿は猴と異なる。独り此の   方之無きのみならず、西土も亦た唯だ楚蜀のみ之有り。其の鳴くこと長   くして悲し。故に囎と日ひ、契と日ふ。断腸の声を称す﹂云々と。その    ︵注6︶参照。 ︵注11︶ 輯註に﹁一雨筆談に北方に自雁有り、雁に似て小。秋深くして乃ち来   たる。白雁至れば則ち霜降る。河北の人之を霜信と謂ふと﹂。宇都宮遜   庵の増広本にも挙げる。﹃夢渓筆談臨は、北宋・沈括︵一〇三一∼一〇九   五︶の著。その巻二十四、雑誌一に見える。なお、梅原郁氏による訳注   が平凡社東洋文庫にある。 ︵注12︶ 南申は、蜀︵四川︶をいう。訳注稿㈹、31﹁野老﹂詩の︵注13︶参照。       む ︵注13︶ 仇兆驚の旧註︵巻二十︶に﹁黄生旧く、零参の詩に云ふ、︿雁を見て郷   信を思ひ、猿を聞いて涙痕を積む﹀と。此れと意同じ。而して十四字の   融会三下、更に彼の十字に過ぐるなり﹂と。﹃唐宋詩醇﹄︵巻十八︶にも   挙げる。但し、黄生﹃杜工部詩集﹄︵巻九︶には、︿與底意同﹀の四字を    ︿五六即一意﹀の五字に、︿融會心組﹀の四字を︿渾融不露﹀に作る。    盛唐・零参︵七一五∼七六九︶の作は、﹁巴南の舟中、夜、事を書す﹂   詩︵﹃零嘉州詩集﹄二六/﹃三体詩駈授乳︶。       わたしば    渡隠田黄昏 蹄入事渡喧  渡口 黄昏ならんと欲し、帰人渡を 近鐘満野寺 遠火織江村 見鼎坐郷信 聞猿積涙痕 孤舟萬里夜 秋月不堪論 なお、零参詩については、森野繁夫・進藤多万訳註﹃零嘉州詩集﹄    かまぴす

争って喧し

近鐘 野寺に清く、遠火 江村に点ず 雁を見て郷信を思ひ、猿を聞きて涙痕を 積む 孤舟 万里の夜 秋月論ずるに堪へず        ︵白 壌33

(9)

二宮俊博/津阪東陽『杜律詳解』訳注稿 ㈲    帝社、工○○八年︶がある。 ︿猿﹀は中土たる長安・洛陽の地にはいないもので、ただ楚︵湖北・

湖南︶や蜀︵四川︶にだけいる。峡中にはとりわけ多い。その鳴き

       はらわた

声はとても哀しく、人の腸を断つに充分である。それゆえ︿突﹀

       ひな

という。孤客︵よるべなき旅人︶がく殊方﹀︵あまざかる鄙の地︶で

たそがれ

黄昏時にこれを聞けば、悲しみはたまったものではない。北方に︿白

雁﹀がおり、雁に似ているがそれより小さい。秋が深まるとようや

くやって来る。︿白雁﹀が来ると霜が降り、河北の人はこれを霜信と

いう。冊夢渓筆談﹄に見える。︿霜前﹀は、秋深きこと。ここはく故

国﹀を想像して言う。時に︿霜﹀が降りようとしており、︿白塗﹀が

きっと︿来﹀るにちがいない。自分は南中︵蜀地︶に滝解し、久し

くこれを見ていないのである。ここにはく故国﹀の消息を思う意が

      いつ

ある。下句で︿弟妹﹀のく嘆くに在る﹀かを悲しむゆえんである。

︿白雁﹀は、わが国にもやってくるが、中土たる京大坂には絶えて

いない。ただ箱根の山より東にいるだけだ。黄生曰く、﹁即詰の詩

に云ふ、雁を見て郷信を思ひ、猿を聞いて涙痕を積むと、これと意

味は同じ。されどこの詩の融会蕊籍︵うまくとけあって含蓄がある︶

は、彼の十字よりもずっと勝っている﹂と。

弟妹薫條トシテ各何ク。在ル  干父衰齢雨萎.相催.        ぐ ぜ  弟妹分散、不レ知各在コ何.庭⋮。定。皆薫條無聯士..。倦倦相思。、       なお   不レ勝⋮惨狂蕩。加励二之二繭齪老衰爾ナカ..相催逐テ愁け.人ヲ、其.將奈レ  之.何。.哉。 ︵注14︶ 郡傅﹃集解﹄に﹁弟妹分散して各おの何処に在るかを知らず﹂と。杜    甫の弟妹については、訳注稿面、24﹁別れを恨む﹂詩の︵注20︶および

      む

   訳注稿因、37﹁三十四の江東に省観するを送る﹂詩の︵注9︶参照。

        

︵注15︶ 郡傅糧集解﹄に︵注14︶に挙げた箇所に続けて﹁又た兵乱と衰へと両       た       のみ    つながら桐催し逐うて、砥だ吾が悲しみを重ぬる耳﹂と。

       いつ

く弟妹﹀はちりぢりばらばらとなり、いったい︿各﹀おの︿何﹀れ

の処に︿在﹀るのか。きっとみな︿瀟条﹀とうら枯れて無聯であろ

う。倦倦︵ねんごろにずっと︶相思うて、ずきずき疹く心の痛みに

たえない。かてて加えて禍乱と老衰とが、︿両﹀つながら追いかけて

きて人を愁えさせる。いったいどうしたらよいのか。

16 i其二︶ で 風急.⋮天高シテ猿囁⋮キ哀ム  渚清ク沙白シテ鳥飛廻ル       ユ   爾句蛇一一三折ノ句法。首叙畝秋氣嚴粛サル.、次ハ爲凱秋色.冠鶴↓、皆  登け毫所レ見ル。       とも       ぶ ︵注1︶ 釈大典﹃唐詩解頗﹄︵巻五︶に﹁並に三折の句法﹂と。三折とは、﹁風        き     な       き     キ     ゑ       葱/飛闘/猿囎哀、灘澗/調/鳥飛廻﹂のように、主述構成が三層に    なっていることをいう。なお、﹃唐詩解頗駈は詩題を﹁登高﹂に作る。     ちなみに、この詩については、松浦友久編﹃校注唐詩解釈辞典﹄︵大修    館、一九八七年︶に詳細な語釈や解釈の異同等が示されている︵植木久    行執筆︶。

選句はともに三折の適法。首落は秋気の厳粛なるを叙述し、次句は

秋色の冷澹︵物静けさ︶を描写する。いずれもく台﹀にく登﹀って

見たもの。       な   無邊.落木瀟薫トシテ下り  黒蓋.長江漠涼トシテ來ル

 ※無辺⋮オビタ・シキ 綱領⋮サバく 不尽⋮ハテシナキ 渡濃⋮

 ナミ/唱\        ぐ ヨ   憶病秋景ノ悲壮↓。三承レーヲ、四承レニヲ。無邊ノ落木蹴転下五三庭トシァ       なヰ   不二落葉せ.、捺齪遍糟望中麺也。蓋落木之瓢い風ユ、居け卑。而望ハ、  所レ見様レ限、從⋮一高庭︸遙一看レハ、無レ阻搾倉見∼、故二日二無灯↓。        ばら   謂レ漫騰.空二也。瀟瀟ハ落葉散通風一雨聲。楚辮二風颯颯ト2ア分木薫  瀟タリト。此用レ之ヲ。不動ハ猫レ云レ無げ限。言 ⋮外転トシテ逐來弓也。濠        ぱ    渡ハ大水流ル貌。又相縫テ不レ絶海。千林.紅葉、風動泌ア錦雲↓、散二          ぱこ  漫シ..空中∼、撲け地.齪墜.。匹練.尻池、風蘇認波瀾噌、奔流淘湧、

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(10)

文化情報学部紀要,第12巻20圭2年       ハな   酒け天二涯來ル也。楊廷秀云、全ク以二薫薫濃渡↓喚凱起ス精紳弓、見        ぱ   得タリ連綿不是装湊、贅語せ.。顧三遠云、釜中下甑讐字↓、殊口調⋮旨 趣一。無邊.落木非歌瀟瀟トシテ下構、不レ足 一叢省コ生其聲↓。不審.長 江非ユハ渡濃ト。テ來↓。、不レ単三以省畝生其勢↓。 ︵注2︶ 輯註は︿巡回﹀に作り、﹁他心は尊霊に作る﹂と。宇都宮遜庵の増広本   にも挙げる。 ︵注3︶ ﹃唐詩解島山に第三句の下に﹁七三に応ず篇、第四句の下に﹁二句に応   ず﹂と注する。       かぎり ︵注4︶ 顧震﹃註解﹄に﹁黄維章が旧く、卑に居て望めば、木三つるに辺有り、        よ   旧来尽くること有って、以て見に阻むなり。惟だ高処従り遥かに看れ        ことこと   ば、則ち処処の木声瀟薫として尽く耳の申に入り、処処の江勢渡濃と   して足下に来たるが如し。恰も是れ実景しと。宇都宮遜庵の増広本にも   挙げる。なお、兜註解駈は詩題を﹁登高﹂に作る。黄維章については、訳   旧稿㈲、29﹁狂夫し詩の︵注10︶参照。       む ︵注5︶ ﹃卜辞四九歌・山鬼に﹁風颯颯として木瀟覧たりしと。﹃文選臨監三十   三にも収む。 ︵注6︶﹃唐詩解願﹄に﹁縮継いで絶えざる貌﹂と。 ︵注7︶実地の語義については、訳注稿日、12﹁曲江二首﹂其一の︵注2︶参       0   照。 ︵注8︶ ﹃唐詩集註駈︵巻斗︶に﹁豊玉秀豪く、全く瀟薫陸渡を以て精神を喚起   す、見得たり連綿是れ装湊の贅語ならざるを﹂と。楊廷秀は、南宋・楊   万里︵字は廷秀、号は誠斎。一一二七∼一二〇六︶のこと。元・王乳︵一   二四五∼一三一〇︶の﹃修辞鑑衡﹄巻一、七言得連綿字而精神の条に見   える。なお、﹃唐詩集註隔は、詩題を﹁登高﹂に作る。 ︵注9︶ 顧震﹃註解﹄に門詩人双字を下す、各おの旨趣有り。︿蒲薫として下   る﹀︿濃渡として来たる﹀、其の旨趣、全く<無辺﹀︿不尽﹀の四字の中に      た   在り。止だ︿落馬﹀と言へば猶ほ其の下るの声を形容し易し。︿無辺の   落木﹀と日ふときは、則ち︿薫瀟として下る﹀に非ざれば、以て其の声    かたど   を肖るに足らず。止だ︿長江﹀と言へば猶ほ其の来たるの勢ひを摸写   し易し。︿不尽の長江﹀と日ふときは、則ち︿濃濃として来たる﹀に非ざ   れば、以て其の勢ひを嘱するに足らず﹂と。宇都宮遜庵の増広本にも挙    げる。

これは秋景の悲壮を写す。第三句は第一句を承け、第四旬は第二句

を承ける。︿無辺の落木﹀は、どこもかしこも落葉しないところはな

        まなかい

く、見渡すかぎり眼界いっぱいに乱れ飛ぶのを言うのである。けだ

し︿落木﹀の風に吹きただようのは、低所にいて望めば、視界は限

りがあるが、高処から遥かに眺めれば、視界に阻まれることがない。

それゆえ︿無辺﹀という。空に広がりみちることである。︿薫薫﹀は、

落葉が風に舞い散る音。﹃楚辞﹄に﹁風颯颯として木薫薫たり﹂と。

ここはこれを用いる。︿不尽﹀は、無限というのとほぼ同じ。濫浴と

して後から後から追いかけて来るのを言うのである。︿渡濠﹀は、大

水の流れるさま。また相継いで絶えないことである。数知れぬ林の

紅葉は、風が錦の雲を吹きただよわせ、空中に散らばり広がって、

地面をおおって乱れ墜ちる。一疋の練絹のような江水は、風が波瀾

をひるがえし、奔流がたぎり、天に届かんばかりに還りきたるので

ある。楊廷秀が云う、﹁全く<薫薫﹀︿渡渡﹀を以て精神を喚起し、

連綿語が装湊︵寄せ集めのお飾り︶の贅語ではないことが見てとれ

る﹂、顧修遠が云う、﹁詩中に双字を下し、ことのほか興趣がある。

︿無辺の富木﹀はく瀟瀟として下る﹀のでなければ、その声にかた

どるに足らず、︿不尽の長江﹀はく濃濃として来たる﹀のでなければ、

その勢いを形容するに足りない﹂と。

萬里悲秋常二作レ客ト  百年多病猫登レ審写  ※万里⋮エンゴク 常⋮イッモ 百年⋮シャウガイ       ハぱむ   妙句嘆ユ漂泊↓。常。作い客ト言二累年客裏。度プ秋.。下句嘆玖憂  螢↓。猫登い毫。猫言三異郷無四人.相者一。萬里孤客、秋蚕悲惨、滝滞  自苦テ、常一在工野中∼。人生百年、多出臥レ病二、猫遊瀟索、欲レ       れ   慰。ト反.ア傷。字達見レ悲ヲ、無レ限感慨。上三所レ叙.ル、皆登け璽二所レ  ハぱむ      ハ だ   見ル、而至け此二民始テ言レ登口ヲ毫。。與二一風ノ十月蜷蝉︸同法。沈蹄  い@    愚云、中二聯好。ト在二無邊不蓋萬里百年∼。昔人謂爾聯倶二可レ戴二

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(11)

二宮俊博/津阪東陽『杜律詳解匪訳注稿 園 去。二字↓。鷺山競落等量薫ト。テ下り長江譲渡ト。テ來ル、成二何ノ語づ邪。 ︵注10︶ 原文は︿言﹀字の下のコご点を誤って﹁三﹂に作る。今、これを改   める。

       あら

︵注11︶ ﹃唐詩解頗﹄に第七句の下に﹁字字悲しみを見はす﹂と。 ︵注12︶ 顧震﹃註解臨に﹁題に田く高きに登ると。前の四旬、皆台上見る所の   下しと。 ︵注13︶ 冊詩経駈議題﹁七月しに、次のようにある。         ︵巻四︶。なお、          ︿常に客と作る﹀は、累年︿客﹀︵さすらいびと︶

となって秋をすごすのを言う。下句は憂労を嘆ず。︿独り台に登る﹀

は、異郷の地で人の相伴うことがないと言うのとほぼ同じ。︿万里﹀

       いた

の寄るべなき︿客﹀たる身で、︿秋﹀の気はく悲﹀しくも惨ましく、

ぐずぐずと滞留して自ら苦しみ、︿常﹀に愁いのさなかにある。人生

︿百年﹀のうち、大半は︿病﹀に臥し、︿独﹀り出歩いて瀟索︵もの

寂しく︶、心慰めようとして逆に心傷む。一字一字が︿悲﹀しみをあ

らわす、限りなき感慨。前半で叙するのは、いずれもく台﹀にく登﹀っ

て見たもので、ここに至ってやっと︿台に登る﹀と言う。﹃詩経﹄幽

風の﹁十月蜷蝉﹂と同じ手法。沈避退が云う、﹁中二聯、すばらしさ

は︿無辺﹀︿不尽﹀︿万里﹀︿百年﹀にある。昔の人は両州ともに二字

を切りとってもかまわないといったが、思ってもみよ、︿落木薫瀟と

して下り﹀︿長江渡濠として来たる﹀では、何の語を成そうか﹂と。

      が  難酸苦タ恨。繁霜.轡  濠倒新二停。濁酒.杯        ぱ       れり   難難承⋮禽里づ、濠倒承多病弓。左傳二五二営罫籔難↓。澄倒ハ衰億.     十月蠕蝉入我林下

    九月在戸

    八月在宇

    七月在野

    山臥償月弾沙王難振羽

    五月斯姦動股

︵注14︶ ﹃杜詩偶評﹄ 上句は漂泊を嘆ず。 五月斯姦股を動かし 六月渉警護を振るふ 七月野に在り 八月宇に在り 九月戸に在り 十月酒虫我が林下に入る  詩題を﹁登高﹂に作る。 な ハな       ぐがふ  貌。停い杯.止レ酒.也。奮康。絶交書。吾落話巖疎、不レ切物.事 情く。濁酒一杯、弾琴一曲、志願畢ルト 。此丈二尊。之↓。身既一一濠倒、      ぱふ       ばれ  又新二止レ酒.、盆一不レ勝二欝結く也。蓋轟旅難難、窮愁自苦,、、髪髪        ぬお  幡幡、不レ勝二帳薄く。老病濠倒、唯酒忘レ憂.、而噴け病。漸レ飲.、無 三三甚シ。故ユ難レ登け三二、無レ所⋮復一一、恨望索莫、徒二噌感慨弓耳。        なお  公以レ病.止レ酒.。寄二弟観⋮詩一比年病塊酒。開計漏滴弓。蓋被二中傷魂 也。新、字著凶眼.、尤見二野不プ勝。蓋断燦飲.既二久ヶルハ、則習以レ   ぱが  性.成、不復三一レ誕.突。但新二禁。ル者ハ、殊不レ可レ忍。況や登覧之        ぬあ  際、尤難レ爲レ懐。也。此北上牛ハ敏以景.、登高所レ見ル、下牛ハ述レ        な       ハ    情.、登高所レ感.。。富強皆封.テ而一氣貫串.。全ク以レ神.行、光芒  なお       な   萬丈。結語乍護い之.、若下級二必。モ封叱者卸。蓋無”テ意二干封∼而自         ハいだ  然二成レ封.耳。胡元新詩藪二云、此詩自慰に爲⋮舌今七律歴巻物。但 結句似務微弱蒐者ハ、蓋宇瓦句既。極ユ飛揚震動↓、復作瀞蛸快づ、 恐.クハ未レ合⋮ 張弛耐熱∼、或ハ韓シ。入二乱調∼、反テ要二爲ユ全首之 累↓、翰墨レ此、輕冷。置け之.、而無レ限悲涼之意、溢ユ干言外∼。似レ        なお  未レ爲レ穿け稔ハ也。士長悉セリ 。但爲二古今.歴巻筆、則恐.クハ或ハ 未。也。又鮮美輯註離隔ハ別熱量首↓、題作二登肯里、似レ是二。趙次公 強テ充⋮﹂九日ノ五首∼、非也。日二留筆哀峰、日二濁登ブ嘉二、日二濁       なお  酒.杯↓、大二與二輪首一雷同.。又前首日⋮﹂猫酌.杯中.酒↓、而此篇ハ 臼二新二停.濁酒、杯↓、何其。自相矛盾.ル、別二尊搾一首⋮、審ナリ  ぬ    。 ︵注15︶ ︿停﹀字、輯註は︿亭﹀に作り、﹁停と通ず篇と注する。 ︵注16︶ 珊唐詩貫珠賑︵巻五十、秋︶に﹁銀難は万里を承け、濠倒は多病を承く﹂   と。 ︵注17︶ 冊左伝臨僖公二十八年に﹁三三、外に在ること十九年なり 。而して果        つぶ         な   たして晋国を得。険阻困難、備さに之を嘗むしと。 ︵注18︶ 欄唐詩解願撫に見える。ちなみに、愚筆﹃集解駈に﹁落醜して振るはざ   るの貌。猶ほ瀾倒と言ふがごときなり﹂と注し、これを受けて宇都宮遜   庵の詳説に﹁濠倒ハ此註ノ意ナレハ人ノヲチブレテ不瀞振起穂ヲ云。分類

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文化情報学部紀要,第12巻,2012年    ト集註トニ濠倒ハ老病ト註スしと。なお、鈴木虎雄﹃杜山陵詩集﹄︵巻二    十︶は﹁零落不振のさま﹂とするが、黒川洋一簡中国詩人選集杜甫﹄は    ﹁何事もなげやりになる﹂と注する。 ︵注19︶ 三国魏の奮康﹁由巨源に与へて交はりを絶つ書﹂︵﹃文選臨巻四十三︶    に﹁今但だ願はくは晒巷を守り、子孫を教養し、時に親旧と闊を叙し、        をは      もと    平生を卓説せん。濁酒一杯、弾琴一曲、志願畢はれり 。︵中略︶足下旧       おも    より吾が濠倒懸疎にして、事情に切ならざるを知る。自ら惟ふに亦た皆          し    今田の賢能に如かざるなりし云々と。 ︵注20︶ この言い方、釈大典﹃杜律発揮﹄に﹁身既ユ濠倒、又新。止レ酒、極ア    二二無難之甚ごと。        ︵注21︶ 後出1﹁冬至﹂詩の詳解に﹁窮愁は窮困愁心。史記に虞卿窮愁して書       1    を著はす﹂と。 ︵注22︶ ちなみに、酒のことを忘憂物と称する。﹃文選駈巻三十、晋末宋初の陶        うか    面明﹁二一﹂二首其二に﹁此の忘憂の物に汎べて、我が達世の情を遠く    す﹂とあり、その李善注は﹃詩経駈郡風・柏舟の毛伝に﹁我に酒の以て   憂ひを滞る趣き無きに非ず﹂というのを挙げる。なお、この詩は、陶淵    明の集では門飲酒二十首し其七。︿達世﹀を︿遺世﹀に作る。      ユ ︵注23︶ 後出2﹁舎弟観、藍田に赴き妻子を取って江陵に到る、喜んで寄す三

     1

   首﹂其三の第七句。       こ   なんぢ ︵注24︶ ﹃尚書﹄太甲上に伊歩の語として﹁翻れ乃の不義、習ひ性と成る﹂と。       よ ︵注25︶ この乞い方、冊世説新語駈言語篇に﹁王子敬云ふ、夕陰道上従り行く        ごと    に、山州相映発して、入をして応接に暇あらざらしむ。秋冬の際の若き    は、尤も懐を為し難しと﹂と。 ︵注26︶ ﹃唐詩発願臨に﹁荒言皆対﹂、また明・増幅鱗︵字は歯群。一五五∼∼        ごと    一六〇二︶の﹃詩藪随内篇巻五、近体、七言に又風急に天高く﹀の若き    は、躍ち一篇の中、句句堅巻、一句の中、字字皆律、而して実は一意貫   識し、一気呵成すしと。 ︵注27︶ この言い方、例えば清・沈徳潜﹃杜詩偶評﹄巻縮、門鷺衣篇詩の評に﹁通   首戌婦に代はるの詞、一気旋転、全く神を以て行く﹂と。 ︵注28︶ 糧詩藪﹄内篇巻五、近体、七言に﹁杜の︿風前に天高く﹀の一章五十六       な   字は、海底の珊瑚の如く、痩勤名づけ難く、沈深測る恥く、而して精光   万丈、力量万鈎たり﹂と。度会末茂﹃杜律評叢﹄にも挙げる。ちなみに、        あざけ    申唐・韓愈の﹁張籍を調る﹂詩︵﹃韓昌爆薬﹄巻五︶に﹁李杜文章在り、    光焔万丈長し﹂と。        には ︵注29︶ ﹃詩藪蕊に︵注26︶に挙げた箇所に続けて﹁騒かに之を読めば、首尾未     かつ       ごと    だ嘗て対有らざる者の若く、胸腹対に意無き者の若し﹂と。度会末羅﹃杜    律評叢﹄にも挙げる。        まさ ︵注30︶ ﹃詩藪駈内篇巻五、近体、七言に﹁此の摘物ら当に古今七律の第一と為       た    すべし﹂と。また﹁此の篇の結句微弱なる者に似たり。第だ二六句既に       な    飛揚震動を極む、復た蛸快を作さば、恐らくは未だ張弛の宜に合はず。        かく    或いは転じて薄雪に入る、反って更に全首の累と為る。只だ此の如く軟    冷に之を収めて、而して限り無きの悲涼の意、言外に溢る。未だ称はず    と為さざるに似たるなり﹂と。度会末茂﹃戸車評叢﹄にも挙げる。︿張    弛﹀は、一張一弛。︿軟冷﹀は、微弱とほぼ同じ意。顧震簡註解﹄に門前    直門﹂以下を引き、宇都宮趣庵の増広本にこれを挙げる。     なお、東陽の﹃夜航余話臨巻上に、詩における﹁一張一弛㎏の手法を    説いて、﹁胡元瑞が詩風二、練墨登高ノ篇ヲ評シテ、結句似二微弱 者、第    前六句頭極二飛揚震動︸、復作二蛸快一、群棲レ合二張弛画風トアルモ、此訣    ヲ示シ喩セルナりしと。これについては、揖斐高校注﹃夜網余話﹄︵岩    波・新B本古典文学大系﹃素本詩史 五山堂詩話臨所収︶参照。       つく ︵注31︶ ﹃唐詩解頗臨に﹁胡元瑞詩藪に之を論ずること悉せり。観る可ししと。 ︵注32︶ ちなみに、﹃夜航詩話﹄巻雲に﹁凡そ一題にして数首を賦するは、唯だ    宜しく各おの意境を換ふべきのみならず、亦た須らく格局変化し肯へて    雷同せざるべしし云々と。 ︵注33︶ なお、陳飴鰍﹃杜甫評伝下巻﹄第十八章には、﹁登高﹂詩を﹁九臼五首し    とは別だとみる清・施嘉保糧夕汐演説﹄︵巻二十︶に反駁して、この詩を     ﹁九日五首﹂中の他の四首と同時の作とし、﹁因病断酒、桑畠即開、時開    時断、酒海難戒、此干黒人申屡見不鮮﹂︵病のせいで酒を断つが、少しよ    くなると禁を破る。禁を解いたり守ったり、酒は結局戒めるのが難し    い。これは酒飲みによく見られる︶と説く。 ︿報難﹀はく万里﹀を承け、︿濠倒﹀はく多病﹀を承ける。﹃左伝﹄ に﹁備に報難を嘗む﹂と。︿芋茎﹀は、衰掌理態のさま。︿杯を停む﹀

は、酒を止めることである。替康の﹁絶交書﹂に﹁吾れ濠倒巖疎、

事情に切ならず。濁酒一杯、弾琴一曲、志願岐れり ﹂と。ここは

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(13)

二宮俊博/津:阪東陽『丁丁詳解』訳注稿 ㈲

これを翻用する。身は︿心急﹀︵よろよろ︶である上に、︿新﹀たに

く酒﹀を止めたばかりで、ますます醗結︵心のもだえ︶にたえない

のである。けだし有漏のく広蓋Vに窮困幽門して自ら苦しみ、下髪

は幡幡︵しろじろ︶として、恨恨︵失意︶にたえない。老い︿病﹀

んで︿澄倒﹀し、ただ︿酒﹀だけが憂いを忘れさせるのだが、︿病﹀

のせいで飲むのを断ち、無煙がもっともはなはだしい。それゆえ高

きにく登﹀っても、もはや心慰むものとてなく、帳望︵うち沈んだ

気分でのながめ︶索莫︵もの寂しく︶、いたずらに感慨を増すばかり

だ。公は︿病﹀のためにく酒﹀を止めた。﹁弟観に寄す﹂詩に﹁比年

酒を病めども平乗を開くしと。けだし酒にあてられたのである。

︿新﹀字に着眼せよ。とりわけその我慢できないことをあらわして

いる。けだし飲むのを断って久しければ、習い性となり、二度とは

垂誕︵どうしても飲みたい思いを︶しなくなるが、しかし︿新﹀た

に禁じた場合は、ことのほか我慢がならない。ましてや登覧の際、

とりわけ居たたまれない思いがするのである。この篇は前半は景を

叙し、登高して見たもの、後半は情を述べ、登高して感じたもの。

八句はいずれも対偶表現であって一気貫通する。全く神技を以て行

き、輝く光の穂先は万丈もの高さに及ぶ。結語はにわかにこれを読

むと、必ずしも対偶になっていないかのようである。けだし対偶表

現にする意識がなくて自然に対偶を成したのだ。胡国瑞﹃詩藪﹄に

云う、﹁この詩はこれ自体当然古今七律の圧巻となすべきだ。但だ

結句が微弱であるようなのは、けだし前六句が飛揚震動︵ダイナミッ

クな様相︶を極めているからには、哨快︵はしこく軽やかな調子︶

をなせば、おそらくはいまだ一張一弛の宜しきに合わない。或いは

転じて別調に入ると、かえって更に一首全体の累︵足をひっぱりか

ねない欠点︶となり、ただこのように冷冷︵弱々しく沈んだ調子︶

に収めると、限りなき悲涼の感が言外に溢れてくる。どうやら相応

しくないとはいえぬようだ﹂と。この論がすべてを言い尽している。

しかし古今の圧巻とするのは、おそらくは或いは今ひとつである。

またこの篇は、輯話本は別に一首とし、題を﹁登高しに作るが、そ

の方がいいようだ。趙次公がむりやり﹁九日五首﹂に充てるのは、

よくない。︿猿曳哀し﹀といい、︿独り台に登る﹀といい、︿濁酒の杯﹀

という、やたらと前首と雷同︵類似︶する。そのうえ前首に︿独り

酌む杯中の酒﹀というのに、この篇で︿新たに停む濁酒の杯﹀とい

うのは、なんとも矛盾しており、別に一首であるのは、明白である。

  1送聴罪八秘書赴コ杜相公.短く 董   ︵淺−︶  公自註ユ相公朝謁.。今赴二後期∼也。蓋杜先入朝シ、李乗レ舟二追.   ︵注2︶       藻3︶        ︵注4︸ 赴レ之二食。大藩,所”居日二幕府↓、詳二見干前山。大聖中、杜鴻漸  三一黄門侍郎同旨章事↓爲二剣龍節度使外。故二禰儲相公.幕↓。李秘        ばら   書ハ居二灌縣.青城山中.∼、杜卒二崔旺ヵ之難↓、實資⋮其謀 。今杜還レ          ぱお   朝、法先表シテ用億之ヲ、故二選ア入レ幕二。李由⋮﹂舟跨∼赴レ京二、自⋮⋮盆        な    州⋮下レ江.、食け嚢二見レ公ヲ、公義テ送生以以ル詩.也。公評有王位二李秘   ハだ    書.註軒云、幕府簿頻二間、山家藥正二鋤ク、台星入テ朝謁.、使節膚卦  風詠一。亦是.時芳念。 ︵注1︶ この﹁相公朝謁す。今、後期に赴くなり﹂という注は、東陽が底本と    した郡傅﹃集解駈を始めとして、郡宝﹃集註﹄︵巻二十三、送溺類︶、蘇    益﹃分一類鰯 ︵巻二、送劉︶、顧照辰﹃註解駈、銭“圧︵㎝巷十六︶、鰭桝註︵巻十六︶    などには見えないが、仇三三の詳註︵三十九︶には原注として挙げる。    但し、李八秘書については、この詩とは別に﹁李八秘書に贈り回る三十    韻﹂詩があり、銭注︵巻十五︶・輯註︵巻十六︶および詳註︵巻十七︶に        はかぢごとしき    その第三十五句﹁幕府簿頻りに問ふ﹂の原注としてこれを挙げる。 ︵注2︶ 薄野﹃分類駈に﹁杜蓋し先行し、孝子って之に赴くなり﹂と。顧震﹃註    解﹄に﹁黄鶴田く﹂として﹁大町二年六月、剣薄節度使杜鴻漸入朝して、    李秘書を記して幕に入る。杜蓋し先行し、李追って之に赴く﹂と。いず    れも宇都宮旧庵の増広本に挙げる。また﹃唐詩山回﹄︵巻十、投贈三佐︶    に﹁杜先に入朝し、一舟に乗り追って之に赴く﹂と。

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(14)

文化情報学部紀要,第12巻,2012年         ま ︵注3︶ 訳注稿伽、6﹁府に宿す﹂詩の首聯の詳解に﹁大将の居る所を幕府と         む      も   臼ふ。本と軍中の号。幕を設けて府と為すを謂ふ。史記李陵が伝に見   ゆ。唐の節度使幕府を以て称す臨と。 ︵注4︶ 杜鴻漸︵七〇九∼七六九︶の伝は、﹃旧唐書臨巻一〇八、﹃新学書﹄巻    一二六に見え、﹃旧回書﹄巻十一、代宗紀、永泰二年︵十一月に大暦と改   元︶二月の条に鴨壬子︵二十六田︶、黄門侍郎・同平一事の杜学力に命じ    て、成都歩を兼ね、節を持して山南西道・剣南東川等等副元帥に充て、    な   伍ほ剣南西川節度使に充て、以て郭英父の乱を平らげしむ篇と。また大       よ   暦二年六月の条に﹁戊戌︵二十沼︶、山南・鋼南副元隠蟹仁淀、蜀粘り入   朝す﹂と。黄門侍郎は、門下省の次官︵正四晶上︶。同平章事は、宰相職   にあたることを示す称号。 ︵注5︶ 顧震町註解駈に﹁李秘書、青城山中に居り、杜鴻漸の撰肝を平らぐ、         よ   実に其の謀に憤る﹂と。宇都宮遜庵の旧著にも挙げる。李秘書が青城山   中に居住していたことは、前の︵注1︶に挙げた﹁李秘書に贈り別る三        まさ  す      ちかご   十韻﹂詩の第三十六句﹁山家薬正に鋤く篇の原注に門秘書比ろ青城山中   に臥す﹂と見える。凹大明一統志臨巻六十七、成都府、由川の条に﹁青城   山扁の項があり、﹁灌県の西南五十里に在りしと。蜀における道教の聖地    の一つ。四割は、今の四川省都江堰市。 ︵注6︶ 顧震﹃註解﹄に︵注5︶に挙げた箇所に続けて﹁今入朝して表して之   を用ひんと擬す篇と。宇都宮趣庵の旧著にも挙げる。 ︵注7︶釈大典﹃杜律発揮臨に﹁李由二舟路⋮赴レ京二、故二自・予州︸下レ江.、   過け嚢而見レ公エ也﹂と。 ︵注8︶ 前の︵注1︶に挙げた﹁李秘書に贈り怠る三十韻﹂詩の第三十五句か   ら三十八句。顧震﹃註解駈に︵注6︶に挙げた箇所に続けて、これを引

  ∼宇都宮羅の薯にも挙げゑ︿吹嘘た﹀嫉糞璽.船訳籍口脳

   ﹁献納使起居田舎人澄に贈る星羅に﹁惟だ吹幽して上天に送らんことを   待つ﹂とあり、その詳解参照。 ︵注9︶ ちなみに、丁零は黄鶴注に拠って、この﹁李八秘書杜相公の幕に赴く   を送る﹂詩を大暦二年九月の作とするが、﹁李秘書に贈り別る三十韻﹂詩   については、やはり黄鶴注に拠って、大棚元年七月の作とみる。鈴木虎   雄馬遠遊陵詩集﹄︵巻ナ七︶は、後者についても大暦二年の作ならんかと    いう。四川省文史研究館編﹃杜甫年譜輪︵四規人民出版社、一九五八年︶    は、いずれも同時期の嘉暦二年の作とする。

公の自註に﹁相公朝謁す。今、後期に赴くなり﹂と。けだし杜相公

が先に入朝し、李秘書が舟に乗って後から赴くのである。大将の居

る所を幕府という。詳しくは前に見える。大暦︵七六六∼七七九︶

年間、杜鴻漸は黄門侍郎・同一旧事の肩書きで剣南節度使となった。

それゆえ︿相公の幕﹀と称する。李秘書は都県の青城山中におり、

      はかりごと

野駒漸が崔肝の難を平らげたのは、実にその謀による。今、杜鴻

漸が朝廷にもどり、上表してこれを用いようとし、それゆえ召され

て幕府に入った。李秘書は舟路で京に赴き、益州から長江を下り、

愛に立ち寄って公に会った。公はそれで詩を作って送るのである。

       しき

公にはまた﹁李秘書に別る﹂詩があり、﹁幕府簿頻りに問ひ、山家薬

まさ   す

正に鋤く。台恥入って朝謁す、使節吹嘘有り﹂と。やはりこの時の

作である。 青簾白肪盆即言來ル  牟岐.秋濤天地廻ル       ︵泣10︶  青簾白肪ハ謂二行色隠忍サ㌻、然トモ非⋮官舟.∼。郡註謬.リ 。或ハ引ニ     ハ注鷲︶   ︵注12︶  劉溶ヵ事弓、偽蘇之妄耳。釜州ハ蜀.旧名。此言下三二西蜀⋮下げ江.          ︵溢13︶  至翻挾二也。廻ハ旋也。天地廻ルハ一二秋挾濤勢之壮ナ。、天地爲レ之。   ︵注14︶  二期誘。也。 ︵注10︶ 郡傅﹃集解﹄に﹁宮舟﹂と注する。顧震﹃註解﹄も同じ。これに対し    て、釈大典﹃杜律発揮駈に﹁肪ハ方舟也。難航ハ無レ彩、何日瀞官舟ごと。    ちなみに、鈴木虎雄﹃杜少陵詩集﹄︵巻ナ九︶も仇兆贅の詳註に従って     ﹁官船しと解する。 ︵注11︶ 宋・親仁仁編、黄鶴補註﹃集千家註分類杜工部詩臨︵巻二十三︶に﹁蘇       りゅうし ん    よ    臼く﹂として﹁劉溶、益州自り荊渚に帰るに白肪薫棟、皆添附青簾、多    く妓女を諭す。峡人呼びて天上の楼船と為す﹂と。蘇益冊分類駈に﹁劉    溶、荊渚に帰るに自肪百棟、皆野帆青簾、人呼びて天上の楼船と為す﹂    と。﹃分類﹄は、宇都宮趣庵の増広本にも挙げる。 ︵注12︶ 偽蘇については、訳注稿因、33﹁斐廼蜀州の郵亭に登って客を送り相       0    憶うて寄せらるるに和すし詩の詳解参照。

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