『伊勢物語実義本証文』と冷泉家流古注 : 本文・
本説注記について
著者 木戸 久二子
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 1
ページ 46‑60
発行年 1990‑06‑03
URL http://hdl.handle.net/10076/2599
『伊勢物語実義本証文』と冷泉家流古注 ‑‑‑本文・本説注記に
つ
い
て
‑
ほぃレめに
神宮文庫蔵『傍勢物語注本』(注1)(以下、『注本』と略
称する)には、「本証に」.、「実義に」という引用が見られる。それに関する記述がすべて桃園文庫蔵『伊勢物語実義本訂文』
(注2)(以下、『本証』と略称)に存在し、さらに『注本』
で単に「口伝」・「可尋」とある部分もほとんど『本証』に見
えることは別稿(注3)で指摘した。ところで、冷泉家流『伊
勢物語』古注を代表するものとして扱われている宮内庁書陵部
蔵『伊勢物語抄』(注4)(以下、『書陵部本抄』と略称)に
けいそう(稽相)千丈の竹の丈、此刹訊也。(第七九段)
(傍線筆者、以下同じ)
のように「本証」と見える。また、慶応義塾図書館蔵『定家流
伊勢物語註』(注5)(以下、『慶応本註』と略称)でも、巻
頭の総論に
木戸 久二子
今此本家流ハ朱雀院′御宇大事大弐従二位行藤原長能右権
佐正四位下行源道済二人。軌劉瓜融注裏書等ノ旦書ヲ副
テ塗龍三被ル置也
とあり、長尾一雄氏による解題の中で
長能、道済の塗熊本に副えてあった髄脳本諾とほ、一は「伊勢物語朱雀院髄脳」一ほ「伊勢物語実義本証文」のこ
とと思われ、それぞれ本書の所説と一致する所が多い。例
えばその項目のみを掲げても
◎まめ男をみそか男といふ事(本証)
◎いちはやとは早速と云事(本証)
◎みやひとはまくほひをいふなり(両書共)
◎ほしたなきとほやさしといふ事(本証)
◎なみとほ涙を云事(両書共)
等であり、「まめ男」の件に貞親政要の風方(芳)君のことを掲げ、みやびの件に史記十八の故事を引く点等も本書
と同じである。
ー46̲
と指摘されているのである。
長尾氏が記す『伊勢物語朱雀院髄脳』(注6)(以下、『髄
脳』と特称)は『蕃証』と同様、桃園文庫の所蔵である。『本
証』と大体同じ内容の書であるが、項目の数等に差異が認めら
れる。本稿では、詳細である方の『本証もを検討し、冷泉家涜
古注との関係を考察してみたい。
∵
『本証』は縦二六ニー糎、横一九・七糎の稽紙袋綴一冊本。
表紙は水色で中央に「伊勢物誰蛇貰義本謹文」の題愈があり、内
題も同様に「伊勢物語音義本讃文」とある∵紙数は全四十八枚
〔表一〕 だが、前後一丁ずつが遊紙で第四丁、第五丁が書き損じ、第十八、第十九、第l一十丁が白紙なので墨付は四十一枚となる。奥書の後に以仁和専守理法親王之本凌老眼窮困考六天正ま庇首夏之比令書功詫玖山樵夫
という識語があり、天正二十年(一五九二)の四月に九条稽通
が仁和寺の守理法親王の蜜‑書写したとい、つことになる。大津
有一氏は『伊墨叩古註釈の研究』の中で「筆跡によつて判断
すると自筆かと思ほれる。」とする。内容としては、『伊勢物
語』中の語句について項目をあげ、内外の古典をもってその典
拠を記しており、いわゆる注釈書ではない。「一〜」として二字上がりで示される項目は全部で七十一である。『髄脳』の項
目とともに次に掲出してみよ、つ。(番号は私に付した)
ー47‑
①いとゝほもーrbといふ事
②なまめいたるとほやさしきといふ事
③かいま見てとはまくわひといふ事也
④はしたなきとはやさしといふ事
⑤わか紫とほ女の異名と云事
⑥いちはやとは早速と云事
⑦みやひとほまくわひをいふ事
髄
⑧まめおとこの事
⑦みやひといふほまくはひをいふなり
⑨ほにはあらてと云ほかくるゝ義なりといふ事
③かひまみてといふはまノユのひといふ事
⑤わかむらさきといふは女のいみやうといふ事
審わかくさといふ事は女の異名といふ風といふはおと
このいみやうといふ事
⑧まめおとこをみそか男といふ事
⑨ほにはあらてとはかくるゝ義といふ事
個ほの′∵と云事
⑪夜もふけぬといふ四方かたむるといふ事
⑫かみなるさほきにえきかすと云天上のさはきと云事
⑬弓やなくひをいてとは心のたけきをいふ
@あやと云はかなしやといふ事
⑬あはひとはましはりといふ事
⑬なみとは涙をいふ事
⑰しろしとはあらはなりといふこと
⑬かへるとほ悉くをいふ事
⑬つたの事
⑳かへての事
⑳すゝろとはからき事をいふ事
⑳王位を高山にたとふる事⑳公卿を月の里人といふ事
⑳殿上人を雲林と云事
⑳公卿殿上人を星林と云事
⑳渡守を関白といふ事
⑳御門を舟と云事
⑳御門を日と中寿事
⑳御門崩御を日没と云事
⑳しきのおほきさとは大唐司宜王云事 ⑪よもふけぬといふ事四方かたむると云事⑫かみなりといふ事⑯あをやと云ほかな七みといふ事⑳御門を日と云事⑬あはひと云は偏しろくと云事はあらはなりといふ事⑬かへると云はなくをいふ事⑬なみと云はなみだをいふ事⑬つたの事.⑳かやでの事⑳王位を高山にたとふる事⑳日もくれぬといふは御門の死給をいふ事⑳公卿を月のさと人といふ事⑳殿上人を雲杯と云事⑳公卿殿上人を星林といふ事⑳御門を船と云事⑳わたしもりは関白といふ事⑳御門をみやこ鳥と云事⑳きつにほめなてといふ事⑳ゆみやなくひをひて七いふ事㊨さかなきと云事⑳いさゝかなるといふ事
⑬男女七さいの中に必とつきをはしむる事
ー48‑
⑳御門を都鳥こ響事
⑳舟こそりて喝とはおそれてと云事
⑳あてなる人とはあたなると云事・
⑳長房春秋魯記七云
⑳あかくさとほ女異名云事
⑳きうにはめなてとはきつねと云事くたかけとほちひ
さき家のにほとりと云事
⑳さかなきとはふるまひなしといふ事
⑳男を風と云事
⑳いさゝかなることゝはいさかひと云事
⑳男女七歳中二必ス嫁始事
⑪白浪緑林は資人之異名事
⑫にゐまくらの事
⑬三年を三春と云事
㊨かことゝほちかことゝ云事
⑬弓つるに心ありと云事
⑯かへりことゝ云事
㊨ともちけちとは人の命と云事
⑳してのたをさとほとゝきすを云事
⑳いほりあまたと云事夫多と云事
⑳をかしとはやさしきを云事
⑳鳥のこを十つゝかさぬと云事
⑳行水工数かくと云事 ⑳にゐ枕といふ事⑬ゆみつるのこゝろと云事⑳かへりことゝいふ事㊨ともちけちといふ事⑩してのたおさの事⑳いほりあまたと云事⑳おかしきと云事⑳女といふ文字を鬼とよむ事⑳花橘と云事⑳あまになりて山に入と云事⑳つくかみと云事⑳むほらからたちの事⑳ちいろある竹の事⑳ものたきと云事⑳かさひとつふたつといふ事㊨あまのさかてといふ事⑬ほのノ\と云事⑳しきのおほきさと云事
‑49‑
⑳こともなきほよき事といふ事
⑳女と云字を鬼と読事
⑳花橘の袖の香と云事
⑳尼に成て入山云事
⑳たはれしまとはたほふれをそへたる事
⑳ぬれきぬを無実と云事
⑳つくもかみと云事′
⑳むはらからたちの事
⑳千いろある竹はちいろと云事
⑳お伯みきとは三本木と云事・
⑳もたきと云事
⑳かさ一二とほ男を云事
⑳苦わひしきを炎熱之義と云事
@心安き事を風にたとふる事
⑳あまのさかてと云事
⑳たままつりの事たまむかへの事
⑳したひものしるしと云事⑳そっするとはうらみことゝ云事
⑪あそ男とほうかれ男と云事
‑50‑
以上、『本証』七十一項目に対し『髄脳』ほ四十八項目であ
り、『髄脳』のそれほ『本証』の中にすべて見出だす事ができ
る。なお、⑳「長房春秋魯記七云」には「予元是清州鳥人云々」 とあって、『慶応本註』第一〇段の
ナホ人卜云ハ鳥人卜書リッキナル人ナリ
史記云鳥人者銚作他失刀自徳一
ご
ク
ヨリ レ
ノナヲナ〓ノ長鳥春秋魯記云予元是清州鳥人
と同じものであり、項目の脱落と考えられる。
『本証』が引用する典拠は冷泉家涜古注においてしばしば
「本文」・「本説」と呼ばれている。例えば、『書陵部本抄』
第二三段には「おきつ白波とほ、ぬす人也。白波といふ事、刹
封めり。」と見えるし、第三七段・第〓一段にも「したひも
とほ、夷也。下ひもを契といふ事ほ、刹謝、若紫のすり衣の所
にあり。」、「返し、下ひものしるしとするもとけなくにとほ、
契帯。封説如前書。」とある。また、『慶応本註』でも「三春ヲ三年卜云事羽刃云」(第二四段)、「シタヒモト云事羽刃云」
(第三七段)としてそれぞれ文献を引用している。さらに、鉄
心斎文庫蔵『増纂伊勢物語抄』(注7)(以下、『増募抄』と
略称)では「王位の高きを山と云事刹剥如古今云」「王を日と
云刹剥如古今」
(以上第九段)としたり、同文庫蔵『十巻本伊
勢物語註』(注8)(以下、『十巻本註』と略称)でも「行水
ノ寄ハ本羽力古今ノ注ノ如シ」(第五〇段)とするなど、同じ「本文」が『古今集』の注に存在することを指摘する部分が多
く見られるのである。
この「本文」という語は、藤原公任の『新撰髄脳』(注9)
に
古歌を創文一にして詠めることあり。それは言ふぺからず。
惣じて我はおぼえたりと思ひたれども、人の心得難きこと
はかひなくなむある。 とある。藤原清輔の『奥義抄』ではこれを換言して
又内外典のふみ、ふるき詩歌もしほ物がたりなどの心をも
ととしてよめる事あり。古歌の心、ものがたりなどは、古
きことのみな人の知りぬぺきならずばよむぺからず。われ
は思ひえたりとおもへども、人の心えぬ事ほかひなくなむ
ある。
とする。つまり、他人にわからないようでほ「かひなくなむあ
る」からこそ、和歌の真の意味を理解してもらうために「本文」
を記す必要が出てくるというのである。
実際、『隆源口伝』に「高砂とはよろづの山をいふなるぺし。
その故ほ利剥云、積レ砂成レ山といへり。然ればいふなるぺ
し。」とあり、『俊頼髄脳』に
天の河うき木に乗れるわれなれやありしにもあらず世
はなりにけり
是は昔采女なりける人をたぐひなくおぼしけり。例ならぬ
事ありてさとにいでたりける程に亡やれさせ給ひにけり。心
地よろしくなりていつしかと参りたりけるに、昔にも似ず
見えければ、怨めしと思ひてまかりい′でゝたてまつりける
歌なり。羽刃なり。
とあるように、歌学書において、「本文」という語が説話的に
表現の由来を説く際の典拠として用いられている。さらに、「本文」と断っていなくとも、本文を載せる条が非常に多いの
である。
‑51‑
冒頭に記したように『書陵部本抄』は第七九段で
寄に、我門に千尋有竹をうへつればとは、我一門に此皇子
の生れ給ひぬれば夏冬もそのかげにてへ(経)なんとよめ
る也。此事、上のあくた川のだんに引たる。けいそっ(稽
相)千丈の竹の丈、此刹甜也。其竹のさかへたりしやうに、
此王子さかへ給はゞ我らも其かげにかくれさかふぺしとよ
める也。とする。そこで「あくた川のだん」、すなわち第六段を見ると
「夜もふけにけるとほ、夜の儀もあれども、又は四門を閉て出
方なきを云也。」として「我宿者挙っる市爾阿長禰登茂四門野
門辺爾人左和具南里」という歌を引く。そして、この歌の「き
ノヽっる市といふ事」に関して
史記云、稽相十丈勅‥能筆日月出葉間、栄長年童霧消滑、門
前成市待彼薬、待上寿嘲此命云々(以下略)
〔表二〕 と引用する。『本証』は確かに⑳「千いろある竹はちいろと云事」に「史記六云」として同内容の本文を引いているのである。しかし、『書陵部本抄』で「本証」と記すのはこの部分のみであり、「本説」の誤りでほないかとも疑われるのである。
一一
次に、『本証』の記す本文と冷泉家流『伊勢物語』古注のそ
れとを比較し、表にしてみる。「O」は同一の本文を引く場合、「●」は本文を示さないが、その解釈をとる場合、「△」ほ同
じ解釈をとるものの異なる本文を引く場合、「×」は解釈が異
なる場合である。また、自身は本文を記さず、外の注釈書等に
それが存在することのみ一芸は抜粋しておいた。
‑52‑
⑤④ ③②①
HⅠ
0 0・00
書 陵 部
歪i
○ ⊂)■ 00 0
闇
十巻本註
0 0 0 0 0
⑳
⑳
⑳
⑳
⑳ ⑳
⑧
⑳
⑳
0 0 0
本説有也(傍注)
⑳⑬⑰⑬⑬⑭⑳⑫⑪⑬⑨⑧⑦⑥
○△0000000000● 0000
000000△0000000000欠欠000
ヽ‑■′ ヽ‑′
本 ロ 口
証 伝 伝
に 可 あ
= =●○●●あ =●尋●● り
0000 0△000 000000 0000
妻
璧●。。
今 00 00● ○ △0000000 000 0000
ー53‑
⑳⑳⑳⑳㊨⑳⑬㊥⑬⑫⑪⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳
00△00 00000000 ×○△△●400
0 00 00 0 000 00 ●○ 〇〇00 00
○ = = ●○ ●○ ●● ● ●
又
000奇○●
芸
0 0△ ○ 00000000 ×○△△●△○●
如 古 今
0 0△ ○
0 0000 ○ ●●●●0 0●0 000
‑54‑
⑳⑳◎⑳⑳ ⑳⑳⑳ ⑳⑳⑳⑳⑤ ⑳⑳⑳⑳
0 0 0 0
わたくし事也。可
尋なり。
000 △ 00ノ0 0000●
0 0 0
0
星宮口伝ト守秘事
アリ
000 00 0 00 0 0000
0 0
実義に云
本証にあり尋へし
ほしの宮の口伝と
云秘事麦にあり能
々可尋
○
本証にあり
○
●
能々本証に見えた
nノ
○
本証に口伝あり可
尋
本文古今ノ注ノ如
シ
○ ●
子細別こアリ
○ ●
〇 .〇
委ク古今こ云力如
シ
0 0 0 000 ●△
本文如古今注
○
△
古今如
有二別エロ伝一也
●
如古今
0 0
此寄の本文如古今
今の如し
0 0
● △
0 0
古今云実の本文の
0 00. 0
000 △ 0 0 00
‑・55‑
り
1
・叫
一見すれば、冷泉家涜古注がこの項目のほとんどに典拠を引
いて説話的に語の由来を説いていることが明らかになるであろ
同じ解釈を示しながら異なる本文をあげる例もいくつか見ら
れる。⑳の「あてなる人とはあたなると云事」を『本証』ほ「貞親政要九巻云万騎主賓而政当云々」とし、『慶応本註』と■『注本』、鉄心斎文庫蔵『伊勢物語奥秘書』(注10)(以下、『奥秘書』と略称)がこれに一致する。l方、『書陵部本抄』
、†d
t∫b▼
文選云、燕昭公演武太子時勝人也と云。是はかん(漠)の
ぶていの太子の事也。又、毛詩云、二月花薫袖、長春当人、
三秋月来枕、日零天と云。
とし、『十巻空証』、『増纂抄』と一致するのである。また、
⑳「御門を都鳥二馨事」に閲し、同じ「文集」からでも『本証』
と『慶応本註』、『奥秘書』は
朝今持レ虚実(左訓「アサマツリコト」)逮湘三雲路‑天
下果二自重飛如レ鳥
(『慶応本註』)と引き、『書陵部本抄』、『十巻本註』、『増纂抄』は鳥公政ノ巽翻四海二賢政ノ慈雲覆こ千万峯ぺ (『十巻本註』)とするし、⑳「いほりあまたと云事夫多と云事」では『本証』
と『慶応本註』が「夫結多不士田之長野耳蓋登不相汝悲モ
娘ホ一夜毛(『本証』)」という歌を引き、『書陵部本抄』が「結天して千世もへぬぺしわぎも子がまだくろ髪の色もかほら
ず】という警あげて『十巻本註』、『増纂抄』と一致するな
ど、『書陵部本抄.ア∵『十巻本註』、、I『増纂抄』の三本に『本証』とは異なる本文を引く部分で共通性が見られるのである。『書陵部本抄』等が『太証』と異なる解釈をとるのほ第一四
段の「夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせ
なをやりつる」の歌についてだけである。具体的にほ、『書陵
部太捗』ほ「くたかけ」を
家隆云、くたかけとは、ちいさき家の鶏と云。くたとほ、
少の義也。くたけたるといふ意也。くはいへ(家)、けは
鶏也。此義不然也。唯、くたをきりかけたる故に、くたか
けといふなり。′行家には、ひよくのなくを間てよめりと
云。くたかけとは、小難也。小鶉一書て、くたかけとよめ
り。鶏は、かけとなけば、くたかけとは、小鶏といへり。
たうりつ(当流)には不然。
‑56‑
とし、『十巻本註』、『増慕抄』も同様である。つまり、『本
証』が記す「くたかけとはちひさき家のにほとりと云事」は「家隆」の説であって、当流でほ用いないと言うのである。
しかし、『本証』が『書陵部本抄』の記す「家隆」の説をす
べてとっているかと言、つと、そうではない。同じ「夜も明けば
きつにはめなで」の歌の「きつ」を『書陵部本抄』ほ
きつと云ほ狐也。寄の心昼庭鳥の夜ふかく喝て男をかへ
すに、夜明ば狐にくぁせばやといふなり。故にきつにはめ
なでと云。又家隆に、きつとほ、むま舟を云。されば、夜
明たらば此度鳥を馬舟にうちはめでをかじと云。むま舟を
きつといふはあづまことば也。
とするが1項目に「きつにほめなてとはきつねと云事」とあっ
たように『本証』も狐説である。また、第一段で『書陵部本抄』
ま
はしたなしといふに二義有。家隆には無半と看て、はした
なしとよむ。さればよのつねの中間成ものを、はした物と
いふがごとし。ゆへに、ほしたなしとほ、由南にかけたる\
也。当家には、無簾と書て、はしたなしとよむ也。是はわ
ろからぬ義なり。
として『本証』と同一の文献を引用しているなど、「家隆」で
ほない説と『本証』が同じ場合の方が多いのである。
また、⑳「すゝろとほからき事をいふ事」では『注本』のみ
が、⑳「菩わひしきを炎熱之義と云事」でほ『慶応本註』ゐみ
が、それぞれ『本証』と同じ本文を引いている。最も多く『本証』と同様の本文を引くのは『慶応本註』であ
る。『本証』の全七十一項目のうち八五・九パーセントに該当
す旦ハ十一項日妄載せている。中でも、『本証』の最終項邑の ⑪「あそ男とほうかれ男と云事」には「文垂ハ十二巻云姐女阿
曽好辱否傾城髭好尤宜也云々」とあるが、これほ『慶応本註』
第〓六段に
私云此嘩【アソ男卜云コトヲ注七。ソ此本ニハ見ヘス可レ尋 阿曾人卜云事文集士ハ云飽女阿曾ヲ好
辱 否ヤ
ワロキ女ノウカラヌ心ナリ其道ヲ好ムハハチナリヤイナヤ
ト云也
と見えるのみで、外の冷泉家古注には見当たらないのである。
また∵⑰「しろしとほあらほなりといふ事」に『本証』は「六
帖集云文屋康秀恋になく涙の瀧の白糸のしろくや人にあは
んといはまし」という苦くが、『慶応本註』も同種である。
さらに、⑳「御門崩御を日没と云事」を『本証』は
古顔集十八巻云あきらけき照日ほくれぬ今はわれよるて
らす月のかけをたのまむと思ける哉此寄は小田連王子神
武天皇第四ノ御子也神武天皇崩御の時よませ給へる寄也
とし、『慶応本註』も
神武天皇御没時第四王子小田達皇子作
アキラケキテル日モクレヌ今ハ我ヨルテラス月ノ影タ
タノマント田雫ケルカナ
一‑‑‑⊥57‑
とするなど、参考歌として引用する和歌にも共通性が確認でき
るのである。
『注本.虫にほ「本証に」・「実義に】という記述が見られる
上に、本文・本説を引かない場合でも『本証』と同じ解釈をと
る例がかなり多い。これは、他本と比べて注釈が簡略な『注本』
の特徴を表している。去注本』■が『本証』からの書承を含むこ
とほ確実であると思われる。しかし、『慶応本註』の場合は重
載項目が最も多く、・総論で「髄脳本証」の名を引いているとし
ても、・『本証』からの書承であると判断するにほ疑問が残る。「髄脳」ほもちろん「本証」も、いわば普通名詞的な書名であ
って同名の別の本を指すのかもしれない。それに、塑ハ段の√ 「露」や「足ずり」、第二頭の「武蔵野」、第〓ハ段「三代
のみかど」、第二一段「忘れ草」や第二五段の「朝の袖」、第
四〇段の「血の涙」など、『本証』が載せない本草本説も
『慶応本註』にはかなり存在しているのである。ただ、「武蔵
野」や「朝の袖」といった本説は別にして、『東証』になく
『慶応本註』が引く漢籍の太女ほ『書暖部本抄』、『十巻本註』
『増纂抄』にほ全く見られない。その点で『慶応本註』との共通性を示すのが『奥秘きである。前述した、『本証』に存在 せず『慶応奉託』が引く本文のほとんどを『奥秘書』も載せる
のである。
また、第五〇段「ゆ<水に敷かくよりもはかなきは息はぬ人
をおもふなりけり」の歌の本説は、引用書と時代設定が『書陵 部太抄』が「万葉」「聖武天皇の御時」、『本証』と『注本』
が「続万葉集」「欽明天皇の御時」、『弘賢十年古今集忍法心 (注11)が「日本記J「迂早天皇ノ御時」というさっに様々に 異同がある点で興味深いものである。これを『慶応杢辻』と 『奥秘書は「日本記」「仁徳天皇御時」として一致する。つ まり、『奥秘書』ほ冷泉家流舌注の中でも特龍『屡儀』に
近い事が確認できるのである。以上、芸証』と冷泉家流古注との関係を見てきた。重載項 目の割合が六本ともかな旦同いことから、例外はあるにしても
『本証』は冷泉濠流古注が載せる本文・本説の中でもポピュラーなものを集めてあるよ、是思われをまた、ここで取り上げ た七本のうちでは『本証』1『慶応本註』・『注本』.・遍秘
書』の四本、『書陵部本抄』・『十巻本註』・『増帯秒』の三本が、それぞれ比較的近い内容を示すということが言えるのである。‑58‑
〓一
文保の頃の冷泉家の当主、為相の蔵書日銀かと言われる「私
所持和歌草子月録」
(注望、いわゆる「冷泉豪華子日銀」の 『伊勢物語』注釈書の士ハ番目に「同字義本澄文」という書名
が見える。私はこれは「実義本証文」ではないかと推測するの
であるが、そうすると、『本証』と同名の注釈書が文保(〓ニ一七・‑〓三九)当時、すなわち鎌倉時代末期に既に存在して
いたことになるのである。『本証』ほ九条積通の書写によるものとされ、大津有一氏ほ
「穂通は最初源氏物語を外祖父の三条西実隆に学んだが、後公
条・実技などにも質して孟津抄五十四冊を著した。伊勢物語も
勿論三条西家の字間を伝へたのである。肖間抄を写してゐたらしいし、伊勢物語実義本証文のやうな秘説も書写してゐる。」
(注13)とする。冷泉家流舌注を批判する記述を含む『肖聞抄』
を写していた稽通が冷泉家流舌注の本説.・本文注記の秘伝書を
写していたことになるのである。もっとも、一条兼良の『伊勢物語愚見抄』(注14)には
来歴ども引のせたる和漢の書典、一としてまことある事なし。昔物語の本意をつしなふのみならず、詞花言葉のたよ
ケにもなりがたし。末字のともがらゆめく信用すべから
ず。
とある。実際、ほとんどの本文ほ引用したとする文献に見当た
らない出典不明の引用なのである。しかし、『肖間抄』に「古
注」として批判されるのは・
うゐかうぶり、元服の事也。舌注には、承和七年、士ハ歳
と云々。如何。古注之勘、相違の事多也。簸用之。
\
(第二段)
西の京に女有けり、此女誰ともなし。舌注に二条后と云々。 不用之。(第二段)
むかし、男有けり。京に有わびて、業平流罪の時の事也。当流の説、東国下向の分也。舌注に種々響愉不用之。
(第七段)
のように年月日注記や人物注記、寓愉であって、本文・本説で
ほない。.そっすると、本文・本説のみを集めた『本証』は、そ
の意味でほ冷泉家流の人物・年月日注記、寓愉を否定している
のかもしれない。
本文・本説ほその言葉の背景に存在するものとして、解釈に
奥行きと広がりを与えようとするものであつた。それだからこ
そ、本文・本説を記すのみの『本証』のような注を作.ったのであそっ。また、『本証』ガ冷泉家流舌注の荒唐無稽な部分を切
り捨てたものだとするなら、そういう立場をとりながら、なお
本文・本説というものは『伊勢物語』の深淵を理解する上で必
用であり、参考になったとい、}ことになるのである。
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〈.注〉
(1)大津有一氏『伊勢物澤古註釈の研究』.(宇都宮書店
昭29〓ニ〇三〜三〇四貢、片桐洋一氏『伊勢物語の研究
〔研究篇〕』(明治書院昭43)五四六〜五四九貢。
(2)
『伊藁叩古註釈の研究』四一〜四七貫。なお」増訂
版『伊勢物語盲註釈の研究』(八木書店昭61)にほ同
・書の巻頭部分の写真を載せている。
(3)拙稿「神宮文庫蔵『伊勢物語注本』をめぐって」
(早
稲田大学大学院中古文学研究会『中古文学論致』第十号
平成元・12)
(4)宮内庁書陵部蔵『伊勢物語抄』(片桐洋一氏『伊勢物 語の研究{資料篇〕』所収明治書院
昭44) (5)長尾一雄氏解題十翻刻『定家流伊勢物語註』人慶応
義塾大字周文学研発会1国文学論叢第三登玉平安文学研
究と資料』所収至文堂
昭34)、、
(6}『伊勢物語舌註釈の研究』四一〜四七貢
(7)
鉄心斎文庫蔵『将器董d。抄』
(片桐洋一氏『鉄心
斎文庫伊勢物語舌注釈叢刊』第一巻所収八木書店
昭 63) (8)
鉄心斎文庫蔵『十巻本伊勢物語註』
(『鉄心斎文庫伊勢物語舌注釈叢刊』第一巻所収)
(9)以下、歌学書の引用はすぺて佐佐木信網氏『日本歌学
大系』第壱巻(風間書房昭胡)による。
(10)
鉄心斎文庫歳『伊勢物語奥秘書』(『鉄心斎文庫伊勢
物語舌注釈叢刊』夢一巻所収
八木書店平成元) (11)『弘安十年古今集歌注』(片桐洋一氏『中世古今集注
釈書解逝〔二〕』所収赤尾照文堂
昭46) (12)
片桐洋一氏「冷泉家蔵草子目録について」(『和歌史
研究会会報』第八号昭37・12)。後に『伊勢物語の研 究〔研究貫〕』五七六貰および『中世古今集注釈書解度〔五〕』
(赤尾照文筆昭61)二三阻貢でも紹介されて
いる。それぞれ、.「同字義本証文」、■→同字義本注文」
とする。
(13)1『伊勢物語舌註釈の研究ミニ二四貢
(14)
以下、『愚見抄』と『肖間抄』の引用は『伊勢物語の
研究〔資料蔦〕』による。
・※
『伊藁㌢藁等館『日本古典文学全集』によ
った。
[早稲田大学大学院院生・一九八八年三月卒業]
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受贈書目《その二》
『国語国文研究と教育b(熊本大学)
『国語と巻円』
(長崎大学)『国文』(お茶の水女子大字)
『国文学』(関西大字)
『国文目白】(日本女子大学)『語文論慕訂(千葉大学)『佐賀大国文』
『静岡女子大挙国文研究k 二三号一四号七二号六」ハ号二九号一七号一七号
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