はじめに iii
イチョウは、日本人にとっては大変親しみ深い植物である。私にとっても 身近なものであった。私の生家の前には
250
年は経たお寺があり、境内に、当時すでに
200
年以上経た大きなイチョウの木があった。それで、その木に よく木登りをした。今はもう整備されていてとても登ることはできないが、当時は枝を伝って相当上まで登ることができた。そこからは、はるか遠くま で見ることができ、狭い範囲ではあるが、俯瞰を楽しむことができた。すぐ 隣は二階建ての鐘楼で、当時は第二次世界大戦の供出のため釣鐘がなかった が、鐘楼の軒には隙間があって鳥が巣くっており、そこに潜り込むと建物 のてっぺんまで登ることができた。それはほとんど私一人の秘かな楽しみで あった。他にもスギやサワラの巨木があり、やはり
200
年以上経ており、そ のいくつかにも登った。ただ、カツラは大木過ぎて登ることはできなかった が、その落ち葉の甘い匂いは今でも思い出す。それほどイチョウはありふれ た木であった。イチョウは日本に昔からあるものと思っていた。イチョウは種子植物であ りながら、精子を作るということを学校で習い、しかもそれは日本人により 発見されたことを知ったとき、不思議だなという思いはしたが、それ以上で はなかった。ところが、日本では一旦途絶えて、歴史時代に中国から導入さ れたものであるということも図書館の本で読んだときその状況に思いを寄せ た。また、境内にはコウヤマキがあった。イチョウ、カツラ、コウヤマキが 地球の歴史において良く似た運命をたどっていることは第
5
章で触れるが、子供の頃はそこにあることは当然と思い、そのような歴史を背景にしている ことはまったく想像しなかった。
はじめに
iv はじめに
また、茶わん蒸しをいただくときギンナンが潜んでいることは、イチョウ が身近に感じられる点である。本文で説明するように、ギンナンが得られる ためには、雄雌両株が必要であるが、その理由を知らなくても日本では古く からギンナンを得ていたということで、経験で知っていたということであろ う。また、多くの祭りにギンナンが現れていることも身近に感ずる理由であ ろう。ある春の日に、学会で赴いた京都で八坂神社の境内を歩いていると、
屋台がそれこそギンナンを様々に加工したもので一杯であった。祭りと一体 化していることは、イチョウが日常生活に入っていることを示す。その後各 地に同様なギンナン細工があることを知った。特に、本文で触れるように
1693
年以降にヨーロッパへ導入されたイチョウは、長い時を経て、1814
年 になって初めてギンナンができるようになったことを考えると、日本では馴 染みになった時期は相当古いと言えよう。ところが、縁あって
1990
年に東京大学理学部に勤めるようになり、1995 年から東京大学附属植物園の園長を併任で務めることになったが、諸般の 事情で園長職に通算8
年間関わることなった。最初の園長職に就いた時は、平瀬作五郎によるイチョウ精子発見から
100
年目を迎えるということで、池 野成一郎のソテツ精子発見と併せて記念のお祝いの会と国際シンポジウムな どをすることが決まった。正確には、併任になったのは99
年目で、その時 から発見100
年目に向けて準備が始まった。精子発見100
年の記念の会を組 織し、その組織の中心として活動したが、当然多くの人々の協力があった。会自体は大変順調に進行し、文部科学省科学研究費の助成も受け、他の植物 医薬の会社からのサポートを得ることもできた。外国人講演者
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名を数え る国際シンポジウムも企画し、1996年9
月8
日に東京大学山上会館で開か れた国際会議は盛り上がった。また、一般市民向けの「いまなぜイチョウか?」の公開シンポジウムも開催した。
東京大学安田講堂を会場とした公開シンポジウムは、一部には果たして聴 衆が集まるかという危惧もあった。そして、1996年
9
月9
日、その日はちょ うど平瀬の精子発見から100
年目であるが、小石川植物園で式典が開かれた。はじめに v
記念式典の開かれた午前中は晴れていたが、終了して本郷キャンパスへ移動 の段になって突然ひどい夕立が降ってきた。その時点で、安田講堂がガラガ ラであることも覚悟したが、奇跡的に雨が止んでしまい、参加者は続々と集 まってきた。新聞で広く報道されたこともあったためか会場が一杯になると いう予想外の盛況となり、参加者は
800
名を超えた。地方からの参加者も多 く、確認できた中で最も遠方の方は青森県からの参加であり、新潟県の方も おられた。そんな驚きの連続であったが、終わってみると、「イチョウの精 子発見、ソテツの精子発見」には不思議が山積しており、一般には知られて いない資料がその後も続々と集まってきたというのが実情であった。また、一旦集まるとそれをコアにして、さらに情報は少しずつであるが集積し続け た。
それら集まった情報は、まとまれば、その折々に、小石川植物園後援会 ニュースレターに寄稿した。数えると、それは
9
回に達している。関連する ものも含めるとそれ以上である。資料が集まりだすと、不思議なもので、雪 だるま式とはいかなかったが、徐々に増えていった。また、私の興味を知っ た外国の友人からも情報が寄せられるようになった。それらをまとめて、知っ ていただくことは意味があるだろうと思ったことが、今回の執筆に至る直接 の動機である。また、狭い範囲で知られていたことゆえ、多くの人に知って いただくことに意味があるという思いもあった。特に、科学では独創性が大 切というが、イチョウ、ソテツの精子発見は、日本人が世界に先駆けて行っ た大発見という点ではきわめて特異であるといわねばならない。それらをこ こにまとめて紹介するが、それらの舞台背景の状景も伝わればと思う。さらに、本書では特に第
5
章の「イチョウの繁栄と衰退のドラマ」では、多くの植物が登場する。それらのいくつかは、かつてヨーロッパでも北アメ リカでもイチョウと共存していたが、イチョウは中国に残り、いくつかは日 本に残存した。それらはコウヤマキ、ヒロハカツラなどである。それら日本 固有の植物を具体的に知っていただくことは意義ありと考え、それらの植物 が、小石川植物園のどこにあるかを第
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章に示した。それらを見ていただvi はじめに
いて、実際の植物としても確認していただければと思う。
そして、イチョウは一旦絶滅しかかったものの、人とのかかわりで今世界 に広がっており、現在世界の生物は多くが絶滅に瀕しているが、その将来の 姿にも示唆を与えてくれるという点で特異であると言わざるを得ない。この 概況が読者に伝わればと思う。
ここで、本書をまとめるに際して重要な要因となったもう一つの事実に ついても述べたい。イェール大学林学・環境学部長ピーター・クレーン
(Sir
Peter Crane)
教授とは、かねてよりイチョウを共通の関心としていることは認識していた。そして、
2011
年2
月に彼の準備中の著書「Ginkgo(イチョウ)」
のドラフトが届いたが、分量はまだ予定の半分以下ということであり、イチョ ウに関する日本における事実関係の照会であった。特に、イチョウの精子発 見の経緯については詳細な点まで尋ねてこられたので、それらについては逐 一すべて返答した。一方、古生物学を専門とするクレーン博士からは、イ チョウの地質年代における繁栄と衰退については教えてもらうことが多かっ た。これらについてはその後も相互に情報の交換を行ったが、ここに特記し てクレーン博士に謝意を述べたい。
また、東京大学大学院理学系研究科附属植物園 邑田 仁 教授からは、イチョ ウの雌花、雄花の写真を恵与頂いたことに感謝したい。さらに、イギリス王立 キュー植物園の山中麻須美氏より、表紙の植物画の提供を受けたことに感謝す る(出典は
Curtis's Botanical Magazine
の筆者らのイチョウに関する論文)。やや特殊な内容をもつ本書であるにもかかわらず、本文中に触れるように ソテツ精子発見者である池野成一郎の古典的名著「植物系統学」を刊行され た裳華房は、本書もその延長上で考えて下さり、刊行の判断をされたことに 謝意を述べたい。特に、本書を担当され、完成に尽力いただいた同社野田 昌宏氏に感謝したい。
2014年
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月長 田 敏 行