九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
純ニッケルおよび銅 : ニッケル二元合金の水素助長 延性低下メカニズムに関する研究
和田, 健太郎
https://doi.org/10.15017/4060168
出版情報:九州大学, 2019, 博士(工学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
純ニッケルおよび銅―ニッケル二元合金の 水素助長延性低下メカニズムに関する研究
令和 2 年
和田 健太郎
目次
第1章 序論 ... 1 1.1 本研究の背景 ... 1
1.1.1 わが国におけるエネルギー問題と水素エネルギーへの期待
1.1.2 高圧水素利用機器における水素脆化の問題
1.2 水素脆化の概要と基本メカニズム ... 5
1.2.1 格子脆化による水素脆化
1.2.2 転位―水素の相互作用とそれに伴う脆化
1.2.3 格子欠陥の安定化による脆化
1.3 銅合金およびニッケル合金における水素脆化 ... 19
1.3.1 銅合金における水素脆化
1.3.2 純銅における水素脆化
1.3.3 ニッケル合金における水素脆化
1.3.4 純ニッケルにおける水素脆化
1.4 本研究の概要と構成 ... 21 1.4.1 本研究の概要
1.4.2 本論文の構成
第2章 銅―ニッケル合金の製作および 水素固溶・拡散挙動の調査 ... 30 2.1 緒言 ... 30 2.2 試験方法 ... 30
2.2.1 供試材およびサンプル形状
2.2.2 飽和水素濃度の測定
2.2.3 拡散係数の測定
2.3 実験結果 ... 36 2.3.1 飽和水素濃度
2.3.2 拡散係数
2.3.3 飽和水素濃度の圧力依存性
2.4 考察 ... 51
2.4.1 先行研究との整合性
2.4.2 高速拡散経路およびトラップサイトが拡散係数に及ぼす影響
2.4.3 D0およびQdの決定因子
2.4.4 飽和水素濃度のニッケル量依存性
2.4.5 析出強化による拡散係数および飽和水素濃度の変化
2.5 結言 ... 59
第3章 純銅,純ニッケルおよび銅ニッケル合金の変形挙動に及ぼす
水素の影響と硬化メカニズム ... 61 3.1 緒言 ... 61 3.2 実験方法 ... 63
3.2.1 供試材および試験片
3.2.2 低ひずみ速度引張試験
3.2.3 電子顕微鏡による転位組織の観察
3.2.4 ビッカース硬さによる転位組織発達度の間接測定
3.3 実験結果 ... 65
3.3.1 水素による流動応力の上昇
3.3.3 転位組織の観察
3.3.4 ビッカース硬さによる転位組織発達度の推定
3.4 考察 ... 72
3.4.1 水素による転位組織発達の助長および固溶強化が流動応力に及ぼす影響
3.4.2 ΔσH−Fの挙動
3.4.1 水素による可逆的な硬化と不可逆な硬化
3.4.4 水素による硬化メカニズム
3.5 結言 ... 75
第4章 純銅,純ニッケルおよび銅ニッケル合金の破壊挙動に及ぼす
水素の影響および動的水素拡散の役割 ... 78 4.1 諸言 ... 78 4.2 実験方法 ... 79
4.2.1 供試材および試験片
4.2.2 低ひずみ速度引張試験
4.3 実験結果 ... 81
4.3.1 水素による延性低下
4.3.2 水素による破面形態の変化
4.3.3 RRAおよびMTSの水素チャージガス圧力依存性
4.4 考察 ... 88
4.4.1 100 Niの粒界破壊メカニズム
4.4.2 55 Niの水素助長破壊メカニズム
4.4.3 水素助長粒界破壊における結晶粒界への動的水素供給の役割
4.4.4 結晶粒界に作用する応力および粒界結合力の微視的な考察
4.5 結言 ... 95
第5章 純ニッケルにおける水素トラップ挙動と
トラップ水素の水素助長粒界破壊への役割 ... 99 5.1 緒言 ... 99 5.2 実験方法 ... 102
5.2.1 供試材および試験片
5.2.2 水素チャージ 5.2.3 TDA測定
5.2.4 トラップエネルギーの推定
5.2.5 SIMS測定
5.2.6 オージェ電子分光分析による粒界Sの定量分析
5.2.7 SSRT試験
5.3 結果 ... 106
5.3.1 TDAプロファイル
5.3.2 100 Ni中トラップサイトのトラップエネルギー
5.3.3 SIMSによる1Hの二次元マッピング
5.3.4 AESによる粒界Sの定量分析
5.3.5 変形・破壊挙動に及ぼす水素の影響
5.4 考察 ... 115
5.4.1 TDAプロファイル上のピークと水素固溶サイトとの対応
5.4.2 100 Ni中のトラップサイト
5.4.3 水素による硬化を支配する因子
5.4.4 水素による強度・延性低下を支配する因子
5.4.5 粒界偏析した硫黄の効果
5.5 結言 ... 119
第6章 銅ニッケル合金の水素による硬化および延性低下挙動に及ぼす
合金組成および析出強化の影響 ... 122 6.1 緒言 ... 122 6.2 実験方法 ... 123
6.2.1 供試材 6.2.2 昇温脱離分析
6.2.3 低ひずみ速度引張試験
6.3 実験結果 ... 125
6.3.1 TDAプロファイル
6.3.2 応力―ストローク曲線
6.3.3 水素による流動応力の上昇
6.3.4 水素による延性・強度の低下
6.3.5 水素による破面形態の変化と水素チャージ材の破壊経路
6.3.6 変形・破壊挙動に及ぼす水素チャージガス圧力依存性
6.4 考察 ... 139
6.4.1 水素による硬化に対するニッケル量の影響
6.4.2 水素助長破壊に対するニッケル量の影響
6.4.3 RAおよびMTSの水素チャージガス圧力依存性
6.5 結言 ... 144
第7章 総括 ... 147 謝辞 ... 151
1
第 1 章 序論
1.1 本研究の背景
1.1.1 わが国におけるエネルギー問題と水素エネルギーへの期待
近年加速する地球温暖化およびそれに関連する環境問題,さらに化石燃料枯渇への懸 念から,化石燃料に頼らないエネルギー供給が世界的に求められている [1–4].わが国 では,2010年6月に経済産業省が発表した第3次エネルギー基本計画 [1] により,火 力発電から原子力発電への転換が政策として打ち出された.しかし,2011年3月11日 に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故を機に原子力発電の安全 性が疑問視されるようになり,脱原子力発電への機運が高まっている.そのような背景 の中,原子力発電を代替するクリーンなエネルギーとして水素エネルギーが注目されて いる [4].
水素エネルギーが他と比較して優れているのは以下の4点である.
① 使用時に温室効果ガスである二酸化炭素を排出しない
② 水素→電力のエネルギー変換において,極めて高いエネルギー効率を実現でき る
③ 多彩なエネルギー源から容易に水素を製造可能である
④ 貯蔵・運搬が比較的容易である
①の特徴は,次世代を担うエネルギー源として必須の条件である.②に関してはエネル ギー源の品質を議論する上での重要な因子の一つである.③と④の特徴は,例えば,余 剰電力を水素の形で貯蔵し,電力需要が高まる時間帯に水素から発電した電力を使用し たり,再生可能エネルギーが豊富に存在する場所から別の場所へエネルギーを運搬した りするために水素を使用できることを示している.市場では,水素を動力源とする燃料 電池自動車(fuel cell vehicle: FCV)がすでに実用化されており,ゼロ・エミッションの 新たな自動車として注目されている.このFCV は水素を媒介することで,エネルギー 源を再生可能エネルギーや天然ガス,褐炭など多彩な資源から得ることができる.これ は,エネルギー源を石油のみに依存していた従来の自動車には無い優れた特徴である [4].
1.1.2 高圧水素利用機器における水素脆化の問題
水素エネルギーの利用に向けて,いくつもの課題が山積している [4].材料の観点で は,とりわけ水素により材料特性が悪化する水素脆化の問題がある.例えば,FCVに積 載される水素ガス蓄圧器には現行規格で70 MPaの水素ガスが充填される [4,5] が,こ のような高圧水素ガスに材料が曝された場合,多くの材料において強度や延性が低下す
る[6,7].そのため,今のところ水素ガス蓄圧器に使用可能な材料は水素の影響をほとん
2
ど受けないものに限定されている [5,8].これらの材料は高価で低強度であるため,FCV のコストを押し上げる要因となっている.
そこで,現在,主に2つの取り組みがなされている.1つめは,合理的な設計にもと づく水素の影響を受けるが安価な材料の使用検討 [5,8] である.水素脆化は多くの金属 材料で認められる現象であるが,水素による特性低下を的確に評価し強度設計に反映す ることによって,このような安価な材料を使用することが可能であると考えられる.2 つめは,水素の影響を受けない高強度材料の開発である [9–11].このような高強度材料 の開発を通した水素機器の薄肉化・軽量化によって,材料の使用量を低減することが可 能であると考えられる.本研究では,後者の耐水素材料の高強度化を最終目標としてい る.
一般に,高強度な材料ほど水素の影響を顕著に受ける.図1-1に,アメリカ宇宙航空 局(National Aeronautics and Space Administration: NASA)の調査結果 [7] をもとに構築 した,種々の材料における水素による延性の低下量と強度の関係を示す.また,図1-2 には,松岡ら [12] が文献値をもとに構築した,水素による強度・延性の低下量と強度 との関係を示している.これらの図から,引張強度が高い材料ほど顕著に水素脆化する ことが分かる.興味深いことに,グラフ上にプロットされた金属の水素脆化挙動を詳細 に見ていくと,必ずしも共通の破壊形態を示す訳ではない.例えば炭素鋼では擬へき開 破面を伴い延性低下する(図1-3)[13] のに対し,ニッケル基超合金ではすべり面分離 もしくは粒界破壊(図1-4)を伴い延性低下する [14].これらの脆化挙動の違いは,金 属によって水素脆化メカニズムが異なることを示唆している [13].そのため,水素脆化 メカニズムに立脚して材料設計を行うことにより,高強度と耐水素脆化特性を両立した 材料を製作可能であると期待される.
図1-1 相対絞り(RRA)と引張強度との関係 [7].
3
図1-2 相対強度(σB, H2/σB, He)および相対絞り(φH2/φHe)と引張強度との関係 [12].
4
図1-3 大気中 (a) および高圧水素ガス中 (b) において引張破壊した炭素鋼SM490Bの
破面形態 [13].
図1-4 大気中 (a, e) および水素ガス中 (b-d, f-h) において引張破壊したニッケル基超
合金718の破面形態 [14].
5 1.2 水素脆化の概要と基本メカニズム
水素エネルギー社会の実現に向けて大きな問題となる水素脆化であるが,その現象自 体はかなり古くから問題とされていた.水素に関連する材料特性の悪化を初めて指摘し たのは1873年に発表されたW. J. Johnsonの論文 [15] で,この論文では酸洗による脆 化と材料内部に侵入した水素との関係が指摘されている.その後,腐食環境での応力腐 食割れなど,水素に関連する材料特性の悪化が多数報告されるようになった [16].
水素により延性や強度が低下するメカニズムとして,これまで多くの提案がなされて きた.代表的な水素脆化メカニズム [16] を以下に挙げる.
① 材料に固溶した水素原子が材料中でガス化し空隙を形成する.
② 水素化物が生成し,それに沿って破壊が生じる.
③ 水素により原子間結合力が低下する.
④ 水素により転位の挙動が変化する.
⑤ 水素により格子欠陥の安定度が上昇する.
以上のメカニズムのうち,①および②については本論文で対象とする材料・環境におい ては顕在化することが少ないため,詳細な説明を割愛する.③~⑤のメカニズムについ ては次節以降で詳細に紹介していく.
1.2.1 格子脆化による水素脆化
水素により原子間結合力が低下することを初めて指摘したのは,Pfeil [17]である.彼 は,水素による鉄の強度低下が水素原子による鉄原子の結合力低下に起因すると考えた.
格子脆化(decohesion)説と呼ばれるこの理論は,現在まで多くの研究者らにより研究 されている.
FrohmbergとTroiano [18] は,高強度鋼の強度・延性に対する水素の影響を明らかに
するため,1400~1900 MPaの強度を持つ高張力鋼AISI4340を用いて試験を行った.引 張試験では,図1-5に示すように,強度レベルが高いほど水素による延性低下が顕著に 見られ,その低下量はチャージ時間が長いほど,すなわち侵入した水素が多いほど大き くなったと報告している.また,破壊応力も導入された水素量が多いほど低下している
(図1-6).遅れ破壊に関する試験では,切欠きを有する試験片に一定荷重を負荷し,破 断までに要した時間を調査している.図1-7にその結果を示しており,いずれの強度レ ベルの材料も荷重負荷後,一定の潜伏期間を経た後に破壊し,その潜伏期間は負荷応力 が大きいほど短くなることが分かる.ここで1点重要なのが,ある応力以下では遅れ破 壊が生じないことである.さらに,切欠き底の曲率半径を変化させた試験(図1-8)で は,切欠きが鋭いほど水素による強度低下が顕著になることが分かる.
強度・延性低下に対する水素の影響度が材料中の水素量により変化すること(図1-6)
[18] は,この後の議論において非常に重要になる特徴である.図1-7に示したように一
定荷重負荷後,破壊までに時間を要することは,遅れ破壊の過程において材料中での水
6
素の移動が必要であることを示唆している.また,遅れ破壊に対する強度が切欠きの鋭 さに影響を受けること(図1-8)は,切欠き先端付近に形成される静水圧応力場に誘起 され拡散してきた水素によって,遅れ破壊が生じることを示している [18].
後に,Troiano [19] がさらに詳細に行った調査では,切欠きからき裂が発生する際,
き裂は切欠き底から少し離れた位置で発生し,切欠きが鋭いほど切欠き底からき裂まで の距離が小さくなることが報告されている(図1-9).また,電気抵抗を介して一定応力 負荷時におけるき裂進展挙動を間接的に測定し,き裂が図 1-10 に示すような断続的に 進展挙動を示すことを確認している.図1-9に示したき裂発生位置は,切欠き底におい て最大静水圧応力場が生じる位置に対応しており,切欠き底に形成される静水圧応力場 に向かって応力誘起拡散する水素により遅れ破壊が生じることを強く示唆している [19].また,図1-10に示した断続的なき裂進展挙動は,進展しているき裂が水素の濃化 していない領域に達したために停止することで生じると考えられ,水素によるき裂進展 の助長には水素の濃化が必要であることを示唆している [19].
Troianoは,Pfeil と同様に,水素によって原子間結合力が低下すると考え,その原子
間結合力の低下量が3d軌道の電子充足度によって決定されるという仮説を立てた.鉄 のような遷移金属では,3d 軌道の電子が原子間の結合を担っている.遷移金属中に固 溶した水素原子は金属原子の3d軌道に対して自身の1s電子を供給すると考えられるた め,金属原子の3d軌道の電子充足度が上昇する.3d軌道の電子充足度が上昇すること で,金属原子間の斥力が大きくなり,結果として原子を引き離すのに必要な力が小さく なると考えられる [19].この3d軌道の電子充足度は合金成分に伴い変化することから,
Troiano はこの仮説を検証するため,鉄と同様に遷移金属であるニッケルに対して銅を
添加した材料の水素脆化特性の調査行った.その結果,図 1-11 に示すように,水素に よる延性低下と3d軌道の電子充足度との間に相関が見られることを報告している [19].
Troianoの理論は,その後,Oriani とJosephic [20] により補強された.彼らは降伏強
度が1700 MPa程度のAISI 4340を用いて,wedge-opening loaded (WOL)試験片により遅 れ破壊試験を行った.彼らの研究成果として特筆すべきは,遅れ破壊感受性に破壊力学 的パラメータであるK値を取り入れたことと,そのK 値をもとに応力誘起拡散により き裂先端に濃化する水素の量とそれによる原子間結合力の低下量を定量的に見積もっ たことである.表1-1にその結果を示す(単位を中心に松山 [16] により再構築).この 表によると,K = 25 MPa m1/2のとき,き裂先端にはバルク水素量の12500倍の水素が集 まり,そのとき原子間結合力は37%低下する.
以上のように,実験結果に立脚すると,格子脆化説により水素による強度低下をうま く説明できるように思われる.ただし,Troiano [19] やOriani ら [20] の論文でも議論 されているように,格子脆化により材料強度を低下させるためには応力誘起拡散などに よる水素の濃化が必要であると考えられるため,格子脆化を議論する際には水素の濃化 プロセスも同時に議論する必要がある.また,水素の局所分布を直接的に求めるのは困
7
難であり,表1-1に示すような格子間の12500倍もの水素の濃化が実際に生じるかどう か定かでない点もこの理論の問題点である.
1.2.2 転位―水素の相互作用とそれに伴う脆化
材料中に水素が侵入すると,延性および強度が低下するだけでなく,変形挙動にも変 化が生じる.材料の変形には転位運動が深く関与していることから,水素は転位運動の 挙動に対しても影響を及ぼすと考えられてきた.また,その転位―水素間相互作用が破 壊挙動に対しても影響を及ぼすことが多くの研究者により指摘されている.本項では,
まず,変形挙動に対する水素の影響を,転位運動に対する水素の影響を絡めて紹介する.
さらに,その転位―水素間相互作用が破壊に及ぼす影響についても議論する.
A: 水素による転位易動度の低下(硬化) 転位―水素の相互作用は,マクロには流動 応力の変化(硬化・軟化)として現れる.水素により転位の易動度が上昇(軟化)する か下降(硬化)するかは,材料や試験条件によって異なる.水素による硬化および軟化 について,いくつかのメカニズムが提案されている.
水素による硬化メカニズムとしてまず挙げられるのは,転位による水素の引きずり
[21–25] である.BoniszewskiとSmith [21] は,転位に吸い寄せられた水素が転位を固着
すると考えた.水素により固着された転位が運動するためには,水素の固着を外して動 く必要がある.一方,固着から外れた転位の運動速度が水素の移動速度よりも遅い場合 には,水素が運動転位に追いつき,再度転位を固着すると考えられる.このとき,マク ロには流動応力の鋸刃状の変動(セレーション)が観測される(Prtevin–Le Chatelier効
果; P–L効果).セレーションが生じている間,転位は水素原子を引きずりながら運動
する必要があるから,転位運動に対する抵抗は上昇する.また,彼らは変形温度を変化 させながらセレーションの有無を調査し,セレーションがある特定の温度域(純ニッケ ルにおいては約150−250 K)でのみ観測されることを確認している.これは主に水素拡 散速度の温度依存性に起因していると考えられ,P–L効果が水素拡散に関連して生じる ことを示唆している.
水素による引きずり抵抗をより詳細に議論したのが,Blakemore [22,23] である.彼は 種々の変形温度とひずみ速度で純ニッケルを変形させ,セレーションの有無を確認した.
さらに,P–L効果を熱活性化過程と捉え,セレーションが生じる上限温度と下限温度を アレニウスプロットにより整理し,活性化エネルギーを求めた.その結果,上限温度に 対応する活性化エネルギーとして0.71 eVを,下限温度に対応する活性化エネルギーと
して0.42 eVを報告している.彼らは,この結果をもとに,下限温度と水素拡散を,上
限温度と水素のトラップをそれぞれ対応づけている.また,水素のトラップエネルギー
を0.12 eVと求め,この値が水素化物の生成エネルギー(0.14 eV)と近いことから,P–
L効果は水素化物の生成に関連して起こるとした [22].
水素によるもう一つの硬化メカニズムは,水素による固溶強化である[26,27].材料中
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に固溶した水素は周囲に弾性ひずみを与える.その弾性ひずみ場が転位運動に対する短 範囲の抵抗となり転位の易動度が低下した結果,マクロには材料が硬化すると考えられ
る.例えば,AbrahamとAltstetter [27] はオーステナイト系ステンレス鋼310Sを用いて,
種々の変形温度および固溶水素濃度における降伏・流動応力の上昇(硬化)挙動を調査 している.その結果,水素の固溶に伴う硬化を観察しており,その要因を固溶強化の理 論を用いて議論している.ただし,彼らの考察によると水素原子はその大きさが非常に 小さいため,単純な剛体球モデルによる議論はできないようである.
以上のメカニズムによる材料の硬化は,いずれも可逆的な現象である.すなわち,材 料中に水素が存在しない状態になると,コットレル固着は解消され,固溶強化も生じな くなるから,流動応力は上昇しないはずである.しかし,WilcoxとSmith [24]は純ニッ ケルにおいて水素による不可逆的な硬化を確認している.彼らは,水素チャージした試 験片の引張試験において,変形を中断して水素を放出させた場合,その後の流動応力が 未チャージ材の流動応力に比べて高くなることを報告した.また,水素チャージした純 ニッケルにひずみを与えた場合には,水素チャージしない場合に比べて転位密度が高く なった.彼らはこの現象をGilmanとJhonstonの降伏点降下(GJ)理論により説明して いる.すなわち,転位が固着された場合,塑性変形を続けるには転位が固着から脱離す るか,新たな転位が生成する必要があるが,純ニッケルの場合には主に後者が優勢であ るとした.後に議論するように,水素による転位組織発達の助長は,GJ理論以外 [28,29]
によっても説明が試みられており,いずれの理論が正しいかは現段階では定かではない.
しかし,水素により転位密度が上昇し,転位組織の発達が助長されるという事実 [24,28–
30] は,水素による硬化を議論する上で非常に重要である.
B: 水素による転位易動度の上昇(軟化) 水素による硬化とは対照的に,水素により 材料が軟化する場合も報告されている.例えば,Matsuiら [31] は高純度鉄の引張変形 中に水素を電解チャージし,流動応力への水素の影響を調査した.図 1-12 はその結果 であり,下矢印は水素チャージの開始点を,上矢印は水素チャージの終了点を示してい る.図より,190 K以上の温度域においては水素チャージにより流動応力が低下するこ とが見てとれる.彼らは,この水素による軟化を水素がらせん転位の易動度を上昇させ ることに起因すると考えた.
Kimura ら の グ ル ー プ に よ り 行 わ れ た 一 連 の 実 験 に 加 え , 透 過 型 電 子 顕 微 鏡
(transmission electron microscopy: TEM)を用いた実験によっても,水素によるらせん転 位の易動度の上昇が確認されている [32].TabataとBirnbaum [32] は水素ガス中で引張 負荷を行える機構を備えたTEMステージを用いて,引張変形中に水素を導入した場合 における高純度鉄中の転位の挙動をTEMにより直接観察した.その結果,①水素の導 入によりらせん転位の運動速度が上昇すること,②水素が転位の増殖を促進することの 2 点を確認した.また,これらの水素の影響は,水素ガス圧力が高いほど大きくなり,
逆に水素を放出させると元に戻ることも報告されている.彼らは,これら水素によるら
9
せん転位の易動度の上昇とフランクリード源の活性化による転位の増殖速度の増加が,
水素による純鉄の軟化の要因であるとした.
この軟化現象は bcc 鉄に限らず,fcc 金属においても観察されている.Matsumoto ら
[33] は,環境セルを備えたTEMを用いて純ニッケルにおいて転位運動に及ぼす水素の
影響を調査した結果,水素が転位の易動度を上昇させ,転位源の活動を活性化させるこ とを見出した.SiroisとBirnbaum [34] は,純ニッケルに水素が固溶した場合,転位運動 の活性化エンタルピーが低下することを応力緩和試験により明らかにしている.また,
Eastman ら [26] は,純度が低いニッケルにおいて,水素による軟化がマクロにも生じ
ることを,引張変形過程での水素による流動応力の低下から確認している.
水素による流動応力の上昇・下降に加えて,個々の転位運動に対する水素の影響は,
マクロなすべり挙動の変化としても現れる.Abrahamと Altstetter [35] は,水素チャー
ジした SUS310S を引張変形させた後に試験片表面を観察した結果,水素チャージ材で
は図 1-13 に示すようにすべり線の間隔が広くなり,すべり線自体が明瞭になることを 報告している.すなわち,水素によりすべりが離散的でプラナーになったと言える.こ の観察結果は,水素により転位の性質が変化した結果,転位運動が限られたすべり面に 固執するようになることを示している.
C: 弾性シールディング効果による転位易動度の上昇 高純度鉄における軟化現象では,
水素がらせん転位の易動度を上昇させることが軟化の主要因であると考えられてきた.
bcc金属においては,らせん転位のパイエルスポテンシャルが非常に高く,らせん転位 の運動抵抗が材料全体の変形の障壁になっていることを考慮すると,水素によるらせん 転位の易動度の上昇が純鉄の軟化に寄与していると考えるのが妥当であるように思わ れる.一方で,上述のMatsumotoら [33] の観察結果をはじめ,多くのfcc金属におい ても水素による転位易動度の増加が確認されている [26,34,36–38].fcc金属の場合,ら せん転位の運動抵抗がそもそも高くないことから,らせん転位の易動度の上昇だけでは 軟化を説明するのが難しい.そのため,らせん転位の易動度の上昇ではない,金属材料 全般において適用可能な軟化メカニズムを考える必要が出てきた.
そのようなメカニズムとして Tabata [39] により提案されたのが,弾性シールディン グ効果である.彼らは材料中の水素が転位の弾性ひずみ場と相互作用して転位の周囲に 雰囲気を形成し,転位芯近傍の弾性応力場を遮蔽する [39] と考えた.その結果,転位 同士・転位と障害物との相互作用が抑制され,転位の易動度が上昇するとしている.
Birnbaum と Sofronis [40] は有限要素法により,この弾性シールディング効果を検証
している.固溶水素が転位と相互作用するメカニズムとして,体積効果と剛性率効果が 主に考えられる.体積効果は水素の周囲に形成された静水圧応力によるもので,静水圧 応力場を持つ刃状転位と主に相互作用する.一方,剛性率効果は水素原子周辺の局所的 な剛性率の変化によるもので,周囲に等方的なせん断ひずみ場を持つらせん転位と相互 作用する.図 1-14 に,彼らが寸法効果のみを考慮して行った解析の結果を示す.図中
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のコンター線は濃化した水素の濃度を表している.転位が離れている間 (a) は,それぞ れの転位が独立して周囲に水素雰囲気を形成しているのに対し,転位が6b(bはバーガ ースベクトル)程度の距離まで近づくと,水素雰囲気を共有するようになる.図1-15に は,転位が同じすべり面上の転位から受けるせん断応力の大きさを示している.この図 から,水素雰囲気が形成されることによって転位が他の転位から受けるせん断応力が小 さくなり,その低下量は水素濃度が高いほど大きくなっていることが分かる.
D: 水素による硬化・軟化が破壊に及ぼす影響 ここからは,転位―水素間相互作用が 破壊に対してどのような影響を与えるかを議論していく.まず考えられるのは,水素に よる変形の局所化である.すでに図 1-13 で示したように,水素存在下では転位運動が 特定のすべり面に固執するようになる.そのため,材料中の塑性変形できる部分が限定 され,局所的な延性破壊が生じることによりマクロには延性低下したように見えるとい う考え方である.実際に,水素により転位運動が活発に起こるようになったすべり面上 には多数のボイドが観察されたという報告 [29] もあり,局所的な延性破壊を支持して いる.
また,水素により転位の易動度が上昇する,すなわち,材料が軟化するという観点か らも,水素による変形の局所化が検討されてきた.き裂先端や結晶粒界などに水素が局 所的に濃化した場合には,材料のその部分は局所軟化する.その結果,その部分に塑性 変形が局所化し,マクロには延性および強度の低下,擬へき開や擬粒界破面といった,
脆性的な特徴を示すようになると考えられる [32,39,41,42].このように,水素により塑 性変形が過度に局在化した結果,マクロには延性低下といった脆性的な破壊を引き起こ す機構は水素誘起局所変形(hydrogen enhanced localized plasticity: HELP)と呼ばれてい る.
一方,水素により材料の変形に対する抵抗が上昇した結果,破壊を助長する機構も提 案されている.例えば,Martinら [28] は,純ニッケルにおける水素誘起粒界破壊を水 素による流動応力の上昇から説明している.彼女らは純ニッケルの破面直下のTEM観 察を行い,破面直下では転位組織が異常に発達して細かいセル組織を形成していること を見出した.この転位組織の発達は粒界破面直下で特に顕著であったことから,彼女ら は水素による転位組織の発達が純ニッケルの水素誘起粒界破壊において重要であると 考えた.転位組織が発達することで,流動応力が上昇するが,それにより粒界に作用す る弾性応力も上昇する.水素による転位組織の発達の助長とそれに伴う硬化が局所的に 生じた場合,その領域ではマクロな流動応力以上の応力が作用していることになる.粒 界破壊を生じさせるのに必要な応力の限界値が存在する場合,流動応力が上昇するとそ の限界値を容易に超えられるようになる.同時に粒界破壊に必要な限界応力は転位運動 と共に供給される水素によっても低下すると考えられるため,材料の硬化による局所応 力の上昇と,水素による粒界結合力の低下の両面から粒界破壊が助長されることになる.
後に Robertson ら [29] は種々の金属において,脆性的な破面の直下に異常に発達した
11
転位組織が観察されることを指摘し,水素による転位のキャラクターの変化が脆性的な 破壊に寄与していると述べている.また,この水素による転位組織発達の助長がHELP を通して生じるとして,脆性的な破壊とHELPを関連付けている.
1.2.3 格子欠陥の安定化による脆化
水素により脆性的な破壊を示した材料内部には,しばしば微小な多数のボイドが観察
される [43–45].このボイドの存在が HELP を支持する根拠の一つとなっている [29]
が,ボイドの生成メカニズムには別の見方もある.例えば,南雲 [46] は水素により原 子空孔の生成・凝集が助長された結果,微小なボイドの生成・連結が促進され,早期破 断に至るという破壊プロセスを提案している.
材料中の原子空孔の平衡状態における密度は温度の関数となることが知られている.
一方で,水素が存在する場合には空孔密度が平衡状態よりもかなり高くなりうることが 報告されており [47],この結果は水素により原子空孔が安定化することを示唆してい る.また,Sakakiら [48] は,陽電子消滅法を用いた空孔密度の測定を通して,変形に 起因する空孔の生成および空孔のクラスター化が水素により助長されるとしている.こ のような水素により原子空孔の生成・凝集エネルギーが減少する挙動は,解析を用いた 多くの研究によっても確認されている [49–52].南雲 [46] は,これらの観察結果を水 素チャージし変形させた鉄中において観察された微小なボイド [45] に絡めて,水素誘 起の早期破断が水素による原子空孔の生成の助長~空孔クラスター形成の助長~ボイ ドの形成という一連のプロセスによって説明できるとしている.
表1-1 き裂先端への水素の集中と凝集力の低下 [16,20].
12
図1-5 水素チャージ時間の増加に伴う絞り(RA)の低下挙動 [18].
図1-6 水素チャージ時間の増加に伴う破壊強度の低下挙動 [18].
13
図1-7 遅れ破壊挙動に及ぼす引張強度の影響 [18].
図1-8 遅れ破壊挙動に及ぼすノッチ底半径の影響 [18].
14
図1-9 切欠き底半径の違いによるき裂発生位置の変化 [19].
図1-10 一定荷重負荷時におけるき裂進展曲線 [19].
15
図1-11 鉄ニッケル合金およびニッケル銅合金における,水素による延性低下量 (a) お よび3d軌道の電子充足率 (b) に及ぼす合金組成の影響 [19].
16
図1-12 引張試験の途中に水素チャージを開始・終了したことによる応力―ひずみ応答 の変化 [31].
17
図1-13 水素チャージによるSUS310Sのすべり線の特徴の変化.(a) 未チャージ材,(b) 水素量0.18 at.%,(c) 水素量2.7 at.% [35].
18
図 1-14 同符号の転位が接近した場合に生じる,転位周辺における水素雰囲気の変化 [40].
図1-15 弾性シールディング効果による転位間相互作用の変化 [40].
19
1.3 銅合金およびニッケル合金における水素脆化
現在,高圧水素環境下で使用される可能性のある高強度金属として,銅基,ニッケル 基および鉄基超合金が挙げられる.本節では,そのうち,銅合金およびニッケル合金の 水素脆化特性に焦点を当てる.なお,特に断りが無い限り,本節で紹介する水素脆化特 性は水素利用機器で問題となる 100 MPa 程度のフガシティで導入された水素による現 象である.電解チャージなどにより高いフガシティで水素を導入した場合には,異なる 現象が観察される [16] 点に注意が必要である.
1.3.1 銅合金における水素脆化
銅合金のうち銅の含有量が多い合金は,水素の影響をほとんど受けないものが多い
[7,53].代表的なものが銅ベリリウム合金である.この合金は銅をベースに約2%のベリ
リウムを含有している.ただし,時効を行うことでベリリウムはγ’相として析出するた め,母相中にはほとんど残らない.Yamabe ら [9] は高圧ガス中で低ひずみ速度引張
(slow strain rate tensile: SSRT)試験を行い,本合金の引張特性に及ぼす水素の影響は極
めて小さいことを明らかにした.本合金が有する約1200 MPaの引張強度は,本研究が 最終目標とする1000 MPa超級の高強度を満足するものである.ただし,そもそもの延 性や破壊靭性が低い [10] ため,高圧ガス蓄圧器などへの使用にあたっては高延性化・
高靭性化が課題である.
1.3.2 純銅における水素脆化
銅ベリリウム合金と同様,その母相である銅自体も水素の影響をほとんど受けないこ とが知られている [7,19,53].これは主に純銅の水素固溶度が非常に小さい [53,54] こと に起因していると考えられる.例えば,100 MPa,1000 Kの高圧・高温で純銅に水素を 導入した場合の水素固溶量は183 at. ppm程度 [55] であり,これは同じfcc金属である 純ニッケル(4300 at. ppm) [56] やオーステナイト鋼(5800 at. ppm) [57] と比較して 圧倒的に低い値である.多くの水素脆化メカニズムは固溶した水素の存在を前提として いるため,水素がほとんど固溶しないことは純銅の優れた耐水素脆化特性を議論する上 で重要な因子となる.
上述した銅ベリリウム合金の優れた耐水素脆化特性は,純銅の特性を反映している可 能性が高い.すなわち,銅ベリリウム合金も純銅と同様に非常に低い水素固溶度を有し,
材料中に水素がほとんど侵入しない [9] ことが,優れた耐水素脆化特性を有する理由 の一つであると考えられる.
1.3.3 ニッケル合金における水素脆化
ニッケル基合金は優れた耐熱性を有するものが多いことから,ジェットエンジンのタ ービン翼やプラントの高温高圧ガス配管として広く用いられている.代表的なニッケル
20
基合金として,30%程度の銅を含有するMonel K–400およびK–500,20%程度のクロム を含有するInconel 718,20%程度のクロムと鉄を含有するHastelloy X などが挙げられ る.ニッケル基合金は主に2つの方法により強化される.1つめは固溶強化で,合金元 素を高濃度で固溶させることにより,高い固溶強化能を実現している.2つめは析出強 化で,γ’ 相に代表される整合相やγ’’ の非整合相など,析出物を分散させることで,さ らなる高強度を実現可能である [58].
これらの高強度なニッケル合金の多くは,高圧水素ガス環境下で顕著に脆化する.こ の理由として,粒界強度が水素により弱められることのほかに,強化に寄与している析 出物が悪影響を及ぼしていることが考えられる.析出物が水素助長破壊に対して悪影響 を及ぼすメカニズムとして,水素により析出物と母相との間の剥離が誘発され強度低下 に至る機構 [59–61],析出物による転位運動のプラナリティの上昇と水素によるプラナ リティの上昇が重畳して早期破断を生じる機構 [14,62] などが提案されている.例えば
前者はInconel 718中のδ相が特に有害であると報告されており,破面上にはδ–γ 界面
の剥離により形成したと推察されるファセットが確認されている.一方,後者は転位が 拡張しやすいfcc金属において顕著であると考えられる.特に転位の拡張のしやすさの 指標である積層欠陥エネルギー(stacking fault energy: SFE)の小さい金属では,そもそ も変形がプラナーになりやすい上に水素によるプラナリティの上昇が重なるため,水素 により変形が局所化しやすいことが想定される.
1.3.4 純ニッケルにおける水素脆化
ニッケル基合金のベースとなる純ニッケルは,顕著に水素脆化する典型的な材料の1 つである.水素脆化感受性の高さや材料組織の単純さから,水素脆化に関する研究で多 く用いられている.純ニッケルのマクロな材料特性に及ぼす水素の影響として特筆すべ き点は,次の 4 点である: (I) 粒界破壊を生じる [21,63–66] (II) 引張強度が低下する [21,67] (III) 延性が低下する [21,24,66] (IV) 流動応力が上昇する [21,22,24].これら の影響が生じる要因として,従来研究において様々なメカニズムが提案されてきた.純 ニッケルにおける水素脆化の詳細および考えられるメカニズムは,第4章で詳述する.
これら純ニッケルの変形・破壊挙動に及ぼす水素の影響のうち,(I)~(III)はいくつか のニッケル合金においても観察される.特にニッケル含有量の多いモネル合金と純ニッ ケルの間には,水素により粒界破面を伴う強度・延性低下が見られるという共通点が見
られる.Troiano が議論しているような量子論的観点からも,破壊形態の観点からも,
ニッケル合金の水素脆化特性は純ニッケルのそれを反映していると想定される.しかし,
ニッケル合金の多くは多量の合金元素を含み,複雑な微視組織を持つことから,これら 合金の粒界破壊と純ニッケルの粒界破壊の間に共通なメカニズムが存在するかは不明 である.
21 1.4 本研究の概要と構成
1.4.1 本研究の概要
高強度な耐水素金属を開発する上で,メカニズムに基づく水素脆化挙動に及ぼす合金 組成の影響の理解が必要不可欠である.水素脆化特性への合金成分の影響は,オーステ ナイト系ステンレス鋼においてニッケル当量 [6,68–70] や積層欠陥エネルギー [71–73]
(stacking fault energy: SFE)などでの整理が試みられてきた.前者は加工誘起マルテン
サイト変態に対する抵抗を,後者はすべりのプラナリティを表す指標であり,いずれの 現象も水素脆化に関連が深いと考えられている.一方,鉄基超合金などはニッケル当量 が高いにも関わらず水素脆化するという報告例 [13] があるように,ニッケル当量は加 工誘起マルテンサイト変態が水素脆化を支配する場合にのみ使用できる指標である.
SFEによる整理も,水素によるプラナリティの上昇や変形双晶の助長により水素脆化が 生じることを想定しているため,それ以外のメカニズムで生じる水素脆化に関しては SFEでうまく整理できないことが想定される.こうした観点では,水素脆化特性への合 金成分の影響の解明には不明な点が多く,より幅広い金属に適用可能な理論の構築が求 められている.そのためには,種々の金属において水素脆化メカニズムを正しく理解し,
そのメカニズムに基づき耐水素脆化特性の評価指標を提案する必要がある.
そこで,本研究では銅―ニッケル二元合金に焦点を絞り,耐水素脆化特性に及ぼす合 金成分の影響を,そのメカニズムを含めて明らかにすることを目的とした.モデル合金 として銅―ニッケル二元合金を選定した理由は以下の通りである.
① 銅とニッケルは対照的な水素脆化特性を持つ.すなわち,銅はほとんど水素の 影響を受けない一方,ニッケルの変形・破壊挙動は水素に強く影響を受ける.
② 銅とニッケルはいずれも安定なfcc構造を持つ.さらにこれらの金属は全率固 溶体を形成し,その合金の結晶構造もまたfccである [58].
③ ニッケルの変形・破壊挙動に及ぼす水素の影響は,これまで多くの研究者によ り網羅的に研究され,多くの知見が蓄積されてきた.また,実験・解析結果を ベースに多くの水素脆化メカニズムが提案されてきた一方,決定的なメカニズ ムについては研究者間で一致が取れていない.
④ 銅―ニッケルを母相に持つ析出強化金属であるモネル K-500 が存在する.
K-500は1種類の整合相γ’ (Ni3(Al, Ti))によって強化される [74,75] ため,考え られる析出強化金属の中では最も単純である.また,K-500は純ニッケルと同 様に粒界破壊を示すことが報告されている [76–78] から,析出強化金属とその 母相となる合金の水素脆化メカニズムの共通点を調査するのに適している.
銅―ニッケル二元合金の変形挙動に対する水素の影響に関しては,これまでにいくつ かの研究がなされてきた.ニッケルに対する銅の割合が高くなるにつれて,SFEが低下
すること [23,79,80],セレーションを伴う水素による硬化量が小さくなっていくこと
[23] などが報告されている.しかしながら,水素誘起の破壊に対するニッケル/銅比率
22
の影響を調査した研究例はほとんど無く,ことさら変形と破壊挙動を結び付けて水素脆 化を議論している研究は皆無である.純ニッケルにおいては変形と破壊が密接に関与し 合うことで水素脆化が生じるとされていることを考慮すると,銅―ニッケル二元合金の 水素脆化メカニズムの解明にあたっても,変形と破壊に対する水素の影響およびそれら が相互に及ぼす影響の解明が非常に重要となる.そこで,本研究では,銅―ニッケル二 元合金の変形・破壊挙動に及ぼす水素の影響を,種々のニッケル/銅比率において明ら かにすることを目標とした.さらに各比率の合金の水素誘起破壊における塑性変形の役 割を解明し,高強度な耐水素合金の設計指針構築に向けた知見としていく.
1.4.2 本論文の構成
本論文は7章で構成されている.第1章(本章)では,わが国のエネルギー供給の状 況と,将来のエネルギー供給における水素エネルギーの役割を確認し,水素エネルギー 社会実現に向けた課題の一つである水素脆化について議論した.水素脆化の現象とこれ まで提案されてきた水素脆化メカニズムについて概観し,本研究の目的を示した.
第2章では,本研究で使用したモデル合金である銅―ニッケル二元合金およびニッケ ル基析出強化合金について述べた.さらに,水素脆化メカニズムの議論において基礎的 なデータとなる水素固溶度および水素拡散特性を,それぞれの金属について調査した.
第3章では,モデル金属のうち100 Ni(純ニッケル),55 Niおよび0 Ni(純銅)にお いて,変形挙動に及ぼす水素の影響を調査した.走査型透過電子顕微鏡観察,ビッカー ス硬さ試験および引張試験により,水素による流動応力の上昇には転位組織発達の助長 を伴う非可逆的な成分と,転位組織発達の助長を伴わない可逆的な成分とが存在するこ とを解明した.それぞれの成分の割合を温度およびニッケル量を変化させながら調査す ることで,銅―ニッケル二元合金の水素による硬化には2つのメカニズムが存在し,材 料の組成および試験条件によって硬化を支配するメカニズムが変化しうることを明ら かにした.
第4章では,100 Ni,55 Niおよび0 Niの破壊挙動に及ぼす水素の影響を調査した.
水素チャージした材料を室温において引張破断させたところ,これら3つの材料はそれ ぞれ異なるマクロな破面形態を示す一方,ミクロな視点では100 Niおよび55 Niは粒界 に沿ったき裂生成という共通のプロセスにより水素助長破壊することが明らかとなっ た.さらに,水素助長破壊挙動の温度依存性に関する検討の結果,55 Niが水素により 延性低下するためには,変形途中に水素が結晶粒界へ向けて移動する必要があると結論 づけた.
第5章では,100 Niの水素助長粒界破壊を議論する上で重要となる,結晶粒界への水
素の濃化挙動および濃化した水素が水素助長破壊へ及ぼす影響について調査した.二次 イオン質量分析により水素濃度分布を可視化した結果,100 Niにおいて結晶粒界に沿っ て水素が濃化することを明らかにした.さらに,昇温脱離分析による結晶粒界における
23
局所水素濃度の推定結果および引張試験結果から,結晶粒界に濃化した水素の水素助長 破壊への関与を定量的に議論し,100 Niにおける水素助長破壊は結晶粒界における局所 的な水素濃度に支配されることを解明した.
第6章では,室温における銅―ニッケル二元合金の変形・破壊挙動に及ぼす水素の影 響を,より細かなニッケル/銅比率において調査した.さらに,モネルK-500に対して も同様の調査を行い,銅ニッケル合金の高強度化を図る上で必要不可欠な析出強化が水 素脆化挙動に及ぼす影響の解明を試みた.その結果,いずれの金属にも水素助長粒界破 壊を生じるために必要な限界応力が存在し,その応力はニッケル量の減少とともに大き くなることを明らかにした.この挙動はγ’が材料中に析出している場合にも同様であっ た.これらの実験結果をもとに,銅とニッケルをベースとした耐水素脆化特性に優れた 高強度金属の開発にあたっては,結晶粒界の強度が十分に高く,かつその強度が水素に より低下しないことが必要条件となることを提案した.
第7章では,本論文の総括を行った.
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