破壊挙動に及ぼす水素の影響および動的水素拡散の役割
4.1 諸言
純ニッケルは水素により粒界破面を伴う脆性的な破壊を示すようになる.その特徴的 な破壊形態から,多くの研究者が純ニッケルにおける水素脆化が水素による粒界破壊の 助長に起因していると考え,様々な水素誘起粒界破壊メカニズムを提唱してきた.その メカニズムを大きく分類すると,水素による粒界結合力の低下,弾性シールディング効 果に伴う局所変形の助長および水素による格子欠陥の安定化に大別される.また,純ニ ッケルの粒界破壊を議論する上で,多くの研究者が結晶粒界への水素の濃化を重要視し ている.結晶粒界へ水素が濃化するメカニズムとして,変形途中における水素の動的拡 散と,運動転位による水素の運搬が主に指摘されている.前者はWilcoxとSmith [1] や Koyamaら [2] により,後者はTienら [3] やMartinら [4] により強く支持され,それ ぞれ根拠となる実験結果が存在する.
本章において重要となるのは,これらのメカニズムのうち弾性シールディングとそれ に伴う局所塑性および変形中の動的な水素の移動が,低温においては作用しなくなる点 である.すなわち,室温と低温の水素脆化挙動を比較することにより,純ニッケルの水 素脆化の主要因となりうるメカニズムを絞り込むことができる.Harrisら [5] は,この 特徴を生かし,77 K の低温において引張試験を行うことで純ニッケルの水素脆化にお けるこれらのメカニズムの重要性を調査した.その結果,77 K においても水素による 延性低下が確認されたことから,純ニッケルの水素脆化においてこれら動的な水素の移 動の効果は小さいと結論付けている.
一方,銅ニッケル合金の破壊挙動に及ぼす水素の影響を調査した研究例としては,例
えば,Funkenbuschら [6] や昆ら [7] の研究が挙げられる.彼らは,組成のほとんどを
銅とニッケルで占め,析出物を含有しない合金であるモネルK-400が水素により延性低 下することを報告している.また,PriceとMorris [8] はK-400を含めたいくつかのニ ッケル合金について水素脆化特性を調査しており,幅広いニッケル含有量において粒界 破壊を伴う延性低下が生じることを報告している.これらの実験結果から,純ニッケル と同様,ニッケルを含む多くの合金も,水素により粒界破壊が助長されることで延性低 下すると考えられる.しかし,銅ニッケル合金が水素により延性・強度低下するメカニ ズムについては研究者によって異なる主張がなされており [6–8],統一的な見解が得ら れていない.また,純ニッケルの水素助長粒界破壊メカニズムと銅ニッケル合金の水素 助長粒界破壊メカニズムとの関連性についても,未解明のままであった.
純ニッケルと銅ニッケル合金の水素脆化メカニズムの類似点・相違点を解明すること
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は,合金設計指針を構築する上で非常に重要である.幅広いニッケル/銅比率において 共通の水素脆化メカニズムを解明することができれば,そのメカニズムに基づく合金設 計指針を提案することが可能となる.
そこで,本章ではまず,100 Ni,55 Ni,0 Niの3材種を対象として,破壊挙動に及ぼ す水素の影響を調査した.また,候補となる水素脆化メカニズムの温度依存性に注目し,
水素脆化挙動の温度依存性を調査した.さらに,その実験結果をもとに,対象材料の水 素による延性・強度低下の主要因となりうるメカニズムについて議論する.
4.2 実験方法
4.2.1 供試材および試験片
第2章で述べた材料のうち,100 Ni,55 Niおよび0 Niを供試材として用いた.図 4-1に示す試験片を加工した後,平行部の表面を 1 μmのダイヤモンドペーストで鏡面研 磨した.さらに,加工により導入されたひずみを除去する目的で,923 K,2時間の真空 焼鈍を施した.これら材料の破壊挙動に及ぼす水素の影響を調査するため,いくつかの
試験片を100 MPa,543 Kの高圧水素ガスに200時間以上曝露することで,試験片中に
水素を一様分布させた(水素チャージ).水素チャージ後の試験片は188 Kにて保管し,
試験片からの水素放出が生じないようにした.
4.2.2 低ひずみ速度引張試験
以上の方法で準備した試験片を用いて,低ひずみ速度引張(slow strain rate tensile: SSRT) 試験を実施した.試験温度は室温および77 Kとし,引張速度は0.09 mm/minとした.
室温での試験は大気中にて,77 K での試験は液体窒素中にて実施した.試験片の平行 部のみが変形することを仮定して引張速度から求めた初期ひずみ速度は 5×10−5 s−1で ある.
これまでの研究により,純ニッケルにおいては局所平衡により結晶粒界に集積した水 素が粒界破壊を助長することが指摘されている.Lassila ら [9,10] によると,室温にお いてはおよそ 3 時間で材料中の水素濃度分布が平衡状態に達するとされていることか ら,本研究においては,SSRT試験開始前に試験片を3時間以上室温にて保持した.そ の後,室温での試験はそのまま,77 Kでの試験は速やかに冷却して試験を開始した.77 Kでの水素拡散速度は極めて遅いことから,いずれの試験温度においても水素濃度分布 は室温での平衡状態と同等であったと考えられる.55 Niにおいては平衡時間が異なる 可能性があるものの,室温での拡散係数が近いことから,100 Niと同様に3時間で水素 濃度分布が平衡状態に達すると仮定した.
試験後,破断部直径を測定し,試験片の断面積減少率を算出することで絞り(reduction
in area: RA)とした.また,水素チャージ材と未チャージ材のRA比を相対絞り(relative
reduction in area: RRA)として定義した.水素による延性低下は主にRRAにより評価し
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た.また,水素による強度低下は次式で定義する最大真応力(maximum true stress: MTS) により評価した.
MTS =
max2 1 4 P
d
ネッキングを伴わず破壊した場合
(4-1)
T max
ネッキングを伴い破壊した場合
ここで,Pmaxは試験全体を通しての最大荷重,d1は破断部直径,σT maxは真応力σTの 最大値である.σTは,光学式の二次元寸法計測器により変形中の試験片の最小直径をリ アルタイム計測し,その直径と荷重から求めた.このように求めたMTSは,試験片内 部にき裂もしくはボイドが生成し,試験片剛性が低下した地点であると考えられる.
SSRT 試験後には,破面観察および内部き裂の観察を行った.内部き裂の観察では,
破断後試験片を縦割りすることで,破面直下に形成された内部き裂の観察を可能にした.
いずれの観察にも走査型電子顕微鏡(scanning electron microscopy: SEM)を用いたが,
内部き裂の観察においてはき裂発生個所と微視組織との関係性を明らかにするため,反 射電子回折図形(electron backscatter diffraction pattern: EBSD)解析法を併用した.SEM による破面観察は加速電圧15–20 kVで,内部き裂周辺の組織のEBSD観察は加速電圧
20 kV,ステップサイズ0.2–0.4 μmで実施した.EBSD解析では結晶方位の同定に格子
定数や結晶構造などのデータを仮定する必要があるが,銅ニッケル合金のデータが存在 しなかったため,純ニッケルのデータで代用した.銅ニッケル合金は純ニッケルと同じ 結晶構造を持ち [11],格子定数も近い [12] ことから,この代用が結晶粒界や結晶方位 の解析結果に影響を及ぼすことはほとんどないと考えられる.
図4-1 SSRT試験片の形状および寸法(mm).
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4.3 実験結果
4.3.1 水素による延性低下
図4-2に,室温および77 K における応力―ストローク線図を示す.また,表4-1に は,RA,RRAおよびMTSの各値を示している.室温の結果を見ると,100 Niにおいて は,水素により降伏応力および流動応力が上昇し,延性が低下した(図4-2).この挙動 は,先行研究による報告 [5,13–15] と整合する.55 Ni でも同様に降伏応力・流動応力 の上昇と延性の低下が確認されたが,その程度は100 Ni と比較して小さかった.77 K での破壊挙動を見ると,100 NiのRRAは0.28となり,100 Niの水素による延性低下が 低温で抑制されたように見えるが,これは未チャージ材のRAが低温で低下したためで ある.水素チャージ材のRAを室温と77 Kで比較すると大差ないことから,100 Niの 水素による延性低下は試験温度に依存しないと考えられる.一方,55 Niは77 KでRRA
= 0.95となり,低温では水素による延性低下が見られなくなった.また,いずれの試験
温度においても0 Niの変形・破壊挙動に対する水素の影響は確認されなかった.
4.3.2 水素による破面形態の変化
図4-3および4-4に,室温および77 Kにおける破面形態を示す.100 Niの水素チャ ージ材はいずれの試験温度でも完全な粒界破面を呈した(図4-3 (d),図4-4 (d)).ただ し,高倍率の観察では,図4-5 (b) に示すように粒界ファセット上に細かい直線が観察
された.55 Niの水素チャージ材は室温において平坦な破面を形成した(図4-3 (e))一
方,77 K においては未チャージ材と同様のカップアンドコーン破壊となった(図 4-4 (e)).室温における55 Niの平坦な破面には,図4-5 (d) において黒矢印で示すような微 視的にも平坦な領域と,白矢印で示すようなディンプルで覆われた領域の2つが存在し た.0 Niにおいては,いずれの試験温度でも水素による破面形態の変化は確認されず,
その破壊形態はカップアンドコーン破壊であった(図4-3 (f),図4-4 (f)).
図4-6 (a-c)に,水素チャージした55 Niの破面直下に形成された内部き裂周辺におけ
る逆極点図(inverse pole figure: IPF)マップを示す.破面直下に内部き裂が観察され,
それらのき裂の多くは結晶粒界に沿って発生していた.また,一部のき裂は隣接する結 晶粒界へ到達後,鈍化していた.この結果から,55 Ni水素チャージ材において確認さ れた平坦なファセットは,粒界破壊により形成されたものであると考えられる.
以上の結果を図4-7にまとめた.この図から,水素による延性低下と破面形態の変化 はよく対応していることが分かる.粒界破壊した 100 Ni では水素による延性低下が顕 著に見られ,室温において破面の一部が脆性的であった55 Niでは水素による延性低下 が多少抑制された.水素チャージ材がカップアンドコーン破壊となった55 Niの低温変 形材,および0 Niでは,ほとんど延性低下が見られなかった.