水素固溶・拡散挙動の調査
2.1 緒言
本研究では 5 種類の銅―ニッケル二元合金およびモネルK-500 の計 6 種類の金属を モデル材料として選定し,これら金属の変形・破壊挙動に及ぼす水素の影響を調査した.
銅―ニッケル二元合金は全率固溶体を形成し,かつ,その固溶体は常温以下で安定なfcc 構造を持つ [1].さらに,銅とニッケルは対照的な水素脆化特性を持つ.また,モネル
K-500は約30%の銅を含有するニッケル基析出強化合金で,優れた耐食性と耐熱性を有
する.3%のアルミや0.5%のチタンなど,微量の添加元素を含むが,これらは時効処理 によりγ’ (Ni3 (Ti, Al))として材料中に析出する [2,3] ため,析出強化したK-500の母相 の組成は,銅―ニッケル二元合金に近い物となることが予想される.
これまでの研究において,純ニッケルの水素脆化では破壊過程における水素の移動が 重要な役割を果たすことが指摘されている.例えば,Lassilaら [4,5] は粒界の水素濃度 が臨界値を超えたときに粒界割れが生じるとしており,その濃度は局所平衡における水 素のトラップにより達成されるとしている.このとき,主に水素が粒界に向かって格子 拡散することで,結晶粒界への水素の濃化が生じるとされている.一方,WilcoxとSmith [6] は,転位周辺の弾性応力場に引き寄せられた水素が運動転位に伴い結晶粒界へ向け て運搬されることを通して,水素が粒界に濃化するとしている.いずれにしても,水素 誘起粒界破壊において結晶粒界への水素の移動が必要であることから,彼らの説が銅―
ニッケル二元合金全般に対しても成り立つのであれば,水素脆化特性は水素の移動のし やすさによって左右されることが想定される.そのため,銅―ニッケル二元合金の水素 脆化特性の議論にあたっては,合金組成の変化に伴う水素拡散特性の変化を考慮に入れ る必要がある.また,格子脆化などの理論では水素脆化の程度が局所水素濃度により変 化すると考えられるため [7–9],合金成分の変化に伴う水素固溶度の変化についても銅
―ニッケル二元合金の水素脆化を議論する上で重要な因子となる.
以上の背景から,対象金属の水素脆化挙動の調査に先駆け,それぞれの供試材におい て,昇温脱離分析(Thermal desorption analysis: TDA)により飽和水素濃度および水素拡 散係数を調査した.本章ではその結果を示し,文献値との整合性を確認する.さらに,
ニッケル量により拡散係数および飽和水素濃度に差異が生じる理由を議論する.
2.2 試験方法
2.2.1 供試材およびサンプル形状
本研究において使用した供試材の化学組成を表2-1にまとめる.銅―ニッケル二元合
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金に関しては,真空溶解によりインゴットを作製した後,熱間圧延により板材とした.
さらに,30 Ni,55 Niおよび70 Niにおいては,材料中の固溶元素を均質化する目的で
溶体化処理を行った.銅―ニッケル二元合金の圧延および熱処理の条件は表2-2に示す 通りである.モネル合金K-500 については,市販の材料を購入した.1255 K の温度で 30分間保持することにより溶体化処理(solution treatment: ST)された状態で納入された 材料を2つに分け,一方はST材として,もう一方は866 K,16時間の時効処理を加え ることで析出強化(precipitation hardening: PH)材として使用した.図2-1に,以上のプ ロセスにより得られた供試材の組織を示す.いずれの材料も,均質で等方的な組織を有 することが確認された.
図2-2に拡散係数および飽和水素濃度の測定に使用したサンプル形状を示す.いずれ のサンプルも母材から丸棒を切り出して表面を#600 のエメリー紙で仕上げた後,ファ インカッターにより最終形状のチップに切り出すことで作製した.
2.2.2 飽和水素濃度の測定
図2-2に示す3種類のサンプルをそれぞれ543 Kの高圧水素ガスに200時間曝露する ことで水素チャージを行い,各サンプルに侵入した水素量をTDAにより測定した.水 素チャージに用いた水素ガスの圧力は 100 MPa を基本としたが,飽和水素濃度の水素 ガス圧力依存性の調査においては,適宜100 MPa未満の水素ガス圧力を使用した.水素 チャージから水素量の測定までの間に放出される水素量を最小限にするため,水素チャ ージ後,サンプルを123 Kで保管した.
本測定では,サンプル中の水素が飽和量とならない要因を 2 つ考慮した.1 つめは,
水素チャージ時間が十分でなく,水素チャージにより水素が飽和しない場合である.2 つめは,水素チャージを終了してから水素量を測定するまでに水素が放出されてしまう 場合である.これらの場合に想定される材料内部における水素濃度分布を図2-3に示す.
前者に関しては,サンプル厚さを変化させることで確認することができる.すなわち,
サンプルが十分に薄い場合には,サンプル中に水素が一様分布する(図2-3 (a)).一方,
サンプルが厚すぎる場合には水素が飽和せず,サンプルが薄い場合に比べて低い水素濃 度が測定される(図2-3 (b)).後者に関しても,サンプル厚さを変化させることで確認 することができる.水素チャージ後に水素が放出されている場合には,先とは逆の厚さ 依存性が観察される.すなわち,水素チャージ後に水素が放出されると,表面近傍の水 素濃度は非常に低くなる.薄いサンプルでは,サンプル全体に対して表面近傍の水素濃 度の小さな領域の割合が相対的に高くなるため,測定される水素濃度(材料の平均的な 水素量)は低くなる(図2-3 (c)).一方,厚いサンプルでは,薄いサンプルに比べて表 面近傍の水素濃度の小さな領域の割合は低く,測定される水素濃度は薄いサンプルより も高くなるはずである(図2-3 (d)).
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2.2.3 拡散係数の測定
本研究では,放出法 [10,11] を用いて拡散係数Dを測定した.この方法は,一定温度 における水素脱離挙動の拡散方程式の理論解と実際に放出された水素量の誤差の二乗 和が最小になるように,拡散係数をフィッティングで求める方法である.ガス透過法の ような専用の装置を必要とせず,必要とするサンプルも比較的加工しやすいため,容易 に拡散係数を取得できることが長所である.また,透過法と比べて使用するサンプルが 大きいため,表面の影響が小さく拡散律速を実現しやすいという利点もある.
円柱状サンプル中から,水素が拡散律速で放出されるとき,ある時間tにおけるサン プル中の残存水素量cRの理論解は次式により表される [10,11].
2 2 2 2 2
0 0
R 2 2 2
0 1
S
exp 2 1 exp
( ) 32
2 1
m
n m m
n Dt z D t r
c t
c n
(2-1)ここで,cSは飽和水素濃度,z0およびr0はサンプル厚さおよび半径,βmは0次Bessel関 数の根である.ただし,実際の水素放出曲線の取得においては測定の最初に昇温過程が 含まれ,その間にも水素が放出されることから,必ずしも式(2-1)のような挙動が観測さ れるわけではない.そのため,実際のフィッティングにおいては次式を用いた.
2 2 2 2 2
0 0
R 2 2
0 1
exp 2 1 exp
( ) 2 1
m
n m m
n Dt z D t r
c t A
n
(2-2)ここで,A は試験条件などに依存する定数である.TDA の温度が一定になった後の cR
の測定値を式(2-2)によりフィッティングし,AおよびDの最適値を求めた.式(2-2)は固 溶水素が完全放出されるまでのcRを表すが,一定温度で保持する実験において,cR = 0 となるまでの水素放出曲線を取得するのは現実的でない.また,フィッティングに重要 となるのは cRが大きく変化する高温保持初期段階の水素放出曲線である.以上の理由 により,実験ではある程度のtで高温保持を打ち切り,そのまま試験片を1073 K まで 昇温することによりcSを求めた.cRは,このようにして求めたcSと時間tにおける累 積放出水素濃度との差である.
一般に,Dの温度依存性は次式(アレニウス型の式)により表される [12,13].
0exp QD
D D RT
(2-3)
ここで,D0は振動数項,QDは拡散の活性化エネルギーで,いずれも材料ごとに固有の 定数である.また,Rは気体定数(8.314 J mol−1 K−1),Tは絶対温度(K−1)である.本 研究では,温度を0 Niでは4条件,その他の材料では5条件に変えてDを取得し,最 小二乗フィッティングによりD0およびQDを算出した.
拡散係数の測定には,100 MPa,543 Kの高圧水素ガスに200時間以上曝露したサン プルを使用した.保持温度および時間は,予測される拡散係数をもとに最適な組み合わ
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せを選定した.保持温度までは200 K/hで昇温し,温度保持中に放出される水素量は5 分ごとに測定した.
表2-1 本研究に使用した供試材とその化学組成.
呼称 化学組成(wt.%)
Cu Ni C O N P S
100 Ni − Bal. 0.001 0.020 0.0006 < 0.001 < 0.001 70 Ni 29.81 70.41 0.016 < 0.001 0.0001 < 0.002 0.0004 55 Ni 45.16 55.19 0.019 0.001 0.0006 < 0.001 < 0.005 30 Ni 69.05 30.50 0.016 < 0.001 0.0001 < 0.002 0.0003
0 Ni Bal. − 0.001 0.020 0.0006 − −
呼称 化学組成(wt.%)
K-500
C Mn Fe S Si Cu Ni
0.14 0.7 1.0 0.002 0.02 30.3 64.3
Al Ti Co P Pb Sn Zn
2.92 0.55 0.001 0.01 0.0001 0.0001 0.0001
表2-2 銅ニッケル二元合金の圧延および溶体化処理条件.
呼称 熱間鍛造 熱間圧延 溶体化処理
温度 時間 温度 時間 圧延率 温度 時間
100 Ni 1423 K 3 時間 1423 K 1時間 57% − −
70 Ni − − 1323 K 1時間 74% 1073 K 30 分
55 Ni − − 1323 K 1時間 77% 1073 K 30 分
30 Ni − − 1323 K 1時間 74% 1073 K 30 分
0 Ni − − 973 K 1時間 52% − −
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図2-1 供試材のIPFマップ.(a) 0 Ni(純銅),(b) 30 Ni,(c) 55 Ni,(d) 70 Ni,(e) 100 Ni, (f) モネルK-500.
図2-2 飽和水素濃度および拡散係数取得用試験片の形状および寸法(mm).
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図2-3 侵入過程(a, b)および放出過程(c, d)における,試験片内部の水素濃度分布.
(a, c)は試験片が薄い場合,(b, d)は試験片が厚い場合.
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2.3 実験結果
2.3.1 飽和水素濃度
図2-4に,TDAにより測定した水素放出プロファイルを示す.100 Niにおいては,明 らかに 2 つのピークが観察された.一方で,70 wt.%以下のニッケル量ではピークは 1 つであった.このような水素放出プロファイルにおける複数のピークは,格子間を拡散 する水素に加えて,何らかのトラップサイトに拘束された水素の存在を示唆するもので ある.すなわち,100 Niにおいては水素のトラップサイトが存在する一方,0~70 Niに おいてはトラップサイトが存在しないか,存在したとしてもその結合エネルギーが非常 に小さいことが想定される.
図2-5に,TDAにより測定された水素濃度のサンプル厚さ依存性を示す.いずれの合 金においても,水素濃度は厚さによらず一定であった.この結果は,厚さ 3~8 mm の いずれの試験片においても,水素チャージから水素量の測定までの間に放出される水素 の影響は極めて少なく,試験片中に水素がほぼ一様分布していたことを示している.そ こで,厚さ5 mmの試験片で測定した水素濃度を飽和水素濃度とした.その値を図2-6 に示す.銅―ニッケル二元合金において,飽和水素濃度は 55 Ni において最大となり,
55Ni に対してニッケル量が多い場合も少ない場合も飽和水素濃度は減少した.また,
K-500では析出強化により飽和水素濃度が同程度のNi量である55Niに対して2倍以上
に上昇した.
2.3.2 拡散係数
図2-7–2-13に,試験片を一定温度に保持した際の水素放出曲線を示す.黒線は実測値
を,赤線はフィッティングされた理論解を表している.このフィッティングにより得ら れた拡散係数Dの温度依存性(アレニウスプロット)を図2-14に,各温度におけるD のニッケル量依存性を図2-15に示す.さらに,図2-16にアレニウスプロットから得た D0およびQdを示す.図2-14 (b–f) および2-16中には,Hagiらにより報告されている値
[14] もあわせてプロットしている.
100 Niを除く各材料においては,放出曲線を式(2-2)により精度良くフィッティングす
ることができた.しかし,100 Niの放出曲線(図2-11)は理論解と一致せず,Dを求め ることができなかった.これは拡散方程式の解で再現することのできない非拡散性水素 の影響と考えられる.上述のように,100 NiのTDAプロファイル(図2-4 (e))上には,
格子間サイトに起因するピークの他にトラップサイトに起因すると思われるピークが 確認された.先行研究 [15] において,非可逆もしくは脱離速度が著しく遅いトラップ サイトが存在する場合には,非拡散性水素の影響が顕著になり,すべての水素の放出が 拡散律速となることを仮定している式(2-2)を用いた単純なフィッティングでは正しい Dが測定できないことが報告されている.100 Niにおいては,高温保持により拡散性水 素を完全に放出させた後にも20 wt. ppm程度の水素が残存しており(図2-11),この残