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和気町の地理と社会科教育

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空 域研究第

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和気町の地理 と社会科教育

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山大琴的

1

庵 山大学教育学部社会科教室内地域研究会

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和 気 中 学 校

(6)

「地域研 究 」第2 6集 として 「和

知 J

の地理 と社会科教育 」を刊行す る。本報 告跡 ま岡山大学教 育学 部社 会科教室 地域研 究 グループが岡山県和気灘和気町 を対 象地 と して昭和 56年度に実 施 した 凋査報告 であ る。 和気町 は人口 14,164,戸数 3.927(唱和 55年 )の岡山県束南 部の町 で ,栄西 ・南北の交 通の要衝の地 lこ位 匿 している。岡山掛 こは北か ら帝に平行 して流れる3つの大川 があ り.和気町 は その1つ吉井川の 下流部の町 であるo この川筋 は古代に おいて美 作国 府 とその外港である片上帝 と を結 ぶル- 卜lこ当 り,和気 はその中間 点lこあ り,江戸時代窟海舟の全盛期 に於ては舟運 を利用 して 下ってきた物か ま,この和気の河港で陸局 げ され離 南の片上に送 られ ,そこで板戸 内海の船に船 田み され た。和気は その ために栄 えた とい っても1い。一方 ,古代の山吸着 は碑の方播磨 との国境 船坂峠か らこの和気の渡 しを渡 って銅 山町 一一山脇町か ら卒佐 の渡 しへと西に通 じて いた。妹尾兼 餅 が北国の職 で捕 われの身 とな って合光三郎発 光に ともなわれ西国に下る記事 は F源 平盛衰記 Jに出 ているが ,途中合 光をだ まし打 ち‡こす る和気の藤野 寺 もこの 地であるO以降南北の交通 は大正1 2 年の片上鉄道の開通に よって ,東西交通は中世以降の片 上経 由-の 山勘道の変更 ,明治2 4年 の山 脈本線の鵬通 な どで重要性 が軽減 され たとはいえ .南北 ・粛西の交通の要衝にあ ることIこは変 りが ないo

ほは災害はつ きもので あ る。 自然 は ,忘れない うちにや って くる河川の氾泥 な ど自然 災晋を中 心 にあつか った。串藩 は河 港の町の変容 を少 しでもあとづける とい うことを考えの中心 とした。和 気町は段 業 としては何の特色 もな いことが特色である。明治8年 の 「第二 十一区一番小 区物産壬F上 帖」 には米 麦の他 には畢 タバ コ .こうぞ ・こん に ゃく .燕藍 .良 聞 かせ ぎの薪炭 を除 いてはほ とん どみ るものが ないo この よ うな状況 か ら第2次大戦徒の高度経済成 長朋 に入 ってや っと岡山市の通 勤 圏に入 る ようにな り,ここでもまたわが国の平均的Fl兼某良 家の地域 となっ[=o経折 構造 は瀕菜 にあえぐ段村の姿 をと らえるための アンケ ー ト調査を中心に進め た

放 後はこの よ うな地域 で展 開 され る社会科教育 では地域 とどの ような点で関連が拝いか を児窒 ・生徒の視心 ・学習意欲の あ り方 の面 について地域学 習の立場 か らアンケ ー ト調査に J:って検討 したD 合楢調査 は昭和5 6年7月2 0日か ら2 4Elまでの d泊5日で行 ったが ,短 此間の 上に学部3年 次生の総計2 2名 とい う少人数で あ った関係 であってみれば ,項目にお いて も ,検討 その もの Iこお いても ,不充分であることはまぬ がれ えないが ,それぞれの

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F

の結晶で あ ることでお許 しを碗 いた

い。

調査に際 しては藤本道生和親町長 をは じめ と して町役場 の各課 ,竹 内亥三共教育長 をは じめ とし

(7)

て和 気都北部教 育委員 会 ,藤野 ・本荘 ・和 気 ・El笠 ・石生 各小学校 ,細気中学校 ,各 公民 胎 等 ,町 内の各機 朗 ,憶取調査 に快 く応 じて 下さ った町民各 位 ,な ど・一々はお名前は省略 させ ていただ くが 御配賦 と御 親切 をいただいた.参加教'出 よも と i:I),は じめての経 験 であ る学 生 に と っては 「生の 思出 として残 る ことであ ろ う。特に藤 本道 生u71戊か らは この調査の Tこめ(・tイ臥 の家 を解 放 していた だい た し,窓 口 を快 くお 引受 け Fきった万代敬 二 企u転宅妓 (現 企画調盛 課長 )ほ は各諜 -の避繊 ・ 資料閲 覧 や調査についての御助 言をい ただい たO この ような慢 い御 支 援御 鼠力が /iけ れぽ この蛾 告 苗 も完 成 で きなか った であ ろ う。心か ら御 礼 と感 謝の 言牢 を申 し上 げる次第 であ るO 昭和59年 6月 1 5日 岡 山 大 学 教 育 学 部 社 会 科 教 宗 内

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調

参 加 指 導 教 官 桁 橋 遜 郎 参 加 学 生 弓 取 鍋 也 石 原 呂 勝 柴 原 千 可 岡 田 宏 吉 原 知,I滋子 上 野 蚊 kli 田 中 史 郎 高 山 芳 治 徳 田 育 子 西 村 栄 治 宇 都宮 正 広 青 山 倫 也 小 西 一 雄 広 田 雅 子 三 宅 直 子 佐 々木 多 津子 枠

淳 子 秋 田 央 由美 本 田 美 智技 荷 軍 進 本 多 串 郎 中 川

広 竹 本 久 美 永 易 恭 f 小

(9)

第1舶 和気町の地理 第l草 和気町の自然凝塊 と災告 2 威状地 ・山鹿横斜 面とその 上地利 用 -Ill- ---3 金 剛川 の河道変遜 5 昭和 5 1年1 7号台風に よるTTl気町の災害 6 災苔 に対す る住民 の宕蕊 1-

-吹

第2草 和気町 の塊 落 1 和気 の変避 一一一---一一一-一一一一-一一一,--一 一-2 在町 と しての本和気 3 本 和気の柵成 -4 本 和気の山陽線 開通 に伴 う変化 第3卓 経 済 構 造 t に笠 2 -2 林 業 ---一・ -3 Z A --・-I--- - - 1・・ 4 商 業 5 交 通 第2偏 和気町の社会科教育 第4串 地域にお ける社会科教 育 1 子 どもの空 間芯誠の発遼 2 社会科 におけ る学習意欲 3 教 師における社 会科 145 4 (資料 )ァ ンケ ー ト ーー-日日一一一・-・一一一一・一-- i18

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1

和 気 町 の 地 理

1

和 気 町 の 自然 環 境 と災 害

1. 地 質 概 範

県道 を岡山か ら和気へ進む と,和気町にはい るあた りか ら左方に岩石の露 出 した山地 が見 えて く る。桁生 に之 しい荒廃 した山地 であ るo帆山県南には このよ うな荒廃 山地 が所 々に見 られ る。顕著な もの としては児島半島の荒廃 山地がa)ち が,それは花尚岩よ り構成 される山地 で, 和気町の場合 とは相成岩石において異 な ってい る。和気町は,町円の山地 の大部 分が流紋岩類 でで きてい る。植生 に乏 し い荒廃 した山地 は この流紋岩の窟 出によ る ものである。 そこで,この山地 を構成 す る流叙 岩の特徴 を概観 しよ う。 なお和 気町皿原上に見 られ る地 すべ りについ て も触れ るQ (11 地 質 概 況 (図 1- 1 ) 写其 1- 1 曽根北方の荒廃 山地 和気町は面軌 8 2 9kAで,山林が2.5 5 7Jza. 30.8解を占めてい るo その山林のほ とん どが流 紋岩 を基 岩 としてい る。 ここで流紋岩 とい ってい るのは流紋 岩質 の凝灰岩 ,熔 岩 ,貫入岩体の総称 である。 この うち熔 岩や質入 岩体の分布花園は非常に狭 くて大部分が凝灰岩類か らな る。 この流紋 岩類が古生層 ,三畳紀層 を不整合におおって広 く分布 してい る。 これ らの流紋岩類 は石英閃緑岩, 花樹閃録 岩,花励岩 ,扮岩な どに賢かれてい るo それ らの貫入接触部 では,流紋 岩は熱変成作用 を受 けてホル ンフェルス化 してい る。 なお以 上の話岩類 をおお って砂康層 (洪恐屑 )が分布 してい る。 古生層には,和気町岸野付近の泥質岩 ・泥質片岩 と4-基性火 山岩類

塩基性片岩によ るものが見 られ る。 また,畳谷南東の山地 には,硯石層群 といわれ る砂岩 ・赤色∼緑色叔灰質頁岩 も見 られ るo 石英閃緑 岩は主 として,E]笠地 区,栃谷付近 に分布 してお り,花尚閃緑岩は El笠下 西部に石英閃 緑岩 と混成 しなが ら分布 している。 花尚岩は,荒砂付近 に小岩脈 として分布 してい るにす ぎない。 砂鮮層 は,豊原か ら片山北東部 にかけて細長い分布 を示 してお り,これは準平原形成後の河流堆 績物 と考 え られ てい る。 扮岩は岸野南東部に小 岩脈 として見 られ る。 沖税層は現在 の吉井川 ・金剛川 ・日生川 ・八塔 寺川 ・初瀬川に沿 って分布 してい る。 (2)流 紋 岩 頓 この地域の流叔 岩類は中生代後期 の酸性火 山宿軌 こよ る産物 であって,塊層 かの凝 灰 岩額 ・熔 岩 類 が主な もの で火 山活動禾掛 こ貫入 した と考 え られ る貫入 岩体 (石英斑岩 )は小岩脈による分布に

(11)

-1-・ , / ./i _ ! _ E ヨ 脳 性火山糊 ∼朋 鮒 皆 団 流 蚊 も 塀 (M 期 ) mH m石英仙 台∼tEN鵬 皆の氾成LI E≡ 匝 和 好岩 欄 紛 曽 ・石英モン′これ 団 山 砂 利 府 匡亘 匝 料 ・赤色∼掠亀井灰℡醐

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居 団 ホ ル ノ フ ェル ス 図 1- 1 地 質 図

(12)

過 ぎない。 (a)流紋岩毘熔 岩 流紋岩質括 碧類 は,南部の丑谷付近 に分布す る ものおよび ,流紋 岩質凝灰岩顔 中に挟在 され る 数層がみ られ る。熔 岩類 は流層構造が願 書 で球軒横道 を有 する ものが多 く,ときとして破顔質 の もの や石英債砦質の もの もみ られ る。丑谷付近 に分布す る もの 手.流管構造が顕 著 である。 (b)流紋岩貿凍灰貴顕 和気町 で見 られる主な流紋 岩質 凝灰岩類は岩層凝灰岩 で,奴久谷 , 鬼 に分布 している。 岩層凝灰岩 は石 英 や長石 の破片や そのほかに流紋 岩 願 の碧片 あるいは頁岩 ・チ ャー ト・ 安 山岩な どの異質片 を含み,益地 は 「蚊に淡腎色 ない し淡百灰色 を皇 し てお り,含 まれ る岩層の内容 は地域 によ ってその席数 ,忠 ,大 きさを異 写異 L一 之 丑谷付近の床版 岩野溶 岩 に している。双久 谷,勘の ものは大 きな熔岩体か ら近 いの で,岩層の大 きさが大 であ り (鶏卵大 ない し拳大 ), 岩層の食 が多いo 岩 層 の形 は円傑 ・亜円陣 ・角幹 な どきまざまで,岩層 の艶頬の割 合は百岩よ りも流紋%L類 の方が圧倒 的に多い。 d/d述 したよ うに和気町 にu他生 Iこ乏 しい荒廉 した山地が多い。 それ らの 山地 は流紋 岩よ りなる。 荒廃 山地 化がい ちばん進 んでい ると見 られ るのは,いわゆ る和気唐 土 (曽根北方の山地 )か ら由 加神社北方の竜王山付近一帯の山地 で3)る。 この付近 一席の山 々は山の上方 が植生 に乏 しく,甚岩 の庶出が顕著 であ る。 い くぶん紗験 のa)る ところにのみ他生 が見 られ る。 藤野義邦 煎線 の流紋 岩の山や助北 方の旅蚊岩の山lこは値杯が ほ どこして3)ら,風化・浸食によ る 荒廃 山地化 を防 ぐ方法が とられてい る。 写真11 3 藤野基苑東稜 の山の植林 写井 1- 4 働北方 の山の植林

(13)

-3-しか し流紋 岩山地 で も,荒臆 山地化防止のための対解が とられていた り,いなかった りま ちまち らであ る。現在荒廃山地 として存在 してい るところは これか らも一周 の風化 ・浸食を受 けて荒廃地 化が進む可能性が大 きい。 それに伴 って下方へ の砂陳の供給丑 が増大 し, 2次的 な災害 をひ きおこ す危険性があるので,それに対す る対策 を講ず る必要 があ ろ う。 (3)地形災害 - 田原上の地すべ り地形 和気町田原上には興塾 的 な地 すへ りの跡があ り,地すべ り対帯が施 され てい る。 EEl原上の地質 は 流紋 岩類 が主 であるが ,一部に石英閃岩 ・花尚閃緑 岩の混成岩地 帯があ る。 この地すべ りの特徴 と 対策 について概述す るC (a)特 徴 EEl原上の地すべ りは,その形 憶 によって分類す ると円孤状地すべ り と呼 ばれ るもので,クラックが でき そこを頂点 として円孤 を描 くよ うに ず りお ちるの である。 (図1- 2 ) 地 すべ りが生 じる要因には,一般 地 すべ りによ り には地形変化 ,地震軌 含水量の変 下位 に供給 され → た土石 化 ,地 下水の影響 ,融雪 ,その他降 雨や風化 があげ られ る。 E日原 上0)場 令 ,地すべ りをお こしてい る山間に 図 1- 2 円弧状地すべ り模式図 吉井川に流れ込 む小 さな川がみ られ る。 この川はふだんは ほとん ど伏流 してお り流虫が少ない。 この ことか ら地下水の影響 ・降雨 による含水Etの変化な どが主要因 とな ってい ると考 え られる。地 すべ りのすへ り面はほ とん どが粘 土質の もの でで きてお り,粘 土の強度は含水缶の増加 とと もに著 しい減少 を示すか らである。 ま た地 下水 の影響 としては地下水位が中立応 力 の役割 を して斜面の抵 抗力 の うら摩擦力 を増減す る役割 を果 たす場合 と,地 下水 流がすべ り面の含水量 に関係 して安定度 に影響 をおよはす場合 とがあげ られ る。 1枚に降雨 による地下水丑 の変化が含水丑 の変化 をお こし, それが地すべ りを生 じせ しめる一次的要因 とな ってい るの は確 かである。 その他 に表流水 による斜 面の末端のむ食 も大 きな要因 となってい る。 (b)対 策 地すべ りは下方の耕作地や袋帯 に多大な る悪 影響 をお よはす。 だか ら必然的に その防止対帯 を とらねばな らない. ER原上の地 すべ りでは.昭和45- 47年にかけて この地域 25JLaを指定地域に定 め.地すべ り 防止工串が施工 され fこo主な防止対策 は山腹工事 ・峡 間工餌 に分類 され る。 山腹工事 は主 としてポ ー リングや暗渠による排水工 で,地 下水 や伏流水 を地表 に出 して下方へ 流す もの であ るo峡間工fj3 はえん糠 によ る山肋の闇定 を目的 とした もので,えん埠 を何段か連ね ることによって原峡斥勾配 を ゆ るやかに し,河川の側方浸 食を軽滅 しよ うとす る ものであるO 由横 上には 二つの えん塊 がある。 下方 の もの は高 さ8m前後の もの で,上方のえん漁 はそれ よ り

(14)

-4-い くぶん小 きめ であ る。 -4-いず れの えん掛 こも上方 か らの砂 鉄 の堆 頓 が著 しく峡 床勾配 はゆ るやか にな ってい る。 次 に山腹工 事 につい てみ る と/ 山牧 の鼠定 と排水工 の二 つが併用 され てい た。 山腹の固定 には これ 以 上地 すべ りが進行 しない よ うに , 地 すべ り地 域 の 下方部

にH

鋼 を芯 に して砂利 をつめ たパ イルが2m 間隔の正三角形状に垂

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に打 ち込 まれている。パイルの

さは山腹 の傾斜,土fiによって異 な るが一 1 般に-が基岩に達するよ うに はか 3 られている。 排水工 と しては ボー リング ・晴 海 が地 下水 を抜 く方法 として ,用 水路 が真 水 を下方- 流 す方法 と し て用 い られ てい る。 め(直径 ) 46ノー 50p2mの ポ- リングをV字 写 束 1- 5 EB原 上の えん堆 (上位 ) '弓fit-

6田

(

) 図 1- 3 えん埠 によ る河豚 勾配 の減 少 (模 式 図 ) 型 に子fL,,暗窮 を通 して地表 に地 下水 を と り出す. それ を水 路 によ って下方 へ流 す とい う方法 が と られ てい る。 (阿1- 4 ) 以 上の防止⊥事 によ って現 在 では地 すべ りは止ま ってい るの で3,るが ・今後 の豪雨 な どで二次的 な地 すへ りが起 らな い と もか ざ らな い。地 すべ りに対 す る早朋予 防対卿 まなお必 要 で3,ろ うo (弓 取 鈍 也 )

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-5-凶 L- 4 日]風上の地すべ り防止工耶

2・

扇 状 地 ・山 兼 緩 斜 面 と そ の土 地 利 用 (ll 扇状地 ・山麓横斜面の分布

凶1- 5 和気町の由状地

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-6-河川が山か ら離れて広澗 な所 に出ると,流路は自由 な経路 を とり, しば しば位置を変ず るか ら, 堆執 土谷の出口 ・'F中心 として各方向にはぼ平等 に行 なわれ るo したが って堆胡面の形状 は

,

応 平な 円錐体 の一部 の観 をFI.i.す るC等笛線 は円孤の一部 とな り,各等高線 は谷の出 口を中心 とした

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心円 状 杏里す るよ うになるC その状があたか も扇 を開 いたよ うであるか ら,扇状地 と呼ばれ る。 中国地方 , とくに岡山掛 こおい ては El本 の他 の地方 に比べ て大 きい扇状地 の分布が少 ない。仰山 県内において比較的大 きい扇状地 が存在 す るのは雑 巾盆地 や蒜 山のす そ野 ぐらい であ るo しか し, 小規段扇状地 は各所 に見 られ る。図 1- 5は2 5 0 0 0分 の Jの地形図 「和気 」内における扇状地 をぬ き出 した ものであ るが小規模な ものがほ とん どであ る。 その形状 としては,興形的 な扇形 を L lこものよ りは,細長 く谷 を埋 めるよ うに発達 した もの や山す そに沿 ってい くつかの小扇状地 が牧合 したため形儲 上か らは山艶緩斜面 と呼んだ'ほ うがよいよ うな ものが多 い。

(

2

)

扇状地 ・山麓緩斜面の土地利用 以下 ,fll気町にみられ る主な屈伏地 Til、uま山雀 牡斜面についてその土地利用 oj状況 を述べよ う. (a) EB原上 (閲 】- 6,図1- 7 ) 調査対象 とした扇状地および山鹿援斜面のI

f

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亡は,外観的に も地形 図か ら見て も段 も扇状地 ら しい景観 を里す る箇所 である。扇端には袋落が江地 し,その東側 には雄藩部分に沿 うよ うにEEl原用 水が南北 に流れ ている。更に沖街低地 をは さん で

,

圧1原用水 に平行 に吉井川が流れ る。 聴 き取 りによればここは約5 0年は ど前 までは雑木林 であったが,開哩によって耕地 化 され た と い う。耕地化 され る前 までは作物 はわずか しか植 え られていない。耕地化に伴 う水 の確保 の問題 は, 習後の山の上に溜地 をつ くることによって対処 され たC この潜池は土地 の所有者の共同作 業によっ てつ くられ ,水 を必要 とす る人達 は水 を当番制 で官

したo主に水田に使用 され,= r!lの放水 で約 4.∼ 5E]もっていた とい うO脚池の水 だけでは不足す るため,扇端 の常側 を流れ る吉井川の水 j5_ノ・* ンプで汲み 上げる方法 もとられてい るO 汁≡rンプ小屋は吉井川境 防下の河原 にあ り,# ンプで

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みあ げ られ た水 は導管 によって山の上へ あげ,そこか ら溝を通 して下の田へ流 してゆ くD この ガ ンプ小 屋 は戦前か らあ り,今日で も使用 されてい るo水 を必要 とす る時には水番がつ く。なお ,吉井川に 平行 して存在す るEB原用水の扇状地へ の利用は殆 どTlい様子 である。 しか し扇状地 で水 の確保 の努力 に もかかわ らず収捷屯 は平地 に比べ ると劣 る。水 は不足 しが ちで 3)るし,地質 は抄蹄質 であることな ど も原因 であるが .減反政解の影響 も見違巨がせない。 また土砂 くずれが原因 で畑地化 した所 も5)る.現在水田は田虫 か ら屈瑞 にかけて分布 してい るが ,田原には 果樹 園が多いo果樹 園は,斜面, 百あた り,水が不垂な どの条件 か ら,鶴 ,柴 ,ぶ どうが栽培 され てい るO これ らは稲作 に比べ ,収入の面で有利 の よ うであるoかつては桃 の栽培 が盛ん であ ったが , 現在 では労働力の不足か ら桃 よ りぶ どうの栽培 が中心 とな っている。

(17)

-7-:

;

: :≡ 図1- 6 田原 上の鼠状地 2.500分の 1の地 図で,その等高線 を もとに儀式的に 1m毎等 高線 を入 れ たO 田原上 では,典型 的な扇状地 を示す。 図1- 7 田原上 の扇状地 の土地利用

(18)

-8-(b)福 富 西方 を雨乞 いの神が祭 られ てい る愛宕 山に ,南項部 を論 山.北 東部 を海抜 105

m

程 度の丘陵 , さ らに北方 に流 れ る初瀬川 によって四方 を節 まれ る跡所 に位 匝 してい る.論 山のふ もとは横 やか な 斜面が徐 々に宿度 を減 じなが ら北方 の沖班低地へ遜 な ってい るが ,西方 と南方 に位 匠す る山ない し 丘陵 は急斜面によ って沖初底地 部分 と明瞭 に壊 され る。 この地 を と り粥む山 々には楢偽 が あ るが ,ふ もとlこは原野 の まま放 置 され てい る土地 もあ る。諭 LLJのふ もとの捉 斜面 には葺現 物 があ り,その北 方には新 興庄宅地 が あ る。 この衣鶴城 と新 興住宅地 は周囲 を触地 に朗 まれ ,水田 は105m原 盤の丘陳 部分 を と り組む形 で存在 す る。水 E日の南方 には 繭の池 とい う軌 也が あ る。 土地利用 の具体的 な状況 は以 下の過 りであるO ここはか つて雑 木 林 であっ

1

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を終職後閑 Hlした もの であ る。 畑地 としての利用 はわずか で,叔塙 さか る野菜 は主 に 自給用 であ るO キ ュウ リ, イン ゲ ン豆な どがわずか に出荷 され る。 水田 としての利

は顧 斜面部分 で もふ もとで も殆 ど見 られ

いO 穏 斜面のふ もとか ら初細川 に至 る箇所 では住宅地 と しての利用 が進 ん でい る。 宅地 部分 は昭和 24 年頃か ら,fT]気町最 初の町営住宅 として整姉 きれ /こもの で .現在 は個人所 有の宅地 とな ってい る. 従 って この蔚所 では早 くか ら水道 の盤 肺が進み

,脚

13

年には和気町 上水道 が魁

され てい た。 他 に,綴斜面 の中央部に も宅地 が広 が ってい る。 南方 の斜 面上には養豚 LLLが あ る. ここでは昭和 36咋頃か ら個人経営 で養鶏 が行 われ,近 くの出荷 弧に出荷 され てい たが, J5鋳轟 前 か ら遜豚崩 として利用 されは じめた と潤 く。現在

付近 の薄茶E3家が3人 は ど人 をW って経営 し,約 1,000 或 は との豚 が飼 わ れてい る。 1鳳 に10曲 ず-I)伽 が 上部の選 者 を池 じて大晦 ・姫路方面- と出荷 さ れ てい るが ,中腰 の出荷はない とい うことであ る。 まT=,畜岸巌営 者の染 ま りで国か ら低利子 の資 金 を得 てお り

,

養豚舎 には 「粛顔 投合地 域魂墳対

策'

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」と記 されてい る。 (C) 益 原 吉井川 の

作,神 ノ 上山の ふ もとに広が る。 雨 由冊には盗原 ・本 和気 ・臥

こ水 を送 る こ とが で きる益原用水 が ,吉井川 と平行 に流れてい る。 この 山澄経斜面のl中央部には ,艇備 きれ た択

心肺

簡岐和気練 が北東- 南西Jj一向 に田通 し,軌道沿 いに宅地 が密旅す るo ま7こ宅地 の 闇 を9:]うよ うに ATI地 が分布 し.宅地 の まわ りには

状 の水l℃がひ F'が ぅてい る。 その北 粟 で,軌EBの 上方にはかな り人 きい溜地が あ り, その輿には さ らに2つほ ど商 旭があ る. この地 域 では

面は

Cとに耕地 化 され 跡 田 とrlってい るO道路 が屯 僻 され てい るため 上方の 水EElで も開城の苛人が可経 であ るO ま た御 地の 飽 きて./k田用 の水 が不出す る ことは殆 ど/Jく,求 番が行 われ るのは水不足 の時 のあ であ る。家 匪用 の飲料 水 にはか つてはiF戸 を

川 してい たが, 2 - 3年前か ら

jEが些解 され たため ,現在 は井戸 と

水i

Bが L)FIT]され てい る。榔LElを 1枚 の1二ロに LfI らとい う挺寮 があるが ,土地 の形状 か らして実現 の 可詑性 は少/[い。 Iml地 には 自給用 の野菜 が栽培 され る慢 度 であ るが .●宅地 や・nJ)の闇にあ る果樹 園 ではふ ど うが触え られ てい る。 また山睦 の果樹 園 では雫が 依え られ ,わず か Iこ出荷 され てい る0 -時胡苛桃 が鵬 え ら れ てい たこと もあるが ,虫がついた t), T=間がかか ることな とか らLljM=とIitlく. かつて

粛 が さかん で,道 路 を境 に求斜面が乗 切 だった ことが あ ると拙 く,屈7['この地 域の綬 斜

(19)

-9-面に続 く山艶部分 では.上方が区有林 ・下方が民有林にな ってお り,民有林 では

,

,J.tl{松の タネ松が植 え られている。 土砂 くずれな どの災害 はあま りないが ,猪の出現 で作物 が荒 らされ ることがあるとい う。 (d)

益原 か ら県道都留岐和気線 を更に奥へ行 った0 才 ノ峠 の手前に位置す る山東援斜面 である. 山 の上方には大小 の潜池が4- 5つ3)るが,水 は枯れ やすいC 畑地 では自給用 の野菜が栽培 され ている.減反政策 で大豆を植えるよ う奨助 されてい る。 田を1 つに した らとい う提案はあるが ,実現の見込 みは少 ない。 (e)鹿 帰 日笠 下の南方 で,南 を神 ノ上山,北 は E]笠川 に合流す る市倉川に囲 まれ る地域 であ る。 ここで は按針面部の中央 に宅地 が7- 8軒 ま とまって分布 し,その まわ りに畑地 や果樹 園があるが ,土地 の多 くは水 田 として利用 されてい る。神 ノ上山池のふ もと近 くには上見地 ,小池 な どの ため池が あ る。 山鹿 に位置す る水田の水 は神 ノ上山か ら

いてい るが,ここでは感触 -の依 存度も大 きいo水が枯 れ ると田 も枯れ るため水の見張 りを当番制 で行 ってい る。沖胡低地 面の水由 では市倉川か ら水 を引い てい るo 畑地 では自給用 の野菜の他 に,減反政策の影響 と,水 をあ ま り必要 としない作物 とい う点か ら豆 が植 え られてい る。 果横 国 には,粟が植 え られてい るが ,自給用程度 であ る。 かつては桃 の木があっT=が .人件費 の 関係か ら現在 では植え られ ていない。 榎斜面の背後の山では雑木ややぶが生 えるまま放任 されてい る。 水道 の軽偏は この2- 3年の間に行 き届 きは じめ た。 かつては井戸 を掬 った り山の谷 の

水を引

い [こりしていたが ,全体的 に水不足の傾向があった。 山 くずれな どの災零 は殆 どないが.指 な どの出現 による作物への妓音 があ る。

(

) 飼

葉 金剛川 と日生川の合流点の北東部に位匿 してい るO 山す そに宅地 は帝興 し,宅地 の背後 に竹林 や畑 ・雑木林が ある。宅地 の東方には桝池 とい う大 きな潜池があ り,宅地 の北方には西谷他があ る。 畑地 は ,宅地 と宅地の合い闇や宅地の上方の斜面上にあ るが ,この斜面上方の佃は道 が枢解 され るまでは不振 であ った。現在 では粟 な どが多少出荷 で きる軽度栽培 され てい る。 かつて斜 面部

にあ

った水圧=i,梯反政策の影響 で大 豆 や 自給用 の野菜 に転作 され ,現在 では敬反 しか残 っていない. また収穣串の開床か らと.用水錐の発達 /Lとによ り.水田は平地 に多 く分布 する。 しか し,甲地 で も田によ り水はけ,水 もらが随分異 り,収棲 霜に差が生 じてい る.水田用 の水 はかつては4つは ど ある油粕 に頼 ってい たが不足 しが ちで,水部 u皮があった り,水乞いの神が祭 られ た りしfこ。 今 E] では和意谷池によ り,水不足の憂いは殆 どないが ,日照 りには水巻がつ くとい うことであ る。この 付近一体 の水EBを 1枚 の水馴 こしょ うとい う担案はあったが ,現在の ところ実現 の見通 しはない。 家庭用 の水はかつては井戸に頼 っていたが.勘所によ り水の出方が異 な り不足 しが ちであった0 -1 0

(20)

-現在 では町水道 が整備 されてい る。 (ど) 奴 久 谷 飼垂か ら県道沿いに北乗- ゆ くと,山舌馴こ奴久谷の線斜面が あ り,数軒 の宅地が あ るo その宅 地 で左折す る と,今度は北北 西方向に山髭 を とり囲む形 で緩斜面が存在す る。北北東方 向に伸び る 谷の上方には奴久谷池がある。更 に奥には津田永忠の基地 があるO ここでは山の斜面 を利用 した水E]が谷 の原典 まで柵状 に続 き,谷の奥の水 田 では休耕 してい る も の もあった。 この地 の水EElでは,新 しく建設 され た祇昏谷他 の水 を使 うが , この池が で きるまでは 水番の制度 を設けた り, 4つは どあった小 さfL宙池の水 を倹約 して使用す るな ど,水 の獲得 にはか な り神経 を使 っていた と聞 く。 今で も日照 りの時 は水 当番 をつけた り,谷の典 の田はtB植 えが早 い ため小 さい池の余 り水 で田櫓 えを した後 ,和音谷地の水 を使 う,とい った工夫がfLされ てい るO ま た,知音谷 では今 で も付近の小池 を水 田利用 としてい る。 水 田 と宅地 の間にまば らに分布す る朝地 では,自給用 の野菜 と滅反故帝 による転作 で大 豆や飼料 用 の作物が栽培 されてい る。 飼料用作物は,付近 の農家 で伺われてい る乳牛用 であ る。 山渡の斜 面では, 40年樫的 には養 蚕用 の垂が植 え られていたが ,現在 は雫が植 え られ た り,雑 木林 となっていた りして個人の管理 に庄 され ている。 また.斜 面の債斜が横やか

なる箇所 の桑畑 は 水EEIや畑地 に もなってい る。 蚊久谷では宅地散 は少 な く,谷 の奥 では谷の入 り口付近に比べ10- 3 0Wt原皮 の高度差 がある。 このため水道 の鼓偏 は殆 ど行 なわれてい71い.多 くの家 では深い うちこみ井戸 を促用 した り,山の 背水 を引いて家庭間の飲料水 を得 てい るO この地 では,洪水時 は水 はけが敷 く,道や田が旅 され るな どの被害が 出たことがある。 また,拷 な どの出現 で作物が荒 らされ ることもある。 (h)輿 県道都留岐書永停 串鳩線 が北北東方向に中央 を斑通 し,三方 を山に題 まれ た緩針面 であるO 南 粟に位置す る山のふ もとには和恵 谷川が流れ,西方 に位置す る山の ふ もとに小 部弛か らの用水路が 県若 と交差 して和意谷川に そそ ぐO また,県道 (都留岐吉永伊串鳩繰 )と和音 谷川が交差 す る地点 の右わ きに範 の州用水 の設備がある。 この境 の州用水 は.助の地域内に造 られた吉 田村の用 水設備 で,工事着工が18 0 5(文化2年 ) 完成は18 2 7(文 化10)年であった とい う。 「勤 や菖軌 ま曹和窟谷川 の土砂が戟 もって できた 厨状地 であるため.水不足 に悩 ま されていた。 その対確 で,地下堤 防 をつ くり,伏流水 を利用 しよ うとしたので3)る。 この時の工 野 では,地下堆 折は西へ 向け,約1 3 0〝傾 度 であったが , これ で は地 下水 も半分 しか利用 で きないため,文政10年 に再 工壊 され,この地下堤防は西-更 に7 0m 延長 されたO この結果 ,鍵の州用水 は水食 が2倍 とな り.音臥 よ水 不別 こ悩 む ことはな くな ったJ

(

F和気の歴史 」を要約 ) ここ蝕 では,宅地 は道路沿 いに群が り,まわ りに畑地 ,水圧),果樹 園な どが分布す る。 山す そに は野革地 として放任 されてい る地 や竹林 もある。 水軌 ま広 く分布 し,水 は小部池 と和意谷池の水が使用 されてい るO小 部池 では水不足 の時には

-ll

(21)

-'!中部係 〃とい う水番がつ くそ うであ るo 和宕谷池は鋤の輿にあ り.昭和27年

小がIt-工 され , 昭和 35年完成 されてい るo この付近 はかつては水線 として小鮒 也を主に使用 していたが

,

冊かT]J 時の降雨が良好 でなければ仙付が出来ず ,m値 を延朋す るこ とが度 々で,従 ってL1-朋早天か連続 す ればたちまち早再 を被 る状況 であ った

o

」(県営和良谷池

水改良 中濃概要岱 )この ため,11]怠 谷 池が建設 され た。如意谷池は,山陽線 吉永 駅 と和気駅 との胤に延 び る吉永町 ,和気町の 一部にあ た る3 6 2 4haの耕地を欄概す る。 この池の建鞄によ り,臥 古EE],奴久谷 ,飼乳 藤野 の地域 では, 水R]用 水の

得が射 こな ったQ町や県の援助金の他 に .この池の使用 者連 は反Cとに年2回 ,数 10 年かけてお金を支払 って きたとい う。 現在水軌 ま減反政帝の彫饗 で転作 が行なわれ る もの もあ り,大1-iや 自給用 の野菜が裁増 された り してい る。山 ぎわの斜面部はかつて桑畑 だったこと もあるが ,現在は畑地 として利用 され ,自給用 の野菜 や,その上方のやや斜 面が急 な箇所 では ヒノキの偵林 や柴の木 ,雑木林がみ られ る。 この地 の出家 は殆 どが雅美で,既機具は-家 ごとに鵬入 されてい る。斜面の急傾斜部には養

n

切 が3'る。 ここは終戦後池田家の当主によ り経営 されていT=が ,現在 は佐伯町に住む人が5-- 6人の人 を屈 っ て経営 してい る.

尚 ,胸の地名 は,地域 のEE民の勤労 ぶ りを評 して,池EEl帝 の当主よ り与 え られ た もの と雌 く。 こ

の地域 には古い家柄 を もつ家が多 いよ うである. 現在 この地の家庭用 の飲料水には町の簡易水道が行 き届 き,かつての井戸 は使用 され ていない。

(

3

)

ま と め 以 上のよ うな実地調査によって,和気町域の小規模扇状地 の概要がつかめ たo 扇状地上の土贋は,平地 と比べて疎 が多い。特 に平地の畑地 と厨状地 の畑地 を比べ てみ る とよ くわか る。 これは,扇状地 の形成が ,そ もそ も河川 のlql搬 によって砂蹄が谷口を扇田 として扇状 に 堆供 され た もの であるか ら,当然 ではあ るが ,段菜の面か ら見て重要 な ことである。 農業 ,特 に稲作 においては,水の確保 が殿 も大切 であるo 扇状地 では,一般 に椎

土が平地 よ り も粗粒 であるため,水 が大f正に鎚透 して しまって水の確 保が困難なの で扇状地 におけ る筏裳用水は 潜池に[=よる ものが多い。投 も安迂 して水 を確保 で きるか らであろう。 このよ うな軌 Ltiで もEl徽 t) やEEl植 えの ときは,水番 をつけるな ど苦労 してい る。近年造 られた如意 谷池は ,本格的 な価既用 地 で,働 ・吉EEl.奴久谷 ・飼串な ど広域的 に安定 した水 を供給 している。 扇状地 上の水田が ,畑地 や果樹 b馴こ変 わ っている ところが現 われ る。 これは ,減反政餌 や兼 業出 家の増加 に起因す る。 その上,屈伏地 上の水圧=i収種石itが少 な く,戯作業に もll-側がかかる。 その ため,手間 もかか らず女の人 ・老人 で もで きる粟 やブ ドウを楠 えつけてい る0 住宅 は一般 に扇%Lに多 いが,傾 斜のゆ るやかな ところでは上方に も住宅が江地 してい る。例 えば, 福rdでは戦後扇状地の未開の部分 を開発 し町営rj]地 を造成 した り,衣笠 では扇状地 全体 が分地0=宅 用地 として利用 されてい るO 近年 ,扇状地 では水道 が導かれてお り,飲料水の確保 には こと欠かないよ うに/上ってい る。 しか し,現在 で も厨頂 に止地 してい る住宅 では,水退か とどいていない とこj''があ りそこでは

,

井戸や 谷の水 を引い た りして飲料水 を確保 してい る. このよ うな ところでは,現在 で も豆にな ると水か転1

(22)

-12-れ近所に水 を もらいに行 かなければな らない。 (徳 田育子 ・西村栄治 )

3.

金 剛 川 の 河 道 変 遷

(い 金剛川の概観 備前 市三石地 区寺山の大地 に端 を発 す る一級 河川金剛川 は,岡山県三大河Jllの一つ吉井川 の支流 である。 帆坂峠 よ り西流 し,備前 市三石地 区,吉永町 を擬 て,和気町 にて吉井川 と合流す るo流路 延長17kh,流域'bLS11 6 8.Ski,流路沿いの地雷 は主に白亜紀流紋 岩類 であ る。 河床には, とこ ろどころに基鮭の露 出がみ られ る。主な支流は上旅か ら,五石川 ,舟坂川 ,八塔 寺川 , 臼笠川 であ ら,そのいずれ もが北か ら流れ込 む。 ふ1='ん,八塔 寺川合流地点 よ り上流の金剛

にはご くわずかの水流 しかない。 何軒 i浅 く,堆防 も瓶足な ものはなか った。 しか し,大雨のたびごとに,跳水が繰 り返 されてい る. に もかかわ らず , 大 きな被晋が今までなか ったため,改俸 されなか ったの である.洪水 が多い原因 としては,改捗の 遅れな どの外 に,自然的 条件 として.流紋岩軒 よ りなる地質の ため,保水性が悪 く,多 くの水 が一 皮に金剛川 に流れ込む こと,吉井川 との合流点 付近 は.本流吉井川が熊山山塊 にぶつか り,流路 を 大 きくか えるところなの で,金RJl川 よ りの排水 は しば しば鼠難 とな り,逆流 を超 す ことな どが考 え られ る。 術前市三石地 区は,山に蝕 まれた狭 い谷 を大 きく湾曲 して金

川 が流れてい る。人家 .工脇は, 河 とLLJの闇の狭いLLl,所 には りつ くよ うに して密袋 してい る。 この ため,洪水の たびCとに大 きな被 晋 を与 えてい た。 また,和気町和気 では,吉井川 か らの逆流の ため大 き

被害 をたび たび受けてい る。特 に1 9 7 6(昭和5 1)年9月の台風1 7号によ る大雨は,金剛川の支流 を含め流域一体に 大 きな被筈 を もた らしたo現在 ,流域全附 こわたって,rfl小 河川攻略事業 と災苫復 旧助成耶薬が進 行 中 であ る。 (2) 金剛川の河道変遷 (a) 中小河川改修野菜以前 図 1- 8は,明治4 3年勝正 ,大正14年捗IF..昭和5 1年俸正の3枚の地形園 と,昭和 5 5 年の頃櫛地方振 興局 姿料 に基 づいて,金

Wl

川の河潜変jBを表 わ した もの である。地形図に現 れ る限 り,大 きく河道 が変 化 したのは,やは り昭和5 5年の改修後CL)もの であるo吉永町内 では蛇行 して い Tニ金剛川 は直線につけ変 え られ,備前市三石地 区では河川 トンネルが作 られているo それ以前の地形図にはほ とん ど変化がみ られfLい。鹿】東町和気 付近 では,現在 よ り川幅が広 く大 きな中州があったことがわか る。これは侶和40年節改鯵 され,はば現状 とな った。 吉井川 との合 流点付近は.次第に西にせ り出 してい くQ これは吉井川 と金剛川 とが スムーズに合流 し,逆流を防 ぎ離水被害 を少な くす ることに役立 ってい ると思われ る。 「j笠川 は以前 ,合流点付近 で伏流 していたことがわか る。和気町藤野 は現在 日豊川 によって東西 に分 け られてい るが, もとはその伏流の上にある一つの喋藩 だった。 右岸の田ケ原地 区の住民の蛋

(23)

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明治4 3年捗正地形図よ り

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図1- 8 金剛川河芯変遷

(24)

が ,左岸の坂本地 区にある。 日豊川 をいつ現在の河道 に改捗 したのかは明 らか でない。 地形 図に描 かれ る以前の金剛川の河道 については推察 の域 を出ない。金剛川上流部は山あい を流 れてい るため河道 は固定 していただろ う。変動 したのは吉永町以下 であろ うO 吉永町内 では,蛇行 を繰 り返 し,洪水 の度毎に流路 を変 えてい たと思われ る。 和気町 では,流路が北の山鹿 と南の山麓 の間を塊度 も変化 した と思われ る。 ま た,和気町 EI室か ら下馬 にかけては,旧流路跡 と思 われ る周 囲よ り一段低い土地 がみ られ る。 (b)昭和51年災害 昭和5 1年9月,台風1 7号 によって金#Fl川流域 は未 曽有の章雨 にみ まわれた。 雨丑 7 0 0-9 0 0HzAT(9月9日∼ 1 2日, 4日間累計 )。年平均両且が1 0 0 0- 1 2 0 0nZDlであるか ら,実 にその3分 の2以 上が一度に降 ったことになる。 この Tこめ金剛川 は液高水位4.4

m(

警戒水位30

m)

を記録 ,流下維力2 4 0m3/ Sに対 し4 60

〝㌔

/

Sとな り,姥防決渡約7 0ヶ所 (構造物 の取 り付け部分 やカー プの部分が主 ),浸水家屋2.7 0 0戸 ,田畑冠水2 9 0haの敏幸 を受 けたO 表1-1は,昭和51年災哲 における金剛川流域の民生関係被寄状況 であるo それによると,備 前市三石地 区では,床上,館下浸水 よ り,住 宅の全半妨 ・一部破擬が圧倒的 に多 い, この ことは,水か きの増 した金剛川が ,河沿いの 狭い 土地 に密集 してい る住宅 専攻盤 した こ と をあ らわ してい る。 これに対 し,蓄永 ・和気 町 では味上 ・床下受水 が多い。吉永町 では姫 防の決かいは少な く,それよ りも八塔 寺川 ・ 金剛川の膿 防をover flow した水 による。 和気町 では床下浸水が多 い,やは り吉井川か らの逆流による ものだろ うo 図 1- 9は備前市三石地区の最近10年間 表 1- 1 金剛川流域 の民生 関係被寄 状況 (5 1災 )

忘讐

備前 (三石 ) 吉 永 和 気 死 者 3 (1)

-行方不明 負 傷 者 28 (10) 住宅全壊 37 (20 ) 9 6 ly 半農 39 (27) 69 4 一部破損 376(329) 床 上浸水 588(122) 140 136 の仕E.博歎密化 をあ らわ しr=もの であるO ろ う石鉱菜の不況 によ り年 々稀少傾向 には3)るが,特 に昭 和51年9月の災専以降. 5 2年末頃 まで急激に減少す る災啓過疎 といわれ る現象がみ られ る。 51年災害以前 に も金剛川 は膏か ら洪水凝賓 を もた らしていた。 しか しなが ら,本格的

川改捗 は今まで行われなか った。輿防が決壊 して も原状回復 を していたのみ である。一 つには, /y今度洪 水があって もせいぜい床下浸水 だO ;Jとい う考 え方の ためだろ うo逆 に言えば今度の災等 が想像以 上に大 きな ものだった とい うことに もなろ う。 51年災者の特徴は,全体的 には大河川 の増水 によ って排水凝離 を失 った中小 河川 の.lq髭 であっ たO大河IHの改修が進み ,その姥防の決済はな くtJったが .その ためか えって水 か きが増 したの で ある。 ちなみ に三大河川 (国管理 区間 )の7 0年が改 鯵すみ ,一方 , 中小河川 は2 5% (1979khl 中4 5 0khl)で,金剛川 も2 5酵 (51年災害以前 )であ った。 この よ うに中小 河川 の改捗が遅 れ た原良 としてIi,災雷が少 ない とい う岡山県地方の気仮的特 色,莫大 な要用 が必要 なため一挙 に改 修 で きない こと,河川 よ り適職使先 の政辞 ,さ らには用地取得帯 な どが挙 げ られよ う。

(25)

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金剛川 の中小 河川改捗研薬は流路全体 の一部に しか す ぎない。理趣 は流路全体 を一挙 に改修 す ることであ るが ,焚用 の3分の 1か ら3分の2を同伴補助(こ煩 り, しか も予許が少 ないため`)三現 が遅れていた0 5 1年災 苦 は,全面改睦の契桃 を もた らした と言えよ う。 (3) 中小 河川改経由其 この勧業 は昭和3 8年度か ら昭和5 4年度の予定 で 県によ り進 め られてい る射業 であ るo 昭和5 1年9月 の災啓釦 こはほ とん ど完成 されていたが,その後汁画 変更 とな り現在 も進行 してい る。改倦区域 は , 日等:

J

H との合流点付近 か ら,大阪罪耐工場付近 までの約2-7 kJr区†臥 蛇行 し堤 防 も,-rJTくな く河床の浅か っT:八塔 寺 川 との合流点以雫を直線 につけか え,河床 を踊 り下 げ, 堤防 をか さ上げ し,全面 コンク リー トに被われてい る。 それよ り下流 では河道のつけ換 えはない ものの,吸 防 香花 くしてい る。 (図1- I 0 ) 5 1年災害後 ,上流 では災苔復 旧助成-御1業が始ま り, 計画布水斑が増加 された。脈1和3 8年上蛸鋼船 当 叫 , 吉井JHとの合流点付近の計画柘水位 8 50

mJ

/

&に対 し, 5 1年災首線 10 0 0〝ヂ/ Sにあ らため られ , こ の計画変 更に対応す るため,はば完成 していた河川改 勝田藁 を見蔚 し,その結 果 ,現状 のままで も計画応水 出 を満 たす ことが で きること,更 に,八塔 寺川上流に 八塔寺川 ダムを建設 し洪水調穀 を行 うことと7LったO (八塔 寺川 ダムは災害復 旧助成郁男 であ る。 ) (囲 1- )2 ) (4)金剛川災害復旧助成封薬 再度の洪水災苔 を防 ぐべ く,総 額業班 9 0般 90 0 万円 で,金剛川 とその支流八塔寺川 ,奥谷川 .丹鹿川 を含め た全地域 において ,姫 防上申 と河道 の拡人が行 われてい る。 この嚇某の巌 大の特徴 は,助成勃発 としては初めて, 河川 バイパス トンネルを建設す ることにある。松

39倍:5,n0O万円,脚和54年度よ り施行 ,昭和 5 7年3月完成予定 であ る。河川 トンネルは,五石III との合流点付近 か ら分流 ,木野山,同道2q・線三石帝

(26)

-16-事

4 5 4 6 4 7 4 8 4 9 5 0 5 1 5 2 5 3 5 4 5 5 ( 昭 和 5 3 年 度 事 業 費 が 減 少 し て い る の は , 災 害 復 旧 事 業 は 3 年 間 で 終 了 し な け れ ば な ら ず . こ の 場 合 , こ れ を 2 年 間 で 終 え た た め と 思 わ れ る 。 )

(27)

-改 修 後 = 二 二 改 修 前 0 5 0 10 0 2 0 0 図 1 1 1 1 4 0 0 m 吉 永 町 内 の 金 R TJ川 の 流 路 変 達 と 跡 地 利 用 i O O O J 9 0 し .ユ 9 0 .. p O j O .n o d / 良 金 剛 川 ヽ ヽ ′ ′

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池 ′ ′ 河 川 ト ン ネ J Li 図 1 -1 2 計 画 高 水 豊 ( 唱 和 5 1 年 災 害 復 旧 助 成 事 業 ・)

(28)

2トンネル直下 ,台 山を貫 き,- ノ板橋下流 で金

川 と合旅す る総延長約2kx, この うら トンネル 部約1.2knT,暗渠部約2 10m.開姫部2 6

桝である (図1- 13・図1- 1 4)o高 さ備 とも に 7

m

の馬てい形 を した河川 トンネルは毎秒1 50け戸の流下能力を持 ち, これは計画帯水量 2 0 0 i/ 且の4分の3を受 け もつ ことになる (図1- i 2)。 この数字は.山脇本線 および国道2母線 架橋部が最 大 5

0†

T

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8の流下能力 しか な く, 5 1年災哲時 に もこの架構 が ダムの役割 を果 し,堤 水地 区を広 げることになったため,わ り出 され た ものであ る。 <河川 トンネル部 > 図1- 1 4 金

IJ

川 バイパ ス トンネルの 断面図 -19-く開 窮 部>

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控=

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姓=

<暗 渠 部>

(29)

河川 トンネルの入 口,分流部は,左岸に布き 0 9

m

,長 さ9 0

m

の越流埠 を乾 け,毎秒1 5L以 上の水が流 れ ると自然に流れに沿 って水 が越流 す る横越 方式 を とる。 これ は,土砂 やゴ ミな どが ト ンネル内に流入 す ることを防 ぐためさこ採用 され た。 このよ うな大規模 な河川 トンネルを作 る必教 が生 じたのは,河川 と山 との間の狭 い土地 に人家や 工場が密葬 している とい う三石地 区の特殊条件 によるC 河道 を拡幅 し,fR防 をか さ上げす るには , 多 くCL)止 ち退 きを必要 とするが,それは実際不 可能 であ るo従 って,再度 の洪水災事 を防 ぐには, 三石地 区よ り上流 で河川 を分流 し,下流 で安全に合流 させ る′ヾイパスが必要 になったの であ るO (5) 河川改修の彫醤 全面的河川改鯵によ り,ほ とん どの堀 も作 り変 え られ てい る。 日笠川合流点 よ り下流の金月uJHで は河道の拡 幅は行われず,姥 防のか さ上げが主 に行われ,それに伴い ,石概あだった堀 をコンク リ ー トの ものに し,用水牌 も整備 され たO水虫 も詞盤 でき,便利 になってい る。 八塔寺川合流点か ら大阪窯耐工場付近 までの吉永町内の区間は,河道 を直線化 し,河味 を低下 さ せ ,堤 防 をか さ上げ し.全面 コンク リー トにな ってい る。特 に河殊を触 り下げたことは地 下水位の 低下につなが り,付近の水田に影8が あるのではないか と思 われ るが,明 らかではないOなお, こ の区間 の堰 は,高さ 2mの可動 堪 とな り,河床 を踊 り下 げた堂 を補 ってい るO この可動堰 は洪水時 には自動的 に倒れ,流 下の妨 げ とな らないよ う工夫 されてい る。 5 1年災害時 ,堰が水流 を妨 げ, 洪水の一廟園 ともな ったか らであ る。 河道 の直線 化 に伴 う跡地 は現在 ,町営総合 グラン ド,罷用促進住宅 ,住 宅用地 ,工 場な どに利用 されてい る (区11- i 1 ), 和気町の吉井川 との合流地点付近 は水の染 まる所 であ り,吉井川か らの逆流による洪水が頻発 し てい た。 今回の攻捗 では堤防のか さ上 げが行われ ,河川の水位 上昇への対帯 は行 われたが,姫防内 の水への対策は行われていない0円排水 に対 してはポンプで堤防外 に汲み 出す しかないO 上流 での河川 トンネル,河道 の拡 幅 ・底線化 ,堤 防のか さ上げな どによ り,金剛川 上流の安雨が よ りはや く吉井川 との合流地点 に遵す ると考 え られ る。改捗

,吉井川 上流の豪雨が和気 に到達 す る時間 と,金剛川の それ とが と もに2時間で,同一 であ った。 今回の改修 によ り金剛川の到達時間 が はやま り,洪水軽減 に役立 ってい る。 (本 多 串 郎 )

4.

金 剛 川 流 域 の 酸 性 水 (1) 調 査 の 目 的 金剛川 は,備前市三石,寺山地 区の大池 を水源 として,八塔 寺川,日笈川 と合流 しなが ら和気町 で吉井川 に注 ぐ全長1 7khrの河川 であ るO流域 の地質は全域 にわた り,流紋 岩よ り成 ってお り,上 流部三石の台 山地 区を中心にろ う石鉱 山が多 く分布 してい る。金剛川はかつて 「ダEの

」と呼ばれ てお り,魚 さえ も住 まな くな ってい た。 これは,金剛川流域に分布す る,ろ う石鉱 山 とそこか ら採 れ るろ う石 を原料 とLf=各種工場 か らの強 酸性排水 が原因 である と吉われ てい るo 今回の調査 では,金剛川が 「死の

」と呼ばれた原因 を確認 し,砲丸 5 7年7月現在 での汚毅の

(30)

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/

(31)

状況及びそれに対す る関係機関の対策状況 と今後の間函点について,調査 ,検討 してみ たC (2)調 査 方 法 金NIJ川の水質調査 については,過去のデータ (特にp77億 について )を検討 す るとともに, 3 4 地点 で現時点 (昭和56年7月20日 ∼ 24日 )のpE値 を測定 した。 また汚熊対帝 については,局 在吉永町役場に配かれてい る金剛川浄化対帝 脇教会 と和気町役儀 の資料 か ら考察 した. 現在の魚用rJ川 の強酸性排水による汚鞄状況 を調へ るためは,河川水の

pH

値 を実乱 した

。 pF

(ペーハ- )とは,水が アルカ リ性 であ るか敵性であるかを表 わす もの で,水素 イオ ン頗度 の逆臥 すなわ ち

pH-Log(

1/H+)で塞 わされ る

o pf

I70

が中性 で

,pH l

0

さ,t近 づ く樫単性が 強 く, pH1 4 0に近 づ く樫 アルカ リ性が強 い欝 を示す。 この

pF

値の測定法 には,試験紙法

,p

l王メー ター .比色管法 な どがあ る。 今回の銅香 では,刺 定値の正確 さ,野外 での移動乱定 の手樽 きのこ点を考膿 して,比色管珪 によ り測定 を行 な った。比 色管法 とい うのは,指示薬 を用 いて試水 を発色 させ ,それ 有感準比色管で比べて測定する方法で,小 型試験軌 ピペ ッ トまたは スボイ ド,指示薬 ,停車比色軌 蒸留水が必要 であ る。指示薬 としては.

B,T,B

, (プロム ・チモール・1'tr )及

UI

C

.

a. (クレゾール ・レッ ド)を用 い たO比色操 作の準序 としては,まず ,試水5ccを試験管 に とり,これを0 2 5ccの試示薬 を加 え,軽 く振軽 し た後に比色計の中 で比色械準管 と比較 し

,pf

r値を決定す る。 以上のよ うな方法 で金剛川及び 日笠川 ,八塔 寺川 での

p

E測定 を行 ったが,採水地及 び測定結果 は, それぞれ図1- 1 5,菱 1-3に示す濁 りであるO 採 水地 の決定 に際 しては,工塊の立地堤所 に注 ElL.特 にその上流 と下流 で どのよ うに変 わ るか な考慮 した. また吉井川 での測 定値は ,金剛日 との合流点 よ り約10kJr上流において採水 したもの による. したが って ,金剛川の水 の彫呼は全 くないO

(

3

)

ろ う石鉱 山 と幽避工業 わが国は世界最大の ろ う石生産 国であ り,岡山,広島 .兵節 ,山口,長崎の各県が その主要地 で ある。特 に岡山県の備前市三石地区 ,和気那吉永町鹿屋地 区は,我 が国で蚊大規模 の ろ う石鉱味 で 持 ってい る。 「ろ う石 」とは,弊ろ う石 (パ イロフ ィライ トを主 成分 とす る鉱石の総称 で,粒雑 な鉱物組成 を してお り.一般 には赦密塊tlRでろ う題があるo ろ う石鉱床は,主 として流紋 岩質 の火山岩や凝灰岩 の熱水変質によって生成 され たと考 え られ る。岡山氾の ろ う石は,備前市三石地方の もの で代表 さ れ,古 くは浄座 右,八木 山石 ,焼 山石な どと呼び.右耳用に採掘 きれてい f=が ,近代工業 の発展 に 伴い耐火煉 瓦,クレー,製紙 な ど多方面に利用 されるよ うにな った。 金剛川流域 には,図 1- 15に示す よ うに三石 ,新町 金谷 ,硬屋 の各地 区にろ う石鉱 山が分布

(32)

-23-表 1- 3 金剛川及 びその支流 (日笠川 ,入省寺川 )流域 のpH検査 (昭和5 6年 7月 2 0日∼ 24日 ) 採 水点 指 示 薬 pH 値 備 考

B.T.B

B.T.B

B.T.B.

C.氏,

C.氏.

C.氏.

〟〟〟〟〟 6,5 金剛川河 口付近

a

@

6.56,488.88,76,46.26.85,9

.

6 付近 に集落 か らの排水 口あ り, 付近 に集 落か らの排水 口あ り,流鼠 は少 ない. 付近 に水田多数山陽 ク レーコ:蝦 排水 口よ り1 0m樫川 下

6.7

付近

6,97.57.16.66.6

/

,

よ り2 0 m程川 上 金谷工業 ク レ-工協 よ りやや川 下 大阪窯耐工場 よ りやや川 下

6_66,66.56.16.46.96.3 大地河川 水 にか な りに ご りあ り日生 町の地 (参考 )

6.2 三石の耐火煉 瓦工場 の排水 ,川原 のイJ-が 赤褐色

7.2 〃 よ り川上

8

.

8以 上 金 剛川 と金剛川 バ イパ ス合流点

)

B.T.】

C.R.

B.T.B.

).

8.85.8以 上以下6.37.3 台 山鉱 山排水 .排水 口の コンク リ- トは赤手!,-.;;色

(33)

-24-採 水 点 指 示 薬

pH

値 備 考 ㊨

B.T.B.

B.T.B.

〟〟〟〟 7.3 El豊川上帯 (中村付近 ) ㊨ 7.3 〟 (日豊下付近 ) @ 5.8以 下 工 場 排 水 ㊨ 7.26,8 八塔 寺川 中流 参考- 1 吉 井 川

①-③,⑦

,⑨-⑯

,㊨ -㊨ ・-・・- 重

削川

①-(

㊨㌣㊧

.・・・..E]

豊川

, @ -イ妙 .・・・- ・八塔 寺川 ① --㊧ の番号は,囲 卜 15の採水点の番号 である. なお,㊨ -@ ,㊨ ,参考-1の採水点は国には示 していない. している。この うち虫 も規模の大 きいのは,備前市三石地 区で,三石 ,大平 の2鉱 山をは じめ とし て1 3の鉱 山がある。 また,これに次 ぐ和気郡吉永 町の板屋地 区に は8つの鉱 山があ る。 同 じく金 谷地 区には4つ

,

備前 市の新EEl地 区には 3つの鉱 山が分布 してい るO しか し,これ らの各鉱 山の う ら.現在 も稼行中の ものは三石 で 9鉱 山,板屋 で 3鉱 山,金谷 で 1鉱 山の計 13鉱 Ll」であ り,他の 鉱 山はいずれ も休止中 ,あ るいは廃 止 となってい る。 金剛川流

には, この ろ う石 を原料 とした耐火榊瓦工場 とク レー工場 が多 く分布 してい る。 耐火 煉瓦 は,溶鉱炉 ,唱名炉 をは じめ,符温度工業に用 し、られる耐火物 であ り,白川白煉 瓦岡山工場 , 大阪窯業耐火煉瓦な どの工脇が穣行 中であ る。 また, クレー工掛 i,天然のろ う石 な どを精勤 して 得 られる微細 な粉末 である 「クレー 」を 魁造す る。この クレーの用途 は,製紙 の抄紙用

,

塗工用 を は じめ,盛典 ojキ ャ リヤー として,3)るいは塗料 ,ゴム一統軌 医薬等 の広 い分野 にわ たってい るD 当地域において も吉永町 を中心 に,金谷工業 .山租 ク レー,土屋 カオ リン等数社が棲行中 であ るo (4)汚染の原因 と現在 の対節 金

剛 I

」 (鵬 性 河川 )とな り

,

「死 の

」と呼ばれていた。 これは,かつて

川水が あ まりに敢性が強か ったために魚 さえ も庄7'つかなくなったか らTfと言 われ てい るo強酸性河川が 与 える影響 としては,こうした動植物 の生層系の厳焼 と共 に人間の生活への影響 として,血作物特 に稲の収穫 落 ちや,金剛川 を水源 とす る和気町吉田地区の簡易水道 を通 しての人休への虐接の影響 も考 え られ る。 これ らの汚鞄の原因 としては,ろ う石鉱 山 とクレー工場 か らの鹿 酸性排水が考 え られてい るO金 剛川流域には,耐火 煉瓦工協 も立地 してい るが.耐火煉瓦は.その製造過程 で排水 自休がほ とん ど 出ないために問題 にはな っていない。 まずろ う石鉱 山についてだが,金剛川流域 では昭7r]24年頃 か ら僻前 市三石 ,吉永 町飯盛および

-25

(34)

-金谷 の地 区でろ う石鉱 山の生産財が増加 するに従 って,その無計画 な採鋼 とそれに伴 う堆街物 の放 匿が原因 とな って水質汚濁 と山地崩壊 が社会聞屠 となって きたO この水質汚濁 は,ろ う石鉱 味 自体 が強 酸性 を示す ため,採掘の後 に放置 された堆研物 や錯 天掘 りの跡の上を降雨時 に鈍れ る水が それ らを浮遊物質 の形 で含み強 酸性化 されて金剛川へ と流入 す るか らであ るO 次 にク レー工塊の場 合だが,クレーの製造 には湿式 と乾式の2通 l)があ り.間組が生 じて くるの は湿式法によ る場合 であるo この湿式 クレーは,主 として製紙用 の ための砧級 クレーを製造 す る方 法 であ るO製紙 におけるクレーの役割

,紙 を純 白に近 くし,表 面を平滑に紙質 を柔軟 にす るため に用 い られ る1=桝 こ,粒子の微細 さの一定 ,不透明皮な どとともに白色度の高 さが要求 され るO こ の白色度 を増す ためには漂 白が必要 であ りこの漂 白の段階 IC-強酸性の排水 が生 じるQ これ らの強酸性水の排水 口付近 は酸のために赤褐色に変 色 してい る所 もあ るo この対照 としては.鉱 山やエ協か らの排水の中和処理 が行われて きたO このFFT和処輝 は,俳水 を 一度 プールにためて石灰によって申和 し,上ずみ枚 を排 出する方法 で3)る。 こうした対帯 にあ たっ ては

,

「金剛川浄化対策協議会 」が中心 とI.(って指導 を行 って きたo この協議会は,腕前 市,吉永 町 ,和気町の市長 ,町長および故会代表 と脱糞従中老の代表 と企繋他 の代表 との三者によ t)榔成 さ れてお り,原因者負担 の原則に立 って企業の監督拒串 にあたってい る。 この臨海会の他に も,広島 鉱 Ltl保安監督部によ

卑p

B定点観軌や和気町鞄匿の

pH

自動削定掛 こよ り金剛川は調査 されて きた。 (図1- 1 6 ) 図1- 1 6

P

H

自動測定機及び定点凝乳 箇所

(35)

-26-(5) 現 在 の 状 況 現在 の金剛川 の強硬性水による汚毅状況 を調査 した括紫 を表113に示 した.劫査 を行 ったのは, 7月2 0日- 2 4E]にかけてであ り,調査 EI前 も一題個 菅 度降雨はな く水丑 は少 なか った。 金剛川 での

p

Eについては壌墳基準 として

p

ti6-5- 8・5が定 め られてい るが ,表 か ら明 らかな よ うにほ とん どの箇所 で基準値 を満足 している。エ脇排水につい て,特 に排水口の上流 と下流 で調 べ た椿乗 が糞塊 ト⑳ であるが,この工端 か らの排水 は ,十分 中和 されてい る もの と思われ る. し か し工掛 こよっては基率値以下の排水 を旅 してい る例 (⑲ な ど )も若干 ある。 これ らの ク レー工場排水 とと もに注 目しなければfLらないのは㊥に示 され るよ うな鉱 山か らの排 水 である。㊨ は三石台 山の鉱 山か らの もの であ り,@ Ei降雨後 の古山の谷川水 を測定 した もの で, いずれ も

pH

58以下 とな り,今 回使用 した

D.T.B.

港硬 では正確 な値 までは測定不能 であ っ た。 工場 によって偏差が見 られ るのは,その様営規模 による ところが大 きい と思 われ る。す なわ ち等 細企業 では,排水処理施設への設備投資に多 く割 くことが できないか らであろ う. 工場 や鉱 山の排水 口を持 つ ものについては排水処蝿 は比較的容易 にで き,またそれな りの効果 を 上げて きてい るが,現在巌 も間座視 され てい るのは,鉱 山か らの谷川水 と廃 止あ るいは休 止中の鉱 山か らの排水 である。 鉱山においては.特 に拓天胸 りであれは,山の表面を覆 ってい る表 土 と植生 が取 り去 られ るため, 鉱床がむ き出 しになる。 そ こに降 り注 ぐ雨 は,大小の谷川 をつ くり軽のあ ちこちに流れ落 ちる.従 ってそれ らを全部集めて中和処理 す る執 i.実際 問団 としては不可能 に近 いo また現在廃 止中の鉱 山 では排水 口に媒 まる水 さえ も処何け る ことが できない。 そ こでこの対節 のためには ,国 ・県 か ら の補助や町費が運用 されている。 以上が現在の状況 であるが,これ らの状況 か ら現在 の金剛川流域の原因 は主 に鉱 山か らの酸性水 の導入による もの と考 え られ る. これは鉱 山によ る採尿の結果 ,硫 化物 の多い堆初物 ,鉱味等 が水 に さらされるために生 じる もの であ り.その対称 こは,鉱味等が水に接触す るのを防 ぐ額が有効 で あ ると考 え られ る。具体的 な対策法 としては,鉱

1

日の堆軒櫨等のす でIこ採掬が終 った節所 に野 上植 栽 を実施する郡 と鉱 山か らの坑廃水 とと もに良透水等 の単性水の流れ も完 全に補捉 し処理 す る弔が 人切であ る。 これ らの対策 は現 在備前市 と吉永 町が中心 とな って進めてお り,袈 1-4に示 すよ う な経焚が計画 されてい る. 表 1- 4 金柑lH環境床′、、総 合対辞 必要縫取-一覧 (既 符 ) (単位-万 円 ) 申 妾 内 容 凄 行 鉱 山

県 備前市 吉永町 (計 ) 】 呈 坑廃水等 処理 施 (I/ 2) (1/ 4) (1/ 4) 5,000 ー57相生四 一 設設備 費 ( 2.500 I,250 1.250 坑 廃 水 等 の 処理 費 (国庫 補 助 ) - (3/ 4)3.750 (1/ 8)625 - (1/ 8)625 5.000 54年度よ り 植 栽 補 助 並 び に (lO.000)(2.500)

(

I,000 ) (5.000 ) (5,∩()0 ) (23.500)日内 は総研 業 焚 54 研 み立 て基 金 2,000 200 200 I,000 1.000 4.700 年 度iり5ケ年 計 画 和気町役場 資料 よ り

-27

(36)

-(6) ま と め 現在の金剛川 は,かつてのよ う

「死の

」ではな くな り,魚 も既 に戻 って きてい る。 これは地 域住民 ,行政 ,企業側 が相互 に協力 して改善に努 めた結果 であるo しか し,ま!_.'雨が降 った後や冬 の水血 の少 ない時期 には軟性が強 くな り,これ は鉱 山か らの酸性_水 による ものであ る事が解 ってい るo 今後 も植栽の実施等 を一層完全に し.当地域の特産 であ るろ う石鉱業が よ り地域 住民 に密接 し た形 で地域振 興に役立 って行 く事 を期待 したい と思 う。 (石 原 昌 防 )

5.

昭 和

5 1

17

号 台 風 に よ る和 気 町 の災害

和気町を流れ る河川 としては ,岡山県下 で は収大紋の河川 である吉井川 ,またその支流 であ るE] 笠川 ,金剛川 ,初漉川 な どがあげ られ る。和気町西部 を繭北方向に吉井川が流れ,その流域 には原 , 和気 ,田原下 ,益原 ,EEt風上な どの袋落があ るd また南部 には初瀬川が流れ .その流域には福原 , 入田 ,稲坪 ,大中山,清水な どの珊港がある。和気町の中央部 を東 西方向に金剛川が流れ ,藤野付 近 で金剛川か ら日笠川 が分流 している。 日笠川は,和名町のはば中央部 を南北方向に町内 を2分す るよ うに流れ てい る。金剛川流城には駅前 .尺所 ,・日室 ・宿な どの染商があ るo また, 日笠川 流域 には巴ケ原 ,坂本

,

日笠 下,日豊上,岸野 ,宅原 な どの袋藩がある。金剛川 は,吉永町 との墳 あた りで八塔 寺川 と分流す るQ 昭和5 1年の1 7号台風 は,吉井川の支流 であ る日生川,金剛川 を中心 に して,その流域 で大 き な被害 をだ した。 それでは, 17号台風 による具体的 な被脊状況 について述べよ う。 まず ,和気町全地域 を.その地理的条件によって5つの ブロックに分けてみた。 表11 5 和気町の袋落の地域 区分 ブロックA 室原 ,岸野 ,E銀 l笠 上,日笠下 ,木台

名 和気町北部 で 日笠川に沿 って発達している集落地 理 的 特 徴 助 ,吉田 ,蚊久谷 ,飼葬,坂本 , -也 日豊 川 と金剛川の合流点付近の奨 田ケ原 ,宿北 杏 C 良 ,大BEI室,和気 ,田根j原 ,泉風圧 ,駅臥 尺所 吉井川 と金Hr落 J川の合流点付近のLA D 益原 ,田原 上 ,田原 下,風 ,本 吉井川 に沿 って発達 してい る袋落 E 清水 ,大中山.稲坪 ,入EB,棉原 , 和気町南部で初楢川 に沿 って発達 上 に示 した各 ブロックにおける世梓数 ,人 [J.災零時の避難者数 ,人 口に対す る避難者数 の削合. 床 下浸水以上の家屋敷 ,世帯数 に対す る床 下浸水 以上の家屋敷の割 合,施殺災害冊所教 について 次の表 にま とめてみた0 -

2

8

(37)

-表1- 6 昭和5 1年17号台風 による和気 町の被署状況 ブロック 人口に対 冨‡慧蓋 l芸也忠 雄 藩 名 世 符 数 人 ロ 避 難者故 す る避難者の割合 A 室 原 40 150 0 0㈱

0

岸 勤 59 212 3 1 8 員呈 上 133 455 159 35 30 日笠 下 151 580 170 29 25 木 魚 `lO418763 1.375772244 lO 3 8118 計 342240 19

B

計 勘 98 21 吉 田 lnl 415 64 15 9 奴久谷.飼 苓 LL2 L90 20 11 0 坂 本 137 51 9 4 0.8 18 田 ケ 原 83 347 122 35 10 術 北

70

28

5

l

12

94

5

57

4

9

6

2

.

00Ol

-

-

-

-

5

7

9

2

9

115 C 泉

l

l

Ol

-

'

160

3

5

07

6

71 大田原 lO3 396

8

2 t 18 泉県庄 203 664 0 0 ∩ 駅 前 163 54O O一 0 70 9 尺 所 l 259 890 0 0 76 日 豪 79 3n8

(

)

0

3 和 気 323 l.081 8∩1 7 lO 田 根 125 441

0 0

37 汁 I.365 JI.78O J1118 tl 285 D 益 原 170 629 350 56 1 2 8 田原 上 138 582 205 35 I 日 nl原 下 120 4LIl 24 5 】0

原 69 1 249 9 . . L 本 89 374 0

0

tl 計 586 2.275 588 26 十 5(ー 且 清 水 39 143 0 0 」 大 中山 224 805

0 (

31 稲 坪 108 374 97 26 20 世碍数 に 触発 災亨吉原

12数 対 す る床 下浸水家 屋敷 の割 合 0

14 12 23 ll 17 14 17 ∼ll l7 90 33 6 9 2 0 l 10

0 I 0

1

43

0

29 2 4

1

3

0

30

(

1

c 一 7 八日 2

C

rb L〇 Ln

「 -I

表 1 ‑ 7 和気 町にお ける昭和 5 1 年 〜 5 3 年 の 単票照 に関 す る資料 ( 噌位 干Pj) 区 分 総 事 業 坪 射 集 群 阻 細 5 1 年鑑 f 胸和 5 2 年度 胞 知 5 3 咋 及 公 共i木地設適時 ( 50) 6 14 0 0 1 ? / i i○ I 3 0 70 0 12 28 0 惜 架 ( 9) 10 0 8 9 7 3 0 2 6 9 5 04 4 g 20 17 9 河 川 ( 54) 2 28 78 8 6 8 6 3 6 1 14 39 4 4
表 3 ‑ 2 8 業種別商店一 数の推移 遠 別 ‑ \ 竺 禦 ' J 昭和 31 年 33 35 43 45 49 51 一 般 卸 売 業 17 12 16 13 13 12 12 代 理 商
表 31 3 0 商 店 の 粕 業 年 代 昭和 研和 年 昭和 年 弼衷] 年 昭和 1 9 年以 前 20‑29 30‑39 f lo‑49 50 年以降 和 気 31 7 8 16 l 2 本 荘 32 18 21 30 20 藤 野 9 2 2 A 3 日 笠 6 4 4 り∠ ■ 0 石 生 8 1 2 0 0 合 計 86 32 37 52 25 注) 和 気町役場 の環科に よ り作成。 20 年代開 渠の商店 は3 2店 ( 13.8% ) ,昭 和30年 代開薬 の商店 は 3 7店 (
表 4 ‑ 2 行 った ところ 県外 上段 :延教 (人) 下段 :学年絵 進数 を 1 0 0% とす る 小 1 2 3 4 5 6 中 1 2 3 計 福 岡 2 1 6 1 4 16 3 0 0.7 0.3 一 .2 0,2 0.8 3.2 0
+3

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