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昭 和48 49 50 51 52 53 (午 )
『東備地域 の段菓生産 』よ り 図3 ‑ 5 主要IE!作物作付面現 と収種 塁
一68‑
と圧倒的 に水稲の作付 面硯 が大 き いこ とに気 がつ くが ,その作 付 変 化 を見 る と昭和51ま で増 加傾 向に あった もの の昭和 52,
5 3と減少 を示 し ,時に昭和5 3のそれは激 しい。これは ,先 にも述 べ てきたよ うに水田利用 再編 対策 に よる転作奨 軌 に よる もの と考 えられ ,水稲 の激減 に 対 し安 ・大豆 が大幅 な増加 を示 してい ること よ り,和 気町 にお いて この二作物 が転作 の中 心作 物 であ った と推察 で きる。他 の 作物 ・くり ・い ちご ・ぶ どうも ほぼ昭和 5 1を転期 としてわず か なが ら減 少 をきた してお り, これ も ,水田利用再編 対策 によ る ,大豆 ・麦 ‑の転作奨励金 の 交付 に ともない反 当収入の偏い これ ら作物 の収益 性が低下 した 点 に よる と考 えられ る。 しか し, 従来 の稲 作中心 か ら若干変化 を 見 せてはい る ものの .抜 本的な 段菜構造 の変 革 をI,ti:(味 するまで には至 ってお らず ,この変 化は 政府 機舶 政策 上の一時的 な もの と察 せ られ ,この変化 の定着に
は まだか な りの 年 月 と政策 の継 続 が必要 とされ ると考 えられ る。
e.家畜の飼養動向
和気町における家畜の飼養動 向を表3 ‑ 1 0をもとに見 てい こ う。乳用牛は飼養戸数 ,飼弟頭数 とも減少 を示 しているものの ,飼養戸数の減少率に比 し,飼零 頭数 のそれは低革であ るため,l戸 当 りの飼養頭数 は年 々増加 を示 し,昭和54,i5.6頭 を数 えている。肉用牛 は昭和53まで飼養 戸数が減少 を示 したのに対 し,飼養頭数 は増加 を示 し,1戸 当 り118.8頭に上 り大規模経営の存 在 を予額 させ るが ,昭和5 4飼養 戸数 ・飼養頭数は逆に増加 ・減少 を示 し,この結果1戸当 り5 3,
3頭 と先年 の半分以下に落 ち込んでお り,大 規模経営家 の牛離れが行 なわれたもの と考 え られ る。
豚 も乳用牛同様 ,飼養戸数減少 ,飼養頭数増加 を示 し.1戸当 り212.8頭 と大規模化の道 を歩ん でいるo採卵掛 ま,前三家畜 とは ま った く異 なった動 きを示 している。uH和5 4に至 り飼蛮戸数4 2戸 ・飼獲羽数66 2羽 と ,それぞれ減少 ・増加 を示 し, 1戸当 り15,8羽 を示 しているものの , これだけでは経営が成 り立つ とは考 えられず ,おそ らく良薬の片手間 に飼養す る樫度 のもの と思わ れ ,採卵鶏噂業は予想 されがたいQ以上の よ うに ,家畜の飼養動 向ははば 多薮化の傾 向を示 してい るもの と推測 されるが ,寄集 と して どれだけの戸数が存在す るかは疑問であるQ しか し,和気町 曲 某の中心である稲作に限界が見 られ ,その経 営上の行 きづ ま りか ら家 畜飼養 農家 ‑の転換 が計 られ た と考 えると,家萄飼養良家の多頭化は ,今後の和気町 良美 を見 るに当 って兄のがす ことのできな い点 と言 える。
表 3‑ 10 主要家畜飼養戸数 ・頭羽数 単位 (芸芸 .'芸
年
度 1973 1974 】975 1976 1977 1978 1979家 宙
(昭48) (昭49) (昭50) (昭51) (昭52) (昭53) (昭54)礼
用午 飼養戸数 20 20 18 15 l 15 ll 8飼養頭数 140 140 136 128 126 129 125
1戸当た り飼遵玩数 7.0 7.0 7、6 8.5 8.4 ll.7 15.6
肉 用
午 別発戸数 70 60 3() 15 10 8 15
飼養東歌 370 380 386 350 700 950 800
1戸 当た り飼養頭数 5.3 6.3 12.9
l
23.3 70.0 118.8 53.3豚 飼衣p飼養頭数‑敬 388040 303035 245025 214020 250016 250014 2341ll 1飼養顛数戸当た り 97,0 86.6 980 107.0 156.3 178.6 212.8
煤那
戟
飼養戸数 220 210 216 160 120 80 42飼養羽数 560 400 341 480 320 450 662
「東鵬地域 の出発生 産」 よ り
‑69‑
先 の(イ),和気町戯業の変 遷では減反政熊 .水EEl利用 再桁対 解によ り米か ら他の 作物‑の作付転換 を余 儀な くされ ているものと推 察 し,その具体 的
な
姿 と して大豆 。小 麦の増反が現われている とし た。 しか し,畑 作物の米 との相対 的面前 比 は非常に小 さく,この点 において和気 町虚 業の生 産鯛延 が変 化 したとは考 え られない。‑rj‑,も う一つの良薬の桂 である労働力 (段民 ・股家 )においでは, 所 得倍 増計 画 に伴 う高度 経済成 1歳期か らの兼茶 化 ・機械 化に より液少 を示し,それに比 して‑農家 当 りの経営面殻 も減少 しているもの と推察 され ,概観す れば和親町粒業は零 細化 の傾 向に あ ると考 え られ るOそ して ,このことは ,経営の行 き詰 ま り .収入棟 に よる多数の離 出家 の 出現 ,家畜の導 入 ・多頭化 に よる複合経 営とな ったとみ ることがで きる。〔う 旧石生村 における幾薬の概 況
打),(p)と和 気町全体 としての恩業の概観 を見 てきたわけであるが ,これは あ くまで和 気町に おけ る平均的曲家 を想定 したものにす ぎない。この点 で ,実際 の曲家の 存在形態 ・生産構造 をあ らわ し た とは言 えまい。そ こで ,この不明確点 を少 しな りとも明 らかに し,現実 をよ り身近に把 碑す るへ (,我 々は旧石生村田原上地区において 71/ケー ト調査 を行 な ったO ここでは ,ア ンケー ト地区理 解 のために ,この地区 を含 む旧石生村の段菜の概況 を考察 していきたいo
a.農作物 の生産状況
旧石生村 は ,和気町西 部 ,商流する畠井川 が大 き く西 に流れを変 える右岸に位冊 し,西部 ・北部 は 吉備高原 の山々によって隔て られ る。 このため低平地は山々よ り流れ る中流に よって造 られる複 合扇状地 と吉井川沿 いに見 られ ,和 珊町においては割合広い面相 を有 してい るo地質的 には ,和 気 町 の特徴に同 じく吉井川 沿いが砕質 土廉 で馳業 に適 した地 とは言 い難 いo しか し ,江戸時代初期 , 同村北 部田原上に田原井堰 が設け られ ,ここか ら赤磐郡 漸戸町 で砂川 にそそ ぐ稚概 用水路 ・田原用 水 が引かれたことに よ り同村低平地の水田化が進み ,現在では和 即 丁農業の‑核心 と して存在 して お り.水田地帯 としての殴観 を里 してい る。 しか し,石生村 の水稲収穫面朝 も ,減少 し続 けてお り, 昭和25年 には172・6haLあ った面積が ,昭和3 5年 には163.4jui(25年比5.370の減少 ), 昭和45年158ha(3 5年 比33%の減少 ),そ して ,昭和55年 には135ha(45年比 14 6%の減少 )とな ってい る。特に ,昭和45年 か ら55年 の10年間 の減少は著 しい。 これは ,昭 和53年の水田利用再編 対帝の実施に伴 うものであると思 われる。
麦類 の収穫 面積 も ,減少傾 向を示 していたが,麦 作振興対帯の推進 や ,水田利用再編 対策の特 定 作物 とな ったことな どか ら,徐 々に減少速度が弱 まってきた。品種別 の収憧面税 をみ ると,小麦は 昭和25年 に96・7jLaも収穫 されていたのが ,昭和55年 にはlha未満の数字 とな り, 6戸 の農家 が収穫 してい るだけ とな った。また ,大麦 ・裸麦 も ,昭和2 5年 には57.8haのrb一群が .昭和3 5 年 に71・9haに増加 してか らは ,減少 し続 け ,昭和55年 にはlhaまで減少 した。ところが ,ビ ー ル麦 は年 々増加傾向にあ る。昭和25年 に08haであ ったものが ,昭和3 5年 に2,8ha,昭和45 には22jui,昭和55年 に29Jlaと増 え続 けてきた。 これは ,ビール工場が近接地域に進出 して き た ことによるものと思われるC
大豆 の収横面 軌 ま,昭和45年 まで減少 していたが ,昭和55年には水田利用再編対策 ‑の対応
な どか ら, 5hziも収穫 されるよ うにな って きた。
野菜類 の収穫面積は ,昭和3 5年 17.2ha.昭和 45年 10ha,昭和5 5年4haと減少傾 向 をた どってきた。 いちごは ,昭和35年6haで ,販売良家 は ,収種 良家 の5 8 5男を占めてい たが ,昭 和5 5年 にはlha, 1 3.5%と減少 している。
石生村で栽培 されている果樹類は ,昭和5 5年 でf7,ぶ どう,くり,もも ,かき ,うめである。
ぶ どうは ,昭和5 5年 では‑・番 多 く栽墳 されている果樹 であ る (栽培 農家数4 4戸 ,栽培 面殻 4ka) が, 10年前 の昭和4 5年 と比べると ,良家敬 では 4 0男 ,面税 では50%の減少 である.ぶ どう と遜 って ,くりは ,昭和4 5年か ら5 5年 の10年 間に ,曲家 数 ,面積 ともに2倍 の増加がみ られ た。昭和4 5年 lha, 13戸 であったのが ,昭和55年 には2ha,27戸 とな ってい る。また ,ち ち ,かき ,うめの栽培 は盛んだ った ころが思 い出せ か 、くらいに まで減少 して しま った。
‑71‑
昭 和71 35 →5 55 (JLF)
図3‑7 作物 別収倭 出家数
図3‑ 8 果樹類栽培良家数 b.家畜の飼養動向
乳用牛 :昭和2 5年か ら3 5年 までの10年間で飼養農家数 ,頭数 は と もに大幅 に増加 したが,1 戸 当た りの飼養変数 は ,昭和3 5年 で1.5鎖 であ った。 ところが ,昭 和4 5年, 5 5年 と飼養良家 数は減少す るのだが ,頭数は増加 してくる。 1戸当た りの飼養頭数 も ,昭和4 5年, 4.3頭 ,昭和
5 5年, 1 4.3頭 と増加 した。
肉用牛 :昭和2 5年 には22 6戸 の農家で, 23 4頭 の肉用牛 が飼養 されていたが ,昭和3 5年 には180戸, 182頭 ,約2割 の減少 で あ ったD昭和4 5年には2 8戸6 0琉に まで減少 し,磨 家数は3 5年 のl/6.頭数では l/3にな った。昭和5 5年 には4戸 の農家 で33頭が飼垂 されてい るQまた, 1戸当た りの飼養頭数は ,昭和2 5年1.0頭, 3 5年1,0頭, 4 5年2̲1頭, 5 5年8 3頭 と増大 してきた。
豚 ・'昭和4 5年では ,豚 を飼養 している農家は4戸 で, 2 15頭 を飼養 していたQ昭 和5 5年 に は ,農家 は1声 とな り.13 4頭 を飼葺 している.
粗 :昭和3 5年 の1378羽 を ピークに .昭和4 5年, 5 5 年 と大幅に飼養は減少 している。
昭和5 5年 には, 1 0戸 の鹿家 で7 7頭が飼養 されているにす ぎない。 また,1戸 当た りの飼 養羽教は ,昭和25年4,1羽 ,
3 5年8.4羽, 4 5年7 7羽 , 5 5年7.7羽 と ,現在は横 ばい 状態にある。
表3 ‑ 1 1 主要家畜飼養農家数 ・頭数
単位:蛋 .羽 昭和25年 昭 和35年 昭和45年 昭和55年 礼用牛 飼輩農家数飼 養 頭 数 23 4061 6415 1007
肉 用
午 飼 楚 頭 数飼養農家数 226234 180182 2860 334
豚 飼巷農家数 1 ‑ 4 1
飼 養 頭 数 3 ‑ 215 134
鶏 飼養曲家数 263 164 56 lO
‑ 戸 当 た り 飼 養 羽 数