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<博士学位論文要旨>出会いに応答する活動としての美術:美術と美術教育の新たな方法

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Academic year: 2021

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(1)<博士学位論文要旨>. 出会いに応答する活動としての美術: 美術と美術教育の新たな方法. Art as a response to an encounter: a new methodology for art and art education. 横浜国立大学大学院 環境情報学府 博士課程後期 (2019 年 3 月修了 ). HARADA MIHOKO. 原田 美穂子. Yokohama National University/Environment and Information Sciences/Doctor's Programs (March, 2019 completion). 要旨 美術作品自体の価値よりも美術に関わって活動することに着眼した。 「活動としての美術」を方法論化し、具体的なプログラ ムを試みた。活動としての美術は、動機となるきっかけとして鑑賞から始まる。そしてその出会いにそれぞれの感性で応答する。 プログラムに参加した生徒のアンケートや参与観察から、活動として取り組んだ「出会いに応答する美術」は多様性の学びと して機能することが判明した。 ひとことに美術といっても作品制作するだけとは限らない。学びとしての美術があれば、歴史的作品や価値ある作品を鑑賞 しまた収集する趣味人の美術もある。加えて近年盛んなアートイベントでは新しい体験型また参加型アートが増え、難解と思 われていた現代アートは身近なものになった。美術といってもこうして異なる様々な場面の美術がある。高校の教員として働い てきて学習指導要領に基づく美術教育の美術と他の場面の美術、美術文化が乖離していないか気になった。 鑑賞することは、単に対象を受容するだけでなく作品にまつわる人々(他者)との「出会い」である。対象の背景にある人々 と主体が対等に出会い、対決し、応答して自己の感性的なものを表明したなら、この能動的かつ主体的応答表現は対象物に 胸を借りた自分自身との出会いでもある。こうした出会いに応答する直接対決こそ美術の活動であり、通常出会う事のない他 者と自己と出会いまた発見や気づきをもたらす。作品を眺め慰めや教養を楽しむ鑑賞に加え、作品を介し出会いに応答する鑑 賞から始まる教育プログラムと、この方法に基づいたアート活動実験を試みた。 「行動する鑑賞講座」では行動を伴って鑑賞することで自らの思いや考えが湧き、生徒は自ら言葉を発した。 「メディアミッ クス鑑賞」と名付けた技法にこだわらない応答表現プログラムでは、対象物が生徒達の目線と手段によって再構成され作品化 し、鑑賞と応答表現は連動し一体化した活動となった。出会いに応答する直接対決の美術の方法を、美術に限らない教育場 面のプログラムに応用したのが 「 見たモノレポート発表課題 」 である。発表者自ら着眼した対象物を自らの目線で捉えて報告・ 発表する。発表の場面は、視聴者の視点が加わり再度出会い応答の場面となって、発表者の見たモノは両者にとって新たな 見たモノとなる。この教育プログラムは多様性の学びとして機能した。 多様性の学びが機能する活動としての美術は、創造によって新しい価値や問題を提起するのとは別な視点の美術である。 美術活動を促す出会いの場面を設定することもアートのひとつだとするならば、物を創り出すことにこだわらないコンテンポラ リーアートと重なる。出会いに応答する活動としての美術は固定概念に囚われず美術を楽しむための方法でもある。. 始めに. 記述される。マニュアル的に読むと両者を並列に扱. 特別な才能や技量がなくても自由に表現できる時. う誤解が生じ、美術を型に嵌めてしまいがちになる。. 代である。メディアの進化によって創造的活動また. 本来自由であるはずの美術が、生徒たちにとって不. 表現活動は日常的なものとなった。こうした表現の民. 自由なものになっていないか、教育現場で感じた閉. 主化を背景に、美術を美術教育でいうところの鑑賞. 塞感が本研究の背景である。片や情報機器の進化. と表現が連動し一体化した活動として捉え、2002 年. によって表現の幅が広がり多岐に及ぶアート環境と. 総合高校開校に関わり新しい講座開発に携わったの. の乖離はなか、改めて美術とはなにか、美術教育の. を機に、出会いに応答して直接対決する「活動とし. 意義とは、問題意識をもった。活動として美術を捉. ての美術」として試みてきた実践と考察をまとめたの. えて取り組んだ実践をとおして美術また美術教育の. が 2019 年春環境情報学府に提出した論文である。. 方法とその意義を再検討するのが本研究の目的であ る。. 1 活動としての美術、 試みの背景 学校教育のガイドラインである学習指導要領には. 1 ‐ 1活動としての美術、 糸口 . 美術の内容として「鑑賞」と「表現」が二項分けして. 「活動としての美術」の糸口は分野横断的な以下3. 18.

(2) 技術マネジメント研究 19 号. ノがあることが条件となる。対決相手は自然のみな. つの著作物から得た。 ⅰ. ✔︎ 過去を言語化して主体性を確立する田辺繁治 の. らず、人の手によって創られた古今東西今昔あらゆる. 実践的民族学、. モノが対象となる。対象物に現れていない対決相手、. ✔︎ 図像に重ねた意味によって自己表現が結実する田. 他者を能動的に見いだすところから対決が始まる場. ⅱ. 合もある。. 中純 の図像解釈学、 ✔︎ 概念化に関わるウィトゲンシュタインの言語ゲー ムⅲ. まず、本研究で使用する独自な造語について概念. これらを糸口に、絵画や彫刻といった技術区分を. 定義しておく。. 外した、活動として捉えた美術を構想した。言葉に. ✔ 直接対決の美術:対象物の背景に在る人々と出. することも含め能動的な活動は、個々の記憶や経験. 会い、対峙して応答表現する能動的活動。 (造語). に基づいた感性的なものに関わる一方、時代背景や. ✔ 鑑賞表現一体化:美術教育の指導内容、鑑賞と. 社会を反映する社会的な活動といえる。絵画や彫刻. 表現は、活動としての美術において連動し一体化し. といった分野毎の技術的習得を目指す美術でもまた. ている。 (造語). 新しい価値を生みだす個性的な感性による創造でも. ✔ メディアミックス鑑賞:鑑賞する対象の技法にこ. なく、出会う毎に各々の個別な感性的なものが視覚. だわらず、自由な手段で応答表現する。 (造語). 化して表現される「活動としての美術」である。 . ✔ 見たモノレポート発表課題:着眼したモノについ. 分野横断的な著作から構想したのは、 言語とイメー. て画像と言葉で報告、発表する課題。 (造語). ジが介在した自己表明の活動である。それぞれに内. 以下、論文の目次に沿って進めていく。. 在する、自分でも気づいていないような感性的なも のの外在化は、再帰性と認識に連関しておのずと歴. 2 活動としての美術、 教育プログラム実践 . 史や社会の通説に対する否定性が含意され脱構築的. 〈 第1研究 〉. な作用が働くのではないかと推測される。こうした言. まず始めに試みたのは美術教育現場での実践で. 語活動を伴う行動様式の流動的可変継続的連鎖は、. ある。 「行動する鑑賞講座」と 「メディアミックス鑑賞」、. 主体が他者を巻き込んでゆく社会的機能を持つ文化. 美術教育以外の場面で取り組むことのでききる「見. 活動であるといえる。. たモノレポート発表課題」に取り組んだ。出会いに 応答する方法による取り組みは、生徒たちにとって自. 1 ‐ 2 活動としての美術、 その方法「 直接対決」. 分自身と他者の視点の違いを知る経験となった。 . 活動としての美術は「出会い」から始まる。能動. . 的な活動の動機に「出会い」の場が設けられまずな. 2-1 教育現場から. にものかと出会う。鑑賞をきっかけに対象物を介し. 美術やアートを巡る環境が大きく変化した今、美. た出会いに自己表明する応答は、出会いに応答する. 術自体何であるかを含めいま再び美術教育を議論す. 直接対決による。直接対決というとスポーツや喧嘩. べきタイミングといえる。美術科教育の目的は人間形. が思い浮かぶ。しかし直接対決は対戦だけではない。. 成(ローエンフェルドⅳ)にあり、美術的な能力によっ. 直接対決について問うた生徒対象アンケートによれ. て人間形成され(金子ⅴ)、造形教育の基盤は感性(宮. ば、日々生徒たちが様々な直接対決をしている様子. 脇ⅵ)であるとするのが今日美術教育を代表する主流. が伺える。生徒たちの直接対決は、生徒たちが体を. の考え方である。こうした考えのもと鑑賞は二次的. 張って頑張る姿である。日常生活のひとつの方法で. なものになっていた。近年鑑賞教育研究ではその重. あるこの対決の方法を、美術の方法に取り入れた。. 要性が説かれるが、鑑賞の浮上は美術館運営の方針. 活動として捉えた美術とは、 「出会いに応答する直. 転換など政治的社会的事情が背後にあり、美術教. 接対決の美術」である。そしてこの美術は、自己表. 育研究から導かれたのではない実情もある。そして. 明する応答の動機となる出会い、鑑賞から始まる。. 美術館教育に牽引されてきた鑑賞教育には美術教育. よって活動としての美術は、対決相手となる対象やモ. 上の理論的裏付けがはっきりしない。ここで提案する. 19.

(3) 技術マネジメント研究第 19 号. 「活動としての美術」では、出会いに応答する直接. 由な手段と材料、メディアを使いメディアミックスして. 対決の動機となる出会いとして「鑑賞」が位置づけ. 表現する。使用するメディアを自由に選択、使うとい. られ、美術の活動にとって重要で欠かせない地位が. う意味において、メディアミックスという言葉を借り. 与えられることになる。その実践の試みは 2002 年、. た。例えば仏像を観て絵にする、漫画を読んでその. 定時制(三部制)総合学科高校新設に伴う講座開. 中に登場するキャラクターを彫刻にする、イラストを. 講から始まった。 . 観て詩作する等々。 メディアミックス鑑賞は、対象物を介した鑑賞者の. 2-2 最初の試み、 行動する鑑賞 「鑑賞講座」 . 視点による見解、閃き等々アイデアを様々なパターン. ⑴行動する鑑賞. で再表現する活動である。その手段は、調査 ( 調べ. 最初の取り組みは学校設定科目『鑑賞美術』の講. 学習 )、体験 ( 技法・模写 )、実験 ( 試み )、議論など、. 座だった。 「行動する鑑賞」が主題である。教室を. 自由な方法による。生徒それぞれの身近なメディア. 出て、美術館や街のギャラリー、遺蹟、公園に行った。. を介し対象を媒介に応答表現した二次的表現は、二. シュルレアリストの技法、水墨画等、過去の技法を. 次的経験ではなく一次的経験となる。絵が苦手な生. 体験した。行動する鑑賞は、認知するだけでなく受. 徒は調べ学習して文章や言葉の記録で対象物と出会. 容するだけでもなく自ら動く鑑賞である。本物を見. い、文献をまとめ感想を書くもよし、対象物の図版. ることののみが出会いではない。画像や映像を通し. をイラストにしてみると細部の作りや表情が手に取る. た二次的な体験も、行動する一次的な活動によって. ようによくわかる。それぞれの仕方で対象物または. 直接的な対決へと結ぶことになる。 . 作者に迫る。生徒たちは技術的な壁を取り払い、対. この行動する鑑賞講座の成果は、対象物へ能動. 象のイメージを自分の力量と現代の若者の感性で対. 的に迫る行動によって生徒の自らの反応を引き出す. 象物を表した。. ことができたということにある。 「かったるい」とか、. 鑑賞は出会いの機会であり、そこに何かを読み取. 「はじめてみた」とか「すごい」とか「たのしい」とか、. る作業は能動的な活動といえる。メディアミックス鑑. それぞれ想いが言葉となって表現されたとき、彼ら. 賞の結果、能動的な活動による応答は表現となった。. は出会いに応答したといえる。. 何の変哲もない日用品も、応答表現によって、思い. 鑑賞講座の受講者から感想を聞いてみた。作品. がけない姿に変わる。セザンヌの自画像の模写は、. や作家のことを見聞きしたことで生徒たちそれぞれ. セザンヌの図を介して生徒が思い描くセザンヌの別. に様々な思いが湧いたことがアンケートから読み取. の姿であるといえる。生徒の捉えた像は古典的な異. れる。鑑賞をきっかけになにものかを受け取り、受. 国の像というより、現代のイケメンのようだ。. け取ったなにものかを対照して自分なりの思いがある. 修士論文で鑑賞のキーワード(場面、痕跡、記号、. ことが解かる。生徒たちの思いが外在化した行動す. 図)を抽出した。鑑賞は出会いの「場面」だ。対象. る鑑賞で、生徒たちは自分の時間を過ごしたという. を意味で理解する「記号」は伝達に機能します。し. ことができる。行動する鑑賞講座の成果は、この自. かし対象を図像として捉え「図」にしてみると、視覚. 分の時間という彼等の能動的時間によって、対象の. 化できない「痕跡」があることに気付く。痕跡を辿る. 善し悪しに関係なく、心と思考に反応して湧き出た. と「記号」的な理解に見過ごされた歴史や見る者の. 彼等の思いが表明されたことにある。. 感性的なものが加わり、新たな「場面」を生む。主. . 体が介する新たな「場面」は、新たな言葉とイメー. 2-3 出会い応答する 「メディアミックス鑑賞」 . ジを生み出し対象を再構成する。 「メディアミックス. ⑴鑑賞表現の一体化. 鑑賞」の生徒たちは対象に迫り、その出会いに応答. 行動する 「鑑賞講座」 の学びの形をプログラム化し、. して自分自身を示した。メディアミックス鑑賞の成果. 「メディアミックス鑑賞」と称して美術の授業で実践. 物は、鑑賞のキーワードが制作のためのキーワード. した。対象物を観たら対象物に応答してアプローチ. として機能した生徒たちの表現であった。そして「行. する。対象の技術技法にこだわらず、それぞれが自. 動する鑑賞講座」、 「メディアミックス鑑賞」は、美. 20.

(4) 技術マネジメント研究 19 号. 術教育でいうところの鑑賞と表現が連動し一体化し. 身のことを思い出し、自分の考える時間が生まれた。. た活動であるといえる結果を得た。. 出会いに応答して主体の態度を示すとは、自らの内 面や記憶に関わる自己が露になるということである。. 2-4 教育プログラム 「見たモノレポート発表課題」. すなわち他者との違いの表明は、社会的に拘泥され. 「メディアミックス鑑賞」の考え方を、夏休みの自. た意識からの脱却でもある。外部に規定された自己. 由研究のように様々な機会に取り組むことのできる教. の解放であると同時に、それぞれの違いを了解する. 育プログラムとして試みたのが「見たモノレポート発. 作業である。教育現場で取り組んだ、出会いに応答. 表課題」だ。報告者の見たモノとの出会い応答が報. して直接対決する活動としての美術は、多様性の学. 告書の形式で成果物となり、その報告を発表する場. びとして機能した。出会いに応答して、感性的なも. で、報告者の出会い応答が視聴者との出会い応答へ. のの表明する活動の機会や場面の提供がアートの役. と連鎖する。出会いを共有しつつ他者の視点が加わ. 割なのではないか、美術教育で実践した活動として. り、そのズレを通して自己と出会うことになる。対象. の美術の多様性の学び機能を、実験的アート活動実. 物との対決のみならず、発表者と視聴者との直接対. 践の試みへと展開した。. 決する発表の場面は、両者に潜勢する視点を外在化 する契機となり、互いの違いを承認する場となる。. 3 関係係性、問題意識( 否定性) もたらすか、アー. 「見たモノレポート発表課題」は、研究成果など. ト活動実践 〈 第2研究 〉. の報告とは違い自分の目線から取り上げた見たモノを. そこで、出会いに応答する機会を提供するアート. 発表する。何に着眼し、何と出会い、見たモノ報告. 活動実践を通し、今日的アートの意義について検討. をどのように発表するのか、発表者の視点が要点と. した。. なる。発表の場で、視聴者からの質問や意見を受け、. 「一本の線の絵の実験ワークショップ」ではひとつ. 視聴者の視点が加わり、多面的に捉え直される。発. の画面の中で、出会い応答が視覚化した。実験的な. 表者の見たモノは、異なる視点から捉えられた新た. 「参加型展示と公共空間インスタレーション」の試み. な見たモノの姿として再浮上する。. は、日常とは異なる視点によってふと立ち止まり問い. 水族館の展示を描いた絵は抽象画のよう、クラゲ. を投げかける現代美術の手法と重なった。. の動きを報告してくれた。スケッチで夏の夕方、家の 窓から見える空を報告。河原でキャンプした際の写. 3-1 ワークショッップ 「一本の線の絵の実験」. 真、川で遊んだ報告は視聴者それぞれの思い出を. 2014 年より「一本の線の絵の実験」ワークショッ. 喚起する。線香花火をデザイン化した画像で発表に. プを様々な機会で試みてきた。協力者に一日一回だ. 臨んでくれた。絵自分の部屋のドア、通常絵にしな. け一本の線を引いてもらい、参加者の線が重なって. いような目線からの図が絵となった。. 一枚の絵のようなものができる。参加者にコメントを. 「見たモノレポート発表課題」の体験者によるアン. 貰い線情報として記録する。一本の線を引いた協力. ケートには、 「思い出を語る楽しい課題だった」とい. 者全員が一本の線のアーティストとなるワークショッ. うような「思い出」という言葉が多く出てきた。課題. プである。参加者の線が重なり刻々と変化する画面、. に取り組む生徒は、対象と対決してレポートしつつ. 出会い応答の過程が線情報の記録で時系列に視覚. 自らの時間を思い出に刻む。また「視野が広がった」. 化する実験である。 「一本の線の絵の実験」ワーク. という感想を述べている。地元の花火大会などひと. ショップではすれ違う参加者の関係性が画面と記録. つの事象を取り上げても、発表はそれぞれ異なる。. によって視覚化した。 . 自分とは違う視点の見たモノが新鮮だったことがわか. ⑴ 2016 年、 茨城県立筑波美術館別館つくば美. る。思わぬ視点の提示で、それぞれ自らに潜勢して. 術館 「一本の線の絵の実験展示 ・ ワークショップ」. いた感覚が呼び覚まされ、外部によって規定されて. これまでのワークショップ成果物の展示を広い会場. いた思い込みの概念から解放される。そして報告者. で行った。子どもを含む 600 〜 800 人の多くの人た. は改めて他のひとと異なる自分自身と出会う。自分自. ちに足を運んでもらい、ワークショップには 約 140. 21.

(5) 技術マネジメント研究第 19 号. 〜 240 人が参加してもらった。約 330 平米の広い. 参加展示することで、日常時間をふと立ち止まり、今. 展示スペースを使用し広い会場にこれまでのワーク. を問う機会になるか、参加者に聞くことはできなかっ. ショップ成果物 30 点余りを展示した。 美術館入り. た。しかし枠内とマット状の展示物を見て、実家のこ. 口には、長さ3m 以上ある手作り看板を設置した。. と、箪笥の奥深くしまってあるモノ、日常ゴミとして日々. 会場の真ん中に平置きした画面では、会期中の独り. 捨てているモノのことなど思い出すとう言う人がいた。. 「一本の線の絵の実験」を行った。線情報のコメン. □イ ンスタレ ーシ ョ ン 2014.12 川口市 アト リ ア” happy . トを読んでいる観賞者が多かった。線情報を書き記. holiday happy drawing “. すことは、線を引いた行為を主体的に確認する作業. 展示室を倉庫に見立てた平面作品展示による異空. だ。 「絵の画面より手書きで書かれた帯が貼り付けら. 間体験の試みでは、室内を倉庫に見立て会場の明る. れた線情報の方が新鮮」という学生がいた。 「スマホ、. さを抑え作品を窓に想定し、一枚の絵として見てもら. パソコン、印刷物、常に機械的な文字しか見てない. うだけでなく見上げる程の高所にも展示、また平置. から手書き文字に心動かされる」と言っていた。た. きするなどして平面作品をインスタレーションする感. しかに、線情報を貼り重ねた台紙は、線の絵の画面. 覚で展示した。展示は日常とは異なる空間を体験す. 同様、一行詩の集まった作品といえる。ワークショッ. る場でもあると考えた。 . プは毎日盛況だった。来場者は少ないと予見してい. □紙の糸シリーズ 横国環境情報エントランス 2015. 5「 紙. たので、画面が小さすぎたか、画面は重なる線でいっ. の糸」. ぱいになった。また茨城県南の地域紙常陽新聞一. 「カミノイト」は細い紙を撚り吊るした。細い紙に. 面記事に掲載された。 . 折り目をつけて吊るす。紙が糸に見える。空中から降. 様性の学びとして機能した出会いに応答する方法. りる糸はテグスを使い宙から降りているように展示し. による活動としての美術からヒントを得て考案した実. た。大学構内の研究棟、4 階吹き抜けエントランス. 験的ワークショップでは、幼児、大人、学生、女性、. にて、一日限りのインスタレーションを試みた。日常. 男性、多様なひとたちに参加してもらった任意の人達. 空間の変化は人に意識の変化をもたらすか、無意識. のつながりが視覚化した。つながりの証として作品と. に見上げる人、紙の糸を触ってみる人がいた。. 記録がある。. □ 糸シリーズ 2015.6 横国環境情報エントランス「 紙の糸 の柱 ・ 糸の壁 ・ 糸の絵」. 3-2 参加型展示、 公共空間インスタレーション. 紙の糸で円柱 「紙の糸の柱」、極細糸で壁を造る 「糸. つながりの関係性からさらに踏み込んで派生する. の壁」、糸を渡した枠の「糸の絵」の展示とインスタ. 問題意識(否定性)はもたらされるか、参加型展示. レーション。紙の糸の柱、思わず見上げる観者。糸. とオブジェ等をインスタレーションするアート活動が. の壁、超極細ラメ糸は見えない程細いが 「隔てている」. そうした場面となるか試みた。2002 年より取組んで. と感想を言ってくれた人がいた。枠に糸を渡した糸. きた教育プログラムに遅れること 2014 年よりワーク. の絵は、糸の色と間隔で「糸の絵」越しに見える景. ショップと平行して実験的なアート実践を試みてき. 色が異なる。. た。. □ 糸シリーズ 2015.7 横国環境情報研究棟エントランス. □ 参加型展示 2014.8 松本美術館 ココニイマス展 . 「糸の柱 ・ 紙の糸の檻」. 彫刻、焼き物他、手芸品等の小品をフレームまた. 日常的に人通りのある研究棟エントランスにガラス. はマットの上に展示した。木の枝や自然物も、また. 玉の重りを付けた「糸の柱」、 「紙の糸の檻」をイン. 使っている日用品も展示した。来場者の私物を展示. スタレーションした。糸の檻は、動線に合わせて人. する参加型展示は、自分の持ち物を展示することで、. が通り抜け出来るように設置したが通り抜けできるの. 直線的な時間が棚上げされ、日曜品に投影された自. に通り抜ける人はいなかった。. 分の凝縮した時間によって忘れていたことや思い出. □ 参加型オブジェ 2016.9 横国メディアホール「 繭巻き. が蘇える。幼児には用意しておいた貝殻を展示して. ハウス」. もらう。体験が記憶となる。. 藤芯材等で編み上げたマット状形体を巻いて立た. 22.

(6) 技術マネジメント研究 19 号. せた。藤芯や糸で編み上げたマットを丸めたオブジェ. 社会学会夏期研修会「越後妻有大地の芸術祭探訪」. には人が入ることができる。また紙を挟み込んでも. 2013(8/31 ~ 9/1) に参加し、松之山エリア ( 旧松之. らい、白く膨らんでいく。白い紙を挟んでだんだん. 山町 ) の廃校にインスタレーションしたボルタンス. 大きくなっていった。葡萄蔓や針金、ゴムホースで. キーⅷの作品「最後教室」を訪ねた。ボルタンスキー. 作ったサークルに入ってもらう体験もできる。繭巻き. はインタビューをまとめた本『ボルタンスキーの可能. ハウス、葡萄蔓や針金で作ったサークルの中に入っ. な人生』のなかで、アートの役割について「重要な. た人からは「不思議な体験」 「落ちつく」と感想をも. のは世界について何かを問題提起することなんだ」. らった。. ( P 219 参 )と答えている。90 年代現代美術を捉え. . 美術の枠組みの変化を兆す関係性の美術をブリオー. 3-3 今後の課題、 アート活動. ⅸ. 一本の線の絵の実験ワークショプでは、任意の参. 直接対決の機会を提供したアート活動で、日常の. 加者の関係性に基づいてひとつの画面が成立した。. 生活空間から俯瞰した自分自身と出会い、何かを思. 線情報の記録はひとつの作品に関わった人々の存在. い出す機会になったのであれば、今を問うことにな. の記録として、画面上のつながりの証となった。活. り、問題意識が浮上する活動となったということがで. 動としての美術を検証することはでなかったが、参加. きる。問題を提示する現代アートの手法と重なると. や体験は、忘れていた記憶が蘇る自分との出会いの. 結論することができる。多様性の学びとして機能す. 機会であり、新たな記憶となる知覚や学びの形式を. る活動としての美術の実践を通し、アートによる関係. 持つといえるのではないか?そして問題意識が生じて. 性と問題意識(否定性)へのアプローチが今後の実. 社会的な活動となる可能性が期待できるのではない. 践継続と課題である。. (キュレーター)はプロデュースした。. か。アート活動による検証は引き続き今後の課題で 最後に . ある。. 高校の教員として働いてきた。学習指導要領に基 4 美術の機能、 多様性の学び. づく学校の美術と他の場面の美術が乖離していない. 出会いに応答する方法による、活動としての美術. かずっと気になっていた。一概に美術といっても異. に取り組んだ結果、直接対決した生徒たちは自分を. なる様々な場面の美術がある。鑑賞は、単に対象を. 表明した。応答は、対決する対象の中の他者に自分. 受容するだけでなく、対象にまつわる他者との出会. が試され、同時に内に潜勢する力が現勢する力となっ. いがある。対象の背景に在る人々と主体が対等に出. て現れる活動であった。. 会い、対決し、応答して自己の感性的なものを表明. 出会いに応答する方法による活動としての美術. するならば、この能動的かつ主体的応答表現は、対. は、権威に惑わされることなく、そして技法技量に. 象に胸を借りた自分自身との出会いでもある。対象. 拘泥することなく、記憶や内面を引き出す方法といえ. 物を介した出会いが動機となって応答表現する持続. る。直接対決において出会う対象との関係は常に対. 可能な美術は、鑑賞と表現が連動して一体化した観. 等で、対象と自分とが対等に向き合う作業は、同一. 衆を巻き込む美術の方法である。この方法による美. 化できない主体と他者をそれぞれ認める作業でもあ. 術活動は通常出会うことのない他者とまた自己と出. る。自他の違いを確認することになる直接対決の美. 会い、発見や気づきをもたらす機会である。美術文. 術は、多様性を了解する学びの形式であるというこ. 化がアクティブな装置として動き出す現場であり、美. とができる。. 術文化の後継者であることを自認する機会でもある。. 現代アートには、歴史や社会を問う姿勢で臨む作. 現代アートの手法には鑑賞者が作品に関わることで. 家、作品がある。戦争廃絶をテーマにした国際シン. 成立する参加型や体験型がある。こうした傾向は、. ポジウムで、ヴォディチコ(1943 〜ポーランド生→ア. 美術作品の一部分野としての問題ではなく、人々が. ⅶ. メリカ )は社会を問うのがアーティストの仕事であ. 積極的に美術文化に関わりを持とうとする時代の到. り問題を示す装置を作っていると語っていた。文化. 来と捉えることもできる。. 23.

(7) 技術マネジメント研究第 19 号. 出会いに応答する方法による直接対決で臨んだ美. と田中は捉えている。 「…絵画を歴史的現実の目に見. 術教育プログラム実践の結果は、生徒たちそれぞれ. える古文書となし、社会史や経済史、政治史の資料. の内面にある感性や力を引き出した。彼等の感性的. とすることを可能にした方法論は、 ひとつの強力な 「記. なものが視覚化した。活動としての美術は多様性の. 憶認識モデル」を提示するものだった」P147とある。. 学びとして機能すると結論づけることができる。美 術教育の意義を、創造力や感性による情操教育のた. ⅲ 「われわれがゲームをするとき―〈やりながら. めの美術とは異なる視点から考える視点を提供でき. 規則をでっち上げる〉ような場合もあるのではない. たといえる。さらに鑑賞と表現が一体化した具体的. か。また。やりながら―規則を変えてしまうのでは. なプログラムを提供できた。何者かに応答表現して. ないか。」 『ウィトゲンシュタイン全集 8』 「哲学探求」. 自己表明することは、感性的なものを分有しつつ私. P84. 達が歴史的社会的にあることの記録である。その困. 「言語ゲームということばは、ここでは、言語を話す. 難な関係性と問題意識を孕む多様性の時代に、個々. ということが、一つの活動ないし生活様式の一部で. の表明による多義化多様化が顕現する活動はそれぞ. あることを、はっきりさせるのでなくてはならない。」. れを認めるための作業といえる。. 同上 P32 ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン哲学 探究』より 知的活動をウィトゲンシュタイン理論絵の認識、. 脚注. 哲学は活動という理念のウィトゲンシュタイン哲学に. ⅰ 田辺繁治の著書『生き方の人類学』にヒントを. ヒントを得た。ウィトゲンシュタインは、物事の理解. 得た。不断に続く再構成と反復によって、隠され忘. は写像のようであり語り得ぬもののあることを『論理. 却されたものを自覚することによる覚醒がアィデン. 哲学論考』で著わす。だが後に自説を否定し 「言語ゲー. ティティ化であるとする田辺は、社会的に構成された. ム」を提唱する。こうした変遷に一貫しているのは、. たグループにおいて発語と行為が一体となった活動. 哲学は活動であるというウィトゲンシュタインの理念. を慣習的に行うことこそ人類学の実践とし、タイでの. である。 『論理哲学論考』の最終項に 「梯子をはずせ」. エイズ自助グループ活動に携わり実践した社会人類. とある。絶えず梯子をはずして一から始められなけ. 学者。 国立民族学博物館名誉教授 2009 『ケアのコ. ればならないというこの件には、活動ととらえる哲学. ミュニティ』2008 岩波書店『生き方の人類学』2003 他. が読み取れる。 『論理哲学論考』から『哲学探究』、絵理論から. ⅱ 田中純が『アビ・ヴァールブルク記憶の迷宮』. 言語ゲームの展開への過程そのものがラディカルで. 青土社 2001 の五章ヴィーナスたちで扱うのは、古代. ポジティブなウィトゲンシュタインに一貫した、哲学. の原型からの逸脱とずれに着目したヴァールブルク. は理論でなく活動であるという主張である。. の博士論文「サンドロ・ボッティチェリ《ヴィーナス誕. いったん『論理哲学論考』で完成したかに思われ. 生》と《春》イタリアルネサンスにおける古代の表象. た西欧的理性の単一的自己完結を放下する模索を始. をめぐる研究」 (1891)である。 「感情移入による象. めたウィトゲンシュタインは、ラッセルの論理実証主. 徴的イメージの形成 (動く細部)と自然法則にのっとっ. 義とは違う方向へと進んだ。 『論理哲学論考』を真っ. た合理的な再現表象(古代形式)の構成とが「妥協」. 先に評価したラッセルは 『哲学探究』を攻撃した。ラッ. することによって生み出された 15 世紀の芸術固有の. セルは神秘主義的要素として批判したが、マルカム. 性格でありその内部の微妙なバランスなのである」. はウィトゲンシュタインの人間生活形式の無限の多様. P137と田中はルネッサンス画家ボッティチェリの制. 性に準宗教的意義を見いだし、ピーター・ウィンチ. 作を説明する。ヴァールブルクによれば古代芸術は. は哲学の擬似的説明や科学の説明を超える理論的. 15 世紀の情念の表現のよりどころであったのである。. 道具として言語ゲームを解釈する。こうしたウィトゲ. そこで重要なのは図像解釈の正否でなく、解釈にお. ンシュタインの著作は近代から続く現代の多様性の. ける図像解釈学的な方法の目的と構造に意義がある. 時代背景に馴染み、また応用可能である。. 24.

(8) 技術マネジメント研究 19 号. ウィトゲンシュタインが最晩年に取り組む『確実性. し、感性を基盤にした造形教育を推進する宮脇理. の問題』からウィトゲンシュタインの言語ゲームを理. は、教育者の視線から子供をめぐる社会現象の問. 解することができる。論理の複雑さと認識論的問い、. 題点を分析し、感性教育の重要性を訴える。 『〈感性. 概念の多義性と不確定性は、概念の同一性が、限. による教育〉学校教育再生』の第二弾『〈感性によ. 定的かつ偶然的性格を免れることができない。そこ. る教育〉の潮流—教育パラダイム転換』(1993) では、. で言語ゲームにより解決の道が開かれる。生活にお. 今日にいたる美術教育の主立ちたる流れの歴史をふ. ける言葉の使用、その実践において、意味と必然性. まえ、執筆当時台頭してきたサブカルチャー等、社. が与えられ、生活の中に概念があると説かれる。ま. 会の兆候を美術教育者の立場から考察する。こうし. たヴィトゲンシュタインの知覚像の論理形式、アスペ. たもろもろの問題点との接点を、根源的なプリミティ. クト(相貌)についての考察からは、内的知覚を見て. ブアートよりもさらに構造的な子どものアートに注目. 取るアスペクト知覚によって導かれる 「語る」と 「示す」. し、心理的無意識にある個性を引き出す造形活動. の違い、想像力と言語化の狭間にある多義性が示さ. に美術教育の可能性を見いだし、美術教育における. れる。. 造形を意義づけた。チゼッックと表現主義、シュル レアリスムと精神分析等、心の要素を取り込んだハー. ⅳ ローウェンフェルドが示した段階的な描画表現と. バート・リ―ドの個性を尊重する美術教育思想の流. 発達過程は美術教育の後ろ盾となってきた。V ロー. れに、感性を育む宮脇の造形教育は位置づけられ. ウェンフェルド竹内清他訳『美術による人間形成』. る。宮脇理『〈感性による教育〉の潮流—教育パラダ イム転換』(1993) 国土社. (1979)勁草社 ⅴ 『美術科教育の方法論と歴史』 (金子一夫)は、. ⅶ 2011年第四回横浜トリエンナーレ連携プログラム. 昭和 62 年 (1987) の初版から増補改訂を重ね美術教. として、当時北仲スクール ( 横浜文化創造都市スクー. 育を志す者へ向けた美術教育書である。その序文に. ル ) の室井尚とポーランド出身のアーティスト、クシ. は、論理構築されていない美術教育から知的な美術. シュトフ・ヴォディチコの共同企画によって実現した 「ク. 教育論への転換の必要性が指摘されている。1 部、. シシュトフ・ヴォディチコ:アートと戦争」と題された. 第 4 章「美術教育の基礎的考察」(P34) では、 「美. イベントが開催された。集まった各方面の専門家や. 術への教育」( 美術的能力 )と 「美術による教育」( 人. 学者は、同年に起きた地震に伴う原発事故に戸惑い. 間形成 ) の二概念を分けたうえで、美術科教育の目. ながらも自らの活動や思う事を確かめるように語って. 的を「人間形成」として、 「美術への教育」( 美術的. いた。. 能力 ) の積み重ねが「美術による教育」( 人間形成 ) であるとする。 「美術による教育」 (人間形成)にお. ⅷ ボルタンスキーは 60 年代から写真を使用した. いて、美術的能力とは何か、美術をどのように捉え. 作品を発表しているフランスのユダヤ人作家だ。ケ. るが問題になる。金子は対象世界 ( 見ること ) の分. ルンで開催された戦後 50 年を期した 1993 ~ 1994. 節化と主体の感性的価値(自分にはこのように見え. 年の作品展では、第二次大戦後当時ドイツで戦災. る、このように感じる)の分節化が表現であるとする。. 孤児の親捜しに使われた子供の写真を展示し、図. よって美術とは世界 (現実)と自己の分節化と捉える。. 録『DIESE KINDER IHRE ELTERN 1994』にはその. 金子は吉本の言語行為論の言語に重ねて美術を見る. データが収録された。日本で初個展が開催されたの. ことによる創出と定義している。金子の定義する美. は 1990 年水戸芸術館だった。暗闇に電球で浮かび. 術は、美術教育のフィルターがかかった美術のように. 上がる古い顔写真がインスタレーションされ、その. も思える。金子一夫『美術科教育の方法論と歴史』. 空間にはもうひとつの時間、歴史が存在するかのよ. (1987) 中央公論美術出版. うに演出されていた。ボルタンスキーは一貫して死 を象徴する痕跡を視覚化した作品を発表し続けてい る。個人的な好みは別として必ずしも心地よい作品. ⅵ 感性の教育を工芸 ( フォーク・アート) に見いだ. ではない。ボルタンスキーの作品は対峙しなければ. 25.

(9) 技術マネジメント研究第 19 号. ならない死をいやおうなしに眼の前に提示する。い. 編 昌文社 1999. やおうなしに喪に服すことを迫る。われわれが過去. 岡田清 1963 年『美術鑑賞入門』 造形社 . の死にどう応答しなければならないかを問うのだ。. 金子一夫 1998 年『美術科教育の方法論と歴史』 . ボルタンスキーのインタビューをまとめた本『ボルタ. 中央公論美術出版. ンスキーの可能な人生』の補講「日本のこと」のな. 加藤哲弘他 2001『変貌する美術館―現代美術館学. かで「最後の教室」について語られる箇所がある。. Ⅱ―』福本謹一 2001「学校教育における鑑賞学習. ボルタンスキーは展示場所である旧東川小学校を 「死. と美術館の連携」昭和堂 . んでしまった学校、行って見れば幽霊屋敷だ」( P. 藤田直哉 2014 年「前衛のゾンビ達 —地域アートの諸. 304 参 )と捉えている。そしてアートの役割について. 問題」 『昴』 『地域アート美学 / 制度 / 日本』 (2016). 聞かれ、ボルタンスキーは「重要なのは世界につい. 岸田劉生 1925 年(大正 14) 『図画教育論』 改造社. て何かを問題提起することなんだ」( P 219 参 )と答. ギイ・ドヴォール 2003『スペクタクルの社会』木下. えている。ボルタンスキーは幽霊屋敷となった学校. 誠訳ちくま学芸文庫. の死を我々に突き付けているのだ。2006 年のトリエ. クレア・ビショップ 1998「敵対と関係性の美学」星. ンナーレでは、芸術祭の第一の拠点である十日町駅. 野太訳「表象」2011 05. 近い越後妻有里山現代美術館(キナーレ)の会場に. クリスチャン・ボルタンスキー/カトリーヌ・グルニエ. ボルタンスキーの古着を使った巨大インスタレーショ. 『ボルタンスキーの可能な人生』 佐藤京子訳 . ン作品が展示された。. 水声社 2010 倉田三郎監修、中村享編著 1979 年『日本美術教育. ⅸ ニコラ・ブリオーは市場のアート作品とは一線. の変遷—教科書・文献にみる体系—』 日本文教出. を画す、出会いのアクションに関係性の機能を持つ. 版. 90 年代の参加型現代アート作品群を「関係性の美. クレア・ビショップ Claire Bishop 2012.. 術」として捉えた。批評家のジェローム・サンスと共. Artifical Hells『人工地獄』大森俊克訳 フィ. に(1999 〜 2006)パリ市内フランスのみならずヨー. ル. ロッパの現代美術の拠点のひとつとして人気スポット. ムアート社 2016 年. となっているパレ・ド・トーキョウ(現代アートサイト). ジャック・ランシエール Jacques Rancière 1987.Le. の開館と事業に携わった。またモスクワビエンナー. Maftre ignorant,Paris :Fayard.『無知な教師. レ(2005)、テート・トリエンナーレ(2009)、台北ビ. 知性の解放について』 梶田裕、堀容子訳 2011. エンナーレ(2014)をキュレーションし、エコール・. 年 法政大学出版局 . デ・ボザール(パリ国立高等学校)のディレクターも. ジョルジュ・アガンベン Giorgio Agamben 1970. L’. 勤めたブリオーは、現代アートの第一線で活躍する. uomo senza contenuto , Milano:Rizzoli, 岡. キュレーターである。ブリオーはボルドーにある現. 田温司 多賀健太郎訳 2002 年『中味のない人間』. 代美術館のキュレーターとして開催した「トラフィッ. 人文書院 . ク」展(1996 年)の際、 「リレーショナル・アート(関. ジャック・ランシエール Jacques Rancière Le. 係性美術)」を打ち出し、1990 年代アートの動向を. partage du sessible,La Fabrique,2000 『感性. 「関係性の美学」という言葉で捉えた 「関係性の美学」. 的なもののパルタージュ』梶田裕訳 2009 年 . (1998 年)を出版した。. 法政大学出版 ジル・ドゥルーズ / フェリックス・ガタリ Gilles Deleuze & Fèlix Guattari,1980. Mille. 参考文献. Plateaux『千のプラトー』宇野邦一他訳 河出書. ヴァルター・ベンヤミン Walter Bendix Schoenflies. 房新社 1994 年. Benjamin 1936.Das Kunstwerk im Zeitalter. 田辺繁治 2003 年『生き方の人類学』 講談社 . seiner technischen Reproduzierbarkeit 『 複. 田中純 2001 年『アビ・ヴァールブルク記憶の迷宮』. 製技術の時代における芸術作品』 佐々木基一訳. 26.

(10) 技術マネジメント研究 19 号. 青土社 . 宮脇理 1988 年『〈感性による教育〉学校教育再生』. 中村隆文 2000 年『「視線」からみた日本近代—明治. 国土社. 期図画教育史研究』 京都大学学術出版会. 山本正男監修 1976・S51『造形教育体系−鑑賞2 . Nicolas Bourriaud ,Relational Aesthetics. 鑑賞の展開』大橋皓也 1976「Ⅱ鑑賞教育の理念. 2002, Translated by Simon Pleasance &. と方法」. Fronza Woods ,with the participation of. ルートヴィヒ ヴィトゲンシュタイン Ludwig. Mathiew Copoland,les presses du reel.. Wittgenstein 1921.Logisch-Philosophische . ニコラ・ブリオー「関係性の美学」立石弘道 / 谷口. Abhandlung. 光子訳 『藝文攷』2016 日大芸術学部 . 論考 草稿 1914―1916 論理形式について』. 原田美穂子 2016 年 『技術マネジメント研究 15 号』 「新. 〈ウィトゲンシュタイン全集〉大修館書店. たな美術教育の理論と方法論、考察と実践(鑑. ルートヴィヒ ヴィトゲンシュタイン Ludwig. 賞学習から始まる創造活動表現)鑑賞表現一体. Wittgenstein 1953. Philosophische. 化 直接対決の美術 報告 一本の線の絵の実験. Unterscuhe 藤本隆志訳 1976 年 『8 哲学探究』. ワークショップ」. 〈ウィトゲンシュタイン全集〉大修館書. 原田美穂子 2010 年「美術教育の可能性と方法 鑑. ルートヴィヒ ヴィトゲンシュタイン Ludwig. 賞から学ぶ」横浜国立大学人間教育学部修士論. Wittgenstein 1969.Über Gewißheit 黒田亘菅 . 文. 豊彦訳 1975 年『9 確実性の問題 断片』 〈ウィト. ボードリヤール『芸術の陰謀』塚原史訳 NTT 出版 . ゲンシュタイン全集〉大修館書店. 2011. ルートヴィヒ ヴィトゲンシュタイン Ludwig. 三島憲一 2008 年 『蛇儀礼』 岩波文庫 . Wittgenstein 1958. 大森壮蔵 杖下隆英訳 . 宮脇理、山口善雄、山木朝彦 1993 年『〈感性による. 1975 年 『青色本』 〈ウィトゲンシュタイン全集〉. 教育〉の潮流—教育パラダイム転換』 国土社. 大修館書店. 奥雅博訳 1975 年『1論理哲学 . 写真2:親子で線を引く。 写真1:コメントを読んでいる観賞者が多かった。. 27.

(11) 技術マネジメント研究第 19 号. 写真3:広い会場にこれまでのワークショップ成果物 30 点あまり展示した。. 写真4:藤芯や糸で編み上げたマットを 丸めてオブジェには人が入ることができ る。白い紙を挟んでもらうとオブジェは 大きくなる。. 写真5:葡萄蔓や針金で作ったサークルの中に 入ってもらう。. 28.

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