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幼児の造形教育形成に関する研究 : 明治,大正,昭和前期の幼児教育変遷から

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(1)   幼児の造形教育形成に関する研究 一明治、大正、昭和前期の幼児教育変遷から一. 兵庫教育大学連合大学院学校教育学研究科博士課程.    教科教育実践学専攻芸術系1一ス.       D96603H 三浦義行.

(2) 幼児の造形教育形成に関する研究 一明治、大正、昭和前期の幼児教育変遷から一 目. 次. はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…  1.    1 研究の目的                     1    2 研究の対象と範囲                   2.    3 研究の方法                     4. 第1飾. 明治期における幼児教育の歴史的軌跡.   1. 近代教育制度の創始と幼稚園.   2   3. 近藤真琴の主張.   4   5. 東京女子師範学校附属幼稚園の創始と二十細物 保母の単物観 附属幼稚園における保育課程の改編.    (1)保母養成課程の内容    (2)幼児教育法普及の諸相  第2節 幼児造形の源流としての恩物    1 保育項目ギ手技」制定までの母物改編の経緯    (1)保育子凶の改編    (2)「賜物」と保育子環について  第3節  ギ婦人と子ども」誌創刊の気運    1 創刊の背:景.    く1)東京留保育法研究会の動向    (2)女子高等師範学校附属幼稚園保母会の動向と       フレーベル会の結成. 第2章. 4 4 6 6 7 8 0 02 22 32 4 4 7 2 2 4 4 4 4 4 49 49 49 4 10 14 15 韮8 10 22 2 2 3 3 33.    4 研究の構成                     7 第1章 幼児造形の源流と定型への過程・二十恩物の中の手技・…  1◎. 35. 「幼児の教育3誌についての概観・・・・・・・・・・…  44.  第1節  「幼児の教育」誌の内容と使命.    1 励児の教育3誌の内容と特色    2 「幼児の教育」誌の目的と使命.    (1)普及と啓蒙    (2)研究と改良  第2節  「幼児の教育」誌編集主幹とその編集方針.    1 東基吉と編集方針    (1)東基吉について    (2)編集主幹としての東基吉    (3)東基吉の編集の基本方針 (4)東基吉の編集下における保母等の手技指導の記録.

(3)     (1)和田実について.     (2)編集主幹としての称田実     (3)和田実の編集の基本方針     (4)和田実の編集下における保母等の手技指導の記録.    3 倉橋惣三と編集方針     (1)倉橋惣三について.     (2)編集主幹としての倉橋惣三     (3):倉橋惣三の編集の基本方針.     (4)倉橋惣三の編集下における保母等の手技指導の記録.    4 堀七藏と編集方針     (1)堀七蔵について.     (2)編集主幹としての堀七蔵     (3)堀七蔵の編集の基本方針     (4)堀七蔵の編集下における保母等の手技指導の記録.    5 倉橋惣三と編集方針     (1)この期の倉橋惣三の編集の特質     (2):倉橋惣三の編集下における保母等の手技指導の記録. 第3章 東基吉における幼児造形のかたち・遊戯を利屠した手技  第1節 東基吉の幼児教育観と造形のかたち.    1 東基吉の幼稚園観一保育の要旨一     (1)幼稚園の種類と本旨     (2)保育の要旨と知識教授の批判.    2 「手技即紅熟」とする幼児造形に対する見解     (1)東基吉の保育項露の見解.      ①保育項9磁蜘に関する見解      ②保育項目鴫歌」「談話」に関する見解     (2)恩物理解の不備と手技のかたち.  第2節 東基吉の幼児教育観に基づく幼児造形実践の展開    1 附属幼稚園の手技項目とカリキュラム     (1)手技項昌の種類.      ①子麟の設定及び除去について      ②子目名の呼称について.      ③教具の変化     (2)手技項目の配列      ①年令別にみる配列子目の特徴      ②軸物子達編成の根拠.    2 持物解体を9塗す手技指導     (ユ)松村ひさの実践版と箸」.      ①導入段階にみる新たな保育指導の開拓. 3 57 77 7 54 54 55 58 59 59 59 5◎ 63 63 64 65 65 67 68 69 60 74 74 74 757.    2 鵜田実と編集方針.

(4)   ②展開段階にみる新たな保育指導の開拓       101.   ③保育指導の評価                 104  (2)清水閏鶴の実践「紙摺み」            195.   ①「撮み紙jの実践          106   ②「摺み紙」にみる教材の意味       1◎9  (3)溝中ふみ子による保育実践            109.   ①一の組幼児保育誌                109   ②手技の方法                   leg.   ③田中ふみ子の手技の保育形態          IIO 3 東基吉下の造形活動の特徴              112  (!)松村ひさの保育改良の要点             l12.  (2)清水E凝鮒の保育改良の要点            1i3.  (3)田中ふさ子の保育改良の要点           iB. 匪2 22 22 33 72 ◎3 23 33 48 2 24 25 26 272 39 33 37. 和田実における幼児造形のかたち・遊戯的手工としての手技121.  第1節 和田実の幼児教育観と造形のかたち    1 和田実の幼稚園観     (1)如露実のみた幼稚園教育の問題.      ①幼稚園の効果      ②普通教育の一機関としての幼稚園      ③幼稚園の本領      ④幼稚園に対する非難      ⑤小学校との連絡は如何にす可きか     (2)和獲麟における幼稚園教育の方法     (3)霜露実の子露観     (4)和田実の手技の捉え方     (1)和田実の保育実践への視座     (2)粒調実の指導法の実際     (3)和田実の提唱下における幼稚園の実践      ①某幼稚園における手技項9とカリキュラム.      ②各組にみる手技子9の配当     (4)和濁実の意図する手技の指導     (5)鬼山の実践のかたちのまとめ 第5章 倉橋惣三・堀七蔵における幼児造形のかたち・幼児の生活を. ●.  第2節 和酒実の幼児教育観に基づく幼児造形実践の展開・・. 1望三−董−韮噌三三讐1羽玉茎−墨三−111讐三1. 第4章.      展開させる手技・・・・・・…  ’・・ ’■■ 159   第1節 倉橋惣三の幼児教育観と造形のかたち        159    ! 倉橋惣三の幼児教育観                  絡◎.     (1)倉橋惣三の幼児保育の爵標             董6茎.     (2)倉橋惣三における幼稚園教育の方法         162     (3)倉橋惣三が捉えた幼児教育の特色          163.

(5)   (5)倉橋惣三の提唱した新視座を巡る諸論    ①棚橋源太郎の造形論    ②菅原教造の図画教育論    ③藤五代謝の図画教授論   (6)各論からみた保育への指標 第2節 倉橋惣三の幼児教育観に基づく幼児造形実践の展開.  1 倉橋惣三における手技教材の開発の視点と保育の編成   (1)倉橋惣三における手技教材の開発の視点   (2)倉橋惣三における保育編成の視座   (3)附属幼稚園にみる実践のかたち. 第3節 堀七蔵の幼児教育観と造形のかたち.  1 堀七蔵の編集意図   (1)堀七蔵の編集下における保育認識   (2)堀七蔵の保育認識   (3)堀七蔵の手技の捉え方と方法   (4)堀七蔵の編集下での保育実践    ①プnvジェクトメソッドによる実践    ②薪教材の登場    ③附属幼稚園での手技の扱い   (5)手技製作の教育的価値についての見解    ①製作物に対する見解    ②自由画に対する見解    ③ぬり絵、きり紙に関する見解    ④粘土に関する見解. も 7墨6 7 9 2−7 6 81 8蓋7 9 3 618 6 9 26 4 6 5 52 7 720 82 0 22 2 3 4 5 5 フ 7 6 6 7 7 7 8 9 1 9 1 9 墨 9 1 9 9 ◎ 0 0 0 ◎ 11 蔓6 1韮 韮7 −韮 l8 l玉 18 11 韮 2 26 2 2 2 2 2 2 2 22 22 22 2.   (4)倉橋惣三の保育観の背景.      ⑤木工・きびがら細工・豆細工・摺紙・織紙に関する見解207. 第6章 倉橋惣三における幼児造形のかたち・誘導保育の中の手技・214 第1節 誘導保育について 1 倉橋惣三の幼稚園教育観  (1)倉橋惣三の幼稚園部.  (2)幼稚園における誘導保育指導の形態 2 倉橋惣三の誘導保育についての考え方  (1)期待効果について.  (2)誘導保育と自由保育の関連  (3)課程保育案について. 第2節 倉橋惣三の構想する造形のかたち 1 手技の編成 2 附属幼稚園における誘導保育と手技のかたち  (1)大売り出し遊び  (2)附属幼稚園の保育計画.

(6)   3 誘導保育構成上における手技の特質. 246. 終章 我が国における幼兜造形形成の系譜・・・・・・…. 253.   1 幼児教育観と手技の系譜   2 教材内容の構成と指導の扱い. 253.   3 残された研究の課題について. 263. 256.

(7) はじめに. 1、研究の霞的  幼稚園での保育活動を構成している領域のひとつに「造形」がある。その「造形」は我. が国における幼稚園の基本制度が法的に確定する拗稚園保育及設備規穐にF手技」と して保育項目に組み込まれたことを源流とする。また、第二次大戦後の教育制度改革の際 の「学校教育法第77条」に定められた幼稚園の目的即ち「幼稚園は、幼児を保育し、適当. な環境を与えて、その心身の発達を助長することを冒的とする」ことにおいても、創作表 現の方法の一つとして「絵画・製作」の名称で設けられている。それは単に制度的整備に とどまらず、幼稚園教育の質的形成の一環として認知されていたことを示すものである。.  本研究は、幼稚園での教育を成立させる内容としての「造形」に注律し、特に、その生 成期ともいえる明治、大正、昭和前期を対象として教育実践の実態と理論の質的検討を試 み、幼児の造形教育の成立の根拠を抽出することを主題として設定している。この設定さ. れた主題の基で、我が国における幼児の造形教育がどのような過程を経て成立したかを明 らかにし、今日我々の当面している造形領域の硫究や造形教育実践の問題と方向の手掛か りを得、実践を基盤にした幼児の造形教育の意義について考察することを目的としている。.  幼児の造形に関する説明書や内容や方法の手引書は多く見られる。しかし、教育実践の 実態に関する調査や馬面については、その重要性が求められているにもかかわらず、十分 な成果を上げているとは言い難い。そこで、明治、大正、昭和期に行われた教育実践の実 態とその理論に注目し、その質的検討を試みることを出発とする。.  明治から平成に至るまで、幼児教育の場において、造形を核とした活動は幼児教育の構 成要素として保育内容に組み込まれてきた。しかし、幼稚園草創期から「造形」という概 念があって、組み込まれた訳ではない。フレーベルの恩物項目を原型にして、明治32年「幼. 稚園保育及設備規程」の申で造形領域の原形となる保育項目「手技」が設定され、「手技 ハ幼稚園疵物ヲ用ヒ手巨眼ヲ練習シ心意発育ノ資トス」というように、黎明期の保育教材 である恩物は実用主義の観点からF手技」教材にまとめられたのである。ここを起点とし て、幼児造形の基本概念の概要が形成され始め、幼児造形の質的形成がなされるのである。 その出発点となる保育改良の先導的役割を果たしたのが、東京女子師範学校附属幼稚園(以. 下「附属幼稚園」という)の保母及び関係者として幼児教育に携わった東基吉、和田実、. 倉橋惣三らである。彼等は「我国教育界刻下の急務は児童教育法の研究なり。顧ふに児童. 一1.

(8) 学の研究は、現今大に発達し来りたりといへども、尚末、完成の域に至らず。従って其教      マ  マ. 育材料たる童和遊戯唱歌等の研究、亦甚だ、幼稚の域に在り。是を以て、学校幼稚園等に 於ては其の十分ならざるを知りつつも、適切ならざる材料の精選、其教育方法の確定、誠 に方今我国教育界の急務にあらずや」という主旨で、保育研究の会としてフレーベル会を. 明治29年に発足させ、明治34年幼児教育専門誌「婦人と子ども」(後に「幼児の教育3と 改題)を創刊する。発刊以降、その意に添って編集がなされ、幼児教育の展開に多大な寄 与をすることになる。「保育項目」制定の時期と「婦人と子ども」発刊の時期はほぼ重な っており、官民ともに保育改革の気運は高まっていたとみることができよう。.  体会は、もと、痴話保育の方法を研究せんがため、岡志相集まりて設立せるもの、創 立以来薙に五年の星霜を経て、爾来漸く隆盛の運に向はんとす。今圏更:に規模を拡張し、 ここに本誌を発刊して、以て大に当時の急務に向って、貢献する所あらんとす。」.  「幼児の教育」誌は以上のような意味を含み、そして、背景とした報告が網羅されてい る。これら関係者による保育改善への提言の内容は現代においても保育観、教材観、実践 における問題把握の方法等に引き継がれるところが多く、その見解を見直さなければなら. ないであろう。それは保育者対幼児という図式で実践を捉えるのではなく、その時代の教 育思想、文化など、日本の教育を取り巻くあらゆる事象が、幼児教育の場にも色濃く反映 しているという意味においてである。そして、このような視点を設定することによって、. 実践を抽象態として捉えるのではなく、教授実践を成り立たせている基本的構成要素とし ての子ども、保育者、その両者を繋ぐ教材、保育観などについて、具体的事実として検討 が可能になるといえるであろう。. 2、研究の対象と範囲  実践とは何か?と問われれば、それは日常的に行われている積み重ねの活動を指すとの 答が用意される。そこには人が人を教える、或いは人が人から学ぶという営みがある。そ して、その営みは決して無計画になされるものではなく、ある一定の枠組のもとに存在す る。その背景には必ずその時代の風潮があり、国、地域、祉会などの影響を受けた諸規範 が存在し、実践を制御している。実践はこのような構造を持っている。.  幼児教育の場において、造形領域に関する実践史的研究は殆どなされていない現状にあ る。造形教育に対する実践報告は盛んに行われるが、その実践結果に対しての総括・評価、. また、過去における造形活動の実践結果についての総括、評価はなされていないといえる. 一2.

(9) だろう。この点から、幼児造形の歴史的な積み重ね、即ち造形実践の展開・発展例を基盤 にした幼児造形の理念や活動観を系統的に追求した研究は皆無に近く、このことが、造形 教育とは侮か、即ち近代学校が始まって一世紀を経たにもかかわらず、幼稚園において、 未だに確固たる造形理念が存在しえない要因のひとつになっている。.  以上のような問題の所在を対象とし、検討を加えることは、幼児造形の過kから親在に 至る営みと今後の幼児造形の実践の方向を展望するための視座になると考えられる。この 視座を持たず、実践を語ることは単なる歴史的経緯を通史的に概観する結果になるであろ う。実践という営みは、その社会背景、教育思潮と密接な関係があり、常に接点を保ち、. 影響を受け、変容しながらも、対象としての子どもを念頭において営まれ、造形理念も面 々に形成されたと考えるからである。この事実は幼児造形の概念が形成されていく過程で、. その教育価値が疑凝視されることなく、姿を変えながら造形概念が形成されてきたことの 証しといえるであろう。.  このような把握によって、まず、幼児造形の歴史的軌跡を概観する必要があると考え、. 幼稚園教育の場で造形がどのように扱われ、位置付けられ、評価されてきたのかを概観す ることで、幼児造形の特質が抽出でき、実践活動の評価の核として、意味付け可能な尺度. が生まれると考える。その尺度を確立することによって、現在に繋がる幼児造形の教育内 容の検討・吟味が可能となり、造形活動の教材化、指導方法、評価の視点などの基盤作り が意味を持つのである。.  そこで、明治、大正、昭和前期における幼稚園の活動実践を研究の対象とし、実践の全 般的動向をまず概観し、幼稚園における造形が、保育を展開する上で、どのような位置を 占めていたかを把握し、その状況下における幼児の造形の実態を見つめる。ただ、これら. の考察を行う上で、それらの実態を探る資料は十分とはいえない。その際、明治前期にお いては、「文部省年報」及びf文部省冒誌」、開治後期、大正、昭和前期においては、雑誌. 拗児の教育3に掲載された資料に頼る他はない。この事実は、歴史的にも、社会的にも 幼児教育の認知度が極めて低く、幼稚園においては小学校のように、文部官僚による地方 巡視の報告書の存在や教科書、教科内容の規程をなすV]N学校教則綱領」等がある訳では なく、わずかにフレーベルの保育法を範とする他なかったからである。それは幼児教育が 小学校教育に比較してあまり顧みられなかったことを示しているというよりは、幼児に 何を教え、何を基準に保育法を確立するか、何を教材とするのか、その臼的は何かという. 閤題が不明瞭であったことに起因している。それ故に、幼児教育は何を教育劇的とした学. 一3.

(10) 校機関であるかとの理解が不足し、一般社会には受け入れられにくかったといわざるをえ ない。そのような申で、研究対象として取り上げることのできる資料は前述の「幼児の教 育」誌であると確定した。社会的認知度が抵いが故に、情報の少なかった幼児教育関係者 にとって、当時この「幼児の教育」誌は極めて重要な役割を担っていたのである。しかも 「幼児の教育]誌は、明治、大正、昭和と継続発刊され、その歴史的経緯を捉え、比較考. 察する上でも適した資料とみなされる。また、本誌には我が国の幼児教育を継続させる上 で、大きな影響力を持つ研究者の論文が掲載されていること、それにその時代をリードし たとみなされる実践臨く保母)の寄稿があること等である。.  このような認識に立って、本稿では「幼児の教育」誌に掲載された「造形」に関連する 記事を取り上げ、資料とする。この資料から手技の教育的意義、手技教材の研究、手技教 材配列、実践事例、教育思潮との関連等、幼児の造形教育の形成に関係する資料を抽出す ることによって、造形教育の価値を検討する。. 3、研究の方法  以上の対象把握に基づき、次の諸点を本研究の分析の視点として設定する。 一、従来の研究において、未開拓の領域であった実践の内容を、資料に即して可能な限り、.   明らかにしていく。結論的にいえば、造形概念の形成は実践の積み重ねの結果である   といえる。活動の実態を支えた理論的背景と実践結果の相互的な検討によって、変容   した事実を重ね合わせて、形成された幼児造形の概念を明らかにしていきたい。. 二、実践によって形成された幼児造形の概念が、その時々の教育価値とどのような構造で   結び付いていったのか。その結び付きの過程で生じた教育価値の変化は如何なるもの   であったのか。その結果として、どのような性質を持った造形概念が形成されたのか   を明らかにする。この問題は幼児造形が「幼稚園独自で形成されたのか」「小学校等、.   他の学校との関連で形成されたのか」を含むものである。この造形概念形成の際の結   びつき、編成の特質の検討は、造形概念の分析には不可欠の視点であり、それは造形   教育の必要性を臨いただす手掛かりとなろう。. 三、幼稚園における保育内容の固定化、形骸化を防止するには、多様な視点を持つより他   はない。実践において、この志向が見られるか否かも検討と分析の視点となりうる。.   この閣題を指摘することは、「固定化」f形骸化1など「形式化した保育jと呼ばれる   現象からの脱皮と関連する視点となろう。. 一4 一.

(11)  以上の視点に立って、造形活動の実践の通史を目的とするのではない本稿では、幼児造 形の特質を歴史的に形成されてきた教育価値との関連で明らかにし、それを通じて現代的 意味を提供することに9的がある。この内的において、時期の区分は制度的には次のよう に設定した。. ・時代区分.  「手拠という正式名称は、明治32年制定の拗稚園保育及設備規程」によってである。 それ以前は保育項目による区分はなく、偲物」という保育科霞によって行われていた。 また「手技」として保育項目に制定された後は公的規制による保育項目の変化はない。し かし、大正15年「幼稚園令」の制定によって従来の保育項目ギ遊i戯」「談話」「唱歌」「手 技」に加えて「観察」項目が設定され、保育の方法に変化が起きている。.  しかし、「手技」に焦点を合わせて区分を行うことは、幼児教育全体の流れがみえなく なる可能性が高いと考えられ、その弊害を少なくする意味で「手技」だけを抽出した狭義 な捉え方での匿分けによる考察をできるだけ避け、広く幼児教育全般の流れの申で「手技」. の変遷の位相を眺めることにする。そして、その位相をみるための資料として、文部省令 等の法的根拠による変化、そして、附属幼稚園で提起され、その影響の下に変化した事実、. 及び海外の教育思潮の影響を受けて変化した事実等を申心に区分けを試みようと思う。 ・第一期 保育壷草創出(明治9年∼明治31年).  第一期を保育法草創期としたのは、次の理由による。.  我が国の公教育の黎明の時期にあたり、その当時の教育を歴史的に振り返ると、保育草 創期とされていることによる。しかも、この時期には時代の風潮、海外の教育思潮の影響 等に特色がみられるからである。時代の風潮としては、明治維新後の江戸期の風潮の清算 と西洋化の波の中にあったことはいうまでもない。即ち我が国の近代化の草創期に当たり、. 模索が続けられた時代である。教育においては、「立身趨世、殖産振興、富国」をモット ーとする実利主義の下で、その普及と制度化を図ることが急がれていた。教育を国家のた めにという前に、瞬的を個人に定めて、その啓蒙と普及に当たったのは、この時期の特色 であろう。従って、教育思潮の受け入れも、このような見地から、実利主義に立つ教育論 が福沢諭吉によって、出版され(「学問ノススメ」)、我が国の教育の拠り所となった。こ. のような中で、幼児教育及び初等教育を対象とする教育書としてフレーベルの保育法を解. 説した拗稚園」拗稚園記jf幼稚園二十濡物」が桑田親出や関信三によって訳出され、 紹介されたのである。そのような時代を背景として、明治9年(1876)東京女子師範学校に. 一5 一.

(12) 附属幼稚園が設置され、フレーベルの恩物による直輸入・翻訳型の保育が行われたのが、. この時期である。時代的には、明治9年の附属幼稚園の開設時から明治32年「幼稚園保育 及設備規程」による保育四項目の制定までの出代である。保育の内容及び方法についても、. 全く経験のない手探りの状態ともいえる状況で始まった附属幼稚園の保育法を、フレーベ ルを参考にしながら改良を加えて、我が国に合うような保育法を構築するとの決意であっ. た。ここで示されたフレーベルの恩物法が、我が国の幼児造形の源流とみなされる。この 時期は幼稚園の保育科目も法的にははっきりしておらず、明治32年まで待たねばならなか った。この期は、フレーベルの尋物を核とした保育法が普及し、次第に活動実態と照らし 合わせて、盛物法の検討を加え、改良がなされた時期である。 ・第二期 保育法整備期(明治32年∼大正6年).  明治20年から30年代にかけて、幼児教育に対する認識が高まり、次第に幼稚園数も増加 し、全国各地に幼稚園が設置されるようになる。また小学校では就学率が10◎%に近くな り、それまで小学校に入学していた就学前の幼児も幼稚園に入園するようになる。そのよ うな幼児教育の普及がみられる中で、文部省は明治32年幼稚園の法的整備の端緒ともいえ る「幼稚園保育及設備規程」を公布し、保育内容について法的整備を行った。保育四項目 がそれである。ここにおいて、初めて全国的に統一された保育項目「遊戯戸談話」「唱歌」. 「手技」を持つに至った。また民間の諸団体が合同団結し、フレーベル会が結成され、幼. 稚園教育のあり方が保母の実践や女子高等師範学校の教育スタッフを中心に、海外教育思 潮の紹介等がなされ、フレーベル以外の幼児教育諸説が論じられ始めた時期でもある。そ して、それまで皆無の状態ともいえる状況にあった幼児教育の専門家として、東基吉、和. 田実らが登場し、幼児教育研究に携わるようになる。それと時期を同じくして、フレーベ ル会を母体として、我が国最初の幼児教育専門誌「婦人と子どもjが刊行された。この雑 誌には幼稚園教育の内容論・方法論・教材論点が掲載され、それを中心にフレーベルの保 育法からの脱却が晃受けられるようになる。明治34年創刊の「婦人と子ども」誌の編集者 に菓基吉、和田実が就任し、恩物教材の改良を盛んに論じ、「乎技」の教材である恩物が. 解体され始め、日本独自の幼児教育のあり様を模索する萌芽もみられる時期を保育法整備 期とした。. ・第三期 保育法振興期(大正7年∼昭和20年).  大正7年「婦人と子ども」誌の編集者に倉橋惣三が就任し、海外教育思潮、特にアメリ カの研究事情を盛んに紹介し始める。その提言は、従来の保育方法、保育形態を一変させ. 一6一.

(13) るような内容を持ち、大きな影響力を持つものであった。そのような幼児教育に対する提 言は、それまでの幼稚園が、幼稚園だけの限られた枠組みの申で研究されていたのを、対 祉会との関係の申で組み込むという重大な意味を持っているといえる。その中のひとつが、. 恩物による教育を完全に解体し、一物を単なる積木教材として扱ったことである。倉橋が 以上のような我が国独自の保育方法を模索する申で、付随して、附属幼稚園保母による実 践報告が掲載されるようになる。その実践事例も、誘導保育に基づく心病園遊びの記」 等、後のごっこ遊びともいえるような保育実践が登場する。この期以降の実践では恩物の 姿は、ほぼ姿を消し、保育形態として、項麟の合科による誘導保育の試み等、特に、大正 中期から昭和前期にかけて、作業主義やデューイの労作教育等、新教育運動に関する論文 が掲載され、それらの影響を受けて、我が国独自の保育方法である誘導保育による保育全 盛の時期に入る。また、幼稚園での活動も教科的取り扱いから統合的な活動へ、そして個 別の活動から集団の活動へと転換し、実践への確信がみられる時期である。. 4、研究の構成  本研究は、次のような構成と内容から展開を図ることにする。.  第1章「幼兜造形の源流と定型への過程・二十膨面の申の手技」では、本研究の対象で ある「幼児の教育」誌が創刊されるまでのいわゆる我が国の公的な幼児教育の情況を捉え、 その源流を探ることを本論の起点としたい。その主な考察点は以下の通りである。. ・「文部省年報」に記載された幼稚園に関係する記事の分析によって、黎明期の幼稚園を  巡る保育実践の実態を概観し、保育教材の核となった恩物の問題点を抽出する。 ・そのために、まず最初に附属幼稚園の保育規則からフレーベルの二十恩物を取り上げ、.  二物を中心にした保育活動と幼児の活動状況を抽出し、品物と「造形教育形成」への結  合と、その後に連なる諸規則の下での造形実践の変容を意味付ける。 ・そのことで、幼稚園における幼児造形の概念の特質を把握する。.  この「幼児造形の源流と定型への過程・二十濡物の中の手技」は本論の対象とする拗 児の教育」誌が創刊されるに至る背景であり、そのいきさつ等を整理することとなる。そ のことは言い換えると本研究の序論としての意味を持つものと考える。.  第2章「『幼児の教育』誌についての概観」では、本研究の対象である「幼児の教育」 誌についての資料価値の検討を中心にして、本誌の内容、特色等を整理する。 ・本誌の編集に当たった編集者を区切りに掲載論文等の整理を行う。. 一7一.

(14) ・掲載論文等は、本研究の視点に基づき、幼児教育とそこから導かれる幼児造形に関する 理念を汲み取る論文の整理と確定を行う。 ・上記の理念に基づく幼児造形の教材に関する論考等を整理、確定する。 ・理念、教材の軸上にある保育実践に関する保母等の指導展開を整理、確定する。.  先に「幼児の教団誌は当時においては唯一の幼児教育専門誌であったと述べた。ここ に掲載された東基吉、和田実、倉橋惣三らを始めとする執筆雨漏の論は何れも実践に大き な影響を与えており、「幼児の教育」誌を検討資料として取り上げる価値はあるといえよ う。六諭の教育」誌の分析から、幼児造形をめぐる試論の質的量的闘題を検討する。.  第3章陳基吉における幼児造形のかたち・遊戯を利用した手技」では、毛払の教育」 誌上で提唱された幼児造形のかたちを形成することになる論稿を取り上げ、そのかたちと. 構造を明らかにする。そして、東基吉によって提唱された涌物解体の具体的な形である東 京女子師範学校附属幼稚園の実践を中心に恩物解体の根拠を確定する。また、ここで「か たち3としたのは、当時の造形に対する概念を指し、かたち作る背景となる幼児教育の思 想、理念との関係、造形的な幼児の活動に対する見解等の観点から教材内容や指導に影響 を及ぼしたり、また、そこから派生する考え方や提言を教育的形成の観点から整理した。. 以上の視点から、「幼児の教育」誌の歴代編集者が企図した記事を資料として、保育構造 の分析を行い、その分析から、幼児造形のかたちの確定を試みる。.  第4章ゼ和動実における幼児造形のかたち・遊戯的手工としての手技」では、東基吉の 後を受けて、「幼児の教育」誌の編集者となった禾咽実の幼児造形への視座を明らかにす ることを目的とする。東基吉が「畠物解体」を結論んで、新保育ともいうべき保育改良の. 試みの後を受けた和田実の視点は、東が指摘した噛発活動」の原則を一歩進めて磁戯」 を核とする保育論を展開することにあった。ここに和田実の独自性がみられる。また、そ. れと並行して、保育教材の改良にもかなり力点が置かれていることも理解できる。この章. では、和霞実の提唱した遊戯」論を基に、和田実の幼児に対する造形のかたちをみるこ とを漏的とする。.  第5章「倉嬌惣三・堀七蔵における幼児造形のかたち・幼児の生活を展開させる手技」. では、鳶頭実から拗晃の教創面を引き継いだ倉橋惣三及び堀七蔵の造形のかたちを、 堀が「幼児の教育」誌編集主幹を辞任する昭和5年までの期間について検討を行った。こ. の期の幼稚園教育の特質は、倉橋惣三が提唱した保育四原則即ち喰発的なるべし」ギ相 互的なるべし]「具体的なるべし」嗜慣的なるべし」にある。これは幼児教育の展開にお. 一8 一.

(15) いて全く新しい教育観を拓くものであり、:禽橋惣三の後を受けた堀七蔵の編集方針に多大. な影響を与えている。そして、それはプロジェクトメソッドによる保育実践の展開に繋が り、ヘルバルト主義の影響を受けた知識注入主義ともいえる保育形態が姿を消し、子ども. の能動的行為を重視した保育の有り様が保育の核とされる保育観が確立される前段階の様 相を見せ始める時期でもある。この章では、新教育運動の影響を受けた幼稚園の教育が総 合的な活動という視点で実践されたことに焦点を当て、新たな造形の視点がどのように構 築されていったのか、その様相から造形の視点を確定することを目的としている。.  第6章「倉橋惣三における幼児造形のかたち・誘導保育の中の手技」では、堀七蔵が辞 任した後を受けて、倉橋惣三が再び編集主幹となる。この時期の幼稚園は、海外の教育思 潮即ち新教育運動の影響を受けた保育実践の模索の段階を経て、いよいよ日本の幼児教育 の独自性を生み出すそうとする状況でもあった。この章では、子ども相互主義ともいうべ き保育への視座を確立した倉橋惣三の提言を中心に、誘導保育へ至る過程を考察し、そし. て、その中から、「手技」が倉橋によって新たな意味付けをされ、巧緻主義に陥っていた 手技が、生命感あふれる保育項目へと変容する姿を附属幼稚園の実践を例にしながら論考 を行う。.  終章「我が国における幼児造形形成の系譜」では、昭和前期までに形成された幼児造形 の推移をまとめ、そこに見られ、しかも今Hの幼児の造形教育にも通じる課題を取り出し、. 考察することにする。そして、その考察と、そこから展望できる教育としての造形の特質 と可能性を吟味し、結論とする。. 一9 一.

(16) 第1章 幼児造形の源流と定型への過程・二十恩物の中の手技.  この章では、幼児造形の源流となる我が国の幼児教育の黎開期をたどり、「幼児の教育」. 誌が創刊されるまでの状況を提示したい。そのためにまず、我が国における近代学校制度 の設立の趣旨と特に小学校・幼稚園の発展・展開を軸とする歴史的軌跡について概観して おきたい。その軌跡を明瞭にしておくことが、現在の幼児造形の理念と今後の方向性への 大きな示唆になると考えるからである。歴史的経緯を明らかにすることは、単に時代によ る違いに注目するだけでなく、人間教育の営みとして、社会の要請や時代を超えた共通性 が存在し、教育が本来、目指すべき人間教育に普遍的事実としての教育の本質を読みとる ことになる。そして、そこに教育の本質を読みとることができるならば、歴史的展開の申. に事実が見えたといえるであろう。この点に留意しながら、特に黎明期における幼児教育 の概観を行うこととする。. 第1節 明治期における幼児教育の歴史的軌跡. 1、近代教育制度の創始と幼稚園  我が国の近代「学制」は、維新前の封建的身分社会の維持に極めて大きな役割を果たし てきた旧来の寺子屋、藩校を廃癒し、全国的に統一した近代学校制度の創設を構想したも. のであった。その教育体系は、従来の寺子屋・藩校が主に儒教的倫理観に基づく教育体系 であったのとは明らかに異なり、「五ケ条ノ御誓文i(明治元年!868)を基盤とし、韓本が 近代国家としての体裁を整え、構築しようとする政策に添ったものであった。即ち彫制」. 以前の教育体系は、藩という極めて限定された行政単位で行われ、その目的も藩への貢献 に限定され、広く日本という単位を視野に入れた教育舅的を持たないものであった。それ. が明治維新によって、赤本」という国家が成立し、その国家意識を持たせるための教育 の方向性を示したのが「学制」である。学制頒布に先駆けて公示された「五ケ条ノ御誓文」 Dには.  一 廣ク會議ヲ興シ萬機口論二面スヘシ  一 上下心ヲーニシテ盛ンニ経論ヲ行フヘシ  一 窟武一途庶民二部ル迄各派志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス  一 i日来ノ因習ヲ破り天地ノ公道二基クヘシ. .. IC ny一.

(17)  一 知識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ 「我国未曾有ノ変革ヲ為ントシ朕躬ヲ以テ衆中先ンシ天地神明二誓イ大二其国是ヲ定液面 民保全ノ道ヲ立ントス衆亦趣旨二一キ共心努力セヨ」.  というように、「上下心を一にして戸宮武一途庶昆に至る迄各誌志を遂げ」fiH来の因 習を破り」「知識を世界に求め」等、生まれや士族、平民等の区別なく、近代国家構築に 向けて、全国民が努力することを「五ケ条ノ御誓文」では求めている。「学制」はこれを 踏襲する形で、その範を欧米諸国に倣い、その教育理念も実学主義・功利主義・能力主義 の立場をとり、国家意識を浸透させる意図を持ち、明治5年(1872)地方官宛てに出され た太政宮布告第214号F被仰出書」2)によって示されている。.  この「被漏出書」から、明治という時代の特質を読むことが可能である。「被仰出書」 が出された背景には、岩倉具視らによる欧米視察懸の帰朝報告によって、明治期における 我が国の近代国家建設に向けての決意を読みとることができる。具体的には殖産振興によ る近代国家構築への方策として、教育の必要性が政府の意向によって打ち出された。この. 方針に基づいて公布されたf被仰出書」は、教育を受けることによって義人が利を受ける 事ができるという功利的な面を強調し、国議に対し、教育を身につけることの利を説いた 啓蒙の書であり、教育を受けることによって得られる個人の資質の向上が国家の利益に直 接結びつくことを謳い、我が国の教育の出発点が政府主導であったことの認識を持つこと. ができる。また、ここでは寺子屋のように通学させるか否かが保護者の判断に委ねられて いたのとは異なって、身分による区別なく、男女の別なく、国民の全てに対して教育が施 され、特に、小学校教育を義務として課すことを明示している。このように教育政策をfi. 本の発展の重要な柱として位置付けた構想の基で、近代学校制度は発足したが、小学校就 学前の幼児の教育については、明治5年(!872)文部省布達第13号「学制」3)の小学校の. 項第22章に「幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学二面ルノ端諸ヲ教ルナリ」と、就学. 前教育のことが明記されてい66又、制度的にも、第21章f小学校ハ教育ノ初級ニシテ人 民一般医ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス之ヲ区分スレハ左ノ数種二士ツヘシ然トモ 均ク之ヲ小学ト称ス即チ尋常小学女児小学村落小学貧人小学私塾小学幼稚小学」とあるよ うに、ヂ幼稚小学」も尋常小学校への就学前教育の機関として、学校綱度の中に位置付け. られている。このことは明治9年(1876)に発足することになる幼稚躍の前身と解釈でき る。この「学制」の中に記載されている「幼稚小学」の規程は、存在するもののf小学二 入ルノ端諸ヲ教ルナリ」と述べられているだけで、具体的にどのような教育を行うかの記. 一ll 一.

(18) 述はない。.  しかし、学制頒布1年後の明治6年(1873)10月7H文部省布達第125号には次のよう な趣旨で、家庭での幼児養育の際の手助けの為、また小学校教育への準備段階として、家 庭で実施可能な教材として、絵画玩具の製造、頒布の通達があったことを記載している。.  「幼童教育ノ為メ絵画器品班布ノ事:幼童家庭ノ教育ヲ助ル為メニ今般当省二各種ノ絵 画玩具ヲ製造セシメ之ヲ以テ幼稚坐臥ノ際遊戯ノ具二換ヘハ他資小学就業ノ階梯トモ相成 其功少カラサルヘク依テ即今二成ノ画四十七種製造ノ器二品ヲ班点ス此余猶漸次製造二及 フヘク入用ノ向モ之レアラバ当省製本所出於テ払下候条之旨布達候事因二云為四十七種ノ. 絵草紙ハ西洋機械発明者ノ像及ビ本邦児童ノ遊戯二勧戒発明ヲ示セシ摺物等ナリ玩具ノ筆 学捷路トテ札ニテ宇ヲ作ル工夫綴字ノー歩建築ノ仕掛杯アリ(申略)頃ヨ当省二於テ欧米 列国ノ先案ヲ模擬シ 各種ノ絵馬玩恩恵ヲ造り遍ク之ヲ播布シ以テ家庭ノ調二供ス三山ヲ 育スルモノ敢テ此諸島ヲ軽視セズ務メテ之が意ヲ用ヒ、平常座臥ノ間、漸々誘導シテ怠ラ. ザトキハ、遂二其子ノ慣習トナリ、一ハ以テ勧戒二心ツルニ足り、一ハ以テ智慧ヲ発スル ニ足リ、其徳性才質自ラ善良二帰着シ、他日学二就クニ至り更二成業ヲ速ニセン世ノ父母 タルモノ夫レ宜シク薙二注意スベシ」の.  この通知は、当時の政府の幼児教育への関心が伺われる点で注目される。ここに記され ている絵画器品とは、具体的には絵草紙のことであり、偉人や児童遊戯の類の説明、そし て、綴り方練習の初歩を指すと思われる。座臥とは文字通り座っている状態即ち無為に過 ごさせるのではなく、独り遊び、子ども同士の遊びの状態を亡していると思われるが、そ. の遊びの申に絵本の類を与えることが、小学校での勉強の習慣に役立つとする。この考え 方は養育者の庇護のもとで教育が行われる際の心構えを説き、幼児の自発性の中に学習す る芽のあることを認識していることを示している。そして、就学前教育を家庭の場におい. て施そうとした教育とは、47種の絵本を翻心とした実物教授であり、「小学校に入るの端 諸」とは、絵本を媒介として自学自習の習慣を身に付けさせておくというねらいがあった といえよう。また、卿今山…  斑点」というように緊急の要件であったようである。 しかし、幼稚園が正式に法的に認められるのは明治32年(1899)「幼稚園保育及設備規程ま. 制定まで待たねばならないが、結果的には「幼稚小学」が設置されなかったにもかかわら ず、制度の中に明記されたり、家庭へ絵画器品油布の通知を出していることから、就学前 教育即ち幼児教育の重要性を当時の文部省が認識していたと考えられ、公教育の普及、充 実を図る中に幼児教育が位置付けされたものと確認できる。. 12.

(19) このような一連の動きの中心となった人物が細申不二磨(以下噛中」という)である。. 順接は明治4年(1871)11月から翌年3月にかけて、岩倉具 視の欧米視察団に随行し、帰朝後の4月には文部卿欠員のた め、省を管理、司る立場にいる。霞申は幼稚園設置のいきさ つについて、「教育環談」5>の中で次のように語っている。.  「余は又欧米の実況に顧みて女子の特に普通教育の教員た るに適応せるを感ぜしかば女子師範学校を設置し、これに附 属せしむるに小学校及び幼稚園を以てすることを企図し明治.                                    6) 八年に女子師範学校を設立するや、翌年其付属として、幼稚                                 田中不二麿 園を該校内に開設せり。元来各国に於ては、私設を主とし、殊に米国の如きは、富豪の徒、. 之為に資を投じて、規模の完備なるもの、甚だ多く、前議実況を視察して、頗る有益なる を認めたり。然るに当時、幼児の教育は却って有害無効なりとの反対説ありしが、予は積 極論者として、一には幼稚園の規模を公示し、一は教育の発展を企欲し、又女子師範学校 の生徒の実験に資せんと欲して、遂に其開設を断行(後略)!.  田中にあっては、幼稚園教育の認知、幼稚園の普及そして女子教育の資質向上の企ての 実施の場として、「学制」の中に幼稚園を組み入れる意図があったのである。.  幼稚園教育を教育制度の中に組み入れようとした田中の意図は、明治7年(1874)1月、. 三士太政大臣宛に提出された「女子師範学校設立伺書」並びに明治8年(1875)11月、東. 京女子師範学校開設前の7月に太政大臣宛に提出された拗稚園開設伺書」で知ることが できる。以下、その経緯を概観し、文部省の幼児教育具現化の動きを捉えてみる7)。.  「女子師範学校設立伺書 三條太政大臣宛 文部省田中不二恵….  学制財布以降、従学ノ徒稽旺盛二趣キ候処、独り女子教育二於ル因襲ノ久キ或ハ之ヲ忽 略二付シ、遂二瞬用常行ノ際男子ト相論輕スルモノアルニ至ル殊二歓典トスル所二候。今 也閣国人民ヲシテ漸次開明ノ域二藻ラシメント欲スル女子師範学校ヲ設クルヲ以テー大要 務トス。蓋シ女子ノ性質娩静蕾二能ク其教科ヲ講習スルヲ得ルノミナラズ、向来轟轟ヲ撫 養スルノ任アレバナリ。傍テ先ヅ山繭府下ニー個ノ女子師範学校ヲ設ケ、根抵ヲ培養シ結 果ヲ他fi =期スベクト候。… 」.  この伺書に隔ては、女子教員に「幼鐸を撫養する任あればなり」と定義して、幼児の保 育を女子教育の体系の中に組み込む構想であったことが伺える。また、「幼稚園開設之儀 伺書18)においては、. 一13.

(20)  拗稚園開設之儀伺書 文部大輔田中不こ二磨 方今小学校設立漸に加はり学齢子女就学 の途相開け、授業の方法稽端諸に就き候得共独学齢未満の幼稚に至っては、誘導の方其宣 を得ざるが如く、教育の本旨に副1まず頗る敏典と直下、因て這圃東京女子師範学校内に於 て幼稚園を創淫し、薙に幼穆の子女凡百人を入れ看護扶育以て異冒就学の階梯と致度」  と述べ、幼児教育の具体的方法論の模索と構築のための幼稚園設置の必要性を訴えたが、. 「伺之趣難聞届候事」と却下されている。しかし、再度提出された結果、幼稚園認可の布. 達が出され、明治9年(1876)11月16濤東京女子師範学校付属幼稚園として開園の運びと なるのである。. 2、近藤真琴の主張  濁中ら文部省による幼児教育の啓蒙活動、附属幼稚園設置の動き の中で、民間人であって幼児教育の必要性に着目し、紹介した人物 に近藤真琴く以下「近藤」という)がいる。近藤;は明治6年(1873) ウィーン万国博:覧会で見関したフレーベル式保育の展示について、. 帰朝後の明治8年く1875)薪子育ての巻」と題する報歯面を出してい. る。この報告書の内容も先述の「被晶出書」とほぼ同じ出自である。 特に幼児教育の必要を実利主義的に説くとともに、幼児の活動の様子.    9) 近藤真琴. を子細に観察し、極めて具体的な記述となっている。この報告書に述べられた就学前の教 育の目的が人材育成にあったと理解できる。.  ここではフレーベルの考案した恩給積み木、画学、紺紙等の 効用についても触れ、この経験が将来役立つと指摘する。又、. 咋の長ずるものは遥にむつかしき稽古もせり」と教育内容の 順序性を示し、単純な作業から段々と複雑な作業へと進むとい うフレーベルの恩物法について子細に観察を行い、フレーベル の細物使用とその教育効果についての一端を紹介している。近 藤はこの申で、「見る:事豪く事に就きて心を用いしむるの工夫」. 「智識を増さしむる工夫」「女児の教育に用ふる道具、男児をして工業心を起こさしむる の工夫」の三点を幼児教育の柱として揚げているが、これは明治9年(1876)開設の附属幼 稚園の数物に関する保育三科目「物品科」ギ知識科」「美麗科」に繋がる起点になることの 理解ができる。. 一14.

(21)  この近藤の報告においては、恩物に幼児が密接に関わることで、単純な操作から複雑な 操作へと展開していく教育法について詳述しているが、その文脈から、冷物による教育に 二面性があることに気づく。即ち「四方六面の四角に切りたる木あまたをもて遊ばしむ其 のおもてには(即ちアヘセ)を書きたるものにして これにて家のかたち門のかたちなど 組立させ自然に文字を覚えさするようにせり 稽長ずれば物の長短大小等より幾何のはじ めを学ばせ、算術の初学建築の法に及ぶ」Io>即ち、単純な積み木の組み合わせから始めて、. 段々と多種類の積み木の組み合わせ(つなぐ、並べ、積む)という操作遊びを通して、形 態の変容の様子、文字を覚えること、数の計算、建築の仕方の認識に至るというように、. 具体的な操作から、教育は出発することを強調する。これを縦の系列とすると、次が横の 系列となる。即ち「長ずるものは遥かに難しき稽古もせり 種々彩色のある絵と縦横に筋 を引きたる紙とにて方円其種々の形ちを造り五星の形ちを作る 其順序正しくして手本に よく似たり あるひは石筆にて幾何の図引の稽古をなし 其上等なるものは手本を離れて 自から図を製す 其巧みなる事実に驚くべし 女子は針にて家の形ち草木鳥獣等を紙に突 きであらはすを見たり」’Pという系列である。これは年齢があがるにつれて、比物教材が. 複雑性及び繁雑性を増し、より緻密な操作を可能にするという利点があることを強調する ものであり、教材がより具体性を持つ配列になることについて言及している。.  このように教材配列が単純操作から複雑操作へと展開していく教育法は「知識を増さし むる工夫す又女児の教育に用ふる道具男児をして工業心を起こさしむる工夫に係る玩弄」 ’2). ニいう智力増進を目的とした恩物法の手順を示しており、その増進は労作を通じての操. 作性にあり、その操作を通じて幼児の能力が高まり、小学校での勉学、将来的には社会に 貢献する人材の育成につながることの確信をした報告内容となっている。このことは、教 育によって産業立国を目指す国策の中で、幼児教育もまた、国策に添った学校のひとつで あることを指摘しようとしたものである。特に、近藤の論においては、幼児の教育に一定 の基準即ち智力増進の体系を設定、要求していたといえる。. 3、東京女子師範学校附属幼稚園の創始と二十立物  近藤のウイーン万国博覧会での見聞報告や田中等、文部省当局による幼稚園設置の動き を受けて、幼稚園が幼児教育の機関として設置されたのは明治9年(1876)東京女子師範学. 校附属幼稚園としてであり欧米に範をとるものであった。具体的に幼稚園の教育内容を既 定する教材として、桑田親五訳の「幼稚園」、関信三訳の「幼稚園記」「幼稚園記附録」’3>. 一15.

(22) が手本となった。これらの記載内容は何れもフレーベルの恩物の紹介であり、その結果、 必然的に我が国最初の幼稚園である附属幼稚園の保育内容もフレーーベルの二十恩物を主に して構成される。「此二十賦物ハ幼稚園二在テ保育科目ノ高度ヲ占ムルモノニシテ自ラ幼 稚ノ智カヲ増進シ人生勉強ノ開手ト為ス可キ最上良法ナリ」’4>という定義は関によってな. されている。二十恩物は恩威を自己活用して、「創造力を覚醒」させ、陶冶」するための. 教材であり、フレーベルの創案した愚物の持つ意味である。このような意味を含んだ定義 であるとすれば、「幼稚園」とは幼児のための知育をする教育機関であり、恩物を申心と した教材の配列を用意し、子どもに提供することが幼稚園での保育方法として最も適した. ものであることを示唆するものであるといえる。そして、幼稚園教育の目的は、学校教育 に備えての準備、基礎を培う段階であり、語物によって培われるところの「幼稚の智力」. を養うことが最大の目的であるとする。関は幼稚園教育の翼的を15に区分し、幼稚園教育 を受けることの利点について列記している’5)。. 第一条. 身体健康ニシテ手業熟練シ且ツ意匠鋭敏ナリ加之:事ヲ作スニ順序アリテ且ツ 精密丁寧ナリ. 第二条. 挙動臨海ニシテ窮屈ナラズ且ツ言語二自ラ勢カアルヲ以テ普通学校ノ優等予 科ト為サシム可シ. 第三条. 注意開悟及ビ理論ノ勢力ヲ発揮ス. 第四条. 発揮ヲ斉一ニシテ心性ヲ怜捌ニシ身体ヲ強健ニス. 第五条. 秀絶ナリ即チ心性ノ作用二面テ益々聡明ニシテ且ツ益々敏捷ナリ. 第六潮. 身意ノ発達斉一ナルヲ以テ将来何類ノ産業二従事スルモ自ラ力量アリ. 面七条. 身意訳ク其益ヲ占メ感官ヲ練習シ才力ヲ:増進ス. 第八条. 思想力ヲ錬磨シ且ツ覚悟心ヲ明真亮ニス. 第九条. 身意ヲ発達シテ注貝力ヲ敏捷ニス. 第十面. 進歩ノ快疾ナルコト常度二超過スト錐毫モ稚心急駆セズ. 面十一条. 百事二当テ精巧確実ニシテ且ツ怜捌ナリ. 第十二条. 幼稚園ハ将来普通学校購入ルノ最上予備門ナリ. 第十三条. 病毒注意及ビ改良心ヲ練習ス. 第十四条. 注意ト従順トニ潰習シ且ツ勉強カヲ増進ス. 第十五条. 幼稚園ノ稚児ハ禮譲アリテ容儀温雅ナリ且ツ謹慎鋭敏ニシテ能ク侮フベシ加 之博ク各論ヲ識ランコトヲ要スルニ鋭意ナリ. 16.

(23)  この15ケ条には「手業熟練」「意匠鋭敏」「思考力錬磨」「決断力明真」「注目力敏捷」「勉. 強力増進」等が効用として説かれる。これは幼稚園もまた、教育による国家の近代化の一 翼を担っていることを指したものであり、積極的に啓蒙、普及させようという志向のある ことを伺うことができる。また、この前文で「園丁ノ草木ヲ培養スル如ク謡曲ルハ之ヲ直. クシ其足ラザルハ之ヲ補イ」と述べるように、「幼稚園創立法」を著した関が、幼稚園教 育の内容において、幼児の生まれながらにして持つ諸能力を伸長させる:一とに留意し、恩. 物法を用いて、保育活動を実施する上での保育者の心構えを示し、保育者と幼児の関係が 恩物を媒介に三位一体となって始めて成立することを説いている。.  恩物を以上のような利点を持つものとして扱い、具体的操作を通して、幼児の智力を高 めることを冒的とし、それを具現化したのが附属幼稚園である。.  明治10年版「文部省年報」(1877)には附属幼稚園設置の際の幼稚園規則が掲載されてい る。その申で、特に注目されることは附属幼稚園の果たすべき機能について触れている点 である。「緊要ノ校務二関スル意見316)において、「本校附属幼稚園ハ開設日尚日浅ク殊二. 本邦二會テ其経験ナキヲ以テ現今実施スル保育ノ如キ悉ク皆本邦ノ子女二適切ナルや否や ハ固ヨリ保シ難シト難モ開園己来貝耳面諭教育者韮特力布列別氏ノ法制二原拠シ以テ保育 二従事スルニ山立功績アルカ如シ故二回忌ニー層ノ経験二依テ現行保育ノ方法二補遺シ以 テ其完全ヲ浸潤二期セントス」、「将来各地二漏出スル幼稚園ノ標準ト為ルヘキヲ以テ其目. 的ト為サンコトヲ要ス」と述べられていることから、附属幼稚園での実践が附属幼稚園関 係者の手で検討され、改編されることは、全国の幼稚園に改編が波及するということにな る。緊要の課題であった保育課程、保育方法といった諸闘題が文部省の手に依らず、現場 での実践から検討され、改編されていったところに幼稚園教育の特異性がある。.  ここで、附属幼稚園の保育科罠について、検討してみよう。. ○附属幼稚園設立時(明治9年1876)の保育科罠 保育科目.  99一一物品科 自用ノ器物即チ椅子弾丸一花蝶牛馬等ノ名目ヲ示ス.  第二美麗科 美麗トシテ好愛スル物即チ彩色等ヲ示ス  第三知識科 観河内由テ知識ヲ開ク即チ立方体ハ幾個ノ端線平面幾個ノ角丸        リ成り悲涙ハ如何ナル等ヲ示ス. 右三科ヲ包有スル所ノ子N左ノ如シ. 一17 一.

(24) 五彩球ノ遊ヒ 三形物ノ理解 貝ノ遊ヒ 鎖ノ連接 形体ノ積ミ方 形体ノ置 キ方 木箸ノ置キ方 環ノ置キ方 尺紙 油紙貼付 針鼠 縫画 石盤図画 赤紙 畳紙 木箸細工 粘土細工 木片ノ組ミ方 紙片ノ組ミ方.  ここには19の子目が揚げられているが、計数、博物理解、唱歌、説話、体操、遊戯の6 鳥目を除いて、残り19子屋がフレーベルの撮物となっている(連板が木片の組み方に挿入 されている)。即ち二十鉢物である。励稚園創立法」にはフレーベルの三物を「此工十恩. 物ハ幼稚園二在テハ保育科目ノ高度ヲ占メルモノニシテ自ラ幼稚ノ智力ヲ増進シ勉強ノ開 手ト為ス可キ最上良法ナリ」と定義している。この定義は、幼稚園とは「創造を覚醒させ、. 陶冶する」という意味合いでの知育をするたbi>の教育機関であり、離物による教育が幼稚 園での方法として最適であり、瀬物を手本として、それを手順通りに忠実に模倣すること. が、幼児の智力を高めることに繋がるとの企てがあることを示唆するものである。ここに おいて、フレーベルの恩物を通して幼児の智力を謀るための教材化がなされている。この 教材化は幼児教育という場面において、保育活動を年齢にあわせて、習熟度を考慮して、 陽から難へ」「簡から繁へ」という段階が設定されたところに特色が見られる。. 4、保母の恩物観  実際に実践を担った幼稚園保母は恩物をどのようにみていた のであろうか。我が国最初の幼稚園保母として附属幼稚園に勤. 務した豊田芙雄(以下r豊潤」という)は、その著「保育の栞」 17)の中で、冠物を次のように捉え、解説している。.  「(前略)幼き児女を開誘するには恩物と名づくる所の各種 の玩具あり(申略)人生身心の発育も彼の草木発生の理に等し     豊醸雄18). き原則を悟り遂に児女を開訂するに必須の要を含蓄したる二十有種類の実に小児に適当し. たる玩具を製し、併せて賢き遊戯を組み立て、幼児をして自ら之を面罵せしめて身自ら之 を導きて小児天稟の良智良能を開誘し、其健康を助けしむる基礎となせり。此の二十玩具 を名づけて恩物とは云へり。恩物とは天賜という言う意を含有す。フレーベル氏の説に因. れば、砿物を三つの種類に区別す。則、三生、修学、美麗其の大要を云へば一つは智識を 開発し、二つは技能を開発せんとし、三つは美術心を開発せんとするものを云うなり(後. 一18.

(25) 略)」’9).  幼稚園の教育とは何を教授するのかとの問いの答えが、智識開発、技能開発、美術心開. 発であり、その目的達成のための方法が恩物による教育であった。噛ら之を導き」と謳 うように、恩物を幼児が自発的に手順に添って弄びながら即ち操作することで、無理なく. 智力を増進させることができるとの構想を示している。この点については、豊田は保母の 心得の中においても、特に触れ、「小児を導くに必これを急にするを要する隔れ。開誘の 仕事は皆遊戯と心得たらんには大なる誤ちなかるべし」2e)と述べ、自然体での保育を強調 している。このような保育観を持って、実践の場に臨んだ豊田の保育活動の基本は、環境 を整え、幼児の自発性を重視する立場に立つものであり、恩物を扱う上での留意事項の明 確な構造化が行われたのである。.  豊田が述べるところの二十謡物を使用した美術心開発とは侮を指し、如何なる方法をい うのであろうか。豊田によれば、まず保母に美術心が必要であるという。嘆術の想なく ばあるべからず。是れ常に多くの児女と室内に遊戯するとき彼の活物を使用して各種の物 体花鳥などに模し、彩色配合を調べしむる為美術の思想を要するなり」2Dということであ り、造形的構成能力と色彩感覚の必要性を指摘するのである。.  一方、幼児の美術心開発のための恩物利用においては環並べ、箸並べの如きは尚進ん で僅かに其紙片縁を以て其全体を想像せしめ其力を益々堅個ならしめんとするものなり。 山外、紙片或は綜を用ひて縫組み或は刺し物をつくるの感覚を開面するの順序とす」22)と. いうように、ある形状の断片から、全体像を推察できるような能力を育成することから始 まって、針と締を使用し、初歩的な技能能力の獲得を目的とする極めてスキル的な捉え方. の順序を示している。また、幼児への開誘法として院づ形体の問答をなし徐に順序追ひ て模造物体を作りその園答を試み成るたけ小児の考案をひかしめ中に就き確実なる答を為 したるを採り斯くして十分乃至十五分間は保母の与ふる規則により、此の外に十五分間は. 小児随意に種々模造体を作らしめ其興に任せ(中略)此度は板排べ、石盤画、箸、環並べ 等を教へて想像模型の画を作らしむるを良とす。これも亦二三十分時間にて畢る。(申出). 此処は紙糸糸及麦藁其の他各種の物忌を配当して種々の模擬体を作らしめ、かねて指先の運. 動を自在ならしめ、且つ自ら工夫して品物を製するは誠に幼児の心に愉快を云ふるな鴨2 3>. ニ活動の始まりの部分で、先ず保母が幼児とその物体に関して、実物教授で問答を行い、. 保母の手によって、その物の大まかな製作を行い、ほぼ撮来上がった処で見本を提示し、. 幼児に作らせるという極めて、観察力、注意力を重視する保育形態をとっている。その上. 一19 一.

(26) に立脚して、幼児の美術心の開発が可能になるというのである。.  このように豊賄のいう幼児の美術心開発とは、観察力、注意力、指先の訓練、模倣する 能力、工夫する能力の育成という点において、捉えた目標といえるのである。. 5、附属幼稚園における保育課程の改編  「文部省年報三、f文部省摂誌」は文部官僚による報告書である。「文部省年報」は明治 8年(1875)から明治37年目1904)に亘って、主に、附属幼稚園に関係する報告書と各県の. 幼稚園の設置状況及び幼稚園の保育課程等の改編の動向が報告されている。この報告書の 申で、特に注目したいのは附属幼稚園に関する報告である。ここには附属幼稚園の保育法 をモデルとして、幼稚園の設置がなされたことが記載され、附属幼稚園の保育内容、保育 方法が規範的なものとして受け止められ、それらの適用の努力がなされたことが推測でき る。. (1)保母養成課程の内容.  幼児教育法普及のための最もオフィシャルなルートは保母養成機関である。保母養成の ために教育理論と教授法が、保母養成機関においてどのように位置付けられ、どのような 内容で教授されていたかを明らかにするためには、この養成機関での課程を探ることが最 低条件となろう。.  明治1i年(1878)「東京女子師範学校附属幼稚園保母練習科学科規則第十五条」24>に学科 冒、学科内容、時間配当が示されている。.   前期.  一 教育論(一週問二時)其大意ヲロ授シ其要義ハ生徒ヲシテ手記セシム.  ニ 物理学並動植物学(同二時)其大意ヲP授シ或ハ実物経験ヲ以テ之ヲ示メシ以テ生    徒ヲシテ其概賂ヲ解了セシム  三 幾何学(同一時)平面幾何ノ大意ヲロ授シ或ハ之ヲ問答ス.  四 図画初歩(降一時)幼稚園法ノ縦横線ヨリ始メ略諸物体ノ形状ヲ模写スルノ法ヲ知    ラシム.  五園制大意(嗣一時)幼稚園記及ヒ其附録二就テロ授ス  六 二十恩物大意(同一時)当分原書二就テロ授シ生徒ヲシテ手記セシム.  七音楽(岡二時)唱歌、遊戯ヲ授ク. 一2C.

参照

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