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心身の発達は如何。之を修養助長せしむべき方法は如何。而して幼児心身の自然発達は独 り円満なる家庭に於いてのみ望み得るものとすれば、之を形成するには、如何にすべきか」

と述べるように、育児についての知識を十分に持つ必要を説き、家庭教育の重要性を示し

ている。

 第三点は、家庭に向かっての読書材料の供給であり、昔話、翻訳童話などを創刊号から 掲載している。内庭に向っての好個の読書材料を供給するに在り」という点である。嗅 好なる家庭的読書材料は供給して、以て婦人の修養に資せしむること」。つまり母親とし て我が子に対して、童話などを話し聞かせるための読書材料の提供を意図しているのであ

る。

      といえる遊戯論や恩物批判が登場している。教育研 高騰}・轍痴轍鮒鱒植「、、        1

究欄では、東基吉の豪物批判の論述である「幼児保 育法につきて」、家庭欄では徽育上に於ける家庭 の地位」、子ども欄では「子ねこ」9なきこえ」「狼 と狐」「ふしぎな文字」などの童話が掲載され、発 刊の辞に関連する編集意図を伺い知ることができる。

この三点を柱とする編集方針は第9巻第12号まで継 続されるが、第10号より、第三の柱であった子ども 向けの童話欄がなくなり、以後単発的な扱いになっ

ている。

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     (図1)

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「柳漠然に過ぎ、明確なる標識を欠くことは、当時 何人も気がついて居た」と述べ、会名の変更につい ては「我国の幼稚園教育の発展を通観して、その中 心活動の一機関としての本会の職責を名実共に一層 意義あらしめようといふ心願からであった」と述べ、

滋雨と改題を行うことで方針に全く変化のないこと を強調している。ここでは「婦人と子ども」から

「幼児教育」へと改題されているが、大正12年第 23巻第9号より「幼児教育」(図2)を「幼児の教育」

(図3)と改めている。この改題については一言も ふれられることなく行われているが、はっきりとし た理由があった訳ではない。

 ここに至って以後拗児の教育3と題されて出 版が継続されることになる。 以上、編集の節冒

を「解題!を中心に概観した。その結果、創刊期 には三本目柱を掲げて編集されたが、社会の進展 とともに、編集の方針が大きく変化しているとの 感触を得ることができる。

(穏2)

       (図3)

第2節  「幼晃の教育」誌編集主幹とその編集方針

 「幼児の教育」誌の編集は東京女子高等師範学校の幼稚園担当者によって行われている。

当時、幼児教育及び保育者養成のための唯一・…の機関ともいえるこの学校から編集者がでる ということは、その編集方針によって、日本の幼児教育の方向が確定するといっても過言 ではない。前項で触れたように、フレーベル会会規によって各事業が行われ、その研究成

果を掲載し、刊行し、全国へ普及させるための機関誌として発行される「婦人と子ども」

誌の役割は幼児教育法の定型化とその普及であり、幼児教育法のモデルの伝違という使命 感と自負を自覚した雑誌といえよう。事実、年代を追って、その内容をひもといていくと、

歴代編集者の幼児教育に対しての編集の自覚を認めることができ、その編集者の意図と特 質をみることができる。この雑誌が刊行される萌治30年代は、直輸入、翻訳型の幼児教育 法から内容充実のための質的検討の時期に入り、我が国の独自性を打ち出そうとする姿勢

をみることができる。

 また、この雑誌の特徴として、「時とすると一冊の雑誌を殆ど全部自分でかくといふよ うなことも一度ならずあった」2)と述懐しているように編集者の執筆が多いことが揚げら れる。その内容記事は、その時代における教育上の問題点を中心にしたものが掲載され、

幼稚園教育のあり方に大きく寄与したといってよい。

 以上のような認識にたって、幼児教育法の普及と啓蒙に重大な影響力を持った編集者の 保育観に焦点を当て、その特質の把握を目的とする。

 本項で扱う拗児の教育」誌の編集者は東基吉、和田実、堀七蔵、倉橋惣三の難名であ

る。

1、東基吉と編集方針(第1巻から第7巻まで)

 創刊(明治34年1901)から第7巻(明治4◎年1907)までの編集は東 京女子高等師範学校助教授、幼稚園批評係東基吉(以下f東」という)

によって行われている。

(1)東基吉について      東麟3)

 東は明治32年(1899)東京高等師範学校を卒業し、岩手師範学校附属小学校主事に就任、

翌明治33年(1900)お茶の水女子高等師範学校助教授及幼稚園批評係りとなる。明治34年

(19◎1)〜40年(1911)「婦人と子ども」編集主幹、明治37年(1904)には「幼稚園教育法」

を著している。明治41年(1908)宮崎師範学校長に転任。

(2)編集主幹としての東基吉

 東が幼稚園係となったのは、黒濁定治(女高師教授)の推薦であった。東は幼稚園につ いては全くの門外漢であったが、東の上司であった中村五六から頃本にまだ幼児教育の

専門家は一人もいない鉾旨告げられ、ほとんど独学で幼児教育を学ぶ決心をしたと述懐 している。彼の回顧によると、幼稚園批評係の辞令を受けた明治33

年(1900)当時、「幼稚園に関する臼本の書物は文部省から出した(確 か和本三冊本)ものと中村さんの幼稚園摘葉(一冊本)夫に竹早町 の女子師範学校長であった林吾一氏の一羅だけで、何れも米国の翻 訳のようでした」という状況であった。また、保育の内容、方法に ついても昧国から取ったどの書物を見ても、どれも皆一律にフレ

ーベリアン、ドクトリンを祖述演繹したもの寄りで一向参考に なるものがないのに失望したのでした」、燕岳園が他の教育 体系から離れた近世科学を無視したような格好で、米国あた りでもやって居たのは、フレーベリアン・ドクトリンに対す るこの宗教的な熱情と感銘から来た結果だと私は考えていま した36>と述べているように、あまりに宗教的にすぎたフレ ーベル主義の保育法に対する疑問や批判の高まりが東の胸中に

   5>

中村五六

あったようである。その結果、必然的に教条主義的に行われていたフレーベルの恩物法に 換わる児童の発達に合った保育方法を模索する姿勢がみられ、その反映として恩物改良を 企図する記事をみることができる。

(3)東基吉の編集の基本方針

 創刊号から第7巻までが東の編集によって発行されている。まず、東の編集方針を「婦 人と子ども」誌に掲載された記事によって探ることとする。前述のように、当時の保育内 容、方法は米国のフレーベリアン・ドクトリンを祖述演繹したものばかりという状況の中 で、東が編集の基本としたのはフレーベルの思想を重視しながらもフレーベルの恩物法の 扱いの解体を躍忌んだものであり、ギ正しい幼稚園教育思想を成るべく早く一般に普及さ せたい」7)とするものであった。

 東の編集が具体的にどのようなものであったかを、彼の著作からみてみよう。

〈東執筆分〉

幼児保育法につきて 幼児保育につきて

第1巻第1号

第1巻第2号

図画教授に付きて 夢のはなし 夢のはなし 夢のはなし

子供に聞かせる話につきて 子供に聞かせる話につきて(二)

現今の幼稚園保育法につきて 現今の幼稚園保育法につきて(承前)

幼稚園案内「職業としての保母」

幼稚園案内「幼稚園の種類」

幼稚園案内r保育の方便」

私立東洋幼稚園の創立

幼稚園案内「保育方便の続き」

禁煙のすすめ 家庭教育と幼稚園 市川君に

市州君の批評に答ふ 幼稚園案内「遊戯」

幼児期の衛生と理想の幼稚園 新年由

幼稚嗣案内

フレーベル先生の臨終

幼稚園幼児の机腰掛とその並べ方 お正月と子供の教育

幼稚園から家庭へ望むこと 子どものB記につきて 女学生風紀問題

現今の風紀闇題につきて 下碑と児童

総会雑感

第1巻第3号 第2巻第4号 第2巻第5号 第2巻第6号 第2巻第7号 第2巻第8号 第2巻第9号

第2巻第10号

第3巻第9号

第3巻第10号 第3巻第11号

第4巻第2号

第4巻第3号

第4巻第4号

第4巻第7号

第4巻第8号

第4巻第11号

第4巻鋤2号

第5巻第1号

第5巻第2号

第5巻第5号

第5巻第12号

第6巻第1号

第6巻第1号

第6巻第4号

第6巻第6号

第6巻第9号

第6巻第11号

第7巻第5号

幼稚園に子供を入れるに就いて  第7巻第8号

 以上が、東の執筆分である。彼の編集下における幼児教育観が窺えるものとして、「婦 人と子ども」誌に掲載された「幼児保育法につきて」(第1巻第1号)、「幼児保育につき て≦(第!巻第2号)、「現今の幼稚園保育法につきて3(第2巻第9号)、「現今幼稚園教育 法につきて(承前)」(第2巻第10号)、「幼稚園案内」(第3巻aglO号)、「幼稚園案内」(第 3巻第ll号)、「幼稚園案内」(第4巻第2号)、「家庭教育と幼稚園」(第4巻第4号)、品 詞園案内3(第4巻agll巻)、「幼稚園案内」(第5巻第2号)等が揚げられる。

 特に「幼児保育法につき℃と「幼児保育につきて」は明治33年12月フレーベル会第19 回例会での講演記録を二嗣に分けて連載したものであり、「自由活動」を基本として構成

されるものであることを示す内容となっている。

 東のこれら一連の保育改良への提言は附属幼稚園保母である松村ひさや清水田鶴の実践 と結び付けて、幼児教育方法の方向付けを試みている。そして、もう一方では、恩物子目 である「紙の慮り方」試み方」の種々の方法を図入りで説明し、教材研究ともいうべき 記事を連載している。

 これは、以後の実践への影響力ということを考えると、重要な意味を持ち、特に保育方 法の改良のモデルとしての位置を有するものである。

 また、「現今の幼稚園保育法につきて」、拗稚園案内く第3巻第!0号)」は、現場の実態 に基づいて、その闘題点を指摘し、東の保育改良への起点を伺わせるものである。

 以上、東の保育改良の試みを前提にする記事を、<1>保育理念に関わるもの、<2>

保育教材に関わるもの、<3>保育方法に関わるもの、<4>幼児理解に関わるもの、〈

5>幼児の手技に関わるもの、に分類し、東の聞題意識を探る記事を特定する。なお、こ こで取り上げる記事は、ある特定の分野に限定して分類できる訳ではない。執筆者の寄稿 の趣旨によって重複する処があることを断っておきたい。

<1>保育理念に関わるもの

・幼稚園案内(承前)f幼稚園の種類」・家庭教育と幼稚園

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