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層藪!

(7)は「油紙織紙葵り 抜き紙及図を引く事」

を目的とする恩物であ る。「此業は稚児の眼 と手を熟しむるのみに あらず自美麗を愛し順 序に従い勉強の心を発し発明の力を添え其他全て の業の階梯となる」要素を含んでいるとしている。

(8)

繍磯.・ 震

鐸 曝

39)同上書、p.503

40)倉橋惣三、新庄よし子共著『目本幼稚   園史』、臨川書店、昭和55年、p.428

(8)は粘土の驚法を解説している。粘土を使 っての作業は幼稚園での大緊要の一科であ

るとしている。

41)日本保育学会『疑本幼児保育史 第2巻』、フレーベル館、昭和43年、p.162

42) 岡上書、 p.162

43)同上書、p.163 44)前掲書、p. 430

45)ff本保育学会『日本幼児保育史 第2巻潜、フレーベル館、昭Tp 43年、 p.!64 46)同上書、pほ62

47)嗣上書、p.165 48)同上書、p.165 49)同上:書、p.163

5◎)倉橋惣三 薪庄よし子『日本幼稚園史』、臨川書店、昭和55年、p.436

51)フレーベル会「会報ま『婦人と子ども遍(第!巻第1号)、フレーベル会、明治34年、

  pp. iO5−106 52)同上書、p.104 53)前掲書、p.435

第2章  「幼児の教育」誌についての概観

 フレーベル会の結成から5年忌経て、フレーベル会は幼児教育の普及のための機関誌と して明治34年(19◎1)!月「婦人と子ども」誌を発刊することになる。まず、創刊号から、

この雑誌の内容を解題することにする。

第1節  海鼠の教育」誌の内容と使命

 前述した資料価値の確定をする上で、本研究の対象となる「幼児の教育」誌を次の観点 から概観することにする。

 その観点は、一点目は本誌が発刊されるに至る経緯を明らかにすることである。二点目 は全40巻に及ぶ出版の継続と内容の変化から、その特色となる離漿を確定することである。

三点霞は本誌の編集に当たった歴代編集者の保育観とその時代の状況を把握すること、四 点贈は編集者が執筆陣として原稿依頼や協力敏頼をした教育者、硯究者、実践報告をした 幼稚園保母などをリストアップし、編集者の意図と

記載内容の整合性を検討し、整理する必要があるこ

と。

 その上に立って「幼児の教育」誌の変遷からみた 特色をまとまりにし、そこから幼児造形に関わる論 文、講演、実践等の記事をまとめ、本論を展開する 上での起点とする。

1、「幼児の教育3誌の内容と特色

 ギ婦人と子ども」創刊号。明治34年(1901)1月 29目発行。B5版、表紙図案は東京女子高等師範学 校教授荒木十畝による。表紙には「素振と撫子」を 配し鴨蘇に撫子は、母と児に通ぜしめたり」1>

       婦人と子ども第1巻第1号衰紙 と説明されている。最初の頁にはフレーベルの肖像、次に華族女学校長男爵細川潤次郎、

女子高等師範学校長高嶺秀夫の肖像、そして、次頁に廃刊の辞」が掲載されている。先 に附属幼稚園関係者の親睦会と東京市保育法研究会とが併合し、フレーベル会として発足

した際、東京市保育法研究会が掲げた12の課題がフレーベル会の会運営上に生かされてい

ることを指摘しておいたが、この発刊の辞にも、その精神を随所に伺うことができる。

 〈発刊の辞「婦人と子ども」第一巻第一号〉

 我国教育界刻下の急務は児童教育法の研究なり。顧ふに児童学の研究は、現今大に発達       マ  マし来りたりといへども、尚末、完成の域に至らず。従って其教育材料たる童和遊戯唱歌等 の研究、亦甚だ、幼稚の域に在り。是を以て、学校幼稚園に出ては其の十分ならざるを知

りつ》も、傍適切ならざる材料と依りて以て、児童を教育せるもの、是れ実に現今の通弊 なりとす。されば幼児児童の醗究、其教育材料の精撰、其教育方法の確定、誠に方今我国 教育界の急務にあらずや。

 我国教育界、刻下の急務は婦人教育面に母としての婦人教育の普及に在り。児童を育成 し、家庭を整理するは婦人の任なり。盗を捕へて後、縄を求むる者、人之を笑ふ、育児の 知識なくして、母たらんとし、家庭を整理する資力を備へずして、一家の主婦たらんとす。

誰か湿れに類せずとせんや。婦人出て一家を忌む。先づ知るべきものは、育児の智識なり。

幼児心身の発達は如何、之を修養助長せしむべき方法は如何、而して幼児心身の自然的発 達は独り円満なる家庭に凡てのみ望み得るものとすれば、之を形成するには、如何にすべ きか。是れ方今我国婦人の当に力めて知悉せざるべからざる問題にあらずや。我国教育界、

刻下の急務は家庭に向って好個の読書材料を供給するに在り。凡そ婦人は其天職を尽くさ んがために、常に自ら修養を加へて、其智見を拡め、其品格を進め、其趣味を高尚にせざ るべからず。此の如くにして、其地位を進め、以て将来、良妻賢母となるに至るべきなり。

方今、我邦、婦人に関する著述界は、其蓼たり。良好なる家庭的読書材料は供給して、以 て婦人の修養に資せしむること、これ実に、家庭教育上の一大急務にあらずや。

 本会は、もと、幼児保育の方法を研究せんがため、同志相集りて設立せるもの、創立以 来薙に五年の星霜を経て、爾来漸く隆盛の運に向はんとす。今回更に規模を拡張し、こ」

に本誌を発刊して、以て大に当時の急務に向って、貢献する所あらんとす。是を以て、本 誌は一方に於ては児童幼児と共に語り共に歌ひ共に遊びて其師友たらんことを期し他方に 於ては、母としての婦人、教育者としての婦人の婿伴侶となりて共に児童教養の任に当り 共に高尚神聖なる家庭の快楽を得むことを期し而して現今一般女子教育の発達猶甚だ遅々 たるものあるを以て更に此方面の於て満身のカを尽して其普及を期せんと欲するものな

り。

 即ち「児童教育法の研究」、「児童を育成し、家庭を整理する母としての婦人教育の普及」、

嫁庭に対しての読書材料の自動である。このような精神を盛り込んだギ婦人と子ども」

誌は、発刊の対象を、単に保育者にとどまらず、一般の母親をも対象として毘発し、子ど もを基盤にして、子どもを教育する共通項から、幼稚園の教育にとどまらず、広く幼児の 教育を捉え、幼児教育の啓蒙と変革を意図している雑誌であるといえよう。

2、寵児の教育」誌の霞的と使命

(!)普及と啓蒙

 創刊号ではその編集方針に添った形の記事をみることができる。創刊号に掲載された主 な記事は、次のようなものである。

 女高師教授斉藤鹿三郎「教育上に於ける家庭の地位」。附属幼稚園保母林ふみ「子供は 鏡なり」。女高師教授中村五六「育児学講義」。女高師教授下村三四吉「吉田松陰の母瀧子」。

女高師嘱託羽田晴子「愛らしき幼児」。前高等師範学校長伊沢修二「幼児に課する唱歌遊 戯の話」。高等師範研究科石井順次「教育の講義」。女高師助教授東基吉「幼児保育法につ

きて」。附属幼稚園保母松村ひさ版と箸」。記者「紀州新宮の手鞠歌(楽譜附)」。

 これらの記事は「発刊の辞」で主張された幼児の教育、母親への教育。読書材料の提供 という三点に添って企図されたものである。他に「雑録」として宿年と家庭」ギ正月の 餅」「富豪の美学」「家庭保母養成の姿」「言葉の遣い方」「読書の習慣を養うべし∬婦人 の運動」「如是我聞」などのコラム的記事、「彙報」として「彙報最近海外彙報数件」「新 刊紹介」「会報」などを掲載している。その中で、女子高等師範校長であり、フレーベル 会会長である高嶺秀夫は「婦人と子ども発行に就て」と題する記事を寄稿をしている。高 嶺はこの申で、「婦人が賢縁となるべき資格は、幼稚園の保母となり比べき資格を備ふる に在りといふべきなりまを基本とする母親教育の必要性を説き、フレーベル賑々長として、

育児の担い手としての婦人の啓蒙を第一義に想定していたことが伺われる。

 次に、発刊の講的の重要な柱の第一点としてギ児童教育法の研究」がある。「発刊の辞」

       マ  マの冒頭に睨童教育法の研究」が掲げられ、「童和遊戯唱歌等の研究、甚だ幼稚の域に在 り。是を以て、学校幼稚園等に凡ては其の十分ならざるを知りつつも、傍適切ならざる材 料と依りて以て、児童を教育せるもの、是れ実に現今の通弊なりとす」というように保育 の改良を行うことが一点である。

 第二点は婦人への教育、特に母親としての婦人教育の普及を画していることが揚げられ る。幼児教育に直接携わる母親の教養を深めることは幼児教育の課題とされていたのであ る。「母としての婦人教育の普及」である。「先づ知るべきものは、育児の知識なり。幼児

心身の発達は如何。之を修養助長せしむべき方法は如何。而して幼児心身の自然発達は独 り円満なる家庭に於いてのみ望み得るものとすれば、之を形成するには、如何にすべきか」

と述べるように、育児についての知識を十分に持つ必要を説き、家庭教育の重要性を示し

ている。

 第三点は、家庭に向かっての読書材料の供給であり、昔話、翻訳童話などを創刊号から 掲載している。内庭に向っての好個の読書材料を供給するに在り」という点である。嗅 好なる家庭的読書材料は供給して、以て婦人の修養に資せしむること」。つまり母親とし て我が子に対して、童話などを話し聞かせるための読書材料の提供を意図しているのであ

る。

      といえる遊戯論や恩物批判が登場している。教育研 高騰}・轍痴轍鮒鱒植「、、        1

究欄では、東基吉の豪物批判の論述である「幼児保 育法につきて」、家庭欄では徽育上に於ける家庭 の地位」、子ども欄では「子ねこ」9なきこえ」「狼 と狐」「ふしぎな文字」などの童話が掲載され、発 刊の辞に関連する編集意図を伺い知ることができる。

この三点を柱とする編集方針は第9巻第12号まで継 続されるが、第10号より、第三の柱であった子ども 向けの童話欄がなくなり、以後単発的な扱いになっ

ている。

∵・叢叢蝦藻1♂

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     (図1)

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