文化接触説としての異文化解釈学:権左武志『ヘー ゲルにおける理性・国家・歴史』を読む
著者 寄川 条路, YORIKAWA Joji
雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー
ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru
巻 7
号 1
ページ 1‑10
発行年 2013‑03
その他のタイトル Interkulturelle Hermeneutik als Kulturberuhrung. Zu Takeshi Gonzas URL http://hdl.handle.net/10723/1340
目
次 は じ め に 第 一 節 歴 史 に お け る 理 性
西 洋 中 心 主 義 と 文 化 相 対 主 義 の あ い だ で 第 二 節 法 哲 学 講 義 に お け る 国 家 論
西 洋 政 治 思 想 史 の 文 脈 の な か で 第 三 節 ヘ ブ ラ イ ズ ム と ヘ レ ニ ズ ム と の 融 合
宗 教 史 の 文 脈 の な か で お わ り
は に
じ めに 本稿
は︑ ヘー ゲル 哲学 を文 化接 触説 とし て読 み解 こう とす る権 左武 志 ヘ ーゲ ル にお け る理 性
・ 国家
・ 歴史(
岩 波書 店
︑ 二〇 一
〇年) か ら︑ どの よう なヘ ーゲ ル像 が生 まれ てく るの かを 検証 する もの であ る
︒ まず は︑ 歴史 哲学 の視 点で
︑本 書の 説く 発展 史研 究か ら文 化接 触説 へ の転 換を 取り 上げ
︑つ ぎに
︑国 制史 の文 脈で
︑文 化接 触説 のも つ際
だ った 特徴 を抜 き出 して いく
︒そ して
︑宗 教史 の文 脈で
︑文 化接 触説 の もつ 意義 とそ の独 自性 を見 定め てい く︒ これ によ って 本稿 は︑ 文化 接 触説 とし てヘ ーゲ ル哲 学を 読み 解こ うと する 本書 の試 みを 受け て︑ そ こか ら異 文化 解釈 学の 可能 性を 探ろ うと する もの であ る︒ 以下
︑権 左武 志 ヘー ゲル にお ける 理性
・国 家・ 歴史
を 読み なが ら
︑本 書の 要点 をま とめ つつ
︑逐 一そ れに 考察 を加 えて いく こと にし た い︒ 第
一 節 歴 史 にお け る 理性 西 洋中 心主 義と 文化 相対 主義 のあ いだ で 本書
の第 一部
「
ヘ ーゲ ル歴 史哲 学の 成立 とそ の背 景」 は︑ 歴史 のな か を 理性 が 貫 き通 す とい う ヘ ーゲ ル の歴 史 観 に焦 点 を合 わ せ て︑「
歴 史 にお ける 理性」
と いう 考え 方が 成立 する 過程 と︑ その 背景 を解 き明 か して いく
︒
寄 川 条 路
文 化 接 触 説 と し て の 異 文 化 解 釈 学
権 左 武 志 ヘ ー ゲ ル に お け る 理 性
・ 国 家
・ 歴 史 を 読 む
まず 第一 章に おい て︑「 歴 史に おけ る理 性﹀ は人 類に 対す る普 遍妥 当 性を 要求 でき るか
?」 とい う大 きな 問い を立 て︑ 世界 史の なか での ヘ ーゲ ル歴 史哲 学の 成立 を︑ 神学 的・ 国制 史的 背景 から 探っ てい く︒ つ ぎに 第二 章に おい て︑「 歴 史に おけ る理 性﹀ はい かに して ヨー ロッ パ で実 現さ れた か?」
と いう より 具体 的な 問い を立 て直 し︑ 西洋 思想 史 のな かで のヘ ーゲ ル歴 史哲 学を
︑単 純な 発展 段階 論的 な歴 史観 から 解 放し てい く︒ そし て第 三章
「
世 俗化 運動 とし ての ヨー ロッ パ近 代」 に おい て︑ 一八 三〇 年の ヘー ゲル 歴史 哲学 講義 から
︑近 代ヨ ーロ ッパ に おけ る自 由の 実現 過程 とそ の基 礎づ けを 丹念 に追 って いく
︒ これ によ って 著者 は︑ 第一 部で は︑ ヘー ゲル 歴史 哲学 講義 のテ クス ト を一 八二 二年 の最 初の 講義 録か ら一 八三
〇年 の最 後の 講義 録に まで い った んは 解体 して
︑そ こか らヘ ーゲ ル歴 史哲 学の 成立 段階 とそ の主 導 動機
(
ラ イト モチ ーフ)
を 再構 築し てい く︒ 以下 に︑ 本書 の第 一部 で 再現 され たヘ ーゲ ル歴 史哲 学の 成立 要件 を挙 げて おく
︒ 第 一 章 で は
︑ ヘ ー ゲ ル 哲 学 に お い て 歴 史 の 究極 目 的 を な す と い う
「
歴 史 にお け る理 性」 が取 り 上 げら れ
︑ それ が
︑ キリ ス ト教 の 三 位一 体 説を モデ ルと した
「
精 神」 概念 によ り構 想さ れて いる こと を明 らか に する
︒そ れと とも に︑ 三位 一体 説で 示さ れた 精神 の自 己認 識と 自由 の 意識 は︑ オリ エン ト・ ギリ シア 文化 とい う︑ キリ スト 教文 化と は異 な る他 者と の対 話に よる
「
地 平の 融合」
の 所産 であ るこ とが 指摘 され る
︒ 第二 章で は︑ キリ スト 教文 化を 受け 継ぐ ゲル マン 世界 は︑ 宗教 史の 文 脈の なか では
︑精 神が 自由 を実 現し てい く自 覚の 道の りで ある キリ
ス ト教 原理 の受 肉の 過程 とし て把 握さ れる が︑ その 一方 で︑ 国制 史の 文 脈で は︑ 西洋 に特 有な 封建 制秩 序を 克服 して 統一 的な 主権 国家 に移 行 する 過程 とし て把 握さ れる
︒ 第三 章で は︑ この よう にし て︑ 宗教 改革 とフ ラン ス革 命と いう 宗教 史 的・ 国制 史的 な関 連が
︑プ ロテ スタ ント のプ ロイ セン にお いて
︑理 性 と宗 教の 和解 とい う形 で継 承さ れて いく のを 見る
︒ 以上 が︑ 三つ の章 から なる 第一 部の 要約 であ る︒ この 要約 を踏 まえ て
︑本 書の もつ 解釈 上の 特徴 を著 者の 立論 に沿 いな がら 検討 して いこ う
︒ たし かに わた した ちは
︑歴 史を 過去 の出 来事 とし て語 ると き︑ すで に ある 特定 の視 点に 立っ て解 釈し てい る︒ しか し︑ わた した ちが 立っ て いる 視点 に︑ 他者 の視 点か ら反 省を 加え
︑自 分自 身の 地平 を拡 張で き るな らば
︑歴 史は 別の 視点 から 解釈 し直 すこ とが でき るの では ない だ ろう か︒ 著者 はこ のよ うな 可能 性を 示唆 する
︒ もし それ が可 能で あれ ば︑ 世界 史と は︑ 世界 精神 が時 間に 従っ て順 次 にた どっ てい く単 線的 な発 展過 程な どで はな く︑ 歴史 にお ける 理性 と は︑ 特定 の視 点か ら歴 史を 貫き 通す 普遍 妥当 性を 描き 出す ので もな い だろ う︒ そう では なく
︑人 類の 歴史 とは むし ろ︑ それ ぞれ の文 化に よ って 視点 も違 って くる のだ とす れば
︑異 なる 文化 圏が 衝突 した り融 合 した りし なが ら︑ たが いに 影響 を及 ぼし 合う 過程 とし て理 解さ れな け れば なら ない
︒世 界史 とは
︑文 化接 触に よっ て引 き起 こさ れる さま ざ まな 出来 事と なる ので ある
︒ これ では まる で︑ ハン ス・ ゲオ ルク
・ガ ダマ ーの 解釈 学の 基本 理念
「 地平 の 融 合」 を
︑ 歴 史理 解 に適 応 した も の とい え よう
︒ ガ ダ マー 自 身は
︑伝 統的 な作 品と の対 話と いう 解釈 学の 文脈 で地 平の 融合 を説 い てい たの だが
︑本 書は これ を︑ 異な る文 化と の対 話と いう 文化 接触 論 の文 脈へ と転 用し てい く︒ そう であ れば
︑異 文化 との 積極 的な 対話 を説 く文 化接 触説 は︑ 伝統 を 実体 化し てし まう とい う解 釈学 への 批判 に応 える こと がで きる かも しれ な い︒ それ は
︑あ らゆ る文 化に 等し い価 値を 認 める マル チカ ルチ ュ ラ リズ ムに とど まる こと なく
︑自 分の なか に価 値基 準を 置く エス ノセ ン トリ ズム にも とど まる こも るこ とも ない だろ う︒ むし ろ︑ チャ ール ズ
・テ イラ ーを 引き 合い に出 すま でも なく
︑文 化相 対主 義と 西洋 中心 主 義の あい だの
「
中 間の 道」 とし て︑ どち らの 方向 にも 開か れた 態度 を 取る こと がで きる のか もし れな い︒ この よう に︑ 文化 接触 説の もつ 可 能性 に著 者は 大き な期 待を 寄せ る︒ だが これ は︑ 哲学 的な 言い 回し を使 えば
︑自 分が 世界 に属 して いる こ とを 自覚 しな がら も︑ 自己 対象 化を 通じ て世 界を 内側 から 超え よう と する
︑超 越論 的な 態度 とも いえ よう
︒自 己関 係的 であ りな がら 自己 超 越的 でも ある 自己 意識 の構 造か らす れば
︑ヘ ーゲ ルの 歴史 観は
︑認 識 主体 が対 象の 外部 に立 って 眺め るも ので もな けれ ば︑ 自分 の属 する 世 界に 制約 され てい ると いう もの でも ない
︒む しろ それ は︑ 自分 が属 す る世 界を 相対 化し つつ も︑ それ を内 側か ら乗 り越 えよ うと する 主体 的 な働 きだ とい えよ う︒ ヘー ゲル の歴 史哲 学は
︑時 間系 列に 従っ た単 線的 な発 展段 階説 を唱 え るも ので はな く︑ むし ろ︑ 同一 空間 に並 存す る文 化接 触説 とい う別
の 歴史 解釈 の可 能性 を示 すも のへ と読 み替 えら れて いく
︒発 展段 階説 か ら文 化接 触説 への この よう な解 釈替 えは
︑西 洋中 心主 義に 対す る多 文 化主 義の 挑戦 とも 呼ん でよ いだ ろう
︒ 著者 によ る発 展段 階説 から 文化 接触 説へ の解 釈替 えに より
︑本 書が 提 起 した も っと も 大 きな 問 題は
︑ ヘ ーゲ ル の 歴史 哲 学が
︑「 発 展」 と い う 時間 的 な経 緯 の みに 注 目し て い たの で はな く
︑「 風土」
と い う空 間 的・ 地理 的状 況な どの 自然 条件 をも 重視 して いた とい う点 であ る︒ ヘー ゲル によ れば
︑世 界史 の歩 みは
︑時 間的 に継 起す る必 然的 な順 序 に従 うだ けで はな く︑ 空間 的に も限 定さ れた 一定 の地 理的 位置 を持 つ ので あっ て︑ 地理 的な 土台 が︑ 世界 史の 舞台 に登 場す る国 民の 性格 を 作り 上げ る︑ とい うも ので あっ た︒ こう した 風土 論は
︑ひ ょっ とす ると
︑国 民文 化論 を正 当化 する 機能 を 果た して いく ので はな いだ ろう か︒ だが
︑著 者が 見る とこ ろで は︑ ヘ ーゲ ルが ここ で問 題に して いる のは
︑自 国の 文化 がも つ独 自性 への 賞 賛と いう より も︑ むし ろ︑ 他国 民と の積 極的 な「 異文 化交 流」 への 眼 差し なの だと いう
︒し かも それ は︑ 正確 にい えば
︑ア ジア が異 文化 と の交 流に 閉ざ され た姿 勢を 取っ てき たの に対 し︑ ヨー ロッ パは たえ ず
︑地 中海 を介 して 異民 族と の開 かれ たコ ミュ ニケ ーシ ョン を保 ち続 け てき たと いう こと なの であ る︒ ヘー ゲル は地 理的 な文 脈の なか で︑ 地中 海を アジ アと ヨー ロッ パを 結 びつ ける
「
東 洋と 西洋 の結 合点」
と 呼ん で︑ 世界 全体 を統 合す るよ う な「 精神 的な 場所」
と して 特徴 づけ てい る︒ もし そう であ れば
︑地 中 海は 異質 な文 化が 接触 し衝 突し 合う 世界 史の 中心 舞台 とな る︒ 文化
文化接触説としての異文化解釈学