ー37一
戦後の香川県の地方財政
−1945年−1986年−
西 山 一 郎 Ⅰ.対象と時期区分と叙述の方法。ⅠⅠ.敗戦直後の県財政−1945年−49年一。 ⅠⅠⅠ.シヤウプ勧告と県財政一1950年一54年−。ⅠⅤ.窮迫する県財政−1955 年−59年−。Ⅴ.市町村の財政−1945年−59年−。ⅤⅠ.高度成長と社会資 本充実政策。ⅤⅠⅠ.高度成長下の県財政−1960年−73年−。†ⅠⅠⅠ.市町村の財政 −1960年−73年−。IX.低成長下の経済と国家・地方財政。X.低成長下の 県財政−1973年−86年−。ⅩⅠ.市町の財政−1973年一86年−。 Ⅰ 小稿は,香川県の戦後の地方財政の概観を課題とする。対象は,言うまでも なく香川県財政(以下,「県財政」と略称する)と県下の市町村財政であり,分 析の中心となるのは,それらの自治体の「普通会計」である。「普通会計」とは, −L般会計に,公営事業会計を除く全ての特別会計を合算したものであり,今日, 決算統計上で使用される観念上の会計区分である。しかし,県財政の場合,決 算ベースにおいて「普通会計」が登場するのは1953年度以降であるので,それ 以前においては・−・般会計が分析の中心になる。なお,小稿は,1952年度以前に おいては特別会計を,それ以降においては公営事業会計をもなるべく分析の対 象にとりこみ,県財政を総体的に解明しようとした。市町村財政の場合,普通 会計は,現在私の手許にある資料による限り1955年度以降しか見ることができ ない。そして,市町村財政の分析においては,時間的制約のため当面は普通会 計のみを対象とする。又,個別の市町村の分析は,別途に研究されるべきであ ろうから,小稿では捨象される。 つぎは,戦後における40年余りの香川県の地方財政史の時期区分をどのようー、了ざ− 香川大学経済学部 研究年報 29 ヱ9&9 にするかである。それは;小稿では日本資本主義の発展段階を基礎に地方財政 の変遷の内実を加味して,1945年−59年までを復興期,1960年以降1973年のオ イル・ショックまでを高度成長期,そして,それ以降を低成長期と3期に区分す る。まず,復興期であるが,1955年には1人当りの実質国民総生産が戦前水準 をこえたほか,「多くの経済指標が〔昭和〕30年代のはじまりのころ〔1955年〕 までには戦前基準時の水準を上回る状態にあった。」1)したがって,1955年頃に は敗戦後の日本経済の復興が完了したと言ってよい。2)そして,1955年以降高度 成長が始まり,1960年代に頂点に達する。確かに経済過程においては,1955年 以降が高度成長の時代であろうが,地方財政においては1955年度前後は赤字団 体の激増のため大きな危機をむかえていた。そして,その危機から自治体がほ ぼ脱出したのは1959年であると判断されるから,それまでを復興期とする。つ ぎは,高度成長期の時期区分である。1955年に開始された高度経済成長は,イ ザナギ景気の1970年における終了をもって幕を閉じたように見えるが,成長率 が決定的に鈍化したのは,なんと言っても,1973年のオイル・ショック以降で
ある。そして,地方財政の膨張もそれが一つの大きな転機となって反転した。
したがって,地方財政も1960年−73年を高度成長の時代とする。そして,それ 以降は低成長の時代と考えるが,これにも若干の異論がある。しかし,その規 定が基本的には大きな誤りではないと私は考えるから,1973年以降1986年まで を地方財政史における低成長の時代としてあつかう。 ところで,以上のように時期区分される香川県の戦後の地方財政史をどのよ うに叙述すべきであろうか。私は,今日,地方自治体の財政史の叙述方法につ いて,ある共通の認識が地方財政の研究者にあるとは思わない。わが国の戦後 の地方財政史に関しては,故藤田教授の前人未踏の業績3)や吉岡教授の研究4)が 1)内野達郎『戦後日本経済史』講談社,1978年,120ペ・−ジ。 2)なお,1956年度の『経済白番』は,「もはや好機後』ではない。」といったが,その意味 は,戦災復興が完了したことの宣言ではない。それは,「〔経済の〕回復を通じての成長は 終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。…‥近代化−トランスフォーメ・− ションーとは,自らを改造する過程である。」(『経済白宙』1956年度,42−43ページ) という,経済成長の新しい局面への突入の予言であった(安場・猪木編『高度成長』岩波 普店,1989年,58ペ1−ジ)。内野,前掲書,122ページ,もみよ。ー39− 戦後の香川県の地方財政 あるが,両教授とも立ち入って地方財政史の叙述方法について論じているわけ ではない。5)地方財政の現状分析については,実質収支比率や経常収支比率など の指標がよく使われ,私も,それらを小稿において使用した。しかし,それら は,地方財政の状況のある局面を示すにすぎない。また,香川県の地方財政史 の研究は,戦後に限定してもその蓄積がほとんどない。そのような状況である から,私が小稿において多少意識して使用した叙述の方法も試論的なものにす ぎないが,それをあえて記せば大筋でつぎのようなものである。第1は,香川 県の地方財政もわが国の経済や国家財政の動きによって基本的に規定されてい ると考えられるから,それらを背景にみすえて叙述しようとしたことである。 この点は,「地方財政現象を,戦後の日本資本主義の発展のうちにお」6)くと言う 藤田教授の方法に通じるであろう。しかし,小稿の対象はあくまでも香川県の 地方財政であるから,そのような方法にのっとりながらも香川県の地方財政の 特徴をできるかぎり抽出しようとした。第2は,地方財政論の教科書7)の体系を 借りながら普通会計の歳入と歳出を分析し,その構造を明らかにしようとした。 又,実質収支比率などの指標を使って,県財政や市間村財政の健全性を判定し ようと試みた。しかし,第3は,以上のことを念頭におきながら叙述はしたが, 各時期の香川県の地方財政にそのような方法を杓子定規に当てはめることは避 けたということである。言いかえると,各時期には焦点となるような財政現象 が自らあり,それらが浮かび上がるような叙述を試みたと言うことである。8) 3)藤田武夫『現代日本地方財政史』上巻,日本評論社,1976年;同上書,中巻,1978年; 同上番,下巻,1984年。 4)吉岡健次『戦後日本地方財政史』東京大学出版会,1987年。 5)ただし,吉岡教授は,叙述の方法を意識して「メカニズム論』(吉岡,同上普,Ⅴペ・−ジ) という手法を使うことを明言している。私は,わが国の戦後の地方財政史を叙述するさい にはそれが有力な手法の一つになるとは思うが,香川県の地方財政史を叙述するさいに それがどのように役に立つのかについては今のところ定かではない。 6)藤田『現代日本地方財政史』上巻,iiペ・−ジ。 7)私の念頭にあるのは,たとえば,藤田武夫『現代地方財政入門(新訂).』日本評論社,1967 年;坂本忠次『現代地方自治財政論』青木書店,1986年,である。 8)小稿は,『香川県史』7,通史編,現代,1989年,の拙稿と,香川大学経済学部『地域資 源と産業構造』1989年,の拙稿とを基礎にしたものである。なお,前者についてはその転 載を快諾して下さった香川県県史編さん室にたいして深謝したい。
・J()− 香川大学経済学部 研究年報 29 エ9β9 ⅠⅠ 敗戦直後のわが国の地方財政の顕著な特色は,財政規模の急激な膨張である。 その原因は,・−・口で言うと,敗戦直後の経済社会の激変であるが,具体的には 戦後の地方行政機構の膨張,6・3制義務教育の実施と自治体警察の発足に代 表される地方行政領域の拡大,それらにともなう地方公務員数の激増と数次の 給与ベースの引き上げによる人件費の増大,戦災復興,そして,人件費,物件 費のすべてに影響をあたえるはげしいインフレーションの高進であった。そこ で,その状況の1十喘を香川県の場合でみると次のようであった。敗戦時の県の 行政機構は,知事官房の他内政部(11課),経済第1部(4課),経済第2部(5
課),警察部(9課)をもつ1官房4部制であったが,1946年9月の府県制の改
正に伴い同年11月∬12月においてそれが知事官房のほかに内務部(6課),教育 民生部(6課),経済部(6課),土木部(6課),農地部(3課),警察部(5 課)をもつ1官房6部制に改められた。9)1947年4月には第1回の公選知事の選 挙が行われ,増原恵吾が当選した。その年の12月から翌年の1月にかけて公選 知事の下における初めての大幅な行政機構の改革が行われ,県の行政組織は, 総務部10)(10課),教育部(3課),民政部(5課),経済部(5課),土木部(5 課),衛生部(3課),農地部(4課),労働部(2課),警察部(6課)を持つ 9都制に膨張した。11)この時に増設されたものは,衛生部,教育部,民生部,労 働部であり,廃止されたものは知事官房であった。翌年になると,警察行政と 教育行政の民主化と地方分権を企図して,3月に警察部が,また11月に教育部 が分離独立した。そこで1950年の県の行政機構をみれば,それは,総務部(10 課),衛生部(4課),民生部(5課),労働部(3課),経済部(7課),農地部 (5課),土木部(6課)という7部からなる知事部局並びに教育委員会,公安 9)この機構改革は,『香川県報』では確認できなかった。 10)これは,1947年5月に内務部を引き継ぐ形で設置されたと言う。ただし,このことも『香 川県報』では確認できなかった。 11)『香川県報』1947年12月26日(号外):1948年1月22日(第8号)。戦後の香川県の地方財政 l−・〃−,・・ 第1表 県職員数の推移 年 職員数(人) 備 考 1942 1,394 1942年8月1日現在。知事,書記官,高等官を除く。 1946 1,693 1946年9月15日現在。 1947 2,395 1947年6月30日。警察と教育を除く「−・般」である。 1949 2,633 県費職員と国費職員の合計である。 1950 2,621 県費職員と国庫職員の合計である。 1951 3,187 県費職員,特別会計,国庫職員の合計である。 〔出所〕『香川県職員録』(1942年8月13日現在),『香川県職員録』(1946年9月15日 現在),『財政概要』1947年,『香川県統計年腰』1950年版,1951年刊,1952 年刊。 委員会からなっていた。12〉 このような行政機構の膨張と行政領域の拡大により,県の職員数は,第1表 のように増大していき,1946年の1700名が1951年には3200名近くになったので ある。13)もっとも,同じように県庁で勤務しているといっても,われわれは, 1950年に地方公務員法が制定され新しい体系的な地方公務員制度が成立した下 での県庁職員とそれ以前の職員とは身分がまったく異なっていたことに留意し なければならない。すなわち,帝国審法時代において高等官,判任官等に区分 されていた知事以下の主要な職員は天皇に身分的に専属し忠誠を尽くす,いわ ゆる「天皇の官吏」であったが,彼らは数のうえでは少数であった。そして, 彼らの下に多数をしめる固有職員である有給官吏,雇員,雇人,嘱託などがい たがその地位は補助的なものであり,両グループの間には身分的給与的な差別 12)以上の変遷については,主に〔香川県総務部〕人事課『人事管理資料集』1978年,「香川 県庁組織図の変遷」,による。なお,『香川県史』′7,通史編,現代,81−84ページ,もみ よ。ただし,『香川県史』の記述は,『−内務省史』第4巻,1971年,692−700ページ;『香 川県議会史』第1巻,1971年,723ペ、−ジ,にもと)ているようであるが,必ずしも正 確ではないように思う。 13)1948年以前の県の職員数の時系列的な数倍は公表されていないようである。『香川県史』 によれば,1942年の県庁職員は雇等を除いて88名とされている(『香川県史』6,通史編, 近代ⅠⅠ,1988年,651ペ・−ジ)。ところで,1942年と1946年の職員数は,『香川県職員録』 によって知事官房他各部,各魔の全ての県職員を合計したものであり,その作業は県政情 報室の吉原功氏がおこなってくれた。特記して深謝したい。
−・ノご− 香川大学経済学部 研究年報 29 J鎚79 が厳然と存在していたのである。敗戦後の1946年4月には官吏任用叙級令が制 定され,身分的差別の撤廃,官等級の簡素化がはかられたが,同年8月には香
川県も有給官吏員規則をさだめ,1級一3級の区分を行った。1947年5月には
地方自治法が施行され,府県の官吏は都道府県吏員に切り替えられたが,公務 員制度においては,官吏任用叙級令等の従来の制度が踏襲されたのである。14) ところで,さきのように膨張していった県職員の給与ベ1−スであるが,それ は,敗戦時のインフレの高進によってつぎつぎに引き上げられていった。まず, 1946年7月に官吏俸給の引き上げがおこなわれた。すなわち,本俸がそれまで の2..5倍に引き上げられ,平均の給与ベースは600円になった。15)1947年に入り2月には「暫定加給支給要綱」が閣議決定され,1月にさかのぼって1,200円ベ
−スが実施されたが,同年4月には暫定加給の6割増給がおこなわれ,1,600円 ベースが決定された。16〉同年10月になると,給与水準は給与審議会の答申をう けて1,800円ベースに引き上げられた。1948年に入り,3月には「政府職員の給 与等に関する法律」が公布され,1月にさかのぼって2,920円ベースの新給与が 適用されることになった。しかし,同年6月からは「昭和23年6月以降の政府 職員の俸給等に関する法律」によって,3,791円ベースが実施されることになった。これ以降は,給与の改訂が入事院の勧告によって行われることになった。
そして,勧告と実施の時期とに若干ズレが生じたものの,1948年12月には6,307 円ベース,1951年1月には7,981円ベース,同年10月には10,062円ベースへとつ ぎつぎに給与ベースが引き上げられて行った。17)その結果,−・般会計に計上さ れた人件費は第2表のように増加して行ったのである。しかし,歳出総額にし める人件費の割合は,1947年度をピ、−クとしてその後急速に低下し,1950年度 14)香川県人事秦員会『20年の歩み』1972年,7−8ペ−ジ。 15)これは,本俸476円,臨時家族手当114円,臨時勤務地手当10円の合計からなり,民間企 業の平均給与額に相当した(神奈川県人事委員会『県職員給与制度の沿革(第1部)』1963 年,49ページ)。 16)香川県の職員(−・般)の場合,1947年6月の1人当り平均給与は,1,265円であり,内訳 は,俸給459円,暫定加給473円,家族手当333円であった(香川県『財政概要』1947年5 月,53ページ)。 17)香川県人事委員会,前掲酉,50−53,166−172ページ。戦後の香川県の地方財政 ー43− 第2表 歳出決算額にしめる人件費の推移 (単位1,000円・%) 歳出総額(一・般会計) 人 件 費 年度 溜ト 金額(A) 指 数 金額(B) 指 数 うち
1946
188,435
100
79,056
100 53,347 42.0 1947620,518
329
326,090
412 219,572 52.6 1948 1,663,261883
746,841
945
335,173 44“9 1949 2,305,583 1,224 921,456 1,16640.0
1950 2,851,008 1,513 1,1ql,990 1,394 91,747 38..7 〔注〕人件費は,『香川県歳入歳出決算書』から人件費に相当すると思われる俸給や 職員給,諸給,諸手当等をひろい出して合計したものである。なお,1949年度, 1950年度の人件費の集計は,県政情報室の吉原功氏がおこなってくれた。 〔’出所〕『香川県歳入歳出決算書』各年度版。 第3表 歳出の累年比較 香川県の歳出 都道府県歳出 年度 総合卸売物価指数 金額(1,000円) 指 数 金額(100万円) 指 数 1945 50,755 100 2,860 100 3‖503 1946 188,435 371 18,744 655 16.27 1947 620,518 1,223 58,644 2,050 48ノ15 1948 1,663,261 3,277 149,433 5,225 1279 1949 2,305,583 4,543 227,322 7,948 208ノノ8 〔注〕1,香川県の歳出は−・般会計歳出決算額である。 2総合卸売物価指数は,1934年−36年の平均を1とする。 〔出所〕『香川県統計年鑑』1950年版,1951年刊;藤田武夫『現代日本地方財政史』 上巻,日本評論社,1976年,95ページ;日本銀行調査統計局『明治以降卸 売物価指数統計』1987年,30ページ。 には38..7パーセントになった。なお,職員給与改善費とは,年度によってその 内容がことなるが,大雑把にいって一・般職員や響察職員,教育職員にたいする 暫定加給,超過勤務手当,年末−・時金などであった。 さて,この期間の香川県の−L般会計の歳出をみれば,それは第3表に示され香川大学経済学部 研究年報 29 −イイ− J9β9 るように,45倍も膨張した。18)歳出膨張の指数は,都道府県全体の歳出の膨張を 下回るものとはいえ,県の財政運営を著しく困難にした。19)増原知事は,第2回 の県議会本会議(1948年6月23日)において,財政需要が加速度的に増大して 「県財政が窮地に追いこまれようとしており」,県独立税の増税,国税の地方移 譲等がおこなわれても「なお収支の均衡を図り得ないほど県財政が苦しい」20) とのべている。また,1948年11月に公表された『財政事情』(第2号)は,「歳 出の増嵩に対する歳入の裏付けが必ずしもこれに伴わないために」,「県財政は 非常に困難の段階に迄来ており1億3千万〔円〕に上る赤字を最近漸く整理し た直後であり今後の財政経済状態の推移如何によっては将来の見透しもつかな い」21)とのべている。22)そして,このような財政規模の急膨張は,年間の追加予 算を巨大なものにし,当初予算を完全に名目的なものにしたのである。第4表 を見よ。特に1946年度においては最終予算が当初予算の実に6倍をこえ,年度 末にはそのあとをとどめない状況になった。試みに,その頃の予算書を見れば, 項目や金額は修正に修正が加えられ,記載の余白が不足する場合には別の紙を はりつけて修正がつづけられ,それが1メートル以上にも達しているのを目の 当りにすることになり,われわれは当時の予算の執行がいかに難儀であったか を実感するであろう。 18)このような財政規模の著増は,全国どこでも同じであった。例えば,神奈川県でも・一腰 会計歳出(決算額)は1945年度から1950年度までに32倍も膨張し,「県財政史上空前のス ピ−ドを記録した。」(『神奈川県史』通史編7,近代・現代(4),1982年,910ページ) と言う。 19)ちなみに,香川県の歳出は全国都道府県の歳出の大体1%であったが,その数値は今日 でも変わらない。 20)『香川県議会史』第1巻,44,45ペ1−ジ。 21)香川県『財政事恰』1948年11月,第2号,3,10ページ。以下,『財政事情』とは,すべ て香川県発行のものをさす。
22)1億3,000万円の赤字とは,当初予算編成後におけるインフレの高進や職員の給与ベース
の引き上げなどによる歳出の増大をまかないきれずに発生した年度途中の財源不足であ り,それは,歳出の節減や県税の増徴,諸収入の増加によって補填された。ところで,1949 年11月に発表された『財政事情』(第4回)も「毎回の説明雷に苦しい財政の状況を,報 告するばかりで,明るい希望に満ちた報告をすることができないのはほんとうに心苦し いことです。」(『財政事情』第4回,1949年11月,22ペ1−ジ。)と,窮状を率直に訴えてい る。ー・ノこ∫l 戦後の香川県の地方財政 第4表 県予算追加状況の推移 (単位 円) 年度 当初予算(A) 年間追加額 最終予算(B) (B)/(A) 1946 35,386,377 184,831,502 220,217,879 6.2 1947 187,194,060 509,681,148 696,875,208 3小7 1948 729,523,591 1,145,198,129 1,874,721,720 2…6 1949 2,055,091,993 415,858,820 2,470,950,813 1.2 1950 2,540,780,575
577,198,う07 3,117,978,882
1日2 1951 3,171,997,535 1,029,066,111 4,201,063,646 1..3 〔出所〕香川県『財政事情』第7回,1951年5月,4ページ;第9回,1952年5月, 4ページ。以下,『財政事情』とは,すべて香川県発行のものをさす。 第5表 県歳出の推移(−・般会計) (単位1,000円) 1945年度 1946年度 1947年度 1948年度 1949年度 区 分 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 a)庁 費 1824 36 C)56,421 299 C)234516 379 82,564 195′374 84 議 会 費 2,424 6473 04 13,912 06 警 察 消 防 費 3035 6こ424 29954 48 46,569 3469 02 土 木 費 b)3663 b)22321 119 b)72646 117 b)348871 210 556L571 242 教 育 費 15,500 305 20848 111 84,209 135 265393 160 800897 348 保 健 衛 生 費 1,826 4339 38838 23 58328 25 社会及び労働施設費 32123 170 34,076 81184 49 97,512 産 業 経 済 費 13071 258 31,355 166 77398 125 358459 215 415893 180 公 債 費 1,207 1431 08 6.182 29356 18 39.778 請 支 出 費 11,934 235 15,385 81 74.774 120 405,555 243 123,852 54 合 計 50,755 1000 188.435 1000 620.518 1000 1.663.261 1000 2,305,583 1000 〔注〕金額は決算額である。ただし,1.000円未済を4拾五入したため合計の金額と各項目の合計とは必ずしも一致しない。 a)庁費の他に財産費,統計調査費,選挙費を含む。b)都市計画資(1945年度2万1千円,1946年度12万1千円,1947年度115二巧6千円, 1948年皮692万9千円)を含む。C)職員給与改沓費用(1946年度5334万7千円,1947年度2億1957万2千円)を含む。 〔出所)ー香川県統計年鑑J1950年版,1951年刊。 つぎに歳出入の構造をみる。県財政は一・般会計と特別会計からなるが,財政 規模から見ても財政活動の重要性から判断してもー・般会計がまず分析されるべ きことは当然であろう。そこで最初に−・般会計を取り上げる。 まず歳出についてである。第5表をみよ。1949年度をとれば,歳出の第1位 は教育費であり,総額の34.8%をしめる。教育費は,6・3制義務教育が開始ーーJ(;−− 香川大学経済学部 研究年報 29 J9β9 第6表 教育費主要費目決算額の内訳 (単位1,000円) 区 分 1948年度 1949年度 教 費
265,393
800,897
小 学 校 費86,680
198,631
う ち 職 員 給82,119
187,150
中 学 校 費48,277
123,576
う ち 職 員 給45,495
116,742
県 立 学 校 費34,056
68,582
う ち 職 員 給25,216
58,557
臨 時 措 置.費206,176
う ち給与臨時措置費206,176
〔出所〕『香川県歳入歳出決算魯』各年度版。された1947年度以降対前年度比3倍ないし4倍の割合で膨張しているが,1948
年度,49年度における急膨張は小・中学校教職員の給与費等の増大によるもの
であった。ちなみに,『香川県歳入歳出決算書』をみれば,1947年度に「新制中
学校費」として1,351万円が支出されている。そして,1948年度と49年度の教育
費の主要費目を示せば第6表の通りであるが,小学校費と中学校費,県立(高
等)学校費が教育費の過半を占め,それらの大部分は教員の給与費であった。
歳出の第2位は土木費で,1949年度の歳出の24小2%をしめるが,土木費の中心
は災害土木復旧費,道路橋梁費,港湾費である。なお,1949年度においては災
害土木復旧費が土木費の34…1%に達している。第3位は産業経済費であり,こ
れは18.0%をしめる。産業経済費の中心は,耕地事業費,農業費,林業費であ
るが,とりわけ耕地事業費が大きく土木費の36‥4%を占める。23)
ここで戦前の香川県の歳出構造との比較をこころみると,第7表の通りであ
る。教育費,土木費,産業経済費が3大行政経費であることは戦前も戦後も変
りはない。戦前に比較して戦後において大きな変化を示しているのは,第1に,
警察行政の地方分権をうけて1949年度には警察消防費が0になったこと,第2
23)『香川県歳入歳出決算書』1948年度,49年度。戦後の香川県の地方財政 −47− 第7表 目的別歳出の戦前と戦後の比較 (単位1,000円) 区 分 1935年度 1941年度 1949年度 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 議 費 29 0 29 0 13,912 県 庁 費 486 6 754 5 164,788 7 警 察 消 防 費 829 992 7 3,469 0 土 木 費 2,090 28 1,875 14 531,884 23 教 費 1,712 23 4,556 33 800,893 35 社会及び労働施設費 34 287 2 97,696 4 保 健 衛 生 費 135 2 207 2 58,367 3 産 業 経 済 費 1,369 18 3,386 25 415,840 18 財 産 費 5 0 47 2,929 0 統 計 調 査 費 4 0 5 0 22,167 選 挙 費 24 2 0 7,676 0 公 債 費 713 998 7 39,778 2
諸 支 出 費
148 2 585 4 123,512 5 県有建物復興費 22,672 計 7,578 100 13,723 100 2,305,583 100 〔注〕1.金額は決算額である。2“1949年度は−・般会計である。 〔出所〕『財政事情』第6回,1950年11月,27ページ;第18回,1956年11月,9ペー ジ。 に,公債費が大幅に縮小したこと,第3に,生活保護や失業対策等を中心とす る社会及び労働施設費が増大したことである。ただ戦後の地方行政について注 意しなければならないことは,地方自治制度の改革によって府県の権限が強化 されたにもかかわらず,歳出にしめる国政事務費の割合がいぜんとして大きく, 「行財政の実態においては,道府県行政の自主性は,戦前とほとんど変わらず, むしろやや弱まっている。」24)ということである。この点について,『県政概要.』 も,1947年5月に地方自治法の施行をみて「地方自治権は著しく強化されたと はいいながら,地方自治体の活動には依然政府の関与が大きく,適当な財政的 な裏付けなしに委任事務が増大してきたために,県及び市町村自治体の行政は 24)藤田『現代日本地力財政史』上巻,104ページ。−−・Jバー一 香川大学経済学部 研究年報 29 エ9β9 第8表 県歳入の推移(−・般会計) (単位1000円) 1945年度 1946年度 1947年度 1948年皮 1949年度 区 分 金 額 首分比 金 額 百分比 金 額 百分比 金 牧 百分比 金 額 百分比 県 税 1,806 31 16,882 80 80,882 129 323,657 190 566,427 244 地 方 配 付 税 9′056 157 19′931 95 158520 252 351799 207 475こ594 205 国 庫 支 出 金 29,872 518 132,091 629 225,946 361 755,080 445 896,569 387 財産収入 73 01 105 00 242 00 20153 12 2 716 01 日 分超金及び負担金 13】77 使用料・手数料 1∩458 25 5′297 25 14,025 22 41778 寄 附 金 345 06 2,154 10 4,219 0 7 17こ252 50,447 22 繰 入 金 82 01 84 00 110 00 341 00 繰 越 金 5L263 91 6993 33 22096 3 5 7567 04 39,242 雑 収 入 8,239 143 8′547 40 12,693 20 63,736 37 37879 16 県 債 1,553 27 18,446 88 109,352 174 107,960 63 170,460 74 合 計 57,748 1000 2王仇530 1000 62∂,0朗 10D0 1,702,503 1000 2,317.466 1000 (注)金額は決算額である。ただし,1000円未満を4捨5入したため,合計の金額と各項目の合計とは必ずしも−致しない。 〔出所〕r香川県統計年鑑J1950年版,1951年刊。 著しく損われ,財政危機に見舞われる状態でありました。」25)とのべている。 つぎに歳入についてみる。第8表をみよ。1949年度をとれば,歳入の第1位 は国庫支出金であり,総額の38..7%をしめる。国庫支出金は敗戦直後において は歳入の第1位をつねにしめ,1946年度のごときは歳入の62..9%に達している。 香川県の国庫支出金の中心は産業経済費の補助であり,具体的にほ耕地改良費, 農業費,農地調整費に関する補助金が多い。26)歳入の第2位は県税であり,それ は総額の24..4%をしめる。県税収入は1946年度以降着実にその地位をたかめた が,地方税制の改正は毎年行われ,税目はめまぐるしく変った。 この時期の地方税制の改正を簡潔にみれば,つぎのようである。27)1946年9 月の地方税の改正によって国税である地租,家屋税,営業税の付加税の増税が はかられるとともに,新たに独立税として「府県民税」がもうけられた。県民 税は,第9表に示されたように,県税収入の63.2%をしめた。1947年3月には, 地方財源の一層の強化をはかるため,(1)地租,家屋税,営業税の3収益税を国 25)香川県『■県勢概要』1950年,125ページ。 26)『香川県歳入歳出決算書』1949年度。 27)藤田,前掲曹,106−133ページ。
−49− 戦後の香川県の地方財政 第g表 県税収入の内訳 (単位1,000円) a)1945年度 1946年度 1947年度 区 分 1948年度 1949年度 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 国税付加税 地租付加税 1309 家屋税付加税 991 営業税付加税 2377 鉱区税付加税 00 287 県 民 覗 10,709 632 41L49(う 513 94L939 292 135′769 238 自 動 車 税 118 10 846 4,066 13 6,848 12 不動産取得税 691 41 3873 48 26073 81 49′643 88 狩 猟 者 税 21 66 01 766 02 892 02 鉱 区 税 8 00 42 00 9 00 遊 興 横 1,700 21 事 業 税 80,093 247 166,028 292 段 別 税 43 船 舶 税 9 00 01 電 柱 税 200 12 668 08 1787 06 1830 03 漁 業 権 税 23 01 56 01 351 芸妓税 26 50 接客人税 33 地 租 21′674 家 屋 税 2660 営 業 税 16458 軌 道 税 96 01 283 01 322 01 電話加入権税 1148 14 2 688 08 4 098 07 電 気 税 21098 木材取引税 356 01 412 01 入 場 税 23,042 −71 40,145 特別所得税 2′221 0 7 6∩645 12 洒 消 費 税 11518 36 18236 32 鉱 産 税 45 00 23 00 都 市 計 画 税 78 旧法による税収入 4 02 4 00 2,514 31 6,548 20 7.647 合 計 1,806 1000 16,882 1000 80,882 1000 323,65、7 1000 566,427 1000 〔注)金軌ま決算額である。ただし,1000未満を4捨5入したため,合計の金額と各項目の合計とは必ずしも一致しな い。 a)戦災により資料が焼失したため,国税付加税と拇独立税なとの小計のみを記載した。 〔出所〕r香川県統計年鑑J1950年版,1952年刊。 から府県に移譲,(2)遊興飲食税を府県に移譲し「遊興税」とするとともに鉱区 税も府県に移譲,(3)府県の独立税として,電話加入権税,軌道税,入湯税が追
ー一方O− 香川大学経済学部 研究年報 29 J9g9 加,(4)住民税の納税義務者1人当り平均賦課制限額を府県民税は120円,市町村 民税は80円へと,従来の2倍に引き上げることなどがおこなわれた。1948年7 月には,増大する財政需要に対処するため,(1)営業税を廃止して,「事業税」を 創設するとともに,「特別所得税」,「酒消費税」,「鉱産税」,「木材引取税」を創 設,(2)地租,家屋税,不動産取得税の増税,(3)自治体警察の財源にあてるため, 入場税,狩猟免許税を道府県に移譲し,靖町村でそれらに付加税を課税するこ と等がおこなわれた。1949年5月には,税収入の増大,課税の合理化をはかる ために地方税制の改正がおこなわれ,住民税,地租,家屋税等が増税された。 このようにして,わずか4年間に財政需要の激増に対応するため,大小6回の 地方税制の改正がおこなわれたが,そのねらいは,府県税の独立税化と府県税 源の強化であった。その結果,県税収入の中心は1949年度についてみると,事 業税と県民税とからなり,それに不動産取得税,地租,入場税を加えると,こ れら5つの税で税収入総額の76小4%をしめた。このような地方税制の改正の結 果,県民の税負担は,のちにみるように急速に増大していった。 1949年度における県の歳入の3位は地方配付税であるが,これも短期間に変 遷をかさねた。28)すなわち,1946年9月の改正で,配付税の繰入れ率は所得税と 法人税が100分の10..06から100分の16小67へ,また入場税と遊興飲食税が100分の 14..40から100分の34,.79へと大幅に引き上げられるとともに,道府県と市町村へ の割振りも,道府県に傾斜させ100分の65と100分の35に改められた。1947年3 月の改正では,還付税が廃止され,配付税を「地方分与税」と称し,繰入率が 一部さらに引き上げられるとともに配分方法にも改正が加えられた。すなわち, 分与税の操入れ率が所得税と法人税についてはその100分の23..86に引き上げら れ,入場税はその100分の31小38とされた(但し,入場税は増税された)。そして 分与税の割振りは都道府県100分の67,市町村100分の33に改められたのである。 同年7月には分与税という名称にともなう種々の誤解をさけるために,「地方配 付税」と称することにし繰入れ率も3たび引き上げられ,所得税と法人税の100 分の33.14とした。また,道府県と市町村の割振りが100分の50ずつとなり,市 28)同上雷,134−145ページ。
ーーこ了ノー 戦後の香川県の地方財政 町村への割振りが増加された。そして,1949年3月のドッジ声明にもとづく国 家予算の大幅な圧縮により1949年度の地方配付税総額は地方配付税法にもとず く配付予定金額の約半分に削減された。29)1949年5月に刊行された『財政事情』 (第3号)は,ドッジ・ラインによる総合予算の均衡のため地方配付税と地方債 が大幅に削減され「県の財政は財源的に窮乏の極に達した」30)と言っている。そ して,1949年度の香川県の配付税は4億7,559万円であり,前年度に比較して 35.2%の増加にとどまった。その結果,歳入にしめる構成比は前年度とかわら ない。 第10表 歳入構造の戦前と戦後の比較 (単位1,000円) 1935年度 1941年度 1949年度 区 分 金 額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 県 税 2,906 33 1,533 9 566,427 24 地 方 譲 与 税 3,016 18 地 方 配 付 税 a)593 475,594 21 公営企業及び財産収入 133 163 2,716 0 分担金及び負担金 10 0 106 8,506 0 使用料及び手数料 580 7 1,012 6 69,626 3 国 庫 支 出 金 1,203 14 4,935 30 896,569 40 寄 付 金 203 2 900 6 50,447 2 繰 入 金 繰 越 1,564 18 1,765 39,242 2 雑 収 入 609 7 1,042 6 37,879 2 県 債 1,571 18 1,331 8 170,460 6 計 8,779 100 16,396 100 2,317,466 100 〔注〕1金額は決算額である。2.1949年度は一・般会計である。 a)これは,地方分与税である。 〔出所〕『財政事情』第6臥1950年11月,26ページ;第18回,1956年11月,9ペー ジ。 29)鈴木武雄『現代日本財政史』下巻1,東京大学出版会,1960年,156−158ページ。 30)『財政事情』1949年5月,第3号,3ペ1−ジ。
一−こ:ピー 香川大学経済学部 研究年報 29 J9β9 第‖表 県債の推移 (単位1,000円) 年度 借 入 金 償 還 額 年度末現在額 額 指 数 1946 32,268 100 1947 124,852 1,334 155,786 483 1948 107,960 10,575 253,171 785 1949 190,000 15,328 427,843 1,326 1950 208,000 28,053 607,791 1,884 〔出所〕『財政事情』第7回,1951年5月,38ページ。 ここで戦前と戦後の歳入構造の比較を行う。第10表をみよ。戦後の歳入構造 は,いくつかの点で戦前の歳入構造と大きくことなる。まず第1に,県税の割 合が戦前の1941年度を別にすると戦後は大きく低下しているのが注目される。 しかし,戦前においては県税収入の過半が国税付加税によるものであったこと に注意しなければならない。第2に,地方分与税制度が1940年に導入され,1935 年度には存在しなかった地方配付税が歳入の5分の1をしめるようになったこ とである。第3は,戦後は国庫支出金が飛躍的に増大し,財政的に中央政府に 従属する度合が格段に大きくなったことである。そして,第4に,戦後は県債 が大きく減少したことである。もっとも1935年度には県債が歳入の18%をしめ たといっても,繰越金が同じく18%もあり,「財政的にも充分な償還能力があっ た」31)という。 つぎに県債について簡単にみておく。第8表にみるように県債は1945年度と 1947年度を別にして歳入総額の6%ないし8%をしめ,県財政の収支の均衡に 重要な寄与をしている。しかし,そのために年度末の県債現在高は,第11表の ように歳出の膨張よりも急速に増大した。なお,県債がどのような目的に使わ れたかをみるために,例えば1949年9月末の県債現在高の目的別内訳をみれば 第12表のようである。敗戦直後の県債現在高の特徴は災害土木費,戦災復興費, 31)同上,第18回,1956年11月,12ペ1−ジ。
ーーエフー 戦後の香川県の地方財政 第12表 県債現在高目的別内訳(1949年9月末現在) (単位1,000円) 区 分 金 額 百分比 普通土木費 62,345 20け1 災害土木費 64,810 20.9 勧 業 費 12,546 4.0 教 育 費 1,147 0.4 衛 生 費 24,553 7.9 社会事業費 3 0.0 戦災復奥費 57,094 18け4 震災対策費 14,700 4.7 そ の 他 14,453 4.7 給与改善費 49,454 15.9 合 計 a)310,105 a)100‥0 〔注〕a)合計は,301,105千円であり,したがって百分比の合 計も100‖0%にならない。 〔出所〕『働救事情』第4回,1949年11月,20ページ。 第13表 県財政−・般会計における形式収支の推移 (単位1,000円) 年 度 1945 1946 1947 1948 1949 歳入 合計(A) 57,748 210,530 628,084 1,702,503 2,317,466 うち前年度繰越金 5,263 6,993 22,096 7,566 39,242 歳 出 合 計(B) 50,755 188,435 620,518 1,663,261 2,305,583 形式収支(A−B)の 6,693 a)22,096 a)7,567 39,2.42 11,883
忙)/(刃(%) 12.1 105 12 2け3 0.5 〔注〕a)4捨5入のため1千円くいちがう。 〔出所〕『香川県歳入歳出決算昏』1945年慶一49年度。 給与改善費が大きな割合を占めているということであろう。 ところで,この期間の一腰会計の収支はどのような状況であったのであろう か。さきに紹介したようにこの時期の財政運営は歳出の激増に歳入が追いつか
ず,収支の均衡をはかることがきわめて困難であったように見える。そこで−
般会計に限定して形式収支の推移を示せば,第13表のようである。しかし,ここ;・ノー J9&9 香川大学経済学部 研究年報 29 の表を見てわれわれは,やや奇異の感を抱く。すなわち,知事や財政当局の力 説にもかかわらずいずれの年度においても赤字がでていないばかりか,1945年 度,46年優においては歳入の10%をこえる大幅な形式収支の黒字がでているの である。そして,理解に苦しむのは,それらの差引残がすべて翌年度に繰り越 され歳入の一部となっていることである。これらの差引残は実質の黒字であっ たのであろうか。この疑問を解く鍵と思われるものは,『財政事情』における次 の2か年度に関する差引残の解説である。先ず1947年度についてであるが,同 年度の形式収支残は756万6千円であった。それについて,『財政事情』(第2号) は,「これは既に昭和23〔−1948一〕年度において繰越金として財源の−・部に加えて 計上してありますから純増加とはならないのであります。」32)という。「純増加 とはならない」とは実質の黒字として積み立てられる金額ではないと言う意味 であろう。このことは,1948年度の差引残についての『財政事情』の解説から 推測できる。すなわち,1948年度の決算においては,「翌年度に繰越されなけれ ばならない余剰金は39,242,096円となります−。/しかしこの中から24〔1949〕年 度へ事業繰越をした財源に当てるものと,国庫補助金を精算して国庫に返還す るものとがありますので実際の剰余金はズット減少いたします。」33)というこ とである。そして,国庫補助金の精算額はあまり大きくないと思われるので, 余剰金のかなりの部分は「資材労力等の事情により年度内に事業が完成せず翌 年度(昭和24年度)に事業を繰越さなければならな」34)くなった,いわゆる事業 繰越金であろう。しかし,事業繰越金がいくらかは不明なのである。そこで, これは私の推測になるが,事業繰越金などを考慮すればたぶん1947年度−49年 度の実質的な収支はほとんど0か場合によっては赤字になるであろうというこ とである。 以上は−・般会計についての分析であるが,最後に特別会計について簡単にみ ておく。この期間の特別会計は,第14表に示されるように全体で14である。し かし,歳出規模からみると,1945年度−47年度において圧倒的な割合を占める 号回号 2 4 3 第第第 上上上 同同同 2 3 4 3 3 3 1948年11月,7−8ページ。 1949年11月,16ページ。 1949年5月,7ペ・−ジ。
−A}− 戦後の香川県の地方財政 表14表 特別会計歳出決算額の推移 (単位1,000円) 区 分 1945年度 1946年度 1947年度 1948年度 1949年度 羅 83 181 57 賑 他 救 済 基 金 7 0 農 業 学 校 実 習 費 33 90 310 592 就 学 奨 励 基 金 15 16 7 教 育 資 金 2 0 0 修 錬 道 場 費 99
転 貸 資 金
3,730 15,607 428 5,564 84 農 事 講 習 所 190 570 社 会 事 業 基 金 0 災 害 救 助 基 金 1,174 1,999 病 院 費 12,079 33,020 印 刷 所 費 3,812 3,799 地 方 競 馬 費 10,556 15,831 農業高等学校実習費 1,006 合 計 667 4,207 16,551 34,602 54,914 〔出所〕『香川県歳入歳出決算雷』各年度版。 ものは転貸資金特別会計であり,1948年度−49年度において大きな割合を占め るものは病院費特別会計と地方競馬費特別会計である。ところで,転貸資金と は,「県債として借入れた金を市町村の特定の事業の資金として更に貸付けたも の」35)であり,県債現在高の中の勧業費や給与改善費等の転貸分として示され ている。病院費特別会計とは,中央病院,津田病院,丸亀病院,三豊病院の会 計であり,収入は入院料,診察料等である。他方,支出は,中央病院等の建設 費や吏員給,給料等であった。地方競馬費とは,県営高松競馬の会計であり, 第1回の県営競馬は1948年10月に開催されている。しかし,1948年度も49年度 も収益はなかった。 35)同上,第6回,1950年11月,15ペ・−ジ。−5〔ト 香川大学経済学部 研究年報 29 J9g9 ⅠⅠI
1946年以降目まぐるしくおこなわれた地方税財政の改正においで一つの画期
をなすものは,言うまでもなく,1949年9月15日に総指令部から発表された『シャウプ使節団日本税制報告書』(ReportonJapaneseTaxationbyTheShoup
Mission)であろう。これは,同年5月10日に来日したコロンビア大学教授のシ ャウプ(Shoup,CarlS.)博士を団長とするアメリカの税財政の専門家36)が4カ 月間の精力的な調査にもとづいて作成した,日本政府に対する税制改革の勧告 であった。その目的は,一言でいえば,「〔経済安定〕9原則およびドッジ・ラ インを,その残された税制面において補完し強化すること」37)であったが,地方 財政に限定してその内容をごく簡単に紹介すれば,次のようなものである。 勧告は,まず,地方自治の完成が「占領軍および日本政府の究極目的の叫つ として宣言されている」38)とする。したがって,地方自治を財政面から強化する ことは既定の方針であったのである。39)ところが,現下の「地方自治はきわめて 未熟な段階にあり,地方団体の財政力を強化し,これとともに,富裕地方と貧 困地方間の財政力を更に均等化することなくしては,地方自治の完成を望むこ とはきわめて困難である」40)とする。そして,「地方自治の形式に実質を加える ために,地方団体に適当な独立財源をあたえる」41)べきであるとした。シヤウプ 勧告の歳入計画をみると,それは第15表のようになる。すなわち,歳入は,地 36)使節団は,シャウプのほかにイリノイ大学商業および経営経済学部長ボーエン (Bowen,Howar−dR),ニュ1−ヨ1−ク市立単科大学教授コ1−エン(Cohen,JeromeB), ミネソタ州セント・ポ・−ル収税庁税制調査局長ハットフイ・−ルド(Hat丘eld,Rolland F),カリフォルニア大学教授サリー(SurTey,StanleyS),コロンビア大学教授ヴィッ クリl−(Vickery,Wi11iam),コロンビア大学教授ウオレン(WarTen,William)の6人 から構成されていた。 37)鈴木『現代日本財政史』下巻1,243ペ・−ジ。 38)忍密♂′才♂乃ノ卸α乃βS♂7おゐ♂乃抄班♂5滋∂多ゆ劫払わ乃(以下,ガ密♂ブナと略称する),Voi Ⅰ,p21 39)シヤウプ教授は,来日間もない5月19日の声明において使節団の使命と考え方を明らか にしたが,その中で「4,地方の自治と責任を強化する既定政策にたいし財政面から支援 を与えること。」(鈴木,前掲酋,241ページ)とのべている。 40)斤密0玖p21 41)乃オdリVolⅠⅠⅠ,pA3−57− 戦後の香川県の地方財政 第15表 シャウプ勧告における地方団体の歳入歳出計画 (単位10億円) 項 目 1949年度予算 1950年度推定 差 引 歳 出 376 425 (+)49 歳 入 地 方 税 150 190 (十)40
賃 貸 料 手 数 料 等
25 25 0 政 府 か ら の 補 助 金 (a)143 (d)165 (+)、22 純 起 債 額 (b)18 35 (+)17 任意的寄付金及び制限外課税 40 10 (−)30 計 (C)376 425 (+)49 〔注〕(a)1949年度において地方団体より返済される50億円を差引く前の総計。そ して,これは,配付税580億円を含む。 (b)起債額230億円一償還額50億円=180億円〔鈴木『現代日本財政史』下巻 2,391ページ,第204表〕。 (C)予算上の数字3,410億円に,寄付金によって賄われた経費を加えて僅かの 調整をしたもの。もっとも,虎ゆ0γ=にはこの調整についての説明はないが, 寄付金を400億円とすれば調整額は50億円となる。これは,起債収入を純額 で計上し,償還額50億円を除いたためであると,鈴木教授はいう(鈴木, 同上)。 (d)平衡交付金1,200億円を含む。 〔出所〕皮勿0γちVolⅠ,pp.37−38 方税の増税400億円,政府からの補助金の増額220億円,純起債額の増加170億円 の合計790億円から寄付金等300億円の減額を差し引いて,結局490億円増加す る。 まず寄付金であるが,それは,地方団体が校舎を新築したり道路を改修した りするために募ったもので,「法令によらないと言う・一点を除いてあらゆる意味 で税である」。42)しかし,「地方団体の税収入が増加するため来年度には寄付金 は大部分繰返されないと予定されるから」,43)実質的には減税となるのである。 地方税は,1,500億円から1,900億円へと400億円増税されるが,この400億円 42)乃∠d,VolIp35 43)乃寝ーーこてメ一一 香川大学経済学部 研究年報 29 J形9 第16表 シヤウプ勧告における地方税体系 (学位10億円) 項 目 1949年度予算 1950年度推定 増 減 都 道 府 県 税 都 道 府 県 民 税 0 (−)11 地 租 家 屋 税 7 0 (−) 7 事業税(所得を基礎とするもの) 26 0 (−)26 事業税(付加価値を基礎とするもの) 0 44 (+)44 入 場 税 5 10 (+) 5 不 動 産 取 得 税 6 0 トー) 6 遊 興 飲 食 税 6 12 (+) 6 洒 消 費 税 2 0 (−) 2
そ の 他 の 税
8 5 (−) 3 小 計 71 71 0 市 町 村 税 市町村民税 12 60 (+)48 地 租 家 屋 税 7 52 (+)45 事業税(所得を基礎とするもの) 26 0 (−)26 入 場 税 9 0 (−) 9 不 動 産 取 得 税 6 0 (一) 6 遊 興 飲 食 税 6 0 (−) 6 酒 消 費 税 2 0 (−) 2 そ の 他 の 税 7 (−) 4 小 計 79 119 (+)40 計 150 190 (+)40 〔出所〕乃才♂リpp41−42 はすべて市町村の増税とされる。なぜなら,「地方自治の発達上,強化を必要と するのは都道府県よりもむしろ市町村であるからである。」44)もっとも,先にみ たように400億円に達する,税と同じ性格の寄付金が300億円削減されるから, 住民にたいする実質上の税負担の増加は100億円となる。都道府県税と市町村税 の改革の内容をみれば,第16表のようである。すなわち,地方税は従来の付加 44)乃∠d,p23戦後の香川県の地方財政 ー.うfし− 税が全廃され,すべて独立税となる。45)そして,400億円の増税は,「特に市町村 の追加独立財源が必要である。」46)との観点から,もっぱら苗町村の増収とな る。市町村の税体系は,住民税と,地穂・家屋税にかわる不動産税とからなり, 都道府県のそれは,入場税と遊興飲食税が都道府県に委譲され一本化されると ともに,事業税に替えて付加価値税が新設されてそれが都道府県税の中心とな る。また,その他の税も整理・簡素化される。その結果,1950年度の都道府県 税収入は,前年度と同額の710億円であるが,市町村税収入は790億円から1,190 億円へと増額される。そして,都道府県税収入と市町村税収入との割合は,1949 年度の47対53から,1950年度には37対63へと,大きく市町村へ傾斜する。藤田 教授は,シヤウプ勧告のそのような地方税体系について,「明治以来の日本の地 方税制度にたいして,抜本的画期的な改革をくわえようとするもの」47)と,たか く評価する。48)また,香川県の財政当局は,当時,シヤウプ勧告による地方税制 度の全面的改正により「今までに比べ税負担は⊥段と合理的で公平なものにな ることを期待しています。」49)とのべた。 つぎは国庫補助金の改革である。国庫補助金は,交付金と同様に国によって 「独断的に決定され」,50)その交付をうけると「中央政府が地方に対して細い点 において過度の統制を行使する」。51)補助金は,1949年度においては約350種あ り,総額800億円に達した。そのうち,約130種,100億円に達する全額補助金は 廃止する。約210種,370億円に達する一部補助金は大幅に削減する。そして, 公共事業補助金は330億円と見積られるが,そのうち185億円が災害復旧補助金 であり,145億円がその他の公共事業補助金であった。そして,前者にかんして は所要金額が引き上げられ,あらゆる種類の復旧事業費を含むように勧告され 45)乃∠♂,p24 46)乃∠d,VolⅠⅠ,p190 47)藤田『現代日本地方財政史』上巻,212ページ。 48)鈴木教授も,1960年に,勧告の地方税改改案について「わが国における根強い官治的地 方行政,官僚的中央集権を民主化するうえにおいて,『勧翫はきわめて有意義であった」 (鈴木,前掲普,下巻2,1960年,420ページ)と評価している。 49)『財政事情』第5回,1950年5月,8ページ。 50)斤卸0γちVolⅠⅠⅠ,p Al 51)ノ∂グd
ー60− 香川大学経済学部 研究年報 29 ヱS暢9 第17表 シヤウプ勧告における国庫補助金整理案 (単位 億円) 項 目 1949年度予算 1950年度(勧告) 増 減
全 額 補 助 金
100 0 (−)100部 補 助 金
400 150 (−)250公 共 事 業 補 助 金
350 300 (−) 50 計 850 450 (−)400 〔出所〕月勿0れVolⅠ,p27 た。52)その結果,1949年度に850億円計上された補助金は,第17表のように1950 年度には450億円へと激減する。 地方配付税も,さきに指摘した国庫補助金と同じような問題点を持つために, 平衡交付金に改められるべきであると勧告された。「平衡交付金は地方団体に対 する国家の細々とした統制を最小限度のものにするような交付金である。」53) そして,「各地方に交付される金額は,合理的だが最小限度の標準的行政を行う と仮定した場合の歳入の予想必要総額から利用しうる税の適当な標準税率によ る歳入額として表わされる予想財源を控除したもの」54)であり,「中央政府の配 付する金額はそれぞれの地方当局に支払われる金額の合計」55)となる。そして,1950年度の平衡交付金は1,200億円となり,1949年度の配付税580億円の2倍以
上になる。 最後に地方団体の起債権限である。勧告は,「地方団体の起債権限はきわめて 厳重に制限されている。」56)として,起債を地方団体の自由にすることを提案し た。そして,地方債の純起債額180億円を,1950年度には350億円に増額するこ とが勧告された。57) 以上が地方税財政制度改革に関するシヤウプ勧告の概略であるが,それは, 52)乃まdリp A20 53)乃∠dリp A26 54)乃寝リp A24 55)乃寝 56)撤d,pAl 57)乃∠♂リVolⅠ,p28戦後の香川県の地方財政 −6J− 今日,わが国の地方財政の研究者によって高く評価されている。たとえば,藤 田教授は「シヤウプ勧告は,…旧来の日本の伝統に捉われず,新しい発想と詳 細な構想にもとずいて,いろいろ優れた進歩的な諸改革を提示した。この意味 において,『勧告』は,日本の永い地方財政の歴史において,まことに画期的な 意義を持つものであり,高く評価されなくてはならない。」58)という。また,吉 岡教授は,シャウプ勧告は占領軍によっておしすすめられた民主化政策の「頂 点に立」59)ち,地方独立税と平衡交付金を結び付けた地方税財政制度は「世界に 例をみない優れた民主的制度」60)であるとほめちぎる。61)香川県の財政当局も, 当時,「今後シャウプ勧告案によって従来の財政制度の欠陥が改められることを 期待」62)していると述べた。 58)藤田,前掲書,279−280ページ。 59)吉岡健次『現代日本地方財政論』東洋経済新報社,1963年,53ページ。 60)吉岡健次他『シヤウプ勧告の研究』時潮社,1984年,43ペ・−ジ。 61)なお,シヤウプ勧告の評価をめぐる,主として左翼の研究者の1950年代までの右往左往 については,吉田震太郎「シャウプ勧告の再評価について」,『経済成長と財政金敵』(鈴 木武雄教授還暦記念論文集),至誠堂,1962年,をみよ。しかし,不思議なことに,この 論文では,藤田教授の研究がまったく無視されている。藤田教授は,シヤウプ勧告直後に 刊行された著作において,シヤウプ勧告も「ドッジ・ラインの−・環をな」(藤田『地方財 政論』三笠番房,1951年,110ペ・−ジ)し,「なかなか複雑な性格をもつ」(同上雷,116ペ −ジ)が,勧告の狙いは「民主的地方自治の推進にあることは,明らかであり,私たちは, 勧告のこの意図を高く評価せねばならない。」(同上昏,109ページ)とした。そして,シ ャウプ勧告についての教授の評価は,その後もー・賢しており,変化はないようにおもう。 他方,シヤウプ勧告をいったんは批判したが,その後擁護する側にたった研究者の1人 に,島教授がいる。地方の人民のカを結集した民主的中央集権を力説する島教授は,シヤ ウプ勧告の推奨する「地方自治」は観念の中にだけに存在し,「このような古典的自治を 支える条件は戦後においても,戦前においても存在しない」(島恭彦『現代地力財政論』 有斐閣,1951年,220ページ)として,シヤウプ勧告を全面的に否定した。そして,古典 的地力自治は人民の意志を地域的に分散してしまうものであり,地力の問題すら解決で きない。現代の地域の問題を本当に解決するためには,民主的中央集権を樹立しなければ ならないとしたのである。ところが,島教授は,1956年にそのような主張を自己批判し, シャウプ勧告における「独立税プラス地方財政調整制度という地方財政改革の構想」を, 「私達自身再びその実現を考えてみることは無益ではない。」(島「地力自治擁護の論理」, 『経済論敢』(京都大学),第78巻第3号,1956年9月,8ペ・−ジ)として,シヤウプ勧告 と古典的地方自治を擁許する態度に転じたのである。 62)『財■政事惜』第4回,1949年11月,1ページ。
ー62− 香川大学経済学部 研究年報 29 エ9&9 ところで,シヤウプ勧告にもとづく地方税財政改革に関する法案の帰趨につ いてのべれば,ほぼ勧告どうりの地方税法改正案が1950年3月末に第7国会に 提出されたが不成立となり,地方財政平衡交付金法だけが成立した。地方税法 改正案は,同年7月の第8国会に再び捏出され,付加価値税実施の2年延期と 固定資産税率の軽減という2点の修正をうけてようやく成立し,1950年8月か ら実施された。 シヤウプ勧告にもとづいて成立した税財政制度の改正の結果,香川県の財政 はどのように変化したであろうか。まず最初に−・般会計の歳入の構造について みる。第18表をみよ。まず第1に県税収入であるが,税収は1949年度の5億6,643 万円から1950年優には5億5,768万円へと減少し,歳入にしめる割合も24.4%か ら186%へと大きく縮小した。このことは,県の財政当局にとって「全ぐ予期 に反した結果」63)であり,県の首脳部にとっても大きな衝撃であった。金子政則 副知事は,「本年は地方財政〔にとって〕最悪の年」叫と言い,阿河準一腰務部 長は,「平衡交付金がいくらもらえるかということがはっきりするまでは,おさ きまっくら」65)と言っている。しかし,県税収入の縮小はシヤウプ勧告の当然の 帰結であった。すなわち,県の主な税源は,事業税,入場税,遊興飲食税の3 税であったが,その中心は,第19表のように事業税であった。しかし,事業税 は,農林業等の第一・次産業には課税されなかったし,免税点も引き上げられた ため香川県のように農業や中小企業の多いところでは大幅な税収が期待できな かった。また,入場税や遊興飲食税は都市的な税であり,これまた香川県のよ うに都市部の少ないところではあまり税収が見込めなかったのである。ところ が,事業税収入は1951年度には前年度を60%も上回って8億9,930万円に達し歳 入にしめる割合も22.1%に上昇したが,これはひとえに朝鮮動乱による特需景 気のためであった。66)しかし,ここに端的に示されるように,景気変動によって 63)同上,第7回,1951年5月,16ページ。 64)『香川県議会史』第1巻,296ページ。1950年8月2日の県議会。 65)同上。 66)県の財政当局は,朝鮮動乱のため「法人事業税において2億円余の増収を期待できるこ ととなり」,「望外の幸」(『財政事情』第9回,1952年5月,2ページ)であるとした。
ー63− 戦後の香川県の地方財政 第18表 県歳入の推移(・−・般会計) (単位1,000円) 1950年度 1951年度 1952年度 1953年度 1954年度 区 分 金 額 百分堵 金 額 百分比 金額 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 県 税 557,677 i86 899,302 221 807′654 139 合30,376 133 988,992 141 地方財政平衡交付金 1,101,843 367 1r285′239 317 1,554,414 芦67 1,447,723 232 a)1,505,183 214 地力淡与税 262,626 国庫支出金 756,396 253 812,350 200 1522L693 2(∋3 2,138,231 342 2,358,851 財 産 収 入 4983 02 11,9、72 03 26,929 05 57ハ744 09 28769 04 分担金及び負担金 83,836 28 58,739 14 102021 18 26,祁1 04 15,447 02 使用料・手数料 84841 28 120543 30 139/717 24 191038 30 203338 29 寄 付 金 62,087 21 73,285 18 190120 3 3 146,130 23 133,307 19 繰 入 傘 4,000 繰 越 金 雑 収 入 136324 46 301L605 74 407,319 70 410,852 66 475557 6、8 県 債 191,585 64 359,300 88 620,000 107 649,000 104 739,5、70 10ノ5 合 由 2,993,956 1000 4,065,283 1000 5,796,886 1000 6,245,023 1000 7,017,742 1000 〔注)金額は決算額である。ただし,1′000円未満を4拾5入したため,合計の金額と各項目の合計とは必ずしも一致しない。 a)1954年度は,地方交付税交付金である。 (出所一】r香川撮統計年鑑j各年度版。 第19表 県税収入の内訳 (単位1.000円) 1950年度 1951年度 1952年度 1953年腰 1954年度 区 分 金 額 百分比 金 徽 百分比 金 緻 百分比 金 額 百分比 金 額 百分比 県 民 胡 117,249 118 12′206 22 13,777 12 22′212 27 自動車税 不軌塵取得税 15,784 漁業権現 293 2如 狩猟者税 2L301 1,511 02 鉱 区 税 56 00 92 00 58 00 101 00 202 00 遊興飲食胡 46 738 84 64,211 匹 69674 86 78339 94 81,660 83 事 業 税 32154」7 57−7 県たぼこ消費税 79,306 80 娯楽施設利用哉 13013 13 141 特 別 所絡税 16′539 30 18 778 21 14.2、72 18 15309 18 旧法による税収入 79,098 142 9.647 944 01 443 01 2,388 02 計 557,6ナ7 1000 899.302 1000 80‘7,654 1000 830,376 1000 988,992 1000 〔注)金紋は決算敬である。ただし,1000円未満を4捨5入したため,合計の金額と各項目の合計とは必ずしも一致しない。 〔出所〕r香川県統計年鑑J各年度版。
叫64− 香川大学経済学部 研究年報 29 J恥土) 税収入が激しく変動するという欠陥を県税収入が持つことになったのである。 そして,1945年度−49年度において増大傾向にあった県税収入が1950年度以降 歳入にしめる割合を低下したことは,財政当局に危機感をもたらした。第9回 の『財政事情』は,「本県のように税収入が全予算の15%程度では到底財政の自 主性を確保することは出来ません。」67)といい,同じく第13回の『財政事情』は, 1953年度の最終予算における県税収入の比率が「僅か11%という低率」であり, 「本県財政が自立性乃至自主性に乏しい事実を端的に表現しています。」68)と言 っている。 ところで,縮小した県税収入に代わって歳入の第1位に躍りでたのは,地方 財政平衡交付金であった。それは発足当初から総額が抑制されたとはいえ,配 分が道府県に傾斜するとともに義務教育費国庫負担金その他の一部の国庫支出 金が平衡交付金に切換えられたため,大きく増額された。1950年度についてみ ると,平衡交付金は当初予算では4億6,184フぎ円が計上されたが,10月議会では