諸 支 出 費 60,318 2 1 108,502 2.0 328,172 4.9 計 2,851,008 100 0 5,452,218 100.0 6,729,237 100.0
〔注〕金額は決算額である。ただし,1,000円未満を4捨5入したため,合計の金額と各項 目の合計とは必ずしも・−・致しない。
a)庁費の他に財産費,統計調査費,選挙費を含む。b)職員給与改善費9,174万7 千円を含む。
〔ニ出所〕『香川県統計年鑑』各年度版。
幅に増加しているが,これは1954年度に警察制度が改正され,国家地方警察及 び市町村自治体警察が県警察へ移管されたためである。
ところで,シヤウプ勧告にもとずいて1950年に成立した地方税制は,勧告が 地方税制改革の中軸と考えた付加価値税が施行を延期されたことに加えて,税 収入の地域的偏在とその不安定性,産業間の負担の不均衡,市部と郡部の間の 税負担のアンバランスなどの欠陥を露呈した。香川県の財政当局も,「事業税,
入場税,遊興飲食税は共に景気変動を受け易い不安定な税であると共に,事業 税,特別所得税の負担者は県民の極く一部に限られており又入場税,遊興飲食 税も地域的に都市部に偏在しているのであって,従来の県民税,地租,家屋税 の如く住民全体を対象とした普遍的な税が全くなくなっている」73)と批判して
73)『■財政事情』第7回,1951年5月,17ページ。
−6■7−
戦後の香川県の地方財政
いる。たとえば,個人事業税の課税対象人員は25,553人で全世帯数191,288世帯 の13.4%であり,特別所得税の課税対象人員は25,078人で,同じく13い1%であ ったのである。そこで,県の議会当局も,「府県民全体に普遍的な税源を保障し,
府県民の一体的共同体的意識を培養する」74)府県民税の創設を主張した。
1954年5月にはシヤウプ勧告を大幅に解体させる地方税制の改正が行われ
た。すなわち,道府県民税が創設されるとともに,付加価値税が廃止され,特 別所得税が事業税に統合された。そして,シヤウプ勧告で廃止された不動産取 得税が道府県税として復活し,新たにたばこ消費税が道府県と市町村に設けら
れた。また,入場譲与税と揮発油譲与税とからなる地方譲与税が誕生した。か くして,県税収入の中心は,第19表にみるように,事業税,県民税,たばこ消
費税,遊興飲食税の4税であり,それらで県税収入の90%をしめた。特に県民 税の復活について財政当局は,「県民の皆様が応益の原則にもとづいてひとしく 負担を分かち合うとともに,直接県に対し税を納付することによって県政に対 する−・段と強い発言権をかちえ」75)たとして,高く評価した。そして,1954年に 成立した地方税制は,藤田教授によれば,今日の地方税制の「土台」76)となり,
「〔昭和〕30年代以降の高度成長期の資本蓄積中心の地方税制への出発点」77)に
なったということであるから,シヤウプ勧告と並ぶ重要性をもつと言ってよい
であろう。また,地方税制の改正と同時に,地方財政平衡交付金が廃止され,地方交付 税交付金が成立した。地方交付税は,所得税,法人税,および酒税の収入見込 額の100分の22を原資とする。配分方法は,いちおう平衡交付金の方式を継承し たが,普通交付税が財源不足額に足りない場合には財政需要額を圧縮すること にしたため,その財政調整機能が弱められた。藤田教授は,「これは,明らかに シヤウプ勧告が非難した旧配付税への逆転である。」」78)という。
74)香川県議会事務局『香川県政の莱』1952年,66ページ。
75)『財政事情』第14回,1954年11月。20ページ。
76)藤田武夫『日本地方財政の歴史と課題』同文館,1987年,98ページ。
77)藤田『現代日本地方財政史』中巻,75ペ・−ジ。
78)藤田『日本地方財政の歴史と課題山102ページ。
ー6β− 香川大学経済学部 研究年報 29 Jガ9
第22表 県財政−・般会計における形式収支の推移
(単位1,000円)
区 分 1950年度 1951年度 1952年度
歳 入 合 計 (㈲ 2,993,956 4,065,283 5,796,886 う ち 前 年 度 繰 越 金
11,883 142,948 422,017
歳 出 合 計 (功 2,851,008 3,643,266 5,452,218 形 式 収 支(A − B)忙)142,948 422,017 344,668
忙)/(心(%) 4.8 10.4 5..9
〔出所〕『香川県歳入歳出決算音』1950年度−52年度。
ここで香川県の一腰会計に限定して1950年度−52年度の形式収支の推移を見
れば,第22表のようである。まず第1に,歳入にしめる形式収支の黒字の割合 が1951年優には著しく高くなっていることである。第2に,これらの年度にお いても,これ以前の期間と同様に形式収支の黒字がすべて翌年度に繰り越され
(ママ) ていることである。『財政事情』によれば,1951年度の形式収支残額「4億2,100
万円」「の大部分は純粋な剰余金でなく,財源の確定が年度末となったため翌年 度に事業を繰り越したものであり」,79)1952年度の3億4,467万円「の中には,支 払いを昭和28〔1953〕年度に延期したものや,事業の執行を昭和28年に繰り越
したものが相当額含まれており,実質的には,繰越金が殆どない状況であ」抑っ
た。したがって,実質収支はほとんど0に近いものであったであろう。以上は−・般会計についての分析であるが,次に特別会計についてごく簡単に みておく。この期間の特別会計は第23表のように,全部で7つであった。歳出 規模からみるとこの期間の中心は病院費特別会計であり,それに次ぐものが競 馬費特別会計であった。しかし,1952年度に自転車競技費特別会計が発足し,
病院費につぐ歳出規模になった。病院費は,前の時期と同じように中央病院,
津田病院,丸亀病院,三豊病院の会計であり,歳出の主なものは吏員給,職員
手当などの人件費や病院建設費であり,歳入の中心は病院使用料であった。そ 79)『財政事情』第11回,1953年5月,20ページ。80)同上,第12回,1953年11月,19ペ・−ジ。
戦後の香川県の地力財政 −6■9_
第23表 特別会計決算額の推移
(単位1,000円)
区 分 1950年度 1951年度 1952年度
転 貸 資 金 72 47
災 害 救 助 基 金
1,008
01,380
病 院 費62,423 71,891 110,842
印 刷 所 費8,690 8,395 11,371
競 馬 費31,891 35,560 58,383
農 業 高 等 学 校 実 習 費1,136 1,237
a)1,729自 転 車 競 技 費