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▲雲取山 国分寺崖線 立川崖線

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(1)

資料1-2 「資料編報告書(案) 」

内容

1. 東京の地形 ... 1-1 引用文献 ... 1-4

(2)

1-1

1. 東京の地形

東京都の地形を西から東方向にみると、標高 2 千~数百 mの「山地」(最高地点は雲取山 2,017 m)、続い て、標高 350~55 m程度の丘陵地、標高 50~8 m程度の台地(武蔵野台地)、標高約 8 m以下の低地が分布し ています。山地や丘陵は、尾根や谷の起伏に富みますが、台地や低地では比較的平坦な面からなります。

台地上の河川は、大局的には東京湾に向かって西から東へ流れています。これに対して低地に位置する川は、

北から南に流れていることが特徴です(図 1-1 参照)。

図 1-1 東京都の地形鳥瞰図

基盤地図情報 5m メッシュ標高データ[1]を用いて作成

比較的平坦な台地も詳細に観察すると、平坦面 (段丘面) と急崖 (段丘崖) からなる階段状の地形を複数段 確認することができます。武蔵野台地では、地形的に古い方から多摩面(山地)、下末吉面、武蔵野面、立川面 と呼ばれる4つの河岸段丘が広がり、多摩川に向かって徐々に平坦面の標高が低くなっています(図 1-2~図 1-4 参照)。各段丘面を隔てる急崖のうち、特に立川崖線と国分寺崖線は湧水が多く、市街地の親水空間として、

また野鳥などの生活空間として貴重な自然地となっています

図 1-2 東京都全域の地形区分図

(一社)東京都地質調査業協会 技術ノート No.44[2]より

▲雲取山

国分寺崖線 立川崖線

(3)

1-2

図 1-3 多摩川左岸に見られる段丘崖の地形鳥瞰図

基盤地図情報 5m メッシュ標高[1]を用いて作成(縦スケールを 30 倍)

図 1-4 多摩川左岸の段丘面と断面図のイメージ

(4)

1-3

東京を含む広大な関東平野では、度重なる気候変動や海面の上昇・低下の繰り返しが起きました。東京の階 段状の段丘は、このような海面変動と地殻変動が複雑に絡み合って、今から約 10 万年~2 万年前ごろにかけて 形成されたものです。

①最終間氷期(12~13 万年前)

現在よりも海水面が高く、東京は西側の山地のみが陸となっており、山地から河川を通じて運搬、供給さ れた礫・砂・泥が、海底へと堆積していました。

②最終氷期(1.5~2 万年前)

寒冷化に伴って気温と共に海水面が大きく低下して、現在よりも広範囲に陸が広がっていたと考えられて います。古東京川では、この間に河川が地面を削り取り、深い谷が形成されました。

③後氷期(6000 年前、縄文時代)

温暖化気候により海水面が上昇し、水面下では粒子の細かいシルトや粘土は、奥東京湾の過去の谷を埋め るように堆積しました。

④現 在

縄文時代以降は海水面が低下して、水を含む軟らかい堆積物を主体に構成された低地も陸となり、現在の 地形が形作られました。

図 1-5 関東平野(南部)の地形変遷と埋没谷の分布

貝塚爽平(1992)「平野と海岸を読む(自然景観の読み方 5)」[3]に加筆 現在の海岸線

③ 後氷期(6000 年前) ④ 現 在

埋没谷

① 最終間氷期(12~13 万年前) ② 最終氷期(1.5~2 万年前)

-80 -60 -40 -20 0 20 40

0 500 1000 1500 2000

m

埋没谷 現在の地形面

古東京湾

(5)

1-4

引用文献

[1] 国土地理院, 基盤地図情報ダウンロードサービス, https://fgd.gsi.go.jp/download/menu.php.

[2] 一般社団法人東京都地質調査業協会, 技術ノート No.44, https://www.tokyo-geo.or.jp/technical_note/.

[3] 貝塚爽平, 平野と海岸を読む(自然景観の読み方 5), 1992.

(6)

内容

2. 東京の気候 ... 2-1 2-1 気象条件 ... 2-2 2-2 近年における気象変化 ... 2-3 引用文献 ... 2-4

(7)

2-1

2. 東京の気候

地球上の「水」は、目に見える海水や河川水だけでなく、海洋や地表では太陽エネルギーを受けて水が蒸発 し、上空で冷やされて形成された雲や雨、雪などがあります。これらの水は樹木や地表から地下に浸み込むこ とで地下水となって海へ戻り、絶えず循環しています。このような地球規模での水の循環を「水循環」といい ます。

降水量や気温などによって水の循環する経路や、循環速度が変化するため、気候と水循環は密接な関係にあ ります。

図 2-1 水循環の概念図

政府広報オンラインホームページ [1]より

(8)

2-2

2-1 気象条件

東京都の年間平均気温は 6~16℃程度と幅があり、高標高の山地で低く、台地・低地で高い傾向にありま す。特に、東京湾沿岸の都心では、周辺よりも気温が高いことがわかります(図 2-2(a)参照)。

東京都の年間降水量は、1400mm~1700mm 程度であり、全体として山地・丘陵が多く、低地で少ない傾向に あります。また、小沢や八王子付近の山地と丘陵の境界付近は、降水量の多い地域であることがわかります (図 2-2(b)参照)。

(a)気温

(b)降水量

図 2-2 東京の気象特性

基盤地図情報メッシュ平年値 2010 [2]を用いて作成、地点名は気象庁アメダス観測所を示す

(9)

2-3

2-2 近年における気象変化

図 2-3 に示すとおり、東京の年平均気温は 100 年で 2.5℃上昇していますが、年間降水量は大きく変わ っていません。

一方で、平成 24 年(2014)年 11 月に学識経験者等からなる「中小河川における今後の整備のあり方検討 委員会」の報告によると、都内に設置された観測所において、時間 50mm を超える降雨の発生率が増加傾向 にあることが示されています(図 2-4 参照)。また、時間 50mm を超える降雨の発生頻度は、特に環状六号 線から環状八号線付近で頻発していることが確認できます(図 2-5 参照)。

このような局地的大雨(いわゆるゲリラ豪雨)では短時間で多量の降雨があっても、雨水は地表面から浸 み込む間もなく、大部分が河川や海へと速やかに流れてしまうため、将来さらにゲリラ豪雨の頻度が増す ことで、これまでの水循環系が大きく変化してしまう懸念もあります。

※△:⾧期変化傾向(赤直線)を評価するにあたり、観測場所の移転による影響は補正されており、その前後でデータは均質であることを示す。

図 2-3 東京の年平均気温と年降水量の推移

気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT) [3]より

図 2-4 時間 50mm を超える降雨の発生率経年変化

東京都内の中小河川における今後の整備のあり方について最終報告書(2012) [4]より

図 2-5 時間 50mm を超える降雨の発生頻度分布

東京都内の中小河川における今後の整備のあり方について最終報告書(2012) [4]に一部加筆より 環八 環七 環六

(10)

2-4

引用文献

[1] 政府広報オンライン, https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201507/4.html.

[2] 国土地理院, 基盤地図情報ダウンロードサービス, https://fgd.gsi.go.jp/download/menu.php.

[3] 機 構 変 動 適 応 情 報 プ ラ ッ ト フ ォ ー ム (A-PLAT), https://adaptation- platform.nies.go.jp/map/Tokyo/index_past.html.

[4] 東 京 都 建 設 局 , 東 京 都 内 の 中 小 河 川 に お け る 今 後 の 整 備 の あ り 方 に つ い て 最 終 報 告 , https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/river/chusho_seibi/chusho_arikata/index_chusho_arikata.

html, 2012.

(11)

内容

3. 東京の人口 ... 3-1 3-1 人口推移と水利用 ... 3-1 3-2 土地利用 ... 3-3 引用文献 ... 3-4

(12)

3-1

3. 東京の人口

3-1 人口推移と水利用

(1) 上水道の整備

東京の人口は、太平洋戦争の一時期をのぞいて増加傾向にあります(図 3-1 参照)。特に高度経済成長期に は急激な水需要増加に伴い、まずは安定した飲料水の確保を目的とした上水道の整備が課題でした。徳川家 康が、天正 18(1590)年に江戸へ入府した以降は、多摩川水系の表流水が主な水道水源として用いられてお り、明治 31 年(1898 年)には玉川上水の導水路を活用して、現在東京都庁が存在する場所に淀橋浄水場が 完成し、この頃から東京の近代水道の歩みが始まりました。

戦後の復興期から高度経済成長期に入ると水道需給はさらに逼迫し、これを補うように小河内ダムが 1957 年に竣工しましたが、1964 年の東京オリンピック開催時には、すでに多摩川水系における水源確保は限界を 迎えてしまいました。この課題を解決するため、水道水源をより遠くの表流水に求めることで対応した結果、

利根川を水源とする拡張事業が行われました。そのため現在の東京では、図 3-2 に示すように荒川水系や利 根川水系の表流水を水道水源に利用している自治体が大半を占めています。一方で、図 3-2 の白抜きで示し た市町村は、東京都水道局の管轄外にあたり、市町村域の表流水や地下水を水道水源に利用しています。

(2) 工業用水の整備

区部低地部では、16 世紀(江戸時代)から都市が発展しはじめ、特に高度経済成長期にかけて、急激に都 市化が進行しました。都市化の過程では、土地の造成や干拓・埋立てによる陸地の拡大や河道の付け替えと ともに、工業用水としての被圧地下水の利用や水溶性天然ガス採掘が盛んに行われました。

これら多量の地下水揚水の結果、広域的な地盤沈下を招いてしまったことから、地下水揚水規制の代替水 を供給するための工業用水道事業が行われ、区部低地の大部分に配水されるようになりました。工業用水の 供給とともに、地下水揚水規制の強化、揚水規制区域の拡大等が図られた結果、昭和 50 年代以降、地盤沈下 は沈静化し、都内全体の地下水揚水量も減少傾向にあります(図 3-3 参照)。

図 3-1 東京の人口の推移

東京都総務局総計部「東京都の統計」 [1]より

859,345

13,971,109

0 2,000,000 4,000,000 6,000,000 8,000,000 10,000,000 12,000,000 14,000,000 16,000,000

明 治 5年 明 治 13 年 明 治 21 年 明 治 29 年 明 治 37 年 大 正 元 年 大 正 9年 昭 和 3年 昭 和 11 年 昭 和 19 年 昭 和 27 年 昭 和 35 年 昭 和 43 年 昭 和 51 年 昭 和 59 年 平 成 4年 平 成 12 年 平 成 20 年 平 成 28 年 令 和 2年

(人)

太平洋戦争

高度経済成⾧期

(13)

3-2

図 3-2 東京の水道水源と浄水場別給水区域

東京都水道局ホームページ [2]より

図 3-3 東京都における地下水揚水量の推移

「令和元年 都内の地下水揚水の実態(地下水揚水量調査報告書)」 [3]より作成

分類なし

上水道等 指定作業場 工場

かん水 0

500 1000 1500 2000 2500 3000

25 28 31 34 37 40 43 46 49 52 55 58 61 4年 7年 10 13 16 19 22 25 28

(千/年)

※昭和28年:地下水揚水量のデータなし

※昭和45年まで:事業書の種類の分類なし

※平成12年:指定作業場と工場は合算(斜線部)

→ 26 S

35 S 37 S

41 S 47 S 45 S

63 S

13 H

31 S

(14)

3-3

3-2 土地利用

明治 21(1888)年の東京都では、水はけのよい台地は畑、低地には田が広がっており、地形や土地の特性を 生かした耕作が行われていました。この頃は、現皇居周辺のみに市街地が密集していましたが、人口増加に 伴って土地利用も大きく変化し、都市化が時代とともに西側へひろがっていきました。

都市化が進むと利便性は高まりますが、畑や緑地が舗装されて地面を流れる水量が増加し、地下に浸透す る水量が減少するなど、水循環にも大きな変化を与えている可能性があります。

明治 21(1888)年

大正 3(1914)年

昭和 21(1946)年

昭和 50(1975)年

図 3-4 都市の発展経過と土地利用の変遷

国土地理院「地域計画アトラス 国土の現況とその歩み」 [4]では山地部が含まれていないため、

土地利用細分メッシュ昭和 51 年(1976) [5]を用いて補完し作成

(15)

3-4

引用文献

[1] 東京都総務局統計部, 東京都の統計, https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/jugoki/ju-index.htm.

[2] 東 京 都 水 道 局 ホ ー ム ペ ー ジ , 東 京 の 水 道 水 源 と 浄 水 場 別 給 水 区 域 , https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/suigen/map.html, 2020 年 4 月 1 日.

[3] 東京都環境局, 「都内の地下水揚水の実態(地下水揚水量調査報告書)」.

[4] 国 土 地 理 院 , 「 地 域 計 画 ア ト ラ ス 国 土 の 現 況 と そ の 歩 み 」 , https://www.gsi.go.jp/atlas/kokudo- etsuran.html.

[5] 国土地理院, 国土数値情報ダウンロード, https://nlftp.mlit.go.jp/ksj/gml/datalist/KsjTmplt-L03-b.html.

(16)

内容

4. 東京の地質 ... 4-1 引用文献 ... 4-8

(17)

4-1

図 4-1 の表示範囲

4. 東京の地質

図 4-1 は、区部低地部の地下を断面図として示したものです。最終氷期以前の地層によって台地が形作られ ており、最終氷期以降に堆積した新しい時代の地層(沖積層と呼ぶ)が、低地一帯付近に厚く堆積している様 子が判ります。東京都を含む関東平野の地盤は長い年月をかけて様々な堆積物が幾重にも積み重なることで形 成されています(図 4-2 参照)。古い地層ほど、繰返し地殻変動や断層運動の影響も受けているため、地下深 部では、地層の傾斜が急になっていると考えられています。

図 4-1 区部低地部の地形と地質構成

ホームページ版葛飾区史 [1]より引用、一部加筆

図 4-2 関東平野中央部付近における東西断面図

鈴木毅彦(2020) [2]より引用、一部加筆・縮尺変更

台地・氷期以前の地層 ローム層

沖積層(粘性土主体)

砂礫層

(18)

4-2

ある地域に同じ種類の地層や岩石が分布する場合、「○○層」と名前を付けて呼びます。地層は実際に単独の 地層からなる場合もありますが、「礫層、砂層、粘土層が繰り返し重なっている地層」のように、複数の地層が 組み合わさっている場合もあります。地層の積み重なりやその順序のことを「層序」とよび、ある特定地域に 分布するすべての地層について、その厚さや特徴(層相・岩相)を、時代にそって模式的に表現したものを「地 質層序表」と呼んでいます。

図 4-3 では、時代とともに地層が堆積する環境も大きく異なり、おおよそどの時代にどんな地層が形成され たのかを知ることができます。2020 年 1 月に、国際地質科学連合により認定された「チバニアン」という地質 時代は、現在よりも 77.4 万年前から 12.9 万年前までの期間を指し、概ね下総層群の形成時期と調和します。

←③後氷期の頃

←②最終氷期の頃

←①最終間氷期の頃

図 4-3 東京都区部における地質層序表

納谷ほか(2021) [3]より引用、一部加筆

【語句説明】

時代の「ka(kilo annum)」は、地質学の年代の単位で、

西暦 2000 年を0Ka として、1ka は「1,000 年前」を意 味します。

「テフラ」とは、火山噴出物のうち溶岩を除くものの総称 で、火山灰や軽石・スコリアなどが含まれます。テフラは 広範囲にきわめて短時間に堆積するので、地層の対比に有 効です。

「 MIS」 は 海 洋 酸 素同 位 体 ステー ジ [Marine oxygen Isotope Stage]の略称です。奇数番号のステージが間氷 期、偶数番号が氷期を示しています。

(19)

4-3

A A’

主な帯水層

埋没谷に堆積 した厚い沖積層

沖積層

A A’

C’ B’

C

B

図 4-7 以降の三次元地質モデルの断面図

図 4-4 に記した側線における想定断面図を、図 4-5 及び図 4-6 に示します。東京都における揚水井戸や地 下水観測井は、「北多摩層」よりも上の地層を対象としているが、これら上総層群や下総層群の地層が、東京都 の広域にわたって各層が連続している様子がうかがえます。

このうち、低地一帯に広く分布する沖積層は、粘土質でもともと多く水を含んでいるため、柔らかく、地下 水の過剰な揚水によって内部の水分が絞り出され、不可逆的な収縮を起こすことがわかっています。

図 4-4 代表断面の側線位置図

基盤地図情報 5m メッシュ標高データ [4]を用いて作成

図 4-5 武蔵野台地~東京低地に至る東西断面図

遠藤 毅(2010) [5]より引用、一部着色・加筆 断面図のうち、深部の白抜き箇所は調査データがなく未解明な部分

(20)

4-4

図 4-6 武蔵野台地~東京低地に至る南北断面図

遠藤 毅(2010):東京における深層地下水の研究-地下水利用の今後に向けて- [5]より引用、一部着色・加筆

C C’

主な帯水層

B B’

(21)

4-5

図 4-5 および、図 4-6 に示した断面図において、最下部に表現された北多摩層は、固結したシルトから構 成され、地下水を通しにくいことから、上総層群中の被圧地下水はこの北多摩層よりも浅い部分に分布してい ると考えられています。この北多摩層は、大田区~世田谷区付近で浅く、北に向かって徐々に上面深度が深く なり、足立区付近では深度 500m にまで達していることが知られています。

図 4-7 東京都における北多摩層の上面深度 [6]

図 4-8 三次元地質モデルによる断面図と北多摩層上面の分布

遠藤毅(2009) [6]をもとに作成、基盤地図情報 5m メッシュ標高データ [4]と合成

(22)

4-6

図 4-5 および、図 4-6 に示した断面図において、舎人層の最下部に表現された城北砂礫層は、透水性が高 く連続性の良い砂礫層であることから、被圧地下水の帯水層として知られています。この城北砂礫層は、東大 和~府中~調布付近で浅く、さらに低地部では急速に、高砂付近では標高-500m にまで達するとされています。

図 4-9 東京都における城北砂礫層の基底標高 [7]

図 4-10 三次元地質モデルによる断面図と城北砂礫層基底の分布

遠藤・川島・川合(1995) [7]をもとに作成、基盤地図情報 5m メッシュ標高データ [4]と合成

(23)

4-7

図 4-5 に示した断面図において、東京低地の部分には、最終氷河期以降に堆積した新しい時代の地層(沖積 層と呼ぶ)が低地一帯付近に厚く堆積し、これよりも過去に存在していた谷が地下深部に埋没谷として残置し ています。これら埋没谷の分布や詳細な地形は、主にボーリング調査等によって明らかにされ、複数段の段丘 から、かつて東京湾へと注ぐ大河が地面を浸食した歴史を読み取ることができます。

図 4-11 東京都における沖積層の基底標高 [3]

図 4-12 三次元地質モデルによる沖積層の分布

納谷ほか(2021) [3]をもとに作成、基盤地図情報 5m メッシュ標高データ [4]合成

(24)

4-8

引用文献

[1] 葛飾区史, https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/1-2-1-25.html.

[2] 鈴木毅彦, 上総層群のテフラから復元する東北日本弧における巨大噴火史と関東平野の形成史, 日本地質学会関 東支部シンポジウム, 2020 年.

[3] 納谷ほか, 都市域の地質地盤図「東京都区部」(説明書), 2021.

[4] 基盤地図情報ダウンロードサービス, 国土地理院.

[5] 遠藤毅, 東京における深層地下水の研究-地下水利用の今後に向けて-, 2010.

[6] 遠藤毅, 南関東地域における地下水問題の歴史と今後の課題-東京都を主体にして, 2009.

[7] 遠藤・川島・川合, 北多摩地区の地下地質, 1995.

(25)

内容

5. 東京の地下水 ... 5-1 5-1 地下水とは ... 5-1 5-2 東京の地下水 ... 5-3

(1)

東京の帯水層 ... 5-3

(2)

不圧帯水層における地下水の流れ ... 5-4

(3)

被圧帯水層における地下水の流れ ... 5-5 引用文献 ... 5-9

(26)

5-1

5. 東京の地下水 5-1 地下水とは

地下水は地層中に含まれる礫・砂の隙間や、岩盤の割れ目を主体に流れています。地下水で満たされ、水 の通りが良い地層を「帯水層」、粘土層などからなる水を通しにくい地層や、岩盤を「難透水層」と呼びます。

難透水層が上部に存在しない帯水層を「不圧帯水層」、不圧帯水層に含まれる地下水「不圧地下水」と呼び ます。不圧地下水は、地表からの雨水浸透、大気圧の変化や井戸等での揚水によって地下水位が変動しやす い特徴があります。また、不圧地下水の流速は後に説明する被圧地下水に比べて早く、台地の崖下や丘陵の 谷間から湧水となって地表に湧出します。一方、上下を難透水層に挟まれており、地下水が大気圧以上の圧 力を受けている状態にある帯水層を「被圧帯水層」、被圧帯水層に含まれる地下水「被圧地下水」と呼びます。

図 5-1 地下の地質構造と地下水流動の概念図

「地下水位」とは、井戸の中に表れる水面の位置をいい、標高(T.P)又は地表からの深さ(GL マイナス)

で表します。厳密には、「不圧地下水」の水位を地下水位と呼び、「被圧地下水」のそれは「被圧水頭」と呼 んで区別されますが、本報告書では混乱を避けるため、被圧地下水でも「地下水位」に統一して表現・記述 しています。

(27)

5-2

水は「高い」ところから「低い」ところへと流れますが、この「高い」「低い」というのは単に位置だけ の話ではなく、エネルギーの状態を指します。地下水のエネルギーは、位置エネルギー・圧力エネルギー・

速度エネルギーに区別され、各エネルギーはそれぞれ地下水の高さに置き換え、位置水頭・圧力水頭、速 度水頭として表現します。地下水の流れる速度は極めて遅く、速度水頭は他の水頭に比べて無視できるほ ど小さいため、地下水のもつエネルギー(水理水頭)は、圧力水頭と位置水頭の和で表すことができます。

具体的には、図 5-1 に示すように、井戸の下端が位置水頭、井戸の下端から水面までの高さが圧力水頭 に相当するので、その合算値となる井戸内の地下水位が水理水頭となります。

図 5-2 に示すように、複数地点で井戸内の地下水位を調査し、地下水位が同じ値の地点を線で結ぶと、

地下水位等高線を書くことができます。地下水は、地下水位が「高い」ところから「低い」ところに向か って、地下水位等高線に直交するように流れます。

しかし、複数の井戸から地下水が揚水されているような都市域では、図 5-3 に示すように、水利用実態 に応じて絶えず地下水位が変化するので、地下水の流れはとても複雑で、その実態を把握するには長期に わたる専門的な研究が必要です。

図 5-2 地下水位等高線から推定される地下水の流れ

図 5-3 帯水層の地質構造と地下水流動の概念図

日本の地下水(農業用地下水研究グループ)[1]をもとに作成、一部着色・加筆

50m

50m

45m

50m

40m

40m

40m 35m

主たる地下水の流れ

(28)

5-3

5-2 東京の地下水

(1) 東京の帯水層

図 5-4 は、図 4-4 A-A’線を深度方向に断面で表し、帯水層や難透水層を色分けしたものです。同図 に示すように、東京都の地下水は、武蔵野台地の地下に分布する「武蔵野礫層」や「立川礫層」に代表さ れる段丘砂礫層や、現河床砂礫といった不圧帯水層を流れる浅い地下水と、「上総層群」、「下総層群」、「七 号地層」中に分布する難透水層によって加圧され、被圧帯水層を流れる深い地下水に大別されます。

不圧帯水層を流れる浅い地下水では、圧力水頭が低いので、地下水位はほぼ位置水頭によって決まり、

山地、丘陵地及び武蔵野台地に降った雨水は、立川礫層や武蔵野礫層などの水を通しやすい地面から地下 に浸透し、帯水層の分布に沿って流動しながら、大局的には西から東方向に向かって流れていると考えら れています。

一方、東京低地では、地表近くに「有楽町層」という厚い難透水層が分布しているため、地表から雨水 や不圧地下水が直接的に浸透しにくいという特徴があります。

台地と低地における地下水流動系の実態を明らかにするため、東京都では、大学等と連携して、観測井 の地下水位のほか、地下水の溶存物質を調べることで、地下水がどこで涵養され、どのような経路で流動 し、どこに流出しているのか等の、調査研究を進めています(詳細は後述)。

図 5-4 武蔵野台地~東京低地における帯水層区分の概念図

遠藤 毅(2010) [2]より引用、一部着色・加筆

A A

有楽町層以深 は被圧帯水層

沖積層

主に不圧地下水を含む帯水層 主に被圧地下水を含む帯水層 難透水層

(29)

5-4

(2) 不圧帯水層における地下水の流れ

不圧帯水層を流れる地下水の一部は、段丘崖などから湧き水として湧出し河川水へと姿を変えるため、

浅井戸や湧水の標高、河川水位の標高から地下水位等高線図を描くと、不圧地下水の流れを把握すること ができます。

P5-2 でも説明したように、地下水は地下水位等高線と直交する向きに高い方から低い方へ流れるため、

図 5-5 の地下水位等高線図から、武蔵野台地の不圧帯水層では地形に沿って西から東へと扇状に広がるよ うに地下水が流れていると考えられます。

地下水位と地形面の高さが等しい場所では、地下水が湧水として地表に湧き出します。武蔵野台地では、

昭和 30 年代半ばまでは井の頭池、善福寺池、三宝寺池など、扇状地の地形を反映した湧水群が存在してい ましたが、地下水位の低下により、いずれもほぼ枯渇してしまいました。現在、これらの池には被圧帯水 層から汲み上げた井戸水が補給されています。

図 5-5 武蔵野台地における不圧地下水の地下水位等高線図(S49.8 月)

市川正巳、榧根 勇 編著(1978)、細野義純作図[3]、

基盤地図情報 5m メッシュ標高データ[4]をもとに作成、

立 川 吉祥寺

(30)

5-5

(3) 被圧帯水層における地下水の流れ

図 5-6 は、東京都の被圧帯水層における被圧地下水の地下水位等高線です。

本図では、図 5-4 の不圧地下水の流れとは異なり、全体に北東方向へと流れる様子が確認できます。こ れは、図 5-7 の様に被圧帯水層が北東側へと傾いていることや、三鷹市から練馬区にかけて谷筋があるこ とと一致しており、武蔵野台地における被圧帯水層中の地下水も、概ね帯水層の分布に沿って流れている と考えられます。

図 5-6 武蔵野台地における被圧地下水の地下水位等高線

東京都土木技術支援・人材育成センター「令和元年 地盤沈下調査報告書」[5]より

図 5-7 被圧地下水を育む地層の傾き

新藤静夫(1968) [6]より (「A5 層」と呼ばれる地層の底面標高分布図を着色表示)

(31)

5-6

引用文献

[1] 農業用地下水研究グループ, 日本の地下水.

[2] 遠藤毅, 東京における深層地下水の研究-地下水利用の今後に向けて-, 2010.

[3] 市川正巳、榧根勇, 日本の水収支.

[4] 基盤地図情報ダウンロードサービス, 国土地理院.

[5] 東京都土木技術支援・人材育成センター, “「令和元年 地盤沈下調査報告書」”.

[6] 新藤静夫, 武蔵野台地の水文地質, 1968.

(32)

内容

6. 東京の湧水 ... 6-1 引用文献 ... 6-4

(33)

6-1

6. 東京の湧水

湧水は、昔から人々の暮らしと密接に関係しています。野川上流部、黒目川などの湧水周辺では、縄文時代 の生活の跡である遺跡が多数発掘されています。また、三鷹市の井の頭池などは、江戸時代に神田上水へと導 かれ、貴重な飲料水源として利用されていました。

また、社寺とも関係が深く、天平年間に建設された調布市の深大寺は水神と関わりがあり、国分寺市の史跡 国分寺は豊富な湧水の場所に建立されたといわれています。湧水そのものが信仰の対象とされる場所も、世田 谷区の等々力不動尊など都内に数多くあります。

現代においても周辺の自然環境とあいまって、湧水は人々に潤いと安らぎを与え、身近な生き物にふれあえ る場として、都市において貴重なオアシスとなっています。

東京都環境局では、定期的に湧水調査を行っており、その結果を「湧水マップ~東京の湧水~ [1]」として、

ホームページ等で公開しています。平成 30 年度に実施した調査では、608 地点(区部 201 地点、市町村 407 地 点)の湧水が確認されました(表 6-1 参照)。

表 6-1 湧水地点数の確認結果一覧

平成 20 年度 平成 25 年度 平成 30 年度 区部 270 地点 235 地点 201 地点 市町村 406 地点 381 地点 407 地点 合計 676 地点 616 地点 608 地点

※湧水地点数は、区市町村の協力のもと、平成 30 年度に実施した調査の結果です。

調査時期や調査時の天候などにより、地点数が変化することがあります。

図 6-1 東京都内の代表的な湧水

左:国立市 ママ下湧水群、右:東久留米市 南沢湧水群

(34)

6-2

東京の湧水は、多摩川が作った武蔵野台地や、多摩川の支川である秋川、浅川流域に多く見られます。東京 の湧水は、湧水地点周辺の地形や湧出形態から、「崖がいせんタイプ」と「谷頭こくとうタイプ」の 2 種類に分類することがで きます(図 6-2 参照)。

崖線タイプは、台地縁辺部や段丘崖の下端において、粘土層や岩盤等の難透水層の上位にあたる砂礫層やロ ーム層から地下水が湧き出すものです。複数の段丘が隣接する野川付近では、図 6-3 に示すように非常に複雑 な地下水の交流関係があることも知られています。

図 6-2 東京都に見られる湧水のタイプ

東京都環境局発行 東京の湧水マップ(平成 30 年度調査) [1]より

図 6-3 野川付近における地質断面 川合・川島・国分(2014) [2]を参考に作成 関東ローム層

武蔵野礫層

砂礫層 砂 層

砂礫層 シルト層

シルト層 砂 層 →地下水の流れ

浅層地下水面

立川礫層 関東ローム層

国分 寺崖 線

野川

湧水 立川段丘

武蔵野段丘

小金井市

府中市

降雨

関東ローム層

武蔵野段丘と立川段丘が隣り合う野川付近で は、崖下から湧き出した湧水が河川水を経て、再 び地下水として地下に浸透するような、複雑な流 れがあることも知られています 。

このように、地下水は水循環において、雨水と 地表水(河川水、湖沼水、海水)をつなぐ重要な 役割を担っています。

(35)

6-3

谷頭タイプの湧水は、練馬区の区立大泉井頭公園の池、善福寺川は杉並区の善福寺池、石神井川は練馬区の 石神井池や三宝寺池、神田川は武蔵野市の井の頭池など、都内の中小河川を上流側にたどった源流で見ること ができます。

これらの池は、武蔵野台地上に存在し、かつては湧水をたたえ、中小河川の水量を支える重要な水源でした。

しかし、武蔵野台地を中心とし、湧水地点や湧水量の減少が目立つようになりました。その要因として地形改 変や、都市化による田畑や森林の減少、構造物による地下水流動阻害など、様々な事項が考えられています。

一方で、ボランティアの方々が、ゴミ掃除、河川への生活排水防止運動に地道に取り組んだ結果、子供たち が水遊びできるまでの水辺環境となったところもあります。図 6-5 に掲載した東久留米市の落合川では、かつ て源流部にごみが山積し、生活排水の流入があったことがうかがえます。東京都では、身近な自然環境として の湧水等を保護・回復するため、区市町村と連携して湧水保全に取り組んでおり、雨水を浸透する施策の推進 や、湧水等の保護及び回復に関する普及啓発を進めています。

図 6-4 井之頭恩賜公園にかつてみられた地下水プール

左:昭和戦前期のプールの様子。豊富な地下水を利用のため冷たかったという 右:プールは 1983(昭和 58)年に廃止され、現在跡地は日本庭園になっている

このまちアーカイブス「吉祥寺」 [3]より

図 6-5 「平成の名水百選」に選定された落合川における昔と今

左・中:かつての源流部にはゴミが山積し、生活排水が流入していた 右:湧水の流れで遊ぶ子供たちと、川面に繁茂するナガエミクリ

左・中の写真は、東久留米のふれあい情報サイト くるくるチャンネル [4]より

(36)

6-4

引用文献

[1] 東京都環境局, 湧水マップ,

https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/water/conservation/spring_water/spring_water.html, 2018.

[2] 川合将文・川島眞一・国分邦紀, 「河川の水量確保等に関する検討」の成果と課題, 都土木技術支援・人材育成 センター年報, 2014.

[3] このまちアーカイブス「吉祥寺」, https://smtrc.jp/town-archives/index.html.

[4] 東久留米市市民環境会議 第 1 回 写真が語る【東久留米の環境 昔・今】, 東久留米のふれあい情報サイト く るくるチャンネル.

(37)

内容

7. 東京の地下水に関わる問題 ... 7-1 7-1 地盤沈下の発生 ... 7-1

(1) 地盤沈下の歴史 ... 7-2

(2) 地盤沈下対策 ... 7-5 コラム:地盤沈下対策や調査研究に従事された方々の記録 ... 7-12 7-2 地盤沈下の損害対策 ... 7-16 7-3 湧水の枯渇 ... 7-18 7-4 地下構造物の浮き上がり ... 7-19 引用文献 ... 7-20

(38)

7-1

7. 東京の地下水に関わる問題

地下水や湧水は、身近な水源として生活用水や農業用水に利用されてきました。一方で、過剰な地下水揚水 などによって、水循環や地盤に大きな影響を及ぼす要因ともなりました。以下には、かつて東京で起きた地下 水に関わる問題や現在も引き続き抱える課題について示します。

7-1 地盤沈下の発生

かつての東京では、水循環のバランスを崩したことで大規模な地盤沈下が発生しました。発覚当初は原因 が不明とされ、抜本的な対策がなされるまでかなりの時間を要しました。

このため、地盤沈下は長期にわたって継続し、現在でも江東区や江戸川区を中心とした区部低地部にはゼ ロメートル地帯(土地の標高が干潮時の海面(A.P.±0)とほぼ同じ高さの地域)が 124km2にわたって分布し ています。

図 7-1 広域ゼロメートル地帯

東京都建設局参考、基盤地図情報 5mメッシュ標高データ [1]を用いて作成

(39)

7-2

(1) 地盤沈下の歴史

ア.

地盤沈下の顕在化

東京は、明治時代に富国強兵・殖産産業の拠点として発展し、工場数が増加していきました。明治末期 から大正期には、縦横に張り巡らされた運河沿いに工場群が軒を連ね、機械冷却を主体に多量の地下水が 揚水されていました。同時期に地盤の高さを測る水準測量が開始されており、潜在的に地盤沈下が進行し ていた可能性がありますが、明確に地盤が沈下していることが確認されたのは、大正 12(1923)年の関東大 地震の後です。

関東大地震は、東京を中心に甚大な被害を及ぼしました。マグニチュード 7.9 の巨大地震によって、10 万人を超える死者、約 30 万戸の全壊・全焼家屋が発生しました。また、多くの土地で地割れ、沈降、隆起 などが認められたため、地震の影響を調査するために水準測量が積極的に行われるようになりました。こ の過程で、江東区での激しい地盤沈下が発覚しましたが、当時は地震に伴う地殻変動の影響と考えられま した。

ところがその後も地盤沈下は進行し、並行して井戸の枯渇などの地下水障害が相次いで顕在化していき ました(図 7-2(a)参照)。このような中、昭和 9(1934)年に全国的に甚大な被害をもたらした室戸台風によ り、江東区は浸水被害を受けました。

昭和 10 年代に入ると、大阪の地盤沈下を調査・研究していた和達清夫氏(初代気象庁長官)が、人為的な 地下水の揚水により地盤沈下が発生することを発表しました。これにより、東京の地盤沈下の原因が、地 殻変動ではなく、工場等での大量の地下水の揚水であることがようやくわかってきました。しかしながら、

当時の日本は軍国主義的な体制であり、工場の稼働を止めることなど許されなかったため、「地下水の過剰 揚水による地盤沈下」という考え方は受け入れられませんでした。

その後、太平洋戦争の激化によって、都市が荒廃し、産業活動が停止することで、地盤沈下も一時的に 鎮静化しました。第二次世界大戦終期を挟んで行われた測量は、地盤沈下の原因が地下水の過剰揚水であ ることを決定づけた意義ある測量であると言われています(図 7-2(b)参照)。

イ.

高度経済成長期と地盤沈下の加速

戦後の復興により過剰な揚水が始まると地下水位は急低下し、沈下が再度発生します。昭和 30 年代以降 の高度経済成長期には、経済発展のために工業部門もさらに工場数を増やし、戦前よりも多くの水が必要 となりました。そこで工場は戦前よりも大量の地下水を使用するようになり、区部低地部を中心に各地で 地盤沈下が発生し、ピークに達しました。そしてついに、昭和 34(1959)年に江東区においてはじめて A.P.

0m(干潮面と同じ高さ)が計測され、完全ゼロメートル地帯が出現しました。さらに、昭和 43(1968)年に は江戸川区西葛西の水準基標において、年間沈下量 23.89 ㎝が記録されました。この沈下量は、都内で計 測された年間沈下量の最大値です(図 7-2(c)参照)。

ウ.

揚水規制の開始

地盤沈下を抑止するため、昭和 30 年代には「工業用水法」「建築物用地下水の採取の規制に関する法律」

が制定され厳しい規制がかけられます。

東京都においても、昭和 28(1953)年から「東京都地盤沈下対策審議会」を設置して地盤沈下対策の抜本 的対策の検討を進めていきました。「東京都地盤沈下対策審議会」では、昭和 38(1963)年、昭和 41(1966) 年、昭和 46(1971)年にそれぞれ答申を行いました。また、昭和 45(1970)年には、一都三県共同で地盤沈下 の調査を行う「南関東地盤沈下調査会」を設置し、調査研究を開始しました。

こうした答申や調査結果を受けて、法規制の基準強化を国へ要請するとともに、法未規制地域について は条例で規制を行うなど揚水規制を段階的に行い、地盤沈下を抑制していきました(図 7-2(d)~(f)参照)。

(40)

7-3

図 7-2 地盤変動の変遷

遠藤毅、川島眞一、川合将文(2001)「東京都下町低地における“ゼロメートル地帯”展開と沈静化の歴史」 [2]より 旧東京都土木技術センター、現東京都土木技術支援・人材育成センター「地盤沈下調査報告書」 [3]より

(41)

7-4

図 7-3 地盤沈下と対策の歴史年表 川島眞一、河合将文、遠藤毅(2008):東京低地を中心とする地盤地下と調査、対策年譜 [2]より

(42)

7-5

(2) 地盤沈下対策

ア.

対策内容

地盤沈下が急速に進行していた東京都では、沈下を止めるため全庁をあげて表 7-1 のような様々な対策 を実施しました。

地盤沈下状況把握のためのモニタリング拡充に始まり、代替水源の確保、地盤沈下に影響を及ぼす揚水 の規制や禁止など段階的に対策を実施してきました。

また、工場や事業所を対象として、水使用方法を指導・検討することで地下水利用の削減に努めた合理 化指導も実施しました。

次ページより、地盤沈下対策の詳細について示します。

表 7-1 地盤沈下の対策

対策 実施内容

① モニタリング調査の拡充 観測井の設置、拡充

② 代替水源の確保 工業用水道の敷設

③ 地下水揚水の規制 法律・条例に基づく揚水規制

④ 天然ガス採取の停止 鉱業権の買収、天然ガスかん水の揚水停止

⑤ 水使用の合理化指導 製造工程の改善指導

(43)

7-6

① モニタリング調査の拡充

東京都内の地盤の高さを測る水準測量は、明治 25(1892)年に現在の国土地理院によって実施され、東京 都独自の水準測量は昭和 4 年(1929)から実施しました。水準測量の地点や頻度が増えるにつれ、東京都の 地盤が低下していることが明確になっていきましたが、地盤沈下の原因が地殻変動と考えられていたため、

地下水の状況をモニタリングすることは行われませんでした。

昭和 10 年代になると、地下水の揚水が地盤沈下の原因であることが徐々にわかってきましたが、戦争の 影響などで地下水位観測井の設置は遅れました。江東区亀戸に都内ではじめて地下水位の観測井が設置さ れたのは、昭和 27(1952)年のことです。

その後、地盤沈下の実態をとらえ、対策につなげるため、地下水位の観測井を増やしていき、現在は 42 地点 104 井で、地盤や地下水の状況を監視しています。

図 7-4 1 年ごとの観測井設置数の推移

旧東京土木技術センター、現東京都土木技術支援・人材育成センター「地盤沈下調査報告書」 [3]より集計

図 7-5 観測井の設置箇所の広がり

旧東京土木技術センター、現東京都土木技術支援・人材育成センター「地盤沈下調査報告書」 [3]より集計

0 20 40 60 80 100 120

27 31 35 39 43 47 51 55 59 63 4年 8年 12 16 20 24 28 2年

観 測 井 設 置 数

↓H11 現在の104井すべて設置

区部低地部

区部台地部 多摩台地部 27S

31S 35S

37S

44S S 45

48S

(44)

7-7

② 代替水源の確保(工業用水道の敷設)

地盤沈下が進行していた昭和 20 年代後半、堤防のかさ上げ等の応急的な対応だけではなく、抜本的に地 盤沈下そのものを止めるため、工場の地下水揚水を規制し、代わりに工業用水を供給すべきとの意見が関 係者の間に出てきました。また、地盤沈下は東京以外の工業都市でも見られ、代替水としての工業用水の 供給を切望する声が全国的に高まっていきました。こうした背景のもと、国が昭和 31(1956)年に工業用水 法、昭和 33(1958)年に工業用水道事業法を制定し、地下水揚水を規制し工業用水を供給する道が開かれた のです。

当時、東京の人口は著しく増加しその後も激化することが予想され、都民の生活用水を確保することさ え深刻な情勢にあったことから、工業用水を河川から取水することは望めず、東京都は下水処理水(再生 水)の利用可能性について調査検討を進めました。再生水の水質で対応可能な業種が多かった江東地区で は、再生水を原水とする大規模施設として国内初となる南千住浄水場と南砂町浄水場が昭和 39(1964)年度 に完成し、工業用水の給水が開始しています。この江東地区工業用水道は、地盤沈下対策としてだけでな く、広域的な水の循環利用を推進したものとして注目を集めました。

一方、城北地区でも昭和 20 年代後半から工場の新設や増設が相次ぎ、揚水量は江東地区をしのぐ量とな っていました。城北地区は化学系の工場が多く、良質の水を必要としていたため、工業用水の原水として 再生水を利用することはできませんでした。しかし、東京オリンピックに向け、水の確保を目的として利 根川からの導水が決定していたことから、利根川の表流水を水源とする三園浄水場を建設し、昭和 46(1971)年から給水が開始されました。

給水開始後、揚水規制基準の強化や規制区域の拡大等の対策によって地盤沈下は沈静化に向かい、初期 の目的は達成した一方、工場の移転や水使用の合理化により、工業用水の需要は昭和 49(1974)年度をピー クに減少が続きました。浄水施設の統廃合に加え、洗車や水洗トイレ等の雑用用途への供給拡大も進めて きましたが、経営状況は厳しく、設備の老朽化による大規模更新時期も間近に迫る中、需要の増加が見通 せないことから、令和 5(2023)年度末での工業用水道事業の廃止が決定しています(平成 30 年第 3 回都議 会定例会にて)。

東京都水道局(1999)「東京近代水道百年史(通史、部門史)」 [4]より 東京都水道局ホームページ [5]より

(45)

7-8

③ 地下水揚水の規制

地盤沈下を止めるため、東京都では法律や条例に基づき地下水の揚水を規制してきました。地盤沈下の 状況を踏まえ、規制区域の拡大や基準の強化を段階的に進め、揚水量の削減を図ってきました。

「工業用水法」は工業用に使用する井戸、「建築物用地下水の採取に関する法律」(ビル用水法)は 4 用途 (冷暖房、洗車、水洗便所、公衆浴場)に使用する井戸をそれぞれ対象とし、規制基準を設けています。現 在、「工業用水法」は 8 区、「ビル用水法」は 23 区が規制区域となっています。

また、地盤沈下を止めるためには法の対象外地域を含む広域的な揚水規制が必要との審議会答申を受け、

東京都は独自に「東京都公害防止条例」により、多摩地域でも揚水規制を開始しました。その後公害防止 条例を全面改正した「都民の健康と安全を確保する環境に関する条例」(東京都環境確保条例)では、用途 を全用途に拡大しています。

表 7-2 法律・条例による揚水規制の主な経緯

工業用水法・ビル用水法 東京都条例

昭和 31 年 工業用水法施行

昭和 36 年 工業用水法地域指定(江東地区) 昭和 37 年 ビル用水法施行

昭和 38 年 工業用水法地域指定(城北地区) ビル用水法地域指定(14 区)

昭和 45 年 東京都公害防止条例施行(4 月)・改正(11 月)

昭和 46 年 工業用水法規制基準強化 改正条例(量水器設置)施行

⇒揚水量報告義務化 昭和 47 年 工業用水法地域指定(江戸川区東部)

ビル用水法地域指定(9 区)・規制基 準強化(14 区)

改正条例(地域・構造基準)施行

⇒多摩地域でも規制開始

平成 13 年 東京都環境確保条例施行

⇒工業用、ビル用に限らず全用途を対象

(46)

7-9

図 7-6 規制に係る法律、条例による揚水規制の指定と基準改正の変遷

H21 南関東地域における地下水問題の歴史と今後の課題-東京都を主体にして [6]

遠藤毅(2009)日本応用地質学会 平成 21 年度特別講演およびシンポジウム予稿集 [7]より改変

(47)

7-10

④ 天然ガス採取の停止

関東平野南部の地下では水溶性天然ガスが地下水中に溶け込んでおり(かん水)、東京都内では昭和 26(1951)年から天然ガス開発が開始されました。当初からかん水の汲み上げによる地盤沈下の発生は懸念 されていたものの、採取する地層が地下約 600m以深の固い地盤であることや、因果関係を証明する決定 的な報告は無いとして開発が促進され、昭和 45、46(1970、1971)年には江東・江戸川地区で日量約 3 万㎥

のかん水が汲み上げられるに至りました。その間、荒川河口域一体の地盤沈下は著しく進行し、年間 20 ㎝ 以上の沈下が見られるようになっており、一日も早い行政対応が求められました。

東京都は、国及びガス採取企業に対し汲み上げ量の削減を要請し、昭和 47(1972)年7月から、国の指示 に基づく企業による自主規制(25%削減)が開始されました。国に対し天然ガス鉱業権の取消しについても 折衝していたものの、早急な処分が期待できなかったことから、東京都は同年 12 月、鉱業権を 3 億 9 千 万円で買収し、ガス採取を完全に停止させました。

昭和 50(1975)年には、新たに鉱区が設定されないよう、東京都は国の公害等調整委員会に対し天然ガス の鉱区設定禁止を申請しました。この申請は昭和 63(1988)年に受理され、現在都内では天然ガスの採取は 不可能となっています。

石井ほか(1974)「荒川河口付近の地盤沈下について -天然ガス採取に関連して-(昭和 48 年度土木技術研究所年報)」 [8]より 遠藤毅(2009)日本応用地質学会 平成 21 年度特別講演およびシンポジウム予稿集 [7]より OB ヒアリング回答文書より

(48)

7-11

⑤ 水使用の合理化指導

用水二法(工業用水法、ビル用水法)により地下水揚水の規制が進みましたが、東京都では地下水利用の 代わりとなる新規水源の開発が滞り、代替水源の確保が困難になりました。そのため、地下水利用の削減 手法として、独自に水利用の合理化指導の取組を実施しました。

まず、昭和 46(1971)年に改定された東京都公害防止条例にて、条例の対象となる工場・事業場は揚水量 の報告が義務付けられ、個別の利用実態を把握し始めました。その報告に基づき、揚水量の減少勧告や施 設等の改善勧告を行いましたが、十分な成果は得られなかったとして、要領や指導マニュアルを定め工場・

事業場ごとに指導を実施しました(表 7-3 参照)。

水使用合理化指導では、製造工程の把握から、時には排水処理方法まで検討し、一つの工場に数年費や すこともありました。規模別で全体的な削減目標の計画が立てられ、進捗管理を行うことで、地下水利用 の削減に貢献してきました。

表 7-3 水使用合理化指導 指導マニュアル

図 7-7 水使用合理化指導例(ビン洗浄施設の改善)

①水利用の概況の理解(行政の立入による現場把握)

②用途別使用水量の測定の指導(→工場から詳細な水利用現状資料の提出)

③水使用合理化の理解

④水使用合理化の勧告又は命令

⑤工場との折衝(→工場から改善計画提出)

指導改善

第1水洗 第2水洗 第3水洗

P P

第1水洗 第2水洗 第3水洗

参照

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