﹃茅 山 志 ﹄ に み る 道 教 上 清 派 の 歴 史
石 井 昌 子
はじめに
道教上清派は︑道教を教理的に大成した梁の道士陶弘景によって確立された︒これは最近の道教学界においては︑おお
かた認められているといってよい︒その上清派の本拠地は︑現在の中国江蘇省句容県の茅山(句曲山ともいう)である︒こ
の茅山と上清派の結びつきについて詳説したものが︑﹃茅山志﹄三十三巻である︒本稿は﹃茅山志﹄を中心に︑道教上清
派の歴史を考察するものである︒
その方法として︑まず﹃茅山志﹄そのものについて紹介し︑次に﹃茅山志﹄にもとついて︑上清経籔聖師七伝と上清派
各代宗師について述べる︒最後に﹃茅山志﹄十二篇の中で︑上清派研究の重要資料である﹁詰副墨﹂﹁録金石﹂﹁金莚編﹂
の各編について(紙数の都合で梁代で止める)紹介し︑それらの編をとおして︑上清派確立までの経緯を考察していく︒
85『 茅 山志 』 にみ る道教 上清 派 の歴 史
﹃茅山志﹄について
( 1 )
﹃茅山志﹄は道教上清派の歴史の淵源と元代以前の茅山の形勝について書かれたもので︑現行本三十三巻﹃道蔵﹄所収のものは︑﹁上清嗣宗師劉大彬造﹂とある︒巻首には︑泰定甲子日南至(泰定一年︑一三二四年)︑集賢大学士光禄大夫西泰
の趙世延の序があり︑次に︑泰定丁卯春正月(泰定四年︑一三二七)︑特進上卿玄教大宗師呉全節の序がある︒趙世延は元
( 2 )
史に伝があり︑文名ある人物で︑呉全節は元代道教正一教の第一人者である︒呉全節の序中︑その経過を叙述して次のようにいう︒
至大庚戊予以祀事至茅山︒因閲其山之旧志︑遺閾甚多︒嘗以語之四十四代宗師牧斎王真人︑未幾真人伝真山志無所
聞︒後五年復祀其山︑又以語之嗣宗師劉真人︒十又三年為泰定丙寅︑天子用故事難其山︒予実代礼︑始獲観其成書︑
凡十有五巻︒
この記述から︑呉全節のみた﹃茅山志﹄は十五巻であったことがわかる︒劉大彬も﹁茅山志叙録﹂において︑﹁大彬登
壇一紀始克修証伝宗経籔︑又五載而成是書凡十二篇十五巻︑題日茅山志﹂というように︑十二篇十五巻であったようであ
る︒現行本三十三巻と符合しないことになる︒
道蔵本のほかに別に伝本がある︒清修﹁四庫全書総目提要﹂巻七十六に次のようにいう︒
茅山志十五巻漸江孫仰曽家蔵本⁝⁝︑前有永楽癸卯胡撮序︑旧本為張羽所書︑至為精潔︒後澱於兵︑挑広孝復為刊
版︒後成化庚寅︑嘉靖庚戌又重刻者︒此本即嘉靖時刻︒不但紙本悪劣︑非張羽之旧︒且為無識道流︑続入明事︑叙述
凡鄙︑亦非大彬(劉)之旧 ︒
ここにいう伝本も十五巻であったことを明示している︒嘉靖庚戌(嘉靖二十九年︑一五五〇)に記されたもので︑大彬の
書したものではない︑という︒そのわけは︑道流を知らず︑明代のことまで収めていることをあげている︒
現行本は三十三巻であるが︑その内容は十二篇である︒第一篇の﹁詰副墨﹂は歴代の詔勅を録しているが︑元仁宗延祐
六年(一三,一九)までであり︑第六篇﹁上清品﹂の歴代宗師伝は劉大彬が最後である︒その記述も仁宗延祐四年(;二
七)の事蹟で終り︑劉大彬の卒年は記されていない︒これら二篇の記録からみても元末から明代の事蹟は入っていない︒
( 3 )
これらの状況から考えて︑現行本は原本十二篇十五巻とさしてかわらないものとみてさしつかえあるまい︒次に十二篇の篇名とその内容︑現行道蔵本の相当巻数を()内に記す︒
︿第一詰副墨﹀(巻之一〜巻之四)
歴代帝王の詔勅を所収︒漢詔詰(巻之一)︑唐詔諾(巻之二)宋詔誰(巻之三︑巻之四第+五紙まで)︑元詔詰(巻之四第+
五紙以下)︑最後は﹁勅賜崇禧万寿宮︑延祐六年三月﹂︒
︿第二三神紀﹀(巻之五)
三茅君の事蹟を記す︒
︿第三括神区﹀(巻之六︑七)
茅山の山水洞穴を記す︒山︑峰︑洞(巻之六)︑水︑壇石橋亭(巻之七﹀︒
︿第四稽古蹟﹀(巻之八)
山中の仙霊の古蹟を記す︒
︿第五道山冊﹀(巻之九﹀
上清経篇目(茅山道書目録)を記す︒上清大洞宝経篇目︑上清大洞宝籔篇目︑衆真所著経論篇目︑鄭樵通志芸文署茅
山道書目︒
︿第六上清品﹀(巻之十〜巻之十二)
87『 茅 山志 』 にみ る道教 上清 派 の歴 史
茅山上清派歴代宗師の伝記︒上清経籔聖師七伝真系之譜(巻之+第四紙まで)︑嗣上清第一代太師〜第十代宗師(巻之+
第四紙以下終りまで)︑第十一代宗師〜第二十六代宗師(巻之+一)︑第二十七代宗師〜第四十五代宗師(巻之+二)︒
︿第七仙曹署﹀(巻之十三︑+四)
仙官の名字官位を記す︒前司三官保命真人〜地下主者(巻之+三)︑易仙宮仙人︑含真台仙人︑茅山仙人(巻之+四)︒
︿第八釆真游﹀(巻之十五︑十六)
茅山修道の士を記す︒呉の緯神鳳〜崔芋(巻之+五)︑夏侯〜林大敷(巻之+六)︒
︿第九楼観部﹀(巻之十七︑十八)
歴代修道の道観を記す︒元符万寧宮〜茅司待廟(巻之十七)︑山房庵院︑三茅道院大徳間元符道士大珪建︑茅山南北諸
蕃咄(巻之十八)︒
︿第十霊植検﹀(巻之十九)
茅山の植物の名実を記す︒
︿第十一録金石﹀(巻之二十ー巻之二十七)
歴代の金石文字を採録︒
梁碑(巻之二十︑二十一)
九錫真人三茅君碑文・碑陰題︑上清真人許長史旧館壇碑・碑陰記(弟子華陽隠居陶弘景謹造)︑陶先生朱陽館碑(梁元
帝造)︑茅山長沙館碑(華陽陶隠居撰)︑茅山曲林館碑(同前)︑華陽隠居真蹟帳︑梁解真中散大夫貞白先生陶隠居碑銘
(郡陵王薫紛撰)︑華陽隠居墓銘碑(梁昭明太子撰)︑燕洞宮碑(郡陵王撰閾)︒
唐碑(巻之二十二ー巻之二十五)
唐国師昇真先生王法主真人立観碑︑少室仙伯王君碑銘(諌議大夫李渤撰)︑桐栢真人茅山華陽観王先生碑銘井序︑茅
山貞白先生碑陰記(以上巻之二十二所収)︒唐茅山紫陽観玄静先生碑︑茅山玄静先生広陵李君碑銘井序︑華陽三洞景
昭大法師碑︑崇元聖祖院碑︑三聖記碑︑唐石燈記(以上巻之二十三所収)︒唐道門威儀玄博大師貞素先生王君碑︑茅
山紫陽観碑銘井序︑復禁山碑︑上清真人許長史丹井銘碑︑霊宝院記︑体玄先生播尊師碑頒︑唐漢東紫陽先生碑銘
(朧西李白撰)(以上巻之二+四所収)︒御製観龍歌井序︑宋天聖皇太后受上清籔記︑茅山五雲観記︑茅山第二十三代上
清大洞国師乾元観妙先生幽光顕揚之碑︑武仙童書碑︑江寧府茅山崇禧観碑銘︑宣和御製化道文碑(以上巻之二+五所
収)︒
宋碑(巻之二+六)
茅山元符観頒碑︑茅山元符万寧宮記︑茅山華陽先生解化之碑︑沖隠先生遺表碑二通︑沖隠先生墓誌銘︑茅山凝神蕎
記︑嘉定皇后受籔之記︑白雲崇福観記︑洞陽館記︒
元碑(巻之二十七)
華陽道院碑銘︑句曲山洞泉銘︑福郷井銘︑弘道壇銘︑崇禧万寿宮記︑崇寿観碑︒
︿第十二金薙編﹀(巻之二十八〜巻之三十三)
歴代詩人の茅山題詠を採録︒
斉梁詩(巻之二十八)
宋詩(巻之二十九)
元詩(巻之三十〜巻之三十二)
雑著(巻之三十三)
以上が現行本十二篇三十三巻の内容である︒孫克寛氏もいうように﹃道蔵﹄編纂時に巻数を増したもので︑原本の十二
篇十五巻と内容の上では増減はないものと考えられる︒分量からみて︑﹁詰副墨﹂﹁録金石﹂﹁金薙編﹂の各篇が二巻に分
巻されていて十五巻であったのではなかろうか︒﹃茅山志﹄十二篇のうち︑これら三篇と﹁上清品﹂は︑上清派を研究す
る上で重要な資料といえる︒ただ︑資料として利用する場合︑注意すべきことは︑﹃茅山志﹄はいくつの資料によってい
るので︑その原典にあたってみなければならない︑ということである︒例えば︑劉大彬も自らいっているが︑﹃真詰﹄に
依る記述が多いが︑その場合︑﹃真詰﹄と比較対照してから利用するといった姿勢が必要となろう︒
二 上 清 経 籔 聖 師 七 伝
『 茅 山志 』 にみ る道教 上清 派 の歴 史 89
﹃茅山志﹄巻十所収の﹁上清経蘇聖師七伝真系之譜﹂は︑上清経籔が世に降るまでの聖師七伝と各代宗師の真系の譜で
ある︒いまここに本文によって︑各聖師・宗師を紹介し︑上清派確立発展に力をそそいだ陶弘景の編著書との関係を中心
に論を進める︒
﹁真系之譜﹂の冒頭には次のような聖師伝授表が記されている︒
元始虚皇天尊‑太上玉展大道君‑太微天帝大道君‑後聖玄元上道君‑上相青童道君‑上宰総真道君‑小有清虚道君
ω上清道祖大洞至尊元始天王上皇天帝紫霞虚皇天尊
元始天王廼玉清元始天中之尊︒黄庭経云︑上清紫霞虚皇尊︒玉緯経云︑虚皇者大道之所理即大道之域包羅三清道之祖
也︒元天生神章称大洞尊神是也︒
﹁真系之譜﹂の源は元始天尊ということである︒元始天尊が道教の最高神格として位置つづけられるのは︑陶弘景の
( 4 )
﹃真霊位業図﹄においてである︒それ以後︑冠謙之の時代に最高神格であった太上老君は︑ずっと後退し現在に至るまで︑( 5 )
元始天尊が道教の最高神で︑太上老君はその応現身の一つとしてあつかわれるようになった︒﹃階書経籍志﹄では︑陶弘景の立てた元始天尊をもって道教教主としている︒
( 6 )
﹃真霊位業図﹄の第一階位の主尊が︑﹁上合虚道君応号元始天尊﹂である︒この元始天尊は︑三界︑四種民天︑三清境の上の大羅天にあって︑常に説法しているといわれている︒
②聖師高聖太上玉展元皇大道君
玉展大道君居協農霊観山陵膚之台︑治蕊珠日閾舘七暎紫房︒左帯神虎右侃金真︑龍冠鳳裾羽裾錦破︑侍衛天真玉童玉女
各三万人︑所謂太上者道之子孫審道之本洞道之根︑是以上清道君為老君之師万道之主︑有伝紀名八素上経︒又日︑太
上隠書︑金真玉光︑諮落七元︑八景飛経︑黄庭経所称太上玉農大道君正太上之尊也︒
( 7 )
﹃真霊位業図﹄では︑第二階位の主尊﹁上清高聖太上玉農玄皇大道君(為万道之主)﹂として位置している︒﹃真詰﹄には﹁君日︑太上者道之子孫審道之本洞道之根︑是以為上清真人為老君之師﹂とあり︑その註記において﹁此即謂太上高聖玉
農大道君也︒為太極左真人中央黄老君之師﹂と説明している︒
( 8 )
﹃八素上経﹄﹃太上隠書﹄﹃金真玉光﹄﹃諮落七元﹄﹃八景飛経﹄は上清派の経典であるが︑﹃無上秘要﹄の﹁経文出所品﹂によると︑﹃八素上経﹄﹃舘落七元﹄﹃八景飛経﹄は﹃洞真金真玉光八景飛経﹄をさしている同一経典であることがわかる︒
これら経典の相互関係については稿を改めて論ずることにする︒
玉農大道君は万道の主であり︑老君の師でもある︒また︑﹃真諾﹄の記すところによると︑正月四日︑二月八日︑三月
十五日︑四月八日︑五月九日︑六月六日︑七月七日︑八月八日︑九月九日︑十月五日︑十一月三日︑十二月十二日に玉香
琳房に登って天下を四阿する︒志節遠遊の心ある者は︑それぞれの日の平旦日出時に︑北向して再拝し︑自ら本懐所願を
( 9 )
陳べよ︑とある︒この法は﹁上学隠朝の法﹂といわれるものの一つである︒『 茅 山志』 にみ る道教 上清 派 の歴 史 91
㈹聖師紫震太微天帝大道君
太微天帝為三十六天帝之主︑治太微紫震玉閾之内︑暖以金閾帝君︑日中五帝字日︑日蒐珠景昭輻緑暎廻霞赤童玄炎麗
象︑凡十六字此採服飛根之道︑一名赤丹金精石景水母玉胞之経︒
太微天帝は﹃真霊位業図﹄第二階左位の筆頭に﹁左聖紫農太微天帝道君﹂として位置している︒﹃真詰﹄には︑太微天
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帝君の語は一個所にみえるだけであるが︑﹃茅山志﹄の記事とほぼ一致するものである︒その内容は︑日中五帝の字は金閾帝君の﹁採服飛根の道﹂で︑昔太微天帝君から受けたものであり︑一名を赤丹金精石
景水母玉胞之経という︒右英夫人がそのことについて﹁珠円会暉舗緑日霞換明赤童乗霊玄炎散光︑麗象響清︑此日之勢
也︑神之威也﹂と説明している︒その説明の註記に﹁此説按紫文日日魂事︑義上日不正可領﹂とある︒この方法は﹃上清紫
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文﹄の﹁呑日気法﹂といわれるもので︑その方法は︑常に日初出の時︑東向して叩歯すること九通︑日魂の名(日中五帝の字)﹁日魂珠景照鞘緑映 霞赤童玄炎級象﹂の十六字を呼んで畢る︑瞑目握固して日中の五色流霞が一身に来接するを
存する︒ここにおいて日光流霞が倶に口中より入る︑というものである︒﹁赤丹金精石景水母﹂は﹁道之経﹂として﹁道
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授﹂に収められている︒㈲聖師金閾帝震後聖玄元上道君
玄元上道君地皇之冑︑居環台之殿︑侍女従官三万人︑上升上清中游太極下治十天︑乗三素飛輿陰察雀絶洞台諸天河海
翔贈小有解駕亀山︑以校試衆仙随才授職︑五年一下游︑一年一朝上清︑有伝紀名霊書紫文︑一日五老宝経今三天列紀
是也︒