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桜井克彦

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(1)

現代企業の本質的動向と企業目的

現代企業の本質的動向と企業目的 桜井克彦

第1節 序

第2節 イールズの現代企業論

(1)企業原理の必要性と二つの企業モデル

(2)現代企業の実態

(3)現代企業の将来とウェル・テムパアド・コーポレーション

第3節 経営理念

(1)経営理念の概念

(2)経営理念の動向

(i)米国の経営理念の動向

(ii)日本の経営理念の動向

(3)経営理念と社会的責任 第4節 経営目標

(1)目標の概念

(2)目標説の多様性

(i)企業有機体説

(ii)企業構成体説

(iii)現代企業と構成体目標説

(3)企業目標と社会的責任

(i)ジョンソンによる分類

(ii)現代企業の目標としての社会的責任 第5節 現代企業と企業の制度化

(1)現代企業の一般像

(2)企業の制度化

57

(2)

58 

経 営 と 経 済

第 l 節 序

現代の経済社会における一つの大きな特徴は,株式会社形態をとる企業が 経済に占める比重が大きいことであり,とりわけ,比較的少数の巨大株式会 社を中心に経済が構成されている乙とである。

財貨と用役の生産もしくは配給の単位としての企業は,現実には,さまざ まな制度的形態と規模とにおいて存在する

O

そして,大規模企業は必ずしも 株式会社形態の企業に限られないし,特定の環境条件においては小規模企業 も少なからぬ社会的影響力を有している。しかしながら,社会と密接な係わ り合いを有し,経済・文化・政治その他の面で社会に少なからぬ影響を及ぼ しえ,また及ぼしているところの企業とは,基本的には,大規模株式会社企 業であって, かかる企業をもって現代企業

(Modern Business) 

と呼んで

も差支えないであろう。

資本の証券化を通じて巨額の必要資金の調達を企業に容易ならしめた株式 会社制度の導入は,一方での企業聞の競争と,他方での,大量の固定設備を 企業に要求する傾向にある技術工学の展開と相まって,株式会社企業を企業 の主流たらしめるとともに,現代企業と呼びうる巨大株式会社企業の出現を 必然的なものとしたのである

o

かくの如き現代企業を中心に企業ないし経営者の社会的責任なる問題が今 日,社会の関心を集めるに至っており,経営学の領域においてもさまざまな 論議がなされている口社会的責任論は,もし現代企業による責任実践の傾向 が明らかにされるならば,より説得力をもつことになるであろう口本稿で は,企業目的の検討を中心に現代企業の実態と動向を尋ねる乙とによって,

社会的責任論の基礎としたい。

2

節 イーノレズの現代企業論

現代企業は,どの程度にその社会的責任への配慮を行なっているのであろ

うか口すなわち,手Ij潤が依然として企業の第一次目的であり,社会的責任は

それが利潤の実現に意味がある限りにおいてのみ企業において実践的意義を

(3)

経営と経済現代企業の本質的

1!lfJ

向と企業目的

59 

有しているのであろうか。それとも,社会的責任は既に企業目的の構成要素

となるに至っているのであろうか。

イーノレズは,現代企業に関する経営学的研究を行ない,幾つかの書物を著 わしている

O

現代企業についてのかれの主たる見解はその主著「現代企業の 意義」ならびにウオノレトンとの共著「企業の概念的基礎」のうちにかなりに 明らかであるが,以下,そ乙におけるかれの現代企業論を辿ることによって 現代企業における社会的責任の実践動向の把握への手掛りとしよう

O

(1) 

企業原理の必要性と二つの企業モデノレ

イーノレズは,現代企業が伝統的な経済理論にみられる企業像に比して著し い変貌を遂げるに至っているにも拘わらず,そうした企業についてもその実 態ならびにあり方を経営者に示すような原理が未だ存在していない乙とを指 摘し,つぎのような二重の目的を,つまり,企業の盛衰のための必要にして 十分な条件を科学的に記述するとともに,企業の内外の諸関係を律すべき行 動基準を明らかにするといった二重の目的をもつような「企業原理」を現代 企業が必要としていることを指摘する。

そしてかれは,そのような原理の探究のための手掛りとして,伝統的会社 とメトロコーポレーション

(the Metrocorporation)

という,対極をなす 企業モデノレを提示する。それらは現代企業の現実とあり方をめぐる諸論者の さまざまな企業像をもとにしたものとみてよく,かれはこれらのモデノレは発 見的モデノレであり,必ずしも現実の企業をそのまま示すものでないとする。

二つのモダノレの概要はつぎの如くである。

イー

j

レズによると,現代企業についての一つの対極モデルが伝統的会社で ある

o

それは,株式会社企業の原初的形態を志味するものであって,株主と いう単一グループの用具であるとともに,かれらへの最大利潤という単一の 目標を有する

I

会社は私有財産所有者としてのその株主の組織化された腕

注1) Richard Eells, The Meaning of Modern Business, 1960. 

2)  Richard Eells and Clarence Walton

, 

Conceptual Foundations of Business  196 1 Revised Edition

, 

1969

, 

Third Edi tion

, 

1974. 

3)  R.  Eells, op.  cit., p.17. 

(4)

60 

経 営 と 経 済

に他ならないという立場が,一方の極にはみられる

O

所有者への利潤最大化 が会社企業の唯一の正当な機能であると,ときどき主張される。会社につい てのこの伝統的な見解では,その資源の使用における厳格さが,単一の目的

4) 

としての所有者持分の増大とともに基調をなす。」

かかる伝統的会社について付言するならば,それはその理論的基盤を会社 法のうちに,また市場機構に依存するところの経済的ならびに政治的な理念 のうちに有する。むろん, 経営者による 、利害調整グも存在しなければ,

成長や威信もそれ自体では企業目標としての存在意義をもたないのであり,

公共的責任等は伝統的会社の念頭にはなく,そのようなものは国家に,ない し市場の自動調整力にまかされる。なお,かかる伝統的会社にあっては社会 ダーウィニズムの主張がみられるのであり,高度に競争的な環境の中での生 存競争が強調されている

O

かくの如き伝統的会社について,イーノレズは それは近代的行政国家の創 設以前には明らかに社会的有用性を示してきたのであって,市場機構に関す る基本的前提が不変であるならばそれは依然有用であり続けるであろうこ と,しかしながら,社会と企業の関連の緊密化,および企業の規模と影響力 の増大がすべての組織に社会利益のための用具たるべきととを要請してきて おり,かかる要求への応答の一つがつぎに挙げるメトロコーポレーションの 概念であることを指摘する。

メトロコーポレーションとは,伝統的会社と対極をなすと乙ろの現代企業 についてのモデノレであって,そこでは社会的責任の指向と経営者による利害 調整,全人への奉仕,企業目標の多元化,公益への配慮といったものが強調 される。1"広範な社会的目的と目標を伴う社会的会社のモデノレが,他の極に 存在する

O

この観点からはそれは,一群の利害関係集団をその保護下に置く 一種の、メトロコーポレーション一一母親会社グ一ーである

D

その専門的経

4)  Ibid., p.6.  5)  Ibid.

, 

PP. 38~45.

6)  Ibid.

, 

Pp. 48~49.

7) 

メトロコーポレーションの画像は,とりわけイーノレズの前掲書の第

3

章およびウ

j

レトンとの前掲書(初版)の第

20

l

乙詳しい。

(5)

現企代業の本質的動向と企業目的

61 

営者は,競合する要求者の聞の利害均衡を計る

o

しかしながら,そのこと以 上にかれらは,種々の方法でこれらの要求者の厚生に対して、社会的に責任 あるグようになる。伝統的会社は、経済人グにのみ関心を有した

O

しかしな がら,メトロコーポレーションば……、全人グを考えるのである。」

乙のようにメトロコーポレーションは,多数の子に対する母親的関心を特 徴とする。そのビジネスは株主への収益性以上のものであって,その経営者 は一般大衆を含む多くの貢献者一要求者を認識し,かれらへの義務を負うの であり,これらの義務が会社の、社会的責任グである

O

それは市民としての 会社の権利と義務を強調し,公共政策の問題にも責任を負わんとする

o

ま た,多くの非経済的目標をもち,従業員の聞ののみならず近くの社会集団の 聞の人間関係と人間的野望にも関心をもつのであって,小宇宙的社会となる 傾向にある。それは,株主がその一部を構成するにすぎないところの利害関 係者の複合体の用具となる。それは多目標を追求し,所有者への利潤最大化 は一目標ではあるが,必ずしも第一次的なものではない。それは,より大き な社会の中の一種の小社会となるのである。

このようなメトロコーポレージョンは,イーノレズによると社会的に責任が あるのであるが,それはまた多くの問題を有している

D

それは広範な責任に 照応して大きな権力を要求することになり,乙こから民主々義の原則にのっ とった統治構造の受け入れを要請されることになるのであって, このこと は,財と用役の生産なる第一次的な経済的機能の効率を損い,その主要な存 在理由の一つをなくしてしまうであろう

D

また,それは,その第一次的な経 済的機能が第二次的な考慮事項,つまり,非経済的な機能に従属されるとい う危険を本来的に有する。更に,企業がその受け持ち範囲外と考えるよう な,従業員の私生活領域は存在しなくなり,従業員は安全と引換えに自由を 失なうかもしれないのであって,労働組合をも吸収せんとするようなその温 情主義は,新しい封建制を生むであろう

D

結局,イールズは,現代企業を説明するための,ならびに会社の責任につ

8)  Ibid., p.6. 

(6)

62 

経 営 と 経 済

いての受容可能な規準を引き出すための発見的工夫としてのメトロコーポレ ーション・モデノレは,それが大企業のうちに明らかに観察しうる,利害と機 能の多様性を勘定に入れんと試みている点で,伝統的モデノレに侵るとみる。

しかしながら,その社会的責任を検討するとき,それは前述のように,重大 な欠陥をもっとする。

(2) 

現代企業の現実とその動向

以上のようにイーノレズは,現代企業の実態とあり方を明らかにするための 手掛りとして二つの企業モデノレを示している

D

かれは, 乙れら二つのモデノレ を出発点として企業原理の探究を試みるのであるが,現代企業というものの 実態についてのかれの見解は,ウォノレトンとの共著である「株式会社の概念 的基礎」において知ることができる。そこではかれは現代企業を,つぎのよ

うな四つの特徴によって画き出している

D

それによると第ーに小企業と異なり現代企業は,製造・販売・財務等にお ける組織的分化を伴う「多職能的企業」であるが,更には,製品の多様性と 各製品条列における組織的分化とを伴う「複数生産物的企業」であり,しか

も「多国籍企業

(mlu

1 t

inationalenterprise)Jへの方向にある口

第二に,企業の展開は管理の専門家

(professional)

の 出 現 を も た ら し たが,今日の専門経営者は,技術的観点から経営の問題を扱う技術専門家

technicist)たることを脱して利害調整者たることを要請されているロ

現代企業にみられるこのような変化の哀には,企業組織の急激な変化,つ まり「組織革命」が存在したのであって,第三に,現代企業はその組織の面 でも特色を有している。かかる特色としては,立案とその実行との分離,生 産における課業の分割と特殊化,所有と支配の分類,ならびに純粋な営利目 標からの企業目標の遊離を挙げる乙とができる

D

第四に,現代企業はその機能として,利潤追求に加えて,より広い概念の サービス,社会的責任ならびに存続を要詰され指向する

o

利潤追求は企業に とって基本的な主要性をもってはいるが,それは課税状況や,企業の成長と

9)  R.  Eells and C.  Walton

, 

op. cit.

, 

p.  526 ff.. 

(7)

現代企業の本質的動向と企業目的

63 

存続のための投資における長期的思考の必要や,企業の成果の配分に際して の社会的責任への考慮によって複雑化している

D

イーノレズは,現代企業の一般的な姿を以上のように示している。かれの説 明は必ずしも日新しいものではないが,企業目標の多元性の指摘がみられる 点は興味をひくのであり,ここでかれの企業目標説に触れることにしたい。

イーノレズは「現代企業の意義」の中で企業目標について詳しい分析を行な っている

o

かれがとり上げる企業目標とは,戦略的決定者の作戦目標を意味する

o

イ ー

J

レズは,会社の目的の全範囲についての体系的な見解に到達するために は,経営者個人の価値体系,すなわち人間の目標一価値

(goalvalues)

の 体系の理解が必要であるとする

o

1"自己と同一視するような組織のために行 動するひとびとの目標一価値は,組織自身に投影される傾向にある

O

そして 結果は,会社の価値体系である

D

ひとは経営者としてのその怠志決定におい て,乙れらの価値基準の見地から会社のために最大の成果をもたらそうと努 める。」

かくてイーノレズでは,人間というものは,安寧(健康と肉体的安全) ,宮 (経済的所得) ,技能(仕事のもしくは職業の実践における熟練) , 閃 明 (他人との,ならびに自分が住む世界との関係に関しての,知識,洞察,お よび情報) ,生存(自身および自分の事業の安全)というような,肉体的安 全と厚生の追求に関連する価値をもつのみならず, ま た , 尊 敬 ( 地 位 の 認 識,威信,評判) ,来直(法を迫守し,善良で正しい人間) ,述帯(従属,

友情,愛情) ,および影響力もしくは権力(他者の決定に影響する能力)と いうような,他人によって払われる配慮に関係する、尊敬価値グをももつの であり,乙れらの一般的価値はその組織に投影され,資業の価値体系となる のであって,つぎのような一連の企業目標がみられるという。すなわち,宮 なる個人的価値に照応して収益性と経済的成長が,また尊敬に照応して活動 分野におけるリーダシップが,企業目的として存在する。同椋にして,統合

10)  Ibid.

, 

pp. 97~99. および Ibid. , P.116 ff..  11)  Ibid., p. 124. 

(8)

経 営 と 経 済

性,知識と技能,友愛,影響力と権力,および存続が企業の目的として存在 しており,それらは企業の公表された目標としても存在するのである。

そして,イーノレズはこれらの目標に関して,会社政策の目標は第一次的に は「経済的」つまり営利追求ではあるが,最大利潤の達成はもはや大会社の 意志決定者の唯一の動機づけではないのであって,個人としても,ならびに 会社経営者なる役割においても人聞は富もしくは所得というもの以外の価値 をもっており,これらの価値もまた等しく現実の会社政策において役割を演

じているとみるのである

D

(3)

企 業 の 将 来

イーノレズは企業目標をはじめ幾つかの角度から現代企業の実態について分 析を行なったあと,現代企業の進むべき方向を企業モデルによって示さんと する

O

かれはかかるモデノレをウェノレ・テムパアド・コーポレーション

(the

ell‑Tempered Corporation) 

と名付ける。かれによるとそれは,伝統的 会社とメトロコーポレーションとの中間形態であり,探究目的のためのモデ ノレであって, 会社行動の伝統的な基準と修正されたそれとの聞の中道

(via media)

を見出すという怠図をもって固かれているのである

O

現代企業のあり方として,イールズが提示するウェノレ・テムパアド・コー ポレーションとは一口にいって,開明的な営利企業体制である。イーノレズ、は その社会的責任を中心に,かかるモデノレをつぎのように説明する。

イーノレズによると,大会社は単一クツレープのためのみの用具ではないにし ても諸グループの無差別的用具ではない。その経営者は専門化しており諸利 害関係者間の仲裁者として自己をみる傾向にあるが,ウェノレ・テムパアド・

コーポレーションにあっては,パブリックの期待に応えて社会的責任の引 受けがみられるものの,このことが株主に対する会社の第一次的責任と対立 する必要はなし凡社会的に責任ある企業としての地位が強化されるならば株 主と債権者の要求は,より充されるであろう

O

ウェノレ・テムパアド・コー

12)  Ibid., p.37. 

13)  R. Eells and C. Walton, op.cit., PP.474"""''476. 

(9)

現代企業の本質的動向と企業目的

65 

ポレーションは,所有者が第一次地位を他のク勺レープに譲らねばならないよ うな共同体企業ではないのであって,顧客,株主,仕入先,従業員,ならび にパプリックといった多様なグノレーフ。の利害を経営者が調整していくという ことについての唯一の適切な意味は,第一次的な地位にある所有者の利益と 自由社会の一般的な規範の両者を念頭に置いて,生産要素を慎重に統合して いくという乙とである。私企業は公的ないし社会的責任を派生的にのみ有す るに過ぎないのであって,私的に所有され,運営される企業としてのその継 続性と成長が実現されるような形で会社の政策をパブリックの期待に沿わせ ていかねばならない。むろん,権力に伴う責任は存在しており,企業を今後 ともゴーイング・コンサーンたらしめていくすべての利害関係者に対する慎 重な配患は,株主の持ち分を保護し増大せしめる唯一の方法である

O

以上が,ウェノレ・テムパアド・コーポレーションのあらましである

D

かか るモデノレは,現代企業の現実の動向に対するイールズの認識を反映している とみてよく,その限りではそれは必ずしも単なる理念型ではないのである。

本節では,現代企業の実態およびそのあり方をイーノレズがどのように考え ているかを眺めてきた。かれの所説は企業の営利追求的性格を主視しており かなりにオーソドックスなものであるが,それはまだ,現代企業というもの が社会的責任を重視するに至っており将来も責任を重視せざるをえなくなっ ている乙とを示唆している

o

つぎの二つの節では,企業の理念と目標の動向 を中心に,現代企業における社会的責任の実践について更に眺めることにし よう

O

:$3

節 経 営 理 念

組識の特質はその目的のうちに端的に表明されているのであり,現代企業

の本質的性格を理解するためにはその目的を尋ねることが有益である

o

とこ

ろで,目的と一口にいう場合,それは組織の具体的なお向方向ないし到達点

としての目標と,かかる目標の根底にあり目標を達成し支えるところの理念

とからなるとみてよく,企業ないし経営の場合にはその目的は経営理念と経

(10)

66 

経 営 と 経 済

14) 

営目標とから構成される

D

本節では,現代の経営理念の動向を検討すること によって,現代企業の目的把握のための第一段階とすることにしたい。現代 の経営理念の検討は,現代企業の特質の一端を明らかにするとともに,それ が社会的責任の受け入れの傾向にあることを明らかにするであろう

D

(1) 

経営理念の概念

経営理念は企業行動のための価値前提をなし,企業の活動を方向づける

o

経営理念なる語は一般に,企業と社会との関係に関して,ならびに企業の 運営方針に関して企業もしくはその主体としての経営者が表明する信念や基 本的見解と関連するとみてよく,経営イデオロギー,経営哲学,経営信条,

等の語とほぼ同様に用いられる

D

経営理念は,具体的には経営者の公式的な 声明ゃいわゆる社是・社則の形をとっている

o

企業および経営者はかくの如き経営理念をもつのが普通であり,またもた ざるをえない。企業は,その存在と行動との正当化ならびに合理化,探究さ るべき理想を描き出す乙と,およびその組織・政策・指導者についての判断 ないし評価の基準の確立を必要としており,それを充すものが経営理念であ るといえよう

o

かかる理念は具体的には,企業や産業によって異なり,多元的な形で存在 するのであって,それは経営者の階居によって,また,企業の規模,産業の タイプ,経営者の年令,経営者の教育的背景,および企業の成功の程度によ って異なりうる

D

すなわち,大企業の最高経営者のイデオロギーは,小企業の 経営者のそれとは異なるかもしれない。イデオロギーはまた,同じ企業の経 営者の間でも変わるかもしれない。トップ・レベルの経営者のイデオロギー とミドノレ・レベ

j

レの経営者のそれとは具なるかもしれないのである

o

競争,

政府権力,および自由貿易といった問題についてのイデオロギーは,産業毎 に異なるかもしれない。高令の経営者は若年のそれに比して,より保守的な

14) 

高田教授は,経営目的が経営理念と経営目標を合むと解しておられる(高田砦

「経営の目的と責任

J

,昭和45 年 ,

27頁〉。

15)  R.  Joseph Monsen Jr., Modern American Capitalism:  Ideologies and  Jssues, 1963, pp.9"'10. 

(11)

現代企業の本質的動向と企業目的

67 

見解をもつかもしれない。教育的背景がさまざまに異なる経営者達は,多く の事柄に関して,異なった見解をもつかもしれない。最後に,手Ij潤追求に成 功をおさめている企業は,必死に存続に努めている企業とは異なった信条を

もつかもしれないのである

o

経営理念はこのように多元的たりうるが,しかしながら,現代の資本主義 企業の経営理念を眺めるとき,全体としてそ乙に二つの大きな類型を認める ことができる

O

一つは,企業についての伝統的な見方を基調とする理念であ り,他は,新しい企業観に立脚するそれである

o

(2) 

経営理念の動向

(  i  )米国の経営理念の動向

現代の経営理念の動向については,米国における経営理念の動向が参考に なると思われるロ米国の経営理念の実態分析に関しては,サットンらによる

17) 

研究が有名である

D

周知のようにかれらは,

1940

年代末期の経営理念を分析 し,営利の追求を強調する「古典的理念」と並んで,企業の社会性を強調し 企業の社会責任を主張する「経営者理念」の存在を明らかにしているのであ

って,まず,かれらの分析を眺めよう

o

さて,かれらは

1948

年から

1949

年にかけての米国における,経営者,大企 業,経営者団体,および経済団体の公表された声明もしくは見解.に基づい て , r 企業イデオロギー」の実態把握ならびに内容分析を行なっている。か れらの甚だ広範な分野にわたる研究において注目すべきことの一つは,明瞭 に対照的な二程の企業イデオロギーが当時の米国に存在していたことの指摘 である

o

すなわち,サットンらは,伝統的な経営理念と新しいそれとが存在してい ることを明らかにしており,かかる理念をそれぞれ「古典的理念」および「

経営者的理念」と呼ぶ。ここに古典的理念とは企業の所有者の観点を強調す

16)  George A. Steiner

, 

Business and Society

, 

1971

, 

P.  109. 

17)  Francis X.  Sutton, Seymour E.  Harris and ]ames Tobin, American  Business Creed, 1962, .11. 

(12)

68 

経 営 と 経 済

るものであり,そこでは所有者への長期最大利潤の獲得のみが企業の目標と される。従業員,顧客,仕入先,および一般大衆は企業の外部者であって,

企業はかれらに合法的な契約と取引の履行以外の責任を負わないのである

o

かかる理念には,私有財産の権利ならびに企業の自由の権利への依存がみら れるとともに,古典派経済学の理論への立脚が存在する。他方,経営者的理 念とは,公益への配h 去の必要性を強調するものであり,そこでは一つの社会 的システムとしての企業が強調される。従業員,顧客,および仕入先は,企 業組織の有機的な構成要素であって株主とともに企業に対し正当な要求をも ち,経営者は,企業に依存するこれらの直接的グルーフ。の利害を調整しかれ らの正当な要求を充すとともに,同時に,私企業は社会よりの委託物である として一般大衆の利益を至上とみていかねばならな,いのである

D

かかる理念 にあっては企業は,その強大な権力の正当かっ賢明な行使を要請され,それ は,その価格,賃金,および利潤を正義と賢明さにのっとり決定せねばなら ず,古典的理念が経済システムの固有な作用の結果として自動的にもたらさ れると想定するところの均衡を自ら創造せねばならない。

サットンらはこのような二程の経営理念の存在を指摘するが,利潤の地位 および経営者の役割の苗からこれらの理念の内容をかれらに従って更に説明 するならばつぎの如くである。

まず,古典的理念では前述のように,企業は営利の追求者たるべきことが つまり,利潤の最大化は社会的にみて正当かっ望ましいことが主張される。

かかる主張にあっては三つの形でその論理づけが存在するのであり,第ーに 古典派経済学の理論への立脚が認められる

O

すなわち,私的営利への専念は 社会福祉への奉仕と一致しており,効率的な経済のための必要条件であっ て,企業は市場の冷酷な力によって動かされているにすきないとされる

D

第 二に,法律的な理論への依拠が存在する。つまり,企業は所有者との契約関 係の観点から定義しうるのであって,その経営者の道義的責任は所有者に対 するものであり他のものへの責任は契約上の義務の履行にあるにすぎないと

18)  Ibid., PP. 57'""58. 

(13)

現代企業の本質的勤向と企業目的

69 

される

D

第三に,米国社会にみられるある種の倫理に,すなわち独立独行の 規範に対する信奉が存在する

O

他人への同情は,かれにのみならず社会全体 にも真に奉仕していることを意味しないのであって,事業家はその行為が他 のひとびとに対して与えるところの影響について責任を負う必要をもたない

とされるのである口

他方,経営者的理念では,古典的理念とは反対の見解が主張されており,

私詮が企業の唯一の指向対象たるべきではないとされる口すなわち,過度の 利潤は不正であり,経営者は株主にのみならず従業員,顧客,および一般大 衆,等にも道義的責任を有する。経営者は,企業の成果に対する競合的な要 求を均衡せしめねばならず,また,従業員の個人的問題への配慮をも示さね ばならないのであって,その役割についての伝統的見方は修正されねばなら ない。経営者の業績の判断は,株主への奉仕の程度によってのみならず,従 業員の聞の人間関係の充実,科学的ならびに技術的な面での進歩,消費者へ の新製品提供における進歩,および、地域社会へのその寄与,等のいかんによ ってもなされる必要があるのであり,企業の経営は専門的な職業なのであ

O

以上のようなサットンらの指摘は,営利の追求の観点にたつところの伝統 的な企業問と並んで,より新しい企業観もしくは責任志識が当時の米国の事 業界のうちに存在するに至っていることを如実に示しているといえよう

O

か かる新しい企業矧は,社会システムとしての企業観に立脚するものであり,

それは,企業ないし経営者の利害調整的責任の主要性を強調するものであ る

o

サットンらの研究は

1940

年代末期の米国の経営理念を対象とするもので あるが,かれらのいう経営者的理念は,

1950

年代以降の米国事業界において 明瞭にその存在を認めうるであろう。

例えば,米国の代表的企業の経営者達による,コロンピア大学でのー述の 講演

(Mackensey

講演シリーズ)は, このことを哀付けている

o

例えば,

企業の目的ないし経営者の役割についての一つの代表的見方は,っきのよう

19)  Ibid.. PP. 356357. 

(14)

70 

経 営 と 経 済 である

r

企業の所有者は利潤最大化のためにその財産を思うがままに用い る権利をもっという旧い概念は,所有権はある拘束的社会義務を担うという 信条へと進化するに至っている。今日の経営者は,所有者のためののみなら ず,労働者のための,そして実にわが社会全体の受託者として奉仕する。・・

…会社は,株主,従業員,顧客,および、パブリック全体の諸要求の間で公平な ノイランスを維持するというその責任について鋭く気付くに至っている。」

かくの如く,新しい経営理念は,企業の巨大化および所有と経営の分離を 認識し,所有者以外のものからなる一種の社会システムとしての現代企業に 焦点を当てるが,かかる理念は政府観および労資観に関して古典的理念と対 照的である。古典的理念の政府観にあっては政府の基本的役割は競争の維持 であり,政府への不信がみられる

O

経済の安定成長の自動的実現が説かれ,

政府財政の拡張は望ましくないとされる

o

しかるに,経営者理念にあって は , 政府の径済的役割が認識され, 政府との協調の必要性が認められる

D

労資制についていえば,古典的理念にあっては,労働組合は否定されるとと もに財産管理への経営者の権利が強調される

O

他方,経営者的理念において は,組織のひとびとの人間的価値への配慮の必要性が強調され,また組合の 存在の受容への傾向がみられるのである。

米国の企業をみるとき,このような特質をもっ二程の経営理念が存在す る。この場合,小規模企業の理念は古典的な理念とかなりに等しいこと,ま た,企業一般についても古典的な理念も依然みられることも指摘しうるが,

新しい理念が大企業を中心に出現しつつあることは明らかである。

20)  David Rockfel1er

, 

Creative Management in Banking

, 

1964

, 

PP.22'"' 2.. .3.  21) 

乙の点を指摘する論者としては,例えばスタイナーを挙げうる

(G.A. Steiner

, 

op.  cit. ~ p.109 ff.)

22) 

小企業の経営者イデオロギーが古典的信条とさほど差がない乙とは,モンセンら によって指摘されている

(R. ]oseph Monsen

, 

]r.  and Mark W  Canon

, 

The Makers of Public Policy

, 

1965

, 

p.43)

23)  A. W. LorigWhere Do Corporate Responsibilities Lie?

Business Horizons

, 

Vo

1 .  

10

, 

Spring 1967 i HaloldKoontz and Cyril Q'Donnell  eds.

, 

Management: A Book of Readings

, 

second ed.

, 

1968

, 

PP.  651........ 

654. 

(15)

現代企業の本質的動向と企業目的

71 

( i

i)

日本の経営理念の動向

と乙ろで,わが国の経営理念の動向はどうであろうか。わが国の経営理念 が米国のそれとは種々の点で異なることは,両国の問の社会環境,産業の発 展形態,等の差異から当然である。それにも拘らず,わが国の経営理念の動 向に関しでも,サットンらのいう経営者的理念に類するものの存在を指摘し

うることは明らかである

o

24) 

例えば,昭和

38

年の径済同友会による経営者へのアンケート調査によれ ば,企業の社会的責任に関する設問への回答はつぎのようである。すなわ ち r 企業は自由企業体制下にあって自己の利潤に徹した行動をとれば,全 体としての福祉が達成されるから,結局企業の社会的責任とは社会の規範に したがって利潤追求に徹することである口」という設問への回答は,

2

パーセ ントに過きない。 r 企業は国家社会によって認せられた生産・販売・財務な どの経済的機能に最善をつくしていればすなわち,よりよいものを安く安定 的に社会に供給していれば, 社会的責任を果たしている乙とになる。」 とい う設問への回答は

11

パーセントである

o

また r 今日の企業は将来にわたる 長期間の利潤を最大にするために,ある場合には当面の利潤を犠牲にして,

社会一般,従業員などにたいして奉仕しなければならない。企業の社会的責 任とは,結局は長い目でみた企業自体の利潤を考広しての合理的行動であ る。」という設聞には

20

パーセントが, 更に r 今日の企業の利潤は, 資本 と経営者の能力だけによって得られたものではなく,国家,社会,消費者,

取引先,従業員などの援助もしくは協力によって得られたものである

O

企業 の社会的責任とは, これらの協力者に企業の利潤を分与することである。」

という設聞には

62

パーセントが賛成している

D

また r 今日の企業はその社 会的影響が大きくなっているので,社会の成員全体の福祉をはかり,健全な 社会をつくる乙とに責任をもっている。企業の社会的責任とは,ある場合に は企業が経済的犠牲を払っても,社会全体の福祉を考えて行なう自己犠牲的 行動である。」という設問には

5

パーセントの賛同がみられる。

21) 

経済同友会「径営理念と企業活動一志志決定の実態

(V)J

,昭和

39年5

月 。

(16)

7 2   経 営 と 経 済 すなわちこの調査結果をみる限りでは,古典的理念に類するものへの賛同 が殆んどみられず,程度の差はあれ,株主への利潤追求と対比されるなんら かの社会的責任の存在への賛同がみられるのである

D

しかしながら,経営者的理念に類したものがみられる一方で,古典的理念 に類するものも存在することも否定しえない

O

例えば,わが国生産企業の経営者を対象とする一つの調査によると,企業 の社会的責任については

I

企業の生産性向上の結果は,資本と経営者のみ によって得られるものではなく,政府・取引先・従業員・顧客等すべての利 害者集団の協力によって得られるものである

D

企業の社会的責任とは,これ ら利害者集団に,成果を公平に配分することである。」という見解への賛同が 経営者の過半数を占め,ついで

I

企業は,社会的に課せられている機能,

すなわち良質の製品(サービス)を安く安定的に供給するという経済的生産 機能を果していれば,社会的責任を果していることになる。」という見解,お よび「自由経済下の企業の場合には,利潤追求に徹した行動をとれば,全体 としての社会の福祉は達成されるから,社会の規範を逸脱しないで利潤を迫 求していれば, 企業の社会的責任は果される乙とになる。」 という見解の順 に賛同がみられる。また,現代企業における株主については I 株主は企業 の所有者であり,所有者たる株主の利害を念頭において行動する乙とが経営 者の責任である。」という見解への賛同が一位を占め, ついで I 株主は法 律上は企業の所有者であるが,実質的にはたんに投資家であり,今日ではそ の地位は企業の利害者集団の一つにすぎず,相対的に重要性を減じているか ら , 経営者は株主の利益のみを考えてはいられない。」とする見解, および

「経営者は,長期的には株主の利益になるとの考えから,時には株主の利益 を無視したような行劫をとることがある。」という見解の順に賛同がみられ るとともに,はじめの見解ならびに最後のそれへの賛同を合計するとき過半 数を形成している

O

25) 

日本学術振興会経営問題第1

08

委員会が昭和4

2

年に行った調査(山披章編「現代 の経営理念(実態編)

,昭和

42

年)。

26) 

山城章,前掲吉,

175

頁"

""'176

頁 。

(17)

現代企業の本質的動向と企業目的

73 

かかる調査結果のみによっても,サットンらのいう古典的理念および経営 者的理念に類するものの存在をわが国の経営理念のうちに認めるであろう。

企業の社会的責任に関しては,利害関係者に対する成果の公正配分をもって 社会的責任とみる見解に,および,財貨ならびに用役の適切な供給をもって 社会的責任とみる見解に,また,株主の地位に関しては,株主を利害関係者 の一つに過ぎないとみる見解に,いずれもかなりの賛同が認められること は,新しい企業観に立脚すると乙ろの経営理念がわが国にも存在することを 示しているといえる

o

他方,社会的責任に関しては,手Ij潤追求をもってかか る責任とみる見解に,また,株主に関しては,株主の利害を念頭において行 動すべしという見解,および株主の長期的利益の観点から行動すべしという 見解に,これまたかなりの賛同がみられることは,古典的な経営理念が根強

く存在していることを物語るものといえよう。

(3) 

経営理念と社会的責任

これまでのところでは,米国およびわが国における経営理念の動向につい て検討を行なってきた。そこで明らかになったことは,少くとも米国および わが国に関する限り,現代の経営理念というものが新しい企業観を基礎とし つつ形成される傾向にあるようにみえるという乙とである

D

つまり伝統的な 経営理念から,社会的責任を強調すると乙ろの新しいそれへの移向の傾向が 推測されうるのである

o

そして,乙のことのうちに現代企業の性格の変化に 対する手掛りの一端を求めうると思われる

o

すなわち,現代企業というもの が伝統的な経済理論において示されるところの企業保とは著しく異なったも のとなりつつあることを,経営理念の動向は物語っているといえよう

D

むろ ん,現代の経営理念のうちに伝統的なそれと新しいそれとが併存しているこ ともまた忘れられてはならないのであり,二程の理念のかかる併存ないし対 立はまた,イー

j

レズのいうように,変貌しつつある現代企業についてその実 態を説明するとともにそのあり方を明らかにするような企業原理を現代企業 が必要としていることを示すものである。

それはともかく,利潤を強調する古典的,伝統的理念から社会的立任を強

(18)

74 

経 営 と 経 済 調する経営者的理念へと向う傾向は,必然的にして不可避的な傾向であると 思われる

o

27) 

ペテイットは,古典的経済理論,工業化への要請,社会的ダーウィニズ ム,および十戒に支えられてきた利潤理念が,五つの草命によってその基盤 を崩され,社会的責任の理念が経営者に不可避的となっていることを指摘す る。ここに五つの革命とは,組織の数と規模の増大を意味する組織革命,大 企業の産業集中と企業機能の多元化とを意味する会社草命,所有者からの経 営者の独立と利潤動機の弱体化とを意味する経営者革命,会社所有権の概念 の変化をもたらした所有権革命,および,資本主義の伝統的な理念と形態の 変化を意味する資本主義革命である。

かれは,経営理念というものは,草新的,保守的,および反動的という三 つの段階を経過するとみる

O

そして利潤理念は,これら三つの段階を既に通 過してきているとみる

o

すなわち,重商主義を批判し資本主義を弁護する利 潤理念は産業革命期には草新的であった。また,それは,急速な工業化がみ られた,

19

世紀末期の企業の時代には,既存の社会秩序に合致し企業実践と 一致しており,保守的であった。そして,今日ではそれは,それを普遍的た らしめていたレッセ・フェアの社会理念と古典派経済理論との崩解に伴っ て,反動的段階を迎えているのであって,社会的責任理念が現在では革新的 段階を迎えているのである

o

そしてペティットは,特定の経営理念が社会で 普遍的になるためには社会の一般的な経済理念と経済理論がそれと両立して いることが必要なこと,そして,社会的責任と両立する経済理念と経済理論 が出現しつつあり,ここから,社会的責任の理念もいずれ,革新的段階から 保守的段階へと向うであろうことを示唆するのである

D

伝統的な利潤理念から社会的責任理念への移行の傾向はこのように明らか であって,このことは社会的責任が現代の大企業の目標としても作用してき ていることを示唆する口次節では,社会的責任の目標化を中心に企業目標の 動向について眺めてみたい。

27)  Thomas A. Petit, The Moral Crisis in  Management, 1967 (土屋守主主訳

「企業モラノレの危機 J

,昭和44) Chapter 

n .  

(19)

現代企業の本質的動向と企業目的

75 

4

節 経 営 目 標

企業の社会的責任なる概念は,その実践が疑わしいような観念としての段 階を去って, 経営実践において現実に作用するに至っている。従業員の要 求への配慮や企業の慈善的寄付活動は,このことを裏付けている

o

かかる実 践は,法や圧力団体による強制の下でのいわば義務化された実践をのみなら ず,企業自身の主体的意志に基づく自発的,自律的実践をも意味する。

かかる社会責任は,利潤追求の手段および制約としてのみならず,企業の 目標としても作用するようになっているといえよう

O

企業の目標についての 伝統的な見解が論者の問に依然,かなり根強く存在する一方,企業目標の実 態に関する実証的分析は,巨大株式会社企業に関する限り,企業の性格が伝 統的なものとは異なってきている乙とを示唆している

D

本節では,企業目標 と社会的責任の関係、を中心に企業目標について検討を加えることにする

D

( 1 ) 目 標 の 概 念

現代企業の目標がなんであり,またなんであるべきかをめぐって多くの見 解が提出されるに至っており,企業ないし経営者のいわゆる社会的責任なる 問題に対する社会的関心が増大するにつれ企業目標のあり方に関する論議は 発展の傾向にある。かかる論議は,少くともそれが科学的なものたらんとす るならば,企業目標についての事実ないし本質的動向に重点を当てるもので なければならない

D

ラドナーは,システムの諸状態のうちのある状態を選好しているような システムが目的論的システムであり,かかる選好された状態がシステムの目 標

(goals)

もしくは目標状態を怠味しているという

O

この場合の被選好性

28)  R.  EelJs and C.  Walton

, 

op.  cit.

, 

revised.

, 

1968

, 

P.  191 ff..

かれら は企業径営者が貧困,教育,都市改造,交通機関,公害,人程問題等にも反応を 示しつつあること,社会的責任へのかれらのコミットメントを株主総会で,もし くは年次報告書で株主に告げはじめており,みせかけと実践の墳が消え去りつつ あることを指摘する。

29)  Richard S.Rudner

, 

Philosophy of  Social Science

, 

1966 

(塩原勉訳「社会 科学の哲学

J

,昭和 4 3 年). 

30)  Ibid.

, 

p.95 

(同訳書,

145頁). 

(20)

76 

(preferredness)

なる概念は大ざっぱにいって, 、システムがすべての可 能な状態のうちから,ある一つの状態(またはあるー集合の状態)に向って 運働する傾向にある,ないしは,より大きな傾向性を示す一一あるいは,既 に達成されたならば,そのような状態に止まる傾向があるグ乙ととして表現 されうるとされるのである

D

企業の目標を抽象的に述べれば,ラドナーのいう如くになる

O

問題は,企 業における目標は具体的にはなにかということである

O

乙の場合 j 目的ある いは目標なる語が企業に関して用いられる場合,その意味は論者によりさま ざまであることに注意せねばならなし凡それは企業が指向するなんらかの究 極的目標(例えば伝統的立場の論者における利潤)を意味する場合もあれ ば,かかる目標実現のためのより具体的な政策的目標,例えば,利潤実現の ための売上高増大を指す場合がある

O

企業の目標は一般的には,一つの階層 的体系をなして存在するのであって,究極的目標を目標体系の頂点として,

そこから直接・間接により具体的な目標が派生し,これらの派生的目標の下 位に更に幾つかの副次的目標が存在するのであるが,これらの多様な次元の 目標のうち,いわゆる企業目標として問題となるのは,当然,究極的にして 根本的な目標であって,本節ではそのような目標の実態と動向がなんである かについて検討が加えられる。

(2) 

目標説の多様性

さて組織の特質は,その目標に端的に顕われているといいうる

D

乙乙に目 標は,組織もしくはその主体が指向する客観的,非規範的な目標を意味する が,現代の代表的企業であり現代企業と呼びうるととろの巨大株式会社企業 の目標がなんであるかについては,諸説が存在しているのである

O

それらは さまざまな基準によって程々のグルーフ。に分類可能である

D

一つの分類は目 標の数によって単一目標説と複数目標に分けることである

o

また目標説につ いて企業をもってなんらかの関係者のための手段的構成体とみる立場と,企 業それ自身を一つの有機体的存在とみる立場とに大別する乙とも可能である

31)  Ibid., p.96 (同訳書, 147頁'"''148頁). 

(21)

現代企業の本質的動向と企業目的

77 

と思われる。企業の究極的目標を考察するに際しては,後者の分類方式が都 合のよいようにみえる

O

さて,企業目標説を企業についての手段的構成体説と有機体説とに分ける 場合,手段的構成体説にあっては,企業の目標は伝統的な所有者たる株主の 経済的要求をのみ反映するとみるものから,企業の目標が広範な諸グノレープ の多様な済済的ならびに非経済的な期待を反映するとみるものまで,さまざ まな目標説が存在する

o

有機体説にあっては,企業自身の存続もしくは成長 がそれ自体で企業の根本目標を構成するとされる

o

以下,乙れら二つの範曜 の目標説について簡単にみていこう

o

)企業有機体説

この立場は企業を独自の有機体とみ,その存続,吏にはより積極的な概念 としての成長をもって企業目標とみるものである。

存続をもって企業の目標ないし目的とみる見方は,いわゆる組織論学派に 属する企業理論の論者を中心に出現してきているといえる

o

組織論学派の説 については,既に多くの論者によって検討がなされているので,ここでは具体 的にはとり上げないが,かかる学派の説の特色について,マクガイヤーはつ

32) 

ぎのように指摘する

o

組織論的な諸企業概念はその細部に関してはかなりの 相違がみられるが, しかしながらそれらの大多数は,少くとも三つの局面を 共通に有しているようにみえる。すなわち,

(1) 

その中で行為者が行劫する フレームワークとしてよりも,むしろ個人の諸関係の複雑なパターンとして の企業概念,

(2) 

厳格な合理性なる伝統的仮定を排除しそれに替えるに合理 性についての数種のタイプの修正された仮定のいずれか一つをもってしてい ること,

(3) 

企業は存続なる目標をその底にもつ恒常的な社会経済的組織

(a  homeostatic  socio‑economic  organization)

であるという想定(しば

しば,暗示的に存在するにすぎぬが)が,それである,と

D

このように,存続目標説が組織論学派の論者を中心に提唱されつつあ

32)  ]oseph W. Mcguire

, 

Theories of Business Behavior

, 

1964

, 

pp .30~3 1.

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