FUJIMURA Ichiro and GOTO Hiromichi, YOSHINO Sakuzo vs. The Kwantung Army

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

FUJIMURA Ichiro and GOTO Hiromichi, YOSHINO Sakuzo vs. The Kwantung Army

井竿, 富雄

山口県立大学国際文化学部国際文化学科 : 教授

https://doi.org/10.15017/2740996

出版情報:政治研究. 67, pp.119-126, 2020-03-31. Institute for Political Science, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

書 評

藤村 一郎

/後 藤啓 倫著

﹃吉 野作 造と 関東 軍︱

︱満 蒙 権益 をめ ぐる 民本 主義 と統 帥権 の相 克︱

︱﹄

︵有 志舎

︑二

〇一 九年

井 竿 富 雄 一 時代 の転 換期 に読 まれ る︑ ある いは 思い 出さ れる べき 学者 がい る︒ 吉野 作造 もそ の一 人で はな いか

︒今 回評 者が とり あ げる この

﹃吉 野作 造と 関東 軍﹄ 以外 にも

︑二

〇一 九年 には 今 野元 氏の 著書

﹃吉 野作 造と 上杉 愼(

)

﹄が 刊行 され てい る︒ 上 杉愼 吉が 対決 して いた のは 美濃 部達 吉で はな くむ しろ 吉野 作 造で あっ た︑ とい う内 容で ある

︒ 今回 藤村

・後 藤両 氏の 手に なる 本書 は︑ 吉野 作造 対関 東軍

︑ とい う大 きな 枠組 みの 下に

︑日 本近 代史 を考 え直 す試 みで あ ると いっ ても よい だろ う︒ この 両者 は一 度も 相ま みえ たこ と はな い︒ 直接 の論 戦を 交わ した 形跡 もど うや らな い︵ 本書 で 取り 上げ られ てい るよ うに

︑個 別の 軍人 は意 識的 に対 決し て

いた と考 えら れる

︶︒ しか し本 書は

︑両 者が

﹁大 陸政 策﹂

︑具 体的 にい えば 日本 近代 外交 史の 中で も最 も根 深い 部分 とも い いう る﹁ 満洲 問題

﹂に おい て︑ 本書 の言 葉を 借り れば

﹁一 指 も触 れえ ぬ︑ しか しな がら 激し い闘 い﹂

︵一

〇頁

︶を 繰り 広げ てい た︑ とい う論 旨の 下に 展開 され てい る︒ 著者 のう ち︑ 藤村 氏は 吉野 作造 の専 門家 であ り︑ 後藤 氏は 日本 近代 政治 外交 史︑ とり わけ 満蒙 政策 につ いて の研 究を し てい る︒ この 二人 が手 を組 むこ とで

︑本 書は より 広く 問題 を 検討 する こと がで きる 体制 を整 えよ うと した こと が分 かる

︒ 既に 本書 につ いて は︑ 平野 敬和 氏の 手に なる 書評 が発 表さ れ たこ とも あ(

)

︒こ のよ うな 先発 の書 評も 考慮 に入 れな がら 本 書に つい て評 して いく こと にな る︒ それ では 以下

︑本 書の 内容 を検 討し てみ たい

︒ 二

「は じめ に﹂ にお いて

︑著 者は 以下 の三 つの ポイ ント から 吉 野作 造と 関東 軍の 関係 と闘 いを 描き 出し てい く︑ と宣 言す る︒ それ は﹁ 大陸 政策

﹂﹁ いか なる 国際 秩序 を構 想し たか

﹂そ して

﹁統 帥権 独立 の理 解﹂ であ る︒

「大 陸政 策﹂ につ いて は︑ 吉野 作造 につ いて は﹁ それ ら︵ 中

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国や 朝鮮 の領 土・ 権益

・政 治的 な影 響力

︱評 者︶ に極 力依 頼 せず に朝 鮮半 島や 中国 大陸 との 関係 を取 り結 び︑ 日本 の民 族 的生 存を 確保 しよ うと する もの

﹂︵ 一一 頁︶ とす る︒ 理想 主義 的と 評さ れる こと が多 い吉 野作 造の 外交 論も

︑現 実情 勢か ら 説き 起こ し︑ 同時 代的 な状 況で の着 地点 を見 据え た現 実的 な 改革 を提 起し てい たと 著者 は言 う︒ 関東 軍に おい ては

︑﹁ 陸 軍中 央の 政策 枠組 みか ら徐 々に 収ま るこ とが 難し くな るほ ど の独 自の 政策

﹂︵ 一一 頁︶ を立 案す るよ うに なる 存在 とし て理 解さ れる

︒そ れは

︑関 東軍 自身 が置 かれ た特 殊な 政治 的環 境 によ るも ので ある と著 者は 記す

「い かな る国 際秩 序を 構想 した か﹂ につ いて は︑ まず 著者 は 両者 が置 かれ た環 境を

﹁先 進資 本主 義国 によ る国 際秩 序の 編 成と

︑そ れに 揺さ ぶり をか ける ソ連 とい う基 本構 造の なか で︑ 潜在 的大 国と して の中 国に 対し 膨張 しつ づけ る日 本帝 国が 位 置し てい る﹂

︵一 三頁

︶と する

︒そ の上 で両 者が 打ち 出し 続け た国 際秩 序構 想に つい て考 える こと を提 起し てい る︒ そし て﹁ 統帥 権独 立の 理解

﹂で ある

︒統 帥権 独立 問題 は︑ これ だけ で一 冊の 本に なる ほど の日 本近 代政 治史 の大 問題 で ある

︒帝 国憲 法に ある

﹁天 皇は 陸海 軍を 統帥 す﹂ とい う一 条 文か ら発 生し

︑大 日本 帝国 の崩 壊ま で巨 大な 力を 持ち 続け る こと にな った

﹁統 帥権

﹂に つい て︑ 両者 がい かに 理解 をし

どの よう に相 対し たか とい うこ とで ある

︒吉 野作 造は

︑本 書 で見 るよ うに 統帥 権が 国務 から 独立

︑あ るい は離 反し てい く よう な動 きに 対し て批 判的 であ った

︒対 する 関東 軍は

︑ま さ に統 帥権 の独 立が 強化 され るこ とに よっ て政 治的 影響 力を 手 に入 れた ので ある

︒著 者は

﹁吉 野は どこ まで 統帥 権の 弱点 を つか み︑ ある いは つか みき れな かっ たの であ ろう か﹂

︑そ して

﹁対 する 関東 軍は 統帥 権を いか にし てわ がも のと した ので あ ろう か﹂

︵一 三︱ 一四 頁︶ と読 者に 問い かけ る︒ 第一 章で は︑ 日露 戦争 から 第一 次世 界大 戦期 まで の両 者に つい てと りあ げら れて いる

︒両 者が 互い の存 在を 意識 し始 め た時 代と 言っ ても よい であ ろう か︒ 日露 戦争 で日 本は 満洲 の南 半分 に関 する 利権 を手 に入 れ た︒ 陸軍 はこ こを 恒久 的な 占領 地に しよ うと した が︑ 当時 は まだ 国務 の側 が強 力に 陸軍 を抑 制し

︑軍 政を 終了 させ て﹁ 関 東都 督府

﹂を 設置 する こと で国 際政 治上 の批 判を 沈静 化さ せ よう とし た︒ この 権益 を防 衛す るた めの 軍隊

︑す なわ ち﹁ 関 東軍

﹂の 歴史 はこ こに 始ま る︒ 関東 都督 府は 外交 と軍 事が 交 錯す る組 織で あり

︑都 督に は軍 人が 任じ られ た︒ 関東 都督 府 はつ とめ て外 務省 から の抑 制回 避を 狙い

︑こ のこ とが 長期 間 にわ たっ て租 借地 関東 州を めぐ る政 軍間 の問 題と なっ てい

(

)

︒そ して

︑青 年学 者吉 野作 造は

︑対 露警 戒と

﹁支 那保 全論

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の影 響を 強く 受け た外 交政 策論 を出 して いく こと にな る︒ 吉 野は 東京 帝国 大学 卒業 後︑ 母校 に職 を得 るま でに 中国 に渡 り 袁世 凱の 息子 の家 庭教 師と いう 立場 から 中国 を見 る経 験も し た︒ この よう な中 では

︑対 華二 一カ 条要 求の 際の 論調 で知 ら れる よう に︑ まだ 中国 の主 体性 や潜 在力 を意 識し たよ うな 発 言は でき てい ない

︒ その 後︑ 在満 陸軍 や大 陸浪 人が 手を 組み

︑満 洲を 中国 から 分離 する ため の工 作が 発動 され た︒ 本書 でい う第 二次 満蒙 独 立運 動や 郭家 店事 件・ 鄭家 屯事 件と いっ たも ので ある

︒吉 野 は︑ 第二 次満 蒙独 立運 動を 批評 する 中で

︑外 交政 策が 軍部 に 掣肘 され てい るの では ない かと いう 懸念 を示 して いた

︑と 著 者は いう

︒ 第二 章は

︑第 一次 世界 大戦 後の 世界 情勢 のな かで 展開 され た日 本の 対中 国政 策や シベ リア 出兵 をめ ぐる 問題 を扱 って い る︒ 第一 次世 界大 戦の 終結 によ って

︑世 界は 旧来 の秩 序か ら 変化 しつ つあ った

︒し かも

︑大 戦の 中で 同盟 関係 と呼 ばれ る ほど に深 化し てい た日 露関 係が

︑ロ シア 革命 によ って 瞬時 に 消滅 した

︒ 関東 軍の 前身

︵こ の時 点で は満 洲に 交代 で駐 屯す る軍 隊︶ はシ ベリ ア出 兵で は中 露国 境に いた 反革 命派 支援 の派 兵に 加 わっ た︒ 寺内 内閣 は北 方軍 閥に 西原 借款 を供 与し て基 盤を 強

化し

︑日 本陸 軍は その 北方 軍閥 の軍 隊を 自ら の統 制下 に置 こ うと して いた

︒原 内閣 の発 足で 西原 借款 は打 ち切 られ

︑シ ベ リア 出兵 の段 階的 撤退 が模 索さ れた

︒そ して 一九 二一 年︑ 陸 軍と 外務 省の 間で 懸案 とな って いた

﹁関 東州 行政 機構 改革

﹂ は関 東都 督府 の廃 止と 文官 が長 にな る﹁ 関東 庁﹂ の設 置︑ そ して

﹁関 東軍

﹂の 設置 とい う形 によ って 完成 を見 た︒ 外交

・ 行政 部門 と軍 事部 門を 分離 した こと によ り混 乱は 収ま るか に 見え たが

︑こ れに よっ て本 国政 府の 機関 であ る関 東庁 が抑 制 でき ない 可能 性を 持つ

﹁関 東軍

﹂が つい にそ の姿 を現 した の であ る︒ 吉野 作造 は既 にこ の時 点で

︑﹁ 民本 主義

﹂と いう 旗を 掲げ た 国内 政治 改革 の論 客と して 名を はせ てい た︒ そし て吉 野は 国 際政 治に つい ても 活発 に論 稿を 発表 して いた

︒著 者は 吉野 が

﹁門 戸開 放政 策﹂ を通 じて

︑中 国の 帝国 主義 的な 分割 政策 とは 異な る方 向を 模索 し始 めて いた と論 ずる

︒吉 野は 新し い勢 力 とし ての アメ リカ 合衆 国を 意識 し︑ 対米 政策 と中 国の 分割 状 況を 変え るた めの

﹁門 戸開 放政 策﹂ に注 目し てい たと 論ず る︒ しか しそ こに は日 本の 満蒙 権益 とい う障 壁が あり

︑石 橋湛 山 ほど 明瞭 に﹁ 権益 放棄

﹂を 言い 出す こと はで きな かっ たこ と につ いて 述べ てい る︵ 六四

︱六 五頁

︶︒ シベ リア 出兵 は︑ 陸軍 軍人 寺内 正毅 率い る内 閣の 下で ス

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ター トし た︒ この 出兵 にさ まざ まな 構想 や思 惑が 内外 問わ ず うご めい てい たこ とは もは や詳 述の 要は ない

︒吉 野は この シ ベリ ア出 兵に も批 判の 矢を 向け た︒ さら に日 本陸 軍が この 機 に乗 じて 中国 北方 軍閥 の軍 事力 をわ が手 に収 めよ うと して い た﹁ 日華 陸軍 共同 防敵 軍事 協定

﹂を も批 判し た︒ 著者 は︑ 吉 野が 軍部 の中 国政 策に 対す る検 討を する 過程 で︑ 自国 の政 治 を変 えよ うと する 中国 の若 者た ちの 存在 に気 付き

︑こ こを 契 機と して 吉野 の中 国観 が変 化し てい く可 能性 を指 摘し てい る

︵七 七頁

︶︒ 第三 章で は︑ まず ワシ ント ン体 制に 対す る吉 野と 関東 軍と の対 応に つい て考 察を 進め てい る︒ ワシ ント ン会 議に おい て︑ アジ ア・ 太平 洋地 域の 秩序 が変 化す るこ とに なっ た︒ 日 英同 盟は 廃棄 され

︑ワ シン トン 諸条 約は 中国 での

﹁現 状維 持﹂ を決 めた

︒そ のな かで 吉野 は︑ ワシ ント ン会 議で 姿を 現し た

﹁ワ シン トン 体制

﹂を 歓迎 し︑ 九カ 国条 約で 決め られ た中 国に おけ る新 しい 国際 関係 を﹁ 支那 保全

﹂論 の立 場か ら歓 迎し た︒ 石井

・ラ ンシ ング 協定 に示 され た﹁ 境界 線を 接す る国 には 特 殊の 権利 が生 ずる

﹂と いう もの です ら︑ 吉野 はも はや 意味 を 成さ ない とし た︒ ただ し︑ 吉野 は﹁ ユー ラシ ア大 陸の 東西 情 勢を 俯瞰 する 戦略 を描 ける 戦略 家﹂ では なか った

︑と する

︵一

〇三 頁︶

︒反 面で 日本 の陸 海軍 にと って ワシ ント ン体 制は 衝

撃的 な転 換を もた らす もの だっ た︒ 海軍 力の 制約 や満 洲北 部 に拡 大し たシ ベリ ア出 兵軍 の撤 退を 余儀 なく され るこ とに なっ たか らで ある

︒現 地軍 とし ての 関東 軍は

︑満 洲を 支配 す る軍 閥・ 張作 霖と の協 定に より 軍事 力の 温存 をは かる こと で これ らの 動き に抵 抗し たこ とが 示さ れて いる

︵一 一五 頁︶

︒ 続け てこ の章 では

︑ま さに 本書 のク ライ マッ クス とも いえ る﹁ 帷幄 上奏 権﹂ 批判 をめ ぐる 吉野 と軍 部の 対決 が描 かれ る︒ 第一 次世 界大 戦後

︑政 党勢 力に よる 軍制 改革 の旗 が掲 げら れ︑ 原敬 首相 によ る﹁ 海軍 大臣 臨時 事務 管理 問題

﹂や 文官 台湾 総 督の 任命

︑政 党政 治家 によ る軍 部大 臣武 官専 任制 改革 や軍 縮 要求 が出 現し た︒ 吉野 作造 は一 九二 二年 に著 書﹃ 二重 政府 と 帷幄 上奏

﹄を 発表 して

︑軍 部が 帝国 憲法 でい う天 皇の

﹁統 帥 権﹂ を根 拠に 実質 的に 内閣 の統 制が 及ば ない 状況 を作 り出 し てい るこ とを 批判 し︑ 統帥 権を 国務 の範 囲内 に回 収す べき で ある と主 張し た︒ この 著書 に軍 人が 強く 反発 した

︒著 者は こ の書 物に 真崎 甚三 郎と 目さ れる 人物

︵書 籍が 久留 米大 学所 蔵 の真 崎甚 三郎 文庫 所蔵 だか らで ある

︶が 書き 込ん だ反 論を 紹 介す る︵ 一二 七頁 以下

︶︒ 軍部 と吉 野が 最も 接近 して 闘っ て いた こと を示 すも ので もあ るだ ろう

︒ 四章 と五 章は テー マが 連続 して いる

︒満 洲で の情 勢変 化 や︑ 中国 その もの が大 変革 を遂 げて いく 中で の︑ 吉野 の中 国

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観の 変化

︑そ して 陸軍

・関 東軍 の対 応を 論じ てい る︒ 中国 は 軍閥 間の 抗争 が激 化し てい たが

︑つ いに 国共 合作 によ る﹁ 国 民革 命﹂ が勃 発し た︒ 国共 合作 は途 中で 破綻 した が︑ 中国 は 国民 政府 の下 に統 一を 回復 して いく

︒加 えて

︑中 国は 条約 に よる 利権 も放 棄を 迫る

﹁革 命外 交﹂ を採 るよ うに なっ てい っ た︒ 吉野 は軍 閥に つい ては 批判 的で あり

︑早 晩滅 びる もの と 考え てい た︒ そし て︑ 満洲 利権 は︑ 条約 で明 示さ れた もの と 軍閥 との

﹁明 示又 は黙 認﹂ によ るも のが ある が︑ いず れも 放 棄す べき だと 主張 した こと を著 者は 示す

︒吉 野は 当初 中国 の

﹁省 民自 治﹂ や連 邦制 構想

︑そ して

﹁ヤ ング

・チ ャイ ナ﹂ を評 価し てい たが

︑後 には 国民 革命 を支 持し

︑国 民党 右派 の政 治 家戴 天仇 とも 会見 して

﹁国 民政 府の 交戦 団体 承認

﹂﹁ 国民 政府 が従 来の 法規

・慣 例を 承認 する こと

﹂﹁ 特殊 な地 位︵ 中国 各地 に租 借地 等の 利権 を設 定さ れて いる こと

︶の 原因 をす べて 諸 外国 の侵 略主 義に 求め ない

﹂と いう 条件 の下 での 日中 提携 を 呼び かけ たこ とを 明ら かに して いる

︵一 九一 頁以 下︶

︒こ の 反面 で︑ 政府 も軍 部も

﹁張 作霖 支持

﹂の 政策 を継 続し

︑国 民 革命 の帰 趨が 定ま りつ つあ る中 で関 東軍 によ る張 作霖 爆殺 事 件と いう 次の 段階 が勃 発す る︒ 第六 章は 両者 の最 終対 決と いえ る満 洲事 変で ある

︒満 洲事 変自 体が

︑関 東軍 が自 ら考 えた 対満 蒙政 策の 回答 だっ た︒ 吉

野に は時 間も 含め てあ まり 余裕 がな かっ た︒ 満洲 事変 につ い て執 筆し た論 説﹁ 民族 と階 級と 戦争

﹂は 検閲 で大 量に 削除 さ れた

︒そ れで もな お事 態は まだ 決定 的に 悪化 して いな いと い い︑ その 後の 論説 でも リッ トン 報告 書に 対日 宥和 の方 向性 を 看取 した

︵二 六四 頁︶

︒さ らに 満洲 国成 立の 現実 と︑ 日中 関係 改善 を要 する

﹁東 洋モ ンロ ー主 義﹂ の確 立と の間 に苦 悩し た 文章

︵二 七五 頁以 下︶ を執 筆し

︑一 九三 三年 に死 去し た︒

﹁こ の時 点で 吉野 が言 論で 牽引 して きた

﹁大 正デ モク ラシ ー﹂ は︑ 関東 軍の 策動 に敗 北し たの であ る﹂

︵二 八〇 頁︶ がこ の章 で著 者が 下し た評 価で ある

「お わり に﹂ にお いて

︑著 者は 吉野 作造 と関 東軍 や軍 部に あっ た大 陸政 策論 の近 似点 と決 定的 な相 違点 を五 点に まと め る︒

﹁日 本の 国家 的生 存を 目指 すこ と﹂ の共 有︑ 陸軍 も満 洲事 変ま でワ シン トン 体制 に配 慮す る姿 勢は あっ たこ と︑ しか し 双方 とも 対中 国政 策で 結果 とし てワ シン トン 体制 に収 まら な い方 向性 を持 って いた こと

︑ロ シア への 警戒 とソ 連排 除︑ こ れと の関 連で

︑米 ソの 間で

︑日 中関 係を 軸と して 日本 が独 自 の地 域的 権力 とな るこ とを めざ すこ と︑ これ らは 一致 して い たの だと いう

︒し かし まさ に中 国を どう 見て

︑ど う扱 うか で 決定 的な 対立 点が 生じ た︒ 中国 を対 等な 提携 相手 とし てみ な そう とし てき た吉 野と

︑従 属的 パー トナ ーと して しか みな さ

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なか った 軍部 とい う︑ 中国 観の 問題 であ る︑ とい う︒ そし て最 後に

︑著 者は 軍部 や関 東軍 の暴 走を 防ぎ うる よう な制 度改 革が

︑﹁ 民衆 の力 を得 て統 帥権 問題 を解 決し よう と する 政治 のプ ロフ ェッ ショ ナル は出 てこ なか った

﹂こ とに よっ てで きな かっ たと いう

︒そ れは

﹁近 代日 本の

﹁デ モク ラ シー

﹂の 質に 舞い 戻る

﹂問 題で あっ たと する

︒﹁ デモ クラ シー をい かに 上質 なも のと する のか とい うこ と﹂ は現 代の 議会 制 民主 主義 体制 にお いて も残 され たこ とで ある

︑と して 著者 は 本書 を結 んで いる

︵二 八八 頁︶

︒ 三 本書 の特 徴は

︑や はり その 視点 と取 り組 みに ある と評 者は 考え てい る︒ 視点 は︑ 直接 対峙 した こと のな い吉 野作 造と 関 東軍 とが

︑言 論や 対外 政策 構想 にお いて 激し く闘 争し てい た とい うこ とで ある

︒吉 野作 造と いえ ば︑ 国粋 主義 者の 集団 浪 人会 との 対決 や︑ ある いは 民本 主義 をめ ぐる 論争 が想 起さ れ る︒ しか し︑ 著者 はあ えて

﹁関 東軍

﹂と いう

︑特 に一 九三

〇 年代 以降 の日 本政 治を 強く 規定 して いく 存在 に絞 り込 んで い く︒ 関東 軍の 前身 が日 露戦 争後 の情 勢下 に誕 生し

︑外 務と 軍 事の 軋轢 の中 で少 しず つ勢 力を 強め てい った

︒そ して 吉野 作

造も 民本 主義 の論 客と して 成長 して いく 中で

︑中 国政 策で 少 しず つ存 在感 を増 して いく 満洲 にい る現 地軍 の動 きや

︑﹁ 統 帥権

﹂の 旗の 下に 国務 の介 入を 遮断 する 陸海 軍の 存在 に気 付 いて いく

︒中 国政 策や ワシ ント ン体 制下 での 日本 外交 にお い て︑ 双方 はと もに 日本 の国 際的 な地 位の 確保 に余 念が ない が︑ 最終 的に 満洲 事変 とい う直 接行 動に 出た 関東 軍が

︑当 座の 優 位を 固め てい く︒ 一度 は成 長し た政 党政 治が 最終 的に 軍部 を 抑制 する こと がで きな いま ま敗 北し てい く︒ 近代 日本 政治 外 交史 をこ のよ うな 点か ら見 てい くこ とで

︑一 度は 成長 した 自 由主 義・ 民主 主義 的な 思想 や運 動が 一九 三〇 年代 に劇 的に 敗 北し てい く過 程を 概観 する こと がで きる ので ある

︒ま た︑

﹁民 本主 義﹂ の部 分だ けが よく 知ら れた 吉野 作造 が︑ 外交 や軍 事 関係 の政 策論 にま で手 を広 げて いた こと は︑ 専門 家な らば よ く知 ると ころ であ るが

︑一 般的 には そう では ない

︒し かし 本 書は 吉野 の対 外政 策論 とい う側 面を 知る こと がで き(

)

︒本 書 は一 冊で

︑青 年期 から 死の 直前 まで の吉 野の 代表 的な 言論 活 動に 触れ てい るの で︑ この 点も 重要 であ る︒ 評者 は特 に︑ 真 崎甚 三郎 文庫 に所 蔵さ れて いた 吉野 の著 書に 対す る反 論の 書 き込 みの 部分 に強 くひ かれ た︒ 知識 人の 放っ た言 論が

︑ま さ に当 事者 に刺 さっ た瞬 間を とら えて いる

︒ また

︑吉 野作 造研 究の 専門 家︵ 藤村 氏︶ と︑ 外交 史の 専門

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家︵ 後藤 氏︶ が組 むこ とに よっ て︑ 当該 期の 情勢 と諸 主体 の 言論 活動 や対 外政 策構 想の 構図 が浮 かび 上が るよ うな 工夫 が なさ れて いる とい う点 も本 書の 長所 と言 うこ とが でき るだ ろ う︒ しか も︑ 学術 論文 の書 き方 をあ えて はず し︑ 参考 文献 だ けを 示す 方法 で叙 述を 進め てい る︒ これ は信 夫清 三郎 の﹃ 大 正デ モク ラシ ー史

﹄を 思わ せる 手法 であ る︒ 典拠 は示 しつ つ も︑ むし ろ本 文の 叙述 を読 み易 くす るこ とに 重点 が置 かれ て いる

︒学 術的 な水 準は 落と さず に広 く知 見を 社会 に知 って も らい

︑現 代に 資す るこ とを 意識 した 姿勢 は︑ 本書 の書 き出 し が現 代の 軍事 力行 使に 関す る問 題か ら始 まっ てい るこ とで も 明快 であ る︒ ただ

︑本 書の 問題 点は 読者 に対 して イン パク トの ある 視点 を繰 り出 そう とし たと ころ から 始ま って いる とも 考え られ る︒ 本書 は︑ 関東 軍の 誕生 から 暴発 まで の歴 史と 並行 して

︑ 大正 デモ クラ ット とし ての 吉野 作造 によ る言 論の 闘い を描 い てい く︒ ただ

︑ど うし ても 叙述 の中 で︑

﹁軍 部﹂ とい う存 在と

﹁関 東軍

﹂と いう 存在 の境 界線 があ いま いに なっ てい く︒ 本 書も 参考 文献 とし て用 いた 島田 俊彦

﹃関 東(

)

﹄を 見る と︑ 関 東軍 がま ず軍 人を 長と する 関東 都督 府の 軍隊 とし て発 足し

︑ 外務 省や 参謀 本部 など の間 で満 洲関 係の 事項 につ いて 権限 争 奪戦 が行 われ た︒ その 後︑ 原内 閣の 関東 庁設 置に よっ て関 東

庁は 文官 がト ップ の機 構と なっ た︒ 軍隊

︑即 ち関 東軍 が関 東 庁か ら分 離し た結 果︑ 政府 のコ ント ロー ルが 及び にく くな る プロ セス が描 かれ てい る︒ それ でも

︑本 格的 に関 東軍 が日 本 の政 治や 軍中 央の 統制 まで を振 り切 るの は一 九三

〇年 代に なっ てか らで ある

︒つ まり

︑関 東軍 がわ れわ れの 知る

﹁関 東 軍﹂ とし て不 気味 な存 在に なる のは かな り後 であ る︒ 吉野 が 言論 をも って 闘争 した 相手 は︑ むし ろ関 東軍 より も﹁ 軍部

﹂ では ない か︒ 天皇 直属 とい う立 場か ら帷 幄上 奏の 特権 を有 し︑ 軍部 大臣 武官 制︵ 吉野 の死 後に

﹁現 役﹂ が再 度つ いた

︶ の故 に内 閣の 死命 を制 する こと も可 能だ った 軍部 の存 在は や はり 大き い︒ その 陰に 隠れ てい た関 東軍 が︑ 本格 的に 動き 出 すの はこ の後 であ る︒ 吉野 の生 涯の 大半 では

︑中 国駐 留の 日 本軍 はそ の軍 部の 一部 とし て外 務と 別に 独自 の中 国構 想を 考 え︑ 独自 の動 きを とる 存在 とし て意 識さ れて いた と考 える べ きで はな いか

︒ また

︑最 後に 著者 は﹁ 近代 日本 の﹁ デモ クラ シー

﹂の 質﹂ につ いて 問い かけ る︒ ただ

︑既 成政 党の よう な勢 力が 吉野 の 提起 した 言論 をど のよ うに 受け 止め たか とい う問 題が 出て く る︒ 吉野 は東 大教 授時 代に は直 接政 党と の関 係を 持っ てい な い︒ しか し晩 年に 近づ くに 至り 合法 無産 政党 へ積 極的 にか か わる

︒こ の﹁ 政党 勢力 と吉 野﹂ の部 分は

︑特 に本 書後 半で も

(9)

う少 し触 れて ほし かっ た︒ 恐ら く帷 幄上 奏権 問題 を含 む﹁ 軍 政改 革﹂ のと ころ で最 も接 近し

︑そ の後 遠ざ かる ので あろ う か︒ 特に 自身 も関 与し た合 法無 産政 党ま でが

︑満 洲事 変で

﹁無 産党 は黙 し新 聞は 一斉 に軍 事行 動を 讃美 する

﹂︵ 吉野

﹁民 族と 階級 と戦 争﹂ 一九 三二

(

)

︶と いう 総転 向状 態に 崩れ 落ち てい く様 が描 かれ てい るの であ るか ら︑ この 点が ほし いと 思う

︒ 最後 に︑ これ は本 書に だけ 求め るべ きで はな い問 題で ある が︑ 巨大 な組 織と 人材 や行 動力 を有 した 主体 であ る軍 部や 関 東軍 が︑ どう して ある 一時 期に 流布 され た中 国観 から 抜け 出 られ ない かと いう 疑問 があ る︒ 本書 を読 むと

︑吉 野も 関東 軍 や軍 部も 最初 それ ほど 中国 観に 隔た りは ない

︒し かし 張作 霖 爆殺 事件 後の 吉野 は︑ 中国 の国 民革 命を

﹁大 勢の 歩み は或 は 至て 緩慢 だと もい へよ う︑ 併し その 歩武 の確 実な るは 亦他 に 多く その 倫︵ たぐ い︶ を見 ない

︒少 しく 眼識 ある 者は 必ず や これ に逆 行す るこ との 如何 に無 暴な るか を感 得す るで あら う﹂ と言 うに 至る

︵吉 野﹁ 支那 の形 勢﹂ 一九 二八 年︶

︒こ の点 では 関東 軍は 吉野 に敗 れて いる

︒軍 部が 中国 観を 変え られ な いこ とが

︑吉 野の 死後 日中 戦争 に至 る理 由に あり はす まい か︒ 本書 は多 くの 問い かけ を読 者に 投げ る︒ 日本 が自 由主 義・ 民主 主義 的改 革を 目指 す方 向に 一度 舵を とり かけ て敗 れた 近 代史 の検 討は まだ 終わ って いな い︒ 紆余 曲折 を経 なが ら自 身

の主 張を 社会 に提 起し

︑事 態が 破綻 する 中で もな お状 況に 向 けて 何ら かの 働き かけ をし よう とし た吉 野作 造の 姿は

︑確 か に現 代政 治に おい てな お学 ぶべ き点 が多 い︒ 本書 は知 が剣 と 闘っ てき た歴 史の 一端 を読 者に 考え させ る︒ この こと を最 後 にし て︑ この 書評 を結 ぶこ とに した い︒ 注

︵1

︶今 野元

﹃吉 野作 造と 上杉 愼吉

﹄名 古屋 大学 出版 会︑ 二〇 一九 年︒

︵2

︶﹃ 図書 新聞

﹄三 四二 三号

︵二

〇一 九年 一一 月一 六日 号︶

︵3

︶後 藤氏 には

﹁在 満行 政機 構改 革問 題を めぐ る陸 軍と 外 務省

・一 九〇 六︱ 一九 一七 年﹂

﹃学 生法 政論 集﹄

︵九 州大 学︶ 創刊 号︑ 二〇

〇七 年と いう 論文 があ る︒

︵4

︶藤 村氏 には この 部分 を掘 り下 げた

﹃吉 野作 造の 国際 政 治論

﹄有 志舎

︑二

〇一 二年 があ る︒

︵5

︶筆 者は 二〇

〇五 年刊 行の 講談 社学 術文 庫版 を参 照し た︒

︵6

︶吉 野作 造﹁ 民族 と階 級と 戦争

﹂﹁ 支那 の形 勢﹂ は岩 波書 店版 の﹃ 吉野 作造 選集

﹄九 巻か ら取 った

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