九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
Global History in Liberal Arts
遠山, 隆淑
熊本高等専門学校共通教育科 : 准教授
https://doi.org/10.15017/2230971
出版情報:政治研究. 66, pp.97-104, 2019-03-31. Institute for Political Science, Kyushu University
バージョン:
権利関係:
書 評
北村 厚著
﹃教 養の グロ ーバ ル・ ヒス トリ ー︱
︱大 人 のた めの 世界 史入 門︱
︱﹄
︵ミ ネル ヴァ 書房
︑二
〇一 八年
︶ 遠 山 隆 淑 高校 世界 史教 科書 の今
「高 校の 世界 史で 習う のと 違い
︑最 新の 研究 では
○○ が定 説だ
﹂と いっ た話 を耳 にし た経 験は ない だろ うか
︒だ が︑ こ の手 の話 は︑ 適当 に聞 き流 した 方が よい かも しれ ない
︒本 書 の著 者も 言う よう に︑ 現在 の教 科書 には
︑﹁ ほん とう にこ の内 容を 高校 生に 教え ても 大丈 夫な のだ ろう かと 心配 にな るく ら い︑ 最新 の歴 史学 の研 究成 果が おり こま れ﹂
︵三 二三 頁︒ 以下
︑ 本書 から の引 用は 頁数 だけ を記 す︶ てい るか らで ある
︒ 本書 の第 一の 特色 は︑ 現在 は大 学で 近現 代ド イツ 史を 研究 する 著者 が︑ 高校 で教 鞭を とる 中で 出会 った 教科 書の バー ジョ ンア ップ に対 する 驚き から 生み 出さ れた 書物 だ︑ とい う こと にあ る︒ 一例 とし て︑ 本書 の冒 頭で は︑
﹁大 航海 時代
﹂が
検討 され てい る︒ ヨー ロッ パ中 心史 観に 基づ くこ の見 方は
︑ 現在 の一 部教 科書 では 採用 され ない
︒そ れど ころ か︑ 教科 書 の一 つに は︑ 次の よう な明 確な 指摘 すら ある
︒
﹁南 シナ 海︑ イン ド洋 の交 易が 大き く発 展し た一 五世 紀か ら 一七 世紀 にか けて は︑
⁝⁝ ヨー ロッ パ人 の活 動に 重点 を置 い て︑
﹁地 理上 の発 見﹂ ある いは
﹁大 航海 時代
﹂と よば れて いた
︒ しか し︑ この 時代 の国 際交 易の 発展 は︑ ヨー ロッ パ人 渡来 以 前に 準備 され てい たア ジア の航 海者 のネ ット ワー クを 基礎 と して いる
︒こ の時 代の アジ ア域 内の 流通 を担 った のは
︑ダ ウ 船や ジャ ンク 船︑ また 朱印 船に 乗っ たア ジア の航 海者 たち で あっ た︒ この 時代 を︑ 世界 の交 易規 模が 大拡 大し た時 代と し て︑
﹁大 交易 時代
﹂と よぶ
﹂︵ 東京 書籍
﹃世 界史 B﹄ 二〇
〇︶
︒ 本書 で展 開さ れる
﹁グ ロー バル
・ヒ スト リー
﹂は
︑こ うし た 教科 書の バー ジョ ンア ップ の成 果を 踏ま えた もの であ る︒ 本書 も近 年の 教科 書も
︑ヨ ーロ ッパ 中心 史観 から の脱 却を 重要 課題 とし てい るが
︑ヨ ーロ ッパ 史自 体の 記述 も大 きく 変 化し てい る︒ たと えば
︑﹁ ルネ サン ス﹂ は︑ 東京 書籍 も山 川出 版社 の﹃ 新世 界史 B﹄ でも
︑ペ スト 禍や 飢饉 が頻 発し
︑﹁ 死﹂ に向 き合 うこ とか ら生 じた 運動 とし て中 世の 末期 に位 置づ け られ る︒ また
︑﹁ 絶対 王政
﹂は
︑﹁ 国王 が絶 対的 な権 力を ふる えた わけ では な﹂ く︑
﹁ギ ルド や貴 族﹂
︑﹁ 都市 や農 村﹂ など の
中間 団体 を通 じて
﹁統 制し たに すぎ なか った
﹂︵ 同前 書二 五 一︶
︒こ のよ うに
︑教 科書 の内 容は 毎年 のよ うに バー ジョ ン アッ プさ れて おり
︑自 身の 専門 では ない 分野 につ いて は︑ 現 役の 大学 生や 高校 生の 方が 新し い知 識を 身に 着け てい るの か もし れな い︑ と考 えて みる 価値 も十 分に ある ほど であ る︒
「
グ ロー バル・ヒ スト リー
﹂の 試み
︱︱
﹁ネ ット ワー ク﹂ とい う視 点 本書 の第 二の 特色 であ り主 題で もあ る﹁ グロ ーバ ル・ ヒス トリ ー﹂ に目 を転 じよ う︒
﹁幅 広い 情報 を網 羅的 に記 載し な けれ ばな らな い﹂
︵ⅳ
︶以 上︑ 各国 史や 東ア ジア など の地 域史 が中 心に なる こと は︑ 教科 書の 宿命 であ る︒ その 欠点 を解 消 すべ く︑ 本書 は高 校世 界史 の教 科書 群を 素﹅ 材﹅ に﹅
﹁グ ロー バル
・ ヒス トリ ー﹂ を描 き出 そう とす る︒
﹁こ の本 の主 役は
︑⁝
⁝大 帝国 や英 雄た ちで はな い︒
⁝⁝ 主 役は 異な る地 域や 文化 をつ なぐ ネッ トワ ーク の歴 史そ のも の であ る︒ ネッ トワ ーク をつ なぐ のは
︑大 草原 を騎 馬で 駆け る 遊牧 民た ち︑ 航海 術を 駆使 して 大洋 を越 える 海洋 民た ち︑ 隊 商を 組ん で砂 漠を 越え るオ アシ ス商 人た ちで ある
︒彼 らに よっ て世 界が ダイ ナミ ック に結 び付 けら れて いく
﹂︵
ⅴ
︶︒
人々 の移 動に よっ て成 立す る﹁ ネッ トワ ーク
﹂を 主役 に︑ 本 書は 古代 文明 期か ら一 九世 紀ま でを 駆け 抜け
︑地 球を 俯瞰 的 に結 びつ けて いく
︒以 下︑ 本書 が論 じる すべ ての 時代 で対 象 とさ れる
﹁ユ ーラ シア
・ネ ット ワー ク﹂ に注 目し て︑ 評者 な りに 大要 を示 して みた い︒ ネッ トワ ーク の形 成︱
︱~ 一四 世紀
︵第 六章 まで
︶ 陶磁 器や 銀の よう な様 々な モノ や製 紙法 など の技 術︑ ギリ シア 哲学 など の学 問や 文化 を媒 介と した 人と 人と のネ ット ワー クの 中で
︑﹁ グロ ーバ ル・ ヒス トリ ー﹂ を形 成す るそ れと して 追跡 され るの は︑ ユー ラシ ア大 陸の 東西 を結 ぶ三 つの ネッ トワ ーク
︑大 陸北 部の
﹁草 原の 道﹂
︑中 央ア ジア の砂 漠を 越え る﹁ オア シス の道
﹂︑ そし て最 東端 は琉 球に 始ま り︑ イン ド洋 を通 って アラ ビア 半島 へと 至る
﹁海 の道
﹂で ある
︒ 紀元 前一 千年 紀ま では
︑人 々の 局所 的な 移動 はあ った もの の︑
﹁世 界の 屋根
﹂や 砂漠
︑航 海技 術の 未発 達か ら世 界は 分節 的で あっ た︒ しか し︑ カナ ート 建設 技術 の確 立を 通じ
︑紀 元 前一 千年 紀に は︑ ソグ ド人 によ って
﹁オ アシ スの 道﹂ がつ な がる
︒同 じこ ろ︑ 騎乗 技術 の発 達に より
︑ス キタ イが 中心 と なっ て︑ ユー ラシ ア北 方の
﹁草 原の 道﹂ も生 まれ た︒
﹁海 の道
﹂
は少 し遅 れる が︑ 二世 紀に モン スー ン航 海技 術の 発達
︵﹁ ヒッ パロ スの 風﹂ の発 見︶ が︑ アラ ビア 海を 経由 して ロー マ帝 国 とク シャ ーナ 朝と を結 んだ
︒東 南ア ジア の交 易で 繁栄 して い た扶 南な ど多 くの 港市 国家 が︑ この ルー トを 世界 有数 の大 市 場の 中国
︵漢 帝国
︶に 結び つけ る︒ 風や 馬︑ 水や ラク ダが
︑ 散在 して いた 世界 の人 々を
︑ま るで シナ プス が結 合さ れて い くか のよ うに つな げて いっ た︒ ネッ トワ ーク は︑ 一度 形成 され ると 結び つき を強 めて いく 一方 だっ たわ けで はな い︒ 気象 条件 の激 変に よる 遊牧 民の 移 動に はじ まる
﹁三 世紀 の危 機﹂ や人 口急 増下 での 寒冷 化が も たら した
﹁一 四世 紀の 危機
﹂に おけ る︑ ネッ トワ ーク の緊 密 化ゆ﹅ え﹅ の﹅ ペス トの 伝播 など によ って
︑人 々の 移動 やコ ミュ ニ ケー ショ ンは 活発 にな り︑ また は停 滞し た︒ 興味 深い のは
︑そ の変 化に おけ る陸 路と 海路 の違 いで ある
︒
﹁草 原の 道﹂ も﹁ オア シス の道
﹂も とも に政 治勢 力の 保護 を必 要と する ため
︑唐 など の安 定期 には 活況 を呈 する
︒逆 に﹁ 海 の道
﹂は
﹁自 由﹂ のネ ット ワー クで あり
︑商 人た ちが 海を 航 行し て交 易を 行う には
︑政 治的 な統 制は むし ろ阻 害要 因で あっ た︒ それ より も︑ たと えば 宋へ の朝 貢を 拒否 した 後に 栄 えた 日宋 交易 や元﹅ 寇﹅ 後﹅ の日 元交 易に おけ る博 多商 人の よう に︑ ある いは ジャ ンク 船を 繰り 出し た中 国商 人や ダウ 船で イ
ンド 洋へ 乗り 出し たム スリ ム商 人の よう に︑
﹁海 の道
﹂は 点在 する 都市 を拠 点に それ らを 結び つけ る民 間交 易に より 繁栄 し た︒ モン ゴル 帝国 がユ ーラ シア 大陸 を席 巻し た一 三世 紀に も︑
﹁海 の道
﹂は 繁栄 期を 迎え た︒
﹁自 由な 海﹂ を求 める 東南 アジ ア諸 国の 反発 が︑ 海の ネッ トワ ーク の征 服も 狙っ たフ ビ ライ の態 度を 軟化 させ
︑交 易ネ ット ワー クが 緊密 化し たた め であ った
︒こ うし て一 三世 紀に は︑
﹁海 の道
﹂と
﹁陸 の道
﹂と がつ なが り︑
﹁第 一次 大交 易時 代﹂ とも 言わ れる 繁栄 期を 迎え た︒ ただ し︑ 陸の 道も 交易 の主 体は 国家 では ない
︒交 易は
︑ソ グド 人や
︑後 には たと えば チン ギス
・ハ ンが 保護 した ウイ グ ル商 人に より 行わ れ︑ いく つも の国 家の 興亡 の下
︑彼 らは そ の主 役で あり 続け た︒ ソグ ド語 やソ グド 文字
︑ウ イグ ル語 や ウイ グル 文字 は︑ 交易 に不 可欠 の国 際商 業語 や文 字と なり
︑ チン ギス はウ イグ ル文 字を もと にモ ンゴ ル文 字を 定め た︒ 大交 易時 代と グロ ーバ ル・ ヒス トリ ーの 出現
︱︱ 一五 世紀
~一 七世 紀︵ 第七 章か ら第 九章
︶ 一三 世紀 にユ ーラ シア 大陸 と海 とを 円環 的に 結ん で活 性化 した 交易 は︑
﹁一 四世 紀の 危機
﹂で 停滞 し︑ 元の 衰退 もあ って
混乱 した
︒そ うし た中
︑明 が朝 貢体 制の 確立 を通 じネ ット ワー クの 再生 を図 る︒ 有名 な鄭 和の 南海 大遠 征も
︑永 楽帝 に よる 海洋 ネッ トワ ーク の把 握の 試み によ るも ので あっ た︒ そ の結 果︑ 従前 は﹁ 自由 の海
﹂の 上に 成立 して いた 海洋 ネッ ト ワー クも また
︑大 帝国 の管 理化 に置 かれ
︑安 定を 取り 戻し た 海﹅ 洋﹅ ネ﹅ ッ﹅ ト﹅ ワ﹅ ー﹅ ク﹅ を﹅ 舞﹅ 台﹅ と﹅ し﹅ て﹅
﹁大 交易 時代
﹂が 始ま る︒ しか し︑ 朝貢 は明 にと って 高く つき すぎ た︒ 権威 を保 つた めに
︑貢 物よ りも 多く の下 賜品 を必 要と した ため であ る︒ 次 第に 朝貢 の回 数が 制限 され る︒ そう した 中︑ 明は 交易 の維 持 のた め︑ 琉球 とマ ラッ カを 中継 点と して 保護 した
︒こ れら 交 易中 継国 は︑ 明な どの 後ろ 盾を 得な がら
﹁自 由な 海の 結節 点 とし て﹂ 繁栄 した
︒﹁ 大交 易時 代﹂ とは
︑﹁ どこ が覇 権を にぎ ると いう のは ない
︒海 の国 際化
・多 様化
・脱 中心 化の 時代
﹂ だっ たの であ る︵ 一三 七︶
︒ 東ア ジア の繁 栄は
︑西 方に も波 及し た︒ すで に一 一世 紀の 十字 軍派 遣に よっ て﹁ アジ アの 富﹂ の﹁ 魅力 と利 益に とり つ かれ
﹂︵ 七七
︶︑ ユー ラシ ア・ ネッ トワ ーク には﹅ じ﹅ め﹅ て﹅ 組み 込 まれ てい たヨ ーロ ッパ も︑ 東方 貿易 を通 じて より 緊密 な接 続 を試 みた
︒し かし
︑オ スマ ン帝 国の コン スタ ンテ ィノ ープ ル 占領 によ りル ート は絶 たれ
︑ネ ット ワー クか ら切 断さ れる
︒ この 切断 が︑ 逆説 的に
﹁世 界の 一体 化﹂ を生 み出 すこ とに
なる
︒イ スラ ーム 世界 を経 由し ない 東ア ジア との 再接 続の 試 みと して
︑﹁ 新航 路﹂ が開 拓さ れた ので ある
︒そ の結 果︑ 大西 洋経 由で イン ドへ と至 るル ート と喜 望峰 を回 るル ート が新 た に加 わり
︑﹁ 真の 意味 での グロ ーバ ル・ ネッ トワ ーク
﹂が 成立 して
︑﹁ 世界 の一 体化 がは じま った
﹂︵ 一四 五︶
︒ 本書 で描 かれ るグ ロー バル
・ヒ スト リー が重 視す るの は︑ 一五 世紀 に本 格的 に本 書に 登場 する ヨー ロッ パの 位置 づけ で ある
︒﹁ 新大 陸の 発見
﹂が 西洋 中心 史観 に基 づく 見方 にす ぎ ない とい う理 解が 広ま って 久し いが
︑本 書で はこ の視 点が
﹁世 界史
﹂規 模で 展開 され る︒ 本書 の主 な舞 台は
︑ユ ーラ シア 大 陸と その 東西 を結 ぶ海 洋で あり
︑ア ジア であ る︒ その ため
︑ ヨー ロッ パの 人々 の動 きも そこ
︵を 中心 とす るネ ット ワー ク︶ から 眺望 され る︒ 地理 的な 視点 だけ では ない
︒ネ ット ワー ク は︑ 交易 のそ れで ある
︒つ まり
︑実 力装 置を 備え る国 家主 体 の営 みで はな く︑ 実力 なき 商人 たち の交 際で ある
︒本 書は
︑ こう した 地点 から 一五 世紀 以降 のヨ ーロ ッパ 人の 動き を見 て︑ たと えば ポル トガ ルの イン ドル ート 支配 が示 すよ うに
︑ 長き に亘 り各 地域 に散 在し てい た港 市国 家な どの 点﹅ のネ ット ワー クを
︑暴 力的
・独 占的
・全 体的 に支 配し て﹁ 海洋 帝国
﹂ を築 く異 質な
﹁自 由な 海へ の乱 入者
﹂︵ 一四 四︶ と捉 える
︒ ヨー ロッ パは
︑ア ジア の繁 栄が 生み 出し た大 交易 時代 の新
規参 入者 とな った
︒彼 らは そこ で︑ 絹織 物や 陶磁 器︵ 中国
︶︑ 香辛 料︵ 東南 アジ ア︑ イン ド︶
︑宝 石類
︵イ ンド
︶を 買い 求め
︑ たと えば ポト シ銀 山で 採掘 され た銀 を支 払っ た︒ すな わち
︑ 価値 ある 人工 物を 作り 出す アジ アと
︑先 を争 って 金を 払い そ れら を購 入す る︑ ある いは 暴力 的に 奪い 取る ヨー ロッ パと い う交 易関 係や 対比 が︑ 本書 では 提示 され てい る︒ ただ し︑ グロ ーバ ル・ ネッ トワ ーク の成 立と いう 観点 から は︑ ヨー ロッ パの 海洋 進出 の決 定的 な重 要性 を見 逃す こと は でき ない
︒新 大陸 にお ける 銀の 採掘 が﹁ 銀の グロ ーバ ル・ ネッ トワ ーク
﹂︵ 一六 六︶ を生 み︑ 大交 易時 代を 活性 化さ せた ので ある
︒こ こで 日本 が重 要な アク ター とし て登 場す る︒ 戦国 大 名の 領国 経営 で採 掘が 進ん だ日 本銀 も︑ 当時 のグ ロー バル 経 済で 中心 的な 役割 を果 たす
︒タ ター ルと の戦 争で の不 足を 補 うた めに 明で 大量 に必 要と され た銀 が︑ 倭寇 やポ ルト ガル
︱︱ スペ イン のよ うに 銀の 供給 源を 持た ない
︱︱ を通 じて
︑ 北部 九州 から 大陸 に輸 出さ れた
︒そ の交 易の 過程 でル ート を 外れ たポ ルト ガル 船が 種子 島に 漂着 する
︒北 部九 州を 中心 と する 大名 たち とポ ルト ガル との
︑本 格的 な南 蛮貿 易の 開始 で ある
︒交 易に よる 莫大 な利 益を 求め た戦 国大 名た ちの キリ ス ト教 への 改宗 も進 む︒ ポル トガ ルは
︑日 本で 得た 銀を 支払 っ て中 国産 品を 買っ た︒ こう して
︑一 六世 紀の 北部 九州 は︑
﹁極
東に キリ スト 教世 界を つく りだ し︑ ポル トガ ル・ ネッ トワ ー クに 組み こま れ﹂
﹁ま さに グロ ーバ ル・ ネッ トワ ーク の縮 図と もい うべ き特 異な 文化 的空 間を 生み 出し てい た﹂
︵一 六〇
︶︒ しか し︑ 大交 易時 代は 一七 世紀 に終 焉し た︒ 後世
︑日 本の
﹁鎖 国﹂ と﹁ いわ れる
﹂︵ 一九 九︶ 海禁 政策 が第 一の 原因 であ る︒ 徳川 政権 は朱 印船 を繰 り出 して 海外 進出 を図 った が︑ キ リス ト教 と一 揆の 結合 を恐 れた 政権 によ って
︑対 外交 渉は
﹁四 つの 口﹂
︵出 島に おけ るオ ラン ダと の交 易︑ 対馬 経由 での 朝鮮 との 交易
︑薩 摩と 琉球 経由 での 中国 との 交易
︑松 前藩 を通 じ たア イヌ との 交易
︶に 制限 され た︒ 中国 でも
︑清 への 王朝 の 交替 で生 じた 大混 乱に よる 海洋 の無 秩序 化お よび 鄭氏 台湾 と 清と の対 立の 中で
︑康 熙帝 によ り海 禁政 策︵ 遷界 令︶ がと ら れる
︒そ の結 果︑
﹁東 アジ アの 海外 ネッ トワ ーク から 日本 と 中国 とい う二 大商 業地 域が 離脱
﹂︑ 日本 銀の 世界 的な 流通 量 も減 少し て︑ 大交 易時 代が 幕を 閉じ た︵ 二〇 五︶
︒ グロ ーバ ル・ ネッ トワ ーク にお ける 東ア ジア のプ レゼ ンス は急 速に 低下 し︑ 重心 はイ ンド と環 大西 洋と に移 る︒ 一七 世 紀前 半︑ オラ ンダ
︵東 イン ド会 社︶ はア ンボ イナ 事件 など の 実力 行使 を通 じて
︑海 洋進 出の ライ バル 国イ ギリ スと の争 い で優 位に 立っ た︒ しか し︑ キャ ラコ の交 易を めぐ るイ ンド や 北米 植民 地に おけ る抗 争で 敗北
︵英 蘭戦 争︶ した 後︑ 名誉 革
命で 同君 連合 が成 立し て︑ 覇権 争い は英 仏に 移っ た︒ 東西 関係 の変 化と 帝国 の形 成︱
︱一 八世 紀~ 一九 世紀
︵第 一〇 章か ら第 一二 章︶ ただ し︑ グロ ーバ ル・ ヒス トリ ー全 体と して 見れ ば︑ 一八 世紀 は﹁ ヨー ロッ パの 成長 とア ジア の成 熟が かさ なり
︑両 者 が文 化的 に交 流す る幸 福な 時代
﹂で あっ た︵ 二一 一︶
︒た とえ ば︑ オス マン 帝国 では
︑西 洋風 の﹁ チュ ーリ ップ 文化
﹂が 文 字通 り花 開き
︑オ スマ ン帝 国か らコ ーヒ ーを 輸入 した フラ ン スで は︑ カフ ェ文 化が 栄え た︒ さら に︑ 対外 的平 和を 迎え
︑ 一八 世紀 の間 に人 口が 三億 人へ と三 倍増 する ほど の﹁ 盛世
﹂ に入 った 清で は管 理貿 易体 制が 進み
︑物 産品 がヨ ーロ ッパ の 上流 階級 の憧 れの 的と なっ た︵
﹁シ ノワ ズリ
﹂︶
︒中 国へ の憧 れは
︑そ の文 化や 歴史
︑制 度に 対す る強 い関 心と なっ てヴ ォ ルテ ール ら啓 蒙的 知識 人の 探求 心を 刺激 した
︒日 本も
︑﹁ 鎖 国﹂ の中 で様 々な 技術 の国 産化 に成 功し
︑人 口が 増加 した
︒ ヨー ロッ パ人 は︑ アジ アの
﹁社 会を 自分 たち と対 等な
︑優 れ た文 化を もっ た地 域と して 尊重
﹂し てお り︑ 幸福 な文 化的 交 流が 成立 して いた
︵二 三〇
︶︒ 東西 のこ のよ うな 共存 は︑ 西洋 の内 部変 化に より 変容 する
︒
英仏 の世 界規 模で の対 立は
︑重 税と なっ て北 米一 三植 民地 を 圧迫 する
︒結 果︑ 独立 戦争 が勃 発し たが
︑そ こで 広ま りを 見 せた 普遍 的な 人権 思想 が逆 輸入 され フラ ンス 革命 を引 き起 こ し︑ 再び ハイ チへ と輸 出さ れる
︒こ の一 連の
﹁環 大西 洋革 命﹂ の中 で﹁ 近代 の理 念﹂ が確 立す る︒ 大西 洋で は合 衆国 の独 立 を許 した イギ リス だっ たが
︑イ ンド 支配 をめ ぐる 英仏 間の 争 いに は勝 利し た︒ しか し︑ イン ド産 綿布 の輸 入で 国内 の貴 金 属は 流出 する 一方 であ った
︒こ こか ら︑
﹁輸 入代 替と して の 産業 革命
﹂が 始ま った ので ある
︒ 生産 力が 急増 した
﹁世 界の 工場
﹂イ ギリ スは
︑労 働者 の﹁ カ ロリ ー﹂ 摂取 のた めも あっ て流 行し たミ ルク ティ ーの 茶葉 を 求め て︑ 中印 間の 海洋 ネッ トワ ーク の構 築を 進め なが ら︑ 清 に自 由貿 易を 要求 した
︒﹁ 伝統 的な アジ ア国 際秩 序に こだ わ﹂ った 清に 対し
︑﹁ 産業 革命
﹂を 成功 させ
︑﹁ 生産 力や 軍事 力に おい て中 国に もわ たり あえ る﹂ とい う﹁ 自信
﹂を 得た イ ギリ スは
︑﹁ アジ アの 停滞 性へ の疑 義﹂ を抱 くよ うに なる
︒東 西の
﹁地 位は 逆転
﹂し て︑ アジ アは
﹁近 代﹂ 化の ため の﹁ 啓 蒙﹂ の対 象と なっ た︵ 二三 八- 四〇
︶︒ 一九 世紀 には
﹁西 洋の 衝撃
﹂に よっ て︑ イギ リス が中 心と なり
︑ア ジア の﹁ 鎖国
﹂は
﹁こ じあ けら れ﹂ る︵ 二四 一︶
︒同 国は
︑フ ラン ス革 命軍 の占 領に より 崩壊 した オラ ンダ の海 洋
ネッ トワ ーク を継 承し なが ら海 洋帝 国を 成立 させ
︑東 アジ ア への 進出 を強 めた
︒自 国製 の綿 布の 輸出 が進 み対 イン ド輸 出 超過 にな った 同国 は︑ 一〇 年代 末に はじ めて 対ア ジア 貿易 で 黒字 とな った が︑ 対中 貿易 では 赤字 が続 き︑ イン ド支 配を 強 化し てア ジア のネ ット ワー クを 固め つつ 自由 貿易 への 圧力 を 増し てい く︒ しか し︑ 中国 の門 戸は 固く
︑貿 易赤 字を 補填 す るた め︑ アヘ ン密 貿易 とい う﹁ 非人 道的 な禁 じ手 を臆 面も な く導 入し て﹂
︑﹁ 対ア ジア 貿易 の総 体的 な黒 字﹂ を達 成し た︵ 二 五九
︶︒ これ がア ヘン 戦争 に帰 結し て︑ 対東 アジ アの 不平 等 条約 体制 が︑ トル コな どイ スラ ーム 諸国 との 不平 等体 制に 続 き形 成さ れて いく
︒米 仏な ど列 強が 後を 追い
︑対 中貿 易の 中 継地 とし て期 待を 集め た日 本に 黒船 が来 航す る︒
﹁不 平等 な ネッ トワ ーク
﹂が
︑東 西間 に構 築さ れて いっ たの であ る︒ しか し︑ 清や 日本
︑タ イは
︑こ の﹁ 衝撃
﹂か ら近 代化 へ向 けて 舵を 切る こと で︑ 一九 世紀 後半 の間 に﹁ 近代 アジ ア間 貿 易ネ ット ワー ク﹂ を︑ 華僑 など の活 動を 通じ て急 速に 形成 し て西 洋列 強に 対抗 して いく
︒イ スラ ーム 世界 も︑
﹁パ ン・ イス ラー ム主 義﹂ に基 づき 近代 イス ラー ム・ ネッ トワ ーク を形 成 して 列強 とは げし い闘 争を 繰り 広げ た︒ 西洋 列強 の先 頭を 行 くイ ギリ スは
︑七 三年 の大 不況 後︑ 第二 次産 業革 命へ の対 応 に後 れを とり
︑﹁ 世界 の工 場﹂ の地 位か ら転 落し たも のの
︑金
融業 を主 軸と した
﹁世 界の 銀行
﹂へ の転 身に 活路 を見 いだ し た︒ しか し︑ その 資金 確保 のた めに イン ドに 対す る貿 易依 存 度を 高め
︑直 接的 な領 土支 配を 強化 して 帝国 化を 進め た︒ そ の他 の列 強も 同様 に︑ アフ リカ を中 心に 植民 地支 配を 広げ
︑ 世界 はネ ット ワー ク間 の競 争か ら帝 国に よる 分割 へと 変容 し てい った
︒こ うし て︑ 二〇 世紀 を迎 える こと とな る︒ 国家 を中 心と する こう した 動き の下
︑一 九世 紀に は人 々の 移動 の様 子が 劇的 に変 化し た︒ 蒸気 機関 車な どに よる スピ ー ド化 を中 心と した
︑交 通革 命に よる 移動 手段 の変 化が 主な 要 因で ある
︒電 信技 術の 確立 によ り情 報の 伝達 にも 激変 が生 じ た︒ この 変化 と人 々の グロ ーバ ルな 規模 での 移動 は︑ コイ ン の裏 表の 関係 にあ る︒ 交通 革命 は︑ 人々 の大 量輸 送を 可能 に して
︑一 九世 紀は 合衆 国に 見ら れる よう な移 民の 時代 とも なっ た︒ その 移民 の力 が︑ 北米 大陸 の東 西か ら鉄 の道 のネ ッ トワ ーク をつ なぎ
︑さ らな る移 動の 迅速 化︑ 大規 模化 をも た らし た︒ シベ リア 鉄道 やス エズ
︑パ ナマ 両運 河も 開通 した
︒ 一六 世紀 に生 まれ た﹁ 世界 の一 体化
﹂は
︑こ こに 完成 した
︒
﹁グ ロー バル
・ヒ スト リー
﹂の 役目 以上
︑イ スラ ーム
・ネ ット ワー クや モン ゴル 帝国
︑ロ シア
の動 向︑ 奴隷 貿易 や三 角貿 易な ど多 くの 情報 を割 愛せ ざる を えな かっ たが
︑本 書の 概要 を評 者な りに まと めて みた
︒教 科 書の バー ジョ ンア ップ にも かか わら ず︑ たと えば 評者 が専 門 とす る政 治思 想史 関連 につ いて 言え ば︑
﹁産 業革 命﹂ や﹁ 幕府
﹂ とい う用 語法 など 最新 とは 言え ない 点を 指摘 する こと はで き る︒ しか し︑ グロ ーバ ルな 視点 が重 視さ れて いる 現在 の教 科 書の 様子 は伝 わっ たの では ない だろ うか
︒そ れら 膨大 な素 材 が︑ 著者 の構 成力 によ って
﹁グ ロー バル
・ヒ スト リー
﹂と い う視 点か ら再 構成 され たの が︑ 本書 であ る︒ あえ て難 点を 挙げ ると すれ ば︑ ヨー ロッ パ登 場後 の近 代の 歴史 は︑ 西洋
︑特 にイ ギリ スと その 他地 域と の関 係の 記述 が 中心 にな って しま った ので はな いか
︒大 交易 時代 まで に展 開 され たよ うな 俯瞰 的な
﹁脱 中心
﹂的 視点 を︑ 一七 世紀 以降 に も貫 き通 すこ とは やは り困 難な のだ ろう か︒ もう 一点 指摘 して おき たい
︒本 書は
︑モ ノを 媒介 にし た地 球規 模に おけ る﹁ ネッ トワ ーク
﹂の 歴史 書で ある
︒全 体を 俯 瞰し なが ら細 部に 目を やる と︑ 素朴 な愚 王観 のよ うに
︑歴 史 的な 失敗 を安 易に 個人 の責 任に 帰す こと の難 しさ がわ かる
︒ しか し他 方で
︑著 者も 認識 して いる よう に︑ 世界 史の 学習 は 本書 だけ で済 ませ られ るも ので はな い︒
﹁人 間﹂ が後 景に 退 くグ ロー バル
・ヒ スト リー では
︑ネ ット ワー クが 自動 的な 運
動を 展開 する かの よう な印 象を 読み 手に 与え るが
︑状 況規 定 的で はあ りな がら も︑ 歴史 を動 かす のは 人間 だか らで ある
︒ 歴﹅ 史﹅ 学は 人間 の﹁ 探﹅ 求﹅
﹂の 成果 であ って
︑﹁ グロ ーバ ル・ ヒス トリ ー﹂ とい う額 縁の 設定 自体
︑人 為に よる もの であ る︒ 本 書で は︑ グロ ーバ ル・ ヒス トリ ーに おけ る﹁ 大き な変 化の た だな かに ある 現代 だか らこ そ必 要な 教養
﹂の 重要 性が 述べ ら れて いる がそ れは どの よう な﹁ 教養
﹂な のか
︒グ ロー バル 化 のひ ずみ に対 する 反発 から
︑﹁ 一国 中心 的な もの の見 方が 支 持﹂
︵ⅴ
︶さ れる こと に対 する 解毒 剤と なる こと を見 据え た上 で︑ グロ ーバ ルな ネッ トワ ーク を俯 瞰す るこ とが
︑歴 史を 探 究す る者 にど のよ うな
﹁教 養﹂ をも たら すの か︒ 評者 の力 量 では
︑本 書か らそ れを 読み 取る こと はで きな かっ た︒ しか し︑ これ は︑ 各読 者が 答え を探 求す べき 問い であ ろう
︒ 著者 も明 言す るよ うに
︑な によ りも
﹁歴 史は お﹅ も﹅ し﹅ ろ﹅ い﹅
﹂
︵ⅳ
︶︒ 評者 も高 校生 の頃
︑二
〇世 紀初 頭の 国家 間関 係な どを 心躍 ら なが ら自 ら図 示し て学 んだ が︑ 本書 によ って 学習 者は
︑﹁ つな がり
﹂の 視点 から
︑世 界史 を学 ぶツ ール を得 た︒ 従来 は各 国 や各 地域 の通 史を 中心 とし た︑ いわ ば縦 糸だ けで 組ま れて い た教 科書 に丁 寧に 横糸 を通 して
︑ほ つれ のな い世 界史 の織 物 を見 せて くれ た著 作と して
︑本 書の 登場 は非 常に 意義 深い
︒