野呂栄太郎の天皇制国家論︵二
i 野 呂 栄 太 郎 論
︵ 2 の 上
︶
Ⅰ 問題の所在
Ⅱ 野呂栄太郎における天皇制国家論
−
﹁ 発
達 史
﹂ ︑
﹁ 諸
条 件
﹂ を
中 心
に −
1 1
︹1︺ ﹁日本資本主義発達史﹂での規定
︹2︺ ﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂での規定
︹3︺ ﹁日本資本主義現段階の諸矛盾﹂での規定
︹ 4
︺
野 呂
栄 太
郎 の
近 代
天 皇
制 論
︹ 小
括 ︺
︵
以 上
︑ 本
号 ︶
Ⅲ 天皇制国家論構築のための基礎視点
− 絶対主義・ボナパルティズム諭の検討
Ⅳ むすぴ ー 天皇制絶対主義論の展望
Ⅰ 問題の所在
山 本
彦
前稿﹁野呂栄太郎論1日本資本主義の史的展開−1﹂ ︵静岡大学﹃法経研究﹄第二四巻一二・四合併号二九七六年三月︺︶に
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
三三
野呂栄太郎の天皇制国家論︵一︶ 三四 おいて︑わたくしほ︑野呂の二著作﹁日本資本主義発達史﹂ ︵一九二七年︶および﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂
︵一九二七−二九年︶の論理構造を検討し︑それらの研究史上での意義︵とりわけ現段階からみてわれわれが学ぶべき成果と課
題︶およびそれらの相互の内容的連繋の析出に努めた︒この作業は︑その他のかれの諸著作の検討に引き継がれる予定で
ぁるが︑本稿では︑前稿段階で顕出した問題点の一つであり︑かつ野呂の戦略戦術論に微妙に影響を及ぼしたと思われ
る︑天皇制国家把握の側面に限定して︑より詳細に考察をすすめることを︑目的とする︒
すなわち︑本稿の目的は︑すでに前稿で注記したごとく︑一九七〇年代にはいって︑わが国のマルクス主義歴史学界で
ぁらためて議論をよび起こしている近代天皇制国家の把握=規定との関連で︑野呂栄太郎の論旨に興味深い内容が展開さ
れていることを︑明示的に確定すること︑第二に︑天皇制国家の把握=規定にとって︑野呂の論旨にも一部検出されるこ
とであり︑かつ前稿でも示唆しておいた天皇制=絶対主義論の本質把握に論拠とされてきた︑マルクス︑エンゲルスの絶
︵ 4
︶
︵ 5
︶
対主義論︑ボナパルティズム論を︑最近の天皇制国家論の論点整理を媒介として︑検討してみること︑以上二つの作業の
連繋において︑ほたされる︒
︵1︶ 野呂の天皇制国家論が﹁戦略戦術論に影響を及ぼした﹂といっても︑﹁日本資本主義発達史﹂段階での天皇制理解が︑ストレ
ートに﹁三二年テーゼ﹂ ︵﹁日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ﹂︶にみられる二段階革命論︵絶対主義的天皇 制打倒=ブルジョア民主主義革命からプロレタリア社会主義革命へ︶に結びつく︑との断定を下すことは︑恐らく難しいであろ
ぅ︒前稿﹁野呂栄太郎論﹂でも指摘したごとく﹁発達史﹂段階の天皇制理解は︑むしろ一段階革命論=社会主義革命論の立場に
近い形で処理されているとさえいうことができる︒わたくしほいまのところ︑つぎの点に注目しておきたい︒すなわち︑かれの
初期の天皇制理解=絶対専制的国家機構︵形態︶論が︑その日本資本主義の基本矛盾把撞︵高度に発展した独占資本主義と︑狭
陰な生産基盤と封建的水準に近い農業生産との矛盾=対抗︶とあいまって︑かれに︑当面する独占体によるあくなき人民搾取へ
の関心を高めさせ︑その立場︵独占体への顧慮︶は後期に到るも不変であって︑ここにかれの世界恐慌分析︵現状分析︶の鋭さ
の一因があったのではないか︑ということ︵この点︑﹁発達史﹂︑﹃全集﹄上︑九一ページ︶︒その意味では︑野呂以後の﹁講座
派﹂理論において︑腐心された地主制=封建的性格←絶対主義天皇制の論理にもとづく農業問題への関心の払われ方とは︑大い
に異なったものがある︑ということ︒もっとも︑準備している野呂栄太郎諭の続稿で示すごとく︑野呂も︑猪保障南雄との論戦 において︑上述のそのごの﹁講座派﹂理論の発想にきわめて近接した展開をみせたことは︑あきらかであって︑むしろ︑そうし
た野呂の猪俣との論戦での展開を︑﹁講座派﹂理論がひきついだ ー ある一面性をともないつつ量といってよいのではなかろ
うか︒こうした点を解明するために︑わたくしほ︑野呂と山田盛太郎氏との連関も︑今後論及する予定である︒
︵2︶ ここでは以下の一連の諸著作を念頭においている︒ − 犬丸義一﹁戦前・戦後の国家権力と天皇制﹂︑﹃歴史評論﹄ 二四一号
︵ 一
九 七
〇 年
八 月
︶ ︑
同 ﹁
戦 前
日 本
の 国
家 権
力 と
天 皇
制 ﹂
︑ ﹃
歴 史
評 論
﹄ 二
四 五
号 ︵
一 九
七 〇
年 一
二 月
︶ ︒
後 藤
靖 ﹁
近 代
天 皇
制 論
﹂ ︑
歴史学研究会・日本史研究会編﹃講座日本史﹄第九巻︵東京大学出版会︑一九七一年︶所収︒中村政則﹁服部之総と近代天皇制
論 ﹂
︑ ﹃
歴 史
学 研
究 ﹄
三 九
一 号
七 四
年 ︑
山 崎
隆 三
﹁ ﹃
講 座
派 ﹄
﹁﹃上からのブルジョア革命﹄
﹁ 近 代 天 皇 制 国 家 論 ﹂ ︵ 大 系 波 講 座 ﹃ 日 本 歴 史
﹄ 第 一 五 巻 ︑
た守屋典郎﹁書評中村政則編 ︵一九七二年二一月︶︒山崎隆三ほか﹃シンポジウム日本歴史︑第一七巻︑地主制﹄︑学生社︑一九 理
論 の 批 判 的 継 承 の た め の 序 説 ﹂ ︵ 大 阪 市 立 大 学 ﹃ 経 済 学 年 報 ﹄ 三 五 集
︑ 一 九 七 五 年 二 月
︶ ︑ 同 諭について﹂︵大阪市立大学﹃経済学雑誌﹄第七三巻第五・六号︑一九七五年二一月︶︑中村政則
﹃ 日 本 国 家 史
﹄ 第 四 巻 近 代
Ⅰ ︑ 東 京 大 学 出 版 会 ︑ 一 九 七 五 年 所 収 ︶
︑ 芝 原 拓 自 ﹁ 近 代 天 皇 制 諭
﹂ ︵ 岩 一 九 七 六 年 所 収 ︶
︑ 山 田 舜
﹁ 絶 対 主 義 論 の 問 題 領 域 ﹂
︵ ﹃ 社 会 科 学 の 方 法 ﹄ 一 九 七 六 年 六 月 号
︶ ︑ ま
﹃大系日本国家史4近代Ⅰ﹄﹂︑﹃歴史評論﹄三一五号︵一九七六年七月︶など︒なお七〇年代に入
って
から
の天
皇制
国家
論の
論議
は︑
歴史
学界
の新
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︑こ
こ暫
くの
あい
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︑潮
流と
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る︒
これ
は︑
従来
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究を
前提
と
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つも
︑近
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皇制
論の
再構
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︵3
︶野
呂の
天皇
制国
家論
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徴に
つい
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前掲
﹁野
呂栄
太郎
論﹂
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二八
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ジ
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Ⅱ章
注︵
2
7︶
︑注
︵3
3︶
等︒
︵4
︶マ
ルク
ス︑
エン
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論理
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て︑
前稿
Ⅲ章
︑注
︵2
7︶
︑︵
42
︶︑
︵4
4︶
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︵一
五八
−一
五九
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ジ︶
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︶前
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野呂
栄太
郎論
﹂の
脱稿
後に
︑注
︵2
︶で
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︑校
正段
階で
︑そ
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野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
三五
野呂栄太郎の天皇制国家論︵一︶ 三六 存在について指摘したのであるが︑その作業上の︑︑︑スで︑同稿Ⅲ章︑注︵42︶ の﹁野呂のこの理解は﹂以下の文章︵一五八ペー
ジ︶は︑もともと︑Ⅱ章︑注︵33︶ の末尾︵一三九ページ︶ につづくべきものである︒ここに訂正しておきたい︒
なお︑最近天皇制国家論を一つの軸に︑国家論の検討が盛んである︒例えば︑法律家を中心とした共同の論集 ﹃特集=天皇
制﹄ ︵﹃法律時報﹄︑第五七八号︑一九七六年四月︶はその一つである︒また︑国際的にも国家論は盛んであって︑その点につい
ては︑さしあたり田口富久治﹁最近の国家論の動向﹂ ︵﹃思想﹄︑第六二二号︑一九七六年四月︶が︑日本の動きにも触れてい
て︑便利である︒また同氏﹁マルクス主義国家論の動向﹂ ︵歴史科学協議会編集 ﹃歴史科学への道﹄上︑校倉書房︑一九七六年
所 収
︶ を も 参 照 の こ と ︒ さ ら に ︑ お き
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㌻ ゝ 旨 ︑ 弓 を ヨ 〜 3 ︑
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︑ 已 こ し y K a p i t a J i s t S t a t e ︵ 清 水 裕 訳
﹁マルクス主義資本主義国家論の新展開﹂ ﹃未来﹄ 二五︑二六︑二七号−一九七六年四︑五︑六月︶参照︒
Ⅱ 野呂栄太郎における天皇制国家論
−
﹁ 発
達 史
﹂ ︑
﹁ 諸
条 件
﹂ を
中 心
に
本章では︑野呂栄太郎の所説において︑天皇制論がどのような展開をみせたかを析出することを目的にしたい︒これは︑
最近の新しい天皇制国家論の動向に対応して︑野呂の所説をどのように位置づけうるか︑という点と︑第二に︑より積極
的には︑かれの天皇制論=天皇制国家本質論の内実を顕示すること︑とにかかわっている︒本章では︑野呂の所説の中
で︑前稿との関連で︑﹁日本資本主義発達史﹂と﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂における所説に限定し︑またこの両
論文での展開を︑疋のいみで集約しているとみなしうる﹁日本資本主義現段階の諸矛盾﹂︵﹃思想﹄︑一九三〇年一月所載︑
﹃野呂栄太郎全集﹄上︑新日本出版社︑一九六五年所収︶の所説にも触れることにしたい ︹なお︑これら諸諭作以降の天皇制論の把
握は︑今後の野呂栄太郎研究の中で順次果してゆきたいと考える︺︒
〔1〕
﹁日本資本主義発達史﹂︹﹁発達史﹂と略記︺における天皇制論は︑およそつぎの通りである︒
第一に︑﹁明治維新が︑反動的なる公家と︑同様に本質的には封建意識を脱却しえない武家との意識的協力によって遂
行せられたということ﹂︑急速な産業革命推進のために﹁専制政府の保護誘扱﹂と﹁国際資本主義的競争の緊張⁝国内無
産階級台頭の気禦とに対処する必要が︑﹁わがか掛軌跡掛がながく今日にいたるまでか軌跡卦針掛掛朴掛掛訃を揚来し
えない﹂事情をつくり出している︑というのである︒しかもこのような﹁専制的政治的権力は︑封建的生産方法の資本主
義的生産方法への転化過程を温室的に助長し︑かつその推移を促進することによって︑わが国をして資本主義国としての
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
︵ 5
︶
おどろくべき飛躍発展を可能にした﹂︒
みられるように︑天皇制権力=﹁専制的政治的権力﹂は︑国際︑国内情勢に対応的に︑その支配を維持し︑かつ日本資
本主義の﹁おどろくべき飛躍発展﹂を創出していったところに︑そのraisOロd︶だreが認められている︒
第二に︑この﹁反動的専制的﹂政治権力は︑封建反動の性格=本質をもつのではなく︑﹁近世的貨幣資本家﹂的本質に
基礎づけられたものとしてとらえる︒秩禄処分⊥献賦与の形かこれを説明する︒だから︑﹁わが国における二院制度
の本質および意義︑ならびに⁝なかんずく金融寡頭政治を特徴とする帝国主義的発展段階に達せる最近において貴族院
1とくに旧領主の葦族と多額納税議員とよりなる研究会の少数幹部が政機にたいする寡頭的支配権を把握するにいたれ
る理由﹂も自明となる︒すなわち︑支配層の ﹁出自﹂ ︵封建制下の支配者とか︑公家とか︶から︑その支配の性格をとらえ
るのではなく︑そういう出自をもった支配層が︑当面の歴史段階で︑いかなる階級的性格を付与されているか︑によっ
︵9
︶
て︑支配の性格をとらえる︑というのが野呂の立場である︒
ついで︑かれによる︑近代日本政治︵経済︶史の総括をみておこう︒
﹁わが国は︑その急速なる産業革命の進展に
もかかわらず1いな︑むしろあまりに急激なる産業革命の跳躍的発展のゆえに︑かえって11轟末も絶対的専制政治形
掛を揚棄することはできなかった︒のみならず︑⁝それは︑産業革命の結果︑掛臥ハ訃宗か卦㌫苦か掛かかか掛か
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
三七
ヽ ヽ
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
ヽ ヽ
三八
均衡のうえに新たなる安定をえることになったのである︒もちろん︑かかる安定は︑相矛盾する生産様式のうえに⁝⁝た
もたれていたのであるから︑⁝⁝当然動揺をまぬかれなかった︒大正二年および十三年の笠二次および第二次護憲運動の
ご 悠 浅 沼 諸 ∵
・ た え ず 朴 卦 朴 掛 訃 を と げ つ つ 今 柁 い た り ︑ い か 中 か
㌫ い 掛 掛 か か 掛 と な っ た 残 骸 を
︑ 最 後
に金融寡頭政治の城砦として提供せんとしつつあるのである﹂︒
この総括で︑注意すべき点をいくつかあげておこう︒ここでも︑﹁絶対的専制政治形態﹂の貫徹が確認されているが︑
この﹁政治形撃がブルジョアジーと地主︵封建的生産形態に立脚する︶の﹁均衡−の上に立つがゆえに︑﹁動揺﹂がさけられ
ず︑﹁内部的変質﹂が継続し︑昭和初頭にはついにそれは﹁藻抜けの殻﹂となり︑﹁金融寡頭政治﹂のとりでとなってい
る︑という︒すなわち︑一つは︑絶対主義的国家形態の存立基礎を︑封建制=地主制と資本主義との﹁均衡﹂にもとめら
れ︑二つに︑この国家形態の﹁変質﹂とは︑前稿ですでにあげたごとく︑野呂のいう︑地主の﹁ブルジョア化﹂︵ブルジ
ョァ的利害=株式の霜者としての︑また︑現物小作料︹米︺の都市への販売者としての︶を一つの軸として︑つくり出される﹁変
質﹂であり︑三つに︑この絶対主義的国家形態が昭和初頭には二つめの事情を通じて︑階級的基礎を喪失して︑金融寡頭
制の政治制度に転化している︑というわけであるから︑少なくともつぎのことだけは︑論点となりうるだろう︒第一に︑
天皇制国家は︑成⊥蛸において︑古典的絶対主義国家により近似した実態をなしていた︑ということであって︑ここでは
政治制度と生産形態とはほぼ帝離ほなかったことになるが︑その後︑資本主義の展開とともに︑その罪離がますます進行
した︑という点︒第二に︑この節離進行の結果︑昭和初頭には︑経済面における金融寡頭制支配と︑政治面での絶対主義的
ヽ ヽ
形態との並存の状態となりかつ前者の金融ブルジョアジーが︑後者を掌握=利用している関係に立つ︑とする占㌘﹂の第
二の点の客観的条件として︑野呂は︑日本資本主義の産業資本確立期が国際的な帝国主義化の時期に照応し︑日本も帝国
主義化が要請された以上︑帝国主義的抑圧反動体系の構築にとって︑龍対主義的政治形態が適合的な機構を備えている︑
と考えたのである︒ところで第三に︑第一点とも関連して︑地主階級が︑日本において︑政治支配の上でいかなる地位を
占めえたか︑という問題が残る︒古典的絶対主義論によれば︑一方で封建的地主階級がその経済的地位を低下させ︑他方
で資本家階級が勢力をまして︑両者の力関係においてなお後者が前者を圧服するに到らない段階であらわれる権力︑これ
が絶対主義とされたはずである︒しかし︑日本の地主階級は︑野呂の理解によれば︑基本的に地租改正以降︑とりわけ松
︵17︶1万財政期に著しく形成されたものであって︑すぐれて︑ブルジョア的発展の所産である︑とされているのであるから︑明
治期天皇制国家といえども厳密な古典的意味での絶対主義国家と規定することは︑難しいことであったろう︒その点で
は︑野呂には答えの用意がなかったといえよう︒
∽﹁日本資本主義発達の歴史的諸条件﹂︵﹁諸条件﹂と略記︶において︑天皇制国家論は︑どのような展開を示してい
るだろうか︒ここでは﹁発達史﹂にすでに現われている内容を前提として︑新しいつけ加えと思われるものを摘記してお
きたい︒
第一に︑日本国家の絶対主義的反動的性格の根拠をつぎの二点においてみている︒一つには︑﹁その本質においてほと
︵18︶んどブルジョア化されていた﹂とはいえ︑秩禄処分−公債賦与の形式は︑けっかとして﹁寄生的利子および配当の取得者
︵19︶として﹂の﹁皇室の藩屏﹂を形成したこと︑換言すればこの﹁藩犀﹂は︑近代ブルジョア社会における金利生活者︑利札
︵20︶︵21︶切りの寄生的=反動的性格を具有した︑のである︒今一つには︑〝封建的﹁経済外的強制﹂″をもって小作農民を強度に搾
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︵22︶取し︑このことによって封建領主の地位になりかわった地主︑これこそ﹁いまや本質において︑絶対専制主義の支柱﹂で
ある︑とする︒
だから︑ここでは︑﹁発達史﹂とは︑視点をややかえて︑﹁絶対的専制政治形態﹂の独自の階級的基礎を析出しようと
︵23︶試みたのである︒しかし︑むろん﹁発達史﹂段階で確認された︑﹁藩犀﹂たる政府支配層および﹁地主﹂層のブルジョア
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
三九
野呂栄太郎の天皇制国家論︵一︶ 四〇
化を基礎においていることは︑明らかである︵前掲拙稿︑一四四−一四六ページを参照のこと︶︒支配層の﹁ブルジョア化﹂は
また︑帝国主義転化に敵対的矛盾をもつことなく︑それに照応しうる条件ともなったというのが︑かれの理解であった︒
︵2 4︶
第二に︑注意を要するのは︑天皇制国家を︑マルクスの周知の命題の援用によって︑実質的に封建国家と規定している
点である︒すなわち︑地租改正によって︑﹁事実上︑ただ︑封建的土地領有者への生産物地代︵物納貢租︶が︑いまや唯
︵2 5︶
言警同の独占的土地領有老たる国家への貨幣地代︵金納地租︶ に転化せられた﹂もの︑と論じている︒ここに︑わたくし
がⅠ注︵1︶︵三四−五ページ参照︶でふれたごとく︑農業=封建制的生産形態の強調の出発点がみとめられるといえよう︒
弼 野呂の天皇制国家論をあとづける今一つの論文﹁日本資本主義現段階の諸矛盾﹂︵﹃思想﹄一九三〇年一月︹﹃全集﹄
上︑所収︺︶をしらべてみよう︒長い引用で恐縮ではあるが︑その主張がもっとも体系的に展開されていると考えられる部
分を示しておこう︒野呂にとっての︑いわば日本帝国主義の全構造的把握ともすべき部分が︑これであり︑かつ︑わたく
しがフォローしてきた﹁発達史﹂ならびに﹁歴史的諸条件﹂に展開されてきた天皇制国家の基本的性格づけを︑よくふま
え︑再確認しながら︑再生産構造と連繋づげ︑天皇制政府の役割を解明している部分とみなすことができるであろう︒
野 呂 は 述 べ て い る
︒ 1
﹁資本主義の支配的生産様式としての工業と︑被支配的生産様式としての農業との発達の不均衡における⁝特質は︑さ
らに︑工業生産内部にも種々なる不均衡を生ずる︒日本資本主義は︑全体としてこれを見るときほ︑たしかに︑急速なる
発展をとげ︑そして︑いまや︑金融資本の独占は国家資本主義の最高形態にむかって成熟している︒しかしながら︑この
ことは︑その背後にたえず生成しかつ没落しつつある中小生産の広範なる存在を排除するものではない︒というばかりで
なく︑農業における資本主義の未発達のゆえに孤立し分散した国内市場を基礎としなければならなかった大生産は︑じつ
に︑これらの市場関係のうえにたえず発生してそして急速に衰退するところの︑中小生産の巨大なる層を収奪することに
よってのみ︑日本帝国主義の比類なき急速度の発展は可能にせられたのである︒
農業における資本主義の発達が不じゅうぶんであり︑依然としてそれが封建的な伝統的生産関係に従属しているという
ことは︑大資本の支配が直接これらのものの上に及びえないことを意味する︒しかしながら︑日本資本主義の急速にして
高度の発達は︑これらの層を収奪することなしには不可能であった︒金融資本は︑農業に依存し︑これを収奪し︑そして
人口の半数をしめる農民を政治的に支配し︑従属せしめることなしには︑経済上︑政治上におけるその覇権を獲得し︑維
持することはできなかったし︑また今後もできえない︒金融資本のかかる支配を媒介し︑可能にしているもの︑それは︑
一方においてほ︑最高の土地領有者として直接農民のうえに君臨しているところの半封建的な絶対君主制機構の国家であ
り︑他方においては︑小農民のあいだに介在し︑かれらに寄生し︑かれらと直接の生産および交換関係にはいっていると
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
︑
︑
︑
ころの︑地主︑高利貸し︑商人および中小産業資本家等々である︒
大金融資本が︑なかんずく大財閥が今日擁する巨大なる資本のうち︑生産過程において直接労働者から搾取したもの以
外のほとんど大部分は︑国家のあらゆる行政的支配網をとおして︑農民︑小市民および労働者から︑なかんずく農民か
ら︑収奪したものである︒ここに︑依然として半封建的生産関係のもとに従属している農民のうえに君臨して︑これを搾
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
取し︑抑圧し︑無知にしているところの絶対専制的勢力と帝国主義ブルジョアジーとの︑国家権力を媒介とする特殊なる
融合の生まれる物質的基礎がある︒
帝国主義ブルジョアジーと絶対勢力との国家機関をとおしてなされる農民および小市民の収奪が強烈であれはあるほ
ど︑それだけかれらの窮乏ははなはだしく︑それだけかれらを︑地主に︑高利貸しに︑商人に︑中小産業資本家に︵とく
に資本家的家内労働者として︶従属せしめる︒いまや︑大資本の支配はこれらの中小搾取者︑なかんずく︑中小商工業者の
うえにむけられている︒いわゆる財界の整理や緊縮政策の名において︒地主︑中小商工資本家らは︑大金融資本が農民お
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
四一
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 二 四 二
よび小市民を経済的に搾取する媒介として必要である︒しかしながら︑これら広範なる層の存在は︑それだけ︑生産と市
場との無秩序︑混乱を大ならしめ︑それだけ金融資本の寡頭的支配を困難にする︒かれらの擁する巨大なる資本の圧力に
ょって中小資本は整理せしめられねはならぬし︑またせしめうる︒しかしながら︑中小資本および地主の急速なる没落
は︑また︑大資本と小生産者および消費者大衆との連鎖の多くのものを断ち切ることによって︑そのほうからの新たなる
無秩序と混乱とがかれらをおびやかす︒いな︑それだけでなく︑独占資本の収奪が強烈であればあるほど︑農民および小
市民層の没落をうながし︑かれらのあいだの階級分化を強行して︑その大部分をプロレタリアおよび準プロレタリアの層
に突き落とすとはいえ︑その強烈なる階級分化の過程は︑また当然その反面において新しき小ブルジョア層を形成せしめ
ることになる︒もちろん︑この新しきブルジョア層の形成は︑二万における新しきプロレタリア層の発生に比して相対的
にますます減少し
︵2 7︶
づ け
ら れ
て い
る ﹂
︒
っっぁる数を代表しているにすぎず︑しかもそれは日ならずより大なる資本の圧迫によって没落を運命
ここでの論点は︑第一に︑かれなりの﹁日本資本主義の基本構造=対抗︹・展望︺﹂︵山田盛太郎﹃日本資本主義分析﹄序言
一ページ︶把握にもとづく展望として︑﹁金融資本の独占は国家資本主義の最高形態﹂への成熟過程にあるものととらえた
ことである︒もっともこの﹁国家資本主義の最高形態﹂なる概念の問題性については注︵空でもふれたごとく︑大いに議
論の余地のあるところではあるが︒
第二に︑金融資本の支配が︑農民を土地に縛りつけ封建的貢粗︵年貢︶たる地租をかれらから収奪する国家︵﹁半封建的
な絶対君主制機構の国家﹂︶と﹁地主︑高利貸し︑商人および中小産業資本家等﹂の︑二つの中間項を媒介とする農村支配
を︑前掟にしなければ︑存続しえない︑という指摘である︒ここにまたかれは︑﹁絶対専制的勢力と帝国主義ブルジョア
ジーとの︑国家権力を媒介とする特殊なる融合﹂の物質的基礎をみいだすのである︒ここにおいても︑﹁発達史﹂以来の
ヽ ヽ ヽ ヽ
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
天皇制国家論︵﹁絶対的専制政治形態﹂﹁絶対専制主義﹂︶にみられる絶対主義﹁政治形態︵統治機構︶﹂諭が鮮やかに継承されて
いることを確認できよう︵﹁半封建的な絶対君主制機構の国家﹂の表現︶︒それに止まらず︑﹁諸条件﹂段階から明瞭に追加さ
れた経済制度における封建制的本質︵地主制︑および国家対農民︶の再確認となっている︒ここに引いた文言の前に︑猪俣
津南堆批判が展開されているので︑この点はいっそう明らかである︒すなわち︑猪俣が︑地租改正を﹁封建的絶対主義の
基礎たる封建農業の土地制度を撤廃﹂したものと評価した︵猪俣津南雄﹁ブルジョアジーの政治的地位﹂︑﹃太陽﹄一九二七年一
一月︹同誌掲載のときには﹁現代日本ブルジョアジーの政治的地位﹂︺︑同氏著﹃現代日本ブルジョアジーの政治的地位﹄南宋書院︑一
九二七年︑二九ページ︑及び﹃現代日本研究﹄改造社︑一九二九年︑一五八ページ︶のに対して︑﹁諸条件﹂段階で展開された論理
へ29︶でもって︑批判を行っている︒つまり︑かれは︑絶対主義﹁政治形態﹂論を︑この段階では︑その存立基礎としての生産
︵30︶︵31︶様式に直結して︵﹁階級的物質的基礎﹂︶︑展開するに到ったのである︒
野呂栄太郎の﹁発達史﹂︑﹁諸条件﹂︑﹁諸矛盾﹂を通ずる天皇制国家把握の検出をここでいちおう終えるにあたっ
て ︑
つ ぎ
の こ
と を
確 認
し て
お き
た い
︹
小 括
︺ ︒
野呂の天皇制国家論は︑これまでみたごとく︑天皇制の絶対主義的性格を︑政治形態︵﹁機構﹂︶のそれとして規定して
いるのであって︑前稿で示したごとく︑部分的には︑均衡論的絶対主義論や絶対主義=封建制国家論への傾斜をみせつつ
も︑全体として︑経済関係を含めての規定として把握することに︑主眼がおかれていたとはいえないであろう︒むしろ︑
かれの絶対主義天皇制理解が経済関係を含めてのそれとして明瞭になるのは︑猪俣津南雄との論戦1絶対主義の規定を
するなら︑封建制国家あるいは均衡国家でなければならない︑との猪俣からの挑戦をうけて︑天皇制絶対主義の﹁階級的
物質的基礎﹂としての﹁大土地所有制﹂挙示にいたった ー をまって︑本格化した︑といってよいであろう︒
とはいえ︑野呂の絶対主義=機構論から絶対主義=全構造論︵機構と︑これを存立せしめている生産様式・関係=階級の存在︶
野呂栄太郎の天皇制国家論︵こ 四三
野呂栄太郎の天皇制国家論︵一︶ 四四
への移行は︑もっぱら︑猪侯との論戦にのみ原因するといいきることですべて尽されているわけではなかろう︒やはり︑
前稿でくわしく検討したごとく︑かれにとってのこの移行の契機は︑農業生産関係規定の移行にも内包されているとみる
ことができる︒そのいみでは︑絶対主義の論理の移行は︑全く唐突であるわけではないのである︒ここにいう農業生産関
係規定の移行とは︑﹁発達史﹂段階での農業生産力における封建制的水準と同等との評価から︑﹁諸条件﹂段階での地主
−小作関係︑すなわち生産関係を封建制的なものと評価することへの移行︑これで臥禦
︵1︶ 野呂栄太郎﹁日本資本主義発達由と一九二七年一−一二月脱稿︑﹃野呂栄太郎全集﹄上︑新日本出版社︑一九六五年︑五九ペー
ジ︒
︵ 2
︶
前 掲
﹃ 全
集 ﹄
上 ︑
八 八
ペ ー
ジ ︒
︵ 3
︶
同 上
︑ 九
二 ペ
ー ジ
︒
︵ 4
︶
同 上
︑ 九
二 ペ
ー ジ
︑ 傍
点 引
用 者
︒
︵ 5
︶
同 上
︑ 五
九 ペ
ー ジ
︑ 傍
点 引
用 者
︒
︵ 6
︶ ︵
7 ︶
同
上 ︑
六 二
ペ ー
ジ ︒
︵ 8
︶
同 上
︑ 六
二 ペ
ー ジ
︒
︵9︶ 資本主義成立における﹁出自﹂問題では︑われわれは︑すでに︑つぎのような指摘があることを知っている︒いわく︑﹁近代
資本主義︵産業資本︶成立の基本的過程において産業資本家屑も賃銀労働者層も共にその基軸は中産的生産者層から由来してい
る︒いま少しく詳述すれば︑中産的生産者層の主として富裕な一部が産業資本家に上昇し︑ことに産業革命期に至ると少数の幸
運 に
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論 近
代 的
商 業
資 本
家
・銀行資本家や近代的地主に成り上った一部並びに新しい中間層を形作る人々を除けば十一が終局的に賃銀労働者群へ化し去っ たのである︒⁝⁝近代資本主義︵産業資本︶の形成過程はかかる中産的生産者層の分解過程に他ならない︒従って他面より見れ
ばそれは特殊歴史的範晴としての中産的生産者層の消失過程であり︑近代資本主義の完成は中産的生産者層がその分解の極完全
に消失する点に一致する﹂︵大塚久雄﹁近代資本主義発達史に於ける商業の地位﹂﹃近代資本主義の系譜﹄上へ増訂版︶︑弘文堂︑
一九五一年︑一四六−七ページ︶︒ここにいう﹁中産的生産者層﹂とは︑﹁小生産者を本来の地盤とし面もその中にマニュファク
チュア所有者をも掛卦朴か訃掛する−ところの生産者層﹂︵大塚久雄︑同書︑三四ページ︑傍点はともに原著者︑以下同
じ︶と規定される︒以上の見地は︑﹁近代資本主義発達の基低は通例−意識的にせよ無意識的にせよ1商業の発達に求めら
れている﹂という﹁問題史的﹂状況︑つまり﹁近代資本主義の発達は経済社会の商業化の進展過程に他ならないとする﹂︵同上︑
一一〇ページ︶通説への疑問に対する氏なりの批判的答えであった︒またこの見地は︑イギリス資本主義成立史にかかわるもの
であり︑資本主義成立=本源的蓄積が︑このように中産的生産者層の両極分解の漸次進行によって特色づけられうるか否かは︑
論議のあるところである︵総論的ながら︑手短かにまとめられた︑大塚氏所論の検討として︑樋口徹﹁大塚史学批判の問題点﹂︑
﹃歴史学研究﹄三二九号︑一九六七年一〇月所収︑をあげておきたい︶︒が︑わたくしが︑ここで︑この見地をとりあげたのは︑
ほかでもないわが国のような特殊規定︵=後進︹発︺資本主義︶をもつところでの近代化における︑支配層の旧体制から新体制
への﹁移行﹂︹=居座り︺に着目しているからであり︑野呂の︑ここでの問題処理の仕方に注意を払っておきたいからである︒こ
こで一つの研究を紹介しておこう︒−﹁新しく政権を掌握した下級武士たちは︑華族という称号を彼らの元の主君に与えて︑
新政府の正統性を強めた︒それと同時に︑彼らは自らも華族となって︑以前の主君の仲間入りをし︑自らの威信をも高めたので
ある︒さらに︑華族制度は皇室を守る貴族の一団を作ることによって︑近代化の過程で社会の強力な中枢部を作り上げるのを助
けるという機能を果たした﹂︵高根正昭﹃日本の政治エリートー近代化の数量分析﹄︑中公新書︑一九七六年︑三九ページ︶︒
また士族については︑同書四〇ページ以下参照︒
︵10︶︵11︶前掲﹃全集﹄上︑九三ページ︑傍点引用者︒ここでは︑国家機構が﹁内部的変質﹂を遂げて︑昭和初頭には﹁金融寡頭﹂
政治の城砦と化している︑との認識に︑幾多の問題が伏在しているといえよう︒まず機構の﹁変質﹂とは︑いかなる性格︵本質︶
から他のいかなる性格への変化をさしているかという点︑また︑機構の﹁変質﹂とはいうものの﹁絶対的専制形態﹂の﹁揚棄﹂
が不可能であったとするのであるから﹁機構﹂それ自体の﹁変質﹂の究明は︑事実上回避されており︑政治形態︵無変化︶の担い手
の変化︵それも革命的変化をいみしない︶の究明に止まる︑というはかない︒そして注︵11︶の示す﹁変質﹂ならは︑地主が封建
搾取者としての利害を徐々に失って︑ブルジョア的利害に関心を払うに至り︑したがってまた︑支配機構における初期の矛盾的
不安定性が解消してゆく︑ということになるであろう︒なお小林良正氏は︑この〝地主のブルジョア化″は︑高橋亀吉﹃明治大
正農村経済の変遷﹄︵一九二六年︶︑プレトネル﹃日本における農業問題﹄︵一九三一年︑邦訳︶などの〝謬論″であって︑野呂
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶
四五
野 呂 栄 太 郎 の 天 皇 制 国 家 論
︵ 一
︶ 四 六 は﹁発達史﹂でのその理解を︑のちの﹁日本資本主義現段階の諸矛盾﹂では﹁克服している﹂︵小林良正﹃日本資本主義論争の回
顧﹄︑白石書店︑一九七六年︑一〇一ページ︶とされている︒よりくわしくは︑同書︑三九⊥六二ページ参照︒これに対し︑
野呂の地主の〝ブルジョア化〟論を︑資本主義の資金循環視点から︑ポジティーフにとらえかえそうとされたのが中村政則﹁日
本地主制史研究序説﹂︵一橋大学﹃経済学研究﹄12集︑一九六八年︑とくに︑三四六ページ以下︶といえよう︒また永原慶二・
中村政則・西田美昭・松元宏﹃日本地主制の構成と段階﹄︑東京大学出版会︑一九七二年︑をも参照されたい︒
︵誓 ここに﹁古典的絶対主義国家﹂とは︑マルクス主義古典︑とりわけ︑エンゲルスの﹃家族︑私有財産および国家の起源﹄︑カ
ゥッキーの﹃フランス革命時代における階級対立﹄の有名な定式︑と解されたい︒もちろん︑絶対主義論ないしボナパルティズ ム論の命題がその二つに尽きるわけではない︒否︑むしろ︑その二つの定式を事実上︑固定的に理解することからの硬直性につ
いても注意が必要であろう︒その事情が︑Ⅲ章において︑わたくしに絶対主義論を再検討させる動機となっている︑といってよ
ヽ
○
︵13︶ ﹁古典的絶対主義﹂国家にむ獣い訟軒−これについて︑さいきん︑中村政則氏はつぎのように明言されている︒すな
ゎち︑﹁一言でいえは︑明治十年ごろまでの権力は︑天皇を絶対的な存在とし︑中央集権的国家機構をもち︑人民を政治的無権
利状態に縛りつけているところの︵議会を開いていない︶︑絶対専制的な国家権力であった﹂︵中村政則﹁近代天皇制国家論﹂
大系﹃日本国家史﹄4近代1︑一九七五年︑東京大学出版会︑四七ページ︶︑と︒
ヽ ヽ ヽ ヽ
︵14︶絶対主義的政治形態と︑ブルジョア的経済発展がなお微弱であることによる地主的土地所有︵地主1小作関係︶の強靭性︒
︵ほ︶絶対専制的国家=政治機構の金融ブルジョアジーによる﹁掌握=利用﹂とは何か︒金融ブルジョアジーの支配道具と化した絶対
主義的政治機構! ここでは機構︹=枠組み・仕組み︺それ自体を金融ブルジョアジーが利用する︑ということであるが︑一般
的にいってストレートな﹁利用﹂はありえないはずで︑独自に構築されてきた仕組みの担い手たる絶対主義官僚群︹=制︺の対
応は︑いかなるものであったか︑が問われなければならない︒この解釈では︑当然﹁天皇制は現在では労働者・勤労被搾取農民
大衆の指頭に対する金融資本を先頭とする支配階級のファシズム的弾圧︑搾取の有力なる道具となっている﹂︵﹁日本共産党政治
テーゼ草案=九三三︺﹂︑石堂清倫・山辺健太郎編﹃コミンテルン日本にかんするテーゼ集﹄青木文庫︑一九六一年︑五丁
五二ページ︶との理解を想起させる︒このテーゼは︑一段階革命論への傾斜がみられ︑野呂栄太郎も︑これには反対したとのこ
とである︵蔵原惟人﹁野呂栄太郎との数カ月﹂﹃文化評論﹄一九六四年三月−守屋典郎﹃日本マルクス主義理論の形成と発展﹄
青木書店︑一九六七年︑二二〇ページ︶ので︑なお微妙であるが︑ここでは︑野呂のこの認識は︑二七年テーゼ以前のものであ
るとともに︑天皇制国家機構には首尾一貫︑強い関心を払っていたという事実︵﹁日本共産党綱領草案﹂二九二二年︺における
﹁君主制の廃止﹂︹テーゼ集︑七ページ︺のスローガンとも一致する︶を指摘しておこう︒そのいみでは︑金融資本の支配の道
具とは︑たんなる〝道具″︵猪俣流〝封建遺制″・〝残存物″︶の論理ではないであろう︒なおまた︑中村隆英﹁﹃日本資本主義
論争﹄について﹂︵﹃思想﹄︑六二四号︑一九七六年六月︶のように︑諸テーゼの変遷を事実上︑国際的状況︵中国革命︑および
これへのコ︑︑︑ソテルンの関心の深浅など︶に左右されたものとし︑天皇制への関心の深浅も︑いわばその副産物とみなす理解が
あるが︑それは︑日本国家の科学的解明︵←変革︶に力を集中した野呂とその後の人々の諸成果︵中村氏も認めるごとく︑一九
六〇年代まで少なくともその射程に収めうる︶を︑正しく︵科学的=批判的に︶継承する姿勢が著しく欠如しているものとみざ
るをえない︵とくに︑その一八七−一九〇ページ︶︒
︵16︶ここにいう﹁適合的な機構﹂を端的に言えば︑ブルジョア議会制=民主主義︹政治的民主主義︺の︑端初いらいの全面的否定
の傾向︑これである︒これを特徴的に示すものとして︑野呂は︑集会結社以外で︑取締りを要するものである街頭などでの安寧
秩序と風俗を害する者︑ストライキ等や小作争議等による労働者︑農民の反抗を理由として︑制定された治安警察法︵一九〇〇
年︶を挙げている︵﹃全集﹄上︑九四ページ︶︒
︵17︶この点︑くわしくは︑﹃全集﹄上︑六五ページ︒なお︑前掲拙稿︑Ⅰ章注︵16︶︵二二七ページ︶をも参照︒
︵18︶同上︑一八四ページ︒
︵19︶同上︒
︵20︶﹁高利は︑二刀では︑古代的および封建的富にたいしても︑転覆的破壊的に作用する︒他方では︑それは︑小農民的および小
市民的生産を︑要するに生産者がまだ自分の生産手段の所有者として現われているようなすべての形態を︑転覆し破滅させる︒﹂
﹁高利は︑生産手段は分散されているのに貨幣財産を集中する︒高利は生産様式を変化させないで寄生虫としてそれに吸いつ
き︑それを困窮させる︒高利は生産様式を搾取し︑それを衰弱させ︑そして︑再生産にますますみじめな条件のもとで行なわれ
ることを強制する︒﹂﹁高利も商業も与えられた生産様式を搾取するのであり︑それをつくりだすのではなく︑外からそれに関係
するのである︒高利は︑絶えず繰り返しその生産様式を搾取できるようにするためにそれを直接に維持しょうとするのであり︑
保守的であり︑ただそれをいっそう悲惨にするだけである﹂︵K●MarヂhFこぶ首鼠Bd.声中臣︑G=内︑喝乳h弓等訂出札N∽−
野呂栄太郎の天皇制国家論︵こ 四七
野呂栄太郎の天皇制国家論︵一︶ 四八 か︸S・空○声毘u傍点引用者︶︒また帝国主義段階については︑つぎの有名な︑レーニン︑﹃帝国主義論﹄の︑命題がある︒すなわ
ち︑﹁帝国主義とは少数の国に貨幣資本が大量に蓄積されることであり⁝⁝その結果︑金利生活者の︑すなわち﹁利札切り﹂で
生活する人々の︑どんな企業にも全然参加していない人々の︑遊惰をもって職業とする人々の階級︑あるいはより正確にいえは
階層が︑異常に成長してくる︒帝国主義の最も本質的な経済的基礎の一つである資本輸出は︑金利生活者層の生産からのこの完
全な断絶をさらにいっそう強め︑いくつかの海外諸国と植民地の労働を搾取することによって生活する国全体に︑寄生性という
刻印をおす﹂︵B・・ヨeH≡シ箪喜鳶喜⊆芦ささ完璧茎喜忘宝宗旨も喜さSき芦芸事bぎ挙︵丈yeg.づP式い塁.已き冥莞 串 串 S 6 由 C T p
・ 誌
↓ − 憲 ∞
・ 傍 点 引 用 老
︶ ︒
みられるように︑利子生み資本は︑商品生産が存在するや︑その基盤の強弱のちがいはあっても︑必らず存在するものであ
り︑まさしく﹁ノアの洪水前的資本範晴﹂とされるべきものである︒しかも︑この資本は︑生産過程の性格のいかんを問わずG
−αという資本形式︹﹁自己増殖する価値﹂︺をとり︑生産過程に寄生する︵まことに利子生み資本こそは︑﹁資本の最高物神﹂
である︶︒つまり︑貨幣財産の集積が社会的に進むことと︑利子生み資本の活躍とは︑密接不可分である︒この点よりすれば︑資
本主義が高度に発展し一︑貨幣財産が膨大になっている帝国主義段階は︑利子生み資本家の大量形成=そのはなはなしい活躍の基
盤を提供する︑といってよいであろう︒
だが︑ここでも日本の特徴ある問題にふれておく必要があろう︒すなわち︑封建的支配者を一つの基本的要素とする﹁藩屏﹂
は︑いわば︑封建制から資本制へ︑という体制的断絶に影響されず︑支配者として自己自身を保存したことである︵封建制的外
被の資本制的外被への衣替え︶︒否︑むしろ﹁体制的断絶﹂がいかなる深度において展開されたか︑という問題性を包みこんでは
いるが︑ここに︑さきの注︵9︶において示したごとき︑﹁出自﹂問題が︑べつの姿をとってではあれ︑現出するのである︒野呂
のここでの問題処理は︑やはり前と同様︑資本主義展開の視角から︑出自の封建的性格よりも︑現存の体制=生産関係の下にお
ける機能=役割から︑﹁藩屏﹂の性格を論ずるものであった︑といってよい︒
︵21︶ 野呂栄太郎をさきがけとして形成されてきた講座派〝封建的﹁経済外的強制﹂〟 の論理について︑さいきんの論点整理ではこ
ぅ述べられている︒− ﹁﹁講座派﹂の見解の主流には︑地租が過重であるという点などを理由に︑地租改正を封建的土地領有の
単なる再編=形態転化と規定する解釈が強い︒しかし︑少なくともこの変革で封建制が廃止され︑近代的土地所有制度が成立し
たことは否定しえないであろう︒したがって論究するべきことは︑地租改正を基本的にはブルジョア的土地変革と認め︑そのう
えでさらにその具体的内容を洗い出すことであると思う﹂︵小峰和夫﹁地主的土地所有﹂︑吉田晶・永原慶二・佐々木潤之介・大 江志乃夫・藤井松一編﹃日本史を学ぶ﹄4近代︑有斐閣︑一九七五年︑所収︑一二一ページ︑傍点引用者︶︒また︑毛利健三氏 は︑﹁経済外的強制﹂の存在を明確に否定され︵山田盛太郎︑平野義太郎︑相川春吉への批判として︶︑﹁一定部分︵初期には圧
倒的な部分︶の農民を農村にふみとどまらせ長期にわたって農民として再生産した経済的諸要因のうち重要なものは︑日本資本
主義の世界史的環境であり﹂︑第一に︑自己のための広範な世界市場の欠如が︑農業からの工業の分岐・発展をおしとどめ︑第
二に︑初発からの高度な機械制大工業の移植が労働力吸引要因の減殺の効果を発揮した︑と論じられている ︵﹁ファシズム下に
おける日本資本主義論争﹂長幸男・住谷一彦編﹃近代日本経済思想史﹄Ⅰ︑有斐閣︑一九七一年︑所収︑一六五1一六六ペー
ジ︑傍点毛利氏︶︒毛利氏のこの所説に近い見解として︑じつは︑野呂栄太郎じしんの ﹁日本資本主義発達史﹂ 六五−六六ペー
ジ︑および同論文の要約が与えられている九七1一〇一ページの展開にもとめることができよう︵前掲拙稿﹁野呂栄太郎論﹂一
三一−一三二︑二二五ページ︶︒
︵ 2 2 ︶ ﹃ 全 集
﹄ 上
︑ 一 九 一 ペ ー ジ ︑ 傍 点 引 用 者 ︒ 地 主
= ﹁ 絶 対 専 制 主 義 の 支 柱 ﹂ は ︑ の ち の 部 分 で も 地 主 =
﹁ 絶 対 専 制 支 配 の 1 専 制
的国家形態の依然として板づよき基礎﹂ ︵二三三−二二函ページ︶とも表現されている︒
︵23︶ ﹁発達史﹂との﹁視点﹂変更について補足しておこう︒﹁発達史﹂では︑絶対主義諭の展開を﹁新興商工資本家と地主との新 た な る 均 衡 ﹂ ︵ 前 掲
︑ 注
︵ 1 0 ︶
︶ ︑ す な わ ち
︑ 均 衡 論 的 絶 対 主 義 論 の 視 点 か ら 行 っ て い た の で あ る が ︑ こ こ
﹁ 諸 条 件
﹂ に あ っ て
は︑封建階級としての地主に絶対主義の階級的基礎がもとめられている︑そういう意味での視点変更である︑といってよい︒
この〝変更″は︑絶対主義理解の不安定性の一面を示しているといってよいであろう︒前掲拙稿Ⅲ章注︵27︶︵一五五−一五七ペ
ージ︶ で示した絶対主義論の︑今日までつづいている諸説のヴァリエーションの基礎も︑この 〝不安定″性にあるといえよ
う0