• 検索結果がありません。

『妊婦と胎児一一二人の個人一一』(胎児診断および晩期堕胎に関するスウェーデンの報告書) (四)一一生殖医学と法(三)一一

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『妊婦と胎児一一二人の個人一一』(胎児診断および晩期堕胎に関するスウェーデンの報告書) (四)一一生殖医学と法(三)一一"

Copied!
30
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

﹃妊婦と胎児│二人の個人│﹄(胎児診断および

晩期堕胎に関するスウェーデンの報告書)岡

││生殖医学と法(三)││

﹁生殖医学と法﹂研究会

55一一一『奈良法学会雑誌』第10巻1号 (1997年6月)

5

調査委員会による考察

胎児診断に関する見解 胎児診断は、比較的近年に医学界に導入された技術の一つである。それが胎児の持つ先天性障害を発見する重要な手段として認 められるようになったのは、一九六

0

年代に入ってからのことである。 一 九 六

0

・ 七

0

年代には、概して胎児診断の意義について議論されることはなかった。それは、胎児診断が妊娠の経過が順調で あるかどうかを診断する目的のみにおいて適用されていたからである。しかし医学界における技術の発展により、胎児の先天性障 害を発見し、それを有する胎児の出産を防止するという目的で胎児診断が適用されるケ

l

スが増加するようになった。そのような 適用が、胎児診断の意義に関する論議を呼ぶ結果となり、倫理的・心理的、及ぴ法的見地から、その適用自体が疑問視されるケ

i

スも増加している。このような胎児診断に対する見解の変化には、以下にのべる二つの条件が大きく貢献していると言える。 第一の条件としては、胎児に対する見解自体が変化したことが挙げられる。一九七五年に施行された新しい人工妊娠中絶法では、 妊娠初期における胎児は母体である女性の体の一部であるととらえられている。しかし、近年ではこの概念に代わって、胎児と母

(2)

第10巻 1号一一 56 体は懐妊した時点より、どちらも保護を受ける権利を持つ別々の伺体であるという概念が広く取り入れられている。 第二の条件として挙げられるのは、近年に見られる胎児診断技術の発達・改善により、妊娠初期の段階で診断を行なうことが可 能になったこと、及ぴその時点で行なわれた胎児診断により先天性障害が発見されるケ

l

スが増加しているということである。 今や胎児診断は、倫理的及ぴ心理的問題のみならず法的問題へと発展してきでいる。本調査委員会は、指令により、特に厚生省 報告書及ぴ遺伝倫理審議会の報告書の中で、これらの問題がどのように取り

t

げられ、考察されているのか調査を行なうこととな った。この一連の調査においては、過去の調査から明らかとなっている事実にも触れることとする。ここに、調査委員会の考察す べき対象を以下のように質問形式で明示しておく。

*

胎児診断は常に実施されるべきか? どのような援助が必要か?スクリーニング検査には、何らかの制限が必要かワ ある一定の適用事由を満たしていることを胎児診断実施の条件とするべきかワ その場合、どのような適用事由が考えられ

*

*

るか?

*

情報提供は文書で行なわれるべきか? 胎児診断実施前後の情報提供を義務

*

医師は、胎児診断により明らかとなった情報をすべて告知するべきか?いわゆる﹁二次的発見﹂はどう扱われるべきか? づけるべきか? 誰が胎児診断に関する情報を提供すべきか? 胎児診断が行なわれた場合の後期人工妊娠中絶に関して、何らかの法的改変が行なわれるべきであろうか? 胎児診断の実施に関する法規を制定するべきか? 胎児診断により発見可能な先天性障害に関するリストが作成されるべきか?

*

*

*

2 倫理的考察 概 略

(3)

57一一『妊婦と胎児一二人の個人ー』 胎児診断は、表面的には単に医学的問題として取り上げられることが多い。それは、胎児診断が、胎児の健康状態や発育の経過 を確認したり、胎児の持つ疾怠や身体的障害を発見することを目的として実施される検査だからである。 胎児診断は医師の手によって発展を遂げてきた。どのような徴候が認められた場合に胎児診断を実施するかを決定してきたのも 医師である。その他にも、医師は女性に対して胎児診断に関する情報を提供し、診断を行なった場合には結果を報告し、その結果 によりどのような結論が導かれるのかを女性と共に議論する義務を負っている。 しかし、前述の医学的概念により、胎児診断が他の疾患における診断とは異なった意味で、基本的な倫理問題に関わってくるこ とを忘れがちである。それは、人間観や価値観、及ぴ私達の行動を支配する原則に関わる問題であり、またその原則を適用すべき 状況を判断する際に浮かび上がる問題でもある。それは、個人の不可侵性、及ぴ個人と医師・医療及び広義における社会との信頼 関係に関わる問題であると言える。それは最終的に、複数の選択肢の中から選んだ行動により、心理的・社会的・道徳的にもたら される結果に他ならない。 現代社会において、胎児診断に対し、賛成・反対どちらか一方の立場を固持する人はほとんど存在しないであろう。胎児診断に 最も批判的な者であっても、様々な診断方法があることは否定しないであろうし、賛成の立場をとる者であっても、診断が倫理的 問題や様々な併発症を引き起こす可能性について否定することはできないからである。 胎児診断は、人工妊娠中絶や人工受精、及ぴ胎児の人権擁護など、他の一連の問題と結びつけて考えられることが多い。そうい った関連性は、胎児診断に関する倫理的考察を行なう際、常に考慮に入れておかなくてはならない。 私達は通常、胎児の状態を確認するための診断を総称して胎児診断と呼ぶことが多い。この章における本調査委員会の考察も、 原則的にあらゆる種類の胎児診断にわたって行なわれるものとする。しかしながら、胎児が先天性障害を有しているかどうかを確 認するために行なわれる診断に関し、特別に配慮して考察を行なう場合があることは避けられないであろう。 人間観と価値判断 胎児診断は、倫理的な意味で複雑な選択を私達に強いることがある。それは、個人レベル及ぴ社会における人間観や基本的価値

(4)

第10巻 1号一一 58 観に関する問題を私達に突き付けるということである。その際、深く根付いた価値観の聞で、様々な衝突が起きることになる。 人聞が大元基本的な価値観を共有しているとはいっても、様々な条件下で新たな選択を行なう際にその価値観が適用される場合 には、異なる価値観間と同様に何らかの衝突が起きることになる。またその選択自体も、完全なる悪と完全なる普とのどちらかを 選ぶような単純な性質のものであることは滅多にない。どちらの選択肢にも、長所と短所が存在するのが普通である。私達は、か なり繊細で困難な選択を常に強いられているわけである。 生命の誕生及びその成長・発展に関する論議を行なう際、その中心的意味を持つ問題は人間観に他ならない。現代社会では、様々 な分野において、ヒューマニズムに基づく人間観と技術中心主義に基づく人間観との問で衝突が起こっている。これは、人間の深 く根付いた価値観に端を発するものである。 胎児診断や人工受精は、急速な技術的発展により生み出された新しい可能性の一例である。それは人類の役に立ち、なおかつ人 類が善き目標に到達するために利用されるような技術であることが必然である。しかし同時に、人類の生活が技術的に操作される ようなことがないよう、また恩恵よりも害を被ることが多くならないよう注意してその技術を利用しなければならない。 ヒューマニズムに基づく人間観によると、人聞は自由で責任のある、創造的・社会的存在である。すべての人聞は価値ある存在 であり、自分の人生設計を持つ権利があり、他の人を単なる自分の手段として利用してはならない。 技術中心主義の基づく人間観とは、人間を不可侵性・人間的価値・選択の自由を持つ個人として扱うというより、操作可能な対 象として扱うものである。 本委員会は、人工受精やその他胎児の権利擁護に関する諸問題を取り上げ、それらに対する見解をまとめた際、ヒューマニズム に基づく人間観を採用している。この報告書で扱う諸問題においても、同じ見地に基づいて調査及ぴ考察を行なうこととする。 これは、基本的意味における倫理的選択を意味する。しかしその選択は、胎児診断によって私達が直面する倫理的ジレンマや優 先順位といった複雑な諸問題の解決に確固たる指針を一不すには弱すぎるものである。例えば、様々な人聞の利益が衝突する場合や、 胎児の生命と健康な子供を産みたいという両親の願いとのどちらを優先するべきかという問題について議論する際、同様にヒュー マニズムに基づく人間観を擁護する人達の聞においても、意見が分かれる可能性があるからである。

(5)

59一一『妊婦と胎児一二人の個人

-J

ヒューマニズムに基づく人間観とは、すべての人聞を人間としての価値を持つ存在として見倣すべきであるとするものである。 人間としての価値には、生命の神聖さ、個人の不可侵性、及び一般的人権を保有する権利などが挙げられる。この基本原則におい て、すべての人間は、人種・肌の色・性別・精神的肉体的障害・教育などに関わらず、同じ価値を持つものとされる。 例えば、友人や人生の伴侶を選ぶ際、または就職希望者の能力を判断する際に、様々な見地よりその人の価値を判断することは 多くの場合認められている。しかし、人間としての扱いを受ける最低限の倫理的価値は、どのような場合においても認められなく てはならない。つまり、人間としての価値は、差別されることなく、すべての人間に平等に認められなくてはならないということ である。これは、無条件で認められる倫理的義務である。 しかし極限状態では、その実現が難しいものとなる。おそらく、人間的価値の持つ倫理的側面をすべて満たすような行動の選択 肢が他に見つからなくなるからであろう。例、えば、警察官が凶器を持つ犯罪者に立ち向かっていく際など、他の関係者の生命の尊 厳に対し、犯罪者の生命の尊厳に対する配慮に欠ける場合があることは否めない。 強姦による懐妊は、その女性の個人としての不可侵性を甚だしく侵すものであり、妊娠の継続を強制することは、最大級の侵害 となる。この場合、女性個人の不可侵性の尊重と、胎児の生命の神聖さとを両立することは不可能になる。 この問題は、また別の重要な問題を提起している。人聞の生命はいつから始まるのだろうか?どの時点から、神聖たる人間的 価値と全ての人権を有する一個人として認められるのだろうか? 人間的価値及ぴ人権に関する近代的概念は、基本的に一九四八年の国連人権宣言に著されている。その後制定された一連の国際 的条約及び国家的規約は、すべてこの人権宣言の原則に基づくものである。 しかしながら、まだ世に生まれていない胎児も、神聖な人間的価値と全ての人権を持つ人間であると認められるべきかどうかと いう問題について、国連人権宣言には何も述べられていない。人権宣言には、この世に生を受けた人間のみに関し、﹁全ての人聞は、 生れながらにして自由であり、同じ人間的価値と人権を平等に有するものである﹂と述べられている。 どの時点から人聞の生命は始まるのかという問題については、様々な考、えが存在する。多くの場合受精時、受精卵の着床時、最 初の胎動、及ぴ胎児が胎外でも生存可能であるとみなされる時期などがその答えとして挙げられる。

(6)

第10巻1号 60 また、受精卵から胎児へと成長する時点から、神聖かつ不可侵の人間としての価値が与、えられるべきであるとする考えも存在す る。なぜならその時点より、いわゆる一生命としての人間への成長が観察されるからである。その考えによると、受精卵の着床や 胎動などその後に見られる出来事も発育過程の一段階であると見なされるため、人間的価値の有無について論ずることは不可能と なる。出産時でさえ明確な答えとはなりえない。なぜなら、正常な発育を遂げている場合、妊娠後期の胎児は既に胎外でも生存可 能であると言われているからである。 A 7 挙げられた考えに基づき、生命の不可侵性に関する原則が既に受精時から適用されるべきであると解釈されるならば、その倫 理的影響は多大なものとなる。例えば、強姦により懐妊した場合であっても妊娠中絶の実施が全面的に禁止されるであろうし、妊 娠が母体の生命を脅かす危険性のある場合においても、胎旧んの生命や健康を母体のそれに先行させる絶対的権利の存在を認めるこ とになるであろう。また、体外受精を行なう場合には、受精した卯をすべて

l

不完全なものも含め│母体に戻すよう義務づけられ ることになるであろう。 それ以外に、人間の生命を可能性としての生命と実際に成長・発展を遂げている人聞の生命とに分けるという考えも存在する。 この考えによると、人間の生命は、生物学的過程としてではなく、より限定的な意味で個々に形成される人格を持つものとしてと らえられる。受精により、徐々に人間へと発展・成長するよう遺伝的に組み込まれた一つの生命が誕生する。しかし、それはまだ 可能性としての生命にすぎない。その潜在的な可能性について考慮するならば、胎内で成長を遂げている胎児の生命には受精時よ り大きな価値が与えられるべきであり、通常出来るかぎりの保護が与えられるべきである。それでもなお、生命の神聖さに関する 原則は、発達を遂げた人間の生命とは遠い、無制限に適用されることはない。 上記の結論は、自然のプロセスにおける生命の誕生を観察することで、確固たる根拠を得ることができる。胎内で発展・成長を 遂げている生命は非常に繊細なものであり、完成した人間として出産されない可能性もある。アメリカで行なわれた調査では、妊 娠一週目に流産するケ

l

スは全体の一八%、妊娠二週日では三二%にものぼるという結果が出ている。この調査を基にして計算す ると、会受精卵のうち三七%しか出産されていないことになる。 この議論により、胎児の成長に応じてそれに対する法的保護の度合を強くしていくべきであるという倫理的結論に達する。

(7)

しかし、その議論が果たして、人間的価値に段階をつけ、人間的価値は誰に対しても平等に与、えられるものであるという基本的 概念に対抗するものとして発展することはないと言いきれるだろうか?基本的にはそうも言えない。人間的価値は、恒久的に全 ての人間に対し平等に与えられるべきものである。それに対して、胎児の人間的価値は、人間として認められる時期に達するまで は、無制限に与えられるべきものではない。ここで問題となってくるのは、その時期を確定することが不可能であるということで ある。国連人権宣言では、この世に生を受けた者のみを対象にして言及することでこの問題に触れることを避けている。 人工妊娠中絶法制定と胎児の保護 新しい人工妊娠中絶法が制定されるまで、特別な理由がない限り、妊娠中絶を行なうことは処罰に値する行為とされていた。な ぜなら、人工妊娠中絶は生命の神聖性及ぴ胎児の生存権を侵す犯罪行為であると考、えられていたからである。新しい妊娠中絶法で は、胎児は母体の一部であるという見解が取り入れられ、女性自身が人工妊娠中絶実施を決定する権利は、自分の体のことについ て自ら決定を下す権利と同じく認められるべきであると考えられるようになった。法文中に、見解に関する直接的表現はなされて いないにもかかわらず、胎旧んも保護を受ける権利を有する個体であるという考えが、法文を基に起こった議論の中で見られるよう になった。この考えは、現行の人工妊娠中絶法にも、生存可能であると見られる胎児に対する妊娠中絶の禁止という形で間接的に 61一 一 『 妊 婦 と 胎 児 二 人 の 個 人 J 残 っ て い る 。 本委員会は、報告書﹁胎児の保護 l 妊娠期間中の薬物乱用等に対する対策﹂の中で、母体と胎児を同一の個体であると見なすこ とはもはや不可能であるという見解を述べている。胎児の先天性障害について述べる際のことを考えても、胎児を母体の一部であ ると見なすことは不可能であると言うしかない。胎児は成長・発展を遂げている一個体であるため、先天性障害が後に生まれてく るその個体に何らかの障害をもたらす可能性もある。よって、胎児の保護はその個体の保護であると考えられる。 このことにより、母体と胎児は両方とも保護されるべき別々の個体であると見なされるべきであると本委員会は考える。双方の 利益は一致することも相反することもある。そのような利益の衝突は、例えば妊娠期間中の母親の薬物中毒、及ぴ人工妊娠中絶な どに見られる。

(8)

第10巻1号 62 母親の薬物中毒が原因とされる胎児の先天性障害に関して言えば、生まれてくる子供が先天性障害を持つようなことがないよう、 妊娠初期の時点より胎児を保護する必要がある。人工妊娠中絶に関して言うと、胎児を保護する必要性は妊娠初期ではなくそれ以 降から認められるものである。人工妊娠中絶法では、胎児が生存可能であると認められる時期に近付いて初めて保護の必要性が認 め ら れ る 。 上記のような差が、現実において、まず最初に母体の薬物乱用から胎児を保護する対策をとり、その後母親の人工妊娠中絶実施 の要望に応じるといった形で現れることも想定される。 胎児の保護に関して、論理的な結論に達することが非常に困難であるということが今までの論議で明らかになったことと思う。 これはまた、どちらの利益を優先させるか選択するのがいかに扱いにくい困難な問題であるかという事実とも密接に関わってくる。 たとえ母体・胎児双方ともに保護されるべき個体であるという見解を持っているとしても、時として一方の利益を他方のそれに 先行すべき場合が出てくることは明らかである。胎内で成長・発展を遂げている胎児の生命はそれ自体価値あるものであり、単に 母体の一部であると見なされるべきではない。しかし、妊娠後期に入るまで、胎児は母体にほぽ完全に依存していると言える。大 多数の女性は出産を喜びとして待ちわびているものであるが、女性が精神的に不安定な状態にある場合や、出産の心構えが出来て いない場合には、妊娠状態の継続は個人としての尊厳を犯すものとしてとらえられることもある。そのような場合には、ヒューマ ニズムにより、妊娠中絶を希望する彼女の意志が胎児の生存権よりも重要視される。 母体と胎児の利益衝突、及びその先行権に関する論議は、主に妊娠初期に見られるものである。胎児の成長・発展が進むにつれ、 その利益の重要度が増してくるからである。 一般的及び選択的人工妊娠中絶における倫理的論争 胎児診断は、それが人工妊娠中絶実施を決める要因の一つとして数、えられる限り、中絶問題と密接な関わりがあると言える。人 工妊娠中絶問題も、それ自体倫理的論争の種を多く含んだ問題である。 人工妊娠中絶の決定・実施に際しては、常に倫理的ジレンマが存在する。新しい人工妊娠中絶法に関する議論の中では、胎児を

(9)

母体の一部であると見なすことにより、このジレンマに関して触れるのを避ける結果となった。今日では、母体と胎児は双方とも 保護を受ける権利を有する別々の個体であるという考え方が新しく広まりつつある。胎児診断は、基本的ジレンマの新しい側面に 属する問題であると一 z p る 。 人工妊娠中絶に対する見解の変化は、社会的変化及ぴ生活スタイルの変化と深い関連性がある。以前に見られた人工妊娠中絶に 対する否定的・批判的態度は主に、当時社会に深く浸透していたキリスト教的倫理観に基づくものであると考えられる。キリスト 教は私達の文化的遺産の一つであり、私達の社会において基本的な倫理的判断を行なう際には、キリスト教的価値判断が多く取り 入れられる。この倫理観には、平穏な老後をおくる権利やこの世に生を受けたすべての子供を養育する義務も含まれている。しか し、胎内で成長・発展を遂げている胎児もその受精時から保護されるべき存在であるという考え方に関しては、伝統的なキリスト 教的倫理観は宗教的解釈がすぎると批判されることも多かった。 社会的変化については、以前の社会に見られた家族主義(パタ

l

ナリズム)や女性の低地位などが指摘される。これらの要因に より、女性が生殖や妊娠中絶に関して白己決定を行なう可能性は、男性の立場及ぴ社会における行政の立場から、著しく損なわれ る結果となった。 63一一『妊婦と胎児一二人の個人一』 自由主義における人工妊娠中絶に対する見解の変化は、社会の世俗化・倫理的見地における著しい多元化・個人主義の風潮及び 個人のプライバシーや自己決定権の強調などの要因と深い関わりがあるとされる。これらの変化に伴い、例えば女性も男性と同等 に共存及び家族構成の形を自由に選択できるようになった。社会及ぴ家庭における女性の地位の向上もまた、見解の変化に貢献し て い る 。 そのような社会的変化の結果として、人工妊娠中絶に対する価値観が著しい変化を遂げることとなった。両親、特に母体となる 女性の個人的不可侵性や自己決定権に比重を置き、場合によっては胎内で成長・発展を遂げている胎児の生命の神聖性に先行させ るという考え方への移行である。 しかしながら、人工妊娠中絶に対する態度が、個人及ぴ様々な社会的団体により大きく異なっているという事実を無視してはな らない。そのような態度の差は、女性の聞においても同様に存在する。多くの女性は、胎児の生命の神聖さに関する原則を倫理的

(10)

第10巻1号一一一 64 義務として重く受けとめており、極限状態にならない限り、自分の利益のために人工妊娠中絶を行なうことなど考えないであろう。 ここで、新しい人工妊娠中絶法が私達の社会における倫理的多一冗性を考慮に入れて制定されたものであることを強調しておくべ きである。倫理的多元性に基づく主原則とは、様々な倫理的見解により人工妊娠中絶に関する態度を周囲に左右されることなく決 定する権利を女性に与えるものである。 つまり一九七五年制定の人工妊娠中絶法は、その長い発展の歴史の中で、パートナー及び両親が自己決定を下すことのできる範 囲を広げることを目的としたものであると言える。 しかしながら、ここ二

O

年の聞は子供の社会における状況が私達の大きな関心の的となっている。子供も個人としての不可侵性 及び要求を満たす権利を有する一個の人間である。中には、両親が自己の自由を行使することにより、子供の権利や尊厳が損なわ れる危険のあるケ

i

スも存在するが、多くの場合、自分の子供の権利を擁護するために戦う Z 肉親が、子供の置かれている状況に関 する議論を引き起こしてきたと言える。 それに応じ、子供の法的立場が詳細な審議の対象となり、法律の改定も考慮されるようになった。以前一般的であった両親の権 利の一方的強調から、権利と要求を有する個人としての子供の立場擁護へと見解の変化が全体的に見られるようになったと言える。 このような背景から、自然と胎児の権利が新たに注目されるようになった。本委員会は、これまでに提出した人工受精や胎児の 保護等に関する報告書においても、胎児の権利及び利益を保護し、両親の権利及ぴ利益との均衡を保とうとする姿勢を一貫として 取り続けてきた。この点については国会もこれまでのところ、本委員会の姿勢に同調している。 人工妊娠中絶の実施を決断する際に母親(胎児の両親)と胎児の利益が衝突する場合、胎児診断は根本的な倫理的ジレンマに一 連の新しい様相を加、えることになる。ここでは特に、倫理的見地から一般的・選択的人工妊娠中絶の重要な相違点について注目し ておかなくてはならない。 一般的人工妊娠中絶においては、生命の神聖さと女性(胎児の両親)の不可侵性及び自己決定権との聞に本質的な倫理的衝突が 起さることになる。 自由人工妊娠中絶実施の権利に関する問題提起をすることは、本委員会の任務に合まれていない。しかしながら、社会的に困窮

(11)

65一一『妊婦と胎児一二人の個人ー』 した立場にある女性を積極的にサポートし、彼女達の妊娠・出産を促進するために、社会が具体的な政策をとる必要があるという ことを今にもまして強調するべきだと考えている。また、望まれない妊娠を防ぐために、家族計画や避妊具に関する指導に力を入 れることも重要であると考えている。 選択的人工妊娠中絶においても、生命の神聖性に関する倫理的衝突が問題として残るが、ここではその上、その健康状態や機能 障害の有無に関わらず人聞は皆同じ価値を有しているという立場と、女性(胎児の両親)の自己判断能力及びそれを行なう権利を 尊重する立場との間で衝突が生じる。これはおそらく、後の妊娠で健康な子供を出産する際有利になるよう、先天性障害または疾 患を有する胎児を人工的に中絶する選択を行なう可能性に関する問題であろう。(そのような選択に対する基本的知識の不足は、そ れ自体ジレンマを引き起こす元となる。詳しくは下記参照。) ほとんどの人聞は、そのように相反する価値観を持っていることに罪の意識を感じることが多い。それは、決断を下すことが常 に苦痛をもたらす行為である所以である。しかし、価値観の衝突が、社会的モラル及び大きな意味での人間観にどのような影響を 及ぼすのかについては、まだ不明な点が多い。 一般的人工妊娠中絶に関しては、それが常に人聞の生命の尊さに対する敬意を損なう結果につながると一言うことができる。しか しながら、それよりも選択的妊娠中絶の方がより議論の余地がある問題としてとらえられることが多い。これは、選択的人工妊娠 中絶の実施件数がかなり少ないことと、多くの場合、重大な倫理的問題としてとらえられ、一般的人工妊娠中絶とは種類の異なる、 数倍も強い不安感を呼び起こすこととで説明がつくであろう。 選択的人工妊娠中絶に関して指摘されてきた危険とは、すべての人聞は同じ価値を持つという基本的原則を掲げたヒューマニズ ムに基づく人間観にとって脅威となることである。人間の価値に段階や差をつけることはできないという概念は根本から突き崩さ れるであろう。その延長として、エリート主義的・冷笑主義的人間観が発展することになるであろう。 ヒューマニズムに基づく人間観の影響により、様々な障害を持つ人間に対する価値観が最終的に肯定的な方向への重大な変換を 遂げた今の状況において、上記のような人間観はとくに逆説的または悲劇的に見えるであろう。そのような背景をもってすると、 例えば障害者団体が胎児診断や選択的人工妊娠中絶の存在を苦痛に感じているという事実は非常に理解できるものとなる。

(12)

第10巻1号一一一 66 胎児診断に際する倫理的ジレンマ 一 二

O

年近く前に胎児診断が胎児の健康状態を診断する手段の一つとして導入された時には、その診断自体が議論の的になること はほとんどなかった。それは、その診断の目的が胎児の順調な発育を観察し、必要に応じてサポートすることであったこと、及び 診断によって得られる情報がかなり限られたものであったためである。 一 九 七

0

年代の初頭には、胎児診断によって胎児に関してかなり多くの情報が得られるようになってきた。それは、胎児の細胞 を培養し、分析することが可能となったことと関連がある。最近では新しい胎児診断法が開発され、妊娠期間のごく初期の時点で 診断を行なうこと、及び胎児に関してより多くの情報を得ることが可能になってきている。このような胎児診断の分野における技 術の発展の結果、とりわけ倫理的見地からその実施が疑問視されるようになってきている。 胎児の発育にとって最良の条件を作り出すという目的、及び胎児の利益を尊重する立場で胎児診断が利用される限りは、倫理的 に疑いを抱く余地はない。しかしその反対に、胎児診断が女性(胎児の両親)の利益を尊重し、ある一定の特性を持つ胎児を選択・ 中絶する目的で行なわれる場合には、倫理的ジレンマが出現する。 倫理的ジレンマは、私達の持つ人間観から出現するものである。前述の通り、ヒューマニズムに基づく人間観とは、全ての人聞 は皆同じ価値を有しているとするものである。胎児に関して一吉田うと、全ての胎児はその受精・懐妊時点から、疾患や有害な影響か ら保護されるべき存在であるということになる。この目標は、胎児のための胎児診断を行なうことで達成することが可能となる。 ヒューマニズムに基づく人間観はその他にも、その障室

7

疾患の有無に関わらず全ての胎児は同じ価値を有するものであると主張 している。同時にこの人間観は、個人の不可侵性及ぴ自己決定権をも強調している。例えば、後述の原則が人工妊娠中絶に適用さ れる場合、その動機に関わらず、人工妊娠中絶を希望する女性は妊娠一八週までなら自由に手術を受ける権利があるということに な る 。 何らかのハイリスク・グループに属している全女性に対しては、人工妊娠中絶のための胎児診断に関する情報が提供される。し かし中には、そのような情報、及び診断実施の奨励を彼女個人の不可侵性を侵害するものとして体験した女性の例もある。 胎児診断に関する情報提供が侵害として体験されたのは、その人の生命に対する概念

l

生命は神からの贈り物であり、それ白体

(13)

67一一『妊婦と胎児一二人の個人ー』 が財産であるため、その明暗両面に正面から向かい合い、共に分かち合うことを恐れてはならないという考えーによるところが多 いであろう。胎児診断により、宣口ぴと共に待ちわびた子供に対する見方が変わる危険性が出てくる。母親の胎内にいる小さな個体 を処理・処分すべき対象としてとらえた場合、その生命の存在を左右する可能性を与えられるようなものだからである。 その上、ハイリスク・グループに分類された女性が、それを人権の侵害であると感じたり、根拠のない診断であると主張するこ とも多い。そういった女性の中には、おそらく以前に健全な子供を出産した経験を持つ者も含まれるであろう。そんな女性達が、 高齢のため突然妊娠・出産に際して危険性が出てきたのだという主張を奇妙なものとして受け入れないのは当然のことである。 しかし、全ての女性が同様の反応を示すわけではないし、その状況も人によって全く違ってくる。他の兄弟と大きな歳の差のあ る子供を妊娠した場合、その母親は多くの場合、子供に先天性障害が見られる可能性について真剣に考慮しなくてはならない年令 に達しているため、その末子を責任を持って養育できるかどうか自信が持てないこともある。もちろん、医師から胎児診断実施の 勧めを受け、その結果胎児に何の障害も見受けられず、健全な子供を出産する女性のケ 1 スもある。その場合、人工妊娠中絶を目 的として胎児診断を実施したおかげで、一般的人工妊娠中絶実施の一例にならずにすんだわけである。 そのような例は、胎児診断に関する情報の提供方法や実施の勧め方自体、倫理的考察の余地があることを示していると言える。 女性が不完全な知識を基にして決断を下すということは、それ自体問題祝されるべきである。なぜなら、胎児診断で胎児に何の 障害も発見されなかったという事実が、子供が健全で生まれてくるという保障にはならないし、ハイリスク・グループに属してい ない女性が障害を持つ子供を出産する可能性も存在するからである。胎児診断に関する危険性を誇張したり、間違った形で不安感 を鎮めるような方法で情報提供が行なわれるべきではないのである。 以前にも述べた通り、胎児診断により胎児に先天性障害が認められ、人工妊娠中絶実施の決断が現実のものとなった場合、いわ ゆる選択的人工妊娠中絶を特色づける特別なタイプの衝突が見られる。 子供の出産を望まないため人工妊娠中絶を行なうのと、子供に先天性障害が見られるため人工妊娠中絶を行なうのとには、おぞ らく倫理的に明確な違いがあると言える。なぜなら、後述のケースにおいては、障害の有無に関わらず人聞は皆同じ価値を有して いるという原則が無視される危険性が存在するからである。

(14)

第10巻I号一一-68 付け加えて言うと、後述のケ

l

スは実施に特別な許可を必要とする後期人工妊娠中絶であることが多い。このことが、後期人工 妊娠中絶が特に注目を集めてきた大きな理由の 1 つであることはほぼ間違いないであろう。 しかしながら、今の胎児診断の技術は、胎児の先天性障害を妊娠のごく初期の時点で発見することができるまでに発展している。 それにより、人工妊娠中絶はより早い時期に実施されるようになり、またその決断は、自由に人工妊娠中絶を行なうことができる 時期に下されることが多くなってきている。そのため、選択的な理由による人工妊娠中絶がどの時点で行なわているのかを知るこ とは困難となってきている。 胎児診断及び人工妊娠中絶に際する胎児の利益とその両親の利益 胎児診断及び人工妊娠中絶に際して出現する倫理的ジレンマは、ほとんどの場合、胎児とその両親

l

とりわけ胎児の母親ーとの 利益の衝突に関係している。ここで試みとして、胎児及ぴその両親の利益について、細かく分類し明記しておきたい。 以前に述べた通り、人工妊娠中絶法には女性と胎児との利益とのバランス関係について書かれている。妊娠初期には女性の利益 が重視され、妊娠期間が進むにつれて、胎児の利益に対して重みが置かれるようになる。胎児診断はこのバランスに新しい視点を 提示することになる。 まず最初に胎児の利益について述べる場合、胎児が原則的に自己の生命及び発育に関する権利を有しているということが強調さ れるべきである。ゅ、えに、人工妊娠中絶の実施は胎児の利益に則したものではないと言える。人工妊娠中絶の決断は、主にその子 供を出産しないという女性(胎児の両親)の利益を、胎児の生命及び発育への権利より重要視することを許すものである。 問題は、これが例外なしに適用されるものであるのか、それとも、ある状況においては﹁出産されない﹂という胎児の利益が存 在するのかということである。 先天性障害を持つ子供を人工的に中絶することを選択した両親の中には、このように考、える者もある.,もし人間としての尊厳を 認められないのなら、生まれてきても子供のためになるはずがない。ただ生きる権利について議論するだけではなく、生きる価値 のある人生を送るためには、生命及び人生の質について何らかの要求をするべきであろう。 3

(15)

69一一『妊婦と胎児一二人の個人一』 アメリカでは、﹁出産されない﹂ことによって、難病や機能障害を持つ胎児が受ける利益に関する問題が広く議論されてきた。ア メリカの裁判所は、そのような子供達が両親、もしくは両親に対して必要な遺伝的アドバイスを与えることを怠った医師に対して 起こした何件かの訴訟に勝訴の判決を下している。このような、いわゆる£白書。ロ

E

-R u

に対する損害賠償訴訟は、﹁出産されない﹂ という胎児の利益に焦点を当てるものであると言える。 それに対して、スウェーデンの障害者団体は、障害を持つ胎児の﹁出産されない﹂という利益を肯定する発言があるたびに一貫 として強い反応を示している。成年の障害者は、障害を抱えて生きるという権利及ぴそれによって得られる利益の存在を疑うこと はないし、自分の人生が人間としての尊厳を認められない人生であると見なされることを断固として拒否する。障害者が自分の生 命及ぴ成長・自己発展の権利を主張する確固たる姿勢は、本委員会にとってよい指針となる。 胎児が何らかの機能障害を有すると診断された場合、その胎児には﹁出産されない﹂という利益が存在すると主張するあらゆる 議論は、以下のような問題を提起している。胎児の利益と言いながら、実は先天性障害を持つ胎児を養育する責任を目の前にして 不安感と責任の重さを感じている両親が、胎児にその決定の責任を押しつけているだけではないのだろうか?また、それは正直 に利益の衝突が存在する事実を認めず、またその衝突の中で自分が取るべき姿勢を決定せず、ひたすらその存在を隠すための行動 ではないのか?つまり、実際にここで問題となっているのは、胎児の﹁出産されない﹂という利益ではなく、先天性障害を持つ 子供を養育する責任をとらなくてすむという女性(胎児の両親)の利益なのである。 本委員会は、精神的・肉体的に健全な者だけがその価値を認められ、障害を持つ者が差別祝されるような社会はヒューマニズム に反する存在であるという意見を共有している。そういった社会においては、実際に人間的価値が軽視される恐れがある。機能障 害を持つ人々が否定的なものとして受けとめているのは、自身の障害ではなく、その障害に対する社会や周囲の接し方なのである。 人間的価値を健康や障害の有無によって判断するかわりに、障害をもっ人々ができるだけ普通と変わらない生活を送れるようにそ の条件を整えることが、社会及び私達の役目なのである。 胎児の利益として他に挙げられるのは、望まれて生まれてくる権利である。胎児に障害が認められる場合、もしくはそうでない 場合においても、その子供を出産する心の準備ができていない両親には子供に安心感や信頼を与えるような育児環境を整える条件

(16)

第10巻1号 一 一70 がきちんと備わっていないということになる。そういった場合、人工妊娠中絶の実施は胎児の利益に基づいて行なわれると言える のだろうか?本委員会は、胎旧んの望まれて生まれてくる権利を人工妊娠中絶を正当化する理由として裏返して解釈することはで きないと考、えている。その場合、両親の持つ不安感や彼らの問題が胎児の問題であるかのように解釈されているのは明らかである。 両親が何らかの理由より育児ができないという場合、彼らに代わってその子供を育てたいと望む子供のない夫婦が多く存在する。 真に胎児の利益を擁護する場合、養子縁組または里親などが選択肢として挙げられるであろう。また子供を養育する心の準備がで きていない両親は多くの場合、妊娠を続行させる準備もまた整っていない。しかしその場合、胎児の利益ではなく両親の利益のみ が問題となってくる。 人工妊娠中絶が完全に胎児の利益に反しているとは言い切れないケ

l

スがもう一つだけある。胎児診断で胎児の持つ重度の先天 性障害が発見され、分娩時もしくは分娩後に死亡する確率が高いと診断された場合、人工妊娠中絶を行なうことが胎児の利益の侵 害であるとは一概に言えない。 最後に、胎児の利益に則した胎児診断について問題提起をしておく。本委員会は、以前に胎児を対象とした胎児診断と人工妊娠 中絶を目的とした胎児診断との遠いについて言及した。前述の胎児診断は、胎児の利益のみを尊重・考慮して行なわれるためそう 呼ばれるものだが、後述の胎児診断の定義はそう単純ではない。この用語はとかく誤解を招きやすいが、妊娠経過の確認段階では この種の診断は必ずしも人工妊娠中絶を目的として行なわれているわけではない。また、不安を抱いている母親に安心感を与える ことで、胎旧んの生命を救うケースも存在する。 胎児診断及ぴ人工妊娠中絶に際する両親の利益に関しては、以下のことが十分考察されるべきである。人工妊娠中絶法によると、 妊婦は妊娠一八週日までは、胎児を人工的に中絶するかどうかを自分の意志で決定する権利を認められている。その権利は、人工 妊娠中絶を行なうに至った背景には関わりなく、無条件で行使されるものとされる。つまり、子供を出産する心の準備ができてい ないとその女性自身が判断した場合、胎児の先天性障害の有無に関わらず、人工妊娠中絶の実施を選択することができるわけであ る 。 女性が人工妊娠中絶を希望する場合、ほとんどは心理社会的理由が背景となっている。その場合、妊娠人工妊娠中絶は通常妊娠

(17)

71一一『妊婦と胎児一二人の個人 J 三カ月以内に行なわれる。 胎児診断によって胎児の先天性障害が診断されたため、女性が人工妊娠中絶を希望する割合はごくわずかである。しかしながら、 本委員会が特に注目しているのはそういったケ

l

スなのである。よって女性(胎児の両親)の利益及ぴ権利に関して述べる際に、 以前に胎児の利益を擁護する立場で議論を行なったような状況に関しても同様に考察を行なうこととする。 近年、特に西洋において、健康管理やコンディションの保持が多くの人々の関心の的となってきている。肉体的・精神的によい コンディションを維持する方法が次々と発達し、肉体力とその美しさが称賛されるようになってきている。それに従い、健康に生 まれ、健康に生きることに非常に高い価値を認めることになってきている。 このことは、女性には健全な子供を出産する権利!というよりも義務ーがあるのだという見方にそのままつながる可能性がある。 同様に社会経済的見地からも、そのような義務を主張する声が出てきている。つまり、健全な子供は望まれて生まれてくるが、何 らかの機能障害を抱えている場合には人工的に中絶されるべきであるだというのである。そういった考えに基づき、胎児診断には、 胎旧んの質を見極め、条件を充たしていない胎児を排除するという機能を与えられることになる。 以前にも述べた通り、人間的価値に段階をつけることは、ヒューマニズムに基づく人間観とまつこうから対立することになる。 障害者にも健常者と同様に生きる権利が認められるべきである。障害を持つ人々をサポ

l

卜したり、彼らを仲間として受け入れる ことのできないような社会は、ヒューマニズムに反していると言える。 これらを背景として、本委員会は、健康な子供を出産することは権利ではないし、ましてや義務などではないと主張したい。女 性がその意志に反して人工妊娠中絶を行なうような状況に置かれではならないのである。女性が機能障害もしくは先天性疾患を持 つ子供の出産を決意した場合に、その選択が疑問視されるようなことがあってはならないのである。そのような場合、生まれてく る子供にとってできるだけ最良の生存条件を整えることが第一に考、えられるべきである。 そのような場合における女性(胎児の両親)にとってのジレンマとは、胎児の先天性障害の有無を-調べる目的で胎児診断を受け るべきかどうかということである。倫理的理由により選択的人工妊娠中絶の実施を拒否する両親の中には、人工妊娠中絶を目的と して行なわれる胎児診断を受けること自体を拒否する人達もある。よって、胎児診断に関する情報提供をする場合、もしくはその

(18)

第10巻1号 一 一72 ような診断の実施を勧める場合には、それが中立的立場で行なわれることが必要である。 胎児診断は原則として、人間をその価値によって分類したり、人間の生命の尊さに段階をつけるような性格のものではない。本 委員会は逆に、胎児診断を人類の役に立つものであると考えている。胎児診断が直接胎児の利益に則して行なわれるだけでなく、 女性(胎児の両親)の利益をも考慮に入れて行なわれなくてはならない場合も存在すると、本委員会は考えている。 例えば、胎児に重度の機能障害が見受けられ、分娩中もしくは出産後に死亡する可能性が高いと診断された場合、妊娠初期の段 階でその告知を受け、人工的に妊娠中絶を行なう方が女性の心理的負担も軽減するであろうと考えられる。そのような場合、胎児 診断は貴重な救済策であると言える。 女性(胎児の両親)自身が、障害を持つ子供の養育は自分には不可能であると判断した場合にも、胎児診断の実施は重要な意義 を持つ。すでに一人障害児を持つ母親(両親)などがその例である。障害を持つ子供は大いに愛情の対象となりうるが、世話が大 変なため、もう一人障害児を抱えることは心理的・肉体的に無理であると感じることが多いからである。 また、胎児の両親のどちらかが遺伝的疾患を抱、えているか、もしくはそのような遺伝子保有者である場合、あるいは以前に先天 性障害を持つ子供の出産を経験している場合など、両親自身がそのような危険性を自覚している場合には、胎児診断の実施が鎮静 的に作用することもある。 これは、高年齢に達した女性に対してもあてはまることである。高年齢の女性の中には、胎児の状態に関して医師から良い告知 が得られるまで出産を決意できない人もいるからである。しかし、年令に関する問題や疑問点が、現状よりも詳しい情報の対象と なることが重要である。実際ある一定の年令に達している女性全員に対し、胎児診断の実施を勧めるべきかどうかまだ確信が持て ない状況である。 胎児診断に関する情報を提供する際に、胎児診断では胎児の持つ先天性障害のごく一部しか発見できないため、胎旧んが健全であ るという保障が得られるわけではないということを明言しておかなくてはならない。しかしこの点に関しては、近い将来、より確 信できるデータが得られるようになるものと推測される。 本委員会の考察により明らかになったことは、胎児診断が女性(胎児の両親)の権利に関して一連の問題を提起しているという

(19)

ことである。例を挙げると、胎児診断を受ける権利、または実施を拒否する権利、胎児診断の結果に関する情報を得る権利、福祉 士と面談の場を持つ権利、または人工中絶を実施する場合その方法を選択する権利などである。以上の問題に関しては、以下の節 において詳しく取り扱うものとする。 この節では、胎児と女性(胎児の両親)との利益の不可避な衝突に関してより概略的に議論を行なってきた。最後にもう一度、 以上のような考察が、人聞の生命の倫理的段階づけに関する原則を適用し、一般的に人間的価値を平等化することがないよう注意 する重要性を強-調しておきたいと思う。 4 胎児診断に際する自由意志の問題 法規 憲法六条二項によると、すべての国民は強制的手術の実施から保護されると規定されている。この条文は、他の法律に特別に規 定されていない限り有効である。 医療及ぴ健康管理法によると、医療関係者は患者に対し、健康状態及び選択肢としての様々な治療法に関する情報を与える義務 が あ る と さ れ る 。 73一一『妊婦と胎児一二人の個人一』 医療関係者法によると、医療関係者は患者に対し、専門的かつ念入りな治療を施すよう努力しなければならない。また、治療に 関しては、出来る限り患者と協議を行いつつ決定していくべきである。そのうえ、患者に対して敬意を払い、配慮を行わなくては な ら な い 。 胎児診断の際の同意 前節に挙げた法規によると、医師は患者の状態から判断して必要とされる検査を可能な限り実施する義務を有している一方、患 者には、自分の健康状態及ぴ提案としての治療法についての情報を得る権利があるということになる。患者に対する情報提供は、 治療法に対する患者の同意が重要視されるための条件となる。この規定はまた、妊婦に対しても適用される。 2

(20)

第10巻l号 一 一74 妊娠した女性が産婦人科を訪れた場合、医師により様々な検査の実施が勧められる。自由意志に基づいて行なわれるこれらの検 査は、彼女自身及ぴ胎児の健康状態に関する情報を得ることを目的とするものである。 女性自身の健康診断に関しては、同意に際して特に問題はないであろう。その女性が健康診断のための血液検査や血圧測定に反 対するような理由はほとんどないからである。 しかし、胎児の健康状態を診断するために行なわれる検査の場合には、状況は全く違ってくる。ここで、胎児の健全な発育を確 認するための検査と、先天性障害の有無を確認するための検査との違いを明らかにさせておく必要がある。 最近では、ほとんどの妊婦が妊娠二ハl一七、週目に胎児の発育の確認及び妊娠期間の長さを判断するために行なわれる超音波検 査実施の勧めに応じている。これには何の問題もないが、それに対してより繊細な問題となってくるのが、超音波検査により、胎 児の持つ先天性障害が発見されることが多くなってきたという事実である。 他の胎児診断方法は、まず第一に胎児の先天性障害の有無を確認する目的で行なわれている。 もし胎児に何らかの障害が確認された場合、女性は障害の有無に関わらずその子供を出産するか、人工妊娠中絶を希望するか、 難しい選択を迫られることになる。 以前にも述べた通り、医療における原則とは、患者が自分自身の漬かれている状況を判断するために、出来る限り必要な情報を 全て子に入れる権利を有しているということである。胎児診断に関して言、っと、女性は診断実施の前に様々な診断の持つ可能性や その条件についての情報を得ている必要があるということになる。その上、胎児診断の限界やその危険性及び先天性障害に関する 一般的情報も与えられなくてはならない。このような情報提供がない場合には、女性側の同意を重要視することはできない。胎児 診断の実施前に、いわゆるインフォームド・コンセントが必要となるわけである。 また、インフォームド・コンセントの原則には、その情報が個人個人に合わせたものでなくてはならないという条件も含まれて いる。よって、例えば知的障害者や聾唖者、視力障害者、移民及ぴ外国人に対しては、彼らに合った特別な形で情報を提供するべ き で あ る 。 胎児診断に際しての情報提供に関しては、同章六節でより詳しく取り扱うつもりである。

(21)

一般的原則により、診断方法や治療方法は担当医師が患者と協議を行なった上で決定する。担当医師はまた、検査によって得ら れる情報がその検査によってもたらされる危険に見合っているものかを判断する。その上、検査の際に得られた情報が医学的にそ の患者の治療に役立つものであるかどうかを判断する。つまり患者は、医師がその知識と経験により、実施の必要がないと判断し た検査や治療は要求できないのである。このことは、胎児診断にも当てはまることである。例外は、妊娠期間のごく初期の段階で 人工妊娠中絶を希望した場合などである。 75一一『妊婦と胎児一二人の個人ー』 スクリーニング検査に関する特別考察 本委員会は前節において、胎児診断も他の医学的治療と同様、自由意志に基づいて実施されなくてはならないという基本原則を 打ち立てている。通常、この原則には疑問の余地などないはずだが、スクリーニング検査に関しては、女性の選択の自由が損なわ れ る 恐 れ が あ る 。 スクリーニング検査とは、ほとんどの女性に対し、多かれ少なかれ慣例的に勧められる検査の総称である。胎児検査の中には、 超音波検査や

ATP

検査のように、妊娠した女性全てにその実施が勧められるものもある。 以前にも述べた通り、最近、超音波検査はほとんどの妊婦を対象に実施されている。

ATP

検査の実施に関しても同様である。 しかしながら、三章七節に報告されている調査より明らかなように、人工妊娠中絶に対する否定的な態度、または胎児診断に対す るアンビパレントな態度が原因で

ATP

検査の勧めを拒否する女性も存在する。 スクリーニング検査(一般的健康診断)の問題点は、自由意志の有無自体にあるのではない。女性が自分の意志に反して胎児診 断の対象になるようなことがないというのが前提条件だからである。そのかわり問題点は、女性がその選択の自由をどのように受 けとめるかということである。女性にとって、胎児診断の勧めを拒絶することは難しいことである。もし検査を拒絶した女性が先 天性障害を持つ子供を出産した場合には、検査を拒絶したことで自分自身、家族及ぴ社会に対して特別な重荷を背負わせたように 感じるかもしれない。 超音波検査の場合、自由選択の問題は特に複雑なものとなる。この検査は、まず第一に妊娠経過を診断するためのものであって、

(22)

第10巻1号叩一一 76 胎児の持つ先天性障害を発見するためのものではない。よって、検査の実施を拒絶することが、自分自身及ぴ胎児を不必要な危険 にさらす行動のように受けとめられることもある。 超音波検査に際する問題点としては他にも、いわゆる﹁二次的発見﹂の取扱いが挙げられる。たとえ検査の第一目的が胎児の健 康状態の診断にあったとしても、検査により多かれ少なかれ重度の先天性障害が発見されることもあるからである。﹁二次的発見﹂ に関する問題は、同章六節五項であらためて取り上げることとする。 調査委員会の結論 胎児診断の実施に際しては、性格及ぴ詳細な情報が提供されることが非常に重要である。その情報には、胎児診断の目的とその 検査結果の信頼性、様々な診断方法、胎児診断により得られる情報の種類及ぴその限界などが含まれているべきである。その上、 胎児診断に際する危険性、障害を持つ人に対して社会から提供される様々なサービス、人工妊娠中絶の問題及び胎児診断の実施が 勧められる場合に関する情報も与えられるべきである。 スクリーニング検査の際には、女性自身に選択権があることを前提として情報が提供されることが特に重要である。

ATP

検査のような一部のスクリーニング検査では、胎児に何らかの先天性障害があるという間違った検査結果(すなわちエラ ー陽性反応)が出ることがある。そのような場合には、実際に胎児に先天性障害が見受けられるのかを確認するために再検査を行 なう必要がある。 また、診断では何も問題は確認されなかったのにもかかわらず、先天性障害を持つ子供を出産してしまう場合もある(エラ

l

陰 性 反 応 ) 。 このようにエラ

l

陽性・陰性反応が検査の際に見受けられる危険性に関しても、胎児診断の情報提供の際に女性に伝えられるべ き で あ る 。 また、女性は胎児診断実施の前に、胎児に先天性障害が発見された場合にどうするかを熟考する機会を持つことが重要である。 もちろん、その時点で決断を迫られるようなことがあってはならない。

(23)

77一一『妊婦と胎児一二人の個人ー』 情報提供の目的は、女性が胎児診断を受けるかどうか決断する際の支えになることである。インフォームド・コンセントが胎児 診断実施の前提条件でなくてはならない。 スクリーニング検査の実施を容認するかどうかは繊細な問題である。胎児の利益のために行なう胎児診断(超音波診断など)に 対してはそういった制限の必要性は見受けられない。今日、ほとんどすべての妊婦に対して実施されるような胎児診断は、前にも 述べた通り、妊娠期間の長さを予測することを主な目的として行なわれている。 より繊細な問題となるのは、胎児の先天性障害の有無を確認する目的で実施される胎児診断に関してである。本委員会は、その ような性質の胎児診断がスクリーニング検査として実施されるべきかどうか疑わしいと考えている。そのような先天性障害を探し 求めるような行為が、人間的価値の軽視へとつながる恐れがあるからである。また、胎児診断が胎児の持つ先天性障害を発見する 手段としては限定的な価値しかまだ持っていないため、そのように一般的に実施すること自体疑問の余地がある。胎児診断が胎児 の両親にとって、役に立つどころか害を与、える危険性も存在する。その上、社会経済的理由からも、そのような胎児診断には反対 の立場をとることとなる。 反対に、スクリーニング検査に賛成の立場を取る人達は、検査により例えば環境的要因によって引き起こされる先天性障害の発 見、しいてはその予防に貢献できると主張している。 本委員会は、スクリーニング検査は一般的に実施されるべき性質の検査ではなく、ケースに応じて適用の如何を決定するべきで あると考えている。実施の許可を与えるのは、厚生省がその権限の枠内において行なうべきであろう。 スクリーニング検査に際しては、女性が自分に選択権があるのだと感じられるよう、詳細な情報を提供することが重要となって くる。女性が、社会経済的もしくは他の理由により、先天性障害を持つ子供の出産を防ぐために胎児診断を受けなくてはならない と感じるようなことがあってはならない。 検査の前に必要な情報を女性に提供するのは、まず第一に担当医師の義務である。医師のいない場で実施されることの多い超音 波検査に関しては、担当の助産婦が情報提供を行なうべきである。 女性に対する情報提供は、検査の前と検査の際に行なわれるべきである。

(24)

第10巻l号 一 一78 胎児の父親に対する情報提供の義務や、胎児診断に対する彼の同意の必要性は存在しない。しかし特に胎児の両親が家族として の生活を営んでいる場合には、父親も重要な役割を果たすことになる。胎児の父親も母親と同様、出来る限り胎児診断に関する情 報を子に入れるべきであると本委員会は考えている。 これまでに見てきた通り、胎児診断に対する女性の同意及び医師の果たすべき責任に関して、特別に法を定める必要はない。医 療法の条項及び医療関係者法の規定だけで十分であろう。その上、医師の責任に関しては、患者が不適切な治療または鉱山治療の問 題を告訴する場として、医療における責任問題委員会

(

H

S

A

N

)

が あ る 。 情報提供の時期やその内容に関しては、同章六節で詳しく取り上げることとする。 5 胎児診断に関する特別適用事由の問題 概要 胎児診断の技術が約三

O

年前に導入されるまで、胎児が健全で生まれてくるかどうかは、﹁運命﹂や﹁生物学上の確率﹂でしかな かったため、このような見解に倫理的問題を提起する余地はなかった。 胎児診断技術の導入により、胎児の健康状態を広範囲にわたって診断することが可能となった。胎児診断により、重度の遺伝的 疾患や様々な種類や程度の先天性障害を発見することができるようになったのと同時に、ごく軽度の障害をも発見できるようにな った。このことが、倫理的に複雑な問題を引き起こすこととなった。しかし、導入以前の状態に戻一ることは、不可能であるばかり か望ましいことでもない。可能性としての胎児診断を廃止することはもはや不可能である。 胎児診断は今日、すべての妊婦に対して実施されているわけではない。医療関係の責任者が、どのような範鳴に含まれる女性に 対して胎児診断の実施を勧めるのかを明確に規定している。胎児診断により発見可能な疾患及び先天性障害を持つ子供を出産する 危険性の高い女性、いわゆるハイリスク・グループに属する女性に対して、胎児診断は実施されている。 今現在の胎児診断の対象となっている様々な先天性障害(二章六節参照)に関しては、一般的な議論の場で問題祝されることは ほとんどない。しかしながら、胎児診断技術が急速な発展を遂げているため、より多くの軽微な障害が発見されるようになり、そ

(25)

れが選択的人工妊娠中絶の実施につながるのではないかと懸念する人達は数多い。 胎児診断に関する制限や法規を定めることでいくつかの問題点を解決することはできるが、同時に新たに複雑な問題や倫理的ジ レンマを生み出す結果となる。 79一一『妊婦と胎児 二人の個人

-J

これまでに適用されてきた年令制限に関していうと、三五 l 三七才の女性(胎児の両親)の自己判断のみが尊重されることに対 して疑問の声が高い。三五才以下の女性が重度の先天性障害を持つ子供を出産する確率が低いとはいっても、そのことを理由に高 年齢の女性と同様に自己判断の尊重と行動の自由が与えられないのはおかしいというのである。 その他にも解決困難なジレンマとして、どの先天性障害を胎児診断の対象として定義及び制限するかという問題が挙げられる。 どのような範鳴が用いられるべきか?例えば身体的苦痛を伴うような健康状態をすべて範鳴に加えるべきか?それとも、周囲 の人達とコミュニケーションをとる能力など、人間として最も重要な特質を備えていない場合のみを範暗に加えるべきなのか? 以上に挙げたような範鳴を適用する場合には、今日では胎児診断の中心的対象となっているダウン症候群は適用の対象には数えら れないことになる。それでは、社会生活を自分一人の力で営むこと、いわゆる社会的自立がその一生の間できないような人間すべ てをその範時に加えればどうなるだろうか?ダウン症の子供もその範時に含まれることになる。しかし、同時にこのような範需 が論理にかなった存在であるのかどうか考、える必要がある。 以上のような例により、胎児診断に関する問題規制を行なうことの困難さが明らかになったことであろう。 遺伝問題審議会はその調査報告書の中で、すべての医学的診断は医学的目的に基づいて行なわれることを規定として挙げている。 その目的及ぴ実施の動機は、生命の保護、健康の回復及ぴ苦痛の軽減でなくてはならない。

DNA

に基づく胎児診断に関して、遺 伝問題審議会は重度の疾患のみをそのような診断の対象とするべきであるという提案をしている。その場合、問題となっている疾 患が胎児の生命及び発育の可能性を危険にさらすものであることが最低条件となる。 調査委員会の見解

*

規制問題

(26)

第10巻1号一-80 以前にも述べた通り、胎児診断の全面的実施に対し賛成あるいは反対の立場を取る場合に、胎児の利益を尊重する立場で行なわ れる胎児診断(超音波検査など)と胎児の先天性障害の有無を確認することを目的として実施される胎児診断

(

A

T

P

検査、羊水 分析法、繊毛生検など)とを明確に区別しておく必要がある。 本調査委員会は、胎児の利益を尊重して実施される胎児診断の実施が全ての妊婦に対して勧められることに関して、原則的に何 ら反対するところはないと考、えている。そのような胎児診断は、妊娠の経過を診断するために行なわれる検査と同格として取り扱 っ て よ い と 考 、 え る か ら で あ る 。 胎児診断の際の同意問題に関し(同章四節二項参照)、患者に対しどの検査が実施されるべきかは担当医師が決定するものである と、本委員会は述べている。つまり、患者は原則的に担当医師が知識と経験により必要がないと判断した検査の実施を要求するこ とはできないのである。 胎児診断の重要な呂的の一つに、女性が子供を出産するかそれとも人工妊娠中絶を行なうかどうかを決断する際の支えになるこ と で あ る 。 超音波検査以外の胎児診断を実施するための医学的理由とは、胎旧んが何らかの疾患あるいは先天性障害を有しているかどうか診 断するというものである(二章六節参照)。以前にも述べた通り、胎児診断によりすべての先天性障害を発見することは今だ不可能 である。実際のところ、約二五%の疾患及ぴ先天性障害を発見できるにとどまっている。つまり医学的にいうと、胎児診断には限 られた利用価値しかないということになる。 胎児診断により、重度の疾患及び先天性障害のみが発見されるわけではない。ごく軽微な障害を発見することも可能であるし、 胎児の性別を診断することもできる。このことが、胎児診断に関わる倫理的ジレンマに発展するのである。妊娠一八週目に入るま では、その理由にかかわらず人工妊娠中絶子術の実施を要求することができる。胎児診断でごく軽微な障害が発見されたため、も しくは胎児の性別が望んでいたものとは遠っていると判明したために人工妊娠中絶を決断するということは、人間的価値の軽視へ とつながりかねない。そのような考、ぇ方が、健全な人聞のみ受け入れられるような社会にまで発展するのはそう遠い未来のことで はないであろう。

参照

関連したドキュメント

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

二於テハ1.Occ中二155萬個ノ「コレラ」菌存在セシガ24時朗唱=ハ1 2,000一一一 1 4.,OOO個トナリ

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

Potentilla freyniana was specific in present taxonomic group by high distri - bututional rate of dry matter into subterranean stem and stolons.. The distributional

﹂卵性隻胎卜二卵性隻胎トノ鑑別 ︵第一同報告︶

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六

目について︑一九九四年︱二月二 0