道徳教育の研究
教 育 学 教 室
序
思うに道徳教育研究の取扱わるべき範囲や問題は広汎多岐であって到底我々個人の力で凡て を企て且つなし得るところではない。更に道徳教育の効果と云う見地からしても之を学校のみ に期待する事は出来ないのであって,要は学校内外に於ける凡ゆる道徳的勢力を教育目的に 糾合統一して行くべきものである。たゴ我々は学校教育の画面に於て如何に道徳教育を考え行 うか,直接には特設道徳の時間をどのように考え且つ運営してゆくかを当面の問題とする。今 目道徳:時間の設置乃至実施に就ての論争は倫その跡を絶たないが,問題は主として方法運営等 に関する事であって道徳教育それ自身に関して敢て之を不要と主張する者はいないと考える。
我々は先に特設道徳時間の実施に先立ち「道徳教育の実践的展開」と題して共同研究を亡した が,爾後二箇年を経過した・その問実際界は勿論学界に於ても熱心な実践や研究が続けられ,斯 種の研究物や刊行書も移しく見受けられるに至った。我々も引続き微力研鐵に力め来ったが今 や先の導入的な研究段階から実践の段階に入るべき時と考え鼓に「道徳教育の研究」と題して 終戦後道徳時間特設に至る経緯を顧みながら・今日我々が当面問題としている諸面を採り上げ 各自の研究成果を示すことにした。云う迄もなく青れ等は飽迄も各自の云は黛一試案一接近に 過ぎないことを断っておくと共に,道徳教育展開の根底に教師の教育的道徳理念の確立深化と 道徳的人格の具現があることを忘れてはいない。
教育学教室内山克己
1 増田史郎亮 皿 熊谷 忠泰 皿 熊谷 忠泰 IV 小松 昌幸
V 吉村喜好
本研究担当者並に項目 特設道徳に至る歴史的諸事情 道徳教育及びく道徳〉時間の意i義
「道徳教育に関する価値表」と其の展開一道徳教育内容論 錬成の方法について
道徳教育と放送の問題
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各 論 要 領
1 道徳特設に至る歴史的諸事ll青
先に発表した論文の一部である戦後の道徳教育の動向の部分を追研究し,(1)敗戦直後の混 迷期(2)民主降等的道徳教育論拾頭期(3)社会科誕生期(4)修身科復活唱導期(5)社会科 改訂期(6)道徳特設期の六期に分かち夫々の期における学部省の方針。教育文書・世論・学 界の動向・社会的背景等を通して皮的展開を試みた。
E 道徳教育及びく道徳〉時間の意義
道徳教育は生活指導だけで可能だとするアメリカ的適応理論に立つものもあるが,道徳教育を 綜合的立場から考え,其の一方観を指摘すると共に生活指導のあるべき姿を人間の認識と実践 の弁証法的立場から老察した。こうして現在の段階では生活指導そのものが反省すべき点があ る事及びその反省の契機として道徳時間を取り上げ全体的な道徳教育に於て生活指導(実践)
と道徳時間(認識)とは弁証法的に綜合される必要がある事を指摘する。
皿 道徳教育に関する価値表とその展開
現在各校で道徳教育カリキュラムが作られているが夫れは文部省36項目を其儘採択したり或は 一学者の倫理的価値表の模倣であったり或は思ひ付のものが多く見受けられて,上からの規範 が現実の下からの実態調査とスムーズに噛み合った形のものが見られない。それで本論では倫 理的立場からでなく飽迄も教育学的,人間形成的立場から両者の調整の場として価値表を考え 之を通して道徳教育内容の組織化と其の過程に於ける諸々の意義を述べる6
IV 錬成の方法について
金が欲しいと思えば直ちに他の人を殺してでもその欲望を満たそうというような青少年の著し い増加傾向は現代教育に大きな反省を投げかけている。よこしまな欲求をおさえる強い意志の 育成はたしかに道徳教育の中心問題である。しかし強い意志の錬成は重要なことであればある だけに叉人間を殺してしまう危険なものを内在している。「錬成の方法について」は人間教育 の正しい道に於て之を如何になすかについて考察したものである。
V 道徳教育と放送の問題
今や新しい時代の映像ミディアは曾って無き強さで新しい人間の思考形式を作り上げつ鼠あ る。放送教材は人間の感性的体験から出発して之を理性的認識にまで高めると云った過程に立 っている。道徳時間実施に際し放送を道徳教育に利用し情緒的感動等によって容易に子供のパ ーソナリティの深部に達せしめ之が内面化に資する事が出来る。か昇る観点に立って学校放送 生活指導番組を道徳時聞に利用する場合の諸問題に就いて取扱う。
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第一,「道徳」特設に至る歴史的諸事情
一,敗戦直後の混迷
敗戦後,道徳教育の方策が当局により打出され始めたのは後述の如くニー年頃からだと考え られる。それ迄は爾後の方針の胎動を見乍らも,若干の混迷,混乱があった。
二〇年八月,当時文部省の要職にあった某氏は「アメリカは相当の干渉を加える事は明らか であるから」,「国体護持と筋金を持った教育計画を樹立せねばならぬ」 (1)と新聞談話に 語り,九月,文部省は「薪日本建設ノ教育方針」で「今後ノ教育ハ益々国体護持二野メルト共
二」軍国的思想の払拭,平和国家の建設,科学的思考力の養成を目途とすると発表している。
同年十月,前田丈相も教員養成学校長等に対して,教育勅語を四阿し「心の整備を行わねばな らぬ」,勅語は「忠良なる国民となる事と相並んでよき人間となるべき事」を示している,
「然るに近年教育が此問題を等閑に付した事が最近道義頽廃の原因にもなっていると思う」と 訓示している。
敗戦直後の我国は平和・民主国家の旗印の下に日本新生への意歓が持たれ乍ら,天業焼膨,
祖国再建の入・一ガンの下に臥薪嘗胆を誓う面も見られるという精神情況にあり,指導者の意 識も「民主主i義化は復古にあり」,天皇政治補翼の「一寸万民の姿が日本本来の姿だ」 (2),
民主主義確立が主権在民の意味ならば 「我国体と絶対に相容れない」 (3), 「日本は族長 的家族国家の典型的なもので……日本の無心は天皇である。我々は国家の中心を失う事は出来 ない。……日本の民主政治には日本的の限界がなくてはなちぬ」 (4), 「教育勅語はパター ナリズムの色彩が濃厚な事疑いを容れない」が,勅語には個人・社会道徳の諸規範が網羅され
「それは儒教,仏教,基督教の倫理と共に共通している」(5)というのであり,議会に於け る勅語の失効排除が二三年に至り始めて決議された所等を見ると,以上の民主国家,平和国家 と国体護持・勅語尊重の共存同居が叫ばれたのも左程奇異な事ではなかった。然しか玉る状態 も永くは続かなかった。
それは同年十月GHQより教職追放令・国家神道の禁止,十二月修身。国史・地理の授業停 止が指令せられ,更に翌年三月第一次米国教育使節団の勧告があったからである。
三教科中止の指令は「日本政府が教育を軍国主義の考えと極端なる国家主義の考えを広める のに利用し,それらの考えを」「生徒に押しつけた」該科の中止と,それらの早期改造・整備 を命じたものであり,勧告はフラγスに由来する旧修身科の弊を指摘し,自由社会に於ける民 主的倫理の必要性と全教科による徳育を説きつ均 平和主義,民主主義を唯一の条件として
「後は日本国民の判断に任せよう」という体のものであった。
二・民主主義的道徳教育の胎動
ニ一年から二二年にかけて,道徳教育が当局によって採り上げられ始めたのは以上の事情に 基く。術此処で占領軍の対日教育管理策のねらいが何処にあり,又それを日本の側で如何に受 止めたかを問題とせねばならぬが,唯此処では前者の初期のねらいが日本の非軍事化,民主化
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にあり,後者の対応の仕方には保守的国体護持的なものから,−肯定的立場,批判的摂取迄あっ たと丈言って置けば事足りよう。(6)
ともあれ当局は以上の方針に沿って道徳教育の軌道を作って行った。二〇年十二月の公民教 育刷新委員会による「公民教育刷新に関する答申」,ニー年五月発表の「新教育指針」,「公 民科教育案」十月の「公民科教師用書」の発行がそれである。
答申は「道義心の昂揚と社会的知識,技能の修得,並びに実践とを抽募的に分離して取扱」
つた旧修身科の傾向を改め,修身と公民を続合して「徳目を社会組織から抽象せしめる事な く」,徳を「人間連関の場に於て捉える事」を提案し,指針は従来の修身・公民科が,生徒に 道徳をおしつけたり,同じ型に嵌めようとしたり,無批判的に「行」を積ませたりした欠点を 除き,薪公民科に於て「社会と自分との関係,及び他の人々と自分の関係をよく理解し,自分 の地位と責任とを自覚し,自分の本分を果して社会の為に尽すような人間を作る」事を提唱し た。案は新公民科に於いて爾後の道徳教育を行う方針を明示し,用書は過去の道徳教育が命令 的・観念的・劃一的・形式主義的であった点を批判して,新公民科のねらいが自由と公正を愛 する国民の育成にある事を明らかにし,その指導の方法として生活指導・自治訓練・討議法・
調査・研究・説話・講義等が採用される事を示唆した。
成程,案(方針一)に道徳の基礎を勅語に求めている点があった事,用書に社会学的観点に 欠ける弊があった事を見落してならぬとしても(7),全等文書が何れも深刻な旧修身科批判 の上に立って民主的人間形成を目標とし,更に其方法として生活指導等多彩なものを用意した 事は我国道徳教育史上の特筆すべき事であった。然し叉之も一時期の事であった。之迄公民科 で行って来た道徳教育は翌年より社会科で担当する事となったからである。
三,社会科の誕生
既に使節団報告書要旨,前掲教師用書「まえがき」で其出現の伏線が敷かれ,叉社会各方面 からも待望されていた社会科は二二年発足した。
同年の「学習指導要領社会科篇」によれば同字の任務は「青少年に社会生活を理解させ,そ の進展に力を致す態度や能力を養成すること」とされている。此処に薪しい道徳教育の動向と 意欲が看取せられるが,之も先の種々の動き,同年三月公布された教育憲法一教育基本法が 引回・平和・民主社会の形成者の育成を謳っていた事と併せ考えると蓋し当然の事であったと 考えられる。
然し同科発足当初の此科を続る諸批判でも判るように,学校教育内で此科が如何に位置ずけ られ,叉此科に於ける知的指導と生活指導が如何に関連ずけられるか,叉日本のきびしい現実 がどれ丁丁科で受止められているか等,該科には其当初から多くの問題が残されていた。次の 批評,記事の如き,注目された該科発足の裏に複雑な事情が伏在した事を物語る一例となろう
か。
「現在に於ける社会科発足の状況は正に千差万別である。……それはその所々に於ける教育
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者の自主性……による事が第一である。第二には,教科課程の構成についての理論乃至は資料 を把晒しているか否かが大きな要素をなしている。第三には,教師陣の人間生活,社会生活に ついての識見とか洞察とかの深さが,社会科発足の状況に差別を与えている。」「社会科が…
…学咬教育にとり入れられてから三ヵ月,研究課題を与えられた女学生や中学生達」,が図書 館,農林等各省,新聞社などへ手当り次第押しかけては,食糧難,・イγプレの打警策はγなど 矢つぎ早の質問に,「堅甲に出たおじさん達をヘキエキさせている。しかし質問に答える官庁 や会社は殆どなく,断られて気を腐らした生徒達は『社会科はつまらない……』と研究にかこ つけて遊びにふける傾向が最:解発に目立ち……」(8)
以上のようにして公民科,社会科等に於て民主主義的道徳教育は問題をはらみ乍ら其軌道を すべり出して行ったが,当局,民間共に該教育に対する関心は左程高くないのが当時の実情で
あった。
四,修身復活のきざし
道徳教育への関心が一般に高まったのは天野歯軸が修身科復活を叫んだ二五年頃からである が,之には実は次のような前奏があった。
前述の如く勅薔の失効排除が実現したのは二三年五月であるが,当時,野党間では勅語の肩 代りとして「教育宣言」を発表し,新しい教育の拠り所とすべきだとする空気が強かった。此 意を体してか,二四年,吉田首相も文政審議会に図って「教育宣言」又は「教育綱領」を制定 しようとした。伝えられる所では多くの会員(安倍,天野,高橋諸氏)も「こもごもに此企て に反対」(9)した由だが,世論も建業構想には好意的でなかった。時事新報,信濃毎日,毎 日が挙げて,新しい教育の理念は既に教育基本法で「充分表現されている,今日の目本人に必 要な事は」他律的枠をはめる事でなくて先ず自律的たらしめる事ではないか,叉国会が徳教の 主義を一定せんとするのは「越権の甚だしいもの」であり,又「其の資格に疑義がある」と反 対したのは(10)其端的な褒現であろう。
かく吉田構想は世論の反磯を被ったが,此問題は其儘沙汰止みにはならなかった。それは二 五年天野文相によって再燃したからである。
文相は同年十月・「来るべき十一月三目の丈化の日に日の丸を揚げ,君が代を歌うように…
修身に代るべきものと教育勅語に代るべきものはやはり必要である」(11)と談話を発表し,
更に十一月の全国教育長会議の席上「私はもとの修身といったような教科は不必要だと考えて いたが,最近各学校の実情をみると,これが必要ではないかと考えるようになった。」地方の 教育者に聞いてみると「教育上支障を来すという声が多い。そこで……みんなが心から守れる 修身を教育要綱といった形で作りたい」と語り,同月二六日朝目新聞には大要以下の如き一筆
を寄せた。
人間は生きて行く為には行為の規準がなければならぬ。勅語はそういう規準を与えていた。
勅語が其妥当性を失うに至った今目,道徳的空白を感じている者は決して少なくない。「父母二
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孝ニ……国法二遵ヒ」という勅語の主要徳目は「今日と錐も妥当性を持つ。」しかし徳目が勅 語という形式では勿論妥当でない故,「何か他の形式で勅語の果していた役割をもつものを考 える必要がある。」修身科は知識を媒介とした知育で本来の意味の徳育ではない。徳育は実践 を通じての人格的影響でなければならぬ。「私は従来のものへの復帰を考えるものではない・」
既に社会科は修身科より一歩進めたものであり,広い展望を持っている。「唯問題は遺憾乍ら 十分な効果を挙げていない。そこでこれまでの修身科と社会科を契機として此処に新しい道徳 教育の工夫をしょうというのである。」
然らば何故「もとの修身科は不必要だと考えていた」丈相が此処で改めて其復活の必要を感 じたのか,一つには文相自身も理由ずけているように復活の要求が民間に胎動し始めていたか らだと考えられる。例えば孝行,従順を説く修身の必要を農村で特に待望している如き(12)
埼玉県福原中学校の「道徳教育に関する父兄の考え方調査」が示す結果の如き(13),叉当時 の新聞投書瀾で屡々見掛けられた「此頃の子供は生意気に反抗するようになった,日常のしつ けがなっていない,社会科は一体何をしているのか」等々といった言葉(14.)がそれである。
一ロ:に修身復活といっても昔日のそれでない事は確かであり,それを望む声も多元的で,一概 に律せられないとしても,何等かの形でそれを待ち望んでいた事は之でも推察出来る。
二五年と言えば戦争犯罪者の追放解除が行われ,朝鮮事変の勃発,警察予備隊令の公布によ って再軍備が始められた多事の年であり,又対日講和,日米安全保障条約調印の前年でもあっ た。か玉る時勢が文相をして先の発言をなさしめたと見てよいだろうか。同年八月,再び来朝 した第二次使節団が「我々は日本に来てから」新教育は国民に「道徳的及び精神的支柱を与え る事が出来なかった」と屡々聞かされた(15),「極東に於て共産主義に対抗する最大の武器 の一つは,日本の啓発された選挙民である」(26)と言い,同月吉田首相が「日本を速かに列 国の一員に加えたい。そのためには真の愛国心と国家の中心となる健全なる精神の所有者を育 成する事が必要だ」(17)と語っている所から察すれば・文相の先の提唱は之等の事と無関係 であったとも思われない。此点を考えると政府が望んでいる復活の要請と民間の欲しているそ れとは必ずしも同じ内容,同じ根拠から発していると言い得ない点も出て来る。
所でか玉る構想が惟の反響を呼起した事は吉田構想の場合と同様であった。旧事は次の新聞 論調でも察知出来よう。東京新聞は同薪聞で行った世論調査の結果にも・薪聞・ラジオなどに 反映する民衆の声の中にも修身叉はそれに類する人格教育を要望するものが多いと述べ,終戦 後の教育が「形式に流れ,肝腎な規律・道徳・勇気或は正義等という観念が,何一つ青少年に 植えつけられなかった」「これは恐るべき事である」(18)と言って賛成し,読売新聞は「社会 科はその中に不可分の要素として」道徳教育を内包しており,而もその中で「最も強く生かさ れる」。とも角道徳教育は社会科を申心に児童生徒の生活「全般の中に浸透」していなければ ならぬ。従って修身科を設ける事は「無用であり,時には有害でもありうる」(19)とさえ言 い切って反対した。因みに復活賛成に毎日があり,反対に朝日があった事(20)を付言して置
こう。
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かく活濃な世論を惹起した為,文相は教育課程審議会に道徳教育振興如何の諮問を発したが 翌年一月に提出された答申は意外にも文相の意に反して「道徳教育を主体とする教科或は科目 を設ける事は望ましくない」と断じ,「学校教育全般に於て,道徳教育を行う」旨を表明した ものであった。之を見ても天野構想が世論の全面的支持を得たものでなかった事が判る。倫答 申には道徳教育振興の為の手引書作成の事が望まれていたが,同年四月それに基いて出された 「道徳教育のための手引書要:綱」には答申通り学校教育全面に於ける道徳教育実施の方針が再
確認されると共に,道徳教育に於ける人権:尊重の主意が高唱されていた。
以上の如くにして天野構想は一応終止符を打たれたかに見えたが,事実はそうでなかった。
同年九月,懸案の「勅語に代わるべき道徳要綱」を「国民実践要領」という形で再び提示する 意向を丈相が明らかにしたが為である。
同年十月開かれた第十二国会で此事が採り上げられ,縁風会の申山福蔵氏の質問に答えて丈 相が「国家の道徳的中心は天皇にある」(21)と述べた事から事態は急転,再び紛糾する事と なった。野党は此発言を採り上げ,日本新生の為に「教育は先ず個人の完成を主張するもので なければならない。日本の道徳の中心が天皇であるという事は誠に奇怪至極,納得が行かな い」(22)と激しく詰寄った。天野発言に対する世論の反響も大きかった。東京新聞は「形式 を整える為に強制するのは一時的に過ぎない,その意味で二相の意図している国民実践要領が 形式にも内容にも十分注意して国民道徳の良き参考になるならば非常に結構な事である」(23)
と賛意を表し%が,朝日・毎日・読売・日本教育新聞はこもごも「第一には,国民道徳の基準 を誰がきめるかという問題である。中略。道徳的基準になるものを行政官である丈部大臣が出 す所に考慮すべき第二の点がある」,「国民のより所を,このような形で示す事が果して妥当 であろうか。中略。一方で反道徳的施策を続け乍ら文相が道徳律を説くのは……政府全体とし て見れば大きな矛盾といわざるを得ない」,「今や私達は実質に於て「教育勅語」の戦後版を与 えられようとしている……民主主義への排戦でなくて何であろう」,「教育純粋の中立の立場 からするものでなければ,寧ろ現在の儘混乱の中から自然と目覚める迄待つ方が,却って安心
というものである」(24)と反対した。
斯る世論の非難はいっかな衰えず,遂には政治問題にさえ化した為,参院丈教委員会は城戸 三一,金森徳次郎,尾高朝雄諸氏等九名を招いて公聴会を開いたが,無条件に賛成する者は一 人もないという実情であった(25)。四面楚歌の観あった「要:領」が野相退官後(二八年三 月),天野氏個人の資格で刊行された事は周知の通りである。
我々は此処で,天野構想が否定されると共に,民主主義的道徳教育の再確認が行われた二六 年は,かの「山びこ学校」の出版(こ≦で掲げられた,いつも力を合せて行こう云々の道徳教 育の目標には注目すべきものがある),「児童憲章」の制定を見た年であり,「六・三教室」
誌上に諸氏の民主主義的道徳教育論が掲載され(26),ゲゼルシャフト的道徳論を展開した勝 部真長氏の「道徳教育」,徳の階級性を指摘し,心理主義道徳の見方を批判した(27)海後勝 雄氏の「道徳教育の前進」,教育勅語を批判した金子武蔵氏の「甦える『修身』」(28)が著わさ
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れた年であった事を想起せねばならない。
五,社会科の改訂
以上の如く推移して来た道徳教育も猶且安定せず,種々の論議,混乱を招来した。その第一 波は二七年八月就任した岡野丈相の教育勅語は「千古の真理」だという発言,愛国心養成の為 の,修身・地理・歴史科の独立,漢丈,武道復活の言明であり,第二波は次いで二八年五月就 任した大周縛縄の,勅語に盛られている道徳精神は「我国民族の伝統として,教育基本法に掲 げられておる目的と背馳しない許りか,之が基礎となるべきもの」,勅語は叉日本国憲法と一 致するとする議会での表明であった。
吉田,天野両構想が物議を醸したにも拘らず,短目月を隔て玉同じ路線につらなる発言が何 故繰返し唱えられたのか,それは先ず党人円相の背後に次のような党内思潮があったからであ
る。
第十六国会の施政方針演説の申で吉田首相は,教育改造について「国民自立の基礎である愛 国心の酒養と道義の高揚をはかる」必要があると言い,質問に答えて「日本の歴史を教えず」
日本の地理,国語をとかず,日本の国体の優秀なる事をとかずしては恐るべき事となると述べ 自由党第十六国会報告書「文教政策の充実改善」の一節には「社会科で取扱われる問題の中に は道徳的に処理し,」解決せねばならぬ問題が可成多い。 「社会科ばかりでなく,教育全般を 通じて道徳の問題が軽視されている事は,今日の日本教育の根本的欠陥である」とあった。
岡野,大達発言が出て来たのは以上の事情に加うるに,講和条約,安保条約調印(二六年)
日米行政協定調印,破壊活動防止法成立,池田・ロバートソン会談(二七年)という注目すべ き社会の動きが叉その背景にあったからだと考えられる。殊にMSAの事で渡米した池田勇人 特使とロバートソγ国務次官補との問には以下のような内容の話合いがなされたと伝えられ
た。
「占領八年にわたって日本人はいかなる事が起っても武器をとるべきではないとの教育を最 も強く受けたのは,防衛の任に先ずつかなければならない青少年であった。中略。教育の問題 共産主義の浸透の問題などから多数の青年を短期間に補充する事は不可能であるが,極めて危 険である。中略。会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気 を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育及び広報によって・日本の 愛国心と自衛のための自発ll勺精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつも
のである」 (29)。
所で以上.の動向に対し世論は如何なる反応を示したろうか,二七年九月自由党議員総会に於 て,「二千億の予備隊費を以て,之を再軍備なりと称するものは一笑に附してよい。物心両面 から再軍備を固めるべきである。そこで精神的には教育の面で万国に冠たる歴史,美しい国土 など地理・歴史の教育により軍備の根底たる愛国心を養わなければならない」と吉田首相が語 ったのに対し,高橋唄一門が「首相ははっきり歴史や地理の教育で「愛国心』を養って再軍備
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の基礎にするのだ,と言っているわけです。いわば再軍備のための愛国心ということになりま す。」(30)と批判したのはその一例であるが,岡野交相が教育課程審議会に諮問を発した「社 会科の改善,とくに地理,歴史,道徳教育について」の答申の結果が,「社会科の改善に当っ て力を注ぐべき面の一つは基本的人権の尊重を中心とする民主的道徳の育成である。学校教育 において,このような道徳教育を重視することの必要な事は論をまたない。とはいえ道徳教育 は社会科丈が行うもののように考えるのは誤りであって,これは学校教育全体の責任である」
であったのはその集中的表現だと見るべきだろう。
此処を見れば,幾度かの曲折にも拘らず二六年答申案の基本線で踏止まり得た事が判るので あるが,之も社会科問題協議会,日本教育連盟,日本教育学会,社会学会,教育社会学会等の 諸団体,諸学会の働きかけ(31)があったからであろう。
尚此間,先の答申に対し,それが提出された翌日の中央教育審議会で「答申……の中に基本 的人権の尊重を中心とする民主的道徳とある事の意味は民主的道徳の中心は人格の尊重,ひい ては社会公共への奉仕にあるとの意味に理解すべきであるから,これが実施にあたっては,そ の趣旨に沿い遺漏のないよう努めること」と述べられ,それに基いて文部省が発表した「社会 科改善についての方策」が基本的人権云々の所を修正して「社会公共のために尽すべき個人の 立場や役割を自覚し国を愛する心情を養い」と書き替えるという一幕があった事は忘れられて ならない。
之に対し社会科問題協議会は第三次声明で, 「教育課程審議会の決定がふみにじられてい る」,「方策の中には基本的人権の丈字は見えず」,代わりに「奉仕の道徳が登場している」
自主的,民主的,批判的な精神を育てる社会科を反動的な「修身にすりかえないこと」,と批 判要望し,第六次声明では,「此度の改訂で特徴的な事は道徳教育重視であり」,社会科と呼 ぶより戦前の教訓科とよぶがふさわしい,十八世紀倫理思想と「軍国主義道徳の寄合世帯であ る」(32)と批評した。
六,道徳の特設
三十年十月清瀬野相は全国小・中・高校長を集めての席上,戦後の道徳教育は多くの点で反 省の必要がある,環境に生き抜く強い道徳的意志と郷土を愛し,国を愛する心情を養う事が必 要であると訓示し・翌月の国会答弁,更に翌年二月の衆院丈教委員会では,教育基本法,学校 教育法は「みんないい:事が書いてある」,それは「世界人として,コスモポリタγとしてい い」かも知れないが,日本人としては物足らなくはない,愛国心,親孝行といった点で欠ける 所がありはせぬか,党大会で考えている現今教育の目下の急務は祖国愛の酒養,国民道義の確 立,よりよき伝統の尊重,正しい民主主義教育の徹底という事であると述べた。(33)
之はその一例であるが,このように其後道徳教育問題は続く歴代丈相によって提起されたが,
その特設は何れも完全実施に至らず,三二年松永丈相によって再び提唱され,後述するような 経過を経て三三年教育課程・審議会の答申に基いて其正式決定がなされた。
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特設を推進した松永丈相も就任当初は,「道徳教育は必要であるが,全教科を通してやれば いいのであって,道徳の為の時間,教科の特設は必要がない」と述べていたが,同年七月及び 八月の記者会見では私はこれまで素人の考えで,道徳教育は全教科の中でやればいいと老えて いた。」然し全教科の中でやるといっても,「どうずればよいかとても判らない。結局道徳教 育をした方がいいのでないかと考えるようになった。」 「道徳教育は場合によっては独立の教 科を設ける方針で,出来れば来春新学期からでも実施したい」(34)と発表するに至った。
丈相が前言を翻した事情について時事通信は,同勢相の私設顧問として迎えた歴代丈相が道 徳教育の強化の意見を提出した許りでなく,門門省内にも系統的道徳教育の必要論が説かれ,
一般にも道徳特設論が少なくない関係でそのような考えになったものだろうと説明している。
(35)
歴代交相の多くが徳育強化を唱えた事は前述の通りであるが,文部当局が系統的それの必要 を考えていた事は内藤初中局長の「各教科全体で行なうという事は結局中心がボケてしまうの で,どこかでもっと系統的に道徳的な徳目」,価値判断,「心情を培う事が必要である」(36)
と言明している所に明らかである。
かくて憎相の発言に基いて三部省も道徳に関する独立教科を新設し,教育課程審議会に諮問 を発してその指導要領を作成する等の計画を立てて,特設の準備に着手したが,これに対し審 議会が出した答申は特設の必要を再確認すると共に,指導内容として,日常生活の基本的行動 様式の理解,個性伸長の助成,道徳的心情と判断力の向上,養成,国家・社会成員として必要 な態度・意欲の向上,指導方法として伝記・古典・物語・視聴覚教材の利用等を挙げた。(37)
術審議会委員の中に賛成しなかった人もある由である。(38)
此答申に基き翌三三年三月一五日道徳の時間特設について正式決定がなされたが,之と並行 して其教育内容が「教材等調査研究会道徳小委員会」で審議され,同月一九日それは「道徳」
実施要綱として発褒されるに至った。
所で,かかる動向に対して世論,教育の実際界,学界等は如何なる反応を示したであろう
か。
読売新聞は文相が道徳教育の内容を「国民の声に応じて」つくると言っている事を指摘し,
国民の声が丈相に如何に反映し,叉それを文相がどの程度公正に受止めでいるかが問題である と述べ,若し野相が性急に国民の声を装った一部旧感覚の入々の言動に左右されて,戦前の道 徳を隠微に復活する意図であるならば更に問題だと警告した。(39)
毎日新聞は松永丈相の道徳教育に対する態度の急変,「修身科独立案の打ち出し方」の性急 さに疑問と不安を投げかけ,教育課程審議会人選の仕方にも疑義があるとした。(40)
三二年三月一,日の朝日新聞は「道徳教育をどう考える」という「ひととき特集」を掲載している が,それによると父兄の意見として,「今日では社会や国語の授業の中で,実際の社会を学ば せる事によって,子供を道徳自勺にしょうとしている」,「とりたてて道徳教育の時間を設けな くとも……自然にこどものモラルを生み育ててゆくことこそ望ましいのではないでしょうか」
・一 Q2一
「今の子供は素晴しいと思います。 修身 を仲立ちとしないで,色々の事を判断出来るから です」,「徳目中心になり勝ちの修身科教育の末路はあわれでした」というのが見られた。
同年九月一七日,東京新宿でのNHKの僧録によれば,次のような意見があった。 r正しい礼 儀を基にした修身の復活には双手を挙げて賛成する」(中年の主婦),「親のいう事を素直に
きかないどころか,理屈をいって,反抗するような子供を仕立てられてはたまったものではな
い」 (中年の男) (41)
同年十月,長野県小学校長研究協議会で「道徳はいかにあるべきか」という問題の基礎資料 として提出された父母五百六十名の「どんな子供に育てたいと願っているか」等について回答 の調査結果によると,「父兄の願いとしてはr素直な』子供である事を望む声がずばぬけた数字 を示し,r目上の人を尊敬する』『親孝行な』『従順な』がこれに次ぐ」となっている。(42)
以上は世論,父兄の反応の一斑を示したものである。これに対し,現場教師は如何に動いた であろうか。
前掲長野県小学校長研究協議会に基礎資料として提出された教師の願いは「道理に対して素 直であれ」,「自分の思っている事をはっきりいうように」等であった。(43)
朝日新聞前掲「ひととき特集」に投稿している綿引まさ教諭は「ナニナニするなといって,
親や教師の権威で禁止させるのはわけない事です。親と教師が一生ついてまわる事は出来ませ ん。ですから,自分で考えて行動できる子にしたいのです。これは少し時間がかかりますから どうか長い目で見ていて下さい」と言い,篠崎みつえ元教師は「きちんと道徳教育の時間を設 けて,親孝行とか民主主義とか教えるというのなら昔の修身教育とどこが違っているのでしょ
うか」と述べている。
三二年十月二二日東京で開かれた二九教育団体の「道徳教育研究会〕は「正しい道徳教育を 確立する為に」父母と教師の教育実践が「なによりも尊重されねばならない」社会悪の追放,
教育条件の改善を文部当局に期待する。此の「重大な道徳教育に関する施策は一方的,拙速的 なやり方でなく,戦後十年の成果を生かし,各層の意見を聞き,慎重に進められたい」と要望 した。(44)
三二年三月「道徳教育はどう行われているか」という臼井吉見氏の現地ルポは特設決定直前 の現場では,道徳教育を社会科の学習を通じてやっている学校,「生活指導」の時間でやって いる学校,「生活読本」を与えてやっている学校種々ある事を詳しく報じている。 (45)
学界はどう動いたか。先ず日本社会教育学会は三二年七月「文部省の道徳教育独立構想には反 対である」とし,子供の生活のあらゆる場所,機会をとらえて道徳の指導を行うべきで,もし之 が効果をあげえぬとすれば,それは入試,過剰学級,教員定数不足の不備に基くと反対した。
(46)同年同月教育科学研究全国連絡協議会は文部省の修身復活には「組織をつくって反対す る」旨の決議を行い,該教育に関する具体案を提出する等の方針を打出した。(47)
同年十一月,目本教育学会は道徳教育の沿革上からと道徳教育の本質上から特設に対し疑問 を発し,特設論者の理論的根拠に問題点がある事を指摘した。(48)
では学者個人はどうであったか。大雑把に言えば,之には賛成,中立,反対の三つの立場が
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あった。
山田栄辱は特設時間は教科以外の活動,特別教育活動の時間に含まり,教科時間の設置を意 味しない。該時間は自律的判断力養成の集団的思考の場であり,その方法は生活指導をたてま えとする指導でなくてはならぬとした。大島康正氏は特設は「原理的には賛成し難い」が,全 教科を通じての道徳教育は「どうしても断片的,恣意的になって一貫性に欠ける」,従って実 際問題としては特設には反対しないと述べた。堀秀彦氏は生活指導は偶発的而も事後指導で不 充分である。予防的意味,鍛錬をする意味あいから道徳理論を体系的に教える必要があると論 じた。勝部真長氏は道徳教育に間接的方法,直接的方法,現実主義的方法,理想主義的方法の 二方法があるとし,該教育には間接的,現実主義的それを代表する生活指導丈では不充分で之 に直接的,理想主義的それが加味されねばならぬと述べた。稲富栄次郎氏は特設時間論に対す る反対論に一々答え乍ら賛成論を展開した。 (49)
平野武夫氏は特設反対論に一面の真理を認めつつも,それが全面的に正しいものではないと いう立場から特設を肯定し,而も尚その場合の道徳基準は中道に立って構想されなければなら ぬとした。(50)唐沢富太郎氏は設置する側の「国家が道徳を保持する」態度を難じ,反対す る側の反対に終始し,積極的に改善しない態度を衡き,両者の側で見落されている道徳教育実 際面での種々の問題点を挙げた。(51)
成田克矢氏は当局の道徳教育政策が政治的,階級的である点を分析,指摘し,道徳教育政策 の問題は大衆に奉仕:し,大衆の生活矛盾を克服するものか否かという見地から検討さるべきだ
とした。川含章氏は要綱の性格が近代的装いをもった徳目主義であり,そこに見られる倫理は 共同体の倫理である等と特設道徳の内容批判を行った。梅根三二は「生活による生活のための 道徳教育」を主張し,特設道徳:によって真の生活指導,ひいては真の道徳教育がそこなわれる と論じた。宮坂哲文氏は,生活指導の観点から「特設道徳」を批判し,特設道徳が生活指導に 見られる道徳性を去勢し,それのみか去勢する事によって支配するに至るのではないかと難じ ている。小川太郎氏は「特設道徳」は人権を中心としない道徳教育で,人間的願望・要求の実 現を阻止する道徳教育であると論じた。宗像誠也氏は各国の事情を参酌し乍ら日本の諸事情に 立戻り,教育行政権は国民の価値観のなかに足を踏み込むべきでないと述べた。(52)
(増 田 史 郎 亮)
註 (1) 朝日新聞 20年8月26日
(2)20年帝国議会での平沼駿一郎の発言。 (11月17日)
(3) 同上,斉藤隆夫の発言(ll月28日)
(4) 同上,鳩山一郎の発言(11月29日)
(5)21年3月朝周新聞田町耕太郎。船山謙次 「戦後日本教育論争史」1960年 東洋館出版社7頁 (6) 岩波書店「日本資本主義講座」第2巻 「占領下の教育政策」
(7) 「教育学研究」25巻 5号 30頁
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(8)梅根悟・岡津守彦編「社会科教育のあゆみ」昭和34年 85〜86頁 小学館
(9)梅根・岡津同上書 87頁
(10)文部省編「新聞雑誠の教育論調」昭和24年 刀江書院 60頁 23年5月24日・27日・6月9日の分
(11)前掲論争史 273頁
(12)福武直・塚本哲人「日本農民の社会的性格」 1949年有斐閣 130頁
(13) 「道徳教育」創刊号27年3月
(14) 「戦後教育史断面」 昭和32年 国土社 169頁
(15)文部時報 第880号
(16) 報告書 成人教育の項
(17)25年8月29日 東々日々
(18)25年11月11日
(19) 25年12月9日
(20)毎1ヨ 25年ll月8日。 朝日 25年12月1日
(21)時事通信「内外教育版」第282号
(22)前掲論争史 277頁
(23) 26年11月15日
(24)朝日 26,U,22 毎日 26, ll,13 読売 26, ll,19 日本教育新聞 26,10,18
(25) 「道徳教育」創刊号 昭和27年3月 資料,天野文相「国民実践要領問題」一その主張ヒ批判
(26)51年2月〜9月の城戸幡太郎・国分一太郎氏の論文
(27)前掲論争史 271頁
(28) 日本評論 51年2月号
(29)朝日新聞 28年10月25日
(30)前掲論争史 247頁
(31) 前掲社会科教育のあゆみ 38〜9頁
(32)前掲あゆみ 41頁 43頁
(33)宗像誠也「私の教育宣言」 岩波書店 昭和33年,23〜5頁
(34) 時事通信 内外教育版 32年8月2日 8月23日
(35)32年8月2日
(36) 矢内原伊作他編「人聞づくりと道徳教育」 昭和33年 誠信書房 265頁
(37) 教育記者の会他著「文部省発表・道徳実施要綱の解説」 33年 明治図書 昭和33年 11頁
(38)教育記者の会 上掲書 関係項目
(39)32年8月10日
(40)32年8月8日
(41)遊刊朝日 昭和33年3月16日号 6頁
(42) 前掲既刊朝日 同上頁
(43) 同上誌 同上頁
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(44)
(45)
(46)
(47)
(48)
(49)
(50)
(51)
(52)
矢内原伊作他 前掲書 269頁 同上誌
「時事通信・内外教育版」 32年8月23日
船山謙次「続戦後教育論史」 1960年 東洋館出版社 229〜30頁
32年U月4日 日本教育学会教育政策特別委員会「道徳教育に関する問題点」草案 教育学研究 第24巻第6号
続論争史 243〜72頁参照 前掲続論争史253〜8頁 前掲続論争史 231〜3頁
前掲続論争史 253〜96,303〜312頁
第二,道徳教育及び〈道徳〉時間の意義 一生活指導との関連を通して一
今日道徳教育上の一つの変化と云えば,一頃のように生活指導一道徳教育という立場からの強い反対論が 聞かれなくなった事であろう。無論この事の底には,賛否何れにせよ各自がその信ずる所に従ってその実践 を展開しているという不動の事実が存在するのでもあろう。だが更に深思すれば,そこには尚次のような問 題が潜在するように思われる。即ちそれはその好むと好まざると:に拘らず,こ\一年間の特設時間の実践か
ら期せずして道徳に対する本質凝視が発生し,その結果改めて両者の関連に対する再検討が要求されつ㌧あ るという事,而してこの両者の関連の申で道徳教育実施に際して特に設置された時間を如何に位置付けたら よいかという問題である。
一般的に云ってこの問題への解答如何は正に道徳教育の死活に関すると云っても過言ではない。それは教 育の全体系の申に道徳教育及び生活指導を如何ように位置付け,又それぞれの役割を如何に分明ならしめる か,次に道徳教育に於て特設時間の占める位置を明確ならしめる事によって道徳教育の持つ深い実践性を如 何に鮮明ならしめるか,総じて道徳教育に於て実践と認識とを如何に統一するかの諸問題を含むものである
と思われるからである。
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日本に於ける「生活指導」という用語の由来,及びその言葉の内容が必ずしも一定したもの でない事は既に周知の通りであろう。極論すればそこには十人十色の「生活指導」がそれぞれ の歴史的由来を負って存在していると云ってもよい。
先ず用語め由来から検討すれば,大別して二つの系譜が見られる。第一一は「生活指導」は実質的には日本 独自の教育形態であるとするもの,第二ほ戦後新教育の一形態たるガイダンスの流に悼すとするものであ る。そして前者は更に三つに細分される。
1.生活教育の展開としての生活指導。 大正申期から昭和初頭にかけて広義の「生活教育」運動が起っ たが,その目的はそれまでの教育に対抗して児童の生活を申心として自由・リアルな教育を確立せんとする ものであった。所謂徳目主義の修身科に対する「生活修身」,国語科綴方に対して生活表現を重視する「生 活綴方」,生産生活を強調する「郷土教育」,その他「生活算術」「生活理科」等極めて多彩なものがあっ
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た。従ってこれらは教育の実践に於てはいきおい児童の「生活」を拠り所としてその具体的な指導に向って 努力したが,そこに今日的な生活指導があるという。
2.校外生活指導。 昭和の初頃から青少年の校外生活に於ける余暇時間の過し方の指導として起ったも ので,初めは深刻化しつ㌧ある日本資本主義社会のもの悪影響から子供達を守ろうとする不良化防止的な消 極的補導であったが,漸次余暇を中心とする校外生活の建設的指導へと:発展して行った。
3.公民科実践指導としての生活指導。 昭和2】年9月から社会科が開設される(23年3月)まで暫定的 に実施された公民科教育の指針に於て,実践指導の一つとして生活指導が提唱された。しかしこの時のそれ は国民学校初等科4年までの基本的生活習慣の躾を内容とするものであった①。
次に一口にガイダンス理論に基くと云っても,その概念領域は必ずしも一致しないし,又ガイダンスその ものからのみ起ったものとも断定出来ない節がある。何となれば第一にガイダンス理論の移入は既に大正末 頃石井亮一によって行われ,昭和の初め石谷信保によって本格的な紹介がなされており,従ってそれが何等 かの形で当時の「生活教育」運動に吸収されていたとも考えられるし②,第二は戦後の「生活指導」の在り 方がガイダンスを含む全体としての新教育の変遷と共に変って来ていると思われるからである。
即ち戦後日本の教育界は先ず「カリキュラム」運動でその黎明を迎えた。当時生活申心カリキュラムの語 は逸早く全国を風靡したが,この生活課程の申に既に「生活指導」の実質が潜在していたと見る事が出来よ う。所がそれに代って昭和24〜25年頃から「ガイダンス」運動が主導権を握った。この事のきっかけは第一 次米国教育使節団の勧告,即ち爾後日本教育の基本的方針は民主化にあり,従って教育は個性尊重の哲学を 基礎とし,科学的な個性評価技術と助言技術とを駆使する「ガイダンス」を全学校段階に於ける申心課題と しなくてはならないという趣旨に基き,昭和24年文部省から『児童の理解と指導』r中学校・高等学校の生徒 指導』が一心された事に由ろう。しかしこの時に於てすら「生活指導」の用語はまだ使用されず,「ガイダ ンス」「生徒指導」「教育指導」の語が混用され,その実体はいわばテスト技術の申に埋没していたのであ
る。
しかも日本に於ける「ガイダンス」運動は結局失敗に終った。それはアメリカ的カウンセラー制度とその 技術とが遂に根を張るだけの基盤がなかったからであろう。こうして次で日本的ガイダンス即ち「特別教育 活動」が世人の注目を浴びるに至った。そして厳密には「生活指導」の用語はこの「特活」運動に於ける民 主的実践の方法として呼称され,更に「天野道徳教育論」への抵抗として・奇しくも時を同じくして陽光を 浴びた戦後生活綴方運動と結合する事によって一層その主体性を明らかならしめるに至ったのである。しか し無論「生活指導」の内容がこ〜で一定されたわけではなV・。昭和26〜27年頃からソヴィエト及び申国の集 団主義教育の紹介に伴って,「学級作り」運動として新なる形態的変化を受けたからである③。
かく「生活指導」は歴史的に常に或る有力な教育形態の変化と共にその在り方を変えて来 た。か&る見方の底に一つの教育形態・例えばガ イダγス・特記・道徳教育……即生活指導と いう考え方があるように思われるし,叉そこに概念の暖昧さがあるのであろう。次に現行「生 活指導」概念の多義性を示そう。
一書によれば「生活指導」には次の七つの意味があるという④。1・個性尊重の方法原理としてのガイダン ス。2.職業指導中心のガイダンス。3.カウンセリング・精神衛生としてのガイダンス。4。躾の指導としての 生活指導。5.特別教育活動としての生活指導。6・入間の生き方の指導と:しての生活指導。7.集団主義の生活 指導。
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又他書には次のように示されている⑤。1.心理学的立場からの個性指導(ガイダンス)を中心とするもの 2.生活習慣の躾の指導。3.道徳教育を強化する立場からする道徳的目標に向っての指導。4.日本社会のおく れや歪みを剋服する為の生活態度の形成をねらいとする指導。
かく一口に「生活指導」と云ってもそこには極めて多くのものが考えられるのであるが,に も拘らずこの現行の意味と先の画嚢的由来とを綜合する時,そこに一つの傾向を見出す事が出 来るように思う。つまりガイグγス的個性指導の色彩を強く示すものから生活の躾を強調する ものを経て最後に積極的に社会形成を目指す集団的生活態度の指導に至る幅広い流の存在であ る。それ故に改めて「日本に於ける生活指導」を問題とする時,そこに一つの思惟規制が課せ られるのを否む事が出来ない。即ち上の「幅広い流」の中からより本質的なものを選出してそ の主体性を一層明瞭に刻印するという事である。この過程の中で「生活指導」概念の批判が遂 行される。
船山謙次氏が沢田慶輔,勝田守一両氏の定義を批判して「多分にガイダンス理論の影響が見られ,個人指 導の傾向が強い。そこでは正しい意味での社会連帯の精神,集団意識の形成をはかるという意図も殆ど見受 けられない。」⑥と云っているのは,概念における非本質的なものの本質的なものよりの分離を意味するであ ろう。いうまでもなく「ガイダンス」の対象は個々の子供のパースナリティであり,その主眼は個人の社会 的適応を援助してやる事であるから,それは生霊入育成的な仕方で特に不適応児を診断して治療してやる事 であると云えよう。無論「生活指導」に来てか㌧る仕事は重要ではあるが,にも拘らずそれが何故非本質的 なものに属するのであろうか。その理由はアメリカに於けるガイダンス成立の事情がそれを明瞭に物語って いる。アメリカに於けるガイダンスは本来職業指導から出発して青少年の不良化対策として結実した。それ は「や㌧大げさない㌧方をすればアメリカ資本主義の病理現象に対する個人的な防疫対策でもあった。」⑦ のである。か、るアメリカ的治療概念をそのま、日本の「生活指導」概念として使用する事は正しいとは云 えないであろう。故にそれは広義の「生活指導」の中の一方法として正しく位置付けられるべきである。こ の事の区別については勝田氏も既に批判された定義の申で明らかに指摘しているが⑧・この点を特に定義の 回心に据えたのに山田栄氏がある⑨。しかし氏の定義は明らかにプラグマチズムに於ける生物学的「適応」
の概念に基くものであって,他の観点から又強い批判の前に立たざるを得ない。つまりそこで氏は「能動的 適応」を強調するが,「適応」の対象たる「社会」をそのま㌧に放置する限り能動は真の能動とならず・従 って積極的な「社会の発展」は永久に期待し得ないという事になる。
所で先の批判の後勝田守一氏はその「生活指導」に新なる見地を附加した。「生活指導は個人指導であっ てはならないが,個人という具体的人間の自主性と相即して人間的な集団の成長を目指すものであり,集団 が個人の自己の拡大の制限ではなく,むしろ支えと:なってその成長が相互に働き合うようにその成長の方向 をもたなけれぼならない。」「生活指導は正にそのような集団の形成と同時に個人の発展と恢復という二重 の運動への働きかけである。」⑩この定義にまで至ると「生活指導」は極めて広範な教育的機能と:して受取
られるが,そういう意図に於て既に早く定義付けているのが宮坂哲文氏である。⑪氏によれば生活指導は要 するに「人間らしい生き方の指導」であると:いうのである。
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概念の多義性に直面して痛感される事は何よりも先ず自らの「生活指導」観を確立すべきだ という事であろう。勿論その際に単なる折衷とか二者択一は許されない。しかし対象現実は一 つなのである。つまり兜童の生活を導いてそこに如何に自由且つリアルな教育を打ち樹てるか,
同時にそれの教育に於ける位置を何処に見出すかという問題である。かくて「生活指導」の本 質究明は少くとも次の思考過程を経た上で始めて完全なものとなるであろう。先ず第一は「生 活」指導に於ける生活構造の分析,第二にそれと教科指導との関係の考察,第三は若し「改 善」の立場を採るとするならば,それと本来の教育との関係の調整,最後に指導に関する科学 的技術が如何なる意味を持つかを明らかにする事の四つの過程である。
劔て「生活」とは単に生命を維持する事で尽きるものではない。それはか玉る「生存」の面 を包含しながら更にそれを超える理性的な文化的側面をも持っているからである。「生活」は 独り人間のものである。されば人間の「生活」は単に本能や衝動に左右される生物学的なもの ではなく,更に生産的機能を基盤としてその上に展開される文化的営為であると云うべきであ ろう。若しそれならば「生活」は自ら構造的なものとして現われる。つまり「基礎一上部」関 係からなる構造体として,更に時聞的連続の上に整序された構造体として現われる。生活が歴 史的発展的であるとは実はか玉る構造的なものの自覚に於てのみ云える事であり,従って生活 指導に於て単なる「適応」用法が妥当しないという所以もそこにあるのである。
しかしか玉る生活一般に於て個人が「生活する」とはどういう事であろうか。いうまでもな くそれは個人=自我が対象とか&る二重の構造に於て切り結ぶ事を意味するのであるが,この
仕方は一般に認識と実践の高揚する過程に於て遂行される。自我は先ず生存の事実を知り,生 きなければならない。しかしこの認識と実践の過程は現実に於ては概ね阻止され,そこから更
に高度の認識と実践とが要請される。かくて認識と実践とは相互に協力しながら高級なものへ と高まって行くが,少くともそれが単に個人的生存にのみ関わるものでない限り,それは「社 会」的なものとして既に時間(歴史)の構造の中に繰り込まれて行く。かく認識と実践の・歴
ロ り
史に於ける可能性が現存社会の必然性と接触する所に「生きる」事の現実性が現われる。これ を自己実現と云えば云えよう。若しか玉る意味での自己実現がなければ,そこには如何なる
「生活」も人間の「主体」も存在しないと云わなければならない。
屡々目本祉会は古いものと新しいものとを混在させる一方,他方では厳しい国際関係の下で,
資本主義の持つ大きな矛盾に直面させられているので,子供達は唯々それから結果する人間疎 外の中に苦しんでいると云われる。確かに一面の真理であろう。しかし若しこれがすべて父ある
ならば,我々の前に存在する子供は生活する主体ではないと見なければなるまい。しかし教育 的現実とは何か。上述の論理に従えばそれは「主体」的自己実現の過程に於て自己と対象とが 相互的に構造連関を作りながらそこに真の「現実」を実現する・そういう教育的機能でなくて はならないであろう。してみれば対象に屈従している子供の姿は真に「現実」なのではないと
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