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ドキュメント内 道徳教育の研究 (ページ 31-34)

れるし,その限り人聞の疎外現象は解消しないであろう。⑩ 従って今後の人間の在り方は集 団から孤立して自主的な個性的人格を確保するような消極的な存在様式(自由権的人権思想)

に於てではなく,更に積極的に集団の生成と発展とに自主的・自覚的に参加する批判的集団意 識の下に自己を生きるようにしない限り,その存在意義を見出す事は困難となるであろう。こ れこそ将来の正しい人間関係の在り方であり,いわば社会的大衆的民主主義の理念でも南る。

 所が悲しい哉,日本にはかかる民主主義の伝統も,況やそれを育むに足る十分な思想的弓は 社会的な如何なる地盤も未だ存在しないのである。今改めてここで冗乱するまでもなく,この 事は国民殆んどが斉しく認めるところであろう。かかる社会に於て民主主義という言葉の申に,

叉人権の丈字の中にどれ程の哲学的な根拠があるというのだろうか。この事実は同時に日本の

「道徳」の頼りなさに鴨るものである。

      コ  それ故に我々が民主主義を正しい形で確立する為には,どうしても先ず個々の成員を徹底的

に人格的な存在にまで教育する必要があると思う。まして義務教育では一応原理的に明確なも の,叉最も基本的なものを中核としてその視野を拡大する外はない。のみならず所謂第一次元 的民主主義は,たとへ理念的抽象性という欠陥はあるにしてもすべての民主主i義の基本的源流 でもある。従ってそれは一応広義のヒューマニズムを最も純粋な相で打出していると見てもよ いであろう。かかる根拠に立って,平凡ではあるにしても一先ず「人間尊重」を「価値表」の 基礎に置いたわけである・けれども我々のこの理念は,後述する如く所謂調整理念としての「正 義」あるに依って少くとも意図的には強く大衆的民主主義を指向するものである事を附け加え

ておかなくてはならない。

 かくて大衆的民主主義を目指しながらも個人としての人聞尊重を目指さなければならないと いう論理的構造は,いわば一つの逆説ではあるが,同時に又日本では道徳上「公共心」を培う 為に先ず「自主性」を育まなければならないという事にも連って来る。この二つの要素は日本 社会の過去と現在とを見通す時,それが常に新しき粧の下に旧き形態を内包するという形に於 て現われていた事を屡々見せれば見せる程,道徳教育上重要な基本とならなければならないと いう事が痛感される。かかる現代社会の持つ道徳的課題を解決して行く上からも,「人間尊重」

はいくら強調してもし過ぎるという事はないであろう。

 劔て「価値表」の基底価値を何にするかという問題であるが,差当りその解決への道が二つ 考えられる。第一は既述した理由で「人間尊重」の精神を純粋民主主義の理念から考察し,二 皮的な理念として自由。平等・博愛の三価値を措定する道。第二は教育基本法第一条の次の分 析から適切な価値を導出する道である。

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 ここで「平和的な国家・社会」が前述する所から「民主的な」それであるという事は多言を要しない。所 で「個人の価値をたりとぶ」事は「人間尊重」と同義であり,この限りこれは「民主的な」事の内に包含さ せられ得る。而して第一の道から「民主的な」内容が自由・平等・博愛である事は必然である。そこで残っ        ロ    た「真理と正義牽愛し」であるが,これを我々は広義に「正義」の価値と考える。何となれば「正しさ」を 論理的(認識的)側面から見たものが「真理」であり,社会的(実践的)側面から見たものが「正義」であ り,而して認識と実践は論理的に相即すべきものであって,それが「正しさ」に於て三一致するものであるか らである。そうすれば教育基本法第一条から導出される価値は自由・平等・博愛・正義の四個となる。(こ こで④のみを問題と:して⑬を取上げなかったのは,④が内容的価値であり,⑥が機能的価値であるからであ る。両価値の区別は後述する。)

 かくて我々は二つの道から出た諸価値を,若し調整し得るものならば調整しなければならない。何となれ ば基底価値は概念として明晰,判明でなければならず,この限り概念間の共通性格は整理される事が望まし いからである。

 所で民主的理念としての自由と平等どが必ずしも同一地平に於てそのまま両立し得るものでない事は明白 であろう。両者は弁証法的な構造関係にある理念なのである⑪。そこから,これを調整してより高次の統一に        の もたらす為には,そこに何等かの調整理念がなければならず,その為に記述の如く「正義」を不可欠のもの と:して措定した。つまりそれあるによってのみ自由は「放縦」を免れ,平等は「悪平等」を回避する事が出 来るのである。他方平等と博愛はその根底に於ては人間の尊厳性に対する広義の「愛」を基調とする対他的       の価値である点で相一致し,道徳的により自体的・個人的価値を意味する自由と区別される。つまり人間性の

「平等」が成立する為には人間性に対する「博愛」の認識が必要であり,逆に後者は前者によって実現され る。カント的表現を用いれば博愛は平等の可能根拠であり,又後者は前者の認識根拠なのである。故に平等 は「愛」の実践的機能であり,博愛はその認識的機能であると見る事が出来よう。

 以上の考察から我々は自由・愛・正義の三基底価値を設定し,これらの綜合によって一人一 人の心の中に「人間尊重」の道徳的理念を育成しようと考える。しかし以上の三基底価値は尚 抽象的たるを免れない。そこでそれらを具体化する為に,その内容となる価値(内容的価値)

を決定しなければならない。

      

 自由の問題は恐らく人類の起源と共に始り,叉人類が存続する限り絶える事はないであろ う。しかもそれは人間の生存をめぐって展開される個人的自由から社会的,経済的,国家的,

宗教的なもの等人間存在のあらゆる分野に及ぶ広範な領域に関係する。従ってそれを単に道徳 的側面からのみ見る事は正確ではない。何となればあらゆる分野での自由はそれぞれ他の分瞬 のそれと不可分の関係に於て相互に結び合っているからである。にも拘らずここではそれを単 に道徳教育という視点からのみ考える危険を敢て冒さなくてはならない。しかも義務教育とい う制約が一層その視野を狭くさせる。内容を基本的なもの,解明なものにしなければならない からである。かくて模式的な考察に従って・自由を一応対自的な解放の原理と解釈する。若し 道徳的に良心といわれるものがあるならば,その声に聴従して自己を正,しく解放する事が自由 である。ここから「自主」,そして「自律」という内容的価値が導出される。社会的にはそれ は「自治」と呼ぶ事が出来よう。しかしその自由が正しく実現される為には,自己及び社会に

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対して常に「誠実」でなくてはならない。誠実は自由の調整概念として不断に自己を監視する ものである。

      

 平等と博愛の根基である「愛」は本来人間を結含する情緒的な絆であり,それ故にそれはとも すると生得的・自然的なものの方向に趨り易い。それは自己及び他人を温く包容するという意        の 味で崇高ではあるが,他面叉盲目的である。従って愛は自らを表現する内容を持たず,直接に 対象に向う。この愛の発現の方向を調整するものが「公正」である。それは愛自体の内容では ないが,愛を正しい愛たらしめる為に愛が持たなければならない性質として挙げられる。この 愛に於ける「公正」と自由に於ける「誠実」とはそれぞれの基底価値を調整するものとして

「正義」より来ったものである事,既に述べた通りである。

      

 正義は広義のものとしては実践的側面と認識的側面とを包括したものであったから,そこか らその実践的性格を示すものとして「勇気」(狭義の正義)を,その認識的性格を表わすもの として「合理性」(真理)を挙げる事が出来る。正義は他の価値の調整を司るという理由のみ からではなく.現実の日本において特に重視されなくてはならない基底価値である。R.ベネ ディクトの指摘にまつまでもなく,⑫所謂「恥」の道徳を真の「罪」の道徳にまで深める為に は合理的な批判性に基く勇気ある態度で自らを律しつつ公正なる愛をすべての人の上に,更に 人類を超えるものに向って注がなくてはならないからである。義務教育の段階に於ける道徳教 育では,少くとも正しい自由と愛の実現の基盤として「正しい勇気」を培うべく日頃からしつ けられていなくてはならない。自らを律する事に於て,よりよい社会を作り上げる上に於て。

かくてのみ真の「自主性」も「公正心」も期待し得るであろう。

 しかし内容的価値は結局基底価値の内容を示すのみであって,基底価値が実現される為には 更に実践に媒介されなくてはならない。そこに機能的価値が考えられる。それは基底価値の内 容としての内容的価値が自らを展開させる場合,如何なる場で,如何なる形として具現する かという様態を示すものである。従って内容的価値と機能的価値との間には何等上下の差異は なく,その区別は該価値の性格及び機能性に基くのみである。しかし実際には同じ内容的価値 もそれを媒介する機能的価値の相違によって現実には違った様相を呈するという事は云えるで あろう。例へば,

教育 基本法

 ④

真理

正教

     !      !     1    /   1 !

 ⑬

.董ヵ二一マー→真摯な研究をする     \、

責仕/麟驚二∵

といったようにである。

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