「価値表」は飽迄も教育的立場から論理的に決定された望ましい価値の表であるから,仮令 それが道徳教育観の確立や指導上の有力な指針になるとしても,単にそれだけでは未だ十分で はない。それは更に展開されなくてはならない。そしてこの展開が道徳教育に於ける指導内容
としての問題場面を指示する事になるのである。
展開は「価値表」(それは規範叉は上からの方向を示すもの)と下から方向,つまり現実と の接点に於て遂行される。それ故に今度は現実分析がなされなくてはならない。具体的には子 供が直面する複雑な祉会的・人間的関係の申に於て自我と価値との対立葛藤から起る彼等の悩 みや欲求などを正しく生え,そこから正しきは伸ばし,悪しきは矯正すべき指導の観点を決定 し,「価値表」との対照によって問題場面を設定しなければならない。その為になされる大よ その調査は次の如きものであろう。
1.子供の欲求・悩み。行動上の問題調査 2.子供の道徳意識・価値観の傾向調査
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3.以上のものの年令段階的発達の調査研究
4.家庭環境,特に親子の入間関係と両親の価値観調査 5.学校生活に於ける子供の道徳的特質の観察記録 6.子供をとりまく地域社会の道徳的実態調査
以上の項目に応じて例えば基本的欲求調査,親子関係診断テスト,道徳的価値観調査,道徳的 問題点調査(自作)等と共に観察による累加記録や地域調査が行われ,それぞれの結果から子 供の道徳約実態を明らかにし,更に学年的な特性や傾向をおさえた上でその問題点を摘出し,
その諸結果の緑合の上で学校全体としての道徳教育上の「指導力点」を決定しなくてはならな い。送附小に於ては各調査の結果の処理に続いて,各調査別に調査項目に対応して道徳的内容 を設定し,調査結果をそれに照応させながら問題点とその度合を決定し,更に具体的な指導方 法を考察し,そして最後に「諸調査より導出された綜合的な指導力点」を確定した。⑬ 以上の手続を経て次になさるべき作業は「価値表」と「指導力点」の綜合的検討からその学 校に於ける「道徳指導上の課題」(前頁)を設定する事である。
上表に設定された「課題」は全校の子供の特性から考慮された全学年を通じての課題である から,それは更に一般的な道徳性の発達傾向や調査結果に現われた学年的特質に照して各學年 の「主題」が決定され・次で主題の「目標としての道徳的内容」が分析されて価値表の展開作 業が終るのである。
例 第六学年 項 学 目 期
1
主 題
①最高学年としての自覚
(2.4.5.16)
②修 学 旅 行
(12.16.17.19)
③明るい集団生活
(3.5.14.15.25.28)
④解体の生活設計
主題の含む目標としての道徳的内容 自主自律,自治,努力,誠実,愛校心
協力,公共心,公徳心,文化の尊重
謙虚,自省,努力,明朗,寛容,親切,公平 礼儀作法,団結
畠中()内の数字は課題番号であり・道徳的内容は指導力点に示されたものである。それを徳目の形 で示した理由は,他主題と:の関連取扱を容易にする為と,目標内容を出来る治け明確に示したかったから である。
(熊 谷 忠 泰)
註 ① 諸外国に於ける道徳教育に関する著書としてほ,例えば平塚益徳『日本のゆくえと道徳教育』 (19 59年,福村書店)第二編,同『ヨーロッパの道徳教育』 (玉958,民主教育協会),下程曇吉編『世 界各国の道徳教育』 (昭33年,黎明書房),勝部真長編『道徳指導事典』1各国の道徳教育の概観 (昭33,大阪教育図書),宮田丈夫編『道徳教育資料集成』巻3・9文部省『各国の道徳教育』 (昭 一49一・
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
34.第一法規出版),長田新編『現代道徳教育講座』巻1,第三章3節(1956,岩崎書店)等参照 山本正一『道徳指導の計画と方法』 (昭34,大阪書籍)P.89
上掲書,P.91
内海巌編『道徳の時問をこう考える』昭34.光風出版)P.142
高木暢哉『経済社会の発達と人間関係』 (1959,民主教育協会)P.3〜4 蟷山政道『民主主義と教育の基本問題』 (1956,民主教育協会)P.12〜14 宮島肇『現代道徳教育論』 (昭35,明治図書)P.56〜57
勝部真長『道徳教育ノート』 (昭33,大阪教育図書)P・239 高木暢哉,上掲書,P.42
この詳細な分析は例えばE・フロム『自由から逃走』日高六郎訳(昭33.11版,創元社)参照 蝋山政道,上掲書,P.15又は『申央公論』 (昭31年1月号)同氏論文参照
R・ベネディクト『菊と刀』 (長谷川松治訳,1949年目社会思想研究会出版部)
長崎大学学芸学部附属小学校「児童の発達段階に応じた指導計画の作製とその実践,道徳編」 (昭和 35年度)P.3〜30
第四,錬成の方法について
一,戦後年毎に青少年の不良化は増加の一途をたどり,既に十数年の歳月を経過した現在に於 ても依然この傾向は顕著である。か鼠る現象の最:大原因は新教育にありとし,新教育はいたづ らに児童の欲求,興味,創意性などを重んじて児童の傾向性を強め,善に対する認識を深める 指導や欲望に対する自己統制力の強化を怠ったとして批難されている。かくて今日教師中心の
ハード・トレー二γグの強調さえ見うけられるようになった。善に対する認識の深化及びそれ にもとつく自己統制力の強化をめざしてのハード・トレPニソグの重要性は,充分に認められ なければならない。しかし,そのハード・トレーニングが戦前の錬成教育の郷愁の上に立つと すればそれは教育の危機以外の何物でもない。新教育が児童の欲求,興味,創意性及び自主性 などを重視することは自由放任の教育方針をとることを意味するものではない。このことは
「われわれが学校をもうけるのは,子どもが自分の発達の原理と方法を知らないということを 認識するからであり,また「成熟した」といわれ,自分の責任で行う「自学自習」の原理に前 提されているような科学的で人道にかなった行為は生まれながらにそなわっている資質でない ということを認識するからである。」註1というヂヨγ・チャイルズの言葉によっても明かで ある。勿論,新教育が善に対する認識の深化やそれにもとつく自己統制力の強化をなをざりに しているとするのはあたらない。「自分自身の持続的な発達に対して責任を負いうる個人の育 成を教育の最高の目的とする」新教育は自覚的自律的な道徳的主体者の育成にその教育的努力 の重点をおくものである。註2新教育が児童の欲求,興味,創意性及び自主性などを重視する ことは,「民主的社会においては,教育はまた各人の人格を基礎としている。教育の求めるも のは,その社会の未成熟の成員の成長であって,奴隷化ではない・」 という認識に立っためで
一・
T0一
ある。註3錬成とは奴隷をつくるハード・トレー二γグという意味ではなく,道徳的な自律的 主体者を育成するハード・トレーユγグという意味に於て用いられねばならない。こ玉にか昼 げた標題の錬成ということばも上に述べた意味に於て使用しているのである。これより述べよ うとするところのものは善の認識にもとつく強烈な自己統制力を育成せんとする錬成の途を,
明敏な良心の確立の途とその良心の命令を貰徹する実行力育成の途の二方面から究明せんとす るものである。
へ
二,道徳的行動は各人の良心の判断にもつく決断によって遂行されるものである以上,道徳行 動の主体としての良心の育成は自己統制力の根源をつちかうということである。身を殺して仁 をなすというような強烈な自己統制も,道徳的行動の主体である良心の成長の上に可能となる ものである。故に自己統制力強化をめざす錬成はまつ良心の成長の過程を明らかにしつ坊明 敏な良心の確立を問題としなければならない。
人間は生れながらにして良心を持っているものでないことはも早今日では論ずるまでもない ことである。良心は生れて後の社会生活を通じて,即ち彼をとりまく人々の社会的期待との連 関を通じて成長してゆくものである。乳幼児はその初期に於ては自己の欲求しか知らない。ま た自己と外界との区別も知らない。このような未分化の状態から外界の存在に気づき外界の抵 抗を自覚する。両親ことに母親は乳幼児にとって自己の欲求を充足させてくれる愛情的存在と して,他方では欲求を制限する権威的存在として感ぜられる。乳幼児は母親からの期待に対し て敏感となり,賞讃と批難のかたちで示される社会的期待は乳幼児の行動を強く束縛する。彼 は成長するに従ってこの社会的期待を内面化してゆく。幼児は心のなかで命令する母親の声を くりかえし,その命令に自己を従わせようとする。か玉る内面化された社会的期待が良心と呼 ばれるところのものである。この幼児の良心は良心の成長の第一段階のものであって,フロイ トの云う幼児的な超自我である。この良心の特色は「親から獲得した超自我の部分は主として 恐怖から生じたものである・」 ということにある。註4親の子に対する期待は親の権威という かたちで子供の内面に浸透するとき,子供の行動を統制する超自我は恐怖以外の何ものでもな いということになる。あまりに強い恐怖感にいうどられた超自我は来るべき良心の成長の第二 段階への展開をおしとどめてしまうのである。叉,その反対にあまりに甘かされてそだてられ た場合には,そこに成立している超自我は影のうすい存在となり,自らの欲望を統制する力を 失ったものとなり,良心の次の成長段階に移行する途をふさぐことになる。幼児期に於ける善 悪の判断及びそれにもとつく自己統制がその超自我に由来するものである以上,幼児期にふさ わしい健全な超自我を育成することは重要なことがらであると言わねばならない。こ&に両親 の子供の育て方が問題となる。子供のそだて方の類型として,溺愛型,干渉型,放任型,拒否 型,民主型があげられている。溺愛型は子供の無制限な欲求を満足させようとするものであり 干渉型は親が神経質に子供のあらゆる生活に干渉し子供の欲求よりも親の欲求をおしつけるも のであり,放任型は自然を最:高の陶治価値とし,親が全く子供の生活に干渉せず子供の欲求満 足は子供の力にまかされている。しかしこの類型に於ては大抵の場合欲求満足は無軌道なもの
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