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19世紀初頭のフランスにおける保護主義論(2)

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(1)

19世紀初頭のフランスにおける保護主義論(2)

その他のタイトル Le protectionnisme francais au debut du XIXe siecle

著者 吉田 静一

雑誌名 關西大學經済論集

巻 11

号 5

ページ 453‑475

発行年 1961‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15500

(2)

通商条約について

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

I

V I

I V

︹ r r

人 弟

I

s

産業のシステムにおける革命の意義

吉田

九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵二︶

(3)

一商品の製品をひとりの人間の手に集中させること︑あるいは一商業部門の経営をひとつの都市もし

( 4 5 )  

くはひとつの会社

co

mp

ag

ni

e

に独占的にあたえることを目的とする

e ﹂

︑︑︑︑︑︑︑︑︑シャ︒フタルは︑ここで特権について︑ことさらに一般的な規定をあたえようとしているのではない

e

こんにちの

われわれが従来の豊かな研究からえた特権についての観念は︑絶対王制の産業規制とからみあいつつ︑それによっ

てあたえられた特権のことであり︑

れども︑しかしシャプタルにとつては必らずしもそうではない︒すでにかかげたごく一般的な規定が︑

の唯一の規定なのであり︑

ルが特権にたいして超歴史的な観念をいだいたことにもとづくものであるけれども︑しかしそれとともに︑

V I

︹ r r

それは︑われわれにとつてはまことに平面的なものである︒もとよりこれは︑ P r

i vi l e ge s  

I

そうしてそれは︑

国家の産業保護

産業革命前夜における国家と経済

I l

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

このゆえにフランス革命によって排除されるものであったけ

(4)

みずからがその発明者である産業部門を︑

他のすべてのものを排して経営する権限を認めることは︑政府にとつ

消費者の利益とともに技術の進歩にとつ ﹁他のすべてのひとびとを犠牲にして︑ひとりの タルのこの時代には︑特権︵ただし彼がいう意味での︶がまだその意義を完全に失っていなかったことにもとづくものであろう︒そうしてこのことは︑特権についてのシャプタルの細かい検討につれて︑明らかになっていくことと

さて︑彼は︑特権を二種に分け︑

人に認められた権限

f ac u l te

は︑ありうべき二つのばあいをふくむ︒

こなわれているばあいと︑

. て

それを個々に検討する︒ひとつは営業特権ともいうべきものであり︑他は貿易

そうでないばあいとがそれである︒前者のばあいには︑特権はひとつの不正であり︑後

(46) 

所有

pr op ri et

eから生ずるひとつの権利

d ro i t

アンシャン・レジームのもとであたえられ革命によって廃棄される特権とは︑

特権のことにほかならない︒シャプタルによれば︑

(47) 

つねに有用な競争を抑えることになる﹂のである︒しかし注意しなければならないことは︑

れとは区別されたもうひとつの特権を正当なものとして認めていることであろう︒つまり︑

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶. この前者のばあいの

て︑正しい行為であり︑決して優遇ではない︒それは︑当局が認めるべき権利なのであって︑個人への恩恵なので

(48) 

はない︒﹂これは︑しかし︑特権といつても︑それにつづいてシャ︒フタルが特許権について詳説していることから

も知れるように︑特許権を意味するものに近いといえよう︒まえに指摘しておいたシャプタルの︑特権についての 者のばあいは︑ここで直ちに気付かれるように︑われわ その産業部門がフランスで知られ︑すでにお 特権にあたるものである︒このうち前者︑つまり﹁他のすべてのものを排して一産業部門を経営するために︑

(5)

平面的な蜆念は︑ここから生ずるものといわなければならないが︑しかしこうした意味での﹁特権﹂がシャプタル

の視角からは︵そうしてやや大胆にいえば︑ッャプタルの時代においては︶無視しえない意義をもつていたことは︑見逃

ところで第二の貿易特権にたいしては︑

ではなく︑経験的なものであるといつてよい︒シャプタルにしたがえば︑

シャプタルはほぼ否定的である︒もつともそれは︑決して原則的なもの

いない国との貿易を開くこととか︑もう少し強い関係を確立することとかが問題となったとき︑

( 4 9 )  

gn ie s  pr iv il eg ie s

の創設が必要となった﹂のであった︒それは︑こうしたばあいの貿易にはしばしば大資本が必要

特権会社

co

mp

a

そうしてまた身柄および財産の護衛が必要とされたことにもとづく︒特権会社はこの意味でその創設をも

とめられたのであったが︑シャプタルはこれに加えて︑それが﹁実際に有用な役割をはたしたことは誰も否定しえ

(50) 

ない」と判断する。もとよりそれは、これら特権会社が海外市場の開拓にともなう困難を取除き、•その拡大をはか

ったことによるのであるけれども︑ただしシャプタルは︑特権会社にこれ以上の意義を認めようとしない︒

しわたくしは︑

算で働く個人は︑つねに︑会社よりもヨリ節約的であり︑ こんにちでは貿易業を全国民にたいして自由にすることが公共の利益である︑とおもう︒自分の計

( 5 1 )  

ヨリ勤勉なのである︒﹂そうしてシャプタルによれば︑

このことは︑前世紀末における︵つまり革命のなかでの︶︑特権会社をめぐつての長い激しい討論によっても︑

( 5 2 )  

インド貿易の結果によっても︑明らかにされたことであったのである︒ されてなるまい︒

そしてあまり開けて 0

(6)

(4 5)  C ha pt al ,  o p.   c i t . ,   p . 

3 7 1 .  

( 4 6 )

( 4

7 )

I b i d . ,   p .  

3 7 2 .  

( 4 8 )

Ibid••

 

p . 

3 7 3 .  

(4 9)

Ibid••

 

p .  

3 8 2 .  

( 5 0 )

( 5

1 )

I b i d . ,  

p . 

3 8 4 .  

(5 2)

インド貿易が特権会社によって支配されていたときの貿易星と︑それが自由となったきのそれとを比較してみると︑後者

c f .

t .   1 ,  

p . 

1 3 1 .  

さて︑以上から知れるように︑

ていた︒もとより︑革命は︑

︵いいかえればその社会的総体との関連を見失った︶評価のなかにあらわれているといわなければならない︒

注意を向けておくことのほうが大切である︒このシャプタルの時代は︑革命の成果が最終的に確認されその基礎の

うえに産業革命への途が切り開かれつつあった時代ではあったけれども︑しかし︑

かがえるように︑ シャプタルのなかでは︑産業のシステムにおける革命の意義が︑充分に自覚され

シャプタルのなかで社会構成の変換としての位置を明確にしめるものではなく︑した

そのことよりも︑彼が革命の成果を︑量的に実証しつつ︑確実に維持しようとしたことに︑

シャプタルの断片的叙述からう

( 5 3 )  

それにもかかわらずなお︑産業規制︑親方制︑同業組合の復活を叫ぶ声は︑跡を絶つていなかつ

たのである︒このことを考慮にいれるとき︑シャプタルがアンシャン・レジームにおける産業のシステムの弊害を

彼に特有の視角から生ずるものであり︑その弱点はとくに︑いわゆるコルベルティスムにたいするやや混濁した がつてその意義も︑たんに生産力の上昇として量的に︑そうして経験的に認められているにすぎない︒

(7)

もつと激しいものであったようである︒

棲説し︑革命の意義を力説したことの意味が理解できることとなろう︒シャプタルにとつて︑革命前における産業

のシステムとの断絶を強調することは︑ただたんに革命の成果を確認するにとどまらず︑現実的意義をももつてい

たのである︒

だが︑産業革命の前夜としてのシャプタルの時代における技術的基礎の狭溢さは︑ことに徒弟制度において︑革

命前における産業のシステムの継承をもとめることとなった︒もとよりそれは︑すでに親方制から切り離されたも

のとして︑しかもその意義を次第に小さくしていくものとして認められているにすぎないけれども︑しかし経過的

であれそれが認められていることは︑フランスにおけるこの一九世紀初頭という時代が︑微妙な位置をしめている

( 5 3 )

シャプタルの論述がフランス革命の成果を基礎にしていたことは︑

しかし彼の時代はそれほど安定した時代であったのではない︒革命の成果をくつがえし︑かつての権利を

ところで︑貿易政策となると︑ これまでのところでほぽ知りえたであろうけ

回復しようとした親方層の声も︑やはり無視しえないものとしてあったのである︒

に︑革命以降フランスは︑

︹ 二

ことをしめすであろう︒

いわゆる国民的産業を保護育成するために︑保護貿易のラインを設定し︑

企 岡

二 1 ‑

P

それはナボレ すでにわれわれの知ったよう

(8)

ものとして批難の対象であったことは︑およそ理解しうるところであろう︒シャプタルは︑

条約そのものにたいして否定的であるけれども︑

た経験にもとづくものであることは︑間違いのないことであるようにおもう︒ この時代の保蔑主義者にとつて︑

I

いするものであったことを注忍しておきたい︒ オンの﹁大陸制度﹂は︑とくにナボレオンの没落以後︑なかなか侮りがたい力をもつにいたったようである︒このばあい︑をはじめとする保護主義者の側は︑革命以降の貿易体制のもとで生産力が上昇したことに大きな自信をえていたことが窺い知れるが︑そのためこれにたいする自由貿易論の側からの反対は︑もっぱら原理的立場からのものであって︑禁輸制度にたいしてはもちろん関税そのものにたいしてもその撤廃をせまるものであった︒以下にわれわれが

みようとするシャ︒フタルの保護主義論は︑もとより︑この自由貿易論にたいする反論のうえに展開されたものであ

.

たんに理論としての自由貿易論にたいするものではなく︑現実の勢力としての自由貿易論にた

以下にわたくしは︑関税論を中心にして彼の保護主義論をみていくこととなるが︑

輸入禁止制とについての論述にもふれておくこととしたい︒

一七八六年のイギリスとの通商条約が︑

その論拠から推して︑ においてさらに拡充されることとなるのであるが︑

シャプタル

その前後で︑彼の通商条約と

フランス産業に大きな痛手をあたえた

のちにみるように通南

この一七八六年の通商条約からえ これにたいする自由貿易の側からの反対

! 

.  . 

_:_—--——----.

(9)

おこなわれるときには︑後者の側の損失となるからである︒﹁自国の工業生産物を土地生産物と交換する国は︑土 ここにかかげた五つの点は︑ 争に関係する︒

シャプタルによると︑ 一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

シャプタルが︑通商条約を必要かつ有用と認めるのは︑ごく限られたばあいのことでしかない︒工業生産物が価

格についても品質についてもおよそ比較にならないほど︑両国間の工業が不均等であるばあいとか︑社会の必要と

する特殊な土地生産物を調達するばあいとかが︑それである︒ところが︑

ことに不都合であり︑不幸な結果を生むのである

e

こうしたばあいを除けば︑通商条約はま

それをほぽ五つに分けているが︑

当事国以外の諸国を不利にみちびき︑後者の側からの報復を招くということである︒第一.ーは︑相手国の商品との競

﹁自国産業の製品とより完全な他国産業の製品との間の競争を︑一定の期間約定する国民は︑自国

( 1 )  

産業の不利をよび︑経営者の気力を失わせ︑労働の富を犠牲にし︑長期間︑みずから相手国の朝貢国となる︒﹂つ

いで第三︒﹁産業内に生ずる変動︑政治的諸事件︑文明の進歩は︑たえず諸国民の地位をかえるが︑それは︑しば

. ( 2 )  

しば条約の諸条件にそいえないあらたな利害関係を生ぜしめる︒﹂第四は︑条約の発効にともなつてはじめて認め

られるにいたった不利益は︑当事国間の争いを招くということであり︑そうして最後の第五は︑勢力の等しくない

両国間の通商条約は︑弱国にとつては従属にも等しいものだということである︒

く製造品の交換を約定するときは︑両国の利益は相互的であるが︑しかし︑

( 3 )  

﹁通商条約の性質に内在しているかにみえる不都合﹂である

けれども︑ところがこれに︑通商条約からえられるとふつう考えられている相互的利益についての﹁誤れる計算﹂

がつけ加わる︒というのは︑両国が︑相互に土地生産物の交換を約定するとき︑および相互に自国の原料にもとづ

工業製品と土地生産物との間の交換が

地から生ずる材料の価値を四倍にもする労働を︑すでに充用した︒したがつてその国は︑すでにその民衆を豊かに

(10)

シャプタルの︑通商条約にたいする否定的態度は︑もとより︑

一七八六年の通商条約からえた苦い経験にもとづ したのである︒ところが︑それとひきかえに︑木材︑羊毛︑亜麻︑大麻︑鉱産物︑穀物を提供する国は︑その生産

物に自国の勤労を加えなかった︒そのため︑前者のために︑莫大な量の労働をみずからみ捨てているのである︒こ

( 4 )  

のばあい︑交換にあたっての価値の均等はあるかもしれないが︑しかし利益の均等はないのだ︒﹂そこで︑ここか

らみちびき出されるシャプタルの結論は︑通鹿条約そのものにたいして否定的なものになる︒

業国

n a t i o n s ma nu fa ct un er es

  ̲ 

うとしても︑おどろくべきことではない︒また前者が︑条約を締結するためにつぎつぎと政略を用い︑力の優位を

( 5 )  

利用するにしても︑おどろくべきではない︒﹂そうしてシャプタルは︑その例証として︑

( 6 )  

の通商条約をあげている︒したがつて︑以上の結論が︑

ところで︑通商条約にたいして否定的であり︑そうしてその論拠が以上のとおりであるかぎり︑

かえつて貿易を自然の成行にまかせざるをえなくなるであろう︒そうしてそのなかにあって海外市場を獲得し維持

しようとするためには︑それを可能とする自国産業の発展をはかる以外に途はないこととなろう︒しかしそれこそ

は︑シャプタルの何よりも目的としたところのものであった︒そうして︑すでに知ったように︑

とで産業発展のための政策を提示し︑ は革命によって変革されていたのであったから︑このばあいシャ︒フタルは︑ただ︑革命によって成立した体制のも

それを推進していけばよかったのである

C

くものであったけれども︑しかしそれとともに︑

それを妨げる体制

フランス産業の発展にたいする強い期待と自信とにもとづくもの からえたものであることは間違いないであろう︒ 一七八六年の条約の苦い経験︵もとよりフランスにとつての︶ 一七八六年のイギリスと ﹁したがつて︑工業国が︑条約によって︑農業国との関係を保と

つねにエ

― ‑ ‑ ‑

---—ー・一、―·--·- 

(11)

︹ n ︺

A 岡 号 n

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

でもあったことを︑見逃してはなるまい︒ただしそのフランス産業の発展とは︑

な政策によって推進せしめられるものであったため︑そのかぎりここでは︑政府が﹁産業を奨励すること︑土地所

( 7 )  

有を保護すること︑外国製品をうけいれる条件を諸国に明示する公明な関税法を公布すること﹂がもとめられたの

シャプタルのばあい︑政府の適切

(1 )  Ch ap ta l,

 

p .  c i t . ,   p . 

2 4 0 .  

(2 ) 

I b i d . ,  

p . 

2 4 0 .  

(3 ) 

I b i d . ,  

p . 

2 4 1 .  

(4 ) 

I b i d . ,  

pp . 

2 4 1  

│ 

2 .  

(5 ) 

I b i d . ,  

p . 

2 4 2 .  

(6 )

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(7 )  C ha pt al , 

p . 

c i t . ,   p . 

2 4 5 .  

保設制度が︑歴史上︑﹁製造業者を製造し︑独立の労働者を収奪し︑国民の生産手段および生活手段を資本化⁝

( 8 )  

⁝するための人為的手段であった﹂ことは︑われわれにはすでに周知のことに属する︒ところで︑これもここであ

らためてのべるまでもないことであろうが︑この保護制度の核心をなしたものは︑保渡関税であった︒したがつて

(12)

ヨーロッ︒ハ北部の工場の生産物が輸入にさいして支 このかぎり︑保護関税は︑近代資本主義の生成史上︑無視しえない意義をになっていたといえる︒以下にわれわれがみようとするシャプタルの保護関税論は︑このことを文献的に確認するこどとなろうが︑まずはじめに︑それが自由貿易論にたいする対立と批判とのなかでみずからを確立するものであることをみておきたい︒

シャプタルは︑関税の廃止をもとめる自由貿易論にたいし︑

らはほど遠い︒この意見とたたかうためには︑

( 1 0 )  

ある﹂という︒それでは︑関税の廃止によって生ずる結果とはいかなるものか︒それは︑外国産業との競争にたい

するフランス産業の敗北であり︑

ば︑われわれは︑やがて︑

るのをみるであろう︒なぜなら︑

払う高い関税にもかかわらず︑ ︹関税の廃止︺ののちに生ずる結果について考察するだけで十分で

それにともなう工場閉鎖であり︑失業の増大である︒

これらの工場

f ab r i qu e s は ︑

﹁もし関税がなかったなら

四 ︑

000万フラン以上の鉄のために準備されている多数の設備

et

ab

li

ss

em

en

s が倒れ

それらと競争できるかできないかのところだからである︒われわれは︑設立されて

日があたらしく︑まだ十分な力を獲得していない︑そうしてまた外国製品とたたかうのに十分な資本を装備してい

ない︑綿紡績︑綿織物︑綿︒フリントの立派な職場が閉鎖するのをみるであろう︒われわれは︑外国製品に課せられ

た関税もしくは輸入禁止の保障のもとでしかなりたたなかった︑貴重な金物製造工場が消えていくのをみるであろ

う︒こうしてわれわれは︑その生活の基礎をこのあたらしい産業部門のうえにおいている︑活発で勤勉な多数の住

( 1 1 )  

民を貧困におとしいれるとともに︑工場︑設備に投下された巨大な価値の資本を失わせることとなるであろう⁝⁝

こうした議論にたいしては︑おそらくさまざまな反論が加えられたのであろうが︑

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶ そのなかでシャ︒フタルが反批

この意見に賛成するところか

(13)

こうした反論は︑ 一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

いこれら失業者はこれを農村にかえせばよい︑ということであったらしい︒しかし︑ 判のためにとりあげているもののひとつは︑やや幼稚な反論であるけれども︑自由貿易によって生ずるかもしれな

この当時の

フランスではすでに農村人口の都市への移動をみていたとはいえ︑まだ農村の過剰人口が意識されていた時代であ

( 1 2 )  

ったことを思えば︑やや現実性を欠くものであったといわなければなるまい︒そのうえ︑都市人口の農村への逆流

によって生ずる変動は︑それ自体決して好ましいものではなかったにちがいない︒現実的な立場にたつシャプタル

︵ 知

﹁形面上学的抽象の迷路﹂にほかならなかつだのである︒

しかし︑自由貿易論の側からのもつとも有力な反論は︑おそらく︑消費者にとつて廉価な商品の流入は有利であ

る︑という︑みずからを消費者の立場にたたせての議論であったであろう︒シャプタルがこれをとりあげているの

はもとよりのことであるけれども︑ただし彼は︑これにたいして正面からこたえようとせず︑巧みにそらして貿易

( 1 4 )  

収支を問題にする︒つまり︑外国商品の危大な輸入にたいしていかに収支をつけるか︑ということを問題とするの

これにたいするシャプタルの計算は︑悲観的なものである︒すなわち︑当時フランスにとつて有利な輸

出品目とふつう考えられていたものは︑何よりも農産物であり︑工業生産物では薄手の毛織物およびリヨンの絹織

物が考えられたらしいが︑ところがシャプタルによると︑フランスは︑これらをもつてしても︑外国商品の輸入額

に見合うほどの輸出はおろか︑その半分の輸出額を期待することさえ︑およそ不可能なことなのである︒これは︑

短期的にはもとより︑長期的にもいえることであろう︒であるとすれば︑自由貿易論者は︑

る義務をもつこととなろう︒ この問題にまずこたえ

自由貿易論の側からの反論は︑以上のかぎり︑決してシャ︒フタルを納得させるものではなく︑却つて保護関税の

(14)

簡潔な表現ながらしめされているといつてよいであろう︒

﹁近代﹂史についていえ 必要性とそのもとでの産業の﹁完成﹂A

perfectionnement

とにたいする確信を強めるにいたるものであった︒

彼によると︑﹁すぐれた関税立税

l e g i s l a t

i o n

de   do

ua

ne

s

は︑農業および製造業

l ' i n d u s t

r i e

a gr i c ol e e t  

  m

an

uf

ac

tu

ri

er

e 

の真の安全弁﹂なのである︒そうして﹁それは︑状況と必要に応じて国境における関税を上下させる︒それは︑わ が国の製造業が労働力あるいは燃料の比価のなかに見出すかもしれない不利を相殺する︒それは︑輸入禁止措置に よって幼い技術を保談し︑完成のあらゆる段階を吸収しえたのちでなければ︑それを外国との競争にゆだねること

をしない︒それは︑フランスの産業上の自立

in

de

pe

nd

an

ce

i nd u s tr i e ll e

を確保しようとする︒そうしてまたそれは︑

⁝⁝富の主要な源泉である労働をもつてフランスを豊かにす]のである︒ここには︑関税立法の意義と効用とが ところで︑以上の結論は︑関税の撤廃をもとめた自由貿易論にたいする反論のなかからえられたものであったが︑

この当時のフランスには︑関税の撤廃ではないが︑その率を従価一五形におさえようとする論もまた︑根 強くおこなわれたようである︒それは︑﹁輸入商品に一五形の関税を課しても︑それと競争できない製品は︑政府

( 1 6 )  

の保護に少しも価しない﹂という論拠をもつものであったらしいが︑これにたいするシャ︒フタルの反論は︑諸国間

揺藍時代をもち︑ における産業の不均等的発展を根拠にしていて︑まことに興味深いものである︒彼によると﹁すべての技術はその

こんにちの完成状態には︑徐々にしか到達しない︒この完成

pe

rf ectionnemens

は︑知識の結果で

あったし︑諸民族間で決して同じでなかった需要の結果であった︒その結果︑技術の進歩は︑その発展に影響をあ

たえた諸原因とともに異らざるをえず︑

( 1 7 )

ということとなったのである︒﹂この︑諸国間における技術

1

産業の不均等的発展は︑

1

その繁栄もまた到る処で同じであるわけも︑同じであるはずもなかった︑

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

(15)

さて︑生産力におけるイギリスとフランスとの落差は︑制度的段階の落差と絡み合うものとして︑

よって自覚されていた︒それについては︑まず︑産業規制と革命によるその廃棄との問題にふれておこなわれた︑

つぎの記述がわれわれの注意をひくであろう︒﹁先例としてわれわれに役立ちうるイギリスー│'それは︑

こんにち技術において高い完成度に達しているからである|—ーもまた、かつて製造規制

reglemens

de   fa b r ic a t io n

ほとんどわが国のものと同じほど厳しく︑

こなわれた革命は︑

その発展がはじまるのは︑ もつていた︒

そのもとでは︑産業はほとんど進歩しなかった︒しかし︑十七世紀にお

これらすべての規制を廃棄し︑

この時期からのことなのである︒この王国の繁栄は︑

て︑その時代の諸発見︑諸知識の有益な適用によって︑

の権力の二つの基礎であることを感じ︑可能なあらゆる手段をもつてそれらを奨励したことのために︑順次大きな

ものになった︒このようにしてイギリスの産業が︑あらゆる拘束から解放されたとき︑わが国の産業は︑まだ赤児 エドワード四世︑リチャ4

いたかについて︑

ふれておきたい︒

ば︑もとより︑

( 1 8 )  

し﹂てきたことのなかに︑ イギリスの産業が︑

そのもつとも端的な表現を見出した︑といつてよいであろう︒そうしてこのばあい︑

ランスもまたその属国の︱つであり︑そのゆえにそこから脱け出るための︵したがつてイギリス産業と対抗するための︶

努力茄︑このシャプタルの時代まではらわれてきたのであったけれども︑それについては︑後にふたたびふれるこ

ここではやや廻り道をして︑

シャプタルが生産力におけるイギリスとフランスとの落差をいかに自覚して

よ ︑

ヘンリー七世およびヘンリー八世の法規

l oi s re gl em en ta 1r es

  ̲ 

工業と商業に︑ シャプタルに

それらがもとめた自由を︑あたえた︒そうして

その遠隔地の領土の大きさによっ

そうしてなかんづく︑政府が早くから︑商工業はみずから 諸部門にわたつて繁栄し︑

. '  

他のすべての国を︑

その製品の属国に

(16)

を創出したのに反し︑フランスの紡納業は︑ ると︑機械紡紹において六十年も先んじたイギリスでは︑

( 2 0 )  

の撥根に包まれていたのである︒﹂ここにみられたように︑

に深くとらわれていたため︑

ることとなるが︑

最初の払込資本の利子が︑長期 ﹁われわれがあらゆる製造部門を網のなか シャプタルは︑

規制﹂の廃棄が︑イギリス産業の発展をもたらしたこと︑ところが他方︑この時代のフランス産業は︑﹁産業規制﹂

その発展をみることができなかったことを確認し︑

的•生産力的段階の落差を認めていたのである。そうしてこの落差が、直ちに、海外市場におけるイギリス商品の

優越としてあらわれたことも︑彼の認めるところであった︒彼は︑ジョサイア・チャイルドが﹁産業規制﹂の有害

性についてふれた叙述を引照しながら︑つぎの指摘をおこなっている︒

にからめられているときと︑ちょうど同じ時期に︑

フランスは︑制度的にも︑したがつて生産力的にも︑

フランスにたいして常に先進的であった︒このため︑

イギリスにおける機械の利用が︑

ほとんどすべての部門にわたって︑ この二つの国の間にみられた制度

イギリス産業にあたえられたこの賢明な勧告は︑

ぜ全世界の販路をおさえたか︑他方わが国がなぜ一世紀もの間停滞状態にあったのか︑

( 2 1 )  

説明している︒﹂ イギリスがな

その理由をきわめて明瞭に

イギリスに立ち遅れた︒そうして以後︑

フランスの産業は︑

たえずイギリスの側圧をこうむ

それをさらに著しくしたことは疑えない︒フランスの産業は︑

イギリスと競争することが困難となったのである︒その例を綿紡緒にとつてみ

﹁最初の設備費はすでに回収され︑利潤があらたな資本

こんにち設立されたものであって︑

間︑製造の利潤のなかにふくまれなければならない︒資金の貸手に恵まれ︑自己資本の豊富な︑イギリスの製造業

者は︑競争相手国の産業を抑圧するために︑犠牲を払うこともできる︒フランスの製造業者は︑法律によって保設

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶ 一方で︑十七世紀の革命による﹁産業

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一 --—---- ‑ ・ ‑ ・ ・ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ .~--'-

(17)

以上にみたとおり︑諸国家間における産業の不均等的発展は︑

﹁近代﹂において︑イギリスの諸産業部門におけ ﹁いかなる輸入関税も払わない自由な輸 されなければ︑スの生奎力の差は︑価格差となって石炭業にもみることができた︒

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

( 2 2 )  

それに対抗しうる何ものをももつていない︒﹂これほど著しくはないけれども︑イギリスとフラン

イギリス人は低い価格でわが国の港に石炭を運送することができるが︑それは彼らを有利にしており︑わ

(23) 

れわれはいかにしてもそれを埋め合わすことができない︒﹂したがつて︑

入がイギリスの石炭に認められるならば︑やがて︑フランスの北部および中部の豊かな炭坑が閉鎖するのをみるで

( 2 4 )  

あろう︒﹂事情は︑製鉄業についても同じであったであろう︒それについては︑まえに少しふれたけれども︑ここ

ではシャプタルが︑燃料の価格差を重視していることに注意しておきたい︒フランスにおいては︑北ヨ

( 2 5 )  

ーロッパやイギリスにおけるよりも高いかぎり︑わが国の鉄と外国の鉄との間の競争は不可能である︒﹂

る繁栄をもたらし︑

それに追いつくための努力を払わなければならなかった︒そうしてこのばあい︑

機械紡績︑金物製造︑綿織物︑薄手の毛織物などが同時に︑その努力の対象となったのであったが︑それらの部門

( 2 6 )  

でイギリスとの競争を維持するためには︑機械の利用におもむかなければならなかった︒だがそれは︑たんに機械

を移入し︑技術を移植するだけでその目的を達するものではなかったであろう︒機械による生産が軌道にのるため

••

その前提として︑

それに必要な時間と経験とが必要であったにちがいない︒このかぎり︑シャ︒フタルのつぎ

の疑問は正当なものであったといつてよい︒﹁機械を輸入し︑伝えられた若干の操作方法にたよるだけで︑あらゆ

( 2 7 )  

る部分にわたってこれらの難しい技術を自分のものにしたと信ずることができたであろうか︒﹂もとより︑

が︑シャプタルにとつて保護関税の論拠になることはのちにみるとおりであるが︑それとともに︑それが︑機械制 ﹁採掘が容易なために︑また鉱山が海岸に近い

(18)

なつていただろうか︑ 生産の開始

1

1

産業革命の進発と︑先進国の機械の移入ないし先進的技術の移植とは決して同じことではなく︑前者

のためにはその前提として広い技術的・社会的地盤の形成が必要であったことをしめしていることに︑注意すべき

それはともあれ︑

する論にとつては︑ フランスは︑機械による生産のための努力を開始したが︑しかしシャ︒フタルによると︑その日

のまだ浅い時代には︑それはイギリス産業の生産力に及ぶべくもなかった︒そうしてそのことは︑直ちに著しい価

(28) 

格差となってあらわれたのであった︒ところで︑この著しい価格差は︑関税率を最高一五︒ハーセントに抑えようと

発展を考えるシャ︒フタルにとつて︑

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の案を拗棄しなければならなかったのだろうか︒

成しなければならなかった︒これがまた︑これまで続けてきた歩みなのであり︑

業がこんにち︑ フランス産業の存在と発展を拠棄する根拠となったであろう︒だが︑何よりもフランス産業の

それはゆるしがたいことであった︒﹁この︑製造業の征覇

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そうしてわれわれは︑わが国の産

( 2 9 )  

それをわれわれに伝えた国の嫉妬をよびおこす完成度にまで︑達したのである︒﹂ところが︑﹁もし︑

われわれのこころみ︑われわれの研究︑われわれの手探りが続いた︱二年から一五年の間︑輸入禁止によって︑外

国製品を競争から遠ざけなかったならば︑

シャ︒フタルの議論には︑時折︑ フランスの栄誉︑栄光︑富をなすこのすばらしい産業は︑

(30) 

一五︒ハーセントの徒にたずねたい︒﹂

フランス産業の発展のテンボにたいする過信がふくまれていて︑しばしば︑保護

関税をもとめる立論そのものを混濁させてしまうことになりがちであるけれども︑しかしともかく彼にとつて︑以

上の議論が過去のものではなく現在のものでもあるという確信は揺らいでいない︒

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶ このことをわたくしは︑︹関税率︺

﹁これらの産業部門が繁栄して それは続けなければならなかったし︑

いったいどう みずからを完

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(19)

ものであった︒したがつて︑再びくりかえせば︑

﹁よい関税制 一七八六年の通 いるこんにち︑製品の価格についても品質についても︑もはやのぞむべきことの何ひとつないこんにちでも︑外国の工場との競争を開くことになる一五︒ハーセントの関税は︑フランスに現存するあらゆる工場設備を︑その根底に

いたるまで揺さぶるであろう︒わが国の商店は︑数日のうちに︑輸入商品で充たされるであろう︒それらは︑わが国の産業を圧殺させるために︑どんな値段ででも提供されるであろう︒わが国の製造業は︑その営業主にとつて外

国のそれと同じ犠牲を払うことができないため︑活気を失うこととなろう︒そうしてわれわれは︑

( 3 1 )  

商条約の後に生じた事態が再生するのをみるであろう︒﹂

さて︑以上の略述から知れるように︑

シャプタルの保護関税論は︑自由貿易論ないし低関税論にたいする批判の

なかで形成された︒そうしてそれは︑先進的な外国製品の競争にたいして自国産業を保護するという意義をになう

ただひとつの目的をしか立てるべきではない︒そ

(32) 

フランス産業が外国産業と有利に競争しうるような関税を設けるという目的である﹂ということになろう︒

このシャ︒フタルの保艘関税論には︑なお︑注目すべきことが一︑二残されているようにおもわれる︒

その一っは︑保談関税の実施にあたって︑対立する諸利害をいかに調停するかという問題であり︑もうひとつは︑

さらにそのばあい︑いかなる部門の利益を優先させるべきであるか︑という問題である︒

関税制度をめぐつて諸利害が競うことは︑あらためて言うまでもあるまい

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sy st em e de  d ou an es

ということは︑おそらく︑公行政が提出するあらゆる問題のうち︑もっとも解決困難な問駆]なのである。たとえば、農業部門は、農産物(食料•原料)の輸人禁止をもとめ、工業部門は、原料輸入の自

由と製造品輸入の禁止をもとめるであろうし︑商業部門は関税なしの輸出入を︑そうしてまた消費者は安価な外国

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