イギリス近代機械工業成立の一基盤
その他のタイトル The Rise of Engineering Industry in England
著者 角山 栄
雑誌名 關西大學經済論集
巻 13
号 4‑6
ページ 403‑421
発行年 1963‑12‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15428
403
産業革命が誰の眼にも明らかに︑ ジョン・エイキン
(J
oh
n
Ai
ki
n)
は産業革命開始期︵一七九五年︶のマンチェスクー周辺三〇し四0哩の風物誌を
( 1 )
かいている︒一七九五年といえば︑綿工業や鉄工業における基本的技術革命が完了し︑それにもとづいてイギリス
マンチェスクーを中心とした周スビードを増しながら進行していた時期であり︑
辺 三
O
四0哩︵こんにちの交通手段では一時間以内の距離であり︑当時の交通手段では一日以内の距離であった︶の地域
は︑まさにその中心地帯であったことはいうまでもない︒エイキンもまた﹁とくにとり上げて調査する価値のある
( 2 )
工業地帯として﹂こAを選んだのである︒
彼がとり上げている地域圏の中には︑綿工業の心臓部としてのマンチェスター︑その周辺を衛星のごとくとり巻
いている
B o l t o n , Bl ac kb um , W i g a n , S t o c k p o r t A , sh to n
などの新興工業都市︑
We st R i d i n g o f Y o r k s h i r e
に散在する
L e e d s , H a l i f a x , B r a d f o r d , a W ke , f i e l d , H u d d e r s f i e l d , S a d l e w o r t h R , o c h d a l e
などの毛織物工業地帯および匁物業︑鉄器工業で有名な
S h e f f i e l d イギ リス 近代 機械 工業 成立 の一 基盤
︵角 山︶
を含めたランカシャーはもとより︑ 角
イギリス近代機械工業成立の一基盤
二五
およびリヴァプールの大海港 山
栄
者
(s ma ll pr op ri et or s)
が入ってきた彼らの家の廻りに土地を購入し必C 推進しつヽあったことは疑いない︒彼はこれらを相互に有機的に結びつける機能を果していた運河網の役割を︑と シャーの製塩地帯もこの中に含まれる︒そしてこれらの工業地域が相互に有機的な連関を保ちながら︑産業革命を
いまエイキンの叙述にしたがって︑
るが
︑
この新興工業地帯の産業分布を詳細に説述する余裕をもたないのが残念であ
そのもっともいちじるしい特徴をあげるならば︑たんにマンチェスターが新興の綿工業をもって急速な発展
を開始しつAあったばかりでなく︑同時に周辺に散在する多数の炭坑が︑しばしば鉄工業と結びつきながら隆盛に
赴いていること︑さらに特徴的なことは︑綿工業の機械化を支える機械工業が︑同時にこの工業圏のなかで成長し
この地方ではすでにョーマン層が消滅して両極分解が急速に進んでいたこと
﹁かつてその数も多く︑かつ尊敬されていたヨーマン層も︑その多くが商工業に転身したために︑多数の小生産
彼らは主として工業に依存しているが︑
(3) 要に応じ多様な方法で耕作にも従事しているのである﹂と︒
註
(1 ) Jo hn Ai ki n,
A
De sc ri pt io n of h t e C ou nt ry fr om th i r ty t o forty
i M le s r ou nd Ma nc he st er . Lon do n, 1 79 5,
x
i 624 + p p . (2 )I bi d・
︾i v ・
(3 ) I bi d . , p .
23 .
を︑彼はつぎのようにのべている︒ はじめていることであろう︒
また
︑
くに力をいれてのべているのである︒ を包摂するとともに︑ダービーシャー北部の
Pe
ak
地方の鉱山地帯も︑
開西大學﹃網済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号
スタフォードシャーの陶器業地帯︑
二六
チェ
405
イギリス近代機械工業成立の一基盤︵角山︶
二七
ところで︑ランカシャー綿工業の急速な発展については多数の文献や研究があってあまりにも有名であるが︑こ
こではむしろ従来不当に無視されてきた他の側面ーーイギリスにおいてさえいまだにまとまった一冊の研究書さえ
ない ー!
︑
つまり綿工業とならんで同時に機械工業
(m ec ha ni ca l en gi ne er ng )
が急速にランカシャーで発展したこ
とに注目したいと思う︒すなわち︑ランカシャーはやがて一九世紀に入ると︑綿製品ばかりでなく︑綿業機械︑蒸
気機関︑ボイラー︑エ作機械︑さらに鉄道車輛︑鉄橋︑ガス製造プラントその他広範囲にわたる各種機械を生産す
( 1 )
るようになる︒
こうしたランカシャー工業にみられる綿工業と機械工業の同時並行的発展の特徴は︑偶然的な現象であろうか︒
もとより工業の機械化が進むということは︑機械を製造する部門が独立の産業部門として成立することを意味し︑
( 2 )
交通手段が幼稚な段階では︑地域的にも当然消費財生産部門と生産財生産部門とが近接して併存するはずである︒
ところで︑もっとも最初に産業革命を経過したランカシャー地方の工業発展過程を︑われわれはつぎのようなイメ
資本の形態であり︑それは繊維工業とりわけイギリスでは毛織物工業︑ランカシャーでは綿工業によって代表され
る︒マニュファクチャーにおける高度な分業にもとづく協業は︑生産性を一そう高めることによって機械制生産へ
転換する︒その結果二部門分割の産業資本の再生産軌道が確立する︑と︒すなわち︑繊維工業におけるマニュファ
クチャーの発展度が生産力の尺度と考えられたり︑繊維工業マニュファクチャーが︑打出の小槌のごとく産業資本 ージをもって描いてきたように思う︒つまり︑マニュファクチャーが産業革命の前段階におけるもっとも代表的な
Mu se um
でいま尚動いている彼の初期の蒸気機関は︑中世以来の水車とかたちは非常によく似ている︒
恰かも初期の自動車が馬車にそっくり似ているように︒
チャーの果した役割を否定できないとすれば、繊維工業におけるマニュファクチャーと並んで•こうした時計だと
か︑水車とか︑馬車とかの製造と結合していたマニ`ュファクチャー︑あるいは時計エ︑水車大工︑鍛冶工などの果
( 4 )
した役割がもっと強調されていAのではないかと考える︒わが徳川時代︑とくにプルジョア的発展の開始期といわ
れる徳川中期から末期にかけて︑果して時計とか水車とか馬車とかの生産があったか︒マルクスものべているよう
なこうした部門におけるマニュファクチャーは日本において果してみられたのかどうか︒
チャー時代について︑とくにその再生産構造を研究したわけではない︒けれども︑彼はマニュファクチャーを類型
的に整理することによって︑ S c
i e n c e
これらマニュファクチャー相互のもつ社会的経済的関係を暗示していた︒決して繊維
工業におけるマニュファクチャーだけが産業革命を準備したマニュファクチャーではなかったのである︒ ムズ・ワットの発明した蒸気機関は︑ の再生産に必要なすべての部分を生み出すという幻想を懐いてきたおそれがなかっただろうか︒もとより︑鉄工業や金属工業の重要性はしばしば指摘されてきたし︑またこうした部門のマニュファクチャーの研究もないわけでは
( 3 )
ない
しかし︑イギリスヘきてみた実感からいえば︑産業革命以前の紡績機や織機については︑わが国のそれと比べて ︒
一寸私たちの想像を絶する程の精巧なものであった︒またジェー
人類史の上に画期的な影響を与えたことはいうまでもないが︑
(c lo ck a nd wa tc h)
の機械装置をみたときには︑ 決して驚くに値するほどのものではなかったけども︑
ロンドンの
つまり︑イギリス産業革命の前段階についてマニュファク
マルクスはマニュファク 一七世紀及び一八世紀はじめの製作になる多数の精巧な時計 鵬西大學『網清論集』第十三巻第四•五・六合併号
ニ八
407
註
(1 ) A. E. Mu ss on an d E
. Robinson, ^
Th e O r i‑ g in s f oE ng in ee ri ng n iLanca
sh ir e' (f ou
r ,
君l
of E co n. Hist•
V ol . X X . N o. 2 . 19 60 ,
p .
2 1 0 . ) (2 )
交通革命がこうした地域間の距離をちゞめる
のに作用し︑後進国の産業革命では︑むしろ
両部門は必ずしも地域的に近接しているとは
限らない︒運送費が立地条件を規定する︒
(3 )
とくに大河内暁男氏の近業﹃近代イギリス経
済 史 研 究 ー 国 内 市 場 の 研 究 ー
﹄ に 注 目 し た
し︑ ︒
(4 ) 産業革命期の工場
( m i l l , f ac t o ry )
をつくる
のに軍要な貢献をしたのが水車大工
( mi l l , wr ig ht s) であり︑そのなかでも有名なのが Ja me s Br in dl ey
と
Jo hn Re un ie であ る︒ Mu ss on an d Ro bi ns on ,' Or ig in s o f En
,
g in e e ri n g '( o p . c i t . , p .
2 1 1 ) c f , W .
Fa ir ba ︑ i r n ,
A
T re a t is e o
n M i ll s A nd Mi l l wo r k ,
2
v o l s .
1861ー
3,
e s p , V o l .
I,
c h
a ps . V
‑V I.
イギリス近代機械工業成立の一基盤︵角山︶
Burnley
゜
Bl,ckburn
゜H,sl゜ingdon
釦 ~'P
Bradford
゜ Le゜eds
Halifax
゜
O,m,kfrk
゜ Wigan ゜
Bolton'
゜
Rochdale
゜
Bury
0 Oldham
゜
Manchuta
仁 Mottram
二 ゜
九
Huddmfield
゜
、Woodhead
゜
Sheffield Knutsford ゜
゜Naocl邸field'
゜
Che,te, 0
その数は
t u
r n
e r
n a
d
s h u t
t l e
ma
ke
r
といった職名は︑
九七
︑
一八
00年の人名簿
( d i r
e c t o
r i e s
) にな ると
︑
一八世紀前後の二0年間の機械工業の発展がよくあらわれて
プリ キエ
︑ 針金 工︑
木工
︱二人︑時計エ
( c l o
c k a
n d
w a t
c h m a
k e r )
水車大工
( m i l
l w r
i g h t
)
P r e s
c o t ,
St•
He
le
ns
を含めた
Me
rs
ey
河北岸の諸都市およびその周辺の農村地帯であった︒
一七 七二
l七三年の
E l i z
a b e t
h
R a f f
a l d '
s D i
r e c t
o r i e
s
には
︑
一人︑鉄鋳物工
( i r o
n f o u
n d e r
)
1ヽ人︑鍛冶エ
( s m i
t h )
( b r a
z i e r
o r
b r a s
s f o
u n d e
r )
/
ビン 製造 工︑
︵大 工︑ 指物 工︑
Ma
nc
he
st
er
,
Wi
ga
n,
W
ar
ri
ng
to
n,
真ちゅう細工工
︱二
人︑
L i v e
r p o o
l ,
その他多数の
ろくろ工を含む︶がみられる︒ところが一七八八︑九四︑
いる︒例えば︑織機︑検︑おさ︑糸巻きなどの製造工の数がいちじるしく増加している︒これらの多くは︑かつて
の大工であり︑指物工であった︒
j o i n
e r
an
d l
oo
m m
ak
er
, t
u r
n e
r a
nd
lo
om
mak
er
, j
o i n e
ar
nd
sh u
t t l e
ma
ke
r,
( 1 )
その過渡的形態をよくあらわしている︒一七八0年代の終り頃︑
Ja
me
s
Ba
te
ma
n
は
Wi
ll
ia
m
S h
e r
r a
t t
との︒ハートナーシップで蒸気機関の製作を始めた︒
D u
k i
n f
i e
l d
に溶鉱炉をもち︑主としてランカシャーの工場に蒸気機関を供給した︒
( 2 )
Bo
ul
to
n a
nd
Wa
tt
会社の製品より多かったであろうといわれている︒
S a l f
o r d
にあ り︑
その後︑綿業機械メーカーとして大きく発展したいくつかの会社も︑ 彼らの主要工場は
この頃創業したものが多く︑例えば︑
Ga, 一人のほか︑鉄器商
( i r o
n m o
n g e r
)
七人
︑
( e n g
i n e e
r )
とよばれるものはいなかったけども︑ 例えばマンチェスクーおよび
I r ‑ w
e l l
をへだてA隣接する
S a l f
o r d
では
︑ 一七
七0年代はじめには︑
さて
︑
一八世紀末のランカシャーの金属加工業の中心地は︑ 隔西大學﹃纏済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号
゜
機械工
I ‑ ‑ ‑ ‑
409
とは明らかであるが︑ l
lo wa ys
は一七九0年の創業で︑
( 4 )
Ke nn ed y C o. ,
Adam
an d G eo rg e M ur ra y, i W ll am Wr ig ht もこ の頃
︑
改良で知られていたし︑
カーとなっ芍︶一八二五年には︑
Th om as
C•
He we s
も一七九0年代のはじめにマンチェスターで店を開き︑綿機械メー
ローラー・メーカー︑
( 3 )
その初期には主として木製水車のギアをつくっていた︒また
Mc Co nn el
マンチェスクーに二四の鋳鉄所︑三七の機械製作工場︑その他多数の真ちゅう鋳
( 6 )
スビンドル・メーカー︑栓ひき物細工所があったといわれる︒
こうして綿工業の産業革命の中心地マンチェスターには︑同時に機械工業がほうはいとして勃興しつAあったこ
マンチェスターをとり巻く多数の工業都市もまたマンチェスターと同じような過程を辿りつ
A︑ある地方では特殊専門化が一そう進展しながら機械工業が勃興しつAあった︒それについて若干の衛星都市を
とり上げてみよう︒
註
(1 ) Mu ss on n a d R ob in so n, 'O ri gi ns f o En gi ne er in g' (o p. i t . c , p p. 21 3‑ 4. ) (2 ) Mu ss on n a d R ob in so n, 'T he Ea rl y G ro wt h o f S te am
Power•(Economic
Hi st or y R ev i e w, 2n d Ser••
V ol . XI•
No . 3 , 1 95 9 , p p 418-39.)なおマンチェスターの一八世紀末の機械工業についてはかんたんには、W•.
H .
Ch al on er ,' Th e Bi rt h o f Mo de rn
Manchester•
i n Th e B r it i s h As so ci at im Vo lu me , 1 96 2 , "
Ma nc he st er an d i t s Re gi on
"
p . 13 4
を
みよ
︒ (3 ) 一 八一 ︱
10
︑ 四 0年代にはポイラーの製造にうつる︒J.
Cl ap ha m, T he Ec on om ic i H st or y o
f M od er n B r it a i n, V ol . I , p .
4 4 7 . な お︑ Ga ll ow ay s o f K no tt Mi l l a nd Ardwickについては、G•
H .
Tu pl in g, 'T he Ea rl y M et al Tr ad es an d th e B eg in ni ng s o f En gi ne er in g i n Lan ca sh ir e' (T ra ns at io ns o f La nc as hi re a nd h e C s hi r e Antiquarian
S o c i e t y , V ol . L XI . 1 94 9 p p . 2 8£ )
をみよ0
(4 ) Mc Co nn el a nd K en ne dy
は︑初期の時代には紡績業者であり︑機械メーカーであった︒
G.
W .
D an i e ls , T he Earl y
造所
︑
イギリス近代機械工業成立の一基盤︵角山︶ マンチェスターで︑とくにミュールの
an d
周辺の荒地に立つ農村の生業となっていたこと︑及び当時すでに近辺の炭坑が︑
( 5 )
に︑この地方の燃料となっていたことをのべている︒ランカシャーの産業革命は︑ あ
る︒ (2)
一六世紀中頃リーランド
(L el an d) は ︑
ところに見出され︑
(1)
阻
g l i s h C o t t o n I n d u s t r y , p p
1.
24 n ,
128~
照︒ この 会社 の社 史と して
A
C e n t u r y o f F i n e C o t t o n S P i n n i n g
1790
‑1906. M a
n c h e s t e r
1,
90
6,
p u
b l i s h e d by c M co nn el an d K en ne dy Co . がある︒ (5 ) M us so n a nd R o b i n s o n , ' O r i g i n s o f
Engineering'(op·dt••
p .
21
8.
)
(6)G•
H .
T u p l i n g , o p . c i t
・ , p .
26 .
Ol dh am Bo
lt on
マンチェスクーの北東約五哩にあり︑
市場向けのための帽子製造業と強カファスチアン工業が︑かなり大規模に営まれている︒また石炭が大量にいたる
( 1 )
マンチェスターに多量の石炭が送り出されている﹂とのべていて︑機械工業の朋芽については
沈黙しているものの︑
( 2 )
である︒一八二五年には︑
Ol dh am には 一
0の鋳造所︑ニ︱の機械製作所︑五のローラー及びスビンドル・メーカ
( 3 )
ーがあったといわれるように︑ 一八世紀末に有名な
As a Le es an d C o.
が綿機械製作の操業を開始していることは明らか
四
水力にめぐまれていた
Bo lt on
エイキンは﹁こA
にお いて は︑
主としてマンチェスター
マンチェスクーに匹敵するような発展を示している︒明治初期に日本へも大量の紡
績機を輸出した
Pl at t Br ot he rs an d C o.
の
祖 He nr y Pl at
t も︑一八ニー年この地において小さな刷毛機メー
( 4 )
カーとして創業︑九年のちには
Wi ll ia m an d C ol li n M at he
rと合併︑ともに鉄車輪の製造に当った︒
マンチェスクーの北西約七哩の
Ir we ll
河漢谷にあり︑ 賜西大學﹃鯉済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号
ここはランカシャー綿工業の発生の地で
co tt on s (
当時
の c o t t o n s
は毛織物の一種︶と粗糸
( c o a r s e ya rn ) が ︑
燭炭
( c a n n e l )
︑泥 炭 ( t u r f ) ととも
4°1 I
地方の浚谷から始まった︒
B o l t o n
の人口四五六八人であったのが︑
( 6 )
七三九人と急増し︑九0年代にはなおも急増の一途を辿っていたといわれる︒しかし︑
ンチェスターに従属したかたちでの繁栄であった︒エイキンはいう︑
と︒しかし︑もっとも注目すべきことは︑ ﹁B
o l t o
n の製造業者たちは︑殆んどマンチェ
( 7 )
スクーの火曜日の織物市へ品物を運んだ。•…••
B o l t o n
はマンチェスター間の運河の利益にあづかりはじめていた︒﹂
この地方から産業革命の基礎となった偉大な機械の発明家が生れている
こと であ る︒ すな わち
︑ B o l t o n
の
C h u r c h g a t e
の一理髪師であった
R i c h a r d A r k w r i g h t は ︑
利用の回転紡機
w a t e
r , f
ra me を発 明し
︑
また近郊の
F i r w o o d
の農家で生れたQ
t m u e l C ro mp to n は ︑ I r w e l l
河に沿った丘の上に立つ古いマナー・ハウス
H a l l , i , t h , w oo d の一 室で
︑
った初期の工場は洪水のため一九世紀はじめに押し流され︑土砂に埋まっていまは現存しないが︑水力利用の初期
こう して
︑ B o l t o n
には︑エイキンの眼にはまだ注目されるにはいたっていなかったけれども︑
名な
Do bs on an d B ar lo w C o . が ︑ s p i n n i n g mu le
製造のための
Th e p a r t n e r s h i p o f I s a a D c ob so n an d P e t e r R o t h w e l l
として創業を開始している︒当時︑
m巳 e
はまだ木製で︑職人も二0人の指物師
(j
oi
ne
r)
が雇わ
れていたにすぎないけれど︑一八二五年頃にはm巳eは全金属製となり︑
( 8 )
大メーカーに成長している︒
河が開かれていた。Bury•の木綿工業は元来すぐ西隣りの
B o l t o n
からもたらされたけれども﹁こAにおける発明
三三 ⑧
Bu ry
イギリス近代機械工業成立の一基盤︵角山︶ マンチェスターの北方九哩の地点にあり︑ の機械発明者を生むにふさわしい町である︒
一七 七三 年に は︑
一七 九五 年当 時︑
すでにマンチェスターとの間には運 一八五一年には九五0人の労働者を雇う
一七
九0年に有 一七七九年
mu le
を発明した︒彼のつく 一七六九年水力
B o l t o n
の繁栄はすでにマ 一七八九年には一躍︱一︑
小歯車
( p i n
i o n s
) ︑
ばね
︑
そのなかでも
P r
e s
c o
t およびその周辺の農村の労働者は︑歯車
( m o v
e m e n
t s ) ︑
ケースなどの時計の部品製造︑および時計製造道具の製作にも分業化をすAめ︑リヴァ
cl oc k)
工業が広汎に分布しており︑
(b)
Me
rs
ey
河北岸の農村地方には︑とりわけ一八世紀後半に急速に勃興した時計 心地のようなものはない︒
しか し︑
強いていえば
Wa
rr
in
gt
on
•
Wa
rr
in
gt
on
9 9
a
9 ,
アシュトン
(T .
S.
A s
h t o n
) は ︑
P r e s
c o t ,
Ch
ow
be
nt
, L
e i g h
A ,
sh
to
n , i
n , M a k e r f i e l d ,
St•
He
le
ns
といった中小諸都市が数哩の距離をへだてA散
これら諸都市およびその附近一帯の農村地方は︑金属工業の中心地である︒マンチェスターを中心在しているが︑
とした北部の諸衛星都市が木綿工業の中心地であるとすれば︑
Me
rs
ey
河北岸地域には金属工業が集中していたと
考えてよい︒そのうち一︑二の都市をとりあげて検討してみよう︒
Wa
rr
in
gt
on
は金物道具︑鋳鉄のほか︑ガラス︑麻織物とくに帆布︑時計部品︑ビン︑針金の製造で知られでいた
( 1 2 )
ことはエイキンものべているところである︒とくにこAにおける
Pe
te
rS
tu
bb
s のやすりの世評高かったことはア •
シュトンの研究によって周知のことである︒
P r
e s
c o
t
(4)
Me
rs
ey
河北岸地域 年に二0九0
人 ︑
( 9 )
や改良は︑各部門にわたって驚異的である﹂とエイキンは称賛している︒
f l y
s h u t
t l e
は一七三三年
Jo
hn
Ka
yに
よってこAで発明された︒その息子
Ro
be
rt
Ka
yは﹁綿や羊毛を刷毛する刷毛機をつくる機械をつくった﹂︒
Bu
ry
は一九世紀になると︑機械工業にいちじるしい躍進を示すが︑
一七 九五 年に は︑
一八世紀末の状態は明らかでない︒人口は一七七三
( 1 0 )
その二倍に増加していたといわれる︒
マンチェスターとリヴァプールを結ぶ
M e
r s
e Y
: 河
北岸 には
︑
W a
r r
i n
g t
o n
, N
ew
to
n,
﹁南西ランカシャーの金属工業にはこれといった︱つの中
( 1 1 )
とのべているが︑ 鵬西大學﹃鯉済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号
はその中心地に当るだろう﹂
( w a t
c h
a n d
四
ヽ—"·一― .←一・・‑・