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黄瀬川の溶岩と泥流

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(1)

黄瀬川の溶岩と泥流

著者 渡辺 精

雑誌名 静岡地学

巻 58

ページ 1‑8

発行年 1988‑11‑13

出版者 静岡県地学会

URL http://doi.org/10.14945/00025448

(2)

静 岡 地 学 第

58

(1988)

言 穫 量 富 島

聖 書 量 鶴

m w

官富自/

渡 辺

. は じ め に

川山

1

し 、 卒事国

J

i の

ら を る

﹀ え

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このよう

ら し 〉 。 も る

ょく とし

3

し〉、ここに も その

J

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ること し 〉 。 る よる

どのよう も、こ さ ん い

(3)

は、大き ( 10cm)から までを含む淘汰の非常に悪し であり、開く国結していて、

の 1 枚の層厚は 1~2m であり、粘土層やさらさらとした砂の層をはさんだりしている O

道の工事や沼津卸売匝地の造成工事を通して、これらの地層が清水町一稽に連続した広大な分布をも ち、柿田川両岸はもちろん狩野}[ 1の河岸にも連続し、北方の黄瀬川流域に連なることを知った。この は、黄瀬川に沿って富士山より流れ下った三島溶岩流と同様に、富士山に源を発し、愛鷹山と箱 根山を作る黄瀬川谷を南下した生コンクリート状の泥流が堆積したものであることが、長い観察を

してはっきりした。つまり、この泥流は黄瀬川による運搬物ではなく、富士火山起源の火山噴出物が、

水を含むことによって流動性を帯び、重力によって黄瀬川谷を南下し、番貫山にぶつかり東西に分か れて流れたものである

O

この泥流によってせき止められた狩野川は、現在の田万平野に巨大なせき止 め湖(富士山の造った最大の湖かも知れない)をつくり、溶岩と泥流によってうめられた黄瀬川谷の 水系は、地下水脈を形成し、泥流にうめられた溶岩の先端より湧水となって流れ出しているO このせ き止め湖は、海とは全く無関係の内陸の湖であっただろうが、粘土等で地下への水の浸透がさえぎら れ、満水となってあふれ、せき止めた泥流堆積物を侵食して現在の狩野)[1の流路を形成した。埋め立てら れた黄瀬川谷の地下水は、湧水地点、の泥流堆積物を侵食し、柿田川となって狩野)[1に合流した。以上の概

については、静岡地学30号、「柿田}[ 1湧水と周辺の地質についてJの中でも報告した。

今回の報告は「黄瀬川の溶岩と泥流」と題したが、内容としては黄瀬川谷及びその扇状地形に現れ た富士火山の溶岩と泥流についての総括的な観察および考察を中心に述べてみたい。

2.  iについて

[ 1

は狩野

} [ I

に合流してから 4km程流れ下って駿河湾にそそいでいるため、富士山頂を起点、と えると、ほぽ長さ 40kmの川となる

O

標高 3776mの富士山頂より標高700mの印野までは、全く 水は流れていなし」その付近は宝永火口や山頂火口が放出した新期の粗粒スコリアにおおわれている ため、雨水は浸透し、すべて地下水となってしまうためであるO さらにその地下水の湧きでる標高 700 mの印野付近から、標高400mの駒門までの水平距離にしでほぼ10kmの区間では、

1 8

期の降下火砕

を侵食した小河川となって流れ下っており、急流で水量も少ない。駒門において、この小河川は 御殿場市街を源とする、流れのゆるやかな}[ 1と合流して流路を南進させ、河床は溶岩となるO そこか

ら標高50mの鮎査の滝までの水平距離15kmの区間の河床には、すべて溶岩が露出しているO

より駿河湾の河口までの長さ 8kmの区間では、前述した泥流震を侵食しているO 以上をまとめる と 、 黄 瀬 川 の 慨 に 露 出 す る 地 取 、 最 下 流 の ほ ぼ10kmの区間が市の傾きの泥流堆積物、その上 流のほぼ10kmの 区 間 が 合 の 傾 き の

j

容 岩 流 、 さ ら に 上 流 の 山 が 市 の 傾 き の 降 下 火 砕 物 、

30

流の富士火山山頂火口より 10kmの区間は 100の傾きの粗私スコリアということになるO つまり 火山の噴出物が愛鷹山の周囲をうめ、沼津市、清水町、三島市、菌

1 者

mrにまで裾野を大きく広げたの は、主にこれらの溶岩流と泥流によってである(図 4) 

3.黄瀬川と

( 1 )  

河床の様子と

[1は狩野}[ 1との合流点より 4km上流にある の滝から、さらに上流の駒内 までの 15kmの区間の溶岩の上を流れていて、そこにはいくつかの滝があるO 大きく分けて滝は 2

2‑

(4)

に分類できる O その lつは垂直に水が落ちるものであり、規模の大きいものとしては長泉町の鮎査の 滝や裾野市の五竜の滝、小規模のものは長泉町立北中学校付近に見られるものがある

O

これらは、い ずれも溶岩流が愛鷹山の東方の谷を埋めた後、その上を流れる黄瀬j[[が、溶岩と愛鷹ローム層との境 界を侵食してできたものと考えられる

O

これについての詳

I

拙は、次の鮎査の滝のでき方の項で述べる

O

もう

1

つの滝の種類は、早瀬または小規模な滝が連続しているものであり、裾野市石脇や岩波、駒内 等に見られる

O

これらの滝は溶岩流の末端部に形成されたものであり、溶岩を河床にしているため階 段状になっている O こういった滝の存在からわかるように、河床が溶岩となっている区間の黄瀬川は、

山地の侵食谷や扇状地や平野などの堆積物からなる河床とは異なり、溶岩流の表面そのものが河床の 形態を決定するという特異な川である

O

( 2 )   鮎査の滝めでき方

は、御殿場線の下土狩駅の近くに あ り 、 幅

90m

、高さ

12m

で、写真

1

のよう に、通常は

2

カ所から流れ溶ちている

O

この

教えてくれた あっ

O

そ は 、 山から に、北方より流れて

きた したことによる

O

ながら

流れ、

ちヂ

火山のいわゆる一

ι

にして、上流の河

床 あるが、下流 ローム と/ぷつ になっている

くない。また、 に見られる あり、直径 7~8m

の下位にあった口一ムが滝の水によって侵食され、支えをツてっ ちたまま、洪水によっても流されることなく、そこに

30m

以内 されてき

f[ 

きさについては、こ

ロー ムが滝の水によって流されたために溶岩の底面には、

ることができる O このことは、

ものは、直径が

1m

、高さが

7m

である

O

らに、 るローム れ ソ

O

さ と接している 部分の中に法炭化し と

っている

O

いう O このことから

ることができる

O

そ ら

O

O ことから、 よびそのでき お ス く了 K

品 }

よ り よ ノ

﹀ ) レ ふ

こ の

h v

ω

函 つ これについても

えること

(5)

( 3 )   と 流れ方

mi

鵠さ

7m

した

2"3"4)0

近くの自然林 ら、もととなった木は杉また される O この内部を細かく

4

らでき

褐色のローム

いることを上に述べたが、

1

枚目と

2

枚目の境から、

2

枚目の溶岩がつらら

のように、樹型の控にそって

2m

近く

2

鮎 謹 の j 竜の模式断面図 られる。このこと

は 、

2

枚目の溶岩が流れてきた時には 木は燃えきらずに残っており、木と

に体びる谷は溶岩によって埋められ、

その上を流れる讃瀬)

11

が口一ムを銭食し滝となった。

間にすき聞があったことを は 、

3

枚目

ほぽ水平にふさがれている

O

これは

3

枚目 の溶岩が流れてきたとき、すでに木は倒さ

していたが、溶岩樹型の内部 されたことを意味する

O

以上のストーリー が起こるためには、

1

枚目から

2

枚目、そ して

3

枚目の溶岩(いずれも浮き

3 m

位) が、長い時間間擦をおいて流れてきたの はなく、大きい樹木が燃えつきたり枯れて

される程度の時間内に、引き続いて流れてき 日の単位であろう

O

このことは、鮎査の滝に見られる

4

けているといえる O

がえる所を発見した。また、

している O すなわち、数時間または数 の火山活動によっ

を支持している

O

と、その後から供給さ

さであるため、ある

1

枚の溶岩流の流れがいったん停止する ものの上位にかぶさって流れ、それをくり返して厚い溶岩の きたものと考えられる

O

(4)  1

枚の溶岩内の特徴と でき

l

枚の溶岩をよく ると、気孔の大きさ

た。特に上部から

1 m

と底聞から

50cm

の範囲には、小さ の量が少なくなっている

O

また気孔の少ない内部においてもそ

ど気孔が大きくなっていることがわかった(密

3)0

非常に大き アーチ状をなし、溶岩洞穴と同じように上面は溶岩がたれ、

な変化があることに気がつい く含まれ、溶岩の内部ほどそ と大きさは一様ではなく、上位ほ さが

10

問、揺が

30m

になっている O これがさらに

(6)

になったものを溶 岩洞穴と考えることが できる

O

こういった溶 の気孔は、溶岩中 の揮発性物質が集まっ て形成される

O

溶岩の く、粘性が小 さい時には空気中に放 出 さ れ て し ま う も の が、溶岩が冷えて粘性 まると放出できず にとりこ まれて

O

れるた

C

永 小 内部 によってふさがれ

つらら状に流れ落 克られる

溶岩の上面(安気題)

、さら

ら 〈 100 

{ 下 オ ミ

150 

150 

100 

!

J

号 、 " 丈  

50 

溶岩の下面{地面)

(f)

300  400  500 

け、くっつき

で く

しまうと、

し、そ

モ一一大きな穴がある

1¥O)

' I &

IJ

川 一 ぃ

し 》

状)

力によって

3  1

牧の溶岩の踏罷

100cm2

中に られる穴の数

り口と

きるよう

C

λ ω とし〉う

V し 〉 いる。

(7)

溶宕流の先端では、溶岩洞穴中のガス圧が屈まりつつある溶場をもち上げ、もちを焼いた持のように 溶岩塚を形成する O つまり、富士火山の溶岩が非常に揮発性物質に富んでいたことと、溶岩の適度の 粘性や淳さが偶然にも相まって、このような溶岩洞穴や溶岩塚を形成したと考えられる

O

4.

黄瀬

J11

と泥流 ( 1 )   黄瀬川扇状地

1

の地形図からもわかる通り、

とし、西は沼津市新中}[  I 放水路、

山と箱根山の裾野が最も近づいている裾野市伊豆島田を は大場j[

1

、南は狩野川河口から静浦山地の北縁を境界とする南北

10km

、東西

10km

の扇状地形を、黄瀬j[

1

扇状地と呼ぶことにする

O

先に述べたように、この堆積物 は黄瀬j[

1

の流水による運搬物ではなく、黄瀬川谷に沿って水分を多量に含んだ富士火山の噴出物が泥 流となって流れ下り、堆積して形成されたものである O その膳序や堆積過程については、

30

号に記載した「柿田川湧水と周辺の地質について」を参照されたい。

( 2 )   狩野j[

1

と黄瀬j[

1

が合流する地点の地層

私の家は、狩野川と黄瀬川の合流点の泥流堆積物の上にある

O

七夕豪雨時の洪水により、泥流堆積 物の段丘はがけに沿って一夜にして

2 m

程けずられてしまった。これをきっかけに災害救助法が適用 され、護岸工事が行われた。黄瀬川河床も基盤工事のために深く掘られ、段丘の地質を垂直方向に観 察することができた。現在の黄瀬川の水面より

4 m

程の深さには、軽石を含む地層が一面にある伯、

泥炭層や黒色の粘土層等もあり、

1 m

近い直径の倒木やしっかりと地面にはっている根株も発見する ことができる

O

その木片の年代測定を高橋豊先生にお願いして行った結果、

2750

120

年前という年代 が得られた。また、鹿の角の化石も発見できた。この地購より下位には、狩野j[

1

の砂に似た砂層があっ た。以上のことは、これらの地層堆積当時には、ほほ現在の海水面の高さに狩野j[

1

の平野が広がり、

森林が形成されていたことを示している

O

また、この軽石を合む層の上位

15m

の地層は、すべて 火山起源の(赤い砂粒まじりの黒い砂層を含む)泥流堆積物である

o

1 枚の泥流堆積物の層は 2~3m の厚さをもち、よく観察すると、

1

枚の泥流堆積物の下位ほど角操(

~10

cm)

が多く含まれている

O

また淘汰は非常に悪く、粘土から大きな探までを合んでいる O この地層は間結しているが、細かく砕 き水を加えると非常に流動性をもった生コンクリート状になることが確められた。以上のことから、

ほぽ海水面の高さにある軽石麗

(2830

年士

120

年前の天城山カワゴ平の噴出物の

2

次堆積層と予想、さ れ、狩野j[

1

の運搬物の特徴を示す)の噴出した頃と開時代に、富士山から黄瀬川谷を通して大量の泥 流が流れてきたと考えられる

O

また、この泥流の

1

回に放出された量は、黄瀬j[

1

の扇状地に平均

1m

の さで堆積しており、泥流の平均密度を

3g/cm3

として計算すると、約

1.5

億トンにも相当する叢であ る

O

泥流堆積物薦問士の境界には、分級のよい砂の層や粘土の

され、植物起源の物質は全く発見できなかった。このことは、

レンズ状にはさまれているのが観 さ

15m

近い泥流堆積物は短期間に 連続的に放出されたものであることを示している O

れない)ことは、含まれている鉄分が水中

えられる

O

このことから、これらの泥流堆積物は、

にかたく屈結している(スコップでは掘 に触れて酸化して間結度を増したためとも

した富士火山の噴出物が風化@侵食さ れ洪水などによって土石流となって流れ出したものではなく、富士火山の噴火そのものによって過去 の噴出物が泥流化され、流動性を与えられて斜蔀を流れてきたものと考えられる

O

6‑

(8)

( 3 )   ]R

沼津駅北側の 5小学校付近の地質

沼津市立第 5小学校に勤務している時にその校舎建築が行われ、地下30mまでのボーリングや オーガンによるくい打ちなどの基礎工事によって、地表から 3 mまでの掘り下げによる露頭の観察を

することができた。その結果、地表下 11~14

mの所には非常にやわらかい泥炭窟があり、その泥炭層 を境界にそれより下位は擦膚であり、そこを支持盤として校舎が建築されていることが確かめられた。

また、その近くで高層ビルを建てた際の建築法として、車径 1mの円柱を掘りコンクリートを流し込

む方法をとった折、地表下 11~14 m

の所に多量の泥炭層があることが確められ、その乾いたものは バーナーで完全に燃焼することがわかった。より深いところからは、車径 5cm内外の擦が掘り上げら れた。その様質は沼津市千本浜のものと全く同じで、護士)[[起源のものであることが確められた。泥 炭層から地表までは富士火山の泥流堆積物が露出し、黄瀬)[[と狩野)[[の合流点に露出するものと対比 できた。これらのことから、かつて海岸線がこの地域にあり、その後の海退によって内陸化して 間植物等が生い繁り、その森林地帯に富士火山の噴火による泥流が堆積したと考えられる

O

(4)  徳倉橋両岸の地質と狩野j[[上流に向かつての地形

狩野J[[にかかる特異な橋として、清水中学校付近にある徳倉橋があるO この橋は、ほぽ水平な の平地と同じ高さにかけられた橋であるの狩野川の水面は橋よりもお

m

ほど低いため、両岸に橋脚を

る必要はない。両岸に見える地層の露頭を見ても、両岸共に全く向じ高さに同じ地層が露出して いる

O

これは、狩野}[がこの平野を 15

m

程侵食したことを意味する

O

これと全く同じ状況の河川として柿田川がある。柿田)[[にかかる唯一の橋である柿出橋においては、

[の両岸の橋脚は地表面より低い(谷川の檎と関じ)0 この橋を建設する時、地表で橋脚をつくり、そ の下部を掘って地盤によって橋を支える方法をとったが、泥流堆積物の下のやわらかい窟まで掘って

しまったため橋脚が領斜してしまい、その後別会社が橋を建設した。このことは、地表の

物は回いが、その下部にある砂鰭には被圧された地下水が存在し、それが柿田)[1湧水の水源地となっ ていることと関連しているO また徳倉橋より上流に向かつて両岸の地表面は低くなり、徳倉橋の地表 の高さと同じ高さの堤坊が建設され、上流に行くにしたがってその堤防は高くなるO つまり、上流ほ

11薦状地の地形に支配されていることを意味しているO

I

[

台風の時に上流の田方平野を流れる狩野川法洪水によって満水になったが、徳、倉橋付近はどん なに増水しても洪水にはならなかった。つまり、それは富士火山起源の泥流堆積物のおかげであるO

( 5 )  

泥流の成国についての 今から 20年も前、泥流という を、泥流庁と名づけた。その後、

を関いたことがなかった私は、この地

j

曹の研究を通じてその成因 ケ岳の噴火で火山泥流の存在が確められ、コロンピアの ネパドデ、ルルイス火山では氷河と泥流が大きな話題になった。また木曽の御岳山

と共に起きた土石流をテレビで舟度か見ることができた。そして、富士山にも大規模な泥流があった ことを確信するに至った。その原因については泥流堆積物の観察から、大雨時の洪水による堆積物の

2

次的な流出ではなく、火出性のものであると考えている

O

火山砕屑物が泥流となるためには粘土の まれることと、水が十分に供給されることが最大の条件であると考えるO 富士火山山頂火口

、強し

によって粒子の組かい火山灰 に飛ばされてしまう きい。も

(9)

に雪が[怒り積った時の噴火によって雪が融かされ、泥流が起こったと考えるなら、泥流 は黄瀬川だけでなく小山方向等にも存在するはずである

O

しかし小山町に分布する泥流堆積物は大き な擦を多量に含み、黒色を帯びており、白糸の滝などに見られる古富士火山の泥流堆積物と似ている

O

黄瀬}I[蔚状地をつくる沼流堆積物は褐色を帯びており、他と毘別することができる O したがって、こ の黄瀬川泥流は、富士火山山頂ではなくその南南東側に火口をもっ大規模な噴火に起源をもつものか

も知れなしユ。その発生時に必要な水は、柿田}I[の水源ともなっている富士山頂付近の多量の地下水が、

噴火に伴う地殻変動によって噴火口付近に供給されたものとも考えられる

O

その噴火口はその後の 永火口等からの噴出物によっておおわれているのかも知れない。黄瀬川泥流の原因については、まだそ んな夢のような予測の段階であり、今後の研究の課題である O ただ泥流が三三島溶岩流の上をすべるよう に流れ下り、香貫山の北側で狩野}I[をせき止めたドラマだけは確かなものとして確信している

O

5.

おわりに

しい柿田j[[の湧水とそのがけに見られる地層から、いろいろなことを学んだ、。かつて沼津市から 清水町、田万平野に続く広大な平野があり、そこには森林が繁り、鹿が住み、いろいろな生物が生き ていたであろう

O

地質時代としては昨日のよう

れに続く

2750

年前の富士火出の噴火は、これらの

後に、泥流がすべての川や森林を一気にのみ込んで消失さ日 た。そ

そ におおわれた荒野にした m の泥流増積物を堆積させ ンペイの町を埋めたように、

山地、箱根の横穴など い。それは夢の世界かも知れ

山の泥流 しまっ 。

文化を築いていたかも ないが、地質が語る事実かも知れない。

山の形は美しく、その裾野をどこまでも広げ、そ 日本人の心

にあるのだろう O

には火山砂擦のみ によりよけい引き立

口 一 山

シンボルとなっている O その美しし

火口から放出した細粒火山灰は風 し、雨水を地下水にしてしまうため、

てられる

O

斜面の傾斜は表面をころが り落ちる砂擦の安定角によって決ま り 、 逆 ア リ ジ ゴ ク 形 と な っ て 半 径 回

30 

km

、傾き一ーの円錘体を形成してい

100 

O

山頂火口から半径

20klTI

までは 火による降下物、

30km

までは

は、次のよう

ばれてしまい、火 ちにくい。その

地 形

40 km  30  駿

(泥流)

20  10. 

門引務)

流 、

40km

までは溶岩の上を流れ下っ

(0 

m) 

(100 

m) 

た泥流堆積物の、それぞれの{

4

の傾斜を決定している

O

と主な

紙面の都合で資料を十分に示しつくせなかったが、

20

年間の 形、地質とその成因について独断と偏見をまじえ」科、 。

と土隆一先生にお礼を申し上げる

O

(400 m)  (800 

m) 

(3776 

m) 

(こ治った と{噴き(高さ)

を通し I [ 流域の地 に ぽ つ

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