黄瀬川谷とその扇状地 : 溶岩流・泥流・水流・地 下水流
著者 渡辺 精
雑誌名 静岡地学
巻 68
ページ 11‑16
発行年 1993‑11‑14
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025320
静 岡 地 学 第 6 8 号(1 9 9 3 )
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量 重量 曜語
渡 辺 精
1 . ,立じめに
黄 瀬 1 1 1 谷とは JR 御殿場線の沼津駅から御殿場駅までの黄瀬J! 1 v こ沿った谷と限定し、その扇状地と は長泉町を起点、に沼津市@清水町@三島市に広がる広大な一見平野的な扇状地を意味する
O1 1 谷は、谷と言われるような浸食地形ではなく、東の箱根火山、
あり、寄士火山の噴出物で覆われた裾野であり、堆積地形と言える
Oこの地域はユーラシアプレート、北米プレート、フィリピンプレートという 3 つのプレートの境界 にあたり、大きな地殻変動が繰り返されて来た。その結果、この地域は富士火山、
山の境界の{岳地で
山の噴出物によって覆われている
O1 1 谷の起源は、更新世の中期に求めること きるだろう
Oこの頃すでに丹沢山地の前面(南) のトラフ状の海を埋めつくし
り、陸化したものと思われる
O御岳火山@愛鷹火山の東斜面と、
は、フィリピン海プレートの北進に伴う伊立地塊の衝突によ 1 1 は北に連なる丹沢山地から流れ出し、高に生じた小
る足柄山地@箱根火山の西斜前に囲まれた{岳地を 流れ下り、
えよう
Oより 8 この火山
していたものと考えられる
Oそ 1 1 流域と対照的なものとい
ら 、 山 火 山が活発に活動を始めた。
り返された
げ、黄瀬J1
1谷の上流部はこの泥流にすっかり
した泥流は丹沢山地と箱根火山@足柄山地の据合谷 にも流出した。つまり現在の締殿場より
くは山頂の氷
されている
Oし、大泥流と似つ
となった。そして、くり返し 1 1 県小田原方開(酒匂Jl I 沿い) は流れの方向を変え、相模湾に注ぐ
1 1 J ! I の流域になってしまっル
回付近)
には粘性の小さ
つ と し ユ る
Oこ 山
も 5 0 m以上に り
いる
Oこのこと きな夕、ムを形成し こと
1 1 扇状地のいくつ て流れ下り、
にタコの足のよう って件:びている
Oそ 3 0 0 0 し
O[ !
水を吸収したり、
を流れ下り、
ある
Oその後、
表流水による このよう ず 、
してみよう
O2.
①
御殿場線下土狩駅近くにある
したりして大泥流をくり返し、
から沼津市、清水町、
るように 谷 で の 円 の
H はあったものの、
を受け現在にいたっている
OI
[ 谷の形成
広く堆積し、嵐状地形を形成し
I [ 谷やその窮状地では平穏な時代が続き、
され、
られる
なら
々C
いる
Oこのよう
る
Oと
め しい。 打 / ︑
らのなが さ約 1 0 幅約 1 0 0 mの溶岩から
しであるが、一
②
いる
Oその成因等につい 号 ( 1 9 8 8 年)に っている
Oし、裾野中央公園 岩溶岩の上を流れ落ちる
OV
: : T に着く。高さは 1 2 m、幅 3 0 m位で玄武 I
[ にかかるつり橋もあり、
に滝を見ること きる
o5 と げられ、その眺めは壮
る
O③ 京 ケ
パスで千福ヶ丘行に乗り、京ケ ることから可
る
OI [ る I [ にある溶岩の J I [ とイ去えられでい
に生じた
る
Oここより こまでの川
した峡谷となっており、 り立っている
Oポットホ
③ 旭 滝
ケ品の上流 2k r 誌にある
Oいなし
して約 5 0 0 m歩くと る
Oしかし降雨時には高さ 3 0 m の玄武岩溶岩より
に出る
Oる雄大 さは見る人の心
⑤ 駒門風穴
駒門風穴経由の御殿場行きパスに乗り、風穴ノてス停で下車する
O住宅地の中に風穴の入り口があり、
は有料である
O内部には照明があり、入り口より 1 5 0 m奥に在への抜け穴があるので、そこは必 したい。ここは溶岩洞穴の原形をとどめ、かまぼこ状の天井と縄目状溶岩の床、それら
く打つだろう
Oそし 山の溶岩の さに圧倒されることだろう
O⑦
きる
O[[の合流点
し、西に歩いて 6 0 0 m にあり、
になっており、火山泥流の露頭が見える
O3 0 cm もの巨擦が地層の中 ることから、泥流の
られる露頭は年々少
る
O狩野
J" ! [
2~4m のものが 4
ったままのものもあ される
Oそして る
Oこの
山火の裾野の広さに驚くにちがいない。
③ 沼津駅東三ツ目ガード
沼津駅を下車して東へ 1 0 分ほど歩くと 3 目ガードがある
O上は JR 3つ目となる
O歩道の下は河川が流れ、降雨時にしばしばはんらんし 狩野山に合流する地点、の浸食谷壁に露頭が見える
O数センチ
付近も富士山の裾野であることを物語っている
O⑨
り 、 2 っと歩 となる
Oこの J l I が る
Oつまり沼津駅
より東ヘ 1k r n の狩野J l !にかかる橋で、三島行ノてス沼津警察署前で下車する
Oこの橋から狩野
J I ! 下流を望むと狩野
J! I が狭くなり、急流になっていることに気付くであろう
Oその場所には径 3 0 cm 前 後の玄武岩の臣探が河床に露出している
O巨擦は富士火山の泥流活動で運ばれて来たもので、狩野J l !
は今もこの河床を浸食している
Oただし、潮が満ちてくれば水面下となり、観察できない。(海抜 Om 近い浸食地形といえる。)
⑮
ら きノてス り る
Oと湯 J I ! の関にあ しでも
しか
︑も
り 日
μ ことはない。その両岸に
ら える
Oまない。ここから上流を見ると、狩野j[!の上流ほど両岸の地形は低くなっている
Oつまり湯川、徳 に平地の水は狩野
J1 [の上流方向に流れている
O4. 袈流水(JI I ) 官 温 つ
⑬ 黄瀬 J I !
を境にして、上流 5k r n の御殿場市富士関までは溶岩の河床であり、その上流は火山砂擦の ため表流水はほとんどない。 滝の下流は黄瀬 J I ! の流路の変化
2 段となっており、上位の詣は泥流層、中位の面
J I ! の流路の変化に伴う河床の低下と考えられる
O⑫ 狩野j[[
の泥流によって扇状地形の形成時に
している
O段丘は の成因は海面変化というよりは、狩野
と切り離され、せき止め湖(田方湖)を形成し た時代がある
Oその後せき止められた水は香貫山地の裾をめぐるようにして流れ、せき止めた泥流を して狩野j[[の流路を決定した。狩野J I ! の河口は香寅山沿いを流れ、牛伏山南方にあったと考えら れる
Oこの当時の黄瀬 J I ! の河床が中間の段丘であろう
Oその後、狩野Jf l の蛇行によって現在の河口と
I
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