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日 本 に お け る エ ミ ー ル ・ヴ ェ ル ハ ー レ ン 受容史 のための基礎 作業 的序 説

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日 本 に お け る エ ミ ー ル ・ヴ ェ ル ハ ー レ ン

受容史 のための基礎 作業 的序 説

大 場 恒 明

は じ め に

ベ ル ギ ー 詩 人 エ ミー ル ・ヴ ェル ハ ー レ ンは,明 治30年 代 に上 田敏 に よ って 紹 介 され て 以 来,明 治,大 正,昭 和 を通 じ,こ の詩 人 の多 面性 が,時 代 の変 動 に呼 応 し,そ の 都 度,日 本 の 詩 人 た ちの 詩 魂 を さ ま ざ ま に共振 させ,日 本 近 代 詩 の成 立 と進 展 に深 くか か わ った 。

表1に 明 らか な よ うに,ヴ ェル ハ ー レ ンの主 要詩 集 の う ち,10名 を超 え る 訳 者 に よ り,完 訳5詩 集 を ふ くみ大 部 分 の 詩 集 が 紹 介 され た。

そ れ に反 し,そ の影 響 の実 態 の 学術 的 な解 明 が 十分 に な され て い る とは い え ず,通 時 的 な受 容 史 もい まだ に書 か れ て い な い こ と は,表3に 見 る とお り で あ る 。

この小 論 にお い て,基 礎 作 業 と して,関 連 文 献 を時 系 列 で0覧 し,日 本 に お け る ヴ ェルハ ー レ ンの比 較 文 学 研 究 に む け てs問 題 提 起 を試 み なが ら,な にが しか の寄 与 を したい 。

1「 人 間 」 と い う新 し い 「神 」 を 発 見 し た 詩 人

ヴェ ルハ ー レ ンは終 生 フ ラ ン ドル の大 地 に根 ざ した詩 人 で あ っ た。 フ ラ ン ドル の豊 饒 な現 実 世界 と神 秘 的 な精 神 世界 の 二 元 的 なベ ク トル が,こ の詩 人 に雄 渾 な律 動 を与 えて い る。

日本におけるエミール ・ヴェルハーレンー 受容史のための基礎作業的序説一一1

(2)

(表1)

EmileVerhaeren(1855‑1916)の 主 要 詩 集

(邦 訳 詩 篇 数 の カ ッ コ 内 は,複 数 訳 者 に よ る 同 一 詩 篇 訳 を 加 え た 総 数 を示 す)

出版年 主要詩集(略 記) 邦訳詩集名 詩篇数 邦 訳

詩篇数

..

・a 五θ5‑FlacmarLdes(Fの 『フ ラ ン ドル 景 物 詩 』 27 4(5)

1886 LesMoines(M) 『修道士 たち』 32 5

1888 LesSoirs(3> 『夜 』 24 1(2)

1888 ムθ8ヱ)ebacles 『崩 壊 』 19 0

1891 LesFlambeauxnoirs 『黒 い 炬 火 』 12 0

1891 LesApparusdansmesChemzns(Ap.) 『わ が 途 上 に現 れ し もの 』 13 2 1893 ムθ50α 脚 α9π θsんallucinees(c.x) 『幻 覚 に と ら わ れ た 田 園 』 1$ 18(24)

1895 LesVillagesillusoires(VI.) 『幻 想 の 村 々 』 15 3(4)

1895 LesVillestentaculaires(V.T.} 『触手 あ る都市』 20 20(21)

1595 LesBordsdelaRoute(B.R.〉 『路 傍 』 30 5(7)

1895 LesdouzeMois(D.M.} 『十 二 ヶ 月 』 12 6(10)

1896 LesHeuresclaires(H.C.) 『明 る い 時 』 30 30(38)

1899

LesVisagesdedaVie(V.V)

『生活 の相貌』 14 6(9)

1902 LesForcestumultueuses(F.T.) 『騒 擾 の 力 』 33 5(6)

1904 7b厩 θdaFlandre.LesTendressespremieres 『全 フ ラ ン ドル 初めての愛綱 15 0

1905 LesHeures〔 銑4Pγ ∂s一柵 毫伽(H.A.) 『午 後 の 時 』 30 30(45)

1906 LamultipleSplendeur(M.S.} 『無量 の壮麗』 22 11(16)

1907 TautelaFlandre.LaCfuirlandedesDunes 『全 フ ラ ン ドル 砂丘 の花 飾』 29 D

1908 7'outelaFlandre.LesHeros 『全 フ ラ ン ドル 英雄 たち』 16 0

1910 TOUtelaFlandre.LesVillesaPignons 『全 フ ラ ン ドル 切妻のある町k』 34 0 1910 LesRythmessouverairts(R.S.} 『至上律』 15 3(5)

1931 ToutelaFlandre.LesPlaines(Pl.} 『全 フ ラ ン ドル 平 原』 67 2 1911 LesHeuresduSoir(E8) 『夕 べ の 時 』 26 6(7)

1912 LesBbesmouvants(B.112'.} 『そ よ ぐ麦 』 39 20(22)

1916 五esAilesdelaGuerre(A.ω 『戦争 の赤 い翼 』 34 4

1917 ゐesFlamrr}θsん α厩 θs(F、H.) 『天上 の炎』 25 25(32)

2 国 際 経 営 論 集No.272004

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処 女 詩 集 『フ ラ ン ドル景 物 詩 』(1883)で ブ リ ュー ゲ ル 的農 民 の む せ 返 る よ う な肉体 性 を赤 裸 々 に詠 い,『 僧 院 の人 々 』(1886)で は一一転 して カ トリシ ズ ム の霊 界 に沈 潜 した。 この対 極 的 な振 幅 の な か で世 紀 末 的懐 疑 と煩 悶 に 陥 っ た彼 が,「 夜 』(1887),『 崩 壊 』(1888),「 黒 い 炬 火 』(1890)の 「黒 の3部 作 」 で,危 機 的 な デ カ ダ ンス を彷 律 し,頽 廃 が 生 む幻 想 を表 現 す る詩 法 を象 徴 詩 に も とめ,マ ラル メ に私 淑 した。

『わ が 途 上 に現 れ し もの』(1891)は,生 涯 の 同伴 者 と な る 女 性 マ ル ト ・ マ ッサ ン との 出会 い に よっ て ニ ヒ リズ ム か ら救 済 され た詩 入 の外 界 回 帰 の甦 生 を示 す 詩 集 で あ った 。 マ ル トとの愛 の時 間 を詠 い 続 け た3部 作 『明 る い時 』

(1896),『 午 後 の 時 』(1905),『 夕 べ の 時 』(1911)は,ヴ ェ ル ハ ー レ ンの 人 間賛 歌 と宇 宙 的 に放 散 す る情 動 の 源 泉 で あ る 。

内 面 的 虚 無 か ら脱 出 した彼 の視 野 は,人 間存 在 と生 命 の 環境 にむ か って 開 い て い く。社 会 主 義3部 作 と呼 ば れ る 『幻 覚 に と らわ れ た 田 園 』(1893) ,『 幻 想 の村 々』(1895),『 触 手 あ る都 市 』(1895)で は,農 村 の 生 き血 を吸 う都 市 の侵 食 を うけ荒廃 す る 田 園 が,幻 想 的 な奇 怪 な イ メ ー ジで描 か れ,都 市 の近 代 機 械 文 明 と資本 主 義 の 径物 的 な残 酷 性 が 告 発 され る 。 これ らの詩 集 に至 っ て ヴェ ル ハ ー レ ンは,伝 統 的 な ア レクサ ン ドラ ン を主 体 とす る定 型 詩 か ら離 脱 し,自 由詩 の新 しい リズ ム の創 出 をめ ざ して い る。 ヴ ェルハ ー レ ンは思 想 的 に は社 会主 義 に傾 くが,政 治 的 ・綱 領 的 で あ る よ りは理 想 主 義 的 自 由主 義 に彼 の本 領 が あ って,詩 法 的 に は,象 徴 詩 人 た ち の 間 か ら膨 濟 と して 籏 出 し た 自由詩 の運 動 に与 す る こ とに な った の も必 然 の 帰 結 で あ った 。 フ ラ ン ドル 大 地 に詩 魂 を汲 む ヴ ェル ハ ー レ ンの 同情 は疲 弊 す る農 村 に あ る が,し か し同 時 に,近 代 都 市 文 明 の燃 え立 つ エ ネ ル ギ ー に未 来 へ の 希 望 を見 出 そ う と して い る。 フ ラ ン ドル の きび しい 自然 力 の な か に も人 間の 崇 高 な力 と共 振 す る リ ズ ム を発 見 す る。

『触 手 あ る都 市 』 に よ っ て ヴ ェル ハ ー レ ン は フ ラ ンス 詩 人 た ち の 間 に認 知 され,さ ら に,『生 活 の相 貌 』(1899),『+"JRの 力 』(1902),『無 量 の壮 麗』(1906),

日本 にお け るエ ミール ・ヴ ェ ルハ ー レ ンー 受 容 史 の た め の 基 礎 作 業 的 序 説3

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『至 上 律 』(1910)と,人 間 肯 定 の解 放 哲 学 へ と詩 的世 界 を遠 心 的 に拡 大 して い き,グ ロ ー バ ル な名 声 と と も に,独 自の ヴ ェ ルハ ー レ ン的詩 想 と律 動 が確 立 した。『生 活 の 相 貌 』で は,倭 小 な利 己 主 義 を超 越 して,あ らゆ る もの の な か に生 きる単 純 に して永 遠 の法 則 に も とつ く自然 の生 命 と人 間 の 運 命 の始 原 的 な融 合 を実感 し,宇 宙 的構 想 に通 ず る万 物 一 如 の境 地 を拓 い て い る。『騒 擾 の力 』 は,汎 ヨー ロ ッパ 的視 点 か ら欧 州 人 に む け た 「あ な たが た の運 命 の 意 志 が 人類 の 意 志 とな る よ う に」 とい う呼 び か け で あ り,善 悪 を超 え た人 間努 力 の肯 定 と未 来 へ の信 仰 告 白で あ る。『無 量 の壮 麗 』の キ イ は 「賛 嘆 」で あ り, 融 合 す る万 象 と人 間 の不 思 議 な生 命 に驚 嘆 し,人 類 の文 化 の歴 史 に賛 嘆 す る。

全 詩 篇 が 万 物 肯 定 で あ り生 の大 歓 喜 で あ り人 間 賛 歌 で あ る。 また,自 然 詩 人 と して の ヴ ェルハ ー レ ンの類 ま れ な資 質 が 開花 した 詩 集 で,自 分 の 生命 と照 応 す る 自然 の生 命 に素朴 に感 嘆 す る 。 『至 上律 』 は前 詩 集 か らの 延 長 と して, 人 間精 神 の崇 高 さ を称 え る詩 篇 か ら成 るが,詩 法 と して は,荘 重 な ア レクサ ン ドラ ン を主 体 に した伝 統 的 な定 型 詩 へ 回帰 す る傾 向 を うかが わ せ て い る。

人 類 の未 来 を託 した ヨー ロ ッパ 人 の 間で,し か もツ ヴ ァ イ ク な どの親 しい 友 の い る ドイ ツ との 問 で大 戦 が勃 発 した こ とは,ヴ ェルハ ー レ ン的 世 界 が 否 定 され る に等 しい こ とで あ った 。 『戦 争 の赤 い 翼 』(1916)に よっ て戦 争 の惨 禍 を直 視 し,ド イ ツ軍 に躁 躍 され た祖 国ベ ル ギ ー の救 援 の ため,各 地 で の講 演 に著 述 に従 事 す る さな か,1916年11月,ル ウ ア ン市 で の 講 演 を終 えパ リ に 帰 る途 中,列 車 の車 輪 にふ れ 事 故 死 した。61歳 で あ っ た。 死 後 出版 とな った

『天 上 の炎 』(1917)で は,人 類 へ の信 頼 を喪 失 させ る危 機 に断 固 と して抗 す るか の よ うに,未 来へ の ゆ るが ぬ信 仰,自 然 と と もに人 間 の近 代 生 活 の 賛 美 を詠 い あ げ,そ れ まで の ヴ ェル ハ ー レ ン世 界 の 綜 合 を示 して い る。神 な き世 界 に人 間 とい う新 しい信 仰 の対 象 を うち樹 て,世 紀 末 的 ニ ヒ リズ ム を超 越 し

た ヴ ェ ル ハ ー レ ン は,ア ン ドレ ・ジ ッ ドの 『地 の 糧 』(1897),「 アベ イ派 」 のユ ナ ミス ム な ど と と もに19世 紀 末 か ら20世 紀 初 頭 に興 った 人 間 回復 思 想 の も っ と も熱 烈 な唱 道 者 で あ っ た。

4国 際経営論集No.272004

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2日 本 との 最 初 の 接 触

ヴ ェ ル ハ ー レ ンの 名 前 が初 出 した 日本 の 文 献 は,明 治30年 の 「江 湖 文 学 」

くの

1月 号 の無 署 名 記 事(筆 者 は上 田敏 か)「 瀕 西 芸 録 」(表3,資 料 番 号1)と 思 わ れ る。

た だ,長 谷 川 武 次 郎 とい う出版 業 者 が ヴ ェ ルハ ー レンの原 詩5篇 を賛 と し て付 した 日本 風 物 の 錦 絵 ふ う画 集lmagesJaponaises(表1,1)を 出 版 し た の は,奥 付 の発 行 日付 に よれ ば 明 治29年5月7日 で あ るか ら,こ の 日付 を額 面 通 り受 け取 れ ば,ヴ ェ ルハ ー レ ン と 日本 との最 初 の 出会 い は明 治29年 で あ る,と い う こ と に な るが,こ の 発 行 日付 に は問 題 が あ る(LXV)。 長 谷 川 武

(z)

次 郎 の 出 版 物 に つ い て 詳 細 な研 究 を行 っ たFredericA.Sharfに よ れ ば,長 谷 川 が1900年 の パ リ万 博 へ の 出 品 を企 画 し て ヴ ェ ル ハ ー レ ン に 画 集 を 送 り原 詩 の 賛 を 依 頼 し た,と い う こ と で あ る が,Sharfは そ の 根 拠 と な る 十 分 な 資 料 を 明 ら か に して い な い 。 ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 網 羅 的 な ビ ブ リオ グ ラ フ ィ の 著

(3)

者Jean‑MarieCulotが,∫ 柵 α9θ8」α、pona2sesの 発 行 年 を1900年 と して い る の は,パ リ 万 博 出 品 を も っ て こ の 書 物 の 発 行 年 と し て い る た め と 思 わ れ る 。 ImagesJaponaisesと 大 筋 で 同 一 絵 柄 だ が 異 な る キ ャ プ シ ョ ン の 書 物 が 他 に

2種 類 あ り,TheSmilzrLgBookとGlimpses(fJapanが そ れ だ が,こ れ ら の 奥 付 の 発 行 年 は,同 じ く 明 治29年 で あ り,何 度 も 再 版 さ れ たlmages Japonaisesの 奥 付 の 発 行 年 月 日 も ま っ た く 同 一 な の で あ る 。 こ の こ とが, ImagesJaponaisesの 真 の 初 版 発 行 年 に つ い て,奥 付 の 記 載 に も か か わ らず

疑 問 視 さ せ,発 行 年 を 明 治33年(1900,パ リ万 博)と す べ き で は な い か と 思 わ せ る の で あ る が,そ れ を確 証 す る た め の 基 礎 作 業 が ま だ 残 さ れ て い る 。

さ ら に,長 谷 川 武 次 郎 と ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 接 触 が 実 現 し た 経 緯 に つ い て も か な ら ず し も 明 確 で な い 。 イ ギ リ ス の 文 芸 誌ADAMの 編 集 主 幹 に よ る 巻 頭 論 文 の な か で,英 国 人OsmanEdwardsが ヴ ェ ル ハ ー レ ン に勧 め て,長 谷 川

くの

に 詩 篇 を 送 らせ た,と 記 載 さ れ て い る が,そ れ を証 明 す る よ う な 言 及 は な さ れ て い な い 。 オ ス マ ン ・エ ドワ ー ズ は,イ ギ リ ス に お け る ヴ ェ ル ハ ー レ ン

日本におけるエ ミ0ル ・ヴェルハーレン 受容史のための基礎作業的序説一5

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の も っ と も 早 い 紹 介 者 で,1895年4月DailyChronicleと,1897年11月 ア ー サ

{5)

一 ・シ モ ン ズ が 主 宰 す る文 芸 誌TheSavoyに ヴ ェ ル ハ ー レ ン論 を発 表 し,の ち に1915年,ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 劇 作 品 『僧 院 」 を7舵Cloisterと 題 して 英 訳 す る な ど,1894年 以 来 ヴ ェ ル ハ ー レ ン と親 交 が あ り,ま た,当 時,東 京 に は, B.H.Chamberlainや,明 治29(1896)年 以 来 東 京 帝 国 大 学 講 師 に な っ て い た 小 泉 八 雲(LafcadioHearn)な ど,ヨ ー ロ ッパ の 文 学 界 の 情 報 を た え ず 受 信

し て い る 知 識 人 た ち が い た 。彼 ら は 日本 の 代 表 的 な お 伽 噺 を各 国 語 に翻 訳 し, 長 谷 川 武 次 郎 の 絵 入 り縮 緬 本 の 出 版 事 業 に 協 力 し て い た(LXVIII)。 長 谷 川 はlmagesJaporzaisesの パ リ万 博 出 品 を企 画 し,チ ェ ンバ レ ン な ど を 通 じ, オ ス マ ン ・エ ドワ ー ズ か ら ヴ ェ ル ハ0レ ンへ と,詩 篇 の 執 筆 を 依 頼 し た の で は な か ろ う か 。 エ ドワ ー ズ は 明 治31(1898)年 来 日 し,各 地 を 訪 れ 伝 統 演 劇

くむ

を調 査 し な が ら半 年 滞 日 し帰 国 後,成 果 を 出 版 して い る し,滞 日 中 は チ ェ ンバ レ ン,ハ ー ン と交 流 し,特 に ハ ー ン と は 親 交 を結 び 帰 国 後 ヴ ェ ル ハ ー レ ン詩 集 を贈 っ て い る ほ ど で あ る 。 長 谷 川 武 次 郎 と も接 触 し,3点 の 自作 の 出 版 を ゆ だ ね て い る 。 こ の よ う な 事 情 か ら推 して,伽 αgθ8」αpo%α 乞5θsの出 版

に つ い て は,オ ス マ ン ・エ ドワ ー ズ の 仲 介 の 可 能 性 が 高 い と思 わ れ るが,こ の 辺 の 経 緯 に つ い て も,な お 調 査 の 必 要 が あ る 。

与 謝 野 寛 は,生 前 の ヴ ェ ル ハ ー レ ン を訪 問 した 唯 一 の 日本 文 人 で,1912年 に 実 現 した 面 談 の さ い,ヴ ェ ル ハ ー レ ン が∫柵 αgθsJαpoπ α乞sθsに言 及 した の に,寛 は そ の 存 在 を 知 ら ず 撫 然 と し た 様 子 が 会 見 記 に 記 録 さ れ て い る が (XI),こ の 長 谷 川 本 は も っ ぱ ら外 国 人 観 光 客 や 一 部 好 事 家 む け に 出 版 さ れ た もの で,文 学 界 と は 別 な 範 囲 で 流 通 した の で,ヴ ェ ル ハ ー レ ン の5篇 の 原 詩 が 注 目 さ れ る こ と は な か っ た し,こ の 文 献 の 資 料 的価 値 は お の ず か ら限 ら れ た も の に と ど ま る 。

3上 田 敏 の 功 績

ヴェルハ ー レンを最初 に 日本文学界 に紹介 した功績者 はおそ ら く上 田敏 で

6国 際 経 営 論 集No.272004

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あ り,そ の 文 献 は 前 述 の 「瀬 西 芸 録 」 で あ る と思 わ れ る が,上 田敏 は,フ ラ ン ス 語 に つ い て は 第2外 国 語 と して の 素 養 は そ な え て い た もの の,彼 が フ ラ ン ス 語 圏 の 近 代 文 学 に つ い て の 知 識 を得 て い た の は,主 と して 英 語 文 献 を 通 し て で あ っ た 。19世 紀 末,明 治30年 代 は イ ギ リス 文 学 者 た ち の 間 で ヴ ェ ル ハ ー レ ンが 注 目 さ れ は じめ て い た 時 期 で あ り

,上 田敏 は,ハ ー ン な ど東 京 帝 国 大 学 の 講 師 た ち か ら も,英 文 芸 誌 な ど か ら も,ヴ ェ ル ハ ー レ ン に 関 す る情 報

を得 て い た だ ろ う 。

「瀬 西 芸 録 」 も,VirginiaM.Crawfordが1896年11月,TheFortnightly

Reviewに 発 表 し たEmileVerhaeren:theBelgianPoetの 内 容 を祖 述 した もの

(7)

で あ る 。 こ の 論 文 の な か で,ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 生 ま れ か ら,詩 人 と し て の 資 質 ま で 簡 潔 に 紹 介 し,処 女 詩 集,第2詩 集,黒 の3部 作s社 会 主 義3部 作 な ど,既 刊 の 主 要 詩 集 につ い て,そ の 詩 的 変 遷 の 意 味 を た ど り,き わ め て 適 切 な 解 説 を行 い,ヴ ェ ル ハ ー レ ンの 特 異 な 語 法 に もふ れ,「 氏 の 筆 を操 り紙 に 臨 む や 機 の 離 合,神 の 去 来 に ま か して 奇 懐 を や る を 以 て,(中 略)新 語 を 編 み(中 略)破 格 の 文 章 を作 る」 と指 摘 す る な ど,こ の 最 初 の 論 文 で す で に

ヴ ェ ル ハ ー レ ンの 詩 的 資 質 と 閲 歴 が 見 事 に 鳥 鰍 さ れ て い る(LXVI)。

上 田 敏 は,明 治34年,ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 詩 論 を 「悲 哀 」 「仏 蘭 西 の 哀 観 詩 人 」 の 題 に2分 して 翻 訳 した(2,3)。 こ の 論 文 は,ラ マ ル テ ィ ヌ な ど浪 漫 派 か ら ル コ ン ト ・ド ・リ ー ル な ど高 踏 派,ボ ー ド レ ー ル,ヴ ェ ル レ ー ヌ ま で 19世 紀 フ ラ ン ス 近 代 詩 の な か に 「悲 哀 」 の 表 象 を 探 り分 析 した もの で,フ ラ ンス 近 代 詩 関 連 の 文 献 が き わ め て 少 な か っ た 当 時,上 田 敏 が,ま も な く 『海 潮 音 』 の な か に フ ラ ンス 詩 を 翻 訳 す る に あ た っ て,こ の 論 文 か ら フ ラ ンス 近 代 詩 へ の 展 望 を得 て い た こ と は,ヴ ェ ル ハ ー レ ンの こ の 詩 論 の1部 を 『海 潮 音 』 の な か に 収 録 し て い る こ とか ら も 明 ら か で あ る 。 と くに,ト リ ス タ ン ・

コル ビ エ ー ル と ジ ュ ル ・ラ フ ォ ル グ を 日本 に紹 介 した 最 初 の 文 献 で あ ろ う と 思 わ れ る が,2人 に つ い て,「 大 胆 な 詩 律 の 革 新 」 と 「凄 蒼 の 滑 稽 」 を 「フ ラ ンス 詩 文 に 輸 入 した 」 詩 人 と し て 正 鵠 を 射 た 評 価 を 下 す な ど,こ の 論 文 の

日本におけるエ ミール ・ヴェルハーレン 受容史のための基礎作業的序説7

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資 料 的価 値 は きわ め て 高 い(LXVI)。

と ころが この 詩論 の 原 典 が い まだ に不 明 なの で あ る 。 日本 近 代 詩 史 にお い て重 要 な位 置 を 占め る資 料 な の に,原 典 の タイ トル も,収 録 出版 物 名 も刊 行 年 も分 か ら ない とい うの は か な り異 例 な こ とで あ る。

原 典 探 しは,①1887年 か ら1900年 まで に発 表 され た ヴ ェル ハ ー レ ンの論 文 で,② この期 間 中 に イ ギ リス で刊 行 され て い る雑 誌 ・新 聞 な ど,に 掲 載 され て い る の で は な い か,と い う作 業 仮 説 に も とつ い て行 わ れ た 。① の根 拠 は, 論 文 中 に ジ ュル ・ラ フ ォル グ を 「既 に没 せ し人 」 と してい るが,こ の詩 人 の 没 年 は1887年 で,上 田敏 の翻 訳 が 掲 載 され た の が1901年5月 だ か らで あ る。

② につ い て は,当 時上 田敏 が 情報 源 と して い た の は主 と して英 雑 誌 ・新 聞 だ った か らで あ る。 前 述 の キ ュ ロ の ビブ リオ グ ラ フ ィは ヴ ェ ルハ ー レ ンが 寄稿 した英 雑 誌 ・新 聞 につ い て の 追 跡 を行 っ て い る が,そ こ に は見 当 た らな い し, 筆 者 自身 も当該 期 間 の 英雑 誌 の 調査 を した が成 果 は な か っ た 。定 期 刊 行 物 だ けで は な く書 籍 も,さ らに フ ラ ンス語 文 献 に も範 囲 を広 げ る必 要 が あ るか も しれ な いが,あ ま り期 待 は で きな い 。 なぜ な ら書 籍 や フ ラ ンス 語 文 献 に収 録 さ れ た論 文 な ら,今 まで そ の存 在 が発 見 され ず に い る こ とは考 え に くい か ら で あ る。 とす る と,も うひ とつ 考 え られ る の は,上 田敏 が 生原 稿 を入 手 して

そ れ を直 接 翻 訳 した の で は な い か,と い う可 能 性 で あ る。 前 述 したlmages Japonaisesの 成 立 に手 を貸 した か も しれ な い オス マ ン ・エ ドワ ー ズ とヴ ェ

ルハ ー レ ン との親 交,エ ドワー ズ 来 日の折 の チ ェ ンバ レ ンや ハ ー ンな ど上 田 敏 の近 くにい た人 た ち との交 流 な どの 人 間 関係 を考 え る と き,こ の可 能性 も 無 視 で きない の で は な い か と思 わ れ る。 しか し,い ず れ にせ よ,こ の原 典 探

し とい う基 礎 作 業 は依 然 と して残 って い る。

上 田敏 の 功 績 は,明 治20年 代 か ら30年 代 にか け て新 しい リズ ム と形 式 を も とめ て な され た新 体 詩 論 議 に対 す る一 つ の強 力 な方 向 性 の提 示 と して フ ラ ン ス 近代 詩 を移 入 した こ とで あ り,ヴ ェ ルハ ー レ ン受 容 史 に お い て は,初 め て そ の 詩 篇 を邦 訳 し紹 介 した こ とで あ る(4,5,6,7,8,9)。

8国 際 経 営 論 集No.272∞4

(9)

明 治37年1月 「明 星 」 に,宗 教 的 教 訓 を内包 す る寓 話 を意 味 す るParabole と い うヴ ェ ルハ ー レ ン詩 篇 を 「鷺 の歌 」 と題 して,し か も タ イ トル の脇 に

「象 徴 詩 」 と付 記 して訳 した 。 こ の詩 が 収 録 され て い る詩 集Lθ5Boγd8de協 Route『 路 傍 』(1895)で は 黒 の3部 作 時代 の 内 面 的 苦 悶 をす で に克 服 し, 彼 の 詩 的ベ ク トル は外 へ と転 じてい た。 フ ラ ンス 詩界 で は80年 代 末 か ら90年 代 にか け て 「象 徴 詩 」 が 大 きな うね りと して席 捲 してい た時代 で,ヴ ェル ハ

ー レ ンは マ ラル メ に私 淑 して象徴 詩 の詩 法 に学 びつ つ彼 の 詩 的世 界 を構 築 し 詩 人 と して の 地歩 を固 め,象 徴 詩 人 の一 人 に数 え られ る に至 って い た。 とは い え,ヴ ェルハ ー レ ン には 生 地 フ ラ ン ドル に根 付 い た雄 渾 な詩想 を底 流 と し, 閲歴 に伴 っ て さ ま ざ ま に変 貌 す る き わめ て多 様 な詩 的 特 性 が あ り,「 象 徴 詩 人 」 とい う単 一 な分 類 に収 ま りきる 詩 人 で は な い 。 『路 傍 』 は フ ラ ン ドル の 自然 と生 活 の なか で,卑 近 な外 界 事 象 と五 感 との交 感 を通 じ,幻 想 的 あ る い は比 喩 的 な形 象 を もっ て微 妙 な想 念 を詠 っ た ヴ ェルハ ー レン的 な象徴 詩 で は あ るが,詩 篇Paraboleは}自 然 の 生 命 力 の 奥 深 さ と本 質 を}捉 えそ こ な う 人 間 の認 識 力 の 限 界 性 を ア レゴ リ ィ に よ っ て詠 っ た 文 字 通 り比 喩 詩 で あ っ て,少 な く と もマ ラ ル メ 的 な意 味 にお け る象 徴 詩 で は ない 。 む しろ,外 界 に 背 をむ け て言 葉 の錬 金 術 の秘 儀 にふ け っ て い る 「象 徴 詩 人」 た ち を椰 楡 した 詩 篇 で は ない か と思 わ れ る。

「鷺 の歌 」 を含 め ヴ ェルハ ー レ ンの6詩 篇 を明 治38年 『海 潮 音 』 に収録 し, 上 田敏 は,「 鷺 の歌 」 の 末 尾 に 「ボ ドレエ ル に ほ の め きヴ ェ ル レエ ヌ に現 は れ た る 詩 風 は こ こ に 至 りて,終 に象 徴 詩 の 新 体 を成 した り」 と注 記 して, 処 女 詩 集 『フ ラ ン ドル景 物 詩 』 の詩 篇 「水 か ひ ば」 まで 「象 徴 詩 」 の な か に 括 り込 みrヴ ェ ルハ ー レ ン をフ ラ ンス 象 徴 詩 の筆 頭 詩 人 と して 印象 づ けた の は,ま だ フ ラ ンス象 徴 詩 を鳥 轍 的視 点 か ら受 容 す る ほ ど情 報 が十 分 で なか っ た た め の視 野 狭 窄 的錯 誤 とい うほ か はな い 。 フ ラ ンス 象徴 詩 自体 が 明確 に定 義 づ け しが た い 範 囲 の広 さ を もっ て い る が,象 徴 詩 とい う範 疇 の な か で の 比 率 か らす れ ば上 田敏 が ヴ ェ ルハ ー レ ン に与 え た比 重 が 大 きす ぎ,や が て盛 ん

日本におけるエミール ・ヴェルハーレンー 受容史のための基礎作業的序説一9

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に な る象徴 詩 論 議 に混 乱 を生 じさせ る一 因 と も な った 。

そ の うえ,名 訳 の誉 れ 高 い 上 田敏 訳 は訳 詩 の 定律 的 リズ ム,訳 語 の彫 琢 の 造 型 美,凛 然 た る格 調 の 高 さゆ え,象 徴 詩 の捉 えが た く揺 蕩 い,幽 玄 で不 協 和 的 な情 調 象 徴 を訳 出 す る には,み ず か ら告 白 して い る よ うに,彼 自身 の 高 踏 派 的 資 質 が 妨 げ とな った と言 え よ う。 『海 潮 音 』 の刊 行 直 後,明 治39年1

月,お ひ ざ も との 「帝 国文 学 」 誌 上 に 「訳 者 は フ ラ ンス の さか ん な奔 放 な作 をあ ま りに品 よ く して しま っ た弊 が あ りは しな い か 。(中 略)そ の お もな原 因 は,西 洋 の 近 世 の詩 を訳 す の に,日 本 の 古 い語 を用 い す ぎた か らで は あ る まい か」 とい う批 判 が 出 る ほ どで あ っ た。

蒲 原 有 明,薄 田泣 董,三 木 露風 な どは,フ ラ ンス象 徴 詩 か らの 直接 的 受 容 とい う よ りは,『 海 潮 音 』 ぶ りを受 け継 ぎなが ら独 特 の 日本 象 徴 詩 を拓 い た 。

上 田敏 の功 罪 が指 摘 され る所 以 で あ るが,し か し,上 田敏 は,す で に 明治 31年7月 「帝 国 文学 」 に 「仏 蘭西 詩 壇 の新 声」 を書 き,フ ラ ンス 象徴 詩 を高 踏 派 へ の革 新 と して近代 フ ラ ンス詩 史 的位 置 づ け を 明確 に し,象 徴 派 の 運 動

と して の 自由 詩 にふ れ,サ ム ボ リス トは ヴ ェル ・リブ リス ト(自 由詩 派)で あ る と規 定 す る な ど,以 後,『 海潮 音 』 の 序 文 は じめ,数 多 い論 評 を通 じて フ ラ ンス象 徴 詩 の実 態 の紹 介 に精 力 的 に取 り組 ん だ上 田敏 の功 績 は,他 の 追 随 をゆ る さ ない と こ ろで あ る 。 『海 潮 音 』 以 後,内 藤 濯 や折 竹 蓼 峯 な ど 「帝 国 文 学 」 同 人 が,上 田敏 と と も に ヴ ェルハ ー レ ンの 紹 介 につ く した功 績 も大

きい(10〜14,III,V)。

情 報 が 多 くな って くる につ れ て,明 治43年 ご ろ を さ かい に,幽 玄 な世界 を 詠 う象 徴 詩 人 か ら,宇 宙 的 に拡 大 す る 人 間 の 限 りない力 を讃 え る生 の詩 人 と い う新 しい ヴ ェ ルハ ー レン像 へ の転 換 が行 わ れ る。 こ の ヴ ェ ルハ ー レ ン像 転 i換の 口火 を きっ た の も上 田敏 で あ っ た。 明 治43,44年 に翻 訳 され た詩 篇 「俊 傑 」 「世 界 」 「都 会 」 「思 想 」 「不 可 能 」(15,17〜20)は 詩 集 『無 量 の 壮 麗 』

『幻 覚 に と らわ れ た 田園 』 「騒 擾の 力 』 の な か の詩 篇 で,ヴ ェ ルハ ー レ ンが 世 紀 末 的 な デ カ ダ ンス か らの転 向後 の 宇 宙 的 構 想 を もっ と も よ く示 す 雄 大 な 長

10国 際経営論集No.272004

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詩 で あ る 。 こ う した背 景 に はf明 治43年4月 創 刊 の 「白樺 」 が主 導 的役 割 を 果 たす こ と にな る 自我 肯 定,人 間賛 歌 の思 潮 へ の 時代 的推 移 が あ り,明 治20 年代 か ら 日本 に紹 介 され てい て 「白樺 」 創 刊 前 後 か ら と くに盛 ん な論 議 を呼 ぶ ホ イ ッ トマ ンへ の 関 心 の 高 ま りと共 通 の方 向性 を もっ て ヴェ ル ハ ー レ ンの 再 評価 が 行 わ れ る こ とに な っ た。

4自 由 詩 論 議 と川 路 柳 虹

明 治30年 代 末 期 に至 っ て 自然 主 義 隆盛 の気 運 と と もに,従 前 か ら永 年 に わ た り新 しい リズ ム と形 式 を求 め て きた新 体 詩 論 議 の な かか ら,「 口語 自由詩 」 へ の待 望 が 生 じて きた 。 口火 を き った の は明 治39年6月 「文 章 世 界 」 で の 島 村 抱 月 の 「言 文 一 致 と将 来 の 詩 」 と題 す る談 話,翌 年11月 「詩 人 」 誌 上 の

「現 代 の詩 」 で あ ろ う。 抱 月 は,詩 歌 が 「真 直 に実 際 生 活 に接 して」 い な け れ ば な らな い こ と,形 式 にお い て も思 想 にお い て も現 実 の 生 活 に切 実 に触 れ 真 に表 現 す る詩 で あ る た め に は,小 説 な どの散 文 と同 じ く口語体 で書 か れ た, 言 文 一 致 体 の詩 で な け れ ば な らない と説 い た 。

「明 星」 中心 の 浪 漫 主義,象 徴 主 義,拾 頭 す る 自然 主 義 が 同 時並 立 して い た 明 治30年 代 末 期,こ の なか で,フ ラ ンス象 徴 詩 の 自 由詩 運 動 と,日 本 的 な 自然 主 義 思 潮 とが 接 点 を むす ぶ 方 向性 を も っ た とい うの は,ま こ とに特 異 な 日本 的状 況 で あ った 。 口 語 自 由詩 の提 唱 は,粉 飾 を剥 い だ現 実 をス トレー ト に活 写 す る こ とをめ ざす 自然 主 義 の理 念 と軌 を一 にす る もの で あ った 。古 語 を頻用 し難 解 晦 渋 な雅 語 美 文 に堕 して一 般 大 衆 との乖 離 を きた して い た 「海 潮 音 ぶ り」 とで もい うべ き象 徴 詩 も,時 代 感 覚 か らず れ た浪 漫 的 感 傷 詩 も, 七 五,五 七 を基 調 とす る伝 統 的律 動 と詩 形 か ら脱 す る こ とが で きな い で い る 当 時 の詩 壇 に対 して あ が っ た革 新 の の ろ しが 口語 自由詩 運 動 で あ った 。抱 月 の 「言 文 一 致 詩 」 の主 張 が,フ ラ ンス 自由詩 の場 合 と同 じ く,伝 統 的定 型 詩 形 か らの解 放 指 向 と結 び つ い て[語 自由詩 の 運動 に な っ た の で あ るが,フ ラ ンス にお い て は,自 由 詩 は象徴 詩 の ひ とつ の 表現 形式 と して成 立 して い るの

日本におけるエミール ・ヴェルハーレン 受容史のための基礎作業的序説一11

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に 対 して,日 本 に お け る 自 由 詩 の 唱 道 は,少 な く と も発 祥 期 に は 「自然 主 義 詩 」 の 運 動 だ っ た とい う の が 日本 的 な特 殊 事 情 な の で あ る 。

川 路 柳 虹 が 明 治40年9月 「詩 人 」 誌 上 に 発 表 した 「塵 溜 」(の ち に 「塵 塚 」 と改 題)が,日 本 最 初 の 口 語 自 由 詩 の 創 作 だ と さ れ て い る 。 川 路 柳 虹 は 口 語 自 由 詩 の も っ と も先 導 的 な 実 作 者 で あ っ た が,そ れ 以 上 に,フ ラ ン ス 詩 や 口 語 自 由 詩 に 関 す る研 究 家 で あ り理 論 家 で あ っ た 。 フ ラ ンス 語 のverslibreを 訳 して 「自 由 詩 」 と最 初 に 命 名 した の も彼 で あ っ た 。

フ ラ ンス に お け る 自 由 詩 も象 徴 詩 が そ う で あ る よ う に 当 然,個 人 差 が 激 し く,ジ ュ ル ・ラ フ ォ ル グ,ギ ュ ス タ ヴ ・カ ー ン,ヴ ィエ レ=グ リ フ ァ ン,モ レ ア ス,ア ン リ ・ ド ・レ ニ エ,ヴ ェ ル ハ ー レ ン な どが,そ れ ぞ れ の 詩 的 特 性 に も と つ い て,そ れ ぞ れ 独 自 の 自 由 詩 を創 出 し て い る 。 詩 法 研 究 家 の ア ン リ ・モ リエ は ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 自 由 詩 に つ い て,息 遣 い と感 動 の 波 動 が,韻 律 と な っ て 表 出 し,多 用 さ れ る 畳 韻 法(alliteration)と 感 情 の 起 伏 に 従 っ

て 移 動 しス トレ ス が か か る 強 さ ア ク セ ン トが 強 靭 な リズ ム を鍛 え あ げ,音 量

く ラ

豊 か な効 果 が 結 晶 す る,と 分 析 して い る 。

川路 柳 虹 は フ ラ ンス語 文 献 に直 接 あ た り情 報 収 集 で きた少 数 の 明 治期 文 人 の ひ と りで,ヴ ェ ルハ ー レ ンの移 入 に も功 績 が あ っ た。 口語 自由 詩 の新 律 格 を学 究 的 に追 求 し続 け た 川路 は,ヴ ェ ルハ ー レ ンの 自 由詩 か ら学 ぼ う とそ の 特 質 を分析 した。 大 正6年4月 「文 章 世 界 」 の 「ヴ ェ ルハ ア レ ン論 」 にお い て,今 日の 自由詩 を創 成 した ヴ ェル ハ ー レ ンの詩 の技 巧 は無雑 作,無 拘 束 で, 詩 句 は無 韻 な調律 の上 に置 か れ てい て も,詩 的 リズ ムが 湧 出 して い る。 詩句 を鉄 砧 の うえ で鍛 錬 す る よ うな努 力 を重 ね た す え に,無 作 為 で 自由 に見 え る 律 動 を得 た の だ と,口 語 自由詩 に も詩 法 の必 須 で あ る こ とを言 外 に主 張 す る。

ヴ ェル ハ ー レ ン特 有 の 詩法 は,渡 々 と湧 き出 る思 想 を次 々 に畳 み か け る重 韻 法 や 連 鎖 す る頭 韻 が不 思pな 音 調 の快 感 を生 み 出 し,詩 篇 は,一 見 自 由奔 放 な律 調 に ま かせ な が ら,驚 くべ き緻 密 な統 合 を得 て い る と川 路 は ヴ ェル ハ ー レ ンの 自由 詩 の 特 質 を論 じて い る(XXIII)。 大 正8年5月 「現 代 詩 歌 」 の

12国 際 経 営 論 集No.272004

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「ホ イ ッ トマ ン と 自由詩 」 で,川 路 は,ヴ ェ ル ハ ー レ ンが ホ イ ッ トマ ンふ う の重 韻 法,頭 韻 法 を取 り入 れ ホ イ ッ トマ ンを継 承 しなが ら,そ れ を有 機 的 に, す な わ ち,よ り 「詩 的」 に して ホ イ ッ トマ ン詩 の散 文 体 か ら脱 却 して オ リジ ナ ル な 自由詩 を創 出 した,と 米 仏 の類 似 的 な両 詩 人 の 関係 とそ れ ぞ れ の独 自 性 を指 摘 して い る(XXVIII,XLV)。

川 路 柳 虹 は大 正5年11月,み ず か ら主 宰 す る詩 誌 「伴 奏 」 を創 刊 し,大 正 6年11月 まで5輯 刊 行 した 。 ヴ ェ ルハ ー レ ン詩 篇 の翻 訳,論 評 な どを掲 載 し

た ほか,詩 人 た ち と自分 の創 作 発 表 の場 で あ っ た この 詩 誌 が,大 正 期 の 口語 自 由詩 史 上 に 占 め る位 置 は大 きい(45,46,XVI,XV工1,XXIV,XXV)。

川 路 柳 虹 とい う詩 人 ・研 究 家 が 精 力 的 に追 究 した仕 事 は 日本 近 代 詩 史 にお い て きわ め て重 要 な もの で あ っ た の に,川 路 柳 虹 研 究 が ま だ十 分 な され て い ない 。 ヴ ェ ルハ ー レン受 容 史 にお け る川 路 の功 績 も,綿 密 な資 料 分 析 を通 じ て明 らか に しな け れ ば な らない 。

5正 統 的 象 徴 詩 人 三 富 朽 葉

「正 統 的 」 と称 した の は,多 か れ 少 な か れ 『海 潮 音 』 の影 の な か にい て定 律 的 詩 法 の流 れか ら離 れ ない前 期 象徴 詩 人 た ち とは異 な り,暁 星 校 出 身 の 三 富 朽 葉 は,フ ラ ンス語 文 献 を介 しフ ラ ンス 象 徴 詩 に直 接 学 び強 い影 響 を受 け た 詩 人 だ か らで あ る。27歳 に して 夫 折 した た め,「 一 つ の体 系 が 出来 か か っ

く ラ

て ゐ た」 とい わ れ る彼 の 詩 人 と して の 大 成 が 実 現 しな か っ た が,残 され た 詩 作 品 は,学 術 的研 究 の裏 づ け と一体 化 した高 い 文 学 性 を示 して い る。

明 治44年 早稲 田大 学 を卒 業 す るが,在 学 中 か ら近 代 フ ラ ンス 詩 人 を耽 読 し 象 徴 主義 に親 熟 した。 また,在 学 中(明 治42年)に 結 成 した 「自 由詩 社 」 に 拠 り,口 語 自 由 詩 運 動 を展 開 して い た 。 三 富 はAndreBeaunierの 論 文Le

ユの

惚 駕libreか ら フ ラ ンス象 徴 主 義 の 自由 詩 の詩 法 を学 び,そ れ を視 野 にい れ 創 作 活 動 を行 った 。

三 富 は ヴ ェルハ ー レ ンの 詳 細 な評 伝 を大 正4年4月,5月,大 正6年2月,

日本 に お け る エ ミ ー ル ・ヴ ェ ル ハ ー レ ン 受 容 史 の た め の 基 礎 作 業 的 序 説13

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そ れ ぞ れ 「早 稲 田 文 学 」 に 発 表 し た(XIII,XV,XVIII)。 各 種 の フ ラ ン ス 語 文 献 を参 照 し た う え で の 多 面 的 な ヴ ェ ル ハ ー レ ン像 を描 い て い て,内 容 ・分 量 と も に,ス ケ ー ル の 大 き さ,論 点 の 深 さ,範 囲 の 広 さaい ず れ を と っ て も,

日本 に お け る ヴ ェ ル ハ ー レ ン評 伝 と して は も っ と もす ぐれ た 資 料 で あ る 。 三 富 らの 口 語 自 由 詩 運 動 は 「57,75,86,55な どの 定 型 か ら解 放 さ れ た 自 由 な 表 現 詩 形,言 葉 の 数 が 生 む 調 べ よ り も,思 想 や 感 情 の 流 れ や,官 能 や 感 覚

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の 息 吹 の か な で る調 べ を そ の ま ま表 現 出 来 る 詩 形 を創 り出 そ う」 とい う明 確 な綱 領 の も と展 開 され,詩 境 と詩 形 の解 放 運 動 と して の 口語 自由詩 の 追 究

が よ うや く軌 道 に の った。

三富 は ヴ ェ ルハ ー レ ン を 「動 い て 止 まぬ 活 力 」の 詩 人 と評 し,「彼 の韻 律 は, 常 に動 揺 し常 に感 激 す る彼 の 生 活 か ら送 り出 る大 息 で あ る,渾 身 の 生動 で あ る,全 部 の1張溢 で あ る。 緊 張 の苦 痛 と1張溢 の逸 楽 とに,彼 の言 葉 は猛 るが 如 く狂 ふ が 如 く躍 っ て ゐ る」(XIII)と 特 質 を捉 え て い る。 三 富 は,大 正 三 年 に は,「私 はVerhaerenの 羅 列 的 な感 情 文 明 を愛 さぬ 。お お鮮 明 な音 楽(Kahn),

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繊 細 な現 実(Rimbaud)!」 と書 き,ヴ ェ ル ハ ー レ ン後 期 の 宇 宙 交 感 的 大 詩 集 の,ま る で万 物 豊 饒 の エ ネル ギ ーが 七 花 八 裂 して乱 舞 す る よ うな無 限空 間, 轟 々 と重 畳 す る動 力律 な どに生 理 的 ・体 質 的 な違 和 感 を表 明 して い る。 三 富 の詩 的感 受 性 は,交 響 楽 的 な昂 揚 よ りは独 奏 曲や 室 内楽 の叙 情 性 とこ そ共 振 す る もの だ か らで あ る。 しか し,1年 後,ヴ ェ ルハ0レ ンの愛 の 詩 集 を発 見

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し 「私 の と同 じ意 味 の 賞 嘆 の境 地 が 信 念 を以 って 歌 っ て あ ります」 と書 きr

「告 白,感 謝,祈 祷,真 摯 な愛,裸 形 の 喜 び,鮮 か な智 慧,爽 か な黙 識 の あ

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らゆ る優 しさが 輝 い て ゐ る 。(中 略)さ な が ら楽 園 の 眺 め で あ る」 と ヴ ェ ル ハ ー レ ンの叙 情 詩 人 と して の本 質 に共 感 し,こ の時 期,生 活 を と もに して い た高 木 芝 露子 へ の みず か らの心 情 と重 ね て 受 容 して い る。

三富 が ヴ ェル ハ ー レ ン に傾 倒 してい く大 正4年 頃 に は,彼 の 創 作 活 動 は 口 語 自由 詩 か ら散 文 詩 に移 って い た。 散 文 詩 「微 笑 につ い て の反 省 」 にお け る ヴ ェル ハ ー レ ンの愛 の詩 集 の 反 映 を確 認 し,ヴ ェル ハ ー レ ン と三 富 の 問 の 詩

14国 際経営論集No.272004

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的接 点 を明確 に させ る こ とが 今 後 の課 題 とな る(LX,LXX)。

6与 謝 野 寛 の 訳 業

与 謝 野 寛 は 明 治41年 の 「明 星 」 廃 刊 の痛 手 をい や す べ く,明 治44年11月 渡 欧 した。 寛 は 晶子 と と もに ロ ダ ン を訪 問 し,晶 子 の帰 国後,当 時パ リ郊 外 の サ ン ・ク ル ー に住 ん で い た ヴ ェ ルハ ー レ ン と面 談 す る機 会 を得 た 。 日本 の 文 人 で ヴ ェ ルハ ー レ ン と会見 したの は与 謝 野 寛 だ けで あ ろ う し,寛 ・晶子 共 著

『巴 里 よ り』(XI)に 記 録 され た ヴ ェ ル ハ ー レ ンの 書 斎 の 様 子 と会 談 内 容 は きわ め て 貴 重 な資料 で あ る 。

パ リ滞在 中,寛 は フ ラ ンス語 の勉 強 の つ も りで ,現 代 詩 人 の詩 を 中心 に11 訳 し,帰 国後 大 正3年,訳 詩 集 『リ ラの花 』 を出 版 した 。 ヴ ェル ハ ー レ ンの 詩 篇 につ い て は,当 時刊 行 され た ば か りの詩 集 『そ よ ぐ麦 』(1912)か ら18 詩 篇 が 翻 訳 され,そ の うち5詩 篇 が大 正2年4月 「帝 国文 学 」 に掲 載 され た

(22〜39)。

この 詩 集 は,ヴ ェルハ ー レ ンの手 な れ た テ ーマ で あ る フ ラ ン ドル の大 地 と 農 民 を詠 っ た もの で,す で に独 自の 自由詩 を完成 の域 まで 鍛 えあ げ た ヴ ェル ハ ー レ ンは この詩 集 で も自 由 な律 動 を駆 使 して い る もの の ,8音 綴 や12音 綴 の韻 律 を主体 と した詩 篇 もあ り,晩 年 の ヴ ェ ルハ ー レ ン詩 が 定 型 化 へ 回帰 す

る方 向 を うか が わせ て い る こ とが見 て とれ る。

与 謝野 訳 は,誤 訳 もあ る が,大 らか で 大 胆 な訳 法 で あ り,ヴ ェ ルハ ー レ ン 詩 篇 の息 遣 い と共振 してい る よ う な,雄 渾 な リズ ム の 口語 自由 詩 とな っ て い る。 こ の訳 業 は,「 明 星」 時代 の弟 子 で もあ る高 村 光 太 郎 の す ぐれ た ヴ ェ ル ハ ー レ ン詩 の翻 訳 に引 き継 が れ て い く もの で あ る(LXIX)。

7民 衆 詩 と ヴ エ ル ハ ー レ ン

大 正 期 の 詩 史 に お い て も っ と も瞠 目 す べ き 詩 的 活 動 は,「 民 衆 詩 派 」 と い わ れ る 詩 人 た ち の 運 動 で あ る 。 白 鳥 省 吾,百 田 宗 治,佐 藤 惣 之 助,尾 崎 喜 八,

日本 におけるエ ミール ・ヴェルハーレンー 受容史のための基礎作業的序説一15

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千 家 元 麿,富 田砕 花 な ど を中心 と しT大 正 期 最 大 の詩 人 集 団 「詩 話 会 」 が 新 潮 社 か ら発 行 して い た 「日本 詩 人」 に拠 っ て活 動 した 。尾 崎 喜 八 や 千 家 元 麿 の よ う に 「白樺 」 に属 す る寄 稿 者 もい た。

第 一 次 世 界 大 戦 後,世 界 的 に膨 済 と して起 こ っ た デモ ク ラシ ー の うね りの なか で,日 本 で は吉 野 作 造 の民 本 主 義 を思 想 的 背景 と し,大 正 期 を通 して盛 ん に移 入 ・紹 介 され た ホ イ ッ トマ ン,カ ー ペ ン タ ー,ト ラ ウベ ル の民 衆 思想 を受 容 して,詩 壇 にお い て展 開 した詩 の民 主 化 運動 が 民 衆 詩 の活 動 だ っ た 。 詩 的運 動 と して は明 治期 の 口語 自由 詩 の 延 長 上 に あ り,口 語 自 由詩 が 形 式 の破 壊 をめ ざ した の に対 して,社 会 全 体 の なか に生 きる 自覚 ・自立 した個 性 で あ る市 民 とと もに共 有 す る詩 的 世界 の創 出 とい う内容 の 革命 を め ざす もの で あ った 。 民 衆 の 詩 で あ る か ら には,形 式 は徹 底 的 に口語 自 由詩 で あ る こ と を必 要 と した 。 明 治 期 に始 ま った 口語 自 由詩 は民 衆 詩 と と もに完 成 した。

資 本 主 義 経 済 ・産 業 構造 の進 展、に と もな う都 市 生 活 の 変 化,農 村 の疲 弊, プ ロ レタ リア ー トの 階級 意 識 の 強 化,そ して と りわ け大 正6年 の ロ シ ア革命 の 波動 を受 け て,社 会 主義 思想 が 高 ま り各 種 労 働 運 動 が 盛 ん に な った 。 大 正

7年 夏 の 「米 騒 動 」 もこ う した時代 状 況 の一 波 で あ っ た。

一 方,「 白樺 」 を 中心 とす る個 我 崇 拝,人 間賛 歌,人 道 主 義 な ど,生 の よ ろ こび を求 め 高 み に むか っ て精 神 的 に伸 長 しよ う とす る肯 定 的 で 明 朗 な思 潮

も並 存 して い た 。

この よ う な現 実 に即 応 して民 衆 詩 の 活動 も詩 的 テ ー マ も,あ るい は社 会 思 想 的 で あ り,あ る い は都 会 派 的 で あ り,あ るい は 田 園指 向 的 で あ り,あ る い は 「白樺 」 的 で あ っ た。 民 衆 詩 派詩 人 た ち に よる,大 正11年1月 の 『日本 社 会 詩 人 詩 集 』(日 本 評 論 社 出 版 部)と,翻 訳 『泰西 社 会 詩 人 詩 集 』(同 社)は,

この 派 の社 会 思 想 的方 向性 に沿 う成 果 で あ った 。後 者 は ホ イ ッ トマ ン,ト ラ ウベ ル,エ マ ー ソ ンの訳 詩 集 で あ る。

この シ リー ズ に 『ゴ ル ハ ア ラ ン詩 抄 』9詩 篇(104〜112)が 入 って い る 。 翻 訳 者 は百 田宗 治 に な って い るが,金 子 光 晴 が代 訳 して い る こ とが 百 田 に よ

16国 際経営論集No.272004

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って 明 記 され て い る。 詩 篇 はそ れ ぞ れ詩 集 『生活 の相 貌 』 『無 量 の壮 麗 』 『至 上 律 』 『十 ニ ケ 月 』 に収 録 され て い る もの で,人 と物 の躍 動 す る 生命 の一 体 感 を雄 勤 な律 動 で燃 え立 つ よ う に詠 い あ げ られ た 自由詩 で あ って,「 社 会 詩 入」 と しての ヴ ェ ルハ ー レ ンの 一 面 を示 す モ デ ル とな る詩 篇 で は必 ず し もな い 。 た しか に ヴ ェ ルハ ー レ ン は1890年 代 に,ベ ル ギ ー労 働 党 党 首 で社 会 主 義 者 ヴ ァン デル ヴ ェ ル ドに協 力 して 民 衆 運 動 に加 わ った こ と もあ るが,彼 の思 想 は政 治 的 とい う に は あ ま りに観 念 的 ・理 想 主 義 的 な 自由 平 等 思 想 で あ る。

しか し,そ の 時代 の思 想 か ら社 会 主義3部 作 とい わ れ る詩 集 が 生 まれ て い る の で,そ の 詩 集 か らなぜ 選 ば なか った の か 疑 問が 残 る とこ ろで あ る。 そ れ で も,詩 篇 「群 衆」 は4頁 にわ た って 「内務 省 の厳 達 に よ り削 除」 の処 分 を受 け て い る。 削 除 され た部 分 は,「 猛 り狂 え,(中 略)ひ と りの首 謀 が 四辻 の 隅 で 口 をひ ら く と,/民 衆 はそ の 言 葉 を よ く も聴 き と らず に,/も うそ の後 に続 い て一 み よ怒 り狂 い なが ら/国 王 を ひ き倒 して は辱 しめ る,/燦 た る偶 像 の台 を うち落 と して は うち砕 く。(後 略)」 とい う内容 で,字 面 通 り読 め ば,民 衆 の 暴 動 を思 わ せ る場 面 だが,こ の沸 き立 つ よ うな群 衆 の エ ネ ルギ ー に脅 か さ れ て い る都 市 の幻 想 を前 に,「 私 の なか で,私 の心 は増 殖 し拡 大 され 昂 ぶ り, /躍 動 す るの を感 じる」 と,自 分 の心 にあ る う ち騒 ぐ群 衆 の活 力 を一 体 感 情 と して詠 って い るの で あ り,狭 い社 会 主 義 意識 が テ ー マ で あ る よ りは,活 力 信 仰 を表 現 す る轟 々 た る律 動 を詠 う こ と 自体 が テ ーマ なの で あ る 。

それ は ともか く,前 述 の 「日本 社 会 詩 人 詩 集 』 にお い て もs百 田宗 治 の 詩

「騒 擾 の上 に」 が6頁 にわ た っ て,同 様 に伏 字 処 分 に な っ てお り,大 震 災 前 後 の社 会 主 義 思 想 に対 す る権 力 側 の抑 圧 強 化 を ま ざ ま ざ と見 せ つ け られ る。

『ゴ ルハ ア ラ ン詩 抄 』 の 実 際 の 翻 訳 者 で あ る金 子 光 晴 は,高 村 光 太 郎 につ い で もっ と も多 くヴ ェルハ ー レ ン詩 篇(約70篇)を 翻 訳 した詩 人 で あ る。 金 子 光 晴 は上 述 の訳 詩 集 の ほ か,大 正14年3月 『ブ エ ル ハ ア レ ン詩 集 』(新 潮 社),同 年8月 『近代 仏 蘭 西 詩 集 』(紅 玉 堂)な どで ヴ ェ ルハ ー レ ン詩 篇 を翻 訳 して い る(141〜180)。

日本 に お け る エ ミ ー ル ・ヴ ェ ル ハ ー レ ン 受 容 史 の た め の 基 礎 作 業 的 序 説 一17

(18)

金 子 光 晴 は 百 田宗 治 ほか 民 衆 派 詩 人 た ち との交 流 も深 く,「 日本 詩 入」 に も関係 した が,金 子 の 詩 人 と して資 質 は 「民 衆 詩 人 」 とい う単 一 の カ テ ゴ リ ー に は納 ま り き らない 。 大 正8年 か ら9年 ま で のベ ル ギ ー滞 在 中,ヴ ェ ルハ ー レ ンの ほか象 徴 派,高 踏 派 の詩 を耽 読 し,そ の読 書 体 験 か ら帰 国後 大 正12 年 の 『こが ね 虫 』 が 成 立 した 。 この 詩 集 につ い て ヴ ェルハ ー レ ンの影 響 を分

ロ らラ

析 的 に検 証 しな けれ ば な らな い 。

民 衆 詩 人 た ち は,圧 倒 的 にホ イ ッ トマ ンの影 響 を受 けて い るが,ヴ ェルハ ー レ ンにつ い て もホ イ ッ トマ ン と同 じ方 向 をむ い て い る詩 人 と して,関 心 を

も って い た。 「日本 詩 人」 「白樺 」 な どに発 表 され て い る都 会 詩 丁 田 園詩,自 然 詩,樹 木 賛 歌 な どの民 衆 詩 に は,多 か れ少 な か れ ヴ ェル ハ ー レ ンの影 響 が 感 じ られ る。 ホ イ ッ トマ ンの 影 響 とは別 に,ヴ ェル ハ ー レ ンの影 響 が どれ く

らい特 定 で きる か,こ れ も今 後 の研 究 課 題 で あ る。 と くに尾 崎 喜 八 は民 衆 詩 人 た ち の なか で は もっ と も強 くヴ ェル ハ ー レ ンの影 響 を受 け てい る(XXXII, XXXVI)。

8高 村 光 太 郎 紹 介 と影 響

高村 光太郎 をヴェルハ ー レンと 「 最 も心臓 の鼓脈 の近 い詩 人」 と評 したの

く  (37}

は金 子 光 晴 で あ る 。 さ ら に気 質 や骨 格 の類 似 まで 指 摘 され て い る 。 高 村 光 太 郎 は,明 治43年7月,詩 集 『十 ニ ケ 月 』 か ら 「あ はれ な る者(二 月)」 を 訳 した の が最 初 で,大 正8年 以 降大 正 期 を通 し毎 年 翻 訳 ・紹 介 し,全 訳 詩 集

『明 るい 時 』 『午 後 の 時 』 『天 上 の 炎 」 を含 み,昭 和33年 まで 約120篇 に の ぼ る ヴ ェ ルハ ー レ ン詩 篇 を訳 した。

彼 は 「詩 の翻 訳 は結 局不 可 能 で あ る。意 味 を伝 へ,感 動 を伝 へ,明 暗 を伝 へ る事 位 は出 来 るか も知 れ な い が,原 の 「詩 」 は や は り向 うに残 る。(中 略)

ヱ 

詩 の 翻 訳 は結 局 一 種 の 親 切 に過 ぎ な い」 とい っ て い るが,高 村 光 太 郎 の 訳 詩 法 は,な に よ り も原 詩 の 「心 」 を伝 え よ う とす る こ とで あ る。 原 詩 の表 現

して い る 世界 を まず 全 体 と して捉 え,彼 自身 の詩 魂 詩 想,リ ズ ム との 同化

18国 際 経 営 論 集No,272004

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を通 して再 構 成 しよ う とす る。 この方 法 は,場 合 に よっ て は,原 詩 を構 成 し て い る要 素 の細 部 に対 す る軽 視,文 法 的解 釈 へ の 無 頓 着 な態 度 と して顕 わ れ る。 宗 左 近 氏 は,高 村 訳 の強 引 な 自分 の 世 界 へ の ね じ曲 げ の危 険 を指 摘 し,

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「一 口 に言 え ば,家 父 長 的 性 格 」で あ る と評 して い る。 しか し,片 々 た る誤 訳 とい う蝦 に もか か わ らず,原 詩 とみ ご とに共 振 す る リズ ム は 「一種 の 親 切 」

を は るか に超 え,彼 の訳 詩 は大 正期 にお け る 口語 自由 詩 が 到 達 した最 高 の 詩 法 を示 してい る。彼 に は さ ら に,優 れ た ヴ ェ ルハ ー レ ン評 伝 が あ り(XLIII), 高 村 光 太 郎 は 日本 にお け る ヴ ェル ハ ー レ ンの紹 介 者 と して きわ め て大 きな功 績 を残 して い る。

詩 人 で あ る高村 光 太 郎 は ヴ ェル ハ ー レ ンか ら どの よ う な影 響 を受 け て い る か 。 この 二 人 の 詩 人 の よ うに,本 来 的 に 同質 な資 質 を もって い る場 合,そ れ だ け に文 学 的 影響 は測 りが た い。 一例 だ け挙 げ て み よ う。 原 詩 は詩 集 『幻 想

 の

の 村 々 』(1895)の な か の 詩 篇 「風 」 で あ る 。 高 村 光 太 郎 訳 と 並 べ て 示 す 。 ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 自 由 詩 の 詩 法 が 確 立 し,フ ラ ン ド ル の 風 と 雪 の カ ダ ン ス と 詩 の 律 動 が 一 体 と な っ て 鳴 り 響 い て い る 。

Surlabruyさrelongueinfiniment,か ぎ り な く つ づ く茂 み の 地 に, VoicileventcornantNovembre;十 一 月 を 吹 き 鳴 ら す 風,

Surlabruyere,infiniment,か ぎ り な く,茂 み の 地 に,

Voicilevent風

Quised6chireetsed6membre,破 れ 又 裂 け る 。

Ensoufleslourds,battantlesbourgs;深 い 息 吹 に,町 々 を う ち な が ら,

Voicilevent,風 が,

LeventsauvagedeNovembre.十 一 月 の 粗 暴 な 風 が 。

Auxpuitsdesfermes,農 家 の 井 戸 で は,

Lessceauxdeferetlespoulies鉄 の 水 桶 と 滑 車 と が

Grincent;歯 ぎ し り す る 。

日本 にお け るエ ミー ル ・ヴェ ル ハ ー レンー 受 容 史 の た め の基 礎 作 業 的序 説一19

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Auxciternesdesfermes, Lessceauxetlespoulies

Grincentetcrient.

農 家 の貯 水 槽 で は 水 桶 と滑 車 とが

歯 ぎ し り し笑 き叫 ぶ 。

Leventra且e,lelongde1'eau,

Lesfeuillesmortesdesbouleaux,

LeventsauvagedeNovembre;

Leventmord,danslesbranches,

Desnidsd'oiseaux;

Leventrapedufer

Etprecipite1'avalanche,

Rageusement,duvieilhiver,

Rageusement,levent,

LeventsauvagedeNovembre.

風 は,河 に 沿 っ て,掻 き払 ふ, 樺 の 木 の 枯 っ ぱ を 。

十 一 月 の 粗 暴 な 風 。 風 は 噛 む,枝 の 中 で,

鳥 の 巣 を 。

風 は 鉄 を す りへ ら し 又 雪 崩 を 吹 きお とす,

た け り狂 っ て,老 い た る 冬 の, た け り狂 っ て,風 は,

十 一 月 の 粗 暴 な風 は 。

こ の あ と さ ら に6聯 続 く長 詩 だ が,原 詩 と訳 詩 の リ ズ ム が い か に 無 理 な く共 振 して い る か,こ こ ま で の 部 分 で も十 分 わ か る 。 こ の 詩 の リズ ム は[r][1][v]

[s][f]音 の 畳 韻 法 と,1event,leventsauvagedeNovembreの リ フ レ イ ン と, た た み か け る よ う な10,8,5,4音 綴 か ら な る 長 短 の 詩 行 の 交 錯 か ら発 し,吹 き す さ ぶ 寒 風 の厳 し さ とエ ネ ル ギ ー を 表 現 し て い る 。

高 村 光 太 郎 も ヴ ェ ル ハ ー レ ン 同 様,詩 法 の ひ とつ と し て,リ フ レ イ ン を 効 果 的 に使 っ た 詩 人 で あ る が,こ こ で も,訳 詩 は 原 詩 の リ フ レ イ ン効 果 を 巧 み に 生 か し き っ て い る 。 こ の 原 詩 お よ び 訳 詩 は,高 村 光 太 郎 の 創 作 詩 「犬 吠 の 太 郎 」,「冬 が 来 る 」,「狂 者 の 詩 」,「冬 の 詩 」,「冬 が 来 た 」 な ど を想 起 させ る 。

「犬 吠 の 太 郎 」 の 「太 郎,太 郎/犬 吠 の 太 郎,馬 鹿 の 太 郎 」 「け ふ も 海 が 鳴

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っ て ゐ る 」 「ス テ テ レ カ ン カ ン」 や,「 狂 者 の詩 」 の 「吹 い て 来 いr吹 い て 来 い」 「秩 父 お ろ しの 寒 い風j「 山 か ら こ ん こ ろ りん と吹 い て来 い」 「世 は末

(22)(23)

法 だ,吹 い て 来 い 」や,「 冬 の 詩 」 の 「冬 だ,冬 だ,何 処 もか も冬 だ 」 が 作 20国 際経営論集No.272004

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り出す 律 動 と同 質 で あ る。 さて,こ こで 影 響 を安 易 に指 摘 してい い ものか 。 創 作 詩 は大 正 元 年,2年 に書 か れ て い るが,こ の 詩 を書 い た と き,高 村 光 太 郎 はす で に原 詩 を読 ん で い た だ ろ うか 。 ち な み に,訳 詩 は大 正9年 に書 か れ た もの で あ る。 原 詩 を読 んで い た こ とが 証 明 され な けれ ば影 響 関係 は成 り立 た ない 。大 正2,3年 には高 村 光 太郎 の固 有 の リズ ム と詩 法 は確 立 して い た。

した が っ て,方 向 は逆 なの で あ っ て,す で に 高村 光太 郎 の 詩 魂 の な か で 鳴 り 響 い て い た リズ ムが ヴ ェルハ ー レ ンの 詩 と出 会 い 共振 を発 した れ ば こそ,彼 の優 れ た訳 詩 が 生 まれ得 た の で は ない か,と 考 え る こ と も可 能 な ので あ る。

高 村 光 太郎 とい う詩 人 はs内 に詩魂(彼 は これ を 「気 」 とい う言 葉 で い い

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あ らわ して い る)が 張 りつ め,あ ふ れ て,リ ズ ム と形 式 な ど の 詩 的 造 型 が そ れ に と もな う よ うに,お の ず と出 来 上 が っ て詩 が 鳴 り出 す て い の,そ の意 味 で きわ め て類 まれ な倫 理 的 な詩 人 で あ っ た。 高 村 光 太 郎 独 特 の リズ ムが 少

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しず つ 作 動 しは じめ る の は 「新 緑 の毒 素 」 あ た りか らで あ る が,し か しな ん とい って も彼 の 詩魂 と詩 的造 型 が 決 定 的 に確 定 す る には,長 沼 智 恵 子 との 出 会 いが 必 要 で あ っ た。

「ヴ ェ ルハ ー レ ンの 詩 集 『明 る い 時 』 との 出 会 いが なか っ た ら,高 村 光 太

  ラ

郎 の 『智 恵 子 抄 」 は 生 ま れ な か っ た か も しれ な い 」 と い う見 方 は 今 や 定 説 に な っ て い る 。 ヴ ェ ル ハ ー レ ン と マ ル ト,光 太 郎 と智 恵 子 の 関 係 は不 思 議 な ほ ど類 似 して い る 。 光 太 郎 も ヴ ェ ル ハ ー レ ン と 同 じ くデ カ ダ ンス の 暗 闇 を 彷 裡 した 時 期 が あ り,二 人 は そ れ ぞ れ マ ル ト,智 恵 子 に よ っ て 救 わ れ た 。 お ま

け に マ ル トも智 恵 子 も画 家 を 志 し て い た,と い う と こ ろ ま で 偶 然 の 吻 合 は 及 ん で い る 。 光 太 郎 が 智 恵 子 詩 篇 を 書 き 出 す の は 明 治44年7月 か らで,そ の 時 点 で ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 愛 の 詩 集 の よ う な 詩 集(『 智 恵 子 抄 』)と して 将 来 収 録 し よ う な ど と考 え て い た と は 思 え な い 。 も しそ の 時 点 で,ヴ ェ ル ハ ー レ ンの 閲 歴 に つ い て 知 識 を も っ て い た と し た ら,自 分 の 閲歴 との 類 似 に気 を とめ た だ ろ う が,そ の た め に ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 『明 る い 時 』 に な ら っ て,智 恵 子 詩 篇 を書 こ う な ど と思 っ た だ ろ う か 。

日本 におけるエ ミール ・ヴェルハーレン 受容史のための基礎作業的序説21

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智 恵 子 詩 篇 とヴ ェル ハ ー レ ンの愛 の 詩 集 を照 合 す れ ば,詩 句 や発 想 や モ テ ィ フの一 致 を見 つ け る こ とは さ して 困.,.な こ とで は な い。 この 一 致 は ヴ ェ ル ハ ー レ ンの愛 の 詩 の 介 在 が な け れ ば生 じ得 ない もの な の か 。 閲歴 の類 似 が 発 想 の類 似 を生 むの は必 然 で は ない だ ろ うか 。 む しろ,詩 句 や モ テ ィ フの一 致 に もか か わ らず,両 者 の詩 的世 界 の異 質性 に こそ注 目す べ きで は ない のか 。 高 村 光太 郎 が 志 向 した 「近 代 」 は な に よ り も個 我 の倫 理 の 上 に築 か れ るべ き もの で あ っ た。 この倫 理 を支 え る もの と して導 入 され た の が 彼 独 特 の 「自 然 の理 法」 とい う理 念 で あ る。 こ の 自然 の意 志,自 然 の 理 法 にい か に感 応 す るか,そ の 強 弱,純 不 純 が 芸 術 と倫 理 の価 値,生 の価 値 を きめ る,と い うの が彼 の基 本 思 想 で あ る。彼 の 「自然 」 は倫 理 的 な相 を帯 び て い て,「 自然 の 理 法 」 に随 順 す る こ とが真 の個 我 へ の道 な の で あ る。 そ して愛 も 「自然 の 理 法 」 の働 きに参 入 す る行 為 な の で あ る 。 自然 の 理 法 は 両極 性 を もっ て い て, 一 つ は遠 心 的 に働 き,ひ た す ら豊 饒 に発 散 す る力 で あ り,も う一 つ は求 心 的 に働 き浄 化 を求 め て 内 面 世 界 に収 敏 す る。 一 つ は 「人 間愛 」 と して,も う一 つ は 「離 群 癖 」 と して,共 存 し,「 白熱 と堅 泳 とは わ た しの故 郷 で あ る。 二

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者 同 一 で あ る」 と彼 が い う よ う に,こ の 二 元 的 方 向性 は彼 の芸 術 と倫 理 の 構 造 な の で あ る。 長 沼 智 恵 子 は彼 の前 に,こ の 「自然 の理 法 」 を体現 して い る女 性 と して現 れ たの で あ る 。 こ う して智 恵子 は高 村 光 太 郎 が 志 向 す る 「近 代 」 を建 設 す るの に もっ と もふ さわ しいパ ー トナ.̲̲̲とな る。

『智 恵 子 抄 』 が 愛 の 詩 集 で あ る こ とは た しか だが,詠 わ れ て い る愛 は,す べ て な ん らか の 意 味 で 求 道 的 で あ り,詩 的 世 界 を構 成 して い る 「場 」 は 「が

  ラ

ら ん と し た 家 」 「が ら ん ど う な ア ト リ エ 」 「が ら ん と晴 れ 渡 っ た 北 国 」 と い う イ メ ー ジ で 示 さ れ て い る 。 愛 の 磁 場 の 象 徴 は 「薫 条 た る ア トリ エ 」 な の で あ る 。 こ れ を ヴ ェ ル ハ ー レ ン の 愛 の3部 作 と対 比 して み れ ば,両 者 の 詩 的 世 界 が ま っ た く異質 な もの で あ る こ と は 明 白 で あ る 。 ヴ ェ ル ハ ー レ ン に お い て は,終 始,花 園 が 愛 の 世 界 を構 成 し,ば ら,池,鳥,陽 光 の な か で 愛 は 祈 り で あ りや す ら ぎ で あ る 。 自然 との や さ しい 交 感 の な か に 自 己 を 解 放 す る 。 こ

22国 際経営論集No.272004

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の花 園 は 「楽 園」 の イ メ ー ジ と重 な る。 愛 は エ ゴ イズ ム を退 け 人 間 を と りま く万物 との融 合 をお しす す め る力 とな る。 個 我 は問題 に な らな い 。個 我 は宇 宙 の リズ ム と一 体 にな る。 高村 光 太 郎 が 自然 の理 法 に随順 す る た め に求心 的 な倫 理 を追 究 した の に対 し,ヴ ェ ルハ,̲̲.レン は個 我 か ら他 者 へ と遠 心 的 に 自 己 を 開放 した。両 者 は 自然 の 理 法 に対 して対 極 的 な方 向 を と り,倫 理 的 に は, 高村 光 太 郎 が 冬 の倫 理 を生 の 原 理 と した の に対 して ヴ ェル ハ ー レ ンは 一切 賛 美 の オ プ テ ィ ミズ ム に到 達 した 。 こ の方 向 性 の 違 いが 「智 恵 子 抄 』 と 『時 』

3部 作 の 世界 を ま っ た く異 質 な もの に して い る(LX,LXIV,LXVII)。

(表2) エ ミ ー ル ・ ヴ ェ ル ハ ー レ ン 作 品(詩 篇 ,戯 曲,評 論)邦 訳 略 年 表

◆1のlmagesJaponaisesの み 原 文,

◆ 刊 行 書 で 初 出 の 場 合 を 除 き,初 出 訳 が 後 の 刊 行 書 に 再 録 さ れ て い る 場 合 は ナ ン バ0を 新 し く し な い.

◆ 同 一 訳 者 に よ る 同 一 作 品 訳 が 複 数 回 収 録 さ れ て い る 場 合 、 再 録 誌 ・書 の す べ て に つ い て 追 跡 す る こ と は し な い.

◆ 各 種 文 献 中 で 当 該 詩 篇 邦 訳 の 存 在 が 指 摘 さ れ て い て も,初 出 誌 未 見 な ど の 理 由 で 、 確 認 で き て い な い も の は 除 く.

1 M.29 Ima, ,gesJaponaises(5詩 篇;鈴 木 華 邨 画 、 発 行 者:長 谷 川 武 次 郎) 2 M.34 評 論 「悲 哀 」(上 田敏;「 新 文 芸」5月)

3 M.34 評 論 「仏 蘭 西 の 哀 観 詩 人」(上 田敏:「 帝 国 文 学 」6月)

M.35 上 田敏 『最 近 海外 文 学続 編 』(文 友 館 〉 の 中 「悲 哀 」;2,3 4 M.37 「鷺 の 歌(象 徴 詩)」(上 田 敏=「 明 星 」1月 号;Parabole,inB.R.)

5 M.38 「水 か ひ ば」(上 田敏=「 明 星」6月 号;rAbreuvoiちinFの 6 M.38 「法 の 夕 」(第2詩 篇=上 田 敏;「 明 星 」6月 号;Soirreligieux,inM.)

7 M.38 「=畏怖 」(上 田 敏:「 明 星 」9月 号;LaPeur,inAp.)

S M.38 「火 宅 」(部 分 訳;上 田 敏1「 明 星 」9月 号;LesVilles,inF.T.) 9 M.38 「時 鐘 」(上 田 敏=「 明 星 」10月 号;LesHar!oges,inB.R.)

M.38 上 田 敏 海 潮 音 』(本 郷 書 院 、10月);3(部 分)護,5,6,7,8,9 10 M.41 「夜 」(内 藤 水 狸:「 帝 国 文 学 」8月 号;LaNuit,inB.R.)

1ユ M.41 「嵯 嘆 」(内 藤 水 程:「 帝 国 文 学 」8月 号;Novembre,inIbid.) 12 M.42 「風 車 」(内 藤 濯=「 帝 国 文 学 」8月 号;LeMouiin,inS.) 13 M.42 「雨 」(内 藤 濯:「 帝 国 文 学 」9月 号;LaPluie,inV./.) 14 M.43 「群 衆 」(内 藤 濯=「 帝 国 文 学 」3月 号;LaFoule,inV.V.) 15 M.43 「俊 傑 」(上 田 敏:「 芸 文 」 第1年 第3号 、6月;LesElus,inM.S)

16 M.43 「あ は れ な る 者(二 月)」(高 村 光 太 郎:「 創 作 」 第1巻 第5号 、7月,「 訳 詩 三 章 」;Fevrier,LesPauvzes,in

D.M.}

17 M.43 「世 界 」(上 田 敏:「 芸 文 」 第1年 第6号 、9月;LeMonde,inM.S.)

i8 M.43 「都 会 」(上 田 敏:「 文 芸 」 第1年 第7号 、10月 、 総 題 「新 声 」;LaVille,in(J.) 19 M.43 r想 」(上 田 敏:「 文 芸 」 第1年 第7号 、10月,LesIdees,inM.S.)

20 M.44 「不 可 能 」(上 田 敏:「 朱 樂 」 創 刊 号ill月;L'lrnpossible,inF.T.)

21 M.45 戯 曲 僧 院 」(森 鴎 外=「 歌 舞 伎 」 第139号,1月:第140号2月;第!4ユ 号,3月;第!42号4月=第145,7月;第146号,8月;

第147号,9月,第148号,10月;LeCdoitre,1900)

日 本 に お け る エ ミ ー ル ・ヴ ェ ル ハ ー レ ン 受容史のための基礎作業的序説 23

参照