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満鉄輸送統計と関東州貿易(1>

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満鉄輸送統計と関東州貿易(1>

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 (1)関東州と満鉄附属地は日露戦後のポーツマス条約によって,日本の実質的な植民 地となったが,当該地域は,周知のように,日本本国と中国東北ならびに中国関内との交 易を取り持つ仲継ぎ貿易地帯であった。従って,関東州を経由した満洲特産品が,南満洲 鉄道,大連港を経由して,どのように海外へ流出していたのか,あるいは逆に,輸入品が 中国東北地域にどのように流通していたのかという問題は,戦前日本の対中経済関係を分 析するうえで欠かすことができない。また,満鉄の創業に前後する「満洲特産品」の国際 商品化と,関東州,附属地の急激な人口の膨脹は,中国東北の農業の発展に決定的な影響 を与えていた。鉱工業の展開も,日本資本についてはもちろんのこと,中国資本,欧米資 本の場合にも,満鉄輸送網との強い関わりを持っていた。従って,当該鉄道による物資の 流通を分析することは,中国東北地方の農業,鉱工業を分析する上で重要な意昧を持って

いる。

 ところで満鉄の鉄道輸送統計はこれまでまったく利用されたことがなく,従って,関東州 の物資流通の問題は,包括的な形では検討されることがなかった。関東州の貿易問題に関連 しては,日本側の大蔵省『大日本外国貿易年報』に基づいて対日貿易あ分析が数多く試みら れ,また満鉄経営問題や三井物産の中国進出問題を検討する中で,大豆特産品の流通問題 が分析されてきた。しかし,関東州は,朝鮮,台湾など他の日本の植民地に比較すると,

はるかに開放された経済を持ち,そこでは日本本国経済を経由しない,諸外国との直接的 な貿易が大規模に行なわれていた。従って対日貿易にとどまらない,対外貿易全体の分析 を行なうことは独自に必要な作業となる。また特産品に限定されない包括的な物資の流通 を分析することは,関東州,附属地経済の分析にとって不可欠といえよう。本稿はこうし た研究史の空白を埋めるための前提作業として,関東局『関東局統計30年誌』に収録され ている鉄道統計を加工し,分析材料を提供することを課題としている。本稿の作業を通し       (2)

て得られた数値については,すでに別稿において分析を試みたが,本論の中でも触れられ

(2)

るように,推計手続きについては依然,改善すべき部分を残している。

 満鉄貨物統計には1907〜36年の期間にわたって,満鉄の輸送した商品が品目別に記載さ れている。関東州,附属地の主要な対外取引は,大連港ならびに満鉄を経由していたから,

これによって両地域の輸出入取引の大勢を把握することが可能となろう。もっともこの場 合,統計資料が持っている次の2つの制約を,克服する必要がある。その第!は,貨物の 流通方向,すなわち輸出方向であるのか輸入方向であるのかが区別されていないという問 題であり,第2は,記載されている統計数値がすべて重量表示(トン)であり,輸送金額 が示されていないという問題である。そこで鉄道統計の利用にあたっては,個別の品目ご とに輸送方向を確定し,別途に歴年の品目別トン当単価を求めて,輸出入金額を算出する ことが必要となる。

 さらに,同統計資料の捕捉範囲に関しては,石炭,鉄鉱石など満鉄が大量に自家消費し ていた品目や,セメントのように関東州内の生産が比較的大きく,かっその生産が満鉄需 要に大きく依存していた品目については,関東州,附属地内での地場消費分を考慮する必 要がある。また,輸入局面においては,大連港から壷口,安東,中国関内に向けてのジャ       (3}

ンクによる再輸出があったこと,輸出局面においても,1910年代前半までは,営団,安東 からの大豆輸出が大連からのそれの3〜4分σ)1の水準に達しており,そこでは遼河,鴨 緑江流域から鉄道輸送を経由せずに直接,水運によって港へ運ばれた大豆がかなりの割合        (4)

で取引されていたことを,考慮する必要があろう。今回の作業では,これら捕捉範囲の問 題については,特に修正を加えていない。

 (2>輸出入方向の確定について

 輸出入の方向を確定するという点についていえば,流通方向が明瞭な品目ばかりでなく,

時期によって輸出入の方向が変わる品目,また同時点において輸出入が同時に行なわれ,

かつその輸出入の割合が時代によって変化する品目をどのように取り扱うのかということ が大きな問題となる。第1,2表は鉄道統計に収録されている輸送商品を,輸出,輸入,

両方向に3区分し,さらに関連品目ごとに分類したものである。輸出入の方向を確定する にあたっては,『大日本外国貿易年報』に記載された日本の対関東州貿易の内容を参考と した。同一品目が輸出入の両方向に認められるものについては,やはり日本の対関東州貿 易におしける輸出入割合に準ずるものとして分割した。具体的には薬品・薬剤,石炭,セメ ント,鉄,煙草がこれにあたる。これらの品目についてはいずれも対日貿易における歴年

(3)

第!表 輸出品分類表

◎農産物 塩 ◎鉱,鉱石,鉱油

大豆 豆油 頁岩油

小豆 豆粕 石炭(両方向)

吉豆

落花生 ◎畜産品 ◎工業製品

其他の豆 牛 煙草(両方向)

大麦 馬

煉瓦 。

小麦 豚 セメント(両方向)

粟高りゃん 其他の家畜 コークス

絹糸(両方向)

とうもろこし ◎毛皮類 薬品,薬剤(両方向)

其他の穀物種子 猷皮 鉄

ふすま繭 獣毛

資料.「鉄道貨物種類別」(関東局『関東局統計30年史』)

第2表 輸入品分類表

◎農林水産物 ◎鉱及び鉱石 ◎工業製品

米及び籾 鉱 陶磁器及び土器

生野菜 鉱石 板硝子

かんきつ類 石材類 硝子類

生果 石油類 皮革

葉煙草 其他の鉱油 紙類

煙草(両方向) 石炭(両方向〉 安平

木材 生石灰 鉄,銅製品

薪炭 カ鮮魚介

消石灰 蝋,蝋製品

燐寸 塩干魚介 ◎繊維及び布地 爆竹等危険物

麦粉 絹糸(両方向) 火薬類

砂糖 絹布 薬品,薬剤(両方向)

味ロ曾醤油 棉糸 セメント(両方向)

酒類 巴布 硫酸アンモニア

棉花 毛織物 其他肥料

綿製品 雑品

麻袋 瓦

資料,第1表に同じ.

(4)

の取引数量の輸出入割合を算出し,鉄道統計数値をこれに応じて分割した。大連では対日 貿易ばかりでなく,対中貿易,対朝鮮貿易が行なわれており,特に対中貿易についてはそ の扱い量を無視することができない。しかし,今回の作業では,関東州の個別品目におけ る輸出入割合は,対日貿量における輸出入割合に準ずるものとして,輸送の方向づけを行 なった。 「棉花」及び「瓦」については日本の対関東州貿易品目に該当品が見当たらない が,これを関東州の対中輸入品として扱った。また「無賃貨物」,「社用品」,「軍需品」に ついては今回の作業では考察の対象外とした。

  (3)輸送額への換算について

 鉄道統計が持っている第2の制約,輸送額の算出については,『大日本外国貿易統計年 報』に記載された日本の対自東口貿易の数値を利用して,個別品目毎に各年のトン当単価

を算出し,これを輸送トン数に乗ずることとした。関東州の陸路貿易については関東庁長官 官房文書課『関東州貿易月報』によって「大連海関管内各地(主として大連,旅順,金上,

普同店)より陸路汽車便にて関東州以外に輸出せる物品」を,1921年12月以降の時期につ いて,品目別,月別に把握することができる。また1938年からは陸路輸入統計についても 関東局編纂『関東州貿易月報』によって数値を得ることができる。しかし,『関東州貿易月 報』の輸入データは捕捉期間があまりに限られている。1921年以前の輸出額データの欠落 も大きな問題である。1921年以降の重量単価に関しては輸出入価額をできる限り共通のデ ータから導く必要があろう。従って,今回の作業では1908年以降の歴年のデータが輸出入 の両方向で継続的に得られる『大日本外国貿易年報』に依拠して,関東州貿易取引品のト ン当単価を個別に算出した。 『大日本外国貿易年報』の重量表示には斤,坦,トンなどが 複用されているから,これらはすべてトン表示に換算し,トン当単価を求めた。

 『大日本外国貿易年報』の記載内容に制約がある品目については(主として重量表示が ないという制約),適宜,関連資料を利用して換算を行なった。主要なものを例示すると,

綿布,毛織物,麻袋など織物関連の品目については,段,ヤード表示を,ガラス類につい ては平方尺表示を,マッチについてはグロス表示を,酒類についてはダース表示を,安平 については枚表示を,石油類についてはガロン表示を,それぞれ『商品辞典』,聞きとり調 査などに基づいて重量表示に換算し,『大日本外国貿易年報』記載の輸出入額数値との突

き合わせでトン当単価を算出した。

 「牛」,「馬」,「豚Jなど算出の困難な品目については,『農商務省統計』(『農林省統計』)

(5)

にもとづいて別途にトン当単価を算出した。いくつかの品目については「関東州陸路貿易 統計」の価額データを利用した。

 (4)推計結果と若干の分析

 第3表はこうして得られた品目別の輸送額を,先の分類表にもとづいて,5年ごとに平 均して表示したものである。1921〜25年の値が3年平均値となっているのは,1921〜22年 に欠落データが多いことによっている。鉄道輸送高の推計結果は,表中に示した『大日本 外国貿易年報』記載の対日輸出入額と比較するとかなり大きい。両者を厳密に比較するこ とは適当でないが,ここから,関東州ならびに満鉄附属地が,輸出局面においても輸入局 面においても,対日貿易を上まわる国際取引を行なっていたと推察することはできよう。

関東州,附属地は日本以外の地域とも広汎に貿易を行ない,それを急速に発展させていた という点で,他の植民地とは異質な性格を持っていたわけである。

 輸出の動向から見てみると,関東州,附属地からの輸出は領有期以来,終始増勢にあっ たが,満洲事変期,すなわち1930年代前半に入ってはじめて後退をみせ,特に「満洲国」

の建国以後,急減した。1930年代前半に関しては,『大日本貿易年報』によって,関東州 の対日輸出が基本的に収束し,かわりに「満洲国」の対日輸出が急増していた事実を確認 することができる。従って,この時期には,中国東北からの対外輸出は,全体としては縮 小し,対日輸出に関しては,「満洲国」貿易による関東州貿易の代替が進行していたこと

になる9

 輸出の大勢を決定づけていたのは大豆3品,粟,高りゃんを中心とする「農産物」であ り,鉱産物,獣皮・獣毛,工業製品がこれに続いていた。各品目の構成を示した第4表に よれば,「農産物」は次第にその割合を低下させつつも,終始6〜7割という圧倒的な割合 を占め,鉱産物と獣皮・獣毛がそれぞれ構成比率を急増させていた。

 「農産物」輸出額は大豆3品の輸出増に規定されて,1920年代後半まで持続的に増大し た。鉱産物の主な品目は石炭で,やはり全時期を通して急増している。獣皮・獣毛は工業 製品全体に匹敵する,大きな取扱い品目であった。

 工業製品は煙草,絹糸,薬品・薬剤(漢方薬材料など)といった製品が大きな割合を占 めていた。1910年代前半に入ってから鉄鋼(銑鉄)が急増し,20年代後半には鉄鋼輸送額 はさらに増大するが,当該期においても工業製品輸送額中の鉄鋼輸送額の割合は9,5%で あった。その後の30年代前半の動向を考慮すると,「満洲国」の生産力拡充計画が進展し

(6)

iNO①1

輸      出 輸      入

農産物 畜産物 獣毛類 鉱産物 工 業 サ 品

対 日

A出額 農産物 鉱産物 繊 維D 物 其 他 H業品

対 日

A入額 1907〜1910 46.53.2

LO

4.9 55.6 12.4 22.0 2.6 40.3 5.7 70.6 18.2

1911〜1915 81.510.7 13.6 11.3 117.1 27.2 45.6

L9

75.7 23.7 146.9 25.0

1916〜1920 278.828.4 46.0 26.6 379.8 109.4 136.2 47.1 381.2 60.7 625.2 102.6 ユ921−1925 373.3 16.5 43.2 95.7 54.5 583.2 167.0 221.3 69.7 418.0 95.4 804.4 80.7

1926〜1930 438.5 16.9 52.9 1ユ4.6 155.1 778.0 145.4 189.3 ユ01.8 343.9 88.9 723.9 102.5 1931〜1936 322.1 13.3 62.0 102.6 40.1 540.2 54.8 162.9 172.9 374.8 166.0 876.6 170.5

注1.1907〜10年は4年分.1921〜25年は1923〜25年の3年分.1931〜36年は6年分。

   「無賃貨物」,「社用品」,「軍需品」はこれを含まない.

資料.「鉄道貨物種類別」(関東局『関東局統計30年史』)からの加工推計値.

第4表 満鉄貨物統計からみた輸出入構成 (5年平均,%)

輸      出 輸      入

農産物 畜産物 獣毛類 鉱産物 工 業

サ 品 農産物 鉱産物 繊 維 D 物

其 他 H業品 1907〜1910 83.6 0 5.8

L9

8.7 ユ00.0 31.1 3.8 57.0 8.1 100.0

1911〜1915 69.6 0 9.2 ユ1.6 9.7 100.0 31.0 1.3 51.5 16.1 100.0 1916〜1920 73.4 0 7.5 12.1 7.0 100.0 21.8 7.5 60.9 9.7 100.0 1921〜1925 64.0 2.8 7.4 16.4 9.3 100.0 27.5 8.7 52.0 11.9 100.0 1926−1930 56.4 2.2 6.8 14.7 19.9 100.0 26.2 ユ4ユ 47.5 12.3 100.0 1931〜1936 59.6 2.5 11.5 19.0 7.4 100.0 18.6 19.7 42.8 18.9 100.O 注1.時期区分,対象商品については第3表に同じ.

(7)

た1930年代後半まで,重化学工業製品が附属地を流通する工業製品の主流となることはな かったといえよう。1920年代の附属地経済は植民地工業化の進展によって大きく変貌した が,農産物,鉱産物,獣毛・獣皮,絹糸,薬品・薬剤といった1次産品や農村工業の伝統 的な製品が,依然として取引の主流を占めていたのである。

 第5表は,関東州の主要な輸出品である大豆,大豆粕,生糸,石炭,鉄鋼・銑鉄が総輸 出額中に占める割合を,『大日本外国貿易年報』から得られる対日輸出額中の割合と比べ てみたものである。総輸出においても対日輸出においても主要輸出品は同じであるが,こ れらの輸出品が全体に占める割合は,総輸出の場合と対日輸出の場合とで,若干異なって いた。対日貿易が収束していた30年代前半については比較することはできないが,全体と して大豆,粟・高りゃん,絹糸,獣皮・獣毛,石炭といった品目は総輸出における割合が 対日輸出における割合よりも高く,これとは逆に大豆粕,銑鉄・鉄鋼といった品目は対日 輸出における割合が高かった。石炭は1920年代に入ってから,対日輸出額中の割合が,対

第5表 関東州主要輸出品価額構成 (o/o)

大 豆 大豆粕 粟高りゃん 生 糸 石 炭 銑鉄鉄金岡

!907〜1910 i50.8>59.8 i53.2)12.8. 一(0.8)  7.3 i一)

1.8 i0,8)

 一

1911〜1915 i16.5)44.3  5.1i60.1) i2.2)6.0 i1.1)8.0 11.6i3,3) 一一

1916〜1920 i20.3)43.2  5.7i52.9) i1.0)3.7 i1.2)4.2 12.1i3.1) 一(6.6)

1921〜1925 i21.0)35.3  6.0i42.3) 13.1i1。0) i0.1)2.4 16.4

i14.5)

1.6 i2.8)

1926〜1930 i23.1)35.3  3.2i31.3) i1.9)9.5 i0.2)1.9 i22.4)14.7 i5.1)1.9

!931〜1936 41.3 i9.3)

 3.0 i16.1)

4.1 i7.8)

0.9 i0.4)

18.1 i5.2)

0.8 i3.3)

注1. ()内は『大日本外国貿易年報』記載の対日貿易数値.

注2.1907〜10年は4ヶ年平均.1921〜25年は23〜25年の3ヶ年平均、

   1931−36年は6ヶ年平均,

資料.本論参照.

(8)

外輸出中の割合なみに急増していた。つまり,対日輸出においては,米穀増産を支える肥 料としての大豆粕と国内鉄鋼業を支えるための銑鉄輸出の割合がとりわけ高く,関東州,

附属地は,全体として「大豆経済」を支える輸出基地としての役割を果たしながら,日本 本国との関係では,とりわけ食糧自給圏を成立させるための肥料供給基地,重工業を自立 させるための原料供給基地として機能していたのである。大豆,生糸,雑穀,獣皮・獣毛 といった品目は国際商品としての性格が強く,より広範に海外に取引されていたというこ ともできよう。

 一方,輸入は1920年代後半に後退するが,30年代前半に再び増加している。周知の日貨 排斥運動の影響と思われる。輸入額は20年目後半を除いていずれも輸出額を上まわってい た。大連港の輸入品の中には鉄道輸送を経由せずにジャンク貿易によって一口,安東,関 内へと再輸出されるものもあったがTこの点での輸入貿易の重要性はさほど大きくなかっ たように思われる 〔注(3>参照〕。満鉄の貨物輸送については,従来から,石炭,大豆,大豆 粕を中心とした特産品の大連に向けての南行量が,綿布を中心とした輸入品の北行量に数        (6}

倍するとの不均衡が指摘され,鉄道輸送の輸出貿易への著しい偏りが指摘されてきた。今 回の推計結果には,関東州,附属地が,単に持産品の輸送基地としてのみならず,関東州・

附属地向け,中国市場向けの商品が輸入される窓ロとしても,重要な役割を果たしていた ことが,示されている。

 輸入品は農産物,鉱産物,繊維織物,工業品と多岐にわたっていたが,繊維織物の輸入 が最大の位置を占めていた(第4表)。輸入商品中の繊維織物の構成比率は,次第に低落 傾向にあったとはいえ,領有期から30年代前半まで6〜4割と,常に圧倒的であった。

 農産物は煙草,小麦粉,砂糖といった品目を中心に輸入の2〜3割を占め,鉱産物は鉱,

鉱石を中心に1910年代以降に急増した。これらの品目の輸入動向からは,関東州,附属地 が食糧,工業原料の消費地として,次第に大規模化していたことを窺うことができる。

 工業製品は,極めて多岐にわたっていた。ここではさしあたり工業製品の輸入高は,総 額としても,繊維織物の輸入高にはるかに及ばなかったこと,輸入高中の構成割合は増加 傾向にあり,特に1920年代に入ってからは鉄鋼などの重化学工業製品が比重を高めていた

ことを指摘するにとどめたい。

本稿の主たる目的は,鉄道統計の資料操作の内容を明らかにし,批判をあおぎながら,

(9)

今後の改善に役立てることにあった。個別の品目については換算手続きに改善の余地があ り,また「鉄道統計」が本来持っていた捕捉範囲についての制約も,ここでは補正されて いない。今後の作業に委ねたい。

作業結果を当該地域の経済分析にどのように活かしていくかは,今後の課題であるが,

さしあたり松本俊郎〔1987a〕を参照されたい。

(1)集計作業の電算処理にあたっては,一橋大学経済研究所附属日本経済統計文献セン  ターの野島教之氏からご援助を得た。また統計資料の加工方法については,同研究所  溝口敏行氏からご教示を受けた。記して感謝いたします。

(2)松本俊郎〔1987a〕。

(3)1922−26年の大連からの外国品移出額は中国品移出額の1割以下にとどまり,「移  出品は其大部分が満洲生産品にして外国品の再輸出は甚だ僅かの数量」(大連商工会  議所『大連港と沿岸貿易』,1927年,39ページ)といわれていた。従って関東州の輸入  品の再輸出はそれほど大きくはなかったものと思われる。

(4)南満洲鉄道〔1939〕,1210ページ。

(5>満州特産品が主として大連港を経由して日本へ輸出されるという実態については,

  「満州国」の成立によっても大きな変化はなかったものと思われる。従って『大日本  外国貿易年報』に表われたドラマティクな変化は,通関手続き上の形式的なそれであ  る可能性が強い。

(6)金子文夫〔1980〕。こうした評価の違いが本稿で採用した推計方法上の問題から生ま  れている可能性も否定できないが,他に考えられる要因としては,南行商品である大  豆類と北行商品である綿布類とが,商品形態,トン当単価,トン当量といった点で著  しく違っていたことが挙げられよう。

(10)

参 考 文 献

(1)金子文夫「創業期の南満洲鉄道一1907−1916年」(『社会科挙研究』第31巻第4号),

 1980年。

(2)   「1920年代における日本帝国主義と「満洲」一鉄道・金融問題を中心に一」

  (『社会科学研究』第32巻第4,6号)1981年。

(3)松本俊郎「関東州,満鉄附属地の経済」(溝口敏行編『旧日本帝国の国民所得推計』

 第1部第13章,東洋経済新報社),!987年刊行予定。

(4)   「関東州,満鉄附属地の統計解題」,同上,第2部第14章,1987年刊行予定。

(5)南満洲鉄道総裁室地方部残務整理委員会『満鉄附属地経営沿革史』1939年。同書は  1974年に龍渓書舎から覆刻されている。

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