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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力(27)
■風雪に耐えてきた詩歌を翻訳して紹介 その第一作は1894(明治二十七)年に刊行し た“Dichtergrüsse aus dem Osten”(『東の国 からの詩の挨拶』写真)です。これは、愛情、
自然、人生、宮廷詩、諸々の詩、叙事詩など六 つの章に分け、『万葉集』から山やまのうえのおくら上憶良や大おおともの伴 家やかもち
持らの長歌や反歌をはじめ、詠み人知らずの ものも選び出しています。また、『古今和歌集』
では壬み ぶ の た だ み ね
生忠岑や紀きのつらゆき貫之らの詩がドイツ語に翻訳 されています。
発行者の長谷川もこの詩集には格別の理解を 示し、絵師には三みしましょうそう島蕉窓をはじめ、新あ ら い井芳よしむね宗、
鈴すず
木き華か そ ん邨など、縮緬本を代表する三人を使い、
書物に特別の帙を添えています。また、本書は ライプチッヒのアーメラング社でも発売され、
東京では英語版も出版されました。
■漢詩を翻訳して日本人の家族愛を示す フローレンツを代表するもう一つの作品は
“Weissaster: Ein Romantisches Epos”(『孝女 白菊の詩』写真)でしょう。これは前述の井 上哲次郎が創作した物語詩です。東京帝国大 学で日本人として初めて哲学の教授になる井上 は、ドイツ留学前からこの詩を創っていました。
来日前にこれを翻訳していたフローレンツは、
1897(明治三十)年に縮緬本で紹介します。
詩の粗筋は、野に咲く白い菊の群れの中から 拾われた少女白菊が、西南戦争に翻弄されなが ら成長し、行方知れずになった育ての父を捜す 危険な旅に出ます。途中で山賊に襲われたとこ ろを出奔して僧になっていた兄に助けられま す。その後、旅の中で危機を救い、親切にもて なして縁談を勧めてくれる老人と、血の繋がら ない兄との結婚を望んで死んだ母の気持ちの板
挟みとなり、谷底へ身を投げようとしました。
そこへ兄が再び現れ、二人で家へ帰ると奇跡的 に戻っていた父親が両人を待ちわびていたとい うものです。
これは、1877(明治十)年の西南戦争が終結 したころから熊本など九州を中心にして語られ ていた話しで、それを井上が漢詩に謳っていた ものです。のちに、落合直文が七五調の新詩体 にして、節が付けられ唄になっています。本書 もアーメラング社で発売され、東京において英 語版が作られました。
■忠誠心と情念の歌舞伎翻訳に託したものは?
彼は1900(明治三十三)年に歌舞伎も翻訳し て出版しました。これは“Japanische Dramen Terakoya u. Asagao”(『日本の芝居 寺子屋 と朝顔』写真)です。内容は当時人気があった 二つの演目を纏めて一冊にしたもので、「寺子 屋」は『菅すがわらでんじゅてならいかがみ
原伝授手習鑑』の寺子屋の段を紹介 しています。菅すがわらのみちざね原道真の家臣の子でありながら、
道真を失脚に追い込んだ藤ふじわらのときひら原時平に仕える松王 は、山里の寺子屋に匿われていた道真の子秀才 の首改めを命じられます。悩み苦しんだあげく、
わが子の小太郎を寺子屋に入れ、身代わりとし て小太郎の首を打たせ、道真への忠義を果たす という悲劇です。
一方の「朝顔」では、『生しょううつしあさがおばなし
写 朝 顔 話』の宿 屋の段から大井川の段までをとりあげていま す。恋仲になった武家の娘深雪と阿曽次郎がや むを得ぬ事情で別れ、その後、何度も行き違う 様子を女の情念と人の縁を軸にして描いたもの です。この極め付けは、別れた辛さで目を泣き 潰して瞽ご女ぜとなった朝顔(深雪)が、ある日、
客を次郎とは知らずに身の上話しをします。こ 左より『東の国からの詩の挨拶』、『孝女白菊の詩』、『日本の芝居 寺子屋と朝顔』(本学図書館所蔵)