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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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Academic year: 2021

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OFFICE INFORMATION ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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うで、この調べは前の藩主である斉

なりまさ

昌からの 直々の命によって、漂流の顛末を儒臣の前川文 蔵が聞きとって記録しました。さらに、天保 十五(1844)年にこの記録に基づいて、前川温 という人物が本文を書き、酒井輝の撰、郡波希 顔の序文、守住定輝の絵で作られた『亜

ぼく

しん

』(全四巻)でこの漂流の話が世間に広がり ました。その後、この話は藩医であった井上黙 が弘化三(1846)年に『亜墨竹枝』として発表 し、さらに嘉永七(1854)年には霞湖漁叟の撰 で木版本の『海外異聞』が刊行されました。

『海外異聞』(本学図書館所蔵)

 この『海外異聞』は前述の『亜墨新話』の序 と識語を省いて五巻五冊で刊行されたもので す。内容は漂流の経緯やスペイン語の綴り、衣 服、生活用品、結婚式など当時のメキシコの風 俗と習慣についても挿絵入りで作られており、

別名『亜墨利加新話』と呼ばれています。こう した本書は、後世の研究家から内容に多くの誤 りと省略があり、挿絵も木版画になっていて、

原画と異なっているとの指摘がなされています が、これを作った霞湖漁叟という人物について は残念なことに殆ど詳細がわかりません。

■巻子本『北亜墨利加圖巻』とは

 もうひとつ、本学図書館には初太郎に係わる 珍しい資料があります。これは、初太郎と善助 が帰国して間もない天保十五(1844)年に作ら れたといわれている巻

か ん す ぼ ん

子本(巻物)です。拵

こしら

え は縦24cm、横31cmの和紙が繋ぎ貼られたもの で、総延長は約14メートルに及びます。この資 料名は『北亜墨利加圖巻』といわれ、絵巻物と しての表装

(3)

が整えられています。また、巻 頭には「出

いでなおゆき

直之 天保十五年甲辰年十月廿七日

北亜墨利加」と墨書されています。この『北亜 墨利加圖巻』と「北亜墨利加」の関係はよく分 かりませんが、二つの書名の筆跡が一致してい ないことから、恐らく『北亜墨利加圖巻』はの ちに付けられた資料名だと思われます。

 ここには『海外異聞』の挿絵に極めてよく似 た絵が描かれており、明らかに二つの資料の関 連性が確認できます。初太郎たちが体験した漂 流から始まり、メキシコのサンホセやマサトラ ンの建物や人の様相、生活用具、食物、動植物 などと共に、帰国途中に立ち寄ったサンルイチ

(オアフ島)やマカオの様子が百余種の彩色絵 に描かれています。そして、主な事物にはカタ カナを交えた解説が付けられています。

■巻子本の作成の経緯とそれに係わった人物  当時は著作権を問題にする時代ではなかった ので、多くの書物が書写されて複製が作られて きました。この場合、写し取った年月を書かず に原典の成立年を記入することがよく行われて いました。『北亜墨利加圖巻』についてもこの ような可能性は否定できず、実際に作られた時 期と作成された経緯について、二通りの推測を 立ててみたいと思います。

 一つ目の推測は、二つの資料が殆ど同時に作 られたものではないかということです。これは、

巻子本『北亜墨利加圖巻』に墨書された天保 十五年甲辰年十月廿七日の記述が、冊子本の『亜 墨新話』の成立年で定説となっている天保十五 年の十月と一致するためです。しかし、わが国 の歴史的な書物を記録した『國書總目録』には、

『亜墨新話』の記載はあるものの、巻子本『北 亜墨利加圖巻』やこれを作った出直之という人 物が絡んだ書誌情報は記載されていません。

 仮に、『北亜墨利加圖巻』に書かれた成立年 が正しいことを前提にして考えた場合、どちら も年月が同じであることから、この場合は恐ら く二つの資料が殆ど並行して、あるいは微妙に 前後した時期に作られていた可能性が高いと思 われます。

 もし、二つの資料が同じ時期に作られていた

場合、出直之という人物は、『亜墨新話』を作

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