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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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Academic year: 2021

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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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『北亜墨利加圖巻』(本学図書館所蔵)

ることに関与していた前川温や酒井輝、郡波希 顔、守住定輝らとは極めて近い関係にあったと 想像できます。さらに大胆な推測になります が、守住と出が師弟関係にあった場合は、『亜 墨新話』の作成を前提にして初太郎が描いた絵 をもとに、弟子の出が百余種にのぼる絵を描き 直して一枚ごとに張り付けたものとも考えられ ます。絵を中心にした物語形式は横へ描き伸ば していくと、その後の冊子体書物の編集が容易 で、当時、徳島藩のお抱え絵師で、明治期に名

を貫

つ ら な

魚と称して画壇の重鎮となる師匠の守住

が、出の絵を下絵、もしくは参考にして、『亜 墨新話』へ挿入するために描き直していたのか も知れません。このように考えると、巻子本の 冒頭にある墨書「北亜墨利加」は、『亜墨新話』

の成立前の仮題であった可能性もあるのです。

 二つ目の推測は出直之が天保十五年以降に冊 子体の『亜墨新話』、あるいは『海外異聞』を もとにして模写をし、巻子本に編集していたの ではないかということです。

 このことについては、『亜墨新話』より後に 作られた『海外異聞』と『北亜墨利加圖巻』を 比較したいと思います。『北亜墨利加圖巻』を 巻き取りながら開いていくと中央部あたりに動 物の絵が複数にわたって描かれています。その 中に「リス」によく似た「ネズミ」が含まれて おり、『海外異聞』にもそのネズミが殆ど同じ 形で描かれています。しかし、巻子本の中でネ ズミと並んだ動物は『海外異聞』には描かれて おらず、他に挿入されている絵の数は出が描い

た百余種には遥かに及びません。こうしたこと を考えると『北亜墨利加圖巻』は『海外異聞』

よりも先に作られていたことになります。

 ただ、前述のように、この『海外異聞』は『亜 墨新話』を基にしたものではありますが、序や 識語を省いただけでなく多くの省略と誤りがあ るとされ、両書が同じ内容でないことを念頭に 置いておかなければなりません。

 こうして二つの推測を基にすると、『北亜墨 利加圖巻』は『亜墨新話』の成立よりも前に作 られた可能性もあると思われますが、出の生没 年が不明であることと、冊子体の原典である『亜 墨新話』の原本と比較しない限り、軽々しく断 定することはできません。

■日墨交流に貢献した『北亜墨利加圖巻』

 以上のように、『北亜墨利加圖巻』の作られ た過程は未だによく分かりませんが、このよう な巻子本は、古くから存在してきた資料媒体で ありながら、冊子本が多く作られてきた中にあっ て、いつの間にか珍しい形になってしまったも のです。しかし、そこに書かれた文章や絵は巻 子本特有の連続性があり、漂流中の様子やメキ シコでの滞在体験の経緯がよく分かります。

 このような資料の形態は、欧米の人々には特 に珍しいようで、これまでに本学図書館からメ キシコ合衆国の連邦下院議会やメキシコ国立人 類学博物館へ数回にわたって貸し出されてきま した。これを見たメキシコの人たちは、改めて 日本人漂流民を通した交流の歴史を思い返し、

両国の絆を強く確認したのではないでしょう か。

基本的な参考文献と脚注

○河野太郎著『初太郎漂流記』徳島県教育会 1970年。

○佐野芳和著『鎖国日本異国MEXICO 難船栄寿丸の13人』

 Artes Gráficas Panorama, 1999年。

( 1 )この表記は「永寿丸」、「栄寿丸」などを使っている写本が あるが、ここでは「永住丸」とする。

( 2 )徳川幕府が着任したオランダ商館長に海外情報の提出を義 務付けていたもので、商館長の任期は通常一年であった。

( 3 )表装は天保十五年当時のものとは考えられず、後年に作り 変えられたものと判断するのが妥当である。

おく まさよし(司書・図書館事務長兼管理運営課長)

参照

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