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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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Academic year: 2021

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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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 さて、この時代の武将の文

もんじょ

書は、自らが筆を とる場合と祐筆が代筆をするものとがありまし た。普通はこのような事務的なものについては 後者の可能性が高く、この裁許状がそれであっ た場合にも、文末の「周防介

御判

」の位置には 義長自身の花押(書判)があったと見做せます。

 また、文章の書体は楷書に近い行書体になっ ていますが、現在まで残っている先代義隆の文 書を見ても草書体で書かれており、この裁許状 についても草書体でないことに不自然さを覚え ます。ビレラが書簡の中で裁許状を送る理由を

「(日本語の)文体および文字の例を示すため」

としていることを考えると、書写する段階でわ かりやすい行書体に書き変えていた可能性があ ります。

 この裁許状には不思議な文言がありますが、

山口縣

あがた

にある大道寺で西域から来た僧に仏教の 発展のため望み通り創建を許すとする主旨で す。

 ところが、ビレラが発信した裁許状の全文訳 は、なぜか「(前文略)ダイ(大)ドイジ(天の道)

を、己の意思に従って世界の端まで聖徒とな す教を説くために来れる西方のパードレ等に与 う。右は大なる山口市内にあるものにして、同 寺内でおいては何人も殺されまたは捕へらるる ことなき特権を付与し、このことをわが後継者 に明瞭ならしめんためにこの特許状を授け、い つまでもその所有権を奪うことなからしむ。

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」 と、イエズス会にとって極めて都合の良いもの になっています。

■不思議な文言、大内義長の誤解と混乱  この裁許状の中にある「為佛法紹隆」という 文言は、仏教の発展のためと捉えると不思議な 感じがします。また、文末の宛名の「當寺住持」

という言葉です。これは「この寺の住職」を意 味し、義長が裁許状を与えた時点で、すでに大 道寺にトルレスらが寄宿していたためと推測で きますが、何れも仏教色の強い表現になってい ます。

 このことについては、驚くべき誤解が蓄積し ています。ザビエルが大内義隆に宣教の許可を 得て山口で布教を始めたころ、ザビエルは神を

「大日」と呼んで説教をしていたそうです。こ のため、同地にある真言宗寺院の僧侶たちは西 域から訪れた説教師が、自分たちの宗旨の本尊 である「大日如来」を拝んでいるものと思い込 み、ザビエルを寺に招いて歓待していたとも言 われています。

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『日本イエズス会コインブラ版書簡集』1570年.

(本学図書館所蔵)

 このような誤解と混乱は豊後育ちで、キリス ト教に理解があったはずの義長にも見られ、大 半の日本人と同じようにキリスト教とは「天竺

(インド)渡来の新仏教

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」と考え、真剣に仏 教の繁栄を求めてキリスト教に裁許状を出して いたのです。従って、この時期の信者の多くは、

その教義を知らずに入信していたのではないで しょうか。

■山口の拠点崩壊とビレラによる裁許状の発信  その三年後の1555(弘治元)年に厳島の戦い で陶晴賢が毛利元就に敗れ、大道寺の境内に あった教会と修道院も1556(弘治二)年に戦火 で失われました。翌1557(弘治三)年の三月、

毛利勢の攻撃によって義長も長府(下関)で自 刃しました。これは裁許状が書かれて約五年後 のことです。

 1552(天文二十一)年から翌年まで日本に滞 在した宣教師ペドロ・デ・アルカソヴァが1554

(天文二十三)年にゴアからポルトガルに送っ た書簡の中で、山口から裁許状が送られて行く ことを仄めかしていた

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のですが、トルレス は局面が大きく変化したこともあってか、この 時点ではまだ発信を行っていませんでした。

 晴賢や義長の亡きあと山口にも毛利氏の強い 支配が及びます。元就はキリスト教の布教を嫌 い、義長の裁許状も顧みられることはありませ んでした。トルレスも1556(弘治二)年に山口 を追放され、大友義鎮が君臨する豊後に布教の 拠点を移していました。来日後一年を経たばか りのビレラは、翌1557(弘治三)年にかけて、

この地で歳老いたトルレスから布教方法を学ん

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