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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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Academic year: 2021

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ニッポナリアと対外交渉史料の魅力

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 元々、彼は軍務に秀でただけでなく諸学に精 通した人で、文化や風俗を冷静に分析する学識 を備えていたようです。そのため、捕虜の身分 であっても日本に対して悪い感情を抱くのでは なく、学問研究を進める中立的な態度でこの国 や人々の様子を観察していました。

 このようなことから、ゴロヴニンの著作はフ ランス語やオランダ語、英語などの言語に翻訳 されました。この訳本の流通は、彼自身も予測 するように、本書が当時日本と交流のあったオ ランダ人以外の人物によって書かれた日本人論 であることにヨーロッパ人が魅力を感じたこと も大きな要因になっています。

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 日本でも前述の馬場佐十郎(1787-1822)の 情熱が翻訳書を生みました。当時、公務で函館 に滞在してゴロヴニンから教えを受けていた馬 場は、オランダ通詞でありながら英語やフラン ス語が理解できる人物で、ロシア語の習得につ いても熱心でした。そのためか、ゴロヴニンの 著作には高い関心を示し、のちにシーボルト事 件に関与したとして獄中死することになる高橋 景保と共に、1817年に刊行されたオランダ語訳 本を入手して書写しました。特に、馬場にとっ ては「恩師」の著作です。彼は幕府から翻訳の 命を受けていましたが、死期を悟っていた馬場 は門下の杉田立卿と青地林宗にこれを託し、彼 の死と同年の文政五(1822)年に『遭

そうやく

厄日

ほん

』(写真)として翻訳が完成し、十二巻付録 二巻で刊行されました。

  一 方 の リ コ ル ド の 著 作 は、“ Записки Флота Капитана Рикорда о плаван iи его къ японскимъ берегамъ въ 1812 и 1813 годахъ”(Санктпетербургь, 1816.)で、

わが国では『1812および1813年日本沿岸航海お よび對日折衝記』などと呼ばれています。この 著作はゴロヴニンのものとは異なり、纏まった 日本論のような記述は少ないのが現実です。た だ、日本人については嘉兵衛の性向や名誉感な どを取り上げていますが、事件の経緯と日本と の交渉記録であることから、ゴロヴニンの著作 ほど注目されていません。しかし、フランス語 版なども刊行され、本学図書館が所蔵する『遭 厄日本紀事』の中では、付録として翻訳されて います。

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■言葉の理解の重要性

 前述の馬場佐十郎と足立左内の語学研修は、

徳川幕府が当時を代表する蘭学者にゴロヴニン から急遽ロシア語を学ばせようとしたもので す。そこには、鎖国体制のもとで度重なるロシ アの南下政策に対応しなければならなかった幕 府の苦悩が表れており、老中松平信明ら幕閣が 双方の意思を主張してお互いの立場を理解しあ える言語にこそ平和のきっかけがあると考え始 めていた現れです。

 また、時を同じくしてカムチャッカでは、リ コルドと高田屋嘉兵衛が双方の母国語をもとに した「二人だけの言葉」で事態の収拾に向けた 努力していたのでした。

 さらに、事件の終結後にはロシア語をはじめ とした多くの言語による書物がヨーロッパに広 がり、原典の刊行から六年後にはわが国の言葉 でも精読できることになったのです。

 こうして考えると、この事件の中で人々が共 に求めていたものは、まさに「言葉の理解」で あり、それが国籍を越えた「心の理解」に繋が り、遂には難しい外交交渉を成立させたのです。

これは、二百年の時を経た現在でも変わらぬも ので、局面に変化はあっても、言語による相互 理解は人類の普遍的な原理であることを改めて 認識させられる二人の書物なのです。

基本的な参考文献と脚注

○ゴロヴニン(著)井上満(訳)『日本幽囚記』 全三巻 岩波文 庫 1996年。

○ゴロヴニン[著]徳力真太郎訳『ロシア士官の見た徳川日本』講 談社学術文庫 1985年。

○須藤隆仙・好川之範(編)『高田屋嘉兵衛のすべて』新人物往 来社 2008年。

( 1 )上記の『日本幽囚記』中、「1812および1813年日本沿岸航海 および對日折衝記(ピョートル・リコルド手記)」の264頁 -265頁。

( 2 )『日本幽囚記』の「第一版序」においてゴロヴニンは「あら ゆるヨーロッパ人中彼等のみが入国を許された日本につい て何をオランダ人に期待できよう」と述べている。

( 3 )書誌的にみるとゴロヴニンとリコルドの日本関係の著作は 一対視されて合本されることがあり、その場合の書誌記述 はゴロヴニンの著作を優先することが多い。

なお、本学所蔵の『遭厄日本紀事』は写本で、十二巻付録 四巻から成っており、付録である十三巻から十六巻までが リコルドの著作となっている。書写年は不明。

おく まさよし(司書・図書館事務長兼管理運営課長)

参照

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