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朱喜…『論語集注』学而篇の成立に関する総合的研究序

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愛知淑徳短期大学研究紀要 第35号 1996

266

朱喜⁝﹃論語集注﹄学而篇の成立に関する総合的研究

 朱子学の祖として知られる朱黒は︑優れた哲学思想家であるととも

に︑古典注釈者としても質の高い著作を数多く残している︒中でも︑

﹃論語﹄﹃孟子﹄﹃大学﹄﹃中庸﹄の注釈である﹃四書集注﹄は後世︑

朱子学を国家公認の学へと押し上げる上で大きな役割を果たした︒こ

のように︑朱蕪の注釈は中国学術史上極めて重要なものであるが︑そ

れらは従来︑朱喜⁝個人の哲学思想を解明する材料として扱われるのが

常であった︒本稿は︑﹃四書集注﹄の中でも最も完備した﹃論語集注﹄

学而篇に対して︑朱喜⁝が先行する諸注釈をいかに踏まえつつ︑独自の

古典解釈を形成して行ったかという注釈史的観点から総合的に検討を

加え︑従来の朱子学研究の欠を補おうとするものである︒

 それでは︑かかる観点からする研究が皆無であったかと言えば︑決

してそうではない︒今を去る二十年前︑大槻信良﹃朱子四書集注典拠

考﹄という大冊が世に出た︒これは︑金履祥﹃論語集注考証﹄.梁章

達 朗

鉋﹃論語集注傍証﹄・簡朝亮﹃論語集注補正述疏﹄・李滋然﹃四書集注

古義箋﹄・李中培﹃朱子不廃古訓説﹄等を踏まえつつ︑﹃四書集注﹄の

典拠を博捜した力作である︒しかしながら︑子細に看て行くと︑なお

不満を禁じ得ない所がある︒

 不満の第一は︑朱注の直接の典拠と︑間接的に影響を与えた文献と

を区別していないことである︒朱嘉がある訓話や解釈を下すに当って︑

自ら読んだ文献を参考にした場合︑その文献は朱注の典拠にほかなら

ない︒しかし︑朱喜⁝が参考にした注解が他の文献を踏まえて書かれて

おり︑朱喜⁝自らはその文献を読んでいないが︑間接的に示唆を受ける

ということもあり得る︒これを直接参照した文献と同様に扱うことは︑

注釈史の実相を歪曲することになる︒﹃典拠考﹄における最も顕著な

例は︑﹁朱註凡そ六十五條︑皇疏に依擦したること明白である﹂とい

う王張である︒皇侃﹃論語義疏﹄は︑周知の如く︑南宋中葉に亡失し︑

朱烹がこれを読んだ可能性は極めて低い︒皇侃の説は那百丙の疏や北宋

道学諸家の注解に吸収されており︑朱喜⁝は皇疏を直接参照しなくとも︑

(2)

間接的にその説に触れ得たのである︒

 第二に︑ある解釈を下すに当って確実に参照されたと認められる文

献と︑朱注に用いられる成語の出典に過ぎない文献とを区別していな

いことである︒

 第三に︑表面的な字句の一致に拘泥する余り︑朱注の典拠と言い難

いものまで掲げていること︑また︑その反面︑朱喜⁝以前の注釈に朱注

と同趣旨の説があっても︑字句が余り一致しない場合には掲げていな

いことである︒一字一句の訓詰はともかくとして︑一般に解釈なるも

のは︑その内容が問題なのであって︑朱喜⁝が先行する注解に示唆を受

けつつ︑文章は新たに書き起こした場合でも︑やはりその注解が典拠

であることに変りはない︒

 第四に︑右に挙げた以外にも︑まま見落としや誤認がある︒

 第五に︑﹁朱子の自注以外の諸氏に就ての典握には及ばないのを原

則とする﹂という姿勢で一貫している︒勿論朱注の直接の典拠のみを

問題とするなら︑かかる姿勢をあくまでも貫けば良いのであるが︑朱

喜⁝の古典注釈上の業績を︑注釈史の流れの中に精確に位置付けようと

する本稿の意図からすれば︑大いに物足りない︒

 第六に︑﹃典拠考﹄は播術桐﹃朱子論語集注訓詰致﹄に依拠したと

思われるのに︑これに関する言及が見られない︒また︑﹃典拠考﹄は

簡氏﹃補正述疏﹄にも依拠しているが︑これに関する言及も少ない︒

 本稿は要するに︑朱注の典拠に関する資料集である︒参照の便宜を

図り︑大槻氏﹃典拠考﹄の記載を播氏﹃訓詰孜﹄・簡氏﹃補正述疏﹄

のそれとともに掲げて︑これを補正する形を取ることにした︒この三 一二

書は︑朱注の典拠研究として最も備わっているからである︒本稿の性

格がこの三書と大きく異なるのは︑上述の如く︑注釈史的観点から系

統的に叙述するべく留意した点である︒すなわち︑朱注の直接の典拠

と︑朱注に間接的に影響を与えた文献と︑成語の出典とを可能な限り

区別して記載するものとし︑かつ︑朱注に引く諸家の説についても︑

朱注と同様に考証の対象としたのである︒このような方法によって︑

朱喜⁝が古典注釈史に占める地位も︑より明らかになるものと信ずる︒

一 本稿は︑﹃論語﹄学而篇の朱注について︑典拠を明らかにするも

のである︒形式としては︑個々の注解について︑先ず簡朝亮﹃論語集

注補正述疏﹄・播桁桐﹃朱子論語集注訓詰放﹄大槻信良﹃朱子四書集

注典拠考﹄の記載を掲げ︑︻補︼︻正︼の記号を用いて︑私見を述べる︒

三書に考証のないものは︑︻補︼として私見を述べる︒また︑三書によっ

て考証が尽されているものは︑載せないこととする︒

二 先行する注釈から文をそのまま写している場合は﹁採る﹂︑文を

改めているが語句は採用している場合は﹁拠る﹂︑語句もあまり採ら

ないが内容上一致する場合は︑﹁基く﹂と記す︒成語の出典に過ぎな

い文献については︑﹁出典﹂と明記する︒

三 間接的に影響を与えた文献や︑参照したか否か定かでないが︑先

例と認められる文献については︑︽参考︾として別に掲げる︒また︑

その他の特記事項は︽備忘︾として掲げる︒

四 引用文献に関する補説は︑*印を用いて付記する︒

(3)

264朱蕪「論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

五 ﹃論語﹄及び何曇﹃論語集解﹄のテキストは︑皇侃﹃論語義疏﹄

と邪禺﹃論語正義﹄とで若干の異同がある︒朱喜⁝は皇疏を見ていない

と考えられるので︑引用は邪疏本に従うこととし︑皇疏本と異なる時

は*印を用いて付記する︒ただし︑何注に引かれる諸家について︑皇

疏本は姓名を記し︑那疏本は姓のみを記すが︑これは皇疏本に従う︒

﹃四庫全書総目﹄に言うように︑姓のみでは周生烈と名不詳の周氏と

の区別が付かないという弊害があるからである︒

六 以上の方針は︑朱注に引く諸家の説にも適用する︒ちなみに︑北

宋諸家の説は︑特に断らない場合︑﹃論語精義﹄に引かれるものである︒

﹁某にも引く﹂と断る場合は︑﹃精義﹄以外の文献にも引かれること

を意味し︑﹁某所引﹂と断る場合は︑﹃精義﹄以外の文献にのみ引かれ

ることを意味する︒なお︑程願の説は︑﹃精義﹄に﹁伊川解日﹂﹁語録

日﹂と区別されており︑出典を知ることができる︒

七 引用文献は︑特に必要な場合を除き︑巻数・篇名を省略する︒

八 紙数の関係で︑音注の考証は割愛した︒

九 以下のように︑略称を用いた︒

︿朱喜⁝の著述・口述﹀

   ﹃論語集注﹄←集注     ﹃論語精義﹄←精義

   ﹃論語或問﹄←或問     ﹃朱子語類﹄←語類

︿古注﹀

   何曇﹃論語集解﹄←何注  皇侃﹃論語義疏﹄←皇疏

   邪禺﹃論語正義﹄←那疏   陸徳明﹃経典釈文﹄←釈文

〈『̲語精義﹄﹃論語或問﹄に引く諸家の説﹀   張拭﹃論語解﹄←張拭解   侯仲良の説←侯説   呂大臨の説←呂説   萢祖禺の説←萢説   楊時の説←楊説   程願語録の説←程願語   程頴の説←程頴説

︿朱注研究書﹀

  簡朝亮

  播桁桐

  大槻信良

程願﹃論語解﹄の説←程頭解

張載の説←張載説

謝良佐の説←謝説

游酢の説←游説

サ惇の説←サ説

蘇拭﹃論語解﹄←蘇解

﹃論語集注補正述疏﹄←﹃補正述疏﹄

﹃朱子論語集注訓話孜﹄←﹃訓詰孜﹄

 ﹃朱子四書集注典拠考﹂←﹃典拠考﹄

1︑巻頭言

◎此爲書之首篇︑故所記多務本之意︑乃入道之門・積徳之基・學者之

先務︒凡十六章︒

 ﹃補正述疏﹄に釈文﹁以學爲首者︑明人必須學也︒凡十六章﹂を引く︒

﹃典拠考﹄もこれを引き︑﹁按從稗文例也﹂とする︒

︻正︼釈文は︑学而篇が﹃論語﹄の冒頭に置かれた理由を篇名によっ

て説明しており︑朱注の内容とはかなり異質である︒朱注のように篇

の内容を要約して示すのは︑邪疏が最初である︒そして︑朱注の原型

と言える文として︑朱注賢賢章にも引く游説がある︒

二二

(4)

︹那疏︺此篇論君子・孝弟・仁人・忠信・道国之法・主友之規・聞政

在乎行徳・由禮貴於用和・無求安飽・以好學能自切磋而樂道︑皆人行

之大者︒故爲諸篇之先︒既以學爲章首︑遂以名篇︒言人必須學也︒

︹游説︺學而篇︑大抵皆在於務本︒

︽参考︾釈文の記述は皇疏を簡略にしたものである︒

︹皇疏︺凡十六章︒⁝以學而最先者︑言降聖以下皆須學成︒故學記云

﹁玉不琢不成器︑人不學不知道︒﹂是明人必須學乃成︒此書既遍該衆

典以教一切︒故以學而爲先也︒

2︑学而時習之章

◎畳有先後︒後畳者︑必妓先畳之所爲︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃白虎通﹄として﹁學︑畳也﹂を引く︒﹃訓詰孜﹄に︑

﹃孟子﹄離婁篇として﹁使先畳畳後畳﹂を引く︒﹃典拠考﹄に︑﹃説文﹄

﹁敦︑畳悟也﹂︑﹃白虎通﹄辟雍篇﹁學之爲言︑畳也﹂を引き︑﹁學字

之義︑又畳︒⁝朱子用此義﹂とする︒

︻正︼﹁使先畳畳後畳﹂の語は万章篇上・同下に一箇所ずつ見え︑離

婁篇には見えない︒

︻補︼那疏に﹃白虎通﹄の引用があり︑朱喜⁝はこれも参照している︒

︹那疏︺白虎通云﹁學︑畳也︒畳悟所未知也︒﹂

︽参考︾那疏は皇疏に基く︒

︹皇疏︺白虎通云﹁學︑畳也︑悟也︒﹂

*﹃白虎通﹄辟雍篇の文は︑現行本では﹁學之爲言︑畳也︒以畳悟所

未知也﹂である︒邪疏・﹃補正述疏﹄は文を簡略にしたのであろう︒

皇疏は要約したものか︑現行本と異なるテキストに従ったものか︑詳

らかにしない︒

◎乃可以明善︒

︻補︼﹁明善﹂の出典は﹃中庸﹄である︒

︹中庸︺不明乎善︑不誠乎身 ︒

◎人性皆善︑⁝而復其初也︒

 ﹃典拠考﹄に﹁握孟子學庸諸書︑而言性善復初﹂とする︒

︻正︼﹁復初﹂の語は﹃孟子﹄﹃大学﹄﹃中庸﹄のいずれにも見えない︒

﹃大学﹄朱注にはこの語があるが︑これはあくまでも朱喜⁝の解釈であっ

て︑﹃大学﹄の内容そのものではない︒

︻補︼﹁復初﹂の出典は﹃荘子﹄である︒

︹荘子繕性篇︺繕性於俗︑學以求復其初︒

◎習︑鳥敷飛也︒學之不已︑如鳥敷飛也︒

 ﹃補正述疏﹄に﹃説文﹄﹁習︑敷飛也﹂︑﹃礼記﹄月令篇﹁鷹乃學習﹂

を引く︒﹃訓詰孜﹄﹃典拠考﹄も同じ︒

︻補1︼朱喜⁝が説文・月令に着目したのは︑程願語による︒

︹程願語︺習︑如禽之習飛︒

︹同︺鷹乃學習之義︒

︻補2︼﹁習﹂を﹁學之不巳﹂と言い換えるのは︑萢説に示唆された

(5)

262朱蕪「論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

ものと考えられる︒

︹萢説︺易重瞼之卦日習次︒水之於瞼也︑必済至而不已︑然後能乗瞼

流焉︒君子於難事也︑亦然︒故其象日﹁常徳行︑習教事﹂︒夫必有常︑

而後能立︒

︽参考1︾萢説の習炊解釈は﹃釈文﹄周易音義に基く︒

︹釈文周易音義︺劉云︑水流行不休︑故日習︒

︽参考2︾萢説が︑﹁習﹂に﹁不已﹂の意味が含まれるとするのは︑

皇疏に基く︒

︹皇疏︺既學︑必因伍而修習︑日夜無替也︒

*﹃爾雅﹄釈詰に﹁替︑廃也﹂とある︒

◎説︑喜意也︒

 ﹃補正述疏﹄に﹃爾雅﹄釈詰が﹁悦﹂﹁喜﹂を同義とするのを引く︒

﹃訓詰孜﹄に﹃広雅﹄釈詰﹁悦︑喜也﹂を引く︒﹃典拠考﹄は﹃訓詰孜﹄

に同じ︒

︻補︼﹁説﹂を﹁喜﹂と訓ずる例としては︑次のものがある︒

︹国語呉語章注︺説︑喜也︒

︹楚辞天間王注︺説︑喜也︒

︹周礼掌交鄭注︺説︑所喜也︒

◎既學而時時習之︑則所學者熟︑而中心喜説︑其進自不能已 ︒

︻補1︼大意は游説に基く︒

 ︹游説︺時習之︑則時有得 ︒時有得 ︑其爲樂可勝計哉︒ ︻補2︼﹁中心喜説﹂と︑﹁説﹂の内面性を強調するのは︑朱注にも引

く程願語に基く︒

︹程願語︺説在心︑樂主登散在外︒

◎︵程願解︶習︑重習也︒

 ﹃訓詰孜﹄に﹃易経﹄炊卦象伝陸績注︵李鼎酢﹃周易集解﹄所引︶﹁習︑

重也﹂を引く︒

︻補1︼﹁習︑重也﹂の訓は︑﹃釈文﹄周易音義にも見える︒

︹釈文周易音義︺習︑便習也︑重也︒

︻補2︼陸績注には﹁重習﹂の語も見える︒

︹周易集解塚卦象伝︺陸績日⁝習︑重也︒水再至而溢︑通流不舎書夜︑

重習相随以爲常︑有似於習︒故君子象之︑以常習教事︑如水不息也︒

︻補3︼﹁重習﹂の語は﹃礼記﹄大学篇孔疏にも見える︒

︹礼記大学篇孔疏︺初習謂之學︑重習謂之修︒

*おそらく程願は︑孔疏を手掛かりに︑﹁學﹂を﹃大学﹄の﹁如切如磋︑

道學也﹂に︑﹁時習﹂を﹁如琢如磨︑自修也﹂に当ると考えたのであ

ろう︒

◎︵謝説︶坐如戸︑坐時習也︒立如齊︑立時習也︒

︻補︼﹁坐如 ﹂﹁立如齊﹂は︑﹃礼記﹄曲礼篇上に見える︒

︹礼記曲礼篇上︺9若夫坐如戸︑立如齊︒

◎朋︑同類也︒

      一五

(6)

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃易経﹄坤卦家伝﹁西南得朋︑乃與類行﹂を引く︒

﹃訓詰孜﹄に︑免卦象伝虞翻注︵﹃周易集解﹄所引︶﹁免︑二陽︒回類

爲朋﹂︑﹃後漢書﹄李固杜喬伝李賢注﹁朋︑猶同也﹂︑﹃広雅﹄釈話﹁朋︑

類也﹂を引く︒﹃典拠考﹄は﹃易経﹄虞注・﹃後漢書﹄李注のみ引く︒

︻補1︼萢説が免の卦辞・象伝を引いており︑朱喜⁝はこれに示唆を受

けて︑虞注に着目したのであろう︒

︹萢説︺易日︑免︑説也︒而免之象︑以朋友講習︒

︻補2︼古注は﹁朋﹂を﹁同門﹂とする︒朱注がこれを採らず︑別の

訓を当てたのは︑謝説・楊説に基く︒

︹謝説︺﹁有朋自遠方來﹂︑非必同堂合席専門同師然後謂之朋也︒考諸

古人︑先得我心之所同然︑求之今人︑信其與己之不異︑皆朋也︒⁝﹁有

朋自遠方來﹂︑同乎己者也︒

︹楊説︺﹁有朋自遠方來﹂︑學者以其類至也︒合志同方︑相與講學︑故

樂︒◎﹁自遠方來﹂︑則近者可知︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃易経﹄繋辞伝上﹁君子居其室︑出其言︑善則千里

之外雁之︑況其週者乎﹂を引く︒

︻補︼﹁自遠方來﹂の言外に︑近い者も勿論来るという含みがあると

するのは︑朱注にも引く程願解︵次条参照︶︑及び游説に基く︒

︹程願解︺以善及人︑而信從者衆︒

︹游説︺﹁有朋自遠方來﹂︑則登於外者既巳廣︑信於人者既周︒

*程願解の﹁衆﹂︑游説の﹁廣﹂﹁周﹂はいずれも︑遠近の区別がない

ノ、

ことを含意する︒

◎︵程願解︶信從者衆︒

︻補︼﹁自遠方來﹂に︑近い者も勿論来るという含みがあるとする解

釈であり︑皇疏に基く︒

︹皇疏︺所以云﹁遠方﹂者︑明師徳治被︑難遠必集也︒

*﹁朋﹂が来るのを師の徳によるとする点は︑程朱と異なる︒

︽備忘︾皇疏はまた︑﹁朋﹂と﹁友﹂とを区別した上で︑﹁肝﹂のみな

らず﹁友﹂も来るとする︒この点は︑那疏に継承されている︒

︹皇疏︺同庭師門日朋︑同執一志日友︒⁝朋疎而友親︑朋至既樂︑友

至故忘言︒

︹那疏︺鄭玄注大司徒云﹁同師日朋︑同志日友︒﹂⁝朋疏而友親︑朋

來既樂︑友即可知︒故略不言也︒

◎︵程願語︶説在心︑樂主登散在外︒

 ﹃典拠考﹄に程大中﹃四書逸箋﹄﹁﹃在内日説︑在外日樂﹄︑見邪疏︑

不始於程子也﹂を引く︒

︻正︼次の対比から明らかなように︑那疏は釈文を襲用しているので

あるから︑釈文を挙げるべきである︒

︹釈文︺=云﹁自内日悦︑自外日樂︒﹂

︹那疏︺一日﹁在内日説︑在外日樂︒﹂

︻補︼程願語において﹁樂﹂と﹁在外﹂の間に﹁主登散﹂の三字があ

るのは︑釈文・那疏に引かれる一説のような︑悦と楽とを単純に内外

(7)

260朱蕪「論語集注』学而篇の成立に関する総合的研究

に別つ解釈と一線を画することを示している︒このことは︑或問に﹁程

子非以樂爲在外︒以爲積満於中而登越乎外耳︒説︑則方得於内而未能

達乎外也﹂と明瞭に指摘される通りである︒つまり︑程願語は﹁説﹂

を内に止まるもの︑﹁樂﹂を内から外に現れるものとするのである︒

その意味で︑程頓語の先駆と認め得るのは皇疏である︒

︹皇疏︺悦之與樂倶是灌欣︑在心常等︑而貌跡有殊︒悦︑則心多貌少︒

樂︑則心貌倶多︒

︽備忘︾荻生祖裸﹃論語徴﹄に︑程願の﹁楽﹂解釈を﹁無用之解﹂と

評した上で︑﹁其謬防於皇侃﹂とする︒程願の解釈が無用か否かはと

もかく︑皇疏に始まるとするのは妥当である︒

◎温︑含怒意︒

 ﹃補正述疏﹄に︑°﹃礼記﹄檀弓下の鄭注﹁温︑猶怒也﹂を引き︑﹁鄭

釈温者︑不直訓怒也︒夫温有親之義焉︒窺︑怒於心︒若書無逸篇所謂

含怒也﹂とする︒﹃訓話孜﹄に︑何注﹁慣︑怒也﹂︑檀弓下鄭注︑﹃説文﹄

﹁橿︑怒也﹂︑無逸﹁不菅不敢含怒﹂を引く︒﹃典拠考﹄はこれに加え

て﹃釈文﹄﹁温︑猶怒也﹂を引く︒

︻正1︼﹃詩経﹄大雅・縣の孔疏に﹁説文云︑温︑怨也﹂とあり︑宋

本﹃集韻﹄去声七に﹁説文︑怒也︒或作怨﹂とある︒唐宋の間に通行

していた﹃説文﹄のテキストには︑﹁怒也﹂とするものと︑﹁怨也﹂と

するものとの二種があったのである︒そして︑そのことは朱喜⁝も﹃集

韻﹄から知り得たはずである︒朱烹が﹁橿﹂の訓に﹁怒﹂を用いるに

当り︑果して﹃説文﹄に拠ったか否か︑甚だ疑わしい︒ ︻正2︼﹃補正述疏﹄の示す如く︑無逸は﹁含怒﹂の出典に過ぎない︒︻補︼﹃補正述疏﹄が指摘するように︑朱喜⁝は﹁温﹂を内在的な不平

不快の意識と見倣す立場から︑古注の﹁温︑怒也﹂という訓に不満を

感じており︑だからこそ無逸﹁含怒﹂の語を採ったのである︒このこ

とは︑語類に﹁心下便不甘︑便是温︒温︑非念怒之謂﹂﹁不温︑不是

大故怒︒但心裏略有不平底意思︑便是橿了﹂﹁温︑非勃然而怒之謂︒

只有些小不快活庭︑便是﹂等とあることから明らかである︒こうした

﹁温﹂解釈の典拠と認められるものに︑以下のものがある︒

︹釈文︺鄭云︑怨也︒

︹程願解︺難樂於及人︑﹁不見是而無悶︒﹂

︹萢説︺潜龍之徳︑﹁不見是而無悶︒﹂﹁君子依乎中庸︑不見知而不悔︒﹂

︹游説︺﹁不怨天︑不尤人﹂コ遜世無悶﹂﹁不見是而無悶﹂︑非君子成徳︑

執能至於是哉︒

*程願解は朱注にも引かれる︒また︑語類に﹁樂公而橿私︒君子有公

共之樂︑無私己之怨﹂と︑﹁温﹂を﹁怨﹂に置き換える例が見える︒

おそらく朱喜⁝は﹁悶﹂﹁怨﹂等の字義を意識しつつ︑﹁温﹂の訓を定め

たのであろう︒﹃詩集伝﹄には﹁橿︑怒意﹂︵郡風柏舟︶﹁温︑怒﹂︵大

雅縣︶という訓話があり︑﹁温﹂が﹁怒﹂に通じる概念であることは︑

朱喜⁝も認めていた︒学而篇の﹁温﹂にも﹁怒﹂の字を用いて訓じたの

は︑その方が﹁温﹂の概念規定として包括的であり︑首尾一貫してい

ると考えたからであろう︒

︽参考1︾﹃論語﹄の注解以外に︑﹁温﹂を内面的な不平不快の意識と

する例として︑以下のものがある︒

一七

(8)

︹後漢書凋術伝下章懐注︺温︑怨也︒

︽参考2︾﹃説文﹄諸本に﹁温︑怒也﹂とあるのは︑段注によれば﹁怨

也﹂の誤りである︒これが正しければ︑﹃説文﹄こそ︑﹁温﹂を内面的

な不平不快の意識とする解釈の濫膓ということになる︒

︽参考3︾﹃集韻﹄には︑﹁温︑心所温積也﹂︵上声五︶︑﹁心所欝積也﹂

︵入声九︶という訓詰も見られるが︑朱注﹁紆問反﹂の示す発音︵去

声︶とは異なる箇所での記載である︒ちなみに︑﹃楚辞集注﹄九章哀

郡に﹁温︑心所温積也﹂とあるのは︑﹃集韻﹄に拠る︒

︽備忘︾荻生祖裸﹃論語徴﹄は﹁﹃温﹄謂心有所佛諺也︒蓋橿・骸︑

一音之韓﹂とする︒これは︑﹁温﹂の内面性を重視する点において︑

朱注の延長線上にあると言える︒狙裸は﹁不必訓怒﹂として朱注をも

批判するが︑このような批判は古注にのみ向けるべきである︒

◎君子︑成徳之名也︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃礼記﹄哀公問篇﹁君子也者︑人之成名也﹂を引く︒

﹃訓詰孜﹄に︑これと﹃易経﹄乾卦文言伝﹁君子以成徳爲行︒日可見

之行也﹂︑﹃法言﹄学行篇﹁學者ゾ所以求爲君子者也﹂を引く︒﹃典拠考﹄

に︑文言伝を引く︒

︻正︼﹃法言﹄の語は︑朱注の典拠とは言い難い︒

︻補︼那疏・游説も君子を﹁成徳﹂と称する︒

︹邪疏︺既有成徳︑凡人不知︑而不怒之︒

︹游説︺日﹁人不知而不橿︑不亦君子乎﹂︑語成徳也︒

︹同︺今也﹁人不知而不橿︑不亦君子乎﹂︑則非成徳之士安於義命者︑ 不能爾也︒謂之君子︒ 一八

◎愚謂︑及人而樂者︑順而易︒不知而不蓋者︑逆而難︑故惟成徳者能

之︒然徳之所以成︑亦日學之正︑習之熟︑説之深︑而不已焉耳︒

︻補︼説・楽・君子を︑学習を通じて徳が完成に至る過程として位置

付けるのは︑朱注にも引く程願語に基く︒︵次条参照︶

︹程願語︺樂︑由説而後得︒非樂︑不足以語君子︒

◎︵程願語︶樂︑由説而後得︒非樂︑不足以語君子︒

︻補︼説・楽・君子の順に︑徳が完成して行くとするのは︑皇疏・邪

疏に基く︒

︹皇疏︺自此︵※1︶至﹁不亦悦乎﹂爲第一︒明學者幼少之時也︒學

從幼起︑故以幼爲先也︒又從﹁有朋﹂至﹁不亦樂乎﹂爲第二︒明學業

梢成︑能招朋聚友之由也︒既學已経時︑故能招友爲次也︒⁝又從﹁人

不知﹂詑﹁不︵※2︶君子乎﹂爲第二︒明學業已成︑能爲師爲君之法

也︒先能招友︑故後乃學成︑爲師君也︒

 ※1﹁此﹂とは﹁學而時習之﹂のこと︒

 ※2﹁亦﹂の字を欠く︒

*皇疏は︑﹁説﹂については学習主体の年令に拘泥し︑﹁樂﹂について

は師の徳を問題にし︑また﹁悦﹂から﹁樂﹂への進展を教育課程に重

ねるなど︑徳の発達という観点が完全に一貫しているとは三口えない︒

しかしながら︑説・楽・君子を一つの過程の三つの段階として初めて

系統化したという点では︑程朱説の先駆と言うべきものである︒

(9)

258 朱蕪「論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

︹邪疏︺學者而能以時請習其経業︑使無魔落︑不亦説樺乎︒學業梢成︑

能招朋友︑有同門朋從遠方而來︑與己講習︑不亦樂乎︒既有成徳︑凡

人不知而不怒︑不亦君子乎︒

*邪疏は皇疏の繁を削り︑徳の発達過程として整然と説いている︒

︽備忘︾荻生祖裸﹃論語徴﹄に﹁悦・樂之分︑悦者︑道尚在彼而我學

之︒樂者︑道巳在我而我教人﹂とあるのも︑﹁悦﹂から﹁樂﹂への向

上を言うものである︒      −

3︑其為人也孝弟章

◎善事父母爲孝︑善事兄長爲弟︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃爾雅﹄釈訓﹁善父母爲孝︑善兄弟爲友﹂を引く︒

﹃訓詰孜﹄に︑釈訓と皇疏﹁善事父母日孝︑善事兄日悌也﹂を引く︒

﹃典拠考﹄は﹃訓詰孜﹄に同じ︒

︻正︼朱注は釈訓の文を他書の記載を参照して改訂したものであり︑

この注をもって朱蕪が皇疏を読んだ証拠とすることはできない︒

︻補︼弟を﹁事兄﹂﹁事長﹂と訓ずる例として︑以下のものがある︒

︹筍子王制篇︺能以事兄︑謂之弟︒

︹漢書恵帝本紀顔注︺弟者︑言以順道事其兄也︒

︹礼記曲礼篇上孔疏︺弟者︑事長次第之名︒

◎犯上︑謂干犯在上之人︒

︻補︼何注・那疏に基く︒ ︹何注︺上︑謂凡在己上者︒*皇疏本は﹁者﹂の下に﹁也﹂がある︒

︹那疏︺好陵犯凡在己上者少 ︒

◎作齪︑則爲惇逆争闘之事 ︒

︻補1︼﹁作齪﹂を﹁惇逆﹂の語を用いて解釈するのは︑邪疏に拠る︒

口邪疏︺好欲作乱爲惇逆之行者必無︒

︻補2︼﹁惇逆﹂の出典は︑﹃礼記﹄楽記篇である︒

︹礼記楽記篇︺於是︑有惇逆詐偽之心︑有淫秩作乱之事︒

◎此言人能孝弟︑則其心和順︑少好犯上︑必不好作齪也︒

︻補1︼﹁孝弟﹂と﹁好犯上者鮮﹂との関係を︑心が﹁順﹂であるこ

とから説明するのは︑何注二邪疏︑及び程願解・サ説に基く︒程願解

は朱注にも引く︒

︹何注︺言孝弟之人必恭順︑好欲犯其上者少也︒

*皇本は﹁弟﹂を﹁悌﹂に作り︑﹁必﹂の下に﹁有﹂がある︒

︹那疏︺言孝弟之人︑性必恭順︑故好欲犯其上者少也︒既不好犯上︑

而好欲作乱爲惇逆之行看必無︒

︹程願解︺孝弟︑順徳也︒故不好犯上︒

︽備忘︾那疏と同様︑皇疏も何注を敷街するが︑皇疏は﹁犯上﹂の解

釈が特殊であり︑敷街の仕方は邪疏の方が正確である︒

︹皇疏︺言孝悌之人︑必以無違爲心︑以恭從爲性︒若有欲犯其君親之

顔諌争看︑有此人少也︒

       一九

(10)

︻補2︼孝弟を説くに当たり︑何注・邪疏の﹁恭順﹂に代えて﹁和順﹂

を用いるのは︑﹃礼記﹄祭義篇︑並びにその注疏に基く︒

︹礼記祭義篇︺孝子之有深愛者︑必有和氣︒有和氣者︑必有愉色︒有

愉色者︑必有碗容︒嚴威撮恪︑非所以事親也︒

︹同鄭注︺愉︑顔色和貌也︒

︹同孔疏︺愉︑謂顔色温和︒⁝事親︑當和順卑柔也︒

*祭義の文は︑孝における和の重要性を説き︑鄭注・孔疏ともに︑そ

のことを更に強調する︒孔疏には﹁和順﹂の語も見られる︒

︻補3︼﹁和順﹂の出典は︑﹃礼記﹄﹃易経﹄である︒

︹礼記楽記篇︺和順積中︑而英華登外︒

︹易経説卦伝︺和順於道徳︒

◎務︑專力也︒

 ﹃補正述疏﹄に﹃爾雅﹄釈詰﹁務︑強也﹂を引く︒

︻補1︼﹁務﹂と﹁專﹂の関連を示す例として︑揚雄﹃太玄経﹄とそ

の萢望注がある︒

︹揚雄太玄経錯篇︺務︑無二︒

︹同萢注︺心專一也︒

︻補2︼﹁務﹂と﹁力﹂の関連を示す例として︑次のものがある︒

︹礼記坊記篇鄭注︺力︑猶務也︒

◎仁者︑愛之理︑心之徳也︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃論語﹄顔淵篇﹁愛人﹂︑﹃孟子﹄尽心篇上﹁仁者無

二〇

不愛﹂︑同告子篇上﹁仁︑人心也﹂︑同﹁心之所同然者︑何也︒謂理也﹂

を引き︑﹃礼記﹄楽記篇﹁天理﹂︑﹃易経﹄文言伝﹁天徳﹂を挙げる︒

﹃訓詰孜﹄に︑告子篇上﹁仁︑人心也﹂︑﹃国語﹄周語﹁仁︑文之愛也﹂

を引く︒﹃典拠考﹄は﹁按朱子新義﹂とする︒

︻正︼﹁愛﹂によって﹁仁﹂を説く例は枚挙に暇がなく︑いずれかを

朱注の典拠に特定することには無理がある︒﹃典拠考﹄のように﹁新義﹂

とするのは語幣があるが︑表現の面で特に朱注に似るものもない以上︑

朱喜⁝独自の注解とするのが妥当である︒

◎爲仁︑猶日行仁︒

 ﹃訓詰孜﹂に︑﹃礼記﹄檀弓篇上鄭注﹁爲︑猶行也﹂を引く︒﹃典拠考﹄

も同じ︒

︻正︼﹁爲﹂を﹁行﹂と訓ずる例は他にも見られるが︑いずれにせよ︑

この訓詰は︑朱注にも引く程願解・程願語を典拠とし︑かつ︑程願の

説は︑独自の哲学的見解による︒先行する注釈に程朱説の典拠を求め

るのは妥当でない︒.

︹程願解︺爲仁︑以孝弟爲本︒論性︑則以仁爲孝弟之本︒

︹程願語︺謂行仁自孝弟始︒孝弟是仁之一事︑謂之行仁之本則可︑謂

是仁之本則不可︒

◎與者︑疑辞︒

 ﹃訓詰孜﹄に︑衛霊公篇の皇疏﹁與︑

︻正︼﹃礼記﹄檀弓篇上の孔疏を採る︒ 不定之辞﹂を引く︒

(11)

256朱嘉「論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

︹礼記檀弓篇上孔疏︺與者︑疑辞︒

◎謙退︑不敢質言也︒

︻補︼邪疏から採る︒

︹那疏︺禮尚謙退︑不敢質言︑故云﹁與﹂也︒

◎︵程願解︶本立︑則其道充大︒

︻補︼﹁生﹂を﹁充大﹂と言い換えるのは︑何注及び皇疏に基く︒

︹何注︺基立而後可大成︒

︹皇疏︺以孝爲基︑故諸衆徳悉爲廣大︒

◎︵程願解︶孝弟行於家︑而後仁愛及於物︒

︻補︼何注及び皇疏に基く︒

︹何注︺先能事父兄︑然後仁道可大成︒

*皇疏本は﹁先﹂の上に﹁苞氏日﹂とあり︑﹁仁道可大成﹂を﹁仁可

成也﹂に作る︒

︹皇疏︺王弼日﹁自然親愛爲孝︑推愛及物爲仁︒﹂

4︑巧言令色章

◎致飾於外︑務以悦人︑則人欲騨而本心之徳亡 ︒

 ﹃補正述疏﹄は﹁言人欲者︑用樂記文也︒言本心者︑用孟子文也﹂

とする︒﹃典拠考﹄は﹁人欲本心之説︑蓋朱子新義﹂とする︒ ︻補1︼﹁人欲﹂の語を採るのみならず︑文の骨子も﹃礼記﹄楽記篇

に基く︒

︹礼記楽記篇︺人化物也者︑滅天理而窮人欲者也︒

*朱注の所謂﹁致飾於外︑務以悦人﹂は︑楽記の所謂﹁人化物也者﹂

の一形態として位置付けらるのであろう︒

︻補2︼楽記篇﹁窮人欲﹂を﹁人欲犀﹂と改めるのは︑鄭注・孔疏に

基く︒

︹楽記篇鄭注︺窮人欲︑言無所不爲︒

︹同孔疏︺若人既化物︑逐而遷之︑恣其情欲︒

︻補3︼楽記篇﹁滅天理﹂を﹁本心之徳亡ム矢﹂と改めるのは︑鄭注・

孔疏︑及び﹃補正述疏﹄も指摘する﹃孟子﹄告子篇上の文に基く︒

︹楽記篇鄭注︺理︑猶性也︒

︹同孔疏︺理︑性也︒是天之所生本性滅絶 ︒

︹孟子告子篇上︺此之謂失其本心︒

︻正︼朱注は︑楽記篇の文をもとに︑その注疏や告子篇の文を参照し

つつ書かれており︑﹃典拠考﹄が新義とするのは妥当でない︒

◎聖人辞不迫切︑専言鮮︑則絶無可知︒學者所當深戒也︒

︻補1︼﹃論語﹄本文の﹁鮮﹂を︑実質的に﹁無﹂の意味であると解

釈するのは︑程願解に基く︒

︹程願解︺﹁巧言令色︑鮮 仁﹂︑謂非仁也︒

︻補2︼﹁學者所當深戒也﹂と警告するのは︑﹁鮮﹂を﹁無﹂と区別す

る解釈がままあったからである︒これを次に掲げる︒

       二一

(12)

︹萢説︺日﹁鮮﹂者︑則有時而仁也︒

︹楊説︺巧令非蓋不仁也︒然如是之人務爲容辞之文︑而不實之以其徳

者多 ︒故﹁鮮 仁︒﹂

︽参考︾萢説・楊説は皇疏に基く︒

︹皇疏︺都雁無仁而云少者︑奮云﹁人自有非假而自然者︑此則不妨有

仁︑但時多巧令︑故云少也︒﹂又一通云﹁巧言令色之人︑非都無仁︑

政是性不能全︑故云少也︒﹂故張愚云﹁仁者人之性也︒性有厚薄︑故

髄足者難耳︒巧言令色之人︑於仁性爲少︑非爲都無其分也︒故日﹃鮮

 有仁﹄︒﹂

*皇疏は︑結論としては﹁鮮﹂を﹁無﹂と区別するが︑﹁鮮﹂を﹁無﹂

と置き換え得ることを示唆する点では︑程朱説の濫膓とも言える︒

5︑吾日三省吾身章

◎傳︑謂受之於師︒習︑謂熟之於己︒

︻補1︼謝説に拠る︒

︹謝説︺傳︑者得之於人︒習︑者得之於我︒⁝惟習而熟︑則道與我爲

一 ︒*謝説の﹁人﹂を﹁師﹂と限定した所に︑朱注の特色が見られる︒

︻補2︼朱注によれば︑﹁傳不習﹂は﹁伝えられて習わない﹂の意味

であり︑古注が﹁習わないことを伝える﹂とするのとは異なる︒これ

は謝説・楊説︑及び周孚先の説︵精義不載︶に基く︒

︹謝説︺傳而不習︑則道自道︑我自我︑終不能相合而已 ︒

二二

︹楊説︺傳而不習︑口耳之學也︒

*周孚先の説は伝わっていないが︑謝説・楊説と同様であることは︑

或問によってわかる︒

︽備忘︾程頴説・萢説・サ説は︑古注と同じく﹁習わないことを伝え

る﹂とする︒

︹程頴説︺﹁傳不習乎﹂︑言不習而傳與人︒

︹萢説︺﹁傳不習﹂者︑講学不明也︒夫治己者未至︑則教人看不足︒

︹サ説︺不習而傳於人︒

◎曾子以此三著日省其身︒

︻補︼コ一こを不忠・不信・傳不習の三事とするのは︑

︹謝説︺日所省者︑三事而已︒

◎三者之序︑則又以忠信爲傳習之本也︒

︻補︼程願解に基く︒

︹程願解︺曾子之三省︑忠信而已︒

◎︵サ説︶曾子守約︒

︻補︼﹃孟子﹄に拠る︒

︹孟子公孫丑篇上︺孟施舎似曾子︒ 謝説に基く︒

⁝然而孟施舎守約也︒

(13)

254朱蕪「論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

6︑道千乗之国章

◎時︑謂農隙之時︒

 ﹃典拠考﹄に﹃左伝﹄隠公五年﹁皆於農隙以講事也﹂を引く︒

︻正︼﹃左伝﹄は﹁農隙﹂の出典に過ぎない︒

︻補︼﹃論語﹄本文の﹁時﹂を﹁農隙﹂とするのは︑那疏に基く︒

︹那疏︺難不臨冠︑必於農隙備其守禦︑無妨農務︒

◎言治國之要︑在此五者︒

︻補︼那疏・萢説に拠る︒

︹邪疏︺此其爲政治國之要也︒

︹萢説︺五者︑治國之常法也︒

*﹁敬事而信︑節用而愛人︑使民以時﹂を︑﹁敬事﹂

人﹂﹁使民以時﹂の五つに別つのも︑萢説に基く︒

7︑弟子入則孝章

﹁信﹂﹁節用﹂﹁愛

◎汎︑廣也︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃左伝﹄嚢公二十八年の孔疏に﹁汎愛衆﹂を引いて

﹁氾愛衆﹂に作る例を挙げ︑﹁蓋義通也﹂とする︒﹃訓詰孜﹄に皇疏﹁汎︑

廣也﹂を引く︒﹃典拠考﹄は﹃訓詰孜﹄に同じ︒

︻正︼﹃礼記﹄王制篇﹁氾與衆共之﹂の釈文と孔疏︑及び﹃補正述疏﹄

に引く﹃左伝﹄孔疏に拠る︒この注を︑朱蕪が皇疏を読んだ証拠とす ることはできない︒

︹釈文礼記音義︺氾︑本亦作汎︒

︹礼記王制篇孔疏︺氾︑廣也︒

◎衆︑謂衆人︒

 ﹃典拠考﹄に﹃筍子﹄修身篇の楊注﹁衆︑衆人﹂を引く︒

︻正︼朱喜⁝がこの訓を下すに当って︑楊注を意識したか否か︑

い︒朱注の典拠としては︑邪疏を挙げるべきである︒

︹那疏︺君子尊賢而容衆︑博愛衆人也︒

◎仁︑謂仁者︒

︻補︼那疏に基く︒

︹邪疏︺而親仁者︑有仁徳者︑則親而友之︒

︵参考︾那疏は皇疏に基く︒

︹皇疏︺見有仁徳者︑而親之也︒

◎鹸力︑猶言暇日︒

︻補︼邪疏に基く︒

︹邪疏︺能行已上諸事︑

8︑賢賢易色章 伍有間暇飴力︑則可以學先王之遺文︒

◎賢人之賢︑而易其好色之心

二三

疑わし

(14)

 ﹃補正述疏﹄に﹃大学﹄伝六章﹁如好好色﹂を引く︒

︻補1︼或問に﹁惟賢賢易色︑當從奮説﹂とあるように︑朱注は古注

の説に基く︒また︑或問は衛霊公篇・﹃中庸﹄の語を引いて︑古注の

妥当性を説いており︑これらも朱注の典拠と言える︒

︹論語︺子日︑已 乎︑吾未見好徳如好色者也︒

︹中庸︺去議遠色︑賎貨而貴徳︑所以勧賢也︒

︹何注︺孔安國日⁝言以好色之心好賢︑則善︒

︹邪疏︺﹁賢賢易色﹂者︑上﹁賢﹂謂好尚之也︒下﹁賢﹂謂有徳之人︒

﹁易﹂改也︒﹁色﹂女人也︒女有姿色︑男子悦之︒故経傳之文︑通謂

女爲色︒人多好色︑不好賢者︑能改易好色之心以好賢︑則善︒

︻補2︼萢説・謝説も古注に同じ︒

︹萢説︺﹁悪悪臭﹂而﹁好好色﹂.者︑人之誠也︒以好賢而易好色之心︑

則善無以加 ︒

︹謝説︺﹁如悪悪臭︑如好好色﹂︑天下之誠意︑無易於此︒此好徳如好

色︑亦可謂好徳之至也︒

︽備忘1︾皇疏は﹁賢賢易色﹂の解釈を二通り挙げる︒

︹皇疏︺凡人之情︑莫不好色︑不好賢︒今若有人能改易好色之心以好

於賢︑則此人便是賢於賢者︒故云﹁賢賢易色﹂也︒然云賢於賢者︑亦

奨勧之辞也︒又一通云︑上﹁賢﹂字︑猶尊重也︒下﹁賢﹂字︑謂賢人

也︒言若欲尊重此賢人︑則當改易平常之色︑更荘敬之容也︒

*皇疏の第一説は﹁賢よりも賢なる者は好色の心を改める﹂というも

のであり︑第二説は﹁賢人を尊重して︑平常の色を改める﹂というも

のである︒これに対し︑邪疏は﹁賢人を好んで好色の心を改める﹂と        二四し︑皇疏の二説を折衷した内容になっている︒朱注も那疏とほぼ同趣旨である︒なお︑皇疏に二つの解釈が示されているにもかかわらず︑或問において︑﹁當從奮説﹂と︑旧説が一通りしかないかのように述べているのは︑朱喜⁝が皇疏を読んでいないことを示す︒

︽備忘2︾程願語・程願解・呂説・サ説は﹁色﹂を表情の意味に解釈

しており︑皇疏の影響が窺われる︒

︹程願語︺言見賢︑即饗易顔色︑愈加恭敬︒

︹程顧解︺見賢改色︑有敬賢之誠也︒

︹呂説︺賢賢︑至干改色︒

︹サ説︺賢其賢︑則敬賢之誠見於色︒故日易色︒

◎好善有誠也︒

︻補︼程願語及び呂説から採る︒

︹程願語︺饗易顔色︑愈加恭敬︑好善有誠也︒

︹呂説︺賢賢︑至干改色︑好善有誠 ︒

*呂説も程願語から採る︒

◎致︑猶委也︒委致其身︑謂不有其身也︒

 ﹃訓話孜﹄に引く都寿旗の説に﹁人臣致摯干其君︑経傳謂之委摯﹂

とある︒﹃典拠考﹄に程頴説﹁致身︑猶言致力︑乃委質﹂を引き︑郷

寿頑の説を︑それと明記せず引く︒

︻補︼右は﹁致︑猶委也﹂の典拠である︒﹁委致其身︑謂不有其身也﹂

は︑萢説・呂説から採る︒

(15)

252朱嘉「論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

︹萢説︺事君︑不敢有其身︑故危難不避︒

︹呂説︺事君︑不有其身︑忠有誠 

︵参考︾謝説もほぼ同趣旨である︒

︹謝説︺事君︑能致其身︑不敢有己而已︒

◎四者︑皆人倫之大者︑而行之必蓋其誠︑學求如是而巳︒

︻補一程願解︑及び楊説から採って総合する︒

︹程願解︺見賢改色︑有敬賢之誠也︒事親・事君・與朋友︑皆蓋其誠︑

學求如是而已︒

︹楊説︺事親君・交朋友︑人倫之大者︑學者明此而已︒

9︑君子不重章

◎重︑厚重︒

 ﹃補正述疏﹄﹃訓話孜﹄に﹃説文﹄﹁重︑厚也﹂を引く︒﹃典拠考﹄に

何注﹁孔安国日︑言人不能敦重﹂を引く︒

︻正︼﹁孔安国日﹂は=日﹂の誤りである︒かつ︑これは朱注の直

接の典拠ではない︒程願解・張説︑及びサ説が﹁重﹂を﹁厚重﹂とし

て敷延しており︑朱注はこれに拠る︒

︹程願解︺不厚重︑則無威嚴︒

︹張載説︺將修己︑必先厚重以自持︒

︹サ説︺不厚重︑則無威嚴︒

*サ説は程願解を採る︒ ◎不厚重︑則無威嚴︑而所學亦不堅固也︒

︻補︼程願解・程願語︑及びサ説に拠る︒

︹程願解︺不厚重︑則無威嚴︑所學不能安固︒

︹程願語︺君子不重︑則不威嚴︑而學則不能堅固也︒

︵サ説︺不厚重︑則無威嚴︑無威嚴︑則志不篤︑志不篤︑則所學不能

堅固也︒*サ説は程願解・程顧語を採って詳説する︒

︽参考1︾程願解・程願語は︑何注に引く一説に拠る︒

︹何注︺一日︑言人不能敦重︑既無威嚴︑學又不能堅固識其義理︒

︽参考2︾﹁不重﹂によって﹁不威﹂﹁學則不固﹂という弊害が生じる

とする点は︑萢祖禺・謝良佐・游酢の説も同じ︒

︹萢説︺輕乎外者︑必不能堅乎内︒故﹁學則不固︒﹂

︹謝説︺夫容貌衣服之間︑尚能移養如此︒而況視聴言動能自重哉︒學︑

如之何而不固也︒

︹游説︺重而威︑則徳性尊 ︒故君子日就︑小人日遠︒由是而學︑其

思之必精︑其行之必篤︑其問之必切︑其聴之必專︑入乎耳著乎心︒此

徳全而學固 ︒反是︑則言招憂︑行招辱︑貌招淫︑好招事︑何威之有︒

︽備忘1︾何注に引く偽孔説は︑﹁學則不固﹂は﹁不重則不威﹂とは

別の事であり︑﹁學﹂によって﹁不固﹂という結果が得られるとする︒

張載説・呂説・楊説は︑この説を採る︒

︹何注︺孔安国日︑固︑蔽也︒

*皇疏本は﹁蔽﹂を﹁弊﹂に作る︒

       二五

(16)

︹張載説︺知學︑徳進而不固 ︒

︹呂説︺學︑則知類通達︑故至於蔽固︒

︹楊説︺學︑然後可以與権︑故不固︒

︽備忘2︾或問は︑何注の一説を採って︑孔説を採らない理由を︑

﹁但文勢若有反戻而不安者︒蓋日﹃不重則不威﹄︑則當日不學則固︒

若日﹃學則不固﹄︑則當日重則有威︒且學之爲功︑又山豆止於不固而已哉﹂

と述べている︒

︵備忘3︾皇疏は︑孔説と一説とをほぼ同趣旨とする︒

︹皇疏︺孔謂固為弊︒弊︑猶當︒言人既不能敢重︑縦學亦不能當道理

也︒猶﹁詩三百︑一言以蔽﹂之﹁蔽﹂也︒

◎人不忠信︑則事皆無實︑爲悪則易︑爲善則難︒故學者必以是爲主焉︒

 ﹃典拠考﹄に︑皇疏﹁又忠信爲心︑百行之主也﹂を引き︑﹁朱子之義︑

與皇疏同﹂とする︒

︻正︼朱注にも引く程頴説︑及び游説に基く︒

︹程顯説︺人道惟在忠信︑﹁不誠則無物﹂︒且﹁出入無時︑莫知其郷﹂

者︑人心也︒若無忠信︑山豆復有物乎︒

︹游説︺善學者︑其心以忠信爲主︒不言則已︑言而必忠信 ︑故其言

爲徳言︒不行則已︑行而必忠信 ︑故其行爲徳行︒止而思︑動而爲︑

無時而不在是焉︑則安往而非進徳哉︒故爲仁不主於忠信︑則仁必出於

姑息︒爲義不主於忠信︑則義必出於矯抗︒操是心以往︑則禮必出於足

恭︑智必出於行瞼︑安往而非敗徳哉︒而何進徳之有焉︒警之︑欲立敷

初之培︑而浮埃聚沫以爲基︑亦没世不能立 ︒故﹁主忠信﹂者︑學者       二六之要言也︒

︽参考︾古注の中で︑﹁主忠信﹂の解釈が程頴説・游説と一致するのは︑

皇疏のみである︒

︹皇疏︺又忠信爲心︑百行之主也︒

︽備忘︾何注・邪疏は﹁主忠信﹂を︑忠信なる者に親しむと解釈する︒

︹何注︺鄭玄日︑主︑親也︒

︹那疏︺﹁主忠信﹂者︑主︑猶親也︒言凡所親押皆須有忠信者也︒

◎無・母通︑禁止之辞︒

 ﹃訓詰孜﹄に﹃礼記﹄檀弓下鄭注﹁母︑禁止之辞﹂を引く︒﹃典拠考﹄

も同じ︒

︻補︼﹁無︑母通﹂は︑釈文による︒

︹釈文︺﹁母友﹂︑音無︒本亦作無︒

◎友︑所以輔仁︒

 ﹃補正述疏﹄に﹃論語﹄顔淵篇﹁以友輔仁﹂を引く︒

︻補︼顔淵篇の語を用いるのは︑楊説に拠る︒

︹楊説︺﹁無友不如己者﹂︑資以輔仁也︒

◎不如己︑則無益而有損︒

︻補︼萢説に基く︒

︹萢説︺夫與賢於己庭︑則自以爲不足︒與不如己者虚︑則自以爲有除︒

自以爲不足︑則日益︒自以爲有鹸︑則日損︒

(17)

250朱蕪「論語集注』学而篇の成立に関する総合的研究

︽参考︾萢説は皇疏に基く︒

︹皇疏︺凡結交取友︑必令勝己︒勝己︑則己有日所益之義︒不得友不

如己︒友不如己︑則己有日所損︒故云﹁無友不如己者﹂︒

◎自治不勇︑則悪日長︒

︻補︼呂説を採る︒

︹呂説︺改過︑所以自治︒⁝所以自治不勇︑則悪日長︒

 10︑愼終追遠章

◎愼終者︑喪蓋其禮︒追遠者︑祭蓋其誠︒

 ﹃補正述疏﹄に︑何注﹁孔安国云︑愼終者︑喪蓋其哀︒追遠者︑祭

蓋其敬﹂を引き︑朱注が何注の﹁哀﹂を﹁禮﹂に︑﹁敬﹂を﹁誠﹂に

置き換えるのは︑程子に従ったものとする︒﹃典拠考﹄は何注のみ引く︒

︻補︼﹃補正述疏﹄の言う程子とは︑程願解を指す︒

︹程願解︺居喪蓋禮︑祭祀致誠︑愼終追遠之大者也︒

︽参考︾サ説は程願解をわずかに改めている︒

︹サ説︺居喪蓋禮︑祭祀蓋誠︑愼終追遠之事也︒

*﹃或問﹄に︑程願解を評して﹁善 ﹂とし︑サ説については﹁蓋総

程子之説︑而改大爲事︑則失之 ﹂と評している︒

◎故以此自爲︑則己之徳厚︑下民化之︑則其徳亦蹄於厚也︒

 ﹃典撮考﹄に︑謝良佐の説﹁以此自庭︑則己徳蹄厚︑以此教民︑則 民徳蹄厚 ﹂を引く︒

︻補︼﹃或問﹄に﹁謝氏之説︑於蹄厚之義無所當︒且露字之義︑正謂

民蹄於厚耳︒今日己徳蹄厚︑似亦羨於文也﹂とある︒朱喜⁝が謝説をそ

のまま引かず︑表現を改めたのは︑謝説に不満があったからである︒

謝説の﹁己徳蹄厚﹂を﹁己之徳厚﹂に︑﹁以此教民﹂を﹁下民化之﹂

に改めるのは︑サ説に基く︒

︹サ説︺非惟己之徳厚︑化民亦蹄於厚徳︒

︽参考︾皇疏は﹁民徳闘厚﹂について︑皇侃自身の﹁民の徳が厚いも

のになる﹂という説のほかに︑別解として﹁民が君主の厚い徳に帰

順する﹂という解釈を挙げる︒サ説はこの二説を折衷するものと言え

る︒

︹皇疏︺上之化下︑如風靡草︒君上能行愼終追遠之事︑則民下之徳日

蹄於厚也︒一云︑君能行此二事︑是厚徳之君也︒君徳既厚︑則民威闘

依之也︒

︽備忘︾何注・那疏は﹁民徳﹂を﹁民の徳﹂ではなく︑﹁民が君主を

徳ありとする﹂という意味に解釈する︒

︹何注︺孔安国日︑君能行此二者︑民化其徳︑皆蹄於厚也︒

*皇本は﹁君﹂の上に﹁人﹂︑﹁皆﹂の上に﹁而﹂がある︒

︹那疏︺﹁民徳蹄厚 ﹂者︑言君能行愼終追遠二者︑民化其徳︑皆闘

厚 ︒

二七

(18)

 11︑夫子至於是邦章

◎抑︑反語辞︒

︻補︼邪疏に基く︒

︹那疏︺抑・與︑皆語辞︒

︽参考︾那疏は皇疏に基く︒.

︹皇疏︺抑︑語助也︒

◎五者︑夫子之盛徳光輝︑接於人者也︒

︻補︼程願解に基く︒

︹程願解︺温・良・恭・倹・譲︑盛徳之光輝︑接於人者也︒

◎其諸︑語辞也︒

︻補i邪疏に基く︒

︹邪疏︺諸・與︑皆語辞︒

◎人︑他人也

︻補i邪疏に基づく︒

︹邪疏︺他人則就君求之︒夫子則脩徳︑人君自願與之得爲治︒

◎但其徳容如是︑故時君敬信︒

︻補︼程願解に基く︒

︹程願解︺徳容如是︑是以諸侯敬而信之︒

二八

 12︑父在観其志章

◎観此︑足以知其人之善悪︒

︽参考︾﹁志﹂﹁行﹂を善悪に関連付けるのは︑皇疏が先例である︒

︹皇疏︺言人子父在︑則己不得専行︑雁有善悪︑但志之在心︑在心而

外必有趣向意氣︑故可観志也︒⁝志若好善︑聞善便喜︒志若好悪︑聞

善則不喜也︒

*皇疏は﹁行﹂については︑善悪との関連を明示しない︒

◎サ氏日﹁如其道︑錐終身無改︑可也︒如其非道︑何待三年︒然則﹃三

年無改﹄者︑孝子之心︑有所不忍故也︒﹂游氏日﹁﹃一二年無改﹄︑亦謂

在所當改而可以未改者耳︒﹂

*﹃精義﹄はサ説﹁有所﹂の﹁有﹂がない︒

︻補1︼サ説・游説ともに︑﹁三年無改於父之道﹂が﹁可謂孝﹂とさ

れることと︑父道の是非善悪との関連を述べる︒これは皇疏の問題提

起を踏まえるものである︒

︹皇疏︺或問︑若父政善︑則不改爲可︒若父政悪︑悪教傷民︑寧可不

改乎︒

*この問いに対する皇侃自身の解答は︑サ・游の説とは全く異なる︒

︻補2︼テ説﹁孝子之心︑有所不忍故也﹂は︑皇疏に基く︒

︹皇疏︺三年之内︑哀慕心︑事亡如存︑則所不忍改也︒

︽備忘︾萢説にも︑皇疏のこの文に基く箇所がある︒

︹萢説︺﹁三年無改於父之道﹂︑事死如事生︑事亡如事存也︒

(19)

248朱嘉r論語集注」学而篇の成立に関する総合的研究

13︑禮之用和爲貴章

◎禮者︑天理之節文︑人事之儀則也︒

 ﹃補正述疏﹄に︑﹃左伝﹄成公十三年﹁民受天地之中以生︑所謂命也︒

是以有動作禮義威儀之則︑以定命也﹂︑﹃礼記﹄坊記篇﹁禮者︑因人之

情︑而爲之節文︑以爲民坊者也﹂︑楽記篇﹁禮也者︑理之不可易者也﹂︑

同﹁禮節民心﹂を引き︑更に同﹁滅天理而窮人欲者也﹂を引き︑﹁朱

子言禮︑自天而人︑其義皆取斯焉﹂とする︒﹃訓詰孜﹄に︑﹃孟子﹄離

婁篇上﹁禮之實︑節文斯二者︑是也﹂︑﹃補正述疏﹄も引く坊記篇︑仲

尼燕居篇﹁禮也者︑理也﹂︑﹃中庸﹄二十章﹁親親之殺︑尊賢之等︑禮

所生也﹂︑﹃逸周書﹄武順解篇﹁人道日禮﹂︑﹃管子﹄心術篇﹁禮者︑因

人之情︑縁義之理︑而爲之節文者也﹂を引く︒﹃典拠考﹄は︑﹃補正述

疏﹄﹃訓詰孜﹄も引く坊記篇︑﹃補正述疏﹄も引く楽記篇を引き︑﹃補

正述疏﹄の文も︑それと明記せず引く︒

︻正︼楽記篇において︑天・人は全く対立する関係にあり︑朱注にお

ける天・人とはおのずから意味が異なる︒単に﹁天理﹂の出典という

ことであれば︑この文の直前に﹁好悪無節於内︑知誘於外︑不能反躬︑

天理滅 ﹂とあるのを引くべきである︒

︻補1︼坊記篇・心術篇と似た記述が︑買誼﹃新書﹄道徳説篇・﹃史記﹄

叔孫通伝に見える︒

︹新書道徳説篇︺禮者︑髄徳理︑而爲之節文︑成人事︒

︹史記叔孫通伝︺禮者︑因時世人情︑爲之節文者也︒

︻補2︼礼と﹁天理﹂とを結び付ける上で典拠となるものを︑以下に 列挙しておく︒

︹荷子楽論篇︺禮也者︑理之不可易者也︒

︹白虎通情性篇︺禮義者︑有分理︒

︹孔子家語論禮篇︺禮者︑理也︒

︹孔穎達礼記題字疏︺禮者︑理也︒

︹周敦願通書︺禮︑理也︒

*以上は︑礼を﹁理﹂と結び付ける例である︒

︹礼記礼器篇︺夫禮︑必本於天︑動而之地︑列而之事︑饗而從時︒

︹同楽記篇︺禮者︑天地之序也︒⁝禮者︑天地之別也︒

︹同礼器篇︺禮也者︑合於天時︑設於地財︑順於鬼神︑合於人心︑理

萬物者也︒

︹同喪服四制篇︺凡禮之大髄︑鵠天地︑法四時︑則陰陽︑順人情︑故

謂之禮︒

︹左氏伝昭公二十五年︺禮︑上下之紀︑天地之経緯也︒民之所以生也︒

︹白虎通礼楽篇︺夫禮者︑陰陽之際也︑百事之會也︑所以尊天地︑鬼

神︑序上下︑正人道也︒

︹後漢書延篤伝︺禮︑上下之紀︑天地之経緯也︒人之所以生也︒

︹孔穎達礼記題疏︺夫禮者︑経天地︑理人倫︒

︹張載経学理窟︺禮︑所以持性︑蓋本出於性︒⁝天之生物︑便有尊卑

大小之象︑人順之而已︒此所以爲禮也︒⁝追本天之自然︒

*以上は︑礼と天・人などとの関連を説く例である︒

︻補3︼﹃典拠考﹄に引くものの中では︑坊記篇﹁以爲民坊者﹂が礼

の規範性を語ってはいるが︑民衆教化の手段という発想が濃厚であり︑

二九

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