論 説
リーン生産 システム と生産的効率性
一 日本モデルはなぜアメリカモデルよりも優れているのか一一
デーヴィッド0フェリス 遠 山 弘 徳
I。
は じめにリー ン生産 システムが 日本 の製造業 に出現 したのは1960年代 か ら1970年代 にか けてで あっ た。それ以来、 このシステムは世界 中に急速 に広 まっていった。 リー ン生産 システムは、生産性 や製品の品質 に対す る責任 を労働者 に負わせ ることで生産過程か ら贅肉や無駄 を とり除 こうとす る、生産へのアプローチである。戦後、 リー ン生産モデルはきわめて生産的な日本経済の支柱の 1つとなった。だが、他の国への リー ン生産 システムの移転 はそれ程成功 をおさめていない。ア メ リカにおいては、い までは、次のような合意が生 まれているように思われ る。すなわち、労働 現場がそうした技術 を採用 した として も、大幅 な生産性 の改善 はほ とん ど見 られない
(Freeman
and Kleiner 2000)。 それ どころか、そうした労働現場 は労働者の安全衛生の悪化、雇用の安定性 の低下 に関連 している。 さらには労働者の賃金の如何 なる改善 も見 られない (BreFlner,Fairris, and Ruser 2000;Osterman 2000)。 アメ リカ と日本 における リー ン生産アプローチのパ フォーマ
ンスの違いは如何 にして説明 され るか。
そ うした相違 を説明 して きた文献 の中では、い くつかの説明が提示 された。生産性の改善 をも た らすのは労働現場のあれ これの特徴 を漸次的に採用することか らではな く、む しろ労働現場 の 諸特徴 を一括 して採用する点か ら発生す る、 と主張す る研究者 もいる。アメ リカが リー ン生産 シ ステムの 日本的な制度的諸側面のすべてを採用 しなかったために一一 もっ ともはっきりとした形 で採用 されなかったのは終身雇用の約束である一一、期待 された生産性 の向上 を得 ることがで き
―… 1‑―
ないのか もしれない。
Ichniowski,Shaw,and Premushi(1997)は
このような説明 を支持する証 拠 を見いだ している。アメ リカにおける鉄鋼の最終工程のプラン トに関するす る彼 らの研究 にお いて、 リー ン生産方法が雇用保障 と利潤のシェア リングーー この2点
は日本の リー ン生産モデル における際だった特徴 である一― と結 びついた場合、生産性拡大効果 をもた らす ことが見いださ れた。類似 した組織 的特徴 を持つにもかかわ らず、2つの国の間には生産的効率性 において格差が存 在す る1。 そ うした格差 を説明で きるもの として文化的相違 も提示 されてきた。た とえばわれわれ は、集団を犠牲 にするような利己的な行動が、アメ リカ と異な り、 日本では受 け入れ られない、
とい うことを知 っている。それゆえ、おそ らく、 日本の労働者 は自分 じしんの利害 を会社の利害 の上 に位置づける傾向にはないであろう。そうした場合、 日本の リー ン生産 は、アメ リカの リー ン生産 と比較 した場合、大幅な生産性 と製品の品質の改善 をもた らすのか もしれない。
本稿で は、われわれはアメ リカ と日本 におけるリー ン生産 システムのパ フォーマ ンスの分岐 に 対 して異 なった説明 をあたえる。 これ までの説明 と同 じように、われわれは リー ン生産のアメ リ カのバージ ョンには、あるフォーマルな制度的特徴が欠 けているとい うことを強調す る。それに くわ え、習慣や慣行 にもとづいたインフォーマルな労働現場 の諸制度の相違 も強調する。 これは 究極的 には文化的相違 に依存すると考 えられ る。だが、われわれの分析 は、 リー ン生産 システム に固有のス トンスの増大、労働強度の高 まり、労働安全衛生 に対す る脅威か ら労働者 を保護す る ような、ある種のフォーマルかつインフォーマルな制度的アレンジメン トが欠 けていることを指 摘す る。 さらにわれわれは、次のように主張す る。アメ リカの リー ン生産の もた らすマイナスの 作業条件のために、 日本の労働者 と比較 した場合、アメ リカの労働者 は経営 とそれほど協調的で はない、そしてその ことがアメ リカで変質 した労働現場の生産性パ フォーマ ンスが生彩 を欠 く理 由だ、 と。
われわれは労働―経営の協調 に関する議論か ら本稿 を始 める。そ こではわれわれは、労働者が 職場の報酬のシェア リングを不公平 と見、経営側の権威 を正当ではない と受 け止める場合、労働 者が経営側 と協調する可能性が低 くなる、 とい うことを指摘す る。次 に、われわれは2つの国に おけるリー ン生産モデルのさまざまな特徴の議論 に目を向け、そこではわれわれは次の ように主 張す る。 日本で労働者 に提供 されている作業現場での保護 は協調 を促進するが、アメ リカではそ の ような保護が存在せず、その ことが、労働者の間に分配上の不正義や経営側 の権威が正当では
1ここで生産的効率性 とは、労働投入一一労働者の労働時間にくわえ、彼 らの努力、ス トレスおよび傷害発生率 も 含 まれ る一‑1単位 あた りの産 出高 をさす (Fai■s2000をみ よ
)。
ない といった感情 を引 き起 こし、協調 を妨 げる、 と。本稿の最後では、われわれは、 リー ン生産 モデルの利用 にさい し、現在両国が直面 している挑戦 について触れ る。日本が直面 しているのは、
労働者の協調 を引 き出すのに決定的な もの と受 け止 め られている、 リー ン生産 システムのある種 の特徴 をとり除 こうとする圧力である。 日本モデルの諸特徴 は リー ン生産方法の もた らす職場へ の負の影響か ら労働者 を守 るが、アメ リカはそうした特徴 に相 当す るような西欧型の特徴 を見い だ さなければな らない。
Ⅱ.生産 における労働―経営の協調
生産 は、参加者間の交換の形態 とは異なった、経済的活動の領域である。生産領域 の新古典派 的な捉 え方は、資本の所有者 と労働者の取引 を市場交換の取引 と見 る。 それは、事実上、食料品 店の所有者 と消費者 の交換 と何 ら異なるものではない。 これ とは反対 に、マルクス主義者 におい ては、生産での資本所有者 と労働者 との取引は市場の枠組みの中の財産権の交換 によってはまっ た く規定 されず、む しろ労働過程 の中で資本が労働 に対 して有するパ フーによって規定 される、
と主張 されている。 どち らの見方 も極端 な立場だ といえよう。
特定 の企業か らの労働者の大量の退出 といった ような市場 の諸力 は、適切 な労働供給 を確保す るために一定の作業条件 を変更す るように使用者 に迫 り、それが生産諸条件 に影響 を与 えること は疑 いない。 しか し、単純 な市場交換一― この交換 は、典型的には、作業 に費や された労働
1時
間あた りの支払いに関する合意 を含む一一では、生産 における活動の多 くが説明 されない ままで ある。その うえ、 こうした欠落 を代替的なフォーマルな諸制度――た とえば会社の経営方針や契 約で保証 された合意一― によって埋 めようとして も、それ もまた結局 は問題 をかかえることにな る。生産 において発生する将来の偶発事件 を予測 し、それを契約の形式で正確 に書 き記す ことは 絶 えざる変化 に対応す るとい う課題 に等 しい。そうした合意、ルール、および規制 を第二者が執 行す ることもまた困難だ とい うことが分か るか もしれない。フォーマルな諸制度―一た とえば、財産権や雇用契約一―が生産の世界 に及ぶ範囲が限定 され ている場合、そうした欠落 を埋 めるのはインフォーマルな諸制度――た とえば、ノルム、慣習お よび伝統一―である。 じっさい次のように述べ ることもで きるであろう。インフォーマルな制度 的アンンジメン トは、他の経済活動の世界 に与 える影響 に比べ、それ以上 に生産領域の結果 を規 定す る、 と(ただ し家計の領域 は例外であろう
)。
こうした洞察か らい くつかのインプ リケーショ ンが引 き出され る。‑3‑
生産 における資本一労働関係の1つの重要な側面 は、インフォーマルな諸制度 に与 えられた空 間、お よびフォーマルな諸制度の影響の及ぶ範囲が限定 されていることか ら発生する。 それはパ ワーの行使である。 この点 を最初 に強調 したのがマル クスであった。典型的な市場交換 の中で一 方の当事者が他方の当事者 に対 して有す るパ ワーは購買力である。実行 された作業の種類 につい て何のあい まいさも残 さない場合、 もしくは会社の経営方針や契約で保証 された合意が十分 に生 産諸条件の性格 を明記で きる場合、労働者 に対す る使用者のパ ワーは労働サー ビスに対す る賃金 の支払 い能力 となる。インフォーマルな制度的アレンジメン トが影響力 を持つ場合、労働者 に対 す る経営のパ ワーは権威 のそれである。作業 は、ボスが権威 を有す ることか ら実施 され るとい う 形ですすめ られる。権威 への服従 は権威 を有す る人物の優れた知見か ら発生す るか もしれない(す なわち、その個人 は「権威者」である
)、
あるいは彼/彼女の独裁的な能力か ら生 まれ るか もしれ ない (すなわち、その個人 は「独裁者」である)。
生産 におけるインフォーマルな諸制度の際だつた特徴の第2の側面 は、相互 に影響 を与 え合 う 当事者間の協調 のための動機が異 なっている、ということである。経済 において市場交換 のフォー マルな制度的アレンジメン ト内部 においてエージェン トたちが相互 に影響 を及ぼ し合 う場合、彼 らがそ うした行動 をとるのはそのような相互作用か ら発生す る直接的な相互利益のためである。
インフォーマルな諸制度の内部で行動す る場合、エージェン トたちは同様の関心 に動機づ けられ るのか もしれない一一た とえば、労働者 は、昇進 を決 める上司の機嫌 を取 るために、熱心 に働 く か もしれない一一、だが、その報酬 はフォーマルには規定 されない。一般的に、行動/報酬 の結 びつ きはインフォーマルな諸制度の中にある。 ボスの秩序 に服従す るとい う合意が、協調す ると い う意思決定 を含む ことはよ くある。だが、それ は市場交換の ように相互禾U益か らではな く、まっ た く別の理由か ら生 まれて くるものである。
それは どの ような理由であろうか。 この段階で数多 くの規範的お よび慣習的関心が浮かび上が る。権威への服従 は、労働者集団のある
1人
の仲間 によって うち立て られた産出ノルムか ら逸脱 しようとはしない意志 に似、重要な役割 を果たすか もしれない。生産の経済学 における最近 の発 展で指摘 されていることだが、協調 を促進す るのは労働 と経営の コ ミュニケー シ ョンの改善、 そ うしたコ ミュニケーシ ョンの「真の」価値への信頼の向上であ り、 さらに意思決定の権威構造が 正 当であ り、生産か らの報酬の分配が公平だ、 とい う両当事者 に とって有益 な確信である。協調 はひ き続 いて、生産的効率性 を促進する。われわれは、経営側 と協調するとい う労働者 による決 定の倫理的政治的諸側面 を協調す る。 とい うの も、そ うした側面が とりわ け重要であるに もかか わ らず、依然 として研究文献 の中で は強調 されることがほ とん どない と理解 してい るか らである。われわれの主張では、経営側 との労働者の協調 は、労働者が経営の権威 を正当な もの と見ている か どうか、および労働者が職場 の報酬の分配 (たとえば、労働安全衛生 と生産性 の対立)を公平 だ と見ているか どうかを前提 とする。
労働者が職場報酬の分配 を不公平だ と見、経営の権威 を正当 とは見ない場合、労働者か ら協調 を引 き出す ことはほ とん ど不可能である。Alvin Gouldner(1954)の 有名 な「山猫 ス ト」 につい ての説明が例証 となるケースである。 こうした事例 では、労働者 は公式的な始業時間が過 ぎた後 に出勤時刻 を記録す る慣習 を採用 していた。 ある日、経営側がそうしたインフォーマルなノルム を根絶 しようとし、労働者の行動が公式的なルールに一致す るように彼 らの行動 を変 えようとし た。経営者の考 えでは、 こうした動 きは、受 け入れ られた公式の規則 と一致 させ るものにす ぎな い以上、議論 にはな らない ものの と思われた。だが、結果 はス トライキであった。ス トライキ中 には生産が損なわれ、ス トライキ後 には、労働者の経営側 との協調が後退 した結果、生産性問題 が発生 した。
われわれの考 えでは、労働一経営関係の危機が出現する以前 に、 こうしたプラン トの状況 を理 解す る有益 な方法 は次の ものである。労働者 は出勤時刻記録 の遅刻 について じぶんたちの慣習的 な取 り扱いをノルム として採用 しているが、そうした慣習的な手続 きを日々の生産 における経営 との協調の付帯条項 だ と理解 しているとい うことである。おそらく、労働者 は次のように感 じて いるのであろう。作業のペースがあまりに速す ぎる、労働安全衛生の基準が不適切だ、 もしくは 職務の課業の割当に関 して監督者の行動が恣意的だ、 さらにこうした問題 に対処す る円滑な手続 きが欠 けている、こうした理由か ら自分たちは出勤記録の遅刻 に関する慣習 を採用 したのだ、と。
経営 との協調お よび生産的効率性 は、出勤記録の遅刻 に関する単純 な慣行 において労働者が受 け 止 めていた公平や正当性次第であった。経営が フォーマルなルール を強制 しようとした とき、そ うした協調 は失われたのであった。 そしてそれ とともに、プラン トの操業の生産的効率性 も失わ れたのであった。
Fairris(1997)は 、1950年代か ら1960年代初頭 にかけて、アメ リカの大量生産の大規模製造業 プラン トにおける労働―経営関係 に関 して、類似 した一連 の状況が存在 した ことを示 した。戦後 直後 の数年間にはフォーマルな制度的アンンジメン トとイ ンフォーマルなそれ との間の不整合の 形態が見 られた。 そのためフォーマルなルール は職場生産 のコン トロールの権限 を経営狽Uに与 え ていたが、作業条件の決定 をめ ぐっては、イ ンフォーマルなノルムや慣習は職場代表shop stew‐
ardやインフォーマルな作業集団に大 きなパ ワーを与 えていた。 こうしたイ ンフォーマルなノル ムや慣習一―た とえば、監督者や職場代表によってまとめ上 げられた作業ペースをめ ぐる合意、
‑5‑
あ るい はイ ンフォーマル な作業集 団 に よって強制 された労働安全衛生 を保証 す る方法T―は 1930年代 の労働組合運動 にその起源 を有 していた。だが、1950年代末か ら1960年代初頭 に始 ま り、部分的 には国際競争力の出現 と新たなテクノロジーの導入 をめ ぐる闘争 に端 を発 し、経営側 はそうしたインフォーマルな慣習 をとり除 こうと努 めたのであった。
そうした経営側の努力 は意図せ ざる結果 をもた らした。生産 における労働者の協調 を低下 させ、
フォーマルな交渉や争議の調停 に振 り向ける資源 を引 き上 げて しまったのであった。統計がはっ きりと示 しているように、山猫ス ト、苦情、常習欠勤、および作業現場の諸条件 を統治す る契約用 語が増加 している。い くつかの事例研究 は、生産 における労働 と経営の協調が一般的 に低下 した こ
とを示 している。経験的分析では、協調の危機が統計的に、1960年代末か ら1970年代初頭 にか け て製造業で発生 した生産性上昇率の鈍化 とを結びつけられている (Fairris,1997,ch.5を み よ
)。
要す るに、われわれ は生産過程が独特の世界だ と確信 している。 その世界では相互 に影響 を及 ぼし合 う当事者間の関係が市場 メカニズムによつては媒介 されず、む しろ権威関係 によって媒介 される。 さらにその世界では生産 に携わ るエージェン トの側 には、協調するか、協調 しないかに ついてかな りの裁量が認 め られ る。われわれは、 こうした関係では分配上の公平 と権威 の正当性 の感情が当事者 間の協調 において重要な役割 を果たすのだ と強調 してきた。以下では、 こうした アイデアを日本 とアメ リカにおける リー ン生産 システムの生産的効率性 に適用す ることにした い。 リー ン生産 は、のちに指摘す るように、高水準の品質の確保 と無駄の最小化 をはか り、市場 のニーズに生産 を瞬時 に適合 させ ることを目標 とす る。生産が市場 に適合す るように持続的に組 織 され る環境 の中では労働 と経営の協調お よび労働 のフレキシビリティが決定的 に重要 となる。
Ⅲ.り …ン生産モデル
リー ン生産 モデルによって労働者 は生産性 と製品の品質の向上 について責任 を負わされ る。そ れはまた、製品の多様性 を高めるために労働資源利用のフレキシビリティを求 めるもので もある。
労働者への責任の委譲の背後 には次の ような考 えが ある。労働者 は生産 に関 して経営者 には利用 で きないユニークな情報 を持つ、 したがって こうした方法で責任 を委任す ることが生産的効率性 の向上 につながるであろう、 とい うのがそれだ。 リー ン生産 システムの支持者のあいだでは、労 働者が 自分 じしんの知識 と情報、 とりわ け
Koike(1994)が
「ふだん と違 った作業」 と呼ぶ ような、変化 に対処で き諸問題 を巧みに処理で きる自己の能力 をコン トロールすべ きだ、 と主張 され ている。
リー ン生産方法の もとでは、労働者 は、生産へのテーラー主義的アプローチの もとで通常労働 者 に期待 され る課業 をすべて行 った うえで、それ以上の ことを行 うことを求め られる。 したがっ て リー ン生産モデルに突 きつけられ る挑戦 は、労働者の努力や責任が引 き上 げられると予測 され る場合、如何 にして労働者の自発的な協調 を獲得す るか、 とい うことにある。 リー ン生産 システ ムのさまざまな構成要素 としては、 ジャス トインタイム(JIT)生産組織、労働者チーム、お よび 総合的品質管理 (TQM)技術 やQCサークルな どの品質管理方法があげられ る。
リー ン生産の構成要素の1つである
JITは
、無駄 の排除お よび生産過程 と市場 の境 目のない結 びつ きを実現するために、利用 されている。在庫 は最小限 に抑 えられ、労働者の課業 は流線形 に 編成 され能率化がはか られ、余分 な労働者 は とり除かれ、生産工程 は消費者のニーズに迅速 に対 応で きるように構成 されている(た とえば、鈴木,1994を
みよ)。
一般的にいえば、生産工程 は生 産 における不慮の出来事 に対処す るためにバ ッファーーー部 品のス トック、代用機器、予備の労 働者等一一 を必要 とす る。ところが、JIT方
式 は、生産 システムの中の弱い部分 をあぶ り出 し、そうした点 に迅速 に対処で きるようにす るためにバ ッファーの利用 を最小限に抑 えようとする。
しか し、バ ッファーの最小化 は労働者 に重大 なイ ンパ ク トをあたえる。バ ッファーの主要な利 点 は、バ ッファーが労働者たちにじぶんたちの作業ペースに関 してある程度の裁量 を提供するこ
とにある。備蓄 をかかえた生産 のおかげで労働者 は骨の折れる単調 な仕事、 しか も肉体的に要求 水準の高い作業か ら解放 され る余地 を得 ることがで きる。だが、バ ッファーが とり除かれ るため に、労働者 は遊 びの時間 を創造す る能力 を奪われて しまい、 したがって彼 らの労働努力水準が上 昇す ることになる (Sewell and Wilkinson,1992;Parker and Slaughter,1995)。 労働者 にいち だん と熱心 に働 くことを強制す るさい、 こうした リー ン生産モデルの側面は、作業現場 の報酬の シェア リングにおいて労働者の公平感 を侵害 し、そのため経営側 と協調 しようとする労働者の意 志 を損な う危険性 をはらむ。皮肉な ことに、
JIT生
産 はそのような協調 を絶対的に不可欠な ことと す る。 なぜならば、バ ッファー をとり除いたために、ある1つの生産領域 における協調の解体が 生産 システム全体 を麻痺 させ うるか らである。リー ン生産方法の もとでは、生産性 と製品の品質 に対す る責任 は作業チーム2のメンバ ーたる労 働者 にある。不慮の事故や品質管理 に対処す る責任 はラインの外のエ ンジニアや保全部門の労働 者 にではな く、作業チームにある (Cole,1994)。 各作業チームは、一般的には、全体のアセ ンブ リ
・ ラインの一部分 を形成す る、一連 の課業 を割 り当てられている。だが、こうした一連の作業 は、
それに付随する生産基準 と品質 目標 と同 じように、経営側か ら作業チームに対 して設定 される。
2チ̲ム作業 お よびチームの自律性 をめ ぐる理論的な検討 としては、た とえば、森田 (1998)をみ よ。
‑7‑
各作業チームのメンバーはそうした 目標の達成 に集団的に責任 を負 うが、 しか しそうした目標 を 決定す る権限を持たない。
責任が個人的ではな く集団的であるため、各チームメンバーは他のメンバーのパ フォーマ ンス に責任 を負 うことになる。他のメンバーが休 んでいる間には彼 らの課業 をカバー し、チームメン バーの仕事が芳 しくない場合 には本目談 にのることさえある。 こうした ことは経営側が作業チーム を形成す ることで望むインセ ンティブ構造の一部分である。相互モニタ リングやさらには規律づ けがチームメンバーの行動の一部分 となるか もしれない (Delbridge,Tumbull and Wilkinson, 1992;Sewell and Wilkinson,1992;Delbridge and Lowe,1997)。 これは、Doeringer,Evans
―
Klock and Terkal(1998,p.178)が
指摘 しているように、「同僚同士の監視 と自己監視」のシ ステムである。 これによって労働者間の対人関係のス トレスが高め られ、職務 に対す る満足度が 低下 させ られる。ジ ョブ・ ローテーション、作業チームのメンバーヘの職務 の割 り当て、 より望 ましい作業標準 を設定するための作業の修正一― こうした点 に関する意思決定 はチーム・ リーダー と協議の上で チームに委ね られ る。作業チームに対す る生産基準 は経営側 によって設定 され るために、チーム のパ ワーは厳 しく制限されている。だが、作業チーム内部の リーダーには何 らかのパ ワーが付与 されている。 したがって責任 はまず第1にチーム・ リーダーに帰 される。チーム・ リーダー こそ が、生産基準の要求 を満たす ことに責任 を持 ち、そして自己のチームに帰 される製品の欠陥に対 して責任 を負 う (Delbridge and Lowe,1997;Webb and Palmer,1998)。 チーム・ リーダーは チーム内のメンバーをモニター し監督す る権 限 を委譲 されてい る。 こうした理 由で典型的 には チーム・ リーダーの地位 は経営側の構成員 に与 えられている。 こうしたチーム・ リーダーの所有 す る権限の正当性 を労働者が どの ように受 け止めるかはリーダーの行動次第である。
チーム・ リーダーの役割 は二面的である (たとえば、仁田,1988,71頁、野村,1993、 250頁,
金子
,1997,101頁
をみよ)。
リーダーたちは経営側 に設定 された生産基準や品質 目標 の達成 に責 任 を負 う。だが、かれ らは同時 にチーム内のメ ンバーか ら協調 を引 き出さなければな らない。 し たがって生産基準、品質 目標 および作業方法が労働者 に与 える負のインパ ク トを抑制 しなければ な らない。 こうして労働者 は リー ン生産方法の もとであって もパ ワー と裁量 を行使す るが、それ はチーム・ リーダーのパ ワー と性向に依存す る。い くつかの研究が明 らかにした ように、チーム・リーダー とそのメンバー との協調的アレンジメン トーー共謀一一が経営側の目標か らの逸脱 に帰 結 す る こ ともあ る(Webb and Palmer,1988;Delbridge and Lowe,1997;Sewell andWilkinSOn,
1992)。 われわれ は、 チーム・ リー ダーのパ ワー と労働者 を保護 しよう とす る彼 もし くは彼女 の性
向がアメ リカ と日本 の リー ン生産 との決定的な違 いの1つだ、 と理解 している。
高い品質の製品を保証す るために リー ン生産 の もとではさまざまなメカニズムが制度化 されて きた。一方 には、TQM技術 とその最近 のバ リエー シ ョンーー これはほ とん ど、無駄 な時間や動作 の除去、スピー ドの引 き上 げ、課業の単純化お よびサイクル・ タイムの短縮 といった工程の変化 だけに焦点 を置いた ものである一一が存在す る。 これ らは、生産工程の リエ ンジニア リングヘの トップダウン的管理 アプローチであ り、科学的管理のテーラー主義的原理 を思い出させ るもので ある (Appelbaurn and Batt,1994)。 労働者 に対す るそうした管理法のイ ンパ ク トは、お もに責 任、ス ピー ドお よびス トンスを高 めることであった。
他方 には品質管理サークルが ある。 これ は、生産で突 き当たった諸問題 を解決す るために、勤 務時間内に労働者 と経営か ら構成 され る、 コ ミュニケーションを促進す る共同の ミーテ ィングで ある。QCサークルは労働者集団 とローカルな労働組合の連帯 を解体す る手段であるか もしれな い。 また、その ミーティングはお もに製品の品質 と生産の「 トラブルシューテ ィング」の問題 に あて られ るか もしれない。他方、QCサークルは、労働者がQCサークル をつ うじて経営側 に向け て作業条件の問題 について発言す ることで潜在的なコ ミュニケーションメカニズムであるか もし れない。 またQCサークルの ミーティングは作業条件 に くわえ製品の品質の改善 に関 して提案 を 行 うための公開討論の場 とな りうる。すべては、QCサークルが どのように制度化 され実行 され る かにかかっている。QCサークルな どのような労働者 の発言のためのフォーマルな制度的メカニ ズムが機能する方法 においては、 リー ン生産のアメ リカ・ バージョンと日本のそれ との間には大
きな相違があると理解 され る。
われわれの見解では、 リー ン生産 システムの制度が突 きつけられている挑戦 は、如何 にして労 働者の責任一一 それにおそらく労働努力 とス トンスーー を引 き上 げる と同時 に経営側 に対す る労 働者の協調 を引 き出すか、 とい うことである。われわれは リー ン生産 アンンジメン トをつ うじて 生産的効率性 を達成す るためには2つの重要なメカニズムが存在すると考 えている。(1)作業現場 の労働者か ら経営 トップヘの、 またその反対 のコ ミュニケーションの流れを高め、生産 における 公平 と正当性 に関す る期待 をめ ぐるコンセ ンサスの手段 を確保することである。12)公平 な成果 と 経営側の権威 の正当性 を提供す るイ ンフォーマルな制度的アンンジメン トー式一― インフォーマ ル な作業集 団のパ ワー とチーム・ リーダーの思 いや りbenevolenceを前提 とす る一一、 これ に よってフォーマルなルールや規制か ら独立 した労働者か らの協調 を保証す る。 日本の リー ン生産 は両方のタイプのメカニズムを持つが、アメ リカの リー ン生産 にはそのいずれ も見 られない。
‑9‑
Ⅲ
‑1.リ
ーン生産 :日本のケース日本の リー ン生産 における生産的効率性の優位―― これは部分的 には労働 と経営の優れた協調 に基づいているが一― はコンセンサスを形成す る諸制度の存在、および作業現場 の慣習や慣行 に 影響 を与 える日本文化のある規範的諸側面 に由来す る。
しば しば指摘 されることだが、 日本の生産 における労働―経営のコンセンサスは経営側の努力 とコン トロール をつ うじて生み出されている。た とえば、 日本企業 は労働者の新規採用 にあたっ てはフレキシビリティ、チームワーク、忠誠心お よびモチベーションといった観察 しに くい労働 者の質 に格別の注意 を払 っている(Deringer,et al。 ,1998)。 同様 に、日本企業では、運動会や社員 旅行 な どの数多 くの企業支援 プログラムや活動が提供 されている。 こうした活動 は労働一経営の 一体感 を高め、期待の共有の形成 に寄与 していると受 け止め られている(Lincoln and Kalleberg,
1996)。 これに くわえ、多 くの日本企業 には、企業への一体感 を強めると言われている従業員組織
が存在する
3。
従業員組織一―た とえば、社員会、親睦会、県人会一― には、典型 的には、労働組 合員であるか否かにかかわ りな く、上級 の経営者 を含 めた全従業員が参加す る。 こうした県人会 や親睦会 といった従業員組織 は、従業員が一定の経営 目標 を共有す ることを確かな こととす る上 で重要な役割 を担 っていると考 えられる。しか しなが らわれわれは、 日本企業の生産 における労働―経営のコンセンサスを出来上がった コンセンサスの形態だ と描 くのは素朴だ と考 えている。生産 においては労働者 に「発言」 を与 え るフォーマルかつインフォーマルな生産の諸制度が存在する。 その結果、公平お よび正当性 に対 す る労働者の受 け止め方が、 フォーマルな制度的アレンジメン トの構築 において、そして同時 に 日常的な作業現場 の慣行 において、説明 され る。労働 と経営 との労使協議 は日本のプラン トや企 業では多様 なレベルで存在す る。
もっ ともフォーマルなレベルで は、いわゆる就業規則 によってカバーされない諸問題 はもちろ んの ことそうした就業規則4その ものをめ ぐって、労働組合、もしくは企業別労働組合 と協議する
Kato and Mo五shima(1995)の調査 によれ ば、回答企業 の53パーセ ン トが労働組合以外 に従業員組織 を有 して いた。労働組合のない企業 については、その81パーセ ン トが従業員組織 を有 していた。他方、労働組合のある企 業で は、 その48パーセ ン トに従業員組織があつた (Kato and Mo五shima,1995,p.8)。
日本 の労働基準法では、賃金、労働時間お よびその他の雇用条件 を規制す る規則 を使用者が従業員 に周知 させな ければな らない、 とい うことが求め られている (Gould,1984)。 これはしばしば、全従業員向 けのフォーマルな 就業規則 の形式 を とる。同規則 は、使用者が労働組合 と、労働組合が ない場合 にはそのプラン トの過半数 を超 え る労働者 と協議の席 につ くことを義務づ けている。雇用関係 をめ ぐる争議が発生 した場合、一般的には両当事者 が参照す るのは就業規則である。
労使協議制が存在する。労使協議で満足 い く合意 に達 しなかった場合、 よリフォーマルな経営 と 労働組合の交渉が実施 され ることもある。だが、 日本では雇用関係 をカバーす る文書化 された契 約 は、 それが存在す る場合 には、短 く、一般的であ り
'抽
象的であるのが典型的である。簡単 な条 項で記述 されてい る。「合意 に達 しなかった場合、両 当事者 は協議 によって友好的 に調停 す る」(Hanami,1979)。
よ り重要なフォーマルな協議形態の1つが、意思決定のコンセ ンサスをもた らすいわゆる「稟 議」制である。一般的 に、 このシステムは以下のように機能する。た とえば、生産過程 のある点 を変更 しようとす る提案 についての文書が組織階層の末端周辺の従業員 によって起草 され る。 こ うした文書一―いわゆる稟議書一― はその後 に関係者の間に回送 される。稟議書 は順次組織階層 の上位者 に回 されていき、最終的に経営の トップによって最終的な検討 を受 け、承認 され る。「長 た らしい集団的な妥協の過程」(Marsh,1992,p.251)で はあるが、 こうした稟議制が 日本の作業 現場で労働一経営のコンセ ンサス形成の
1要
因であった ことは疑 いない ことであろう。日本企業の大多数 には、労使協議会
5、
ぉ ょびQCサークル等のような小集団活動6も
存在す る。それ らは労働者が経営政策 に関 して自己の見解 を表明す るメカニズム として役立 っている。 じっ さい、労働側 と経営側 は、団体交渉の場 と区別 し、労使協議機関においては、「雇用・人事 に関す る事項」、「労働時間」、「職湯環境」、「福利厚生」、お よび「経営方針」、多様 な問題 を取 り上 げて
いる (労働省、1998)。 QCサークルに関 しては、た とえば、仁田 (1988)は、鉄鋼産業の実証研
究 に もとづ き、次の ように述べている。QCサー クルサークルはたんに経営側 に行使 され る一方的 なコン トロール手段 と見 られるべ きではな く、作業現場 における経営側 と労働者側 との交渉 もし
くはコーディネーションの機会 と理解 されるべ きだ、 と。
協議 とコンセンサス形成のために、 こうしたフォーマルな諸制度 を補完す るのが 日本文化のユ ニークな側面であ り、それは作業現場の慣習 と慣行のレベルにおいて機能 している。相互理解 に もとづいた、人間関係 の調和 は日本社会では基本的な社会的美徳である (Hanami,1979)。 その 結果、契約当事者が法的な裁判 に訴 えることがで きるとい う法的な義務 を記 した、 フォーマルな 契約の概念 は、 日本文化の中では忌み嫌われている。 じっさい、 ある人 の法律上の権利 を主張す ることは日本では「非倫理的な行為」 に等 しい ことか もしれない (Hanami,1979,p.45)。
「労使 コ ミュニケー シ ョン」に関す る労働省 (2000)の 調査 によれば、回答 した事業所
(従
業員30人以上)の 41.8 パ ーセ ン トが労使協議機関 を設置 している。また、企業規模が大 きいほど労使協議の設置割合が高 くなっている。た とえば、従業員5000人以上 の企業では、77.9パーセ ン トとなってお り、他方、従業員50‑99人規模 で は、24.2 パーセ ン トとなっている。
労働省(2000)の「労使 コ ミュニケー シ ョン調査」によれば、従業員50人以上 の事業所 においては、その45.2パー セ ン トで
QCサ
ー クル を含む小集団活動が実施 されている。―‑11‑―
日本では作業現場の権限の正当性 は家父長主義の形態 に依存 している。すなわち、労働者が直 属の上司か ら「受 けた恩顧 に対 し、熱心な働 きと忠誠心で報 いる義務 を有す る」 (Cole,1971,p.
184)。 直属の上司の方は、 より上位の権限 を有する人 との関係 においては、労働者の利害 に配慮
し、彼 らに助言 をあたえ保護す ることを期待 される。要するに、上司 はじぶんの部下 に思いや り をもって行動す ると期待 され る。
Dore(1987,p.94)の
言葉 を借 りれば、「部下の尊厳 と利害 に対 す る配慮」 を示す ことを期待 され る。したがって一般労働者の方は、職長やチーム・ リーダーが労働 コン トロールの抑圧的側面 を抑 え、上位の経営陣に対 して一般労働者の利害 を擁護することを期待する。 これ と引 き換 えに、労 働者 は作業現場の権威 に対 して「敬意」 を示 し、生産 において職長やチーム・ リーダー と協調す る。Shibataの観察 (Shibata,1999)に よれば、 日本の職長やチーム・ リーダーは上位の経営陣 に対 して影響力 を行使 し、経営上層部 の特権か ら一般労働者 を保護する。 日本では一般的には、
チーム・ リーダーは、イングス トリアル・ エ ンジニアが覆す ことがで きないような、ある一定の 意思決定 を行 う裁量権 を与 えられている
(Nakamura,1997;Nakamura and Nitta,1995)。
こ うした、いわば緩衝的行動 は「監督者 と労働者 との間の一体感」 (Shibata,1999,pp.202‑3)を 強 める。 こうして職長 と一般労働者 との間の互恵的関係が 日本の作業現場 において確立 され る7。
た とえば、
Nakamura and Nitta(1995)で
は、チーム・ リーダー/職長が ジ ョブ・ ローテー シ ョンな どについて大 きな意志決定権限を与 えられている場合であつて も、彼 ら作業現場の監督 者たちの意思決定 は恣意的ではな く、むしろ労働者の期待 にかな り注意深 く配慮することが指摘 されている。Dore and Sako(1998,p.109)も また、OJTの過程 に触れたさい、 日本のチーム・リーダー と労働者 との関係 において「敬意 をもって報い られ る思いや り」が存在することを指摘 している。 したがって、 リー ン生産の 日本型バージ ョンの中に、チーム・ リーダーによって主導 され る「準 自律的な労働者集団」(Nakamura and Nitta,1995,p.338)や 「半 自律的なチーム」
(Shibata,1999,p.201)の潜在的形態 を見 るもの もいる。
要す るに、 日本の労働者が、直接的 に、ある作業現場の諸条件 に影響 を与 える能力 はきわめて 限 られている。だが、彼 らは作業現場 の利害 を表明で き、労使協議のためのさまざまなメカニズ ム をつ うじて経営 に自己の利害 を認 めさせ ることがで きる。 より低 いンベルでは経営側 は家父長 的な思いや りの義務感か らそうして表明 された利害のために行動す る。 こうして経営側 の権威 は 労働者 によって正当な もの と受 け止め られ、作業現場 の成果 は公平だ と見 られ る。 これによって 7ぃくっかの研究 (Delbridge and Lowe,1997;Shibata,1999)が 示 してい るように、 これ は直接的 な監督者 にみ られ る一致 した慣行ではない。職長が強圧的な形で労働者 を監督 し、みずか らのアイデンテ ィティを経営側 に置 く傾向にある事例 も確認 されている。
生産 における経営側 との労働者の協調 を促進する
8。
Ⅲ
‑2.リ
ー ン生産 :ア メ リカのケースアメ リカでは、 リー ン生産方法 は2つの別々の諸力の結果出現 した。第1に、 リー ン生産 シス テムは、生産 における新たなテクノロジー と、 より広範な製品種類 を求める消費者の新たな需要 を補完す るものである (Piore and sabel 1984)。 マイクロコンピュータ技術 によって生産 におけ るフレキシビリテ ィを拡大することが可能 となった。 こうした ことは、複数の技能 を持 ち、職務 間 を簡単 に移動で きるチームメンバーか らなる作業チームによって見事 に補完 されている。 それ に くわえ、消費者の嗜好 は、彼 らが消費する製品の多様性 の拡大 を求 める方向に変化 して きた。
た とえば、 自動車 は今ではそのコンポーネン トに関 しては顧客の注文 に応 じてデザインされてい る。 こうした消費者の新たな要求 には、高品質の製品の生産 に責任 を負 うフレキシブルな労働者 が対応す る。
リー ン生産 システムを採用 した第2の動機 は、1960年代 か ら1970年代初頭 にか けてアメ リカ の生産 において発生 した労働一経営関係の危機か ら生 まれた。部分的には、 より意味 ある労働 を 求める労働者の要求の変化 に起因 し、また、安全衛生 な どの作業現場 の諸条件の悪化 にも起因 し、
労働者 はその当時の作業現場統治の官僚主義的で経営主導の性格 に反対 し積極 的 な反対行動 に 打 って出た。労働問題 に対する硬直的な「契約一お よび一苦情処理」アプローチ9が実施 されてい たが、 そうしたアプローチは1950年代 か ら1960年代初頭 にか けて経営側 によって制度化 された ものであった。 とい うの も、戦後の作業現場統治 システムが職場代表やインフォーマルな作業集 団にパ ワー与 えていたか らであった。作業現場の報酬の分配の変更が公平ではない、 また経営側 が新たに獲得 したパ ワーが正当ではない、 と労働者が受 け止 め、その結果、経営側 との労働者の 協調 は大幅 に失われていった。 こうした ことはその当時のよ く知 られた生産性上昇率の鈍化の重 8このか ぎ りでは、リー ン生産 モデル においては労働 コン トロールのフロンテ ィアが労働側 に有利 な方向にシフ ト
してお り、階層的で権威主義的な労働 コン トロールが自律的な労働者集団にとって代わ られている、と言 うこと もできるであろう。だが、問題はこうした労働者のパ ワー と影響力の配置がフォーマルな制度的アレンジメン ト ではな くインフォーマルな制度的アレンジメントによって確保 されている点である。したがってわれわれは、こ の新 しい生産モデルが、一意的に、階層的で権威主義的な労働 コントロールの陳腐化および自律的な労働者集団 の創出に結びつ く、 とは理解 していない。
9これ は生産 における労働組合の発言方法の1つであ り、労働組合 との契約 において明瞭 に説明 され るような権利 だ けを労働者 に与 える。そうした権利 をめ ぐる争議 はフォーマルな法的な苦情処理手続 き――典型的 には拘束力 を ともなった仲裁 となる一― をつ うじて解決 され る。 じっさいには、 このアプローチでは、職長 と監督が注意深 く契約用語 を学び、労働者 と「契約外の」交渉 をもたないように教育 され、そ して彼 らが問題だ とみる労働者 の どの不満 をも上位 レベルの経営側 の目に とまるようにす るように教育 されている。このアプローチは、労働現場 のパ ワー を誇示す ることによって職長 と監督 か ら追加的便益 を引 き出す ことがで きた、労働者 と労働組合の代表 のパ ワー を とり除いたのであった。
‑13‑
要 な要 因で あった (Fairris 1997)。
リー ン生産モデルの各部分 は、「契約一および―苦情処理」モデルによって特徴づけられるよう な労働―経営関係への敵対的かつ官僚主義的なアプローチに とって代わ る魅力的なオルタナティ ブに思われたのであった。労働者参加や意思決定の分権化への焦点 は、10年前 に制度化 されてい た トップダウン・ アプローチよ り優れた もの と労働側 も経営側 も受 け止めたのであった。 こうし て1970年代 の生産 における制度変化 には、労働者参加 と労働者 の生産諸条件 に対する正真正銘の 関心 について強力なン トリックが伴 った。た とえば、QCサー クルの初期のバージョンは「労働生 活の質」プログラム として知 られているが、それは労働者の生産する製品に くわえ労働者の作業 条件の改善 に向けられていた。
しか し、1980年代初頭か ら国際競争が一段 と厳 し くなるにつれて、「労働生活 の質」プログラム は「QCサークル」とな り、グローバルな市場 の中で国内製造業の位置 をより競争力あるものにす るために如何 にして生産性 と製品の品質 を改善す るかについて労働者が提案 を行 う場へ と変わっ て しまった。 まさにこの時期 に、アメ リカ製造業の中に リー ン生産モデルのその他の構成要素が 一段 と広 まっていったのであった。
アメ リカで出現 した ような リー ン生産モデルの制度的アレンジメン トの問題 は、そのモデルに 付随す るフォーマルな制度 もし くはインフォーマルな制度―― こうした制度が存在 していれば、
そのモデルが労働者 に与 える負の結果 を緩和で きたであろう一―のいずれか を欠いている、 とい うことである。労働者の利益のために機能 していたか もしれない もっとも明白な制度――すなわ ち、作業条件 に対す る労働者のコン トロールに対する労働組合の強力なコミッ トメン ト、お よび 職場代表 とインフォーマルな作業集団をつ うじた作業現場 の労働者への権限付与一一 はアメ リカ 労働史の一部分であった。労働組合 は生産の諸問題 に深 く関与 しない、とい うことが1940年代末 に確立 された。 それは、ゼネラルモーターズがアメ リカ産業全体 の利益のために行動 し、作業現 場の諸条件への労働者参加の拡大 を求 めた全米合同自動車工組合の要求 を拒否するために数 ヶ月 にお よぶス トライキに持ちこたえた時代であった。興味深い ことに、 こうした公式的な労働組合 の要求が受 け入れ られなかったにもかかわ らず、作業現場での労働者のパ ワーは職場代表やイン フォーマルな作業集団のパ ワーをつ うじて作業現場統治のインフォーマルな慣習や慣行の形で持 続 された。 しか し、 こうしたイ ンフォーマルな権限付与で さえ1950年代末か ら1960年代初頭 に かけて生産組織 にもた らされた変化の時期 に とり除かれて しまった。
したがって作業現場統治への「契約一および一苦情処理」アプローチの危機の まっただ中では、
経営側 と協調 しようという労働者側の意志 は、作業現場 の報酬のシェア リングが公平ではない、
そして経営の権威が正当ではない とい う労働者の感情 によって脅か されていたが、 リー ン生産 シ ステムはこうした中で導入 されたのであった。 リー ン生産 はそうした感情のいずれをも悪化 させ るものであった。
1970年代 に始 ま り、1980年代 と1990年代 に拡大 された リー ン生産方法の漸次的な導入 は、生 産のスピー ドをあげると同時 に欠陥品を減 らす ように労働者 にます ます大 きな負荷 を課 していっ た。 したがって、生産の肉体的諸的条件 は悪化 してい き、それが高 まるス トレス と結びついた。
その結果、作業現場 の報酬 をめ ぐる事実上のバ ランスは作業条件の方か ら離れ、生産性の方向に 傾 いていった。 リー ン生産 もまたチーム・ リーダー/職長一一経営 ランクのメンバーであ り、彼
らは
20世
紀初頭お よびいわゆる生産 の「 ドライブ・ システム」の時代以降それほど大 きな裁量権 限を持たない と言われている (Slichter 1919)一― にかな りの裁量権 を与 えていた。作業現場 の報酬のシェア リングが公平ではない、 このように受 け止める労働者の感情 は、ス ト レス、生産ペースの上昇、および リーン生産技術 と結びついた労働者の安全衛生の悪化の関数で ある。若干の研究が、アメ リカにおけるリー ン生産モデルヘの転換 を、労働者 によるよ り過酷で よ り大 きな持続的労働努力 に結 びつけている。た とえば、
Treece(1989,p.80)は
次の点 を見い だ している。NUMMIプラン トの労働者 は毎分55秒
間働 いていた。一方、NUMMIの規模 に相 当す る、だが、何 ら制度変更 を加 えられなかったGM―Lindenプ
ラン トでの労働者 は毎分わずか45秒
しか働 いていなかった。労働者 は リーン生産 の環境下ではよ り大 きな労働努力 を支出するか もしれないが、彼 らはそう す ることに満足 して もいる。なぜな らば彼 らは作業現場の生産 をめ ぐる意思決定 に参加 している か らだ、 と。 このように主張す る研究者 も何人かいる。だが、 リーン生産 プラン トの労働者の調 査 はそうした主張 を裏切 るようである。た とえば、 ミシガ ン州 フラッ トロックのマツグのプラン での労働者 に関す る調査 において、
Babson(1993)は
、調査対象の労働者の4分
の3が
、 自分た ちの作業ペースがあまりに激 しく、怪我 をして しまうのではないか、もしくは退職前に消耗 しきっ て しまうのではないか、 と感 じていた ということを示 している。作業がいっそう過酷 にな り早 くなれば、達成感 の向上 をつ うじて多少労働者の満足が得 られる として も、労働者の安全衛生の悪化 した条件の もとでの作業が満足い くもの となることは稀であ る。だが、 リーン生産 プラン トの安全性が じっさい、同規模の、何の制度変更 も実施 されていな いアメ リカのプラン トに劣 る、 とい う証拠が ます ます増 えている。労働者の安全衛生 に対する負 のインパ ク トは、生産 のスピー ドの上昇 と関連 しているようだが、品質 と生産性 に責任 を負 うよ うに労働者 に課 されたプレッシャー とも関連 しているようである。
‑15‑
生産の合理化、作業ペースおよび作業場の労働安全衛生、 これ らの関連 はい くつかの事例研究 の中で強調 されている。Berggren et al.(1991)は アメ リカにおける多 くの 日本 プラン トを訪ね、
労働安全衛生 に対する不満の拡大が きつい作業ペース、反復的な仕事、長時間労働 に関連 してい ることを見いだ している。マツダでは彼 らは、きわめて高い水準の累積性機能障害
(CTDs)一
一す ばやい、長時間にわた り行われる反復的動作 に関連 した傷害一一 と、全体 の傷害発生率が他のア メ リカの自動車 プラン トの3倍
水準 にあることを発見 した (1991,p.55)。Rinehart,Hllxley,and Robertson(1997)に よるカナダのCAMI自動車 プラン トーー1989年 に生産 を開始 したGMと スズキの合弁会社一一 の事例研究 は、 リー ン生産、労働努力の強化、お よびCTDs率の上昇、これ ら三者の関連 について明確 な事例 を示 している。そのプラン トの労働 者 の調査 によって明確 に示 された ことだが、ほぼ40パーセ ン トの労働者が「常 に、 もしくはたび たび」 (p.70)作 業 において繰 り返 し緊張 にさらされている、 と感 じていた。1992年か ら1994年 の
2年
間 にわた り、CTDに関連 した疾病数が2倍
以上 になった。すなわち、報告 された傷害 と疾 病の総数のほぼ12パーセ ン トか らおよそ33パーセン トに上昇 した (p.80)。Wokutch(1992)の
事例研究 はアメ リカにおける日本 の自動車企業の現地工場 にお ける安全衛 生 を対象 とした ものだが、同様の発見 を得ている。1988年には、同プラン トにおける傷害 と疾病 の発生頻度 (作業時間20万
時間あた り44.4パーセ ン ト)は、 自動車産業の発生率 よ りも91パー セン ト高かった し、1000人以上 を雇用す る類似 した自動車 プラン トの発生率 よ りも66パーセ ン ト高かった (Wokutch,1992,p.192)。 1988年には、緊張、捻挫およびCTDsが同プラン トで報告 された傷害 と疾病の大部分 を占める(ほぼ50パーセ ン ト)(Wokutch,1992,p.195)。 CTDsだけ を取 り上 げれば、その発生率 は同規模 の自動車 プラン トの発生率のほぼ5倍
であった(Wokutch, 1992,p.195)。最近 の一連 の発見 (Fairris and Bremer(近 刊);Bremer,Fairris and Ruser 2000)で は、確 固たる統計的関連が累積性機能障害 とリー ン生産方法 を採用す るアメ リカのプラン トとの間 に確 認 された。とくに、そ うした発見 はQCサークル と
JIT生
産技術 との関係 を示 している。QCサークル と生産への
JITア
プローチは、 きわめて多様 な製造業の事業所 について、CTD発生率 と正 に、同時に統計的に有意に関連 していた。そのうえ、QCサークル と生産へのJITア
プローチがCTD発生率に与えるインパク トはかな りのものであり、製造業の大規模事業所のサンプルにおい ては平均CTD発生率の 50パ ーセントを説明する。
リーン生産方法の批判者たちは、こうした事例研究の中に、CTDs、 QCサークル、および