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利潤率傾向的低下の法則と労働の生産性

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Academic year: 2021

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(1)Title. 利潤率傾向的低下の法則と労働の生産性. Author(s). 大野, 勇一郎. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 8(1): 137-147. Issue Date. 1957-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3631. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第8巻 第1号. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 昭和32年8月. 利 潤率傾向的低下の法則と労働の生毒 性. 大. 野. 勇. 一. 郎. (北海道学芸大学釧路分校経済学研究室). Yuichi l ing Tendency ro ono : ‘Law of the Fai ’ t of the Rate of Profi ivity and Labour Product. 〔 1〕 ! 」 は、 これを論証しがたいものだとする数多くの批判にさ マルクスの 「利潤率傾向的低下の法則 の現実が らされている。 だが資本主義経済発展 、 このマルクスの洞察の正 しさを証明しているか否 かということは一応別問題 として、 生産力をもつものは直接には 「生ける労働」 のみであり、 労働 の生産性がどうあろうとも、 利潤は生産に加わった 「現在労働」 V十M のなかからのみ汲みだされ るものだとする見地に立ち、 さらに技術の進歩がもたらす生産性の上昇は一定量の労働に結合する 生産手段の量的増加をみちびく傾向が支配的であるものと解する限り、 (後述の堀江忠男氏の 「利 潤率増大率の低下法則」 は、 生産力の発展は資本の技術的構成の高度化を伴わないとの見地から導 き出されているのであるが、而かも或る場面では、生産力の発展が当然、 技術的構成を高めるという ことを謂わば無意識のうちに前提して、 その 「価値的単純再生産」 「技術的 (物的) 拡大再生産」 )利潤率の低落を底流する長期的傾向として把握しよ なる事態を説き明かしておられるようである。 背き得ないものではない うとする態度は決 して 。 生産に参加する社会的総量としての実物資本量と 労働量の比率と、 社会的総生産物のうちにふくまれる実物資本量と労働量の割合、 更には単位量商 品のなかにふくまれる 「過去労働」 と 「現在労働」 の比率、 固定的不変資本と流動的不変資本、 労 働の生産性と資本構成、 あるいは資本構成と資本係数、 技術的構成、 価値構成と有機的構 成、 等々 の諸概念、 諸関係を吾々なりの吟味と整理においてま なびとった結果、 まがりなりにも吾々が現在 ・ている理解の線は大凡以上のごときもの である。 だが思索は実は模索であり、 その理解 た どりつし は誤解に終っているかもしれない。 諸家のご叱正をたまわることを得れば幸である。 〔=〕 「資本構成が高度化するとしても剰余価値率の上昇ということを考慮にいれれば必ずしも利潤率 の傾向 的低下を断定す ることは出来ない。 しかるにマルクスは剰余価値率を一定と仮定することに よって利潤率の低下を説いている。・剰余価値率一定という仮定は実質賃銀不 変というマルクスの他 の命題とも相容れないではないか。」というのが利潤率傾向的低下の法則にたいする周知の代表的な )これにたいして吾々が長期的傾向としての利潤率低下の法則を導き出したマルクス 批判である。1 の見地が、 それはそれなりに一応肯定し得るものだろうと考えた理由は大 づかみにいって次の如き も の で あ る。 -137-.

(3) . 大. 野. 勇 ,一. 郎. いったい生産に使用される生産手段の分量が雇用される労働量よりも相対的に増加の傾向をたど )と生産性増大の結果 るのは、 労働の生産性 ミを増大せしめるという目的 (固定的生産手段に関して。 )とにもとづくものであろう。 労働生産性の上昇がかならずしもそれに (原料、 補助材料に関して。 じがたいであろ う け れ ど される生産手段の量的増加を伴うとのみは断 比例して一定労働量と結合 も、 一般的にいって先ずそれが常態だと解すること、 あるいはマルクスがその様に解したことは許 さ れ て よ い こ と で あ ろ う。 - - 吾 々 と い え ども、 こ の 問 題 に つ い て、 た と え ばロ ビン ソ ン夫 人 に よ. ) ってあたえられている警告を知らないわけ ではないのだが。2 資本係数については生産力の発展がある段階に到達してのちは却てそれが小 さくなってゆく 傾向 があるといわれているようである が、 資本係数の減少は必ずしも資本の技術的構成を低下せしめる ものとは限るまい。 労働の生産性 の上昇率が資本係数の減少 率よりも大であれば、 資本係数の減少 ) にもかかわらず資本の技術的構成は却て高度化する筈 である。3 )技 労働生産性の上昇は生産量の増加と同じ割合で原料や補助材料を増加せしめる訳ではなく、4 術の進歩はそれらを節 減出来るようにも工夫されるであろうが、 すくなくとも通常の 事 態として は、 それが労働生産性の上昇率と同じ率で原材料をも節減するとは考えがたいだろうから、 労働量 にたいする生産手段量は漸増 すると理解してよいであろう。 況んや、 その相対的に減少してゆく労 働量のうちの、 しかもマルクス的に考えれば生産性 の上昇、 したがって労働力の価値減少にともな って減少 してゆく筈の可変資本 V が生産手段総量としての不変資本 C にくらべて相 対 的に減少し てゆく、 即ち資本の有機的構成は高度化すると説くことはあながち強弁とのみは云い得ないもので あろう。 なを、 あらためて書き添えるまでもなく、 ここで吾々が利潤率算定にあたって不変資本と して概念するものは生産手段総量であって各期の生産物量のなかに価値移転される部分としての生 産手段量ではない。 また、 断るまでもなく労働の生産性は各期の生産量と雇用労働量との比率とし て理解している。 それにもかかわらず労働の生産 性上昇が資本構成を高める結果になる だろうとい ったのは、固定資本部分についての顧慮は一応措くとして、各期に一定量の労働 が処理 し得る原材料 が増加すれば大体においてそれに比例してその在庫高も増加するだろうと考えたからである。 -- ここでも吾々はロ ビンソン夫人の注意を忘失している のでないことを重ねて附記すべきかも知れな し、。. さて問題の利潤率傾向的1氏下の法則に移ろう。 窮局のところ、 資本制生産というよりは 「生ける 労働のみが 生産力を有する」 という考えと、 それに基礎を置いた労働価値説、 さらに進んではこれ らの思想に関連 づけて構築されている剰余価値説とが利潤率傾向的低下法則をみちびき出している ) 労働の生産性が増大する程、 生産物価値 結果になっているように吾々にはうけとられるのだが。5 のうちに占める 「生きた労働」 部分の価値の割合が相対的に減少してゆかねばならないことは利潤 率に関する限り資本の前途に暗い影をなげかけるものの様に見える。 利潤率を低下せしめないため には資本の増加率と同じ率で利潤量が増加してゆかねばならない。 可変資本 V が剰余価値 M にた い して相対的に減少してゆくにしても、 即ち剰余価値率が高まっていっても、 現在労「勅 V十M そ. のものが過去労働Cにたいして相対 跡 減少しつづける限り、利潤率 ℃ 鴇 の漸次鮒氏落は阻止 しがたいところであろう。 利潤率低下の傾向に関するかぎり、 問題は資本構成の高度化率と剰余価 値率の上昇度との間の関係というよ りは、 むしろ生産手段量と労働量との間の関係にあるのではな i い か と 吾 々 は 考 え る。 6. 過去労働 C の増大にたいして V十M を現在労働の枠外 にまで拡大し M の絶対量を大きく算定し ようとする如き操作は少くとも吾々の理解し得ているかぎりでのマルクスの労働価値説とは相容れ がたいものの様に思う。 --労働価値説に固執しない場合は、 この方が或いは事の真相を正しくつ -138-.

(4) . 利潤率傾向的低下の法則と労働の生産性. たえ得るのではなかろぅか、 と吾々自身も考えているのだが。 --マルクスの見地に 立って、 その 労働価値説に拠るか ぎり剰余価値はあくまでも現在労働 V十M のなかの M であり 剰余価値率の 、 増 燃 その v十M のなかに おける 尊 の値の増加以外 のものではあり得まい この 亭 一 の上昇は 。 生産性上昇の反映であり、 具体的には労働力の価値減少による V の 減 少 と な っ て あ ら わ れ る し 。. かも技術的構成の高度化を前提とする限り、 この場合、 労働力の価値 V の減少率は生産性の上昇 率を下廻ることになる。 というわけは、 消費財生産部門の生産性の相対的な遅れとし・う点を考慮か らはづ しても、 生産物価値の減少率は労働の生産性上 昇率よりも低いからである その理由は同一 。 量の労働が仮に2倍の生産手段量を費して2倍の生産量をあげたとしても 現在労働の価値を加え 、 て計算すれば単位量生産物の価値は ÷ までは減少し得ないからである たとえば過去労働l ooと 。 00単位の生産量を得る場合と 過去労働2 現在労働100とで1 00と現在労働1 00とで 200 単 位 の 生 、 産量をあげる場合とを較べてみるに、 (現在) 労働の生産性は2倍に上昇しているが単位量生産物 の価値を 4 に滅少しているに過 ぎない このこと第 i余価値率の上 昇に ね、してマイナ の救果を 。 持つ こと に なる で あ ろ う。. ここで吾々は生産性の上昇が謂わば 「現在労働」 の生産性の上昇であって 生産性の上昇率は一 、 応そのまま労働量に結合する生産手段量の増加率となるとする見地に立ち 生産性上昇にともなう 、 労働力の価値減少 (=実質賃銀一定) および不変資本の価値減少という点を考慮にいれて 生産力 、 発展率に比例しての技術的構成の高度化という事態が有機的構成 剰余価値率 および利潤率にお 、 、 よ ぼ して いく 影 響 を次 の 式 か ら探 っ て み る こ と に しよ う そ して こ れ が 少 く とも マ ル ク ス の 基 本 的 。. 立場を示すものであるうと吾々は考えている 猶 ここでは生産性は毎年2倍に上昇するものとす 。 、 る。 総生産 物価値. 総生 産勇. 単位生産 -C V 物 価 値. N I. V. 凹・ - C十V. 第1年 度. 10OC十50 OV- I= 200 ON ←50 . ,. 100. 2 000 ,. 2 00 .. 1 00 .. 0 333 .. 第2年 度. 200C十37 5V十62 4= 300 5ハ . ,. 300. 1 500 .. 33 5 .. 67 1 ,. 263 0 .. 第3年 度 (棚xム (棚 × 身 0V 務・ g 一 3mc十25 0M- 4 0 0 ・. 400. 1 000 .. 12 00 .. 3 00 ,. 0 230 .. 」 8 oox÷ 第4 年 度 ( ( 綱× ÷→. 伽C+ー 5 6v十8 4 , ,棚 = 卿. 800. 0 625 .. 25 64 .. 41 5 .. 203 0 .. 第5 年 度 (脇ox 題. 則 C+ 9 4V十9 0釧 ‐ 6m ・. 1600. 0 375 .. 19 53 .. 64 9 .. 0 178 .. 上の例から吾々が学び得ることは、 生産性上昇率に比例して資本の技術的構成が高度化するもの と解する場合には、 剰余価値率の上 昇率は資本の有機的構成の高度化率を上廻ることは出来得ず 、 利潤率は必然的に低下するということである 。 マルクスが利潤率の傾向的 低下を法貝 1 1として打ち出した地 盤は大凡以上のごときものであったろ うと思われる。 だが生産性の上昇が資本節約的な技術の進歩に負う点が大きくなればなるほど、 こ の法則の真実性はうすらいでいくと考えねばなるまい。 問題はマルクスの云うように生産力の発展 が資本の技術的構成の高度化をともなうという傾向が果して支配的なものかどうかという点にかか っ て い るよ う である。. さて生産性の上昇が技術的構成を高めていく傾向が支配的なるかぎり利潤率低下法則はまが りな りにも法則たり得るようであるが、 然 しそれは 「現在労働」 のみが附加価値を生むという前提にお いてのこと である。 即ち、 生産- 性が如何に上昇しようとも雇用された 「現在労働」 の大きさのなか で V と M の比率が 動くだけ で その枠外にはみ出ることが許されな いために 利潤率が低下せざる 、. を得ないような事態を惹きおこすのである だがこの前提を取りのぞけば必ずしもそうなるとは断 。 ・ -139-.

(5) . 大. 野. 勇. 一. 郎. 定出来ない。 たとえば前記の例において第1 年度は100 の過去労働に100 の 現在労働が結合して 5単位とい 5単位、 利潤として2 1 00 単位の生産量をあげ、 生産手段 の補填に生産物50単位、 賃銀に2 ぅょぅにふり分けられた。 利潤率は き である。 第 2年度には 「現在労働」 の生産性が2倍に上昇 0が2 00の過去労働と結合され2 倍の生産量200 単位をつくり出す。 ここ 0 して同一量の現在労働 1 00単位の生産物のうち100 単位をとり、 実質賃銀不変と し では不変資本部分の質料補填のために2 5単位、 価値にして3m x 品 - 朋,跡 剰 余価値とな て労働者に25単位を分配するとすれば残額7 5M ご300) 仮に 分 母 を 生 産 開 始 時 の 資 本 調 達 額 と して 200C十37 5V 十112 5V と大 る。 (150C十37 . . ,. 4 7〉o 3 3となって利潤率は上昇することになる。 (もっとも、 に きく算定してみても 妻 帯 ‐o , . では固定資本の総量、 原材料の在庫、 等の点を明確にしていないし、 資本の回転の問題も考慮にい れていないわけであるが、 一応議論の本筋はこれでとらえ得るかと思う。 )それを生産量が どのよう に 変 る う と、 そ の 価 値 量 は 200C十37 5 V 6 2 5M 3 0 0 2 0 0 C 価値部分は不変資本補填の だ と して . 十 , = ために差引き、 附加価値を現在労「動 V十M に限定 し、 生産性の上昇についてはこれを V の縮少と してだけ捉えようとするために利潤率は低下するという計算になる。 生産力の発展が資本の技術的 構成を高 めるものだと云う理解の仕方と、 「生ける労働」 のみが新しい価値をつくりだすという考 えと、 そしてそれと一応つながるものとしての労働価値説とが利 潤 率 を 低下させていることにな る、 と も 云 え る よ う で あ る。 上 例 第 2 年 度 に お い て 価 値 に して200、 物 財 量 と して100の 不 変 資 本 は. 00の補填が出来ることになった筈である。 だが 生産力上昇の結果、 価値にして150だけでその素材1 00と算定すれば、 この場合、 投下された 「現在労働」 の価 労働価値説にしたがって総生産物価値3 00は1 50に変ぜねばならないことになる。 然しそれでは可変 資本はともかく不変資本が不変資本 値1 で あり 得 な い こ と に な る。 〔註〕 7 1) j c s .36 . Robinson: An Essay on Marxian Economi , 邦訳51頁、 彼女はさらに資本構成 ,194 ,pp は高度化するとしても資本の利用度は有数需要に依存するいといぅ見地 から次のような批 判 し て い る。 だがこれは長期的傾向法則としての 「利潤率低下法則」 にたいする批判としては充分にものとは 云いがたいのではな かろぅか。 「実際に搾取率 が不変であって、 かつ技術的進歩 が一人あたりの資本 を増加する傾向がある ね づ マルクスの想定が正 しかったなら、 彼の 号 が不変であり、 寺 が増大 すオば 』 低落するとい ぅ定式が、 やはり一つの重要な真頭をもってし、るよぅに見えるかもしれ 。 な ” しか しこのタト観は人を欺嚇する。 な ぜならば、 寺 は技術状態だけに依存していな ー しか も資本設備一単位当りの雇用数にも依存している。 能力一単位当りの資本を増加する傾向があること は事実かもしれないが、 能力一単位当りの生産高は大いに変動し得る。 そして好景気と不況期は始終 :がある) そうなると資本 ある。 しかし、 或る時期には不況期が他の場合よりも長くてもっと深刻な時 の平均利用 度が、好不況を含めて、他の時よりもある場合に少ない傾向を持 つ。 そして資本設備が与え ま単に 》 が られるなら ぼ .利用度が少なければ少ない 掛 $ 一 は大となる。 このょぅにマルクス 総 々 与えられているならば、 利潤は産業の状況によって、 騰落することを示しているに過ぎない。」. dり pp J i nson;lb . Robi .41-42 , 邦 訳 57-58頁. 2 ) 「資本主義の発展とともに有機的構成が事実急速に上昇 したということは、 決して自明のこと ではな い。 機械類への 巨額の投資は肉眼には眼につきやすいが、 通信機関の高速化と生産工程のスピー ド・ アッ プとによる在庫や仕掛品の節約が、 設備への投資の増大を、 過去においてどれだけ相殺 したかを 見積ることは不可能である。 また発明の主要な型が、 将来、 どのようになるかを述 べることも不可能 だ。 …… しかし一応議論のために、 すくなくとも次のように考えることができる。 すなわち、 今後資 本節約的発明と資本使用的発明とがつりあい、 したがって有機的構成は上昇せず (雇用労働一単位当 りの資本は不変のまま傾向をもつ) 、 他方技術進 歩は以前と同 じように 急 速に生産性を高めてゆく、 と。」j . ロ ビンソ ン 「マルクス主義経済学の検討」 都留・伊東訳 58‐59頁 3) この点に関する問題については吾々は中山博士のご高教を、 かみ しめて学 ばねばならないであろう。 中山伊知郎 「資本蓄積の基本理論」 経済研究、 第1巻 第1 号、2ー4頁 -140-.

(6) . 利潤率傾向的低下の法則と労働の生産性 4 ) このような理解の しかたは、 あるいは 「労働の社会的生産度は 一労 働者があたえられた労 働時間内 、 に労働力の同じ緊張をも って、 生産物に転形するところの 生産手段の相対的な量的大きさにおいて 、 表現される。」(資本論、 第1巻、 第23章、 第2節) といっているマルクスの考えとそのまま同 じとは 云えないかもしれない。 5) 高田 博士は剰余価値,説は労働価値説からの必然的帰結として演輝さる べきもの でないことを御高教に なっておられる。 高田 係馬 「マルクス貧困論考」49 ‐51頁 6 ) 「この 『法則そのもの』 の理解においては 『現在労働』 と 『過去労 働』 の比率の変化こ そ 重 要なもの である……したがってまず問題となるのは社会的価値生産量 したがって叉剰余価値量であって剰余 、 価値率ではない。」 安部一成 「利潤率傾向的低下の法則への一覚書」 山口経済学雑誌 第5巻第1112 . 、 合併号、9 5頁. 〔m〕 最近、 「利潤率傾向的低下の法則」 に代えて 「利潤率の増大率低下の法則」 を提唱しておられる 堀江 忠 男 氏 の所 説 (アナリス ト 昭和31年4月号~昭和32年2月号 その他) と 吾 々 の 理 解 と の 関 係 を ま 、 、. なんでみよう。 堀江氏の場合、 生産性の上昇は労働量と生産手段量との結合比率を変化せ しめない のを、 すなわち生産手段の分量を増加せしめずに生産物量を増加せしめ得る事態を、 常態として立 論されている。 ロ ビンソン流に云えば、 労働者一人あたりの資本量の変化しない状態であろう。 だ が吾, 々は生産性の上昇は、 これと同一比率ではな いにしても 一人あたりの資本量を増加せしめる 、 のが寧ろ普通であるうと 考えた だから堀 「 資本吸収的な労働生産性上昇 江氏が 」 と名付けられて , 。 いる も の こそ 吾 々 に と っ て は 生 産 性 上 昇の 普 通 の ケ ー ス だ と い う こ とに な る。 そ して こ の 見解 の 差. 異は生産生上昇の結果としての生産物価値の減少という問題について次の様な岐れをみちびくこと になる。 すなわち、 堀江氏の場合は、 労働生産性の上昇は単位量生産物価値を構成する 「現在労 働」 と 「過去労働」 を同一の率 で減少せしめるのが常態となるのに対して、 吾々の小論における理 解では、 労働の生産性上昇は直接的には同一量生産物に含まれる 「現在労働」 を減少せしめるもの なのであって、 「過去労働」の減少は技術の進 歩による固定、 流動不変資本の節減とか、 あるいは資 本回転率の増加とかいった事態から、 むしろ間接的に説明さるべきことがらであろうと考えられて いる。 (過去労働の所産である機械、 設備等が現在労働の生産性を促進したり、 或いはまた、 技術 の進歩が過去労働を体現する生産手段を節約することがあるとしても、 このことは 『過去』 労働の 生産性の増大なぞと呼ぶべきものではあるまい。 『過去労働』 の生産性という概念をもちだして『現 在労働』 の生産性と対置させるということがあるとすれば、 それは謂わば労働価値説えのおかど違 いな忠誠ぶりを示すことになるだけであろう。 これは無知にもとずく吾々の妄言であるかもしれな ) だから、 現在労働の生産性上昇率と同じ率で生産手段量が節約されるような特別の場合をの い。 ぞけば、 (現在) 労働の生産性上昇は、 通常、 それと同じ割合までは 単位量生産物の価値を減少せ しめ得ないことになる。 堀江氏のように特に 「資本吸収的」 な経済 発 展を想定するのでない限り は、 労働生産性が2 倍になるということは C および V十 M なる 夫々 の価値量にたいして生産量 が2倍 になることなのだ、 とされれ ば、 剰余価値率不変なる場合 資本の有機的構成も利潤率も不 、 変のままだということになる。 云幼;実際には労働の生産性上昇は剰余価値率 辱 を高める筈だから 資本の有機 的構成 寺 は高まる し、 C; v十M は-定なのだから 辱、 が高まっていく以上 利潤 、 率 1 上 ま昇 せねばな 鳥 ) 々 らな ‐ か うのが堀江氏の基 ぃ 樹 立場のようである 然 拳 し を で 。 .- 定と仮定 しながら、 しかも 8 が大きくなっていくというマルクスの説き明かし ぶ り か ら推して. の もマ鱒駅留を 葦 董 基盤葛凝議き尊嘉 ぎ の醐蓬繋ぎ 一141一.

(7) . 大. 野. 勇. -. 郎. ぅ仮定は資本主義的でもないよぅだし、 またマルクス的でもな ” 堀江氏の基本的立場は 一 粉 を変化せしめずに、 生産性上昇にともなっての労働力の価値減少によって 辱 をたかめる。 だから. 利潤率低下法則は当然否定される。 吾々の学習を『 ≦壷 の高まるのを生産力発展における常態と 事 をたかめたうえで 。 齢 し 姐 え、 さらに 一. の変 儀 向をさ ぐるといぅ態度である、 というこ. とにな る。. 「結局、 利潤率の傾向的低落の法則とは、 経済発展が原則として 『生産 フオンド (不変資本) 吸 収的』 な型においておこなわれるという前提のもとでのみ、 『法則』 として妥当性をもつものだ。 といえる。 だが、 実際には 『中立的』 な、 あるいは 『生産フオソ ド (不変資本) 節約的』 な技術進 歩はありえないとか、 あるいは、 そういうことは多少はあっても、 『生産フオソ ド (不変資本) 吸 収 的』 な 発 展 の ほ う が 必 らず 優 勢 で あ る な どとは い え な い。」(ァナリスト、 昭和32年2月号所収、 「『不 変資本吸収的』 発展と利潤率」61頁) と い う の が 堀 江 氏 の 一 応 の 結 論 の よ う で あ る が、し か も、氏 は そ の こ とを特 に 所 説が J , ロ ビン ソ ン の 場 合 と は 全 く 別 個 の 視 点 か ら みち び き だ さ れ て い る も の で ある 5 7頁) そ の全 く 強 調 さ れて い る。 (アナリスト、 昭和31年12月号、「『恐慌論』 批判の反批判に答える」 56-. 異なった視角というのは、 おそらく、 ある意味においては極めて労働価値 説に忠実であり、 他の意 味ではあきらかにマルクスと狭をわかっ立場に立つ、 その 「価値的再生産」 と 「技術的再 生産」 な るご構想であろうかと思われる。 氏はマルクスの再生産表式が 「生産力の発展」 をしめさず、 「技 術的再生産」 をあらわさないことを難じておられるのであるが、 生産性の上昇が現在労働と過去労 働との比率を変えない状態、 すなわち 「中立的」 技術進歩にもとずく 「生産力の発展」 を経済発展 の常態とされる氏 の立場にあっては、 む しろ 「価値的再生産」 は 「技術的再生産」 を う ちにふく み、 これをその侭反映している筈で あろう、 と吾々には理解されるのであるが。 堀江氏の 「労働の生産性」 という概念は次のごときものである。 すなわち、 「ある二つの期間に おける社会的総生産物にふくまれた労働量の総体、 すなわち総価値量と、 その社会的総生産物の物 的な量との比率をみれば、 その社会の労働 生産性の発展率は2倍とか3 倍とか、 ひとつの数字で出 る の で あ る。」(アナリスト、 昭和31年5月号, 「恐慌 回避への道序説」 i2頁) こ れ は い う ま で も な く 社 会. 的総生産物の中にふくまれた 「現在労働」 と 白過去労働」 の合計としての労働量の総体と社会的総 生産物の物的な量と比率であり、 その意 味では、 ひとつの 「労働価値説にきわめて忠実な」 労働生 )この場合、 労働生産性の上昇と同 じ割合において単位量生産物の 産性概念でもあろう かと思う。2 価値は減少することにな るし、 中立的技術進歩による生産性上昇の場合は、 現在労働についても過 去労働についても同率の 「労働生産性上昇」 がみられるということになる のであろう。 ところで次の例 (価値的単純再生産・技術的 拡大再生産) において示されているとこ ろ に よ れ ば、 堀江氏の 「生産力発展」 は、 技術的構成をたかめていくが 「現在労働」 と 「過去労働」 の結合 .る理由のひとつは、 (全部ではな 比率および夫々の量は不変のままである。 そ して、 そうであり得 い) 好都合にも、 生産力の発展が 「現在労働」 と 「過去労働」 のそれぞれを同じ割 合 で 節 約する 「中立的技術進歩」 にもとずくもの、 吾々なりの云い廻しをすれば、 (現在) 労→動の生産性の上昇 が技術的構成を高めることなしに行われ得る事態だからである。 だが、 第1年度の終りの箇所まで については、 この説明だけで十分であろうけれども、 第2 年度 の始めにおいて同一量 の現在労働が )と結合することになっ 第1年度 の2倍の量の生産手段 (価値量においては前年度と同じであるが。 ているのは何故であろうか。 堀江氏の場合にあっては生産性が 2倍にあがるということは生産物量 が2倍に増加することでは あるが、 それは同一量の現在労働が2倍の量の生産 手 段と結合するこ と、 すなわち、 技術的構成を2倍にたかめるものではなかった筈である。(技術的構成という のは、 時間で計算された 「現在労働」 の量と生産手段 の物財量との比率であろうと思う。 生産性の上昇が -142-.

(8) . 利潤率傾向的低下の法則と労働の生産性. 「労働力」 の価値を減少するということはあるにしも たとえば8時間の 「現在労働」 量は依然と 、 して8時間の 「現在労ィ動」 量である。 その意味では技術的構成を生産手段の量と労「動力との比率と して表現することは妥当でないように考えられる。 0OCにかわるものとして第2年度 ) 第1年度の1 始 め に は 50C と書 か れ る べ き で は な い だろ う か 50C=10OPm が 年 度 の終 りに お い て 50C=200Pm 。. になるものと して書かれるのが正しいかたちなのであるまいか。 第2年度 の始めの部分について何 か補足的説明が必要 なように思われる。 前年度から. ↓ 第1年度の始め. .. 10OV十10OM. 10OPm 200時間…… ……潜在能力 ・日 ……, 10OC十100人 一. コ. . 10OC 十 50V 十 1 50M……総生産物の価値 . 十 一『 1 ↓ ↓ 表 よ 、 1 0OK くm . o 資本 家の消費 1M 50V十150. 20 0Pm 200時間…… ……潜在能力 10 OC十10 0人 コ 175M. 第2年度の終り. 次年度大. ↓ 資本家の消費. 上の表についての吾々なりの補足と理解とを述 べてみよう まず第1年度のはじめには 技術的 。 、 構成不変のま まで生産力は2倍に上昇し、 生産量は2倍になる 第2年度の始めにおいて技術的構 。 成が2 倍にたかまっているのは、 おそらく、 ここで技術的構成を2倍にたかめるような性質の す 、 なわち、 同一量の現在労働で前年度の2倍の量の生産手段を処理できる (従って原材料の節約とい うことがなくとも生産量は前年度の2倍にあがる) という意味における生産性の上昇が 新 規 に 追 加、 挿入されさらにそれが単位量生産物あたりの生産手段費消量を 十 に節約するという性格にお ける生産性の上昇、 即ち堀江氏の場合における本来の生産性上昇によって生産量 を2 倍に増加させ ると い う運 び にな っ て い る も の で あ ろ う。 吾 々 が こ こ で 気 づ く こ と は 堀 江 氏 の 「生 産 力 発 展」 に 、. は、 説明こそされていないが、 実は区別さるべき二つの型が 伏在しているという事実である すな 。 わち、 同一量の現在労働が、 それと結合する生産手段の分量を変えることなしに生産量を増加せし めるという性質のものと、 同一量の現在労働がより多くの分量の生産手段を処理 費消 し得るよう 、 になる結果、 生産量をそれぞれ増加することになるとし・う性質のものと しかも 後者の型の 「生 。 、 産力発展」 は、 マルクスの見解とはあきらかに異なって 氏の 「発展」 の 「常態」 においては絶え 、 ず 拒ま れ と お して き た 筈 のも の で あ る。 〔註〕 1) 堀江氏は理論的 には存在し得てもマルクスの「利潤率傾向的低下の法則 とは無関係 「 」 な 利潤率低下」 の事例として次のものをあげられている 。 梢 労働者の生活水準の向上率が生産性の上昇率を上まわる場合 。 { ロ } 社会的総資本の回転率が次第におそくな ってゆく場合 --だが 技術の発展が必然的に回転率を 、 、 低下させるということは証明きれない。 回 生産手段部門の 優先的発展を強行する 場合 。 (アナリス ト、 昭和31年5月号、 堀江忠男 「恐慌 回避への道序説」1 3頁、 参照) 2) 「新機械による労働生産性の引上を論ずる場合には 新機 械によってつくりだす 『生きた労働』 の生 、 産性ばかりでなく、 新機械に体現 されている 『死んだ労 働』 の生産性をも考慮しなければならぬ 「 」 、 ある生産物の製造にあてられた 労働の生産性を測定するためには その生産物の最終製造工程 におい 、 て支出された労働量だけでなく、 それ以前のあらゆる諸工程において支出された労働量を知らねばな -143一.

(9) . 大. 野. 勇 ,一. 郎. らない。」 堀江忠男「恐慌理論の行詰りを打開するために」 世界経済評論、 昭和31年6月号、17頁参照、. V〕 〔I マルクスの利潤率傾向的低下の法則は、 労働生産性の上昇が資本の技術構成高度化をともなうも のであるとの見地に立ち、 剰余価値率の一定を仮定することによって説き明かされている。 これに たいして、 それが利潤率の傾向的低下をみちびくか否かは、 有機的構成の高度化率と剰余価値率の 上昇度との間の関係如何によることであって、 利潤率低 下の必然性は存在しない、 というのが周知 の一般的な批判である。 そして吾々は、 剰余価値率一定の仮定をとり去っても、 技術進歩における 謂 わゆる資本節約的効果にウェイ トをおかず、 労働の生産性上 昇を技術的構成の高度化に表現せし めて理解する限り、 剰余価値率の上昇率 が有機的構成の高度化率を上廻るという事態は考えがたく したがって利潤率低下は一応必然的傾向と して把握し得るであろうと理解した。 だから吾々の小稿 における理解に関しては、 労イ動の生産性上昇が必然的に技術的構成の高度化をともなうということ の論証がはたして可能か否かという点にひとつの問題を残すことになる。 さて、 問題の剰余価値率一定というマルクスの仮定については、 あながちこれを論 難すべきでは ないとの見解も存在するようなので、 吾々はそれらの諸家の説かれていところを次に学んでみたい と 思 う。. 」資本構成高度 たとえば、 遊部教授は利潤率傾向的低下法則についての詳細な ご研究のなかで、1 化率が絶えず剰余価値率の増進率を上まわっていくということが確認されるとすれば、 剰余価値率 一定という仮定は数学的操作としてゆるされ得る、 む し ろ多少の異存をさしはさみた い の は V (およびM) の絶対量を不変とした点である。 このことは低下した利潤率をもって、 従来と同一量 ないしは増加せる利潤量を獲得せんがためになされる可変資本の増加をあらわさない、 だが、 この V (およ びM) 一定という点も、 不変資本の増加率が絶えず可変資本の増加率を追越していくもの とすれば、 やはり数学的操作としてはゆるされ得る。 とされている。 そして教授は、 剰余価値率 一 定の仮定を数学的操作として可能ならしめるも のとしての 「資本構成の高度化率が剰余価値率の増 進を上廻る」 という事態については、マルクスによる積極的説 明はないにしても、すでに 「資本論」 のなかに問題 解明の鍵があたえられているとされ、 その解明の 鍵は、 「資本主義の不均等発展の法 則」 にほかならないと云われる。 すなわち、 「不均等発展から次のごとき推定を下し 得 るであろ う。 すなわち、 社会的労働の生産力 の増大につれて 資本の社会的平均的構成が高度化するにして も、 それはただちにこれに照応すべき第二部門、 消費資料生産部門における労働生産力の増大をと もなわぬということ (レーニンの表式においても、 第一部門における構成高度化率はつねに第二部 ) 「技術的進歩」 は第一部門においてす ぐれて 採 用されるがゆえに、 第二部 門のそれを上廻わる。 門、 消費資料生産部門における商品一単位当り価値の減少は社会的労働 生産力の平均的発展テンポ よりもおくれて行われ、 したがって叉労ィ動力の価値低下も相対的におくれてすすみ、 かくして相対 的剰余価値率の増進も逓増化のかたちをとらざるをえないであろうということ、 これである。 換言 すれば、 社会的資本の平均的構成の高度化率よりも相対的剰余価値率 の増進率がおくれておこなわ るということが、 こ のようにして必然化するのではなかろうか。 そこに剰余価値率=不変の仮定の 理論的根拠が存するように考えられる。 」 と。 然 し、 労働力の価値の 低 下が相対的におくれてすす み、 相対的剰余価値率の増進を抑制するはたらきをするとしても、 その抑制された 剰余価値率の増 進率 が有機的構成の高度化率を下まわるという保証はどこにも存在しないのではなかろうか。 また 第二部門の生産性上昇度の相対的なおくれをとりあげることは、 ひいては不変資本の価値減少率 が 可変資本のそれよりも大きいという点をとりあげる事になる が、 このことは資本の有機的構成の高 - 144‐ー.

(10) . 利潤率傾向的ィ蛋ドの法則と労働の生産性 度化率を引き下げ、 利潤率低下を抑制する筈でもある。 レーニンの表式において第一部門の構成高 度化率が第二部門のそれを上廻っていることが論証のささえになりうるのであれば、 マルクスのう ちだ した 法 則 は マ ルク ス の 論 定 に よ っ て 論 証 さ れ る こ と に も な る の で は あ る ま い か。 利 潤 率 の 低 下. をラ ラ イ動力価値低下のおくれを主要因として解明することは論拠としてのよわさを感じさせられるよ うでもあるし、 また高賃銀による剰余価値率増進の抑制ないしは減少を以て利潤率低下をみちびき 出す こと は マ ルク ス か ら の 距 離 を 大 き く す るも の で も あ ろ う。 した が っ て、 あ る い は マ ル ク ス 自 身. は 「構成高度化をともなう剰余価 値率の増進が利潤率の低落の傾向を止揚し得ぬことは、 上述の理 由 (遊部教授の示された理由--大野) よりして、 論証を要さぬ一つの自明の理として考え」 たの かもL れ な いが、 吾 々に と っ て は、 いま の と こ ろ、 教 授 の 云 わ れ る よ う に、 「か く して 表 解 に お け る剰余価値率=不変の仮定の謎はとかれ得たと考え」 てよいか どうかは猶、 吟味を必要とするもの のよ う に 思わ れ る。. )教授は 「利潤率低下法則」 は、 それが 「傾向と つづいて藤塚教授の御説を学ぶことにしよう。2 して」 作用するという点が重要なのであり、 数式上の結果としてこの法則の成立を論証しようと試 みることは無意味だ、 と説かれているのであるが、 この法則の説明にあたってマルクスが剰余価値 率を一定と仮定したことについては、 それが必ずしも背理ではないと云われる。 そしてその理由と して しめ されて い る と こ ろ は 凡 そ 次 の ご と きも の のよ う で ある。 い ま、 平 均 的 個 別 資 本 に お け る 生 した が っ て 生産 性の 特 に 高 い 個 別 資. 産 物 価値 が50C十50V十50M =150 で あ る場 合、 資 本 構 成 の、. 本の 生産物 価 値が 60C十40V十40M =140 で ある と す れ ば、 こ の 生 産 生の高い個別資本は市場価値. 40との差1 0 だけの特別剰余価値 (特別利潤) を獲得し得るわけであるが、 競争 1 5 0と個別価値1 0C十40V十4 0M に引 き下げ特別剰余価値を消滅させる。 かくして一般的利潤 はやがて市場価値を6 0% に低下する、 と云われているようにう け とられ 率は資本構成高度化の結果として50% から4 る。 だが、 もし教授の所説をこの様なものと してだけ理解する ことが許されるとすれば、 それは競 争が資本構成を高度化させ市場価値を低めていくということ以外には格別なにごとをも語っていな いことになる。 利潤率については資本構成が高度化すれば剰余価値率一定と仮定するかぎり、 それ が低下することになる、 と云われているに過ぎない。 問題は剰余価値率が上昇しても、 資本構成の 高度化は必然的に利潤率の低下を招来すということの論証が可能か否かという点にある。 〔註〕 1 -刀 頁、 参照 ) 遊部久蔽 「利潤率の傾向的低落の法則への一接近」 金融経済、 第17号誌、ー 2) 藤塚知義 「恐慌論と利潤率低下法則」 経済研究、 第3巻第1号、30‐40頁、 参照、 3 こにおいて、 いずれ機会を得て、 より詳しく学 ばせてい ) 藤隊教授のご説については、 恐慌論との関連} ただきたいと思っている。. 〔補論〕 〔1〕 いつわりのないところ、 「技術的構成」 につい ての吾たの理解は、 まだ十分でない点があるかも しれないと思っている。 だが、 現在のところ、 吾々はそれを労働量と生産手段量、 現在労働と過去 労働との比率、 と理解している。 その意味では、 「労働力」 と 「生産手段量」 との比率、 という表 現 は、 すく なく と も 吾 々 に と っ て は、 あ ま り は っ きり した も の と は う け と り 難 い の で あ る。 こ の 点. については吾々は前述の堀江忠男氏の御見解をそのまま学びとりたいと思っている。 さいわいにし て吾々の理解に誤りがな いとすれば、 同氏は 「技術的構成」 を 「現在労働」 と 「過去労働」 との結 合比率として説明しておられるようである。 - 145--.

(11) . 大. 野. 勇. 一. 郎. 「生産手段量」 という云いあらわしは、 「労働力」 を買い入れて 「労働」 させ、 「剰 「労働力」 と・ 余労「動」 を搾販するという理解のしかたとつながるものであろうが、 しかし 「生産手段量」 を使用 し、 処理するのは、 あくまでも労働時間では かられる 「労働量」 であろうかと思う。 ただ、 このよ うな吾々の理解が吾々自身に一つの疑点を残すのは、 それが 「資本」 の 「技術的構成」 だというこ とである。 という訳は、 賃銀を支払わない 「剰余労 動」 部分は 「資本」 の内容をなさないだろうか らである。 だからといって、 「資本制 生産の下での雇傭と技術進歩--技術構成の高度化--を問 題とするにあたっ ては、 われわれは技術構成を資本財量と生きた労→動量との関係としてではなく、. ’ とし・う ご 説 明 に も 趨 か に 賛 資本財量と支払労 動と の 関 係 と して 把 握 せ ね ば な ら な い で あ ろ う。」 1 同する気持に はなれない。 なぜならば、 労働力の価値は生産力や生活水準 の変化にって、 それこそ 「可変」 なのであり、 「過去労働」 と 「現在労働」 との比率がそのまま「生産手段量」 と 「労働力」. の比率に反映されるのは剰余価値率 一定の場合だけだからである。 〔註〕 1 ) 岡倉伯士 「現代成長理論えの批判的一試論」 山ロ経済学雑誌、 第五巻第七・八合併号、 9頁. 〔2〕 労働 の生産性上昇は、 だいたいこれに比例して、 一定量の労働と結合する生産手段の分量を増加 させる。 すなわち、 技術的構成を高度化せしめ、 これを反映する価値構成である有機的構成を高度 化せしめる。 このことが利潤率低下をみちびく、 というのがマルクスの基本的見地であり、 彼はこ れを剰余価 値率一定という仮定をおいて説き明かした。 だが、 剰余 価 値率一定という仮定をとり はずしても利潤 率の傾向的低下は上記 の基本的見地を容認するかぎり法則たり得るもののようであ ど る。 というのが吾々の一応の理解態度であった。 だが、 吾々の理解 の本筋をゆり動かすというほ が こでマル のものではないが、 資本構成の高度化に関するマルクスの解 明は、 かならずしも吾々 こ る クスの基本的見地として把握したものとそ のまま精確に一致するも のではないようであ 。 彼は固 定不変資本と流動不変資本とを区別して前者に特殊 の重要な役割をになわせている。 吾々は労働の生産性上昇は、 これに比例して 生産手段の分量を増加させるものと想定した。 流動 固定不変資本につ 不変資本に関す る限り、 これはそのままマル クスの見解でもあるようだ。 だが、 などは分量的にみれば労働の生産 動部分たる原料 いては多少 異なるかにも見える。 「不変資本の流 類 照明、 暖房設備な どの場合に 力に比例してつねに増大するとしても、 固定資本たる建物、 機械 、 五人 はそう でない。 機械は体積の増大につれて絶対的には高価になるが、 相対的には低廉になる。 の労働者が以前 の十倍だけの商品を生産しても、 だからといって固定資本えの投資は十倍とはなら ない。 この不変資本部分 の価値は生産力の発展につれて増大するとはいえ、 決して同じ比率では増 )これが技術的構成の変化を価値構成の変化が遥かに小さい程 度でしか反映せず、 「不 大しない」1 変資 本と可変資本と の差額の増加は、 不変資本の転化形態たる生産手段の分量と可変資本の転化形 2 ) 態たる労働力 の分量と の差額の増加よりも、 はるかに小さい」 ものたらしめる重要な原因だとさ れ て い る。. 以上のような表現におけるマルクスの説明はかならずしも明確でないも のを残すように思われる が、 要するに 生産手段の 価値減少 が労イ動力の価値減少よりも大きいのは、 生産手段のうちでも固定 資本の価値減少率の特に高いことに大きく負うている点を指摘しようとしているのであって、 技術 的構成高度化率は労働の生産性上昇率と比例しないと云っている わけではないようである。 したが って、 吾々の想定した 「マルクスの基本的見地」 は、 「利潤率低下法則」 についての吾々のマルク ス 理 解 を 格 別 歪 め て い る こ と に は な ら な い よ う で あ る。 46- -1.

(12) . 利潤率傾向的低下の法則と 労働の生産性 〔註〕 1 ) 長谷部訳、 「資本論」 9分冊、 3 76頁 2 68頁 ) 同上、 4分冊、 9 「3〕. 荒憲治郎氏は最近のご力稿 「経済成長の理論」 (理論経済学、 第W巻、 第3・4号) において、 限界 生産力説の立場から経済成長の理論を分析され、 .イ ンノ ベイ ションを利潤率 の長期的低落にたいす る企業者の内生的反応として説き明かされている。 このご構想はあるいは直接にはロ ビンソン夫人 の近業 「資本蓄積論」 ご研究からの、 ひとつの成果であろうかとも思われるが、 吾々の小論との関 連において吾々がそこから多くをまなぱねばならないのは 「利潤率低下」 にかんする部分である。 氏は成長過程における利潤率の長期的低下を次のように解明きれている。 実質賃銀の成長率 Gw は、 資本の成長率 Gkと人ロの成長率 G1との差に依存して決定せられるものであり、 これら3種 の成長率の間の関係は次のように把握される Gk > GI ならば Gw > o Gk = GI な ら ば Gw = o Gk < GI ならば Gw < o. 要約的に表現すれば、 Gw=g (Gk-GI ) 1 G いま、 資本主義経済の正常状態を ( > G1 として理解するならば、 経済の成長は実質賃銀、 資本集約度、 および労働生産性の増大と利潤率の漸次的低落をともなうことになる。 資本家が利潤 率極大をもとめて行動するかぎり、 実質賃銀の騰貴は資本集約度を高め、 資本集約度の増大が生産 力函数の弾力性を減少せしめて利潤率を低下させるというわけである。 そしてこの利潤率低下を阻 止する途は進歩せる新技術の導入だということになる。 以上の解明に学 びながら、 いま一度、 マルクスの利潤率低下法則をふりかえってみよう。 資本構 成の高度化が労働の限界生産力をたかめて実質賃銀を上昇させ、 他方、 固定不変資本の限界生産力 を低下させて利潤率を引 きさげることになる、 と解し得るかもしれない。 だが、 さきの場合の実質 賃銀の上昇は労働の生産性の上昇というよりは Gk > GI . すなわち労働人口の不足に もとづくも のの様であったが、 マルクスは Gk > GI をもって 資 本主義経済の正常状態と考えているわけで はないようだ し、 また、 労→動の生産 生上昇そのことが実質賃銀をたかめるのを常態だとしているの ではなく、 実質賃銀は生存費によって規定され、 生産関係がこれを決定するもののようである。 ま してや、 実質賃銀の上昇が資本構成を高度化せしめることになるな どとは思っていない。 技術の進 歩が生産力函数の上方シフ トをもたらして資本集約度増加を抑制するという見解とは異なって、 マ ● ルクスの場合、 技術の進歩による労働生産性の上昇は、 資本構成の高 度化と .むすびつく とともに剰 余価値率をたかめる筈のものなのだから、 そこでは利潤率の漸次的 低落の論証はかなり困難な仕事 になる。 いうまでもなく、 そこには限界生産力という概念は存在せず、 労働の生産性向上は資本の 技術的構成を高め 「生ける労働」 にたいする 「死せる労働」 の結合比率の逓増が、 利潤率低下の素 19 57年4月縞) (. 地 と 傾 向を つく り だ す こ と に な っ て い る。. -147-.

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