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ekaliṅga の定義

ドキュメント内 学位の分野 文学 (ページ 124-127)

第 3 章 Bhūtaḍāmaratantra における仏教、ヒンドゥー教間の関係

3.2 仏教版、ヒンドゥー教版 Bhūtaḍāmaratantra の内容比較

3.2.5 ekaliṅga の記述を通したシヴァ派との関連

3.2.5.3 ekaliṅga の定義

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れるekaliṅgaの記述に関する定義を見ていこう。

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ここで引用されるNīlatantraおよびMahāphetkārīya[tantra]内に上に挙げた内容に該当す る記述があるかを以下に見ていこう。

上記のTantrasāraは16-17世紀に位置付けられ、それ以前の成立であると考えられる NīlaTantraは少なくとも15世紀または16世紀の早い時期には存在していたと推測されて いる680。Nīlatantraには類似する長い版と短い版が存在する681。短い版のNīlatantraに は、ekaliṅgaの記述はあるが、その定義は見られない682。先のTantrasāra中の記述は出 版された長い版に相当するとされるBṛhannīlatantra内に見ることができる。この Bṛhannīlatantraの記述は

5クローシャ内で、エーカリンガとして知られる、他のリンガを見ることのない場 所、その場所に最高の成就がある683

と述べられるものであり、ekaliṅgaは一定の範囲(5クローシャ)に一つだけリンガが ある場所である。Banerjiは、11世紀に書かれたとされるŚrīvidyārṇavatantra684

Nīlatantraが言及されることから、Nīlatantraを11世紀前半或いはそれより前に位置付け ているが685、Bühnemannの見解では、Śrīvidyārṇavatantraは1588年以降とする686。以上 のことから、Nīlatantraに見られるようなekaliṅgaの定義が、ekaliṅgaの語を含む仏教儀 軌に先行する、或いは同時期にあったとする明確な根拠はないのである。

次に、Mahāphetkārīyatantraに関して、PalはこれをPhetkāriṇītantraと示している687。 実際、Phetkāriṇītantra内にTantrasāraに引用されているものに近い記述を見ることがで

liṅgam)(Caṭṭopādhyāya[2010] pp.408-409, Śrīvāstava[2007] p.532)

この後に挙げるPhetkāriṇītantraでは、当箇所のVidyāṃはTārāṃとなっている。

680 Biernacki[2007] pp.156-157

681 Benerji[2007] p.167およびBiernacki[2007] pp.150-152およびGoudriaan[1981] pp.87-88 出版されている長い版に関してはBṛhannīla Tantra(Kaul[1984])が相当し、短い版のNīla TantraにはŚarmā[1965 or 1966]が相当する。

682 ekaliṅge śmaśāne vā śūnyāgāre catuṣpathe / tatrasthaḥ sādhayed yogī vidyāṃ tribhuvaneśvarīṃ / (Śarmā[1965 or 1966] p.5) Bṛhannīlatantraではこの後にekaliṅgaの定義が挙げられるが、

Nīlatantraには欠落している。

683 tatrasthaḥ sādhayed yogī vidyāṃ tribhuvaneśvarīm / pañcakrośāntare yatra na liṅgāntaram īkṣate // 3 // tadekaliṅgam ākhyātaṃ tatra siddhir anuttamā / (Kaul[1984] p.7)

684 Śrīvidyārṇavatantraが11世紀のものであるとするBanerjiによる根拠付けを見ることが できない。(Banerji[1988] p.543およびBenerji[2007] pp.217-219)

685 Banerji[1988] p.543およびBenerji[2007] p.169

686 Bühnemann[2000] p.14(vol.1)

687 Pal[1981] p.72. また、Bühnemannも両者を同一視しているようである

(Bühnemann[2000] p.35(vol.1))。

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きるが688、BühnemannはこのPhetkāriṇītantra内のekaliṅgaを含む記述を挙げて、その記 述が仏教徒による11世紀のMahācīnakramaTārāのsādhanaの記述からほぼ完全に引用され ていることを指摘している689。即ち仏教内のekaliṅgaの記述がヒンドゥー教内に採用さ れたことを指している690

仏教儀軌内で「5クローシャ内に一つのリンガがある場所」という定義を含む ekaliṅgaの記述は現在見ることができず、この定義を含む文献の時代が遡れないことか らも、仏教文献内で示されるekaliṅgaの定義に以上の定義を当てはめることはできない であろう。

なお、尊格としてのekaliṅgaの呼称は後971年(Vikrama暦1028年)の碑文に出てきて おり、パーシュパタ派との関わりから記述されていることが報告されるが691、これま で挙げてきた各文献のekaliṅgaとこの碑文のekaliṅgaとの関係は明確ではない。

以上の3.2.5.1から3.2.5.3項で挙げてきた内容をまとめると以下のようになろう。

1. 密教儀軌内の「大自在天宮殿」は実際の修法の場(ekaliṅga)を指していること

2. ekaliṅga を「大自在天宮殿」等の漢訳語で表現することから、当時(10 世紀)

の僧がekaliṅgaを大自在天の祠だと明確に認識していたこと

3. BT 内の Mahādeva に対する修法、もしくは『文殊師利根本儀軌経』内の

Maheśvarasyāyatana と言う語と並列して述べられることからも ekaliṅgaがシヴァ

リンガのある場と同定され得ること

4. 仏教内ではリンガや像を踏みつけるという行為を伴う修法と共にekaliṅgaが描 かれる場面が見られること

5. 碑文の記述からekaliṅga に対する信仰形態が 10世紀には存在し、パーシュパ タ派との関係から述べられていること

6. 後世の解釈である可能性が高いが、ヒンドゥー教文献内でekaliṅgaが定義され、

テクニカルタームとなっていること

以上を根拠として、仏教の密教行者が―おそらく頻繁に―ヒンドゥー寺院(あるいは 小さな祠であろうか)に赴き、そこで修法を行っていたという状況を見ることができる のである。そしてその修法は、『初会金剛頂経』中の「降三世品」に説かれる金剛手菩

688 ekaliṅge śmaśāne ca śūnyāgāre catuṣpathe / tatrasthaḥ sādhayed yogī tārāṃ tribhavatāriṇīm // 24 // (Kaviraja[1970] p.233)

689 Bühnemann[1996] pp.473-474

690 Bühnemannは同論文内で、上に挙げたEkaliṅgaの定義と同様の「5クローシャ内にただ

一つのリンガが見られる場所」というTārābhaktisudhārṇava(Biernacki[2007] p.156で17世 紀のものとされる)の記述を挙げているが、これは後の解釈であろうとしている

(Bühnemann[1996] p.490注107)。

691 Bhandarkar[1908] p.152, 167

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薩による大自在天の降伏譚を想起させる、左足によってある対象を踏むという行為をな すことを多く目的としていたと言えよう。一方で、成就に適した場として挙げられる例 も見ることができ、修法の場としても利用されていたのであろう。

このekaliṅgaという語の起源がどこにあるかは現在のところ不明である。しかしなが

らBBT が漢訳された、後994年以前の碑文にekaliṅgaという崇拝対象の記述があるこ と、およびekaliṅgaがシヴァ神の神殿を表していることから推察すれば、この語自体が ヒンドゥー教から借用された可能性は完全には否定できない。この語は後にヒンドゥー 教内で明確に定義されるようになる。

今回は扱わなかったが、仏教文献内で大自在天の住処は浄居(あるいは浄居より上)

の位置に設定されている。例えば後 814 年の仏教語釈であるとされる『二巻本訳語釈』

において Mahāmaheśvarāyatana(「大自在の広大なる住居」)は「色究竟天の方の或る場

所 」 に 設 定 さ れ る692。 一 方 で 、 先 に 見 た よ う に 『 文 殊 師 利 根 本 儀 軌 経 』 で は

Maheśvarasyāyatana はekaliṅgaと並列して述べられる実際の修法の場を指しており、そ

の示す場が異なっている。後者のような実際の修法の場としての大自在天の住処(祠)

での修法(尊格を踏みつける行為)は、密教経典内での大自在天の降伏譚をモデルとし て説かれるに至ったと考えられる。これらは全て、仏教が大自在天の存在というものに 何等かの対応をなさなければならなかった状況を想起させる。

また、このような摩擦を生じさせるような記述を含む経軌は、当時の両宗教間での相 克も孕んでいたことをも示しているであろう。大自在天が浄居に設定されるに至った経 緯とその思想の発展に関しては、異宗教の仏教内への流入の変遷という観点からも興味 深い題材であるが、今後の課題としたい。

次に、BT および他の密教経軌とインド文学の文献との間に認められるパラレルな記 述を中心に、仏教、ヒンドゥー教で共有される修法について見ていきたい。

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