• 検索結果がありません。

ヒンドゥー教版 Bhūtaḍāmaratantra の先行研究と文献的位置付け

ドキュメント内 学位の分野 文学 (ページ 64-69)

第 3 章 Bhūtaḍāmaratantra における仏教、ヒンドゥー教間の関係

3.1 Bhūtaḍāmaratantra の先行研究とインド宗教史における文献的位置付け

3.1.2 ヒンドゥー教版 Bhūtaḍāmaratantra の先行研究と文献的位置付け

59 おり…」

と説く。ここからPUAPにおいてBBTはbhūtinīやnāginī、yakṣiṇīの修法の典拠として 用いられていたと言い得るであろう。

漢訳はインドの僧である法天によって「北天竺梵本」よりなされたとされ、大中祥符 8年(1015年)に完成したと考えられる『大中祥符法寶錄』巻八の中に「[淳化]五年正 月…金剛手菩薩降伏一切部多大教王等經三部…」(中華大蔵経No.1675)とあり、これに よれば当タントラは淳化五年(994年)の翻訳である247。この記述に従えば、当タント ラの下限は994年と言えるであろう。

Bhattacharyyの推測する7世紀成立と言うのは現在残る資料から判断するのは難しい

であろうが、先に挙げたように、8世紀後半から9世紀頃にかけてBhūtaḍāmaraの名称 を備える文献の可能性が指摘され、10世紀には現行のBBTが存在していたと言えるで あろう。また、当文献はKriyāあるいはCaryāタントラとして見なされ、bhūtinīやyakṣiṇī の修法の典拠として利用されていたと考えられる。

60

も の で あ ろ う 。 部 分 的 に HBT に 言 及 す る も の が Farquhar[1920]あ る い は 先 の Bhattacharyya[1933]を利用したGoudriaan[1981]、そしてPal[1981]などである。

Bhattacharyya[1933]は、Bhūtaḍāmaraが尊格名であることやHBTがBBT起源の文献で あることを理由として「ヒンドゥー教におけるḌāmara文献とは何の関係もない」と述 べて、ヒンドゥー教内の6つの主要なḌāmara文献を挙げる248。ここで述べられる所の 6つのḌāmara文献はŚabdakalpadruma内で引用されるVārāhītantraの記述であるが、こ れに関しては次章で見ることとする。

Farquhar[1920]においては参考文献のśākta文献およびśākta仏教文献の項にHBTおよ

びBBTを配しており249、Śākta派との関連を示している。

Goudriaan[1981]は「Bhūtaḍāmara(あるいは Bhūtoḍḍāmara)tantra」として、BTBhūtoḍḍāmaratantra と同一視しながら言及し、先の Bhattacharyya[1933]の論文を挙げて いる250。また、ベンガル語刊本Bṛhadbhūtaḍāmaraに言及し、このタントラとBTが「同 じテキストであるか?」と注釈をつけている251が、現在この文献を確認することはでき ていない。

Pal[1981]は「諸ḍāmara はŚaiva tantrasとみなされるが、それらに関してほとんど知

られていない」と述べた上で、「おそらく、ヒンドゥーの Bhūtaḍāmaratantraは11から 15世紀の間に構成されたに違いない」252と述べる。

BBT のテキスト刊本は未出版であるが、HBTの刊本としては現在確認できるだけで もCaṭṭopādhyāya[2011](初版は1876年)、Uttama[2002]、Rāya[2008]、Khaṇḍelavāla[2010]、

Tripathi[2014]、そして英訳を含むMishra[2016]の6本が出版されている。これら各刊本

は各々依った写本については触れずにテキストを挙げており、それぞれの HBTの説明 は簡略である。しかしながら、いくつかの示唆的な指摘があるため、ここでそれを取り 上げたい。

Uttama[2002]はその序文においてHBTの15章に見られるTantracūḍāmaṇiの語を文献

名の Tantracūḍāmaṇi とみなして、HBT がそれ以降の成立だとしている253。しかしなが

らこの語が用いられる文脈から考えれば、この語はBhūtaḍāmaraという語を修飾する語

248 Bhattacharyya[1933] p.353, p.353 n.5

249 Farquhar[1920] p.388, 398. このŚākta Buddhismという区分は、Shaw[1994]においても

「仏教とシャークティズムの合流は、タントリック仏教が「シャークタ仏教」と当然呼ば れ得るようなものである」(p.33)として挙げられている。

250 Goudriaan[1981] p.118

251 Goudriaan[1981] p.119, n.31

252 Pal[1981] p.32 n.8

253 Uttama[2002]中Bhūmikā参照。Benerji[2007]は、文献としてのTantracūḍāmaṇiを Śākta-kramaの代わりの題としており(Benerji[2007] p.204)、そのŚākta-kramaは1571年のもので あるとする(Benerji[2007] p.191)。

61 であり文献名を示しているわけではない254

また、Rāya[2008]の序文で他のBT として挙げられているシヴァとラーヴァナの対話 形式の 28 章で構成されるものは、現在 Bhūtaḍāmaramahātantra という題で出版されて いる文献255がその内容に一致するが、Rāyaの述べるように今回論ずる所のBBTやHBT とは全く別の文献である。

以上の先行研究の内容から言えることは、Ḍāmaraという分類を含めて、HBTのヒン ドゥー教内での位置付けが未だ不明瞭であり、また Goudriaan[1981]に言及される所の BhūtoḍḍāmaratantraBṛhadbhūtaḍāmara といった似通ったタイトルを持つ文献との関 連が未だ明らかではないという点である。

3.1.2.2 Ḍāmara 文献と HBT の関係性

このḌāmaraという語を以て示される特定の文献群は、タントラ研究の先駆けとも言

える John Woodroffe(Arthor Avalon)によって「Siddhi-Yāmala、Rudra-Yāmala、Brāhma-YāmalaやBhūta Dāmara、Deva Dāmara、Yaksha Dāmaraのような、あるターントリック シャーストラはYāmalaやDāmaraと呼ばれる」256と述べられる。しかし、これが何を典 拠としているかはAvalon自身は述べていない。

一 方 、Ḍāmara と い う 文 献 の 分 類 を 提 示 す る の は 、 先 に 挙 げ た と こ ろ の Śabdakalpadruma257内の ḍāmara の項に引用される Vārāhītantra258であり、この記述を以 てyogaḍāmara、śivaḍāmara、durgāḍāmara、sārasvataḍāmara、brahmaḍāmara、gandharvvaḍāmara

254 N1 38b5-38b6 unmattabhairava prāha bhairavī siddhipaddhatiṃ // maṃtracūḍāmaṇau divyamaṃtre smin bhūtaḍāmare // //

N2 22b-22b3 unmattabhairavaḥ prāha bhairavīṃ siddhipaddhatiṃ / taṃtracūḍāmaṇau divyataṃtro smin bhūtaḍāmare //

Bo 52a4-52a5 unmattabhairava prāha bhairavīṃ siddhipaddhiti iti maṃtracūḍāmaṇau divyataṃtre smin bhūtaḍāmare

Ba 37b5-37b6 unmattabhairava prāha bhairaviṃ siddhipaddhatiṃ // 21 // taṃtracūḍāmaṇau divyataṃtre smin bhūtaḍāmare // //

N3 37b2-37b3 unmattabhairavaḥ prāha bhairavī siddhipaddhatim // taṃtracūḍāmaṇau divyatatre 'smin bhūtaḍāmare // // //

M p.181 unmattabhairavaḥ prāha bhairavīṃ siddhipaddhatim / tantracūḍāmaṇau divye tantro 'smin bhūtaḍāmare // 6-7 //

「ウンマッタバイラヴァは、タントラの宝石(or マントラの宝石)であり神聖なるタント ラであるこのブータダーマラにおいて成就の道をバイラヴィーに説いた」

255 刊本のPāṇḍeya[2006]がŚivaとRāvaṇaの対話形式のものである。また、Rāyaのこの言 及に関してはRāya[2008]のBhūmikā参照。

256 Avalon[1952] p.86 n.6

257 1822-1858のRādhākāntadevaによるskt.-skt.辞書。(中野[1973] p.45参照)

258 Farquhar[1920]によれば、Vārāhītantraは約16世紀にベンガルで書かれたものとされ る。(Farquhar[1920] p.389)

62

という6 Ḍāmaraの分類259が存在したことがBhattacharyya[1933]及びChakravarti[1963]260 においても言及されるところである。

また、Sammohanatantra(或いはSammohatantra)において、Śaiva、Vaiṣṇava、Saura、

Gāṇapatya の各派の文献が提示される中に Śaiva の 3Ḍāmara や Vaiṣṇava の 2Ḍāmara、

Sauraの2Ḍāmara、Gāṇapatyaの1Ḍāmaraとして各派に各々Ḍāmaraと名付けられる文献

が存在することが述べられている261。しかしながらここでは具体的な文献名は挙げられ ておらず、この中にBTが含まれていたかは明らかではない。

以上のように、Ḍāmara という言葉によってまとめられる文献群が存在したことが確 認できる。Sammohanatantraは具体的な文献名を挙げないが、このタントラの解釈では

Ḍāmara 文献群は特定の宗派に属する文献ではなく各派に共通する文献群であったと言

える。ただし、この中にBTが含まれていたかは明らかでない。

また、Śabdakalpadruma内のVārāhītantraは具体的なḌāmara文献名を挙げるが、その 名称の中に Bhūtaḍāmara は見つけられない。以上に挙げた資料からの判断、および

Bhattacharyya の言うように HBTの起源がBBT である以上、HBTの成立においてはヒ

ンドゥー教内での以上のような Ḍāmara 文献という分類との関わりは認め難い。では、

ヒンドゥー教内に組み込まれた Bhūtaḍāmaratantraはその発展過程においてどのような 扱いを受けたのであろうか。これを明らかにするためにHBTを引用する、あるいはHBT について言及する文献を挙げて考察を進めたい。

3.1.2.3 BT の文献名を取り上げる例

HBTの引用を行う文献を見ることで、ヒンドゥー教内でのHBTの位置付けの大枠を 把握することになろう。ここでは、BTの文献名を取り上げる例を見ていきたい。

単にBTの名前を挙げている文献がいくつか存在する。ここではそれら文献を挙げて いこう。遅くとも 11 世紀には成立していたと考えられるシュリーヴィドゥヤー派の Nityāṣoḍaśikārṇava (NṢA)262内に挙げられる64タントラ内ではBhūtoḍḍāmaraが挙げられ る263。NṢAのこの部分に対する注釈文献にはbhūtoḍḍāmaram iti bhūtoḍḍāmaratantram

259 Deva[1967] p.573

260 Chakravarti[1963] p.60 n.4

261 このSammohanatantra中の文献の分類は、Bagchi[1939]p.100, Bagchi[1989] pp.18-19にお いて挙げられている。以上に挙げられるSammohanatantraがSdok kak Thom碑文に描かれ

るSammohanaを指しているとするならば9世紀初頭に存在していたと考えられるがそれを

確定する証拠は無い。Sdok kak Thom碑文の記述に関してはGoudriaan[1981] p.21参照。

262 井田[2012] p.17, p.223 n.44。一方で、島[2003]はこれを9~10世紀頃とする。(島[2003]

p.97)

263 Dviveda p.44, 島[2004] p. 111.

63

いう読みを備える写本がある一方で、bhūtaḍāmaram iti bhūtatantraṃ ḍāmaratantramとす る読みも報告されている。即ち、NṢAのBhūtoḍḍāmaraの部分をBhūtaḍāmaraとしてい たテキストが存在していた可能性を示している。加えてその注釈は Bhūtaḍāmara を Bhūtaḍāmaratantraという1つの文献名ではなくBhūtatantraḌāmaratantraを指すもの と考えていたようである264

ま た 、 先 の NṢA 内 で 64 タ ン ト ラ の 中 の 一 つ と し て も 挙 げ ら れ て い る Kulacūḍāmaṇitantra (KCT)内の64タントラの列挙の中にBhūtaḍāmaraが組み込まれてい る265。しかし、Avalon[1915]の提示する校訂本のkha写本はこれをBhūtoḍḍāmaraとして いる。

また、遅くとも12世紀に位置付けられるとされるKularatnoddyota266内に挙げられる タントラ文献の列挙の中にBhūtaḍāmaraが挙げられていることがDyczkowski[1988]に指 摘されており、このBhūtaḍāmaraがNṢAのタントラリスト中の第50番であると述べら れている267

第3.1.2.1項で挙げた様にGoudriaan[1981]は論中でBhūtaḍāmaraBhūtoḍḍāmaraを同 一視していたが、以上に挙げたいくつかの例がこの両タントラを同一視した理由である と思われる。各々の文献内では文献名のみが言及され、列挙される中の BTが HBTで あるかは確認する方法が無い。

NṢA中で言及されるBhūtoḍḍāmaraやBhūtaḍāmaraが現在問題にしている所のHBTで あったならば、仏教版の成立後11世紀までにはHBTが作られていたこととなろう。ま た、Pal[1981]による時代設定である、HBT が 11から 15世紀の間に作られたという推 測よりも少し前の時代に設定され得る可能性が提示される。加えて、HBT がシュリー ヴィドゥヤー派によって利用された文献であったとも言い得るであろう。

HBTはヒンドゥー教内での展開過程に関し、大きく2つの点で重視されたと言える。

それは、①マントラの暗号化の法則である bīja を説く文献の典拠として、そして

264 Dviveda p.44 n.18においてbhūtoḍḍāmaram iti bhūtoḍḍāmaratantramの読みが挙げられ る。

265 Finn[1986] p.75, Avalon[1915] p.2

266 時代設定に関してはMallinson[2007] p.181 n.95, p.182 n.101

267 Dyczkowski[1988] p.185 n.177

Dyczkowski[1988]においては、他にもBhūtaḍāmaraという語に関する記述が挙げられて

いる。Jayadrathayāmala中の関連文献としてBhūtaḍāmaraの語が出ることが指摘されてお

り、「ここに載るBhūtaḍāmaraはおそらく、この名前の呪術と関連する良く知られたもの であろう」と述べられている。(Dyczkowski[1988] p.114, p.199 n.34)

また、Saundaryalaharīへの注釈の64タントラと、NṢAに対するBhāskaraの注釈

(setubandha)の64タントラ、Kulacūḍāmaṇitantraの64タントラ及びNṢAの64タントラ がほぼ同じものであることも同様に指摘されている。(Dyczkowski[1988] p.155 n.248)

ドキュメント内 学位の分野 文学 (ページ 64-69)