第 3 章 Bhūtaḍāmaratantra における仏教、ヒンドゥー教間の関係
3.2 仏教版、ヒンドゥー教版 Bhūtaḍāmaratantra の内容比較
3.2.6 Bhūtaḍāmaratantra 中の行者像
3.2.6.2 密教文献に見られる肉、酒を売る修法
他の密教文献内にも śmaśāna で肉を売るという行為を含む修法を見ることができる。
既に大塚[2013]によって『蘇婆呼童子請問經』の蔵訳にのみ見られる「人肉による成就 法」が挙げられており694、人肉(mi yi sha)を売りたいと思う者がdur khrod(śmaśāna)
に赴くことが説かれている。ここでは夜に死人の肉を切り取り、左手で肉を持ち、右手 に刀(ral gri)を持って修法を行い、「あなたたちの誰かが肉を買うことを望む」と大声
693 BBT Sanskrit. A 22b5-23b2, T1 16a4-16b3, T2 14b1-14b7, G 7b1-7b3. Tibetan D 244b7-245a3, P 39b3-39b7, sT 56a3-56a7, Ph 203a6-203b4. Chinese T No.1129 552b4-552b16. HBT Sanskrit. N1 14b2-14b5, N2 8b3-8b5, Bo 18b3-18b7, Ba 17a11-17b3, N3 11a7-11b2, M pp.60-61.
694 大塚[2013] p.878, 908。また、Davidson[2002] p.203にも紹介される
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で呼びかけ、それを繰り返し言いながら東西南北を歩き回る行者の姿が描かれる695。 類似の修法は『妙吉祥最勝根本大教經』(khro bo rnam par rgyal ba'i rtog pa gsang ba'i
rgyud)696内にも見ることができる。
695 蔵訳部分はD No. 805 130a3-130a7, P No.428 191b3-191b8
696 T No.1217, D No.604, P No.291, Ph No.490
当経は、根本(rtsa ba)タントラ、続(phyi ma)タントラ、続続(phyi ma'i yang phyi ma) タントラ、そして秘密儀軌(gsang ba'i rtog pa)から構成される。当経典が上記のような形 になるまでの詳細な議論は、デルゲ版の編集者であるSi tuによって1733年になされたと される(Lin[2013] pp.89-90)zla 'od gzhon nu'i 'khri shin中に「詳しくはNgor chenのspyod rgyud rnam bshadを見よ」(Si tu 240a5)と言及されるように、1420年のNgor chenによる spyod pa'i rgyud spyi'i rnam par gzhogs pa legs par bshad pa'i sngon me(Davidson[1981] p.86) に詳しい。その中でNgor chenは「'phags pa 'jam dpal gyi rtsa ba'i rtog pa khro bo rnam par rgyal ba'i rgyud phyi maとphyi ma'i phyi ma gsang ba'i rtog paというのは、22章の全てのタン トラを完全にまとめたものであり…」と述べ始め、現行の形になるまでの古い翻訳の存在 と、現在の構成になるまでの由来を述べている(Ngor chen 75b5-76b4. Ngor chenによるこ こでの詳細な解説がどのような典拠から引き出されたものであるかは現在の所不明であ る。しかし、彼によって当経の古い翻訳の一つとして挙げられるgshin rje'i gshed bkra khog bslangsは、プトゥン目録中にgshin rje gshed khro bo rnam par rgyal bsra khog snang rtsa ba'i rgyud / rgyud phyi ma / phyi ma'i phyi maと記述されるもの(西岡[1983] p.65)と同定され得 る。また、Phug brag写本No.490の序文ではチベット名として'phags pa 'jam dpal gsang ba'i rgyud kyi rgyal po // pra khog bslang ba'i man ngag / phyi ma'i rgyal po bsrung ba'i lung / khro bo rnam par rgyal ba'i rgyud phyi ma'i yang phyi maという題が挙げられており、この翻訳は上記 の記述の翻訳であると言い得る)。現在、当経は東北目録、大谷目録ではkhro bo rnam par rgyal ba'i rtog pa gsang ba'i rgyudという題で挙げられるが、本文中の各章名は'jam dpal gyi rtsa ba'i rtog pa khro bo rnam par rgyal ba las rgyud 'byung ba zhes bya ba'i skabs te dang po 'o //
といった形で述べられ、先のNgor chenの記述と合わせ考えるならば、原題は'jam dpal gyi rtsa ba'i rtog pa khro bo rnam par rgyal baであったと思われる。この題は漢訳名の『妙吉祥 最勝根本大教經』により近いものと言えよう。また、1227~1305年の人であるbcom ldan ral griあるいはbcom ldan rig ralのbstan pa rgyas pa rgyan gyi nyi 'od(当文献は、おそらく 1260年代後半から1270年代前半に書かれたものと指摘されている。(Schaeffer[2009]
p.51))内においてrtog pa'i rgyud(儀軌タントラ)として挙げられる「'jam dpal gshin rje gshed kyi rtog pa phyi ma'i yang phyi ma 17章」(Schaeffer[2009] p.180. また、ターラナータ によってもgshin rje gshed rnam par rgyal ba'i rgyudの名で引用される(Almogi[2008]
p.97)。)は当経を指すと考えられる。ここで17章とされるのは、Ngor chenによる構成説 明の「忿怒Kī li kī laなどの儀軌の中の5儀軌」という後半部分の5章を除いた形であろ う。この17章から成るという形は、『パンタンマ目録』においても'jam dpal gshin rje gshed kyi rtog pa phyi ma'i yang phyi ma spyir le'u bcu bdunとして、続続タントラまでを含み「一般
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当経に関して、1420年のNgor chenによるspyod pa'i rgyud spyi'i rnam par gzhogs pa legs par bshad pa'i sngon me697内で、その由来が詳細に語られている。Ngor chenが当経の古 い翻訳の一つとして挙げる Padmasambhavaの弟子である Paṇḍita のVidyākaraprabha と
翻訳者Nam mkha'i snying po の訳が存在したとするならばその翻訳時期を遡らせること
が可能であるが、現在の所確実に言えることは、法賢による漢訳年代の淳化五年(994 年)698が当経の下限ということである。また、Ngor chen は、当経がチベット人によっ て構成された偽経である、と見なされていたという経緯をlo tstha ba 'Gos lhasの論から 引用した上でその論を否定している699。チベット人によって作られた可能性は、漢訳が 残ることからも否定されるものである。
漢訳で残るのは蔵訳の10章に当たる部分までであり、漢訳は22章にまで増広される 前のサンスクリット写本からの翻訳であったと推測される。以下に挙げるものは漢訳、
蔵訳双方に残る部分である。少し長いが、該当部分の記述を引用したい。
復た次に尸陀林の夜叉等の成就法なり。持明者は先ず自ら死人肉を收め、前の作法 の如く自らの擁護を爲し已んぬ。左手を以て刀を執り、右手は肉を執れ。夜分に於 て尸陀林中に往きて、無畏相を作して高聲に唱えて言はく。「我れ今、肉を賣らん」
と。心に焔鬘得迦大明を念ぜよ。時に彼の林中の所有大惡夜叉羅刹鬼神等は聞きて、
高聲に「肉を賣れ」と悉く皆出現す。大威力を具え、種種の大惡相を作す。彼の持 明者は怖畏を得ざれ。即ち彼に告げて言はく。「汝等善來。惡相を止息して善相を 化せ」と。夜叉言曰はく。高聲に「肉を賣れ。何事を求めんと欲すや」と。行人言 曰はく。「我れ所願有り。眼藥及び聖藥等を求めんと欲す」と。是の如く言う時、心 は須く猛利にして疑惑を生ずる勿れ。彼の夜叉等は即ち其の肉を收め已りて、一切 の求むる所、皆な成就を得。700
的には17章」として挙げられている(川越[2005a] p.43)。しかしながら『パンタンマ目 録』に記述される箇所は後世に付加された部分であることが指摘されており(川越[2005b]
p.119)、9世紀にこの翻訳があったという証拠にはならない。
697 Davidson[1981] p.86
698 武内[1976] p.46
699 ここで挙げられる'Gos lhasは11世紀の'Gos khug pa lhas btsasを指すと考えられる。
Ngor chenによって挙げられる'Gos lhasの論は、Si tuによって「'Gos lhasのsngags log sun 'byin」であると言及されるが、参照することのできるsngags log sun 'byinにはNgor chenに よって挙げられている記述を見ることができない。近い記述はChag lo tsā ba(1197-1264)に 帰せられるsngags log sun 'byin中(Chag lo pp.8-9)に見ることができるが、不明瞭であ る。また、これら2つのsngags log sun 'byinの著者に関しては疑問が呈されている
(Wangchuk[2002], Raudsepp[2009])。
700 T No.1217 91a24-91b5, D No.604 ba部8a5-8b2, P No.291 29a2-29a7, Ph No.490 43b5-44a5
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ここで述べられる修法では肉と刀(小刀 / chu gri)を持つ左右の手が『蘇婆呼童子請問 經』と逆であるが、śmaśānaで「肉を売る」ことを大声で表明するなど強い親縁関係が 認められる。
上記 2つの経典と BTで共有される点は、「夜にśmaśānaで修法を行うこと」そして
「肉を受け取ることを呼びかけること」「肉との交換で対価を得ること」である。また、
異なる点として、売る肉がBTでは山羊肉(kṛṣṇachāgalamāṃsa)であることに対し、上 記2つの経典では人肉(sha chen (mahāmāṃsa)あるいはmi yi sha)であることである。
『蘇婆呼童子請問經』、『妙吉祥最勝根本大教經』、BT内の類似する修法の例に関わる 修法を『金剛薩埵説頻那夜迦天成就儀軌經』中にも見ることができる。当経は、漢訳の みが残るものであり、前述の『妙吉祥最勝根本大教經』と同時期(994年)、同訳者(法 賢)による翻訳であり、経典の性質から「入蔵を許さず」とされたものである701。
当経では、これまで見てきた肉を売る修法ではなく、酒を売る修法を見ることができ る。以下にその記述を挙げよう。
將に尸陀林中に往きて、三度白して言はく。「尸陀林中の諸鬼神等よ。當に來たり て酒を買え」と。是の如く言い已んぬ。時に彼の林中の所有鬼神、必舍佐、羅刹及 び羅刹女等、各本形を現し悉く來たりて酒を買う702。
これは「śmaśānaで物を売る修法」という大きな枠組みに入れられ得るものである。
以上に挙げてきた、『蘇婆呼童子請問經』を除くBTおよび『妙吉祥最勝根本大教經』、
そして『金剛薩埵説頻那夜迦天成就儀軌經』は各々宋代の漢訳であり、その成立年代は 不確かであるが、śmaśānaに赴き、そこにいる鬼神やブータに肉あるいは酒といった物 を渡し、対価を得るという修法を見ることができた。これら修法に関わる記述をインド 文学中にも見ることができる。次項においてその記述を挙げよう。