(譜例2)
綬4 り① 陀㎎η
12.質 13 、写
き
(譜面3)
き
…
一工 端 護)エD・vU { 囑 )
(T) ω
0(T36−44)ではCの後半のA・durからas・mo11へとエンハーモニックによる転調で調性が 半音下がることによって、気分も暗くなって再び苦悩の現実世界に戻り、T37・40では as−mo11(T)の調性内でAS音をオルゲルプンクトとし、その上に原調a−mo11の属調である e・moUが重ねられ、いわゆる調性の二重構造が見うけられる。 T36−44の旋律はモティー フ①とモティーフ②が結合したかのような、半音階的でピアノ・パートと重ねられた 力強い問いかけの後、T41からの工(T)一〜鵬(S)・11(T)と、勢いのある上行形旋律によっ て和声的、音楽的広がりを見せ、 開いた扉を指して (Zeig die offhe TUr)という 歌詞の持つ空間的広がりと、その動作の様を音楽と見事に一致させている。T43−44に かけては半終止によって和声的安定が得られず、その上でなされる返答は不安と余韻
を残したまま、次々と移り変わる調性(Ges・dur→des−1noll→as−moU)と、 T37・48間を絶え ず繰り返すピアノ・パートの上行形(*6)の不安定な波の中へと消えてゆく。
(譜例4参照)
48
3も 詔 33 39
(譜例4)
ユ灘織・ 磁 画面瓢轡
MIp 漁
WiU・ヒwls−s・・, W・r一聯5・v・・一1・s一…d・・H…? たlsdね譜…、τu… 幣・d・s
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一
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@ 鳳エ エ( ノーマ (e=)瑞 1) 工7 「71「rr) ヂ,工 (↑) (つ7鉱 45 4も 4ワ 49 嬉・「π手 (3)
ゴー遡L→(評) ・s:■・
(T) (P)
des;工 Cr)
E(T48・64)のT48で再びモティーフ①がa−mo11上に現れるが、最初よりもピアノ・パー トに動きが少なく、Iz(T)・IV(S)・1(Tト晦(S)と変化する4・5度だけの空虚な和声の 線的使用によって、最後の問い もし彼が最後の時のことを訊ねたら… (Wenn er weiter fragt nach der letzten Stund… )を動きの少ない静寂の中で際立
たせている。T53・56は最後の問いに自ら答えるために要した時間を示しており、以前 の4つの場合と比較すると最も長く、この4小飾の間は増6の和音(S)によってその緊 張感は保たれ、ピアノ・パートで問い(モティーフ①の冒頭〉は広がりを見せながら
3回繰り返される。T57−62にかけての各小節の頭に、旋律:、ピアノ・パートの両方に 椅音を用いることによって(*6)、最後の答えの言葉一つ一つを強調し、T62ではさらに 一音ずつにテヌートで重みと意味を一層与えている。旋律はモティーフ②同様よじれ ながら軌音に向かって上行していき、ここでもピアノ・パートを重ねて旋律を強調して
いる。和声的にはT60・61にかけて、覧(D)→H7(S)へと6度を飛び越えた大胆な進行で T61の1拍目 泣く (weint)に重さを与え、続けてT61−62にかけて、 H7(S)→奴T)へ
とV(D)を飛び越えた進行によって、最後の答え 私の口は笑っていたの (1註chelte mein Mund)に最:大の意味を与えていると思われる。 (譜例5参照)
(譜例5)
zマも榊緬、tる,れ、《嬉
き
鞭 Seトr ruト te凝e 50 ケ, 52 3 5手 5ぢ
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毛そべ り①
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…
Φ) 〔つ (5) Φ) (s) (T)
50
第4曲目r:Noch sp倣 ich i㎞en Atem£
Noch sp鯉iGh ihren Atem蹴f den Wangen二 Wie kann das seiれ,daβdiese nahen Tage
F側sind釦三mmer fb就㎝d g雛vergangen?
Dies ist ein Ding,das kelRer vo妊auss孟㎜t,
U捻dvlel zu graue凱von,als daB man klage:
Daj3 a韮董es gleitet und vor魏be㎡鰻1t.
Und daβmein e童gnes lch,durch㎡chts gehenlmt,
H:er曲er経itt aus e蓋nem組ei級e簸K圭nd,
Mir wie el数Hu須d unheimlicぬstum!n und倉emd.
Da且薮:daB量ch auch vor hundert Jahren war Und鯖eine Ahne登,die im Tote曲emd,
Mit mir verw翻t shd wie me童n e量gnes H:aar,
So eins mitπ盛r als w孟e搬ein eigΩes正【aar。
いまだきみの息を頬に感じている。
ついこの間までの親しい臼々が去り、
窪いまだきみの息を頬に感じている謎 (脚韻)音節数
(a)
(a)
(a)
(b)
(a)
(b)
(b)
(b)
G))
(c)
(b)
(c)
11 11 11
10 11 10
10 10
1◎
10 10 10
(c) 10
永遠に過去のことになってしまうなど、どうしてあり得ようか?
これはだれも考えつかなかったことだ、
ひどく恐ろしすぎて嘆くこともできない。
すべてがすべり落ち、流れ去ってしまうことに。
そして私自身の自我は何ものにも妨げられずに、
小さな子供の中からすべり出して来る、
ま為で無気味なほど黙った異様な犬のように。
それから私は百年も葡に存在していて、
死者の装いをした私の祖先たちが、
まるで私自身の髪の毛であるかのように私と一体化した、
私自身の髪の毛であるかのように私と一体だった。
R.シュトラウスがホフマンスタールのバレエのための原作『時の勝利』 Der Td㎜ph der Zeit の作曲の要請を断ったことによって、ツェムリンスキーは1901年初 めてホフマンスタールの作品に作曲する機会を得た。この時の彼との接触や意見交換 がツェムリンスキーのその後の二二に与えた影響の大きさを考えると、歌曲の分野で どのように彼らの芸術が融合し、ホフマンスタールの詩的世界がツェムリンスキーに よっていかに解釈されているかを探ることは意味があると思われる。
ウィーンの世紀末作家たちで結成されていたく若きウィーン〉を代表する作家のホ フマンスタールはウィーンの裕福な実業家の子として生まれ、生来優れた言語感覚に 恵まれていた。高校在学中から創作を始め、早くから円熟した詩や頽廃ムードの漂う 韻文劇を発表して周囲を驚かせていた。音楽の領域では彼の悲劇『エレクトラ』
Eiek鍍a op.58(1909)にR,シュトラウスが作曲して以降、凡シュトラウスの理想的台 本作者として『薔薇の騎士』 Der RQse櫨av謡ief op.59、『ナクソス島のアリアド ネ』 Ahad継e a f Naxos oP.60、『影のない女』 Die Frau o㎞e Scha眈e縫 oP。65など を次々と手がけている。一方ッェムリンスキーは1916年にホフマンスタールに再び共 同で仕事をする計画をもちかけたが、彼は瓦シュトラウスとの協力関係にあったた め、それを断わっている。同年に作曲された本作品を含む『4つの歌蜘はホフマン スタールへの再接近を契機に創作されたと思われる。
この作品集は第1曲目の本曲、第2曲臣『きみには聴こえなかったのか』 H◎鵜st du d㎝n獄i◎ht㎞e血 、第3曲目『ふたり』 Die Beiden (以上ホフマンスタールの
テキスト)、第4曲冒はボードレールのテキスト『夕暮れの譜調』 Ha㎜o血ie des Abends で構成されている。第1丁目のテキストはホフマンスタールが1894年に出版
した、ヴェルトハイムシュタイン(J.v. We曲e㎞ste切の死の直後の印象をもとに作られ た:詩集『はかなさについて』 Terz血e舶ber Verg蝕glichkeit に基づくものである。
この詩はテルッィーネ(Terzhle)と呼ばれる3行詩節形式をとっている。この詩形は 元来イタリアで野事詩の詩調として用いられていたが、ドイツではより多く二丁的な
ものに使われ、多くの場合メランコリックな調子のための詩形として用いられてい る。この形式をドイツ語に対応させれば、ヤンブスIl音節の詩行3行から成り、行末 はすべて女性終止で終わる形となるのだが、ドイツではこれに韻脚の完全な詩行
(akatalektisoh)を交えることが許されているため、それによって10音節の詩行が本テキ ストにも見受けられる。ホフマンスタールは他にもしばしば韻律の順序を変えて用い るなど、本来の型を基に比較的自由にこの形式を用いている。また脚韻はテルツィー
52
ネでは3行のうち第1、第3行が韻で結ばれ、第2行は多くの場合次の詩節の第1、
第3行と同一の韻を持ち、そして最後の詩籔にはその詩節の第2行と同一の韻を持っ た行が1行、結びの行として付加される。これを基にして本テキストの脚も、》aaa bab bbb cbcc《という鎖状につながって流れる脚韻を示しているが、必然的にこの作用
によって個々の雪平の内的なまとまりは失われている。この形式は小篇の詩に用いら れる場合、この見え隠れする風変わりな脚韻のため、神秘、玄妙なテーマに適してい ると考えられている。
ホフマンスタールは20世紀のドイツの野情詩と散文の変貌を担った作家の一人とし て知られているが、彼は表現手殺としての言語の限界をいち早く察知し、自分の作品 を通して言語の純潔の喪失や崩壊に対する危惧の念を表明し、自らも詩人としての口 を閉ざしてしまった人物である。言語の崩壊によって「その以前にあった大いなる統 一、則ち物質界と精神界、自我と自然の統一が破れ(中略)ことばの持つ迫力と音響 的関連も消えてなくなる。すべての物象は孤立し、無気味に拡大され、歪曲されて見 える。 (中略)現象そのものまでも自己分解を起すので、対象に名をつけようとして もうまく行かず、ことばもひびきもなく、バラバラに瓦解してしまう。概念を造り出 すことが無意味になる。ことばはもはや、この世界を支配することも説明することも できない、魔法にかけることも解明を与えることもできない。」 [手塚26:1959]と いう状況がもたらされることを知っていたホフマンスタールは、このような文学の基 盤の喪失、人間の世界の中でも生じる拠り所の喪失から救うために再び筆を取ること となる。ホフマンスタールは言語における頽廃を根絶し、時代の崩壊を阻止し、根源 を復興する努力をし続けたが、その方法論として彼は「ただ現実を模写するのではな くて、高められた現在を再建するために、繰り返しあらたに自己に鞭うった。死物を 活かし、崩壊したものをかき集めて永続的形態を与えるために遭平した。」[手塚 27:1959]のである。
このような世紀転換期の文学界における現象は、文学テキストをその台本とするオ ペラや歌曲の分野においては作晶に大きく反映されることになった。また同時期の音 楽界ではこれと酷似した状況、つまりこれまで保たれていた均整や規則性、合理性が ゆきづまり、機能和声の崩壊と調性の危機が限界に達しようとしていた。調性からの 離脱によって規則的、機能的な観念から解放され、自由で無秩序な形態と時間を 獲得しようという傾向が見られた。それによって時間軸や音楽の指向性が曖昧にな
り、文学で起こった現象と同様、音楽そのものの新たな美的概念を作り出そうと模索