第3章 ッェムリンスキーの音楽的特徴と
第2節 ツェムリンスキーの音楽史的意義
ツェムリンスキーの人問関係、業績、作品を通して見えてくる一入の作曲家として の音楽史における意義を考察すると、その内容は興味深く、また充実している。従っ て彼が凡庸な作曲家であるが故に現在音楽史の概観に現れてこないのではないといえ るであろう。彼自身の作曲家としての才能はブラームスやマーラー、シェーンベルク という大作曲家として知られている人々の証言によって証明されており、ツユムリン スキーは逸材を見抜き、たぐい稀な吸収力と柔軟な感性によって彼らの影響を自らの 作晶へと取り入れながら、当時の前衛作曲家の一人として時代の最先端で新しい音楽 表現の境地を求めて模索し、あらゆる手法と多様性を見せているのである。確かに才 能はあっても彼独自の個性は周辺の偉大な作曲家たちに支えられたものであり、周辺 のあまりにも強烈な個性に比べると地味であると卜わざるを得ない。19世紀末はさま ざまな分野において天才がひしめき合っていた時期であり、ウィーンの音楽界におい てもマーラーという君臨者がその偉大な才能と個性で既に認知されていたため、ツェ ムリンスキーはその陰に隠れ、また彼に続いて次々とウィーン音楽界に登場した薪ウ ィーン楽派たちに挟まれて、目立たなくなってしまっただけなのではないか。彼の個 性や存在意味は音楽的特徴として既に前項で記述したように決してなかった訳ではな
く、ただ控えめであっただけなのである。それにッェムリンスキーがなし得た功績
「当時のド イツ音楽を2質していたともいえるワーグナー、ブラームスの相反する音 楽の融合と次世代への伝承」の:重要性と不可欠性を考えると、やはり彼はもっと評価 されるべき人物であるといえるであろう。矢野はツェムリンスキーの音楽史的意義に ついて次のように述べている。
「かれがこれまで現代音楽の歴史で不遇な位置づけを受けてきたのは、多くの一流 の音楽人と、いわば脇役ないし介添えという立場でかかわり過ぎたからだと解釈でき る。ブラームスの作風の影響を受けたこと、リヒャルト・シュトラウスやシェーンベ ルクの重要作品の世界初演の指揮をしたこと、妹マティルデがシェーンベルクの最初 の妻であること、マーラーによってオペラ界の重要ポストを与えられたこと・…
・・ Bそのようなさまざまな歴史的挿話は、、たしかにツェムリンスキーを歴史の主流 からはずれた立場に導きかねないものばかりである。しかし、シェーンベルク、ベル ク、ヴェーベルンらいわゆる「新ウィーン楽派」に導入を与える重要な立場にたって いた人物が、ほかならぬツェムリンスキーであったという事実を忘れてはならない。
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その意味での現代音楽史の〈欠けていたリンク〉の役目を、かれに担わせてみようと いうのが、最近のヨーロッパでの論調なのである。」 [矢野1992:11◎]
この見解から世間一般にッェムリンスキーの正当な評価がなされる日が間もなく やってくることを感じ、心待ちにするとともに、筆者自らも非力ではあるがツェムリ
ンスキーの理解に加勢したいと願っている。
結び
ツェムリンスキーの生涯や業績、人間関係や当時の時代性を踏まえた上で彼の歌曲 作晶を分析し、それを通して見えてきたことは彼の生き方である。一概に音楽家とし ての生き方といってもさまざまであり、指揮者、作曲家、演奏家などの活動領域や、
オペラ、交響曲、器楽曲、歌曲などから何を創作の中心とするかによっても大きく変 わってくる。また作風の変化を追うことによって彼が歩んだ作曲家としての道を辿る ことができる。
ツェムリンスキーが生きていた「世紀末」という時代は特に多くの人々が伝統的な 束縛からの解放と、そこから抜け出すために模索をしていた時代であり、それ,が一つ の時代精神でもあった。その風潮の中で模索する芸術家の一人としてツェムリンスキ ーが歩んだ道は、決して凡庸ではなく、また当時はおそらく現在よりも知名度があ
り、指揮者として、作曲家として音楽界を賑わす存在であったことは間違いないであ ろう。なぜなら彼はユダヤ系芸術家としての宿命を背負い、社会的不安におびえなが らも作曲家として、教育者または指揮者としても大きな功績を残しているのだから。
しかしその時代的宿命のため、彼らユダヤ系芸術家たちは国を追われ、また彼らの音 楽や芸術までもが第二次世界大戦終結後まで封印されたまま、人々に忘れられていっ たのである。
歌曲作品を通して見えてくるツェムリンスキーの作曲家としての軌跡は、彼が前衛 的でありながらも本質的には伝統的な部分を捨て切れず、あるいはその狭間に自らの 音楽を確立したという様を呈している。それは新ウィーン楽派の作曲家たちほど斬新 で改革的ではなかったため、歌曲の歴史においても彼は特筆されることはなかった が、無調へと進むことによって伝統的な調性音楽の歴史が終焉を迎えることを恐れ、
またそれを懸念していたツェムリンスキーの姿を示しているようである。しかしそれ は最終的に出された決断であり、シェーンベルクが1908/09年頃に無調性から完全な無 調へと突き進み、音楽は新たな局面へと向かっていた時は、ッェムリンスキーも同様
にその調性音楽の限界へと進んでいたと思われる。それは時代と共に段階的に機能和 声と調性の基盤から遠ざかっていく経緯を見せていることから想像できる。しかしシ ェーンベルクによって無調、または12音技法の可能性が開かれた後でもツェムリンス キーはそれ以上先へは進まず、最後まで調性音楽または無調性の領域に留まり、自ら の音楽家としての確固たる信念と姿勢を示したのである。本来的に彼の美意識は調性
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の中にあるといえる。従って演奏家が彼の本質を捉えるためには調性音楽の持つ細分 化された和声の仕組みを理解し、さらにそれにテキストの内容がどのようにかかわっ ているかということを捉えた上で解釈をしなければならないといえるであろう。ツェ ムリンスキーが調性を手放さなかった訳は、そこに彼の作品をひも解く鍵があり、彼 のこだわりとメッセージが込められているからではないか。
またモティーフ、反復、装飾的音形、転調、和声進行などのあらゆる要素はそれぞ れツェムリンスキーのテキストの解釈の断片を象徴し、それらは互いに密接に関連づ けられて詩的世界を表しているように感じられる。作品の総体をより正しく把握する には、おそらくツェムリンスキーが作曲する際そうであったように、分解的視力を 持ってテキストと楽曲に挑み、それぞれの要素に隠された暗号とテキストの意味内容 に合致する、解釈のキーワードを見つける必要があるだろう。これはツェムリンスキ ーの作品に取り組む場合だけではなく、どのような作晶に取り組む時にもいえること であり、筆者が本論文の執筆を通して学んだことでもある。筆者自身、演奏者として 作品に取り組む際、えてして主観的解釈に偏ってしまう傾向にあるが、感性に客観的 根拠のある解釈が加わることにより、さらに作曲者の意図に近づいた演奏が可能にな
るであろうと考える。
「表現」自体も多様性を見せていた19世紀から20世紀にかけてツエムリンスキーは 歌曲の世界で断言を避けた言い回しによって本質を隠しつつも、ニュアンスや旧りく
どい表現で隠喩的に内面を見せるという傾向を示しているように思われる。そのため 輪郭や区切りが不明瞭で、曲線的な動きではっきりとした意図をぼかした彼の音楽は 一般的には耽美的であるといわれるが、確かに美を追求した結果がこのような美しい 歌曲を多くもたらしたのであり、美よりも主観的な表現を重視した表現主義的音楽に は結局のところ行きつかなかったと考えられる。ツェムリンスキーにとって主要な創 作の領域であるオペラでは幻想的、または悲劇的な題材やメルヒェンの世界を扱った 題材に好んで作曲しており、おそらく歌曲の領域とは違う別の側面や傾向を見ること ができると考えられる。
本論文では歌曲に見られる範囲で可能な限りッェムリンスキーの手法や傾向を見つ け、また歌曲の歴史における位置付けを行なってみたが、歌曲5曲の分析のみで彼の音 楽的特徴や音楽史的意義を定義することは難しく感じられた。もっと多くの歌曲作 品、またはオペラを含む他の領域の作晶を考察することを通してより体系的に彼を捉 え、新たな要素を見出すことが、ツェムリンスキーの理解を一層深め、彼の正当な評