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ドキュメント内 総研叢書 第07集 共に生き、共に往くために (ページ 151-156)

表した調査がある︒浄土宗総合研究所の現代葬祭仏教研究プロジェクトが二

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がジュースを飲めなければ︑凍らせてかき氷にして︑口の中で溶けるような工夫が必 要となる︒どうすれば患者さんの要望をかなえることができるか︑試行錯誤を繰り返 し︑ときには実際に自身が横になって試してみる︑ということまでやってみる︒ 人は職業の前提があって︑本来の関係が築けないことがある︒当初︑ホスピスにお

手伝いに行っていたとき︑普通の服で活動していたときには﹁林さん1﹂と患者さん

に呼び止められて︑用事を言いつけられたり︑あるいはお話をしたり︑ということが

あった︒

正式に医師として同じ場所に出入りするようになって︑白衣を着た瞬間に

﹁先生でらしたのですか!﹂となり︑それ以後はあまり頼まれごとをされたり︑相談

事をされたりということがなくなった︒

同じようなことは僧侶の場合も起こる︒長岡西病院のピハ

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ラ僧である森田氏は﹁(意

識的に働きかけるかどうかは別にして)﹃自分は僧侶ですよ﹂というお声掛けや雰囲気を

出す

と︑

﹃お坊さんに話を聞いていただくのに︑まだまとまっていないので︑少し整理し

てからお話いたします﹄という身構えに似た反応が多く見られた凶﹂と述べたうえで︑こ うした反応が必要な支援の﹁タイミングを見誤る﹂ことにつながると指摘している︒ 林医師は患者の食べるという行為をとても尊重している︒﹁カルテは患者の状態を書く

のではなく︑家族のことや︑患者の症状も書き込むようにしている﹂ということばがあら

わすように︑治療に当たる医師本人でさえ︑病気だけ見ていてもだめだ︑という思いが強

くあることがわかる︒僧侶もまた︑患者はもちろんのこと︑家族や友人までをも含め︑理 解し受け止める立場にあるといえよう︒

五・三で挙げたように︑医療的アプローチとして様々な形態の施設が模索される中︑医

療型施設以外ではこうした活動をどのようにサポート出来うるのかを考えていか・なくては

ならない︒その一

つとして注目されるのが︑﹁仏教﹂そしてその﹁場としての寺院﹂や

﹁実践者としての僧侶﹂である︒

谷山氏は︑実際に使用されている意味としては︑狭義ま

たは広義が最も近いと思われるが︑現在活動を行っている組織のほとんどが広義または最

広義に当てはまると指摘する︒続けて︑田宮氏と田代俊孝氏は共に狭義を用いながらも︑

彼らの影響を受けた組織の活動領域は広義から最広義に当てはまり︑﹁今やピハ

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ラの定

義は広義で用いられるべきではなかろうか﹂と述べている︒もちろん医療行為は無理とし

ても︑ピハlラの活動は各寺院でもできることともいえる︒ 前章でも見た通り︑日本仏教の本来持っているコミュニティーである檀信徒との関わり は︑生前の元気なうちから信頼関係を構築することが可能である︒病みゆく人︑死にゆく

151一一一一一第四章 仏教ホスピス運動

人︑そしてその家族や友人と関わって行くことができる立場にある者はそれほど多くはな

いため︑その﹁信頼関係﹂を軸として年回法要等が行われることの意義は看過できないほ

ど大きいはずである︒

森田氏は︑病棟に入院されてから関係性を構築するよりも︑すでに長年培われた関係性

の方がより緊密であることを実感している

︒﹁すなわち︑お寺と檀信徒との寺檀関係が

様々な側面において強固なものであるならば︑そして医療分野に宗教(特に︑仏教)が当

然あるべきものであると認識されるならば︑ピハ

l

ラ僧の存在価値は薄れるかもしれな

い︒逆に

一 言

守え

ば︑

ピハ

l

ラ僧という職種が成立する背景には︑現代の寺檀関係が葬式仏教

や儀式仏教と榔撤されるほど希薄になっている部分﹂もあることを指摘している凶︒

症状や環境(家族︑地域の医療施設など)によってどのようなケアを選択するのがよい

か︑患者と医療者との充分な話し合いが重要であることは言うまでもないが︑その話し合

いに向かう姿勢や心を作るのはあくまで患者本人である︒少しでも安定した心持ちなって

いれば︑その話し合いが︑患者本人にとって納得のいく最期に向けて進んでゆくことを可

能にさせるはずである︒そして僧侶は︑その姿勢を共有し支える手伝いが出来うるのでは

ないか︒

患者の亡くなった後についても同様のことが言える︒前述の林医師は患者が亡くなった あと︑遺族を招いてお茶会をしている︒入院していたときのエピソ

ドなどの資料を作

り︑お茶会の際にはスタッフがもう一度目を通し直して︑お茶会にて家族と亡くなった方

との思い出を分かち合う場としている︒あそかピハlラにおいても生前の写真をもとにパ

ソコンにて作成したアルバムを遺族とともに見ながら︑亡き人の思い出を語り合ってい

る︒

寺院での法要もまた長年そうした役割を果たしてきたはずである

医療者であろう

が︑宗教者であろうが︑亡くなった方と縁のある人々が集う場の必要性は︑家族など大切

な方を亡くして悲しみの中にある方々のための診療も遺族外来の登場からも伺うことがで

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ビハ

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ラという言

葉は狭義には寺院の中の居住用施設を指すが︑広義には寺院全体を指

す︒各寺院が﹁ビハ

l

ラ﹂となり得ることの自覚が僧侶側に必要である︒今後︑国の政策

によって在宅による看取りへとシフトしていくとなると︑あるいは個々人が自らの最期に

関してどうありたいのか意志を表明するようになっていくと寺院は死のプロセスに関わる

機会が多くなる可能性がある︒病院で亡くなるという手の届かないところから手の届くと

ころに帰ってくる︒私たちはそこに関わっていく責務がある︒そのためにはともに病気と

仏教ホスピス運動

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一一一一一第四章

ケアに関する考え方 図11

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